八代集その二十六 付録

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はじめての八代集その二十六 付録

 酔いにまかせての殴り書きのような情熱にあふれた初稿は、同時に稚拙と蒙昧にあふれた醜態、失態を覗かせるものには違いありません。それはわたし自身が、初学に他ならなかったという経緯においても明らかですが、和歌においても、歌詞においても、あるいは散文においても、はじめて生みなされた思いつき、すなわち着想というものが、いかに空しく、くだらないものであるか……

 それを推敲する切磋琢磨のうちに、ようやく作品の価値が生まれてくるのだか、それとも整いきれないのだか、心もとないくらいのものではありますが、少なくとも、酔いどれの落書きよりは、執筆者のマナーをわきまえたものとして、完成された『八代集』の紹介が受け取れるものならば……

 つたなくも、初めの落書きを、いくつか記録に留めておくことも、あるいは和歌を生みなすときの、着想にこだわることの浅はかさや、生まれたばかりの思いつきのあやふやさを、皆さまに知らしめるくらいでも、いささかの教訓になるものであるならば……

 わたしは、みずからの不体裁を、
  ここに晒しておこうかと思います。
   あるいはそれがなにかしらの、
  あなたへの利益にも、
 還元されるような気がするものですから……

『新古今和歌集』 前編より

よしの川
  岸のやまぶき 咲きにけり
 嶺(みね)のさくらは 散りはてぬらむ
          藤原家隆(いえたか) 新香禁酒158

吉野川の
  岸には山吹が 咲きました
 嶺の桜は きっと散り果てたことでしょう

 ……和歌はさておき、
  「新古今集」の打ち間違いで、
    「新香禁酒」というのはなんでしょう。
   あるいはわたくしに、
  新酒を飲むなという暗示でしょうか。
   ちょっと記念に、残しておきましょう。
    しかも、推敲するまで、気づきもしませんでした。

 このような無意味なことを、わたしは酒のもたらした恩恵のであるかのようにありがたがり、ここにもなにかしら、寓意でもこもるような錯覚にとらわれ、しばらくの間、消すことも出来ずにいたのです。つまりは、偶然に生まれた着想に過ぎなくても、あるいはみずからが考えたことですらないにせよ、たまたま生みなした表現に執着し、なにか意義があるような気持ちがしてしまい、捨てられないような愚鈍なる傾向は、人間の持つ、自己に対する、あわれなまでの愛着に由来するものかもしれませんが、かの謎サークルの皆さまの、品評会にしばしば見られれるものも、また同じような失態には過ぎません。次、

けふごとに
   けふやかぎりと 惜しめども
  またもことしに 逢ひにけるかな
          藤原俊成 新古今集706

大晦日の今日が来るたびに
  年の暮れを迎えるのも今日が最後だと
    過ぎゆくいのちが惜しまれもするけれど
  今年もまたこうして生きながらえて
    大晦日に逢うことが出来たのです。

 これについて、推敲を経たものは、きわめて簡潔なまとめしかしていませんが、初めはかなりの文章が割かれた揚句に、次のような文章が続いていました。

 けれどももっとも大切なことは、
    「今日が来るたびに、今日が最後であると」
という率直な表現が、この和歌を老爺(ろうや)にありがちの、独りよがりの観念、あるいは感傷主義の歎息におちいらず、
    「また新しい年に辿り着いたぞ」
という、まだ瑞々しさを保ったような、素直な驚きに(といってもよろこびはもはや無いような終末ではありますが)あふれていることです。つまりは、老いてもなお、その精神は歌人のたましいを保っている。それだから、これほど頼りないような落書きにはなっても、詩情はいまだ生きているのです。

 それはたとえば、当人ばかりはご立派な観念に到達したつもりになっても、端から見れば、興ざめするくらい、陳腐な表現を極め尽くして、ほとんど醜態をさらしたかのような、

庭椿 今を盛りに 老にけり
          高浜虚子

のような、俗っぽさは見られません。
 今この瞬間を盛りに老いてゆくという見立ては、実際の椿を見た際の、感性にゆだねた表現と言うよりも、老いたる我に合わせて、椿を老わせたものであるか、そうでなければ、詠み手の老いたる感性が浮かび上がらせた、まぼろしであるという印象が、前面にあふれ出てきますから、もちろんこの詠み手はそれを優れた表現と思い込んで、わざわざあふれさせたものには違いありませんが、それこそ言葉の生命力の枯渇した、意味ばかりの落書きには過ぎないものです。

