はじめての八代集
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●「はじめての八代集」について
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………和歌に興味はあるが、どこから踏み込んだらよいのか分からない人。詩情の欠けらもない教育によって、和歌が好きになれないでいる人。短歌と称しては言葉をこねまわし、なんの意味もない添削をしたりされたりして喜んでいる謎のサークルに、不気味なものを感じる人。流行歌の歌詞くらいに共感できる、ありきたりの感性を持った人。そんな人たちに、「八代集」を紹介するコンテンツです。
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●はじめに
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………小さなプライバシー表明。読みたい人だけどうぞ。
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●本文について、および予習と見取り図
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………八代集を眺める前に、ちょっとした和歌の説明と、全体の見取り図。
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●その一 金葉和歌集 (きんようわかしゅう)
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………1125年頃。白河法皇(しらかわほうおう)(1053-1129)の命により、源俊頼(みなもとのとしより)(1055-1129)が編纂。全部で三つのバージョンがあり、これはもっとも人々に知れ渡った「二度本」を紹介したもの。
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●その二 金葉和歌集 三十一字
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………『金葉集』の紹介した和歌を、現代語の和歌として読み直すことにより、その表現のありきたりなところを、確認するためのものです。
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●その三 詞花和歌集 (しかわかしゅう)
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………1151年頃。崇徳院(すとくいん)(1119-1164)の命により、藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)(1090-1155)が編纂。歌の総数が四百少々と、八代集のうちでもっともコンパクトな詩集になっている。
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●その四 詞花和歌集 三十一字
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………『詞花集』の紹介した和歌を、現代語の和歌として読んでみたもの。これは八代集の導入の手引きとして行ったものに過ぎませんから、今回で終了です。
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●その五 千載和歌集 (せんざいわかしゅう) 前編
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………1188年。後白河院(ごしらかわいん)の命により藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい)(1114-1204)が編纂。前編は「春夏秋冬」を掲載。
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●その六 千載和歌集 後編
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………「巻第七」の「離別歌」以降を掲載。
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●その七 千載和歌集 短詩
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………ここからは、まとめのアンソロジーは、短詩文で現代語を掲載します。時には三十一字(みそひともじ)になることもあるかと思います。
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●その八 後拾遺和歌集 (ごしゅういわかしゅう)
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………1086年。白河天皇(しらかわてんのう)の命により、藤原通俊(ふじわらのみちとし)(1047-99)が編纂。桂大納言(かつらだいなごん)こと源経信(みなもとのつねのぶ)(1016-1097)も関わるか?
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●その九 後拾遺和歌集 短詩
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………『後拾遺和歌集』のまとめのアンソロジー。
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●その十 新古今和歌集 (しんこきんわかしゅう) 前編
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………後鳥羽院の命により、1201年に和歌所が設置され、後鳥羽院および源通具・藤原有家・藤原定家・藤原家隆・藤原雅経(飛鳥井雅経)・寂蓮(途中で死去)。1205年暫定完成。1216年まで改訂が続けられる。前編は「巻第十」までを紹介。
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●その十一 新古今和歌集 後編
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………後編は恋歌から最後までを紹介。
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●その十二 新古今和歌集 短詩
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………『新古今和歌集』のまとめのアンソロジー。
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●その十三 古今和歌集 (こきんわかしゅう) 前編
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………905年。醍醐天皇(だいごてんのう)(885-930)の命により、紀貫之(きのつらゆき)、紀友則(きのとものり)、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生忠岑(みぶのただみね)が編纂。前編は巻第十までを掲載。
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●その十四 古今和歌集 後編
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………後編は恋歌から最後までを紹介。
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●その十五 古今和歌集 短詩
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………『古今和歌集』のまとめのアンソロジー。
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●その十六 後撰和歌集 (ごせんわかしゅう) 前編
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………960年より少し前頃。村上天皇(926-967)の命により「梨壺の五人」と呼ばれる五人の撰者により編纂。彼らは同時に万葉集の解読にも取り組んだ。前編は『四季』のみを掲載。同時にちょっと新しい執筆スタイルを試みる。
