和歌は詩であり、
詩は語られるものであり、
文芸はアンモナイトではありません。
語られる言の葉の奏でる響きだからこそ、
数千年を隔てた時のかなたにさえ、ヘクトールはいのちを吹き返し、詩編は新たな音楽の、源泉とさえなるのです。仮名に記された言葉にさえも、わずかな sympathy はもたらされ、喜びや悲しみへと移り変わるような、過去からの生きた贈りもの。未来へと手渡したくなるような、いにしへからのプレゼント。わたしたちの永遠(とわ)に求めて止まないもの。
大和歌(やまとうた)には違いありません。
詩情の欠けらすらなく、
精神さえつかみ取れず、
詠み手の思いを伝えるべき、
心を紹介することすらかなわない。
ただ肥大した知識をもとに、化石標本化された言葉の羅列を、掛詞やら品詞分解に切り刻み、切り刻んでは、翻訳ですらないみじめな現代語に貶めて、和歌を毛嫌いにさせることに邁進する、ハイエナみたいな教師たち。
あるいは有害図書にも認定されそうな、
興ざめのあらしの吹き荒れる、
古典の教科書やら参考書ども。
わたしが学生の頃、
寒気を催したような不気味なもの。
子供たちから伝統を奪い去るための、
動力みたいな教育システムが、
戦後に搭載された新型エンジンみたいにして、母国の伝統を生き埋めにして鋪装して、ただサラリーマンを養成するためだけの装置して、いよいよ盛んに、稼働を続けているような気配です。
子供たちはまるで、無意識のうちに大切なものを奪われて、それさえ知らないではしゃぎまわる、符号みたいではないですか。趣味を持たない親たちが、サラリーマンの御魂(みたま)して、ウーティスとフリーダムをはき違えながら、みずからの分身を育てている。あるいはそうだとしても……
そんなことは、
今さらわたくしの、
知ったことではないのですが……
我慢できないこともあるのです。
かの雑誌やメディアのかなたから、
漂ってくるような不気味な空気。
言葉をこねまわしては、悪ふざけをしているような、感性の干からびた焼却炉の、掃きだめから匂ってくる異質な気配。取るに足らないすり替えを、添削と称してもてあそぶ、羞恥心の欠けらもないあのしぐさ。それに感激して、うなずいているような愚者のたましいと……
それらが一丸となって、
泥だんごにこね回した言の葉を、
もてあそんでいるような嫌らしさ。
しわのお化け屋敷よりもっとおそろしく、
たちまち逃げ出したくなるような、
腐臭を放った破壊者たち。
スラングなど問題にならないくらい、
日本語を蔑ろにする者どもよ。
わたしはただ、
それらの存在が嫌(いや)なのです。
わたしが逃れたいと願った、あの教育システムの不気味な古典と、同類の気配が漂います。そしてなにより、同じプラットフォームの、三十一文字(みそひともじ)に過ぎないものに線を引いて、和歌と短歌は異なるなどと、平気でたわけた思考をまっとう出来るほどの小っちゃ脳みそが、二十一世紀もなって存在することが、虫けらの信じられないのです。
そもそも今さら、
多様な詩型のひとつには過ぎなくなったものを、
職人気質と王冠集めをはき違え、
おめかしのあまり化粧にまみれた着想を、誘蛾灯に群がりながら、そればかりを創作なさるような態度が、いったいどこの虫けらに叶うでしょうか。
いいえ、叶いません、叶いません。
そんなものは文芸ではありません。
たったひとつの詩型など、
ふんころがしもいいところ。
わたしはただ、
おなじように感じる人のために、
あるいは干からびた蛾の世界とは、
関わりを持たない人たちのために、
これを執筆したいと思うのです。
もしあなた方が、
今まで知らなかった、あるいは今まで騙され続けて、好奇心さえ奪われ、嫌いにさせられてきた和歌のおもしろさを、ほんの少しでも感じ取ってくださったなら、わたしにとってはそれが何よりのよろこびです。
あるいはそのうち、たとえばわずか一人でも、
自身の言葉で詠んでみたくなったとき、
あなたはいにしえから続くやまとの詩のうち側に、足を踏み入れたのかもしれません。もしわたくしの言葉の通じる世界に、そのような人がただひとりでもいるならば、わたしは喜んで、あなたのために記そうと思うのです。けれどももし……
そのような人など、
わたしの言葉の通じる世界には、
たったひとりとしていないのだとしても……
今はそれならそれでよいのです。
わたしはもはや、
悩みも情熱も失せました。
今はただしばらくのあいだ、
時を忘れられたらそれでよい。
けれどもわたしにも、
ゆずれないことはあるのです。
今はただひとつだけ、
わたしに反する人々は、
どうかここに近寄らないで欲しい。
あなたに読まれているそのことだけで、
わたしの酒は不味くなる一方です。
そうしてただ、それだけのことなのです。
それはつまり、
先にあげつらったような人々です。
とりわけ、月並の言葉をこねまわしては添削などいたし、ものを考えることすらないあわれな俗人から、金を巻き上げているような点取どもや、それにせっせと奉仕する、干からびた愚者の行列よ。
あなたたちは、即刻ここを立ち去るがよい。
あなたをひとめ見るだけで、
わたしは日がな憂鬱です。
わたしはただ、
ありきたりの感性で、
あたりきの情緒を、さりげなく捉えるくらいの詩情を持っている人々。それはお勉強とは関わりのない、今日歌われているポピュラーソングの歌詞に、たやすく共感出来るくらいの、ストレートな感受性を持っている人たちのこと。
そうして和歌というものには、
知らないものがありそうだけれど、
どう踏み込んでよいのやら、
足がかりさえ見つからないような人たち。
わたしはただそのような人たちのためにこそ、
このつかの間の落書を記そうかと思います。
2014/05/15
2014/10/14改訂
2014/11/03改訂+朗読