 このように、虚子の俳句まで持ち出して、論じていたのですが、あらためて吟味すれば、この俳句は決して悪いものではなく(ただし、「庭」はあまりにも蛇足ですから、あるいは『寒椿』であったらと、無念な気は致しますが)、それ以外の点に於いても、わたしの意見そのものが、もっぱら誤謬(ごびゅう)にあふれたものに思われましたから、ようやく推敲の際にばっさりと切り捨てて、さっぱりとした体裁に落ち着いたものです。

 ところで、高浜虚子の俳句は、他にも引用されていて、おなじ『新古今和歌集』の前編のうちにも、以下のようなものが記されていたこともありました。

 それはたとえば、当人ばかりはご立派な観念に到達したつもりになっても、端から見れば、興ざめするくらい、陳腐な表現を極め尽くして、ほとんど醜態をさらしたかのような、

風雅とは 大きな言葉 老の春
        高浜虚子

のような、俗っぽさは見られません。さすが一流の歌人は、情緒性の欠けらもない屁理屈をワビサビとを誤認しながら、羞恥心もなくわめき散らし、ご満悦なしわがれ老人どもとは、風格が違うことを悟らされます。
 そろそろ冬を離れましょう。

 さて、高浜虚子というのは不思議な男で、(というのはちょっと嘘ですが、)俳句と呼ばれる作品において、見どころのある作品を生みなしたかと思えば、やりきれないような駄作もまた、彼のうちに見いだされるような……

 この作品も、当初は、悪しき例として取り上げたものですが、読み返すたびに、取り上げる価値すら無い、低俗なものであることが耐えられず、それに合せるように、みずからの言葉付きまでも、いよいよ下卑てきて、詠むに耐えないほどに思われたものですから、やがては、却下せざるを得なくなったものです。
 つまりこれほどの駄句は、俳句でもなければ、詩でもない、論じるに足るものですらなく、悪例として採用するべき価値すら無いものである、というのが、最終的なわたしの判断には他なりません。

『新古今和歌集』 後編

 今度は『新古今和歌集』から、
   『後編』の初稿を、ちょっと覗いてみましょう。
  例えば、こんな文章がありました。

 これにも本歌(もとうた)がありますが、先ほどのような時系列の関係になっている訳でもないので、いまは割愛(かつあい)します。ただ「本歌取り」という技法についてちょっと加えるなら、たとえばいにしえの和歌を、今様によく詠(うた)いこなせるのであれば、それを参照することは、安っぽいオリジナルにこだわるよりも、尊いもののように思われます。シェイクスピアが粗野なところがある脚本を、改編して世に残さなかったら、どうして「ロミオとジュリエット」は、あれほど魅力的な瑞々しさを保ったまま、現代にまで残されたことでしょうか。
 それを、生きた言葉に改めることも叶わず、ひたすら翻訳作業なるものに従事して、屍じみた表現に体裁を整える翻訳者。それを平気で演じきるような思想に乏しい役者では、到底かの時代の、英国の演劇の豊かさにすら、勝てっこありません。かといって、ハムレットが優れた作品とは、まったく認められないのですけれども……

 読み返すにつけても、はたしてこれは、「本歌取り」の解説に添うものなのかどうか、懐疑の念は深まるばかり。特に後半の部分は、本意の解説からも乖離(かいり)し、本題に対して、どうでもよい事柄へと、逸脱を企てたもののように思われ、(しかもそのような逸脱が効果的にも思われませんでしたから、)最終的に、いざぎよく切り捨てたものに過ぎません。

 次のものは、ちまたに出回っている解説に惑わされ、真実を見失ったストレイシープが、ほとんど空想主義に陥っているような蒙昧に、かどわかされたような夕べです。

わすれなば
   生けらむものかと おもひしに
 それもかなはぬ この世なりけり
          殷富門院大輔 新古今集1296

あの人を忘れたならば
  生きてゆけるだろうか
    そう思っていたのですが……
  忘れることすら叶わないような
    この世の中なのでした

 この表現はきわめてデリケートで、まさに『新古今集』ならではの洗練を極めています。冒頭の「わすれなば」は、もちろんわたくしの行為であり、これを安易に、
     「恋人がわたしを忘れたら」
と訳すのは、完全に原文を蔑ろにした逸脱には過ぎません。けれども……