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●その十七 後撰和歌集 後編
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………後編は恋歌から最後までを紹介。
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●その十八 後撰和歌集 短詩
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………『後撰和歌集』のまとめのアンソロジー。山吹唄伊さん現代語訳。
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●その十九 拾遺和歌集 (しゅういわかしゅう) 前編
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………1010年以前頃、藤原公任の『拾遺抄』をもとにして、花山院が主体となって編纂させたかと思われる歌集。「巻第十」、すなわち「恋歌」の前までを紹介する。
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●その二十 拾遺和歌集 後編
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………「恋歌」を飛ばして、「巻第一六」から「巻第二十」までを紹介する。
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●その二十一 拾遺和歌集 恋歌
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………「勅撰和歌集」の最後に、『拾遺集』の「恋歌」を物語的に配分しながら、全体のコーダに変えようというもの。
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●その二十二 拾遺和歌集 三十一字
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………『拾遺和歌集』のまとめアンソロジー。
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●その二十三 補遺一
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………近代の短歌を例に、いつわりの表現にいくばくかの批判を加えたもの。『八代集』の代わりに、悪例の紹介とする。
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●その二十四 補遺二
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………『近代秀歌』という書籍の掲載短歌を、秀逸から駄歌まで分類したもの。これをもって、近代の作品にも、優れたものと、劣ったもののあることを紹介し、今日のものもまた、三十一字の形式のうちの表現に過ぎないことを添えて、初学の手助けとするものである。
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●その二十五 補遺三
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………後書きにかえて。
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●その二十六 付録
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………着想を捨てることについての、散文的な参考例。
八代集について
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●八代集とは
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………905年、醍醐天皇(だいごてんのう)の命により完成した『古今和歌集』から、後鳥羽院の命により、承久の乱(1221年)以前に完成した『新古今和歌集』まで、おおよそ300年間のあいだに、天皇や上皇の勅命によって編纂された公的な和歌集が全部で八つ。これを合せて『八代集(はちだいしゅう)』と呼ぶ。
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………特に905年から1010年頃までの、約百年の間に編纂された三つの勅撰和歌集は、後の和歌集の規範とされ、いつしか『三代集(さんだいしゅう)』と呼ばれるようになった。『古今和歌集』『後撰和歌集』『拾遺和歌集』がそれである。
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………これに続く約二百年の間に、五つの勅撰和歌集が編纂されるが、これを『八代集』と呼ぶことは、藤原定家の漢語日記『明月記(めいげつき)』や、順徳天皇の歌論である『八雲御抄(やくもみしょう)』などにも見られるが、その定着には、承久の乱で朝廷が幕府に敗れ去ったことも関係しているのかも知れない。
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………これに続く勅撰和歌集は、藤原定家が独りで編纂した『新勅撰和歌集(しんちょくせんわかしゅう)』(1235年)であるが、時代や和歌の精神のことは知らず、私としては「八代集+1」とでもしたくなるくらい、この九番目の和歌集は、それ自体魅力的な結晶となっている。いつか紹介できたなら、よいのだけれど……
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●その意義について
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………過去の遺産を学ぶことが、伝統であるからとか、我々の血脈であるからとか、血統の由来であるとか、そんなことはなんの意味もありません。あらゆる文学作品は、今に眺めても面白く詠まれるから、始めて価値を持つのです。そうでなければ、アンモナイトの化石と一緒です。歴史的意義以外、なんの意味があるでしょうか。ただ今と異なる言葉で記されるから、ちょっと近づき難いのです。今と異なる感性で記されるから、寄り添うのに時間が掛かるのです。けれどもわたしたちが、心開いて眺めれば、『イーリアス』は今日でも比類ない作品なのです。『古事記』は叙事的な物語なのです。そうして『八代集』もまた、三十一文字のもっとも多様に息づいていた、言葉の万華鏡のような詩集なのです。それだからこそ、ちょっとあなたに紹介したくなった……
もし意義があるとしたら、それくらいのものなのですけれども……
八代集なリンク
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ウィキペディア
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………「勅撰和歌集」の解説
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和歌データベース
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………「国際日本文化研究センター(日文研)」の中にある、和歌のデータベース。八代集以外にも、様々な歌集を検索できる。
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八代集秀歌選
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………「やまとうた」のサイトの中の、藤原定家が編纂した八代集選集である、『定家八代抄』を掲載したコンテンツ。
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古今和歌集の部屋
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………「ミロール倶楽部」というサイトの古今集のすぐれた解説
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