八代集その四 詞花和歌集 三十一字

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はじめての八代集その四 詞花和歌集 (しかわかしゅう) 三十一字

言い負かされ
  しゃがんで見てた 夕ぐれに
 なぐさめみたいな 冬の明星

 くらいの当たり前の感慨を、

言い負けて うたた夕暮れ 深むとき
  冬の底より 上がる星あり
          馬場あき子

などと詠んで、
     「言い負けて夕ぐれが深まる時」
という現代文の構文に、自然な流れを阻害する「うたた」やら「深む」といった、古語もどきを割り込ませなければならないのか……
 あるいはまた、
  冬の底から星があがってくるなどと、
   真の情感よりも、こねまわした着想が鼻につくような、
  誇大な表現をしなければならないのか……

林檎の花に 胸より上は 埋まりおり
   そこならば神が 見えるか、どうか
          永田和宏(ながたかずひろ)

 散漫な現代語の散文構造に、「埋まりおり」などと加えて、
  興ざめを引き起こさなければならないのか……
   あるいはまた、

日盛りを 歩める黒衣 グレゴール・
  メンデル1866年 モラヴィアの夏
          永田和宏

 などという駄文に記したニュースを、
  窮屈に短歌のワクに押し込めなければならないのか……

 もしこれらが、
  どうしても理解出来ず、
   学校で教えるような短歌どもに、
  不快感を覚えるくらいの感性があるならば……

 あなたはまだしも、まっとうな感受性を、
  保っているのかもしれません。
 本当はそうした人たちが、ありきたりの表現を、ちょっとユニークに移し換えて、豊かな詩情へといたらしめるくらいが、かつての和歌の世界に、通じるくらいのもの、ありきたりの詩作には、違いないのですけれども……
 なんとなく興味の湧いてきた方がいたならば、
  かつての和歌を、覗いてはみませんか?

P.S.
  かの雑誌や、メディアをながめて、
   あまつさえ、投稿をして、何とも思わないような者どもは、
  言葉をもてあそぶような、
    自らの生息地へと帰るがよい。
     あの知性の腐敗したような、
      不気味な臭気に気づかない者どもよ……
     ここはあなた方の、
       かぎまわる場所ではありません。

春 巻第一

ふるさとは 春めきにけり
  み吉野の みかきが原は\を
    かすみこめたり
          平兼盛(たいらのかねもり) 詞花集3

ふるさとは 春めく気配
   み吉野の み垣が原を
  覆うかすみよ……

まこも草
  つのぐみ渡る 沢辺には
    つながぬ駒も 離れざりけり
          俊恵法師(しゅんえほうし) 詞花集12

まこも草の
   芽を吹きわたす 沢辺では
  放した馬も 離れないもの

春くれば
   花のこずゑに 誘(さそ)はれて
  いたらぬ里の
     なかりつるかな
          白河院(しらかわいん)御製(ぎょせい) 詞花集27