 わたしがあの人を忘れられたなら、というのは、つまりは二人がすでに疎遠になったことを表わしていて、しかも詠み手の方が未練がましくこのような和歌を詠んでいる。そこで間接的に、
     「恋人がわたしを忘れて去っていった」
つまりは、わたしから離れていったという状況を、冒頭の「わすれなば」は知らしめている訳です。つまりその冒頭の意味を踏まえれば、

あの人がわたしを忘れてしまってからも、
  わたしはずっとあの人のことばかり考えて、
    死んでしまいたいような悲しみに捕われているのです。<

 それに対して下の句は、「それすら叶わない」と詠んでいるのですが、どうも驚くことに、「それ」というのが実は掛詞(かけことば)のように、ふたつの意味を内包しているようです。
 つまり一方では、上の句で、
     「生きてゆけるであろうか」
と表現したものを、そのまま反語のように、
     「死んでしまうだろうと思っていたのに」
と捉えて、それにたいして下の句が、
     「死んでしまうことすら叶わない、
        そんな世のなかなのです」
 つまりは、さまざまなしがらみに囚われて、生きることを余儀なくされる、社会の一員としてのわたくしを、悲しみに詠み込んだという解釈がひとつあります。

 けれどもこの解釈は、この和歌の本意ではありません。
  本意は常に、もっともストレートな表現にこそ込められていて、つまりはきわめて受け取りやすい状態にあるものこそ、和歌の核心には他なりません。それはただ単に、読解する方が、分かりやすい方へ、なびくからには違いありませんが、詠み手もそれを踏まえて、和歌を詠んでいるからです。もう一度、もとの和歌を眺めてみましょう。

わすれなば
   生けらむものかと おもひしに
 それもかなはぬ この世なりけり

忘れたなら
   生きられるだろうかと 思ったのに
 それも叶はない 世のなかなのでした

 なるほど、単純に「生きていけるだろうか」、きっと死んでしまうだろうと思ったのに、死ぬことも叶わないと詠んだようにも響きますが、もう少し口に出して、この和歌を噛みしめて見てください。
 冒頭の「わすれなば」
の印象が、深くこころに刻み込まれはしないでしょうか。なぜこの歌人は、この言葉を冒頭に深く刻み込んだのでしょうか。大切なのは、解説ではありません。もう少しくり返して、この和歌を唱えてみたいと思います。

わすれなば
   生けらむものかと おもひしに
 それもかなはぬ この世なりけり

 いかがでしょうか、あなたのなかで、あるいはニュアンスが変化した人もいるかもしれないような気がするのですが……

わすれなば
   生けらむものかと おもひしに
 それもかなはぬ この世なりけり

 きわめて単純な読解で良いのです。この和歌の本意はただ、

わすれたならば
   生きていけるだろうかと 思ったのに
  わすれることも叶わない 世のなかなのでした……

  そう述べているに過ぎません。
 これがふたつめの意味で、この和歌の本意です。けれども掛詞の驚異的なことは、もう一方の意味も、明確に和歌に織り込まれていることで、決して現代短歌とやらが好む、駄洒落やら頓智の範疇にはありません。つまりこの和歌を、パーフェクト(かどうかは知りませんが)に訳せば。

もし、あなたがわたしを忘れて、
  わたしがあなたのことを忘れるようなことがあったら、
    生きてゆけないと、
  そう信じていたのですが……

    あなたはわたしから立ち去ってしまい
      わたしは死ねずにあなたを思い続けて
     こんな風に和歌を詠んでいる……

  もしあなたのことを忘れたなら
    このような苦しみからも逃れて
      幸せに生きてゆけるだろうか……
    そう思うのですが。

      どうしても忘れることの叶わないような
         この世のなかにわたしは生きているようです。
        もしこの世でなければ……

 ここまで考察してようやく気がついたのですが……
  わたしはもとより、この和歌の由来を詳しくは知りませんが……
 恋人はわたしを捨てていったのではなく、あの世へと去っていったのではないでしょうか。それだからこそ結句を、「この世なりけり」と締めくくったのではないかと、ようやく気がついたのですが、わたくしにはこれ以上、確かめる気力は続かないようです。好奇心のある人は、自分で調べて、怠惰(たいだ)なわたしを糾弾するがよい。それはもはや、初心者を越えた楽しみです。わたしの範疇にはありません。

 さて、『新古今集』の和歌は、ちょっと簡単な和歌のように見えても、このように言葉や文脈を、技法的に詠みこなしたものが多いのが特徴です。それだからこそ、ここから始めるには、ハードルが高いようにも思われるのですが……
 簡単に言うと、心情を詠みなすのが詩であるとすれば、言葉で遊んでいるような印象さえ受けてしまう。デリケートな表現には、聞き手にすら、なかなかの読解能力が必要になるからです。
 けれども『金葉和歌集』からの練習のうえに、比較的分かりやすいものから、てくてくと階段をのぼってきた皆さまには、あるいは心と表現の織りなす巧みな豊かさや、その根底にしっかりと流れる詩情の営みにさえ、悟れるのではないでしょうか。わたしはそんな期待を胸に、落書きを進めているのですけれども……

 この解説の全体が、すでにある既存の解説に束縛され、そこから逃れようとしつつ、そこにとらわれているような、あわれな醜態をさらすとき、反抗よりも同調を求めるべき、ヤーパンのかなしき醜態を、あまりにも見事に、さらけ出しているような宵闇です。そうであるならば……

 ここに、先達(せんだち)の解説に負ぶさって、みずからの批判を加えることもなく、執筆をたれ流す追随者の、初学者(わたくしのことです)ならではのふがいなさ……
 あるいは、レディーメイドのお人形じみた、人でなしのみじめなサンプルとして、わたくしはみずからのいましめのために、こうして留め置こうと思うのです。追随者への憎しみを友として……

『古今集』 前編

 『古今集』からもいくつか拾ってみましょうか、
   次のもさりげなく失態です。

      「月夜に梅の花を折りて、
        と人の言ひければ、
      『折る』とて詠める」
月夜には
   それとも見えず うめの花
  香をたづねてぞ 知るべかりける
          凡河内躬恒(おうしこうちのみつね) 古今集40

   「月明かりのまばゆい夜、
      梅の花を折ってわたしにくださいませんか、
     とある人が手紙をよこすので、
    折るという内容で詠む」
月明かりであたりはまるで銀世界、
  きらきらしていて白梅の花なんて、
    見分けがつきませんよ。
  ただかおりが漂ってくるので、
    そのあたりにあることが分かるばかりです。

 月明かりで、白梅が見えないとは、なんて安っぽい嘘なのだろう。あなたは糾弾なさるでしょうか。なるほど嘘かもしれませんが、本当に月の光がきらきらと差し込めるような夜に、その明かりだけで景観を眺めて、日常の色彩がどれほど消されているか、よく眺めて見てください。それさえ叶わないなら、家々の屋根が見下ろせるあたりから、満月の夜にその屋根を眺めて見てください。様々な色彩は消えて、どれもがまるで白銀のようにきらきらしている。輪郭ははっきりと分かるのに、青白い月の光で、色彩ばかりはどうしても見分けがつかない。そういう経験が、わたしたちよりずっと身近だった頃の和歌であると考えてみてください。

 この和歌も、梅の木がどこにあるのか、分からないのではありません。梅の木はそこにあるのだけれど、あれほど美しく咲いていたはずの白梅が、どんなに目をこらしても浮かんでこない。ただ梅の木の輪郭ばかりが、どこまでも明らかである。ただかおりがしてくるので、そこに梅の花が咲いているのだと知れるばかりだ。そう詠んでいるのです。
 これは虚構ではありません。わたしも道を歩いていて、梅の香りがしてくるのに驚いて、外灯のそばでしばらくの間探し回っていたら、目の前まで近づいてようやく、咲いている梅を発見したことがあるくらいです。
 したがってこの和歌は虚偽の和歌ではありません。ただちょっと嘘をついているところは、梅の木も花の咲いていることも知っているのだから、その枝を折りに行くなどたやすいところを、
     「かおりばかりで、
       どこに咲いているやら分かりませんから、
      梅の枝は折れませんよ」
と相手に贈ったところですが……
 それこそこの和歌の詩情のこもるところです。つまりこの和歌は、