春が来れば
   花の気配に 誘われて
  ゆかない里など ありはしないよ

わが宿(やど)の
  さくらなれども 散る時は
 こゝろに得こそ まかせざりけれ
          花山院(かざんいん)御製(ぎょせい) 詞花集41

わが家にある
  さくらだけれど 散ることは
 この心には 従わないもの

ふるさとの
   花のにほひや まさるらむ
  しづこゝろなく
     かへるかりかな/がね
         贈左大臣母 詞花集33

ふるさとの
   花のにおいに さそわれて
 そわそわとして
     帰る雁の声

夏 巻第二

なく声も
  きこえぬものゝ かなしきは
 しのびに燃ゆる ほたるなりけり
          藤原高遠(たかとお) 詞花集73

なく声も
  聞こえないものの 悲しさは
 ひそかに燃える ほたるみたいだ

秋 巻第三

あきの夜の
  月にこゝろの あくがれて
    雲ゐにものを 思ふころかな
          花山院 御製 詞花集106

秋の夜の
  月にこころは あこがれて
   雲間にものを 思う頃です

荻(をぎ)の葉に
  こと問ふ人も なきものを
    来る秋ごとに
  そよと答ふる
          敦輔王(あつすけおう) 詞花集117

荻の葉に
  たずねる人も ないけれど
 秋の来るたび 「そうよ」と答える

いづかたに 秋のゆくらむ
  わが宿に 今宵ばかりの/は
    雨やどりせよ
          藤原公任(きんとう) 詞花集139

どちらへと 秋はゆくのか
   私の家に 今宵くらいは
 雨やどりしてよ

冬 巻第四

いほりさす
  ならの木かげに もる月の
 曇ると見れば 時雨(しぐれ)降るなり
          瞻西上人(せんさいしょうにん) 詞花集150

庵にさす
  楢(なら)の木陰に 漏れる月が
 曇るかと思えば 時雨が降ります

おく山の
  岩がきもみぢ 散りはてゝ
 朽葉(くちば)がうへに 雪ぞつもれる
          大江匡房(おおえのまさふさ) 詞花集154

奧山の
  岩場の紅葉も 散り果てて
    朽ち葉のうえに
  雪は積もるよ

賀(が・いわい) 巻第五

ひとゝせを
   暮れぬとなにか 惜しむべき
  尽きせぬ千代(ちよ)の 春を待つには
          藤原公任(きんとう) 詞花集168

この年を
   暮れるとはなぜ 惜しむのか
  千代にくり返す 春を待つものよ

別(わかれ) 巻第六

とゞまらむ
  とゞまらじとも おもほえず
 いづくもつひの 住みかならねば
          寂照法師(じゃくしょうほうし) 詞花集181

留まろう
  留まらないとも 思わない
 変わらずつづく 住みかでないなら

恋上・恋下 巻第七・八

竹の葉に
  あられ降る夜は さら/\に
 ひとりは寝(ぬ)べき こゝちこそせね
          和泉式部(いずみしきぶ) 詞花集254

竹の葉に
  あられの降る夜は さらさらと
 ひとり眠れる 気にはなれずに

雑上 巻第九

神無月(かみなづき)
   ありあけの空の 時雨(しぐる)るを
 また我ならぬ 人や見るらむ
          赤染衛門 詞花集324

神無月
  夜明けの空の 時雨れるのを
    わたしではない
  誰が見てます

つく/”\と
  荒れたる宿を ながむれば
 月ばかりこそ むかしなりけれ
          藤原伊周(これちか) 詞花集308

しみじみと
  荒れた住まいを 眺めれば
 月あかりだけ むかしのままです

いとひても
  なほ惜しまるゝ わが身かな
    ふたゝび来べき この世ならねば
          藤原季通(すえみち) 詞花集346

いとわしく
  それでも惜しい いのちです
    またおとずれる この世でないから

雑下 巻第十

かはらむと
  いのるいのちは 惜しからで
 さても別れむ ことぞ哀しき
          赤染衛門(あかぞめえもん) 詞花集362

代わろうと
  祈るいのちは 惜しくない
 ただ分かれる ことが悲しい……

大原や
  まだ炭窯(すみがま)も ならはねば
    我が宿(やど)のみぞ
  けぶりたえたる
          良暹法師(りょうぜんほうし) 詞花集367

大原です。
   まだ炭焚きも 習わないから、
 わたしの家だけ けむりが消えました。

思ひかね
  そなたの空を 眺むれば
    ただ山の端に
  かかる白雲
          藤原忠通(ただみち) 詞花集381

思いあふれ
  向こうの空を 眺めれば
    ただ山の端に
  かかる白雲

人を弔(と)ふ
   鐘のこゑこそ あはれなれ
 いつかわが身に ならむとすらむ
          よみ人知らず 詞花集406

弔(とむら)いの
    鐘の音こそ 哀れです
 いつかこの身に 鳴るのでしょうか

終わりに

 いかがでしたでしょうか、かつての和歌が、どれほど「さらり」とした語りから成り立っているか、感じて下さったら幸いです。
 あまり当たり前の表現なので、これなら自分でも出来そうだと思った方もあるかもしれませんが、それこそ和歌への第一歩。あなたは、私の紹介をながめるばかりではなく、とりあえず、誰かに語りかける代わりに、自らの思いを三十一字(みそひともじ)にまとめてみるのが良いでしょう。ちょっと愉快な気がしたら、またまとめてみるのが良いでしょう。おそらくはただ、そうすることが、かつての和歌に近づくための、最良の方針でもあるのですから。

 現代文による和歌の試みは、
  とりあえずこれで終了です。
 あなた方は、きっと『千載集』からは、このような助けを必要とすることもなく、和歌の価値へとたどり着けることでしょう。人は知らないうちに、わずかずつ成長してゆくものです。いつしかこの『八代集』が、あなたのバイブルになることを、願ってやみません。
 それでは、今回はこれで失礼します。
  またお会いしましょう。

           (をはり)

2014/07/12
2014/09/25 改訂
2014/11/26 朗読掲載

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