月明かりの夜には
  梅の花も見分けがつきませんから
    折って差し上げることは出来ません。
  かおりばかりは豊かに漂ってきますから、
    あなたも確かめにいらっしゃったらどうですか。
      かおりは贈って差し上げられませんから。

 こちらにいらして、一緒に梅の香りを楽しみながら、月でも眺めませんか。そういざなっているのです。

 いかがでしょうか。はじめは、理屈っぽい嘘のように感じられた和歌から、豊かな詠み手の思いが、にじみ出ては来ませんでしょうか。そこに詩情は籠もるのです。

 この解説の失態は、この和歌においては、純粋に香りを尋ねて、この梅を折り取ってみましたよ。と詠んでいるに過ぎないのに、みずからの妄想を飛翔させて、「こちらにいらして、一緒に月でも眺めませんか」と、和歌自身からは読み取れないようなことを、みずからの蒙昧(もうまい)におぼれて、すらすらと記してしまった点にこそ、凝縮されているかと思われます。こういう失態を、みずからに酔うとでも呼ぶのでしょうか……
 愚鈍な精神の持ち主ならばこそ、
   酒とエタノールの違いすらわきまえずに、
  酔いどれにまみれるもののようです。

『後撰集』 前編

あまの川 水まさるらし
   夏の夜は ながるゝ月の
  よどむ間もなし
          よみ人知らず 後撰集210

天の川の
  水かさが 増しているようです
    夏の夜は 流れる月の
  淀む気配すらありません

「水かさが増しているようだ」というのは、もちろん夏の天の川の、ゆたかな煌めきに他なりません。それは、銀河系中心方面へ向かう星粒の増大が、光る河の流れのようなすばらしさで、夜空をよこぎる帯のことで、現在の私たちには、山にでも登らなければ、なかなか見いだせないくらいのものですが……なぜなら、現在の日本人くらい、夜空を穢している民族も、あまり存在しないくらいですから……

 それはさておき、銀河のゆたかな夏の夜には、月さえ淀む暇もないというのは、なにも夜空の実景を捨て去って、すぐに西へ傾いてしまう月のことを歌い直した訳ではありません。そうではなくて……

 夏の夜の風の強さに、雲が驚くほどの早さで、あるいは筋状に流れゆくような様相が、あたかも月が波間を流れていくような様相に思われて、しかも薄い雲は月を影にとどめることもなく、まるで月のよどみなく流れていくように思われた。その印象をストレートに詠んだ和歌なのです。なぜなら、早くも西へ向かう月として見るよりも、銀河を見た瞬間の月の状態を捉えたものと見る方が、リアリズムにおいてまさり、まさると同時に、詩情が豊かに広がるように思われるからです。もちろんわたくしに、「よみ人知らず」の詠み手の思いを、探り当てる手立てなどないのですけれども……

 さて、実際のところ、銀河の流れが豊かなので、短い夏の夜を、とどまることなく月も西へと流れてしまうというのが、この和歌の捉え方としては、ナチュラルであるように思われるのですが、違う解釈も成り立ち、それもまた魅力的なものに思われるので、あえてこのように、推し量って記してみました。決して定説ではありませんから、ご注意くださいませ。

 この解説に関しては、多感を客観へと返して、ゆっくり吟味してみるにつけても、実景を写生したものではなく、また和歌の詠み取りとしては、筋状の雲間を流れていくような様相を、そのままに詠んだものとしては、受け取れないかと思って却下したもので、その解説は無難なものへと置き換えられました。

 それにも関わらず、今に至るまで、わたしにはどうしても、詠み手がある特定の情景のうちに、実際に感じた心情を、和歌へとかえしたもののように思われてならないのです。たとえばはじまりの、
    「天の川水まさるらし」
というのは、実際に天の川がゆたかには眺められない、つまり月が満月かそれに近い状態にあるので、そのように推しはかったように感じられ、するとその場で、
    「天の川の水がまさっているようだ」
と問いかけた時、即時的に感じた、月の流れに淀みがないというのは、観念的に月が夜明けに向かって淀みなく傾いていくものを詠んだとは、どうしても思われず、薄い雲が次から次へと流れていくような印象が、もっともふさわしいように感じてしまう。
 それは実は、そのようなシチュエーションで、この和歌を唱えてみたときに、なんだか清新な印象が、こころに刻み込まれたという、実体験から来ているのですが、どうしても胸のうちのリリシズムに、逆らいきれないような心情を、わたしはこの和歌に対して、ひそかに抱いているのです。
 ただ確証がないものですから、
  こうして控えめに、
   付録に心情を込めるような、
  ひそかな思いもあるのです。

『拾遺集』 後編

 まずは、初稿の本文をどうぞ。
  それから、わたしのコメントの前に、
   書かれた事柄を吟味してくださるのが、
  批判にとって有意義です。

山ざとの
   家ゐはかすみ こめたれど
 垣根のやなぎ 末はとに見ゆ
          弓削嘉言⇒大江嘉言(よしとき) 拾遺集1031

山里の
  家にいれば かすみが立ちこめていますが
 垣根の柳の葉末だけは
    かすみから抜け出して見えるのです

 柳のしだれた葉先のあたりが、かすみの立ちこめたなかにも、鮮明に映し出されるように思われた、そんな和歌です。「末はとに見ゆ」というのは「末は外(そと)に見える」という表現に過ぎません。
 この和歌は「家居(いえゑ)」を単なる「住むべき家」と解釈してしまうと、ちょっと安っぽいような、屏風絵に添えられた和歌のようになってしまいますが、そこに実際にいて眺めたからこそ「家居」と表現したものと詠み取れば、たちまち臨場感に優って、面白く詠まれるものと思われます。

 ただし描写のしかたはむしろ空想的で、写実的な訳ではありません。実写よりも、幻想性に勝ると言っても構いませんが、だからといってこのようなシチュエーションが、実際に起こりえないかというと、かならずしもそうではありません。
 日常から逸脱したような光景というものを、自然はしばしば私たちに見せてくれますが、そのような時わたしたちは、幻想のなかにとらわれたような錯覚を覚えるからです。

 なぜこのようなことを、くどくど説明したかと言うと、つまりはある情景を、写実的に描写した方が優るのか、空想的に描写した方が、はるかに詠み手の思いを伝えるのか、そのような価値判断は、対象とされる特定の二つの和歌の優劣のうちにしか結論を見いだせないこと。つまりは、主義の優劣は、議論にすらならないことを、ちょっと加えておきたかったからです。
 つまりはそれぞれの主義に、それぞれ相応しい優れた表現方法があり、どちらか一方が正解ではないことを力説したのは、正岡子規でしたが、よりによって居士(こじ)の精神を汚らしい足で踏みにじり、自分の足場を築くための道具にでもするためでしょうか、写実主義一辺倒の人へと貶めるような愚者の行列が、今日まで羞恥心もなく連なっているのは悲しいことです。(彼らに共通している特徴として、自分らは居士のあやまった写実主義よりも先にいるという、なんの根拠のない誤謬を、頭を空っぽにして振りまわしていることが挙げられます。)

病む我を
  なぐさめがほに 開きたる
 牡丹の花を 見れば悲しも

 この和歌は、正岡子規の「墨汁一滴」に収められた和歌のうち、きわめてすぐれた秀歌である、

いちはつの
  花咲きいでゝ 我目には
 今年ばかりの 春行かんとす

の次に置かれた和歌ですが、写実主義を掲げるものが、いったい、牡丹の花を「わたしの病を慰めるような顔をして」などと、甘ったれた表現で読むでしょうか。居士の和歌は、突き放したときは突き放し、写実をまっとうしたものが多いことは事実ですが、甘ったれたときは、とことん甘ったれて、言葉遊びの和歌では、完全にリズムとたわむれることに熱中する。そうして、写実主義だけが正統であるなどと、宣言したことは一度もないのです。

 わたしの思いばかりが先走って、
  冷徹な判断を下し得なくなった時、
   それはもはや批判でも、批評でもなく、
  わたしという取るに足らない人間の、
 個人的な感情をひけらかしたものにしか、
なり得ないというようなかなしみ。
 それからわたしの主観とを、
  両天秤に、
   かみ砕いてみてくださったら、
  ちょっとおもしろいような、
 参考例になるかと思われます。

補遺一

 はじめに断っておきますが、
  『羊頭狗肉』とは、羊の肉を掲げて、
    犬っころの肉を売るの意味で、
   見せかけばかり立派な故事ですが、
  それが冒頭を飾るのは、
 それを使ってみようと、
目論見たからに他なりません。
 それでは、本文をどうぞ……

  羊頭狗肉(ようとうくにく)
 わたしがこの書籍にどれくらい嫌な気分にさせられたかは、皆さまの想像を超えることと思います。あるいは感受性の豊かな学生であれば、

「このような心に響かない、言葉をこねまわしたような落書きが、わたしたちの伝統であるならば、こんなものは、くずかごにでも放り込んだ方がマシである」

などと思い込んで、いにしへの和歌まで一緒に、くずかごに放り込んでは仕舞わないかと心配するばかりです。ましてこの著者が、このような謎表現を知るのと知らないとでは、
     「現実の世界を感受する豊かさにおいて
         圧倒的な違いがあることは言うまでもない」
などと、なんの根拠もない蒙昧を、羞恥心もなく開けっぴろげに宣言しているに至っては、なぜこのような暴言を、出版社の方で差し止めることなく、論拠もないままに掲載出版させるのか。利益さえ確保できれば、あるいは伝統を軽蔑させ、それを廃れさせることも、なんとも思わない。喜んでそれに協力するようなサラリーマン根性が、不気味に思われるばかりでしたが、
 それはさておき……

 百の短歌を紹介して、百が駄歌ということはありません。ただ『秀歌』の基準もなく、まるで玉石混淆に詰め込んだ、整理もつかないおもちゃ箱みたいに、人に知られべき存在とは思われないような、駄歌を大量に織り交ぜては、何の羞恥心もなく紹介しまくる、執筆者の態度の方が、はるかに弊害に思われたに過ぎません。けれども……

 わたしはすでに、
  この書籍を購入してしまった訳ですから、
 せめても[820円+税]
という莫大な投資に見合うだけの、あるいはせめても、損失を出さない程度の利益を、どうにかここから得なければならないという思いにもかられる訳です。そのような訳で、せめても、優れた和歌を選び出し、近代的な短歌と呼ばれるものにも、優れたものと、劣ったものがあることを、あらためて紹介を企てることにする訳で……
 ただし時間と好奇心の都合から、
  百首からのみ撰び出しては、
 あまたの参照の短歌は、
今は、取り上げないことにいたします。

 ずいぶんくどくどしい、落書きですが、不愉快なものに対する、幼稚なまでの嫌悪感の吐露、というような傾向が、この執筆者にはついて回るようです。つまりは洗練されていない、もっと単純な言葉を使えば、「ガキくさい」ということにもなるでしょうか。

 もとより酒を飲みながら、キーボードを叩いているために、感情が稚拙な表現のまま、打ち込まれがちであることは避けられませんが、最終的に推敲されたものも、感情を露にしているようにも感じられますが、なかなか作為的に、コントロールされたものであることを、この初稿を残すことによって、あきらかにしておくのも悪くはありません。

最後に

 もとよりこれらは、ほんのわずかな、参照には過ぎません。
  わたしの推敲の途中で、気まぐれに消されることなく、
   初稿用のファイルにサルベージされたものを、
    紹介しているには過ぎないものです。
     このような不毛な推敲を重ねるうちに、
   ようやくたどり着いたものが、
    この『はじめての八代集』であると、
     思っていただければよいでしょうし、
    このような推敲のあり方から、
   和歌の読み取り方についての、
  ヒントのようなものを、
 掘り起こしていただいても構いません。
  なぜなら……

 そのような意義を込めて、
  わたしは執筆過程の裏事情を、
   羞恥心もなく公表しているような、
  愚者の鏡ではあるからです。

          (をわり)

2015/3/23
2015/5/4改訂

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