八代集その五 千載和歌集 前編

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はじめての八代集その五 千載和歌集 (せんざいわかしゅう) 前編

    「七日目の日曜は洗剤のかほり」
それはどうか知りませんが、『千載和歌集』は七番目の勅撰和歌集として、1183年に後白河院(ごしらかわいん)から藤原俊成(ふじわらのとしなり/しゅんぜい)(1114-1204)に対して編纂が命じられ、1188年に奏覧(そうらん)され完成を見ることになりました。

 この頃すでに、政権には平氏が権力を握り、後白河院の院政すら停止に追い込まれ、一方では源頼朝(みなもとのよりとも)が挙兵し、みやこは一度福原に強制移行されたが、ふたたび京へもどされ、平家政権の揺らぎのうちに、1181年には平清盛(たいらのきよもり)が亡くなるなど、『平家物語』に知られる、激動の時代を迎えておりました。
 また一方では、みやこは『養和の飢饉(ようわのききん)』(1181-2年)のような大飢饉が起こり、年号が寿永(じゅえい)に改められ、やや権力を戻した後白河院は、あるいは平和を願う文化事業の一環でしょうか、この勅撰和歌集の編纂を命じたのです。

 そんな願いも空しく、直後には木曽義仲(きそのよしなか)にみやこを蹂躙(じゅうりん)され、逃れた平氏は安徳天皇(あんとくてんのう)と「三種の神器」を奪って西国に落ち延びるなど、壇ノ浦へと続く平家滅亡の騒乱も、いよいよ佳境を迎えてゆくばかり。
 そうして『千載和歌集』が奏覧された翌年、1189年には、奥州に潜んでいた源義経(よしつね)までも滅ぼされ、一大勢力を誇った奥州藤原氏もまた、頼朝によって滅ぼされてしまう。

 そのような歴史のうちに生み出されたこの和歌集は、しばしば日本史上の登場人物を織り交ぜながら、『新古今和歌集』へと向かう、新しい和歌の息吹にあふれているようです。それをこれから見ていこうという訳ですが、その前に撰者についてひと言。

 この藤原俊成という人、もちろん有名な歌人ですが、『古来風体抄(こらいふうていしょう)』という、万葉集から千載集に渡るまでの秀歌の紹介を行った書物でも知られ、中世の和歌に圧倒的な影響力を誇った、かの藤原定家(さだいえ)の父親でもあります。そして次の『新古今和歌集』では、その定家らの選んだ和歌が、きらびやかな金字塔を打ち立てるという、「承久の乱(1221年)前夜」の華やかさへと、時代は移り変わっている。
 このように眺めていると、
  いつしか勅撰和歌集そのものが、
 叙事詩みたいに思えてくるから不思議ですね。

春歌上 巻第一

 『千載和歌集』は、かつての『古今和歌集』につらなるフルサイズの和歌集です。歌数も『金葉集』と『詞花集』を合わせたより多く、1288首となっています。そのため春の和歌も、上下に分けられることとなりました。

 さて、春の始めは立春の和歌と、陰暦の元旦を告げる、年明けの和歌が並べられています。暦の二重生活とでも申しましょうか、立春と元日は別々の日付になることが多いのですが、今は深入りせず、ここでは「元日」や「今年」「去年」などのキーワードが詠まれていれば一月、すなわち「睦月(むつき)」を詠んだ和歌として、「春立つ」と詠まれていれば、「立春」を詠んだものとして、捉えることにいたします。
 すると次の和歌は、
  陰暦一月一日をもって、
   新春としたものとなる訳です。

道絶ゆと いとひしものを
   山里に 消ゆるは惜しき
  去年(こぞ)の雪かな
          大江匡房(おおえのまさふさ) 千載集4

道が絶えてしまうと、
  いとわしく思っていたこともありました。
 寒さのつのるような山里ですが、
    春の気配が感じられるこの頃は、
   なんだか消えてしまうのが惜しいような、
        去年のなごりの雪なのです。

 これは、寒さや生活への支障が遠ざかり、ようやく過ごしやすい春になりつつあるものだから、雪の情緒的な美しさばかりが、去年のおもかげと一緒になって、懐かしく回顧されるという、ただそれだけの和歌なのです。
     「道が絶えると、
        いとわしく思っていたのに」
なんて、生活に密着した響きが、切実な山里の状況として、詩の臨場感を高めています。

 こうして次第に、雪から霞へと季節の移り変わる頃、詠まれる植物といえば、まずは「若菜(わかな)」でしょうか、あるいは「梅の花」?

春の夜は
  のきばの梅を もる月の
    ひかりもかをる こゝちこそすれ
          藤原俊成(としなり) 千載集24

春の夜は
  軒端の梅の枝から 差し込む月の
    ひかりさえ 梅のかおりを
  伝えるような気持ちにさせられます

 藤原俊成の和歌ですから、
  つまりは自選の和歌ということになります。
 梅の花から月が差し込める時、光に香りが感じられたというのです。つまりは、風がほとんど感じられないものだから、梅の香りが伝わる理由が分からずに、まるで光に運ばれるように思われた。丁寧に「軒端の梅」と定めることによって、家のうちから、庭の梅の木越しに月を眺めている情景が、浮かんでくる仕組みになっています。

 ところで、「月」と「梅」という取り合わせは、和歌ではあまりにも多用される情景なのですが、この使い古された題材を、新たな表現へいたらしめるにはどうしたらよいか……

 まず、「光も香る」という空想性が新しいのですが、同時にこの和歌の根幹は、
     「春は光まで花に香るような気配です」
というものに過ぎません。それを「ここちこそすれ」と締めくくることによって、虚偽を披露したような印象はなくなって、
     「実際に光が運ぶのではないのにも関わらず、
        まるで光が香りを運んでくるような、
       そんな気持ちがしてしまう」
という幻想と現実のバランスを、
 繊細に捉えている点が見事です。
  さらに詠み手の近景から、
     軒端⇒梅⇒漏れる月
と、遠方へ移すような立体描写も、
 描き出されるイメージに奥行きを与え、
  それが「月」にまで達したときに、下の句の、
     「ひかりもかをる こゝちこそすれ」
と、詠み手の心情へと返しますから、詠み手の外界から内面に至るまで、幅広く描写されて雄大なところがあり、せこせこした嫌みなどみじんも見られません。

 さすが勅撰和歌集を任される歌人だけあって、着眼点もその構成も見事なものですが、もっとも大切なことは、さりげなく詠み流すとやはり、
     「春の夜は、
        漏れ来る月のひかりさえ、
       梅の香りがします」
と、ちょっと思いついたことを、さらさら述べたように思われて、技巧性などまるで感じられない。鼻につくのは、せいぜい梅の香ばかり……

……かどうかは知りませんが、
 全体がやすやすと記されているからこそ、ちょっと着想のアクロバットのような表現、「ひかりもかをる」という四句目の印象が、着想のお披露目パーティーのような醜態をしめすこともなく、なおさら魅力的なもののように思われて来るのです。
 次のは似たような着想ですが、もっと大胆に、

春の夜は
  吹き舞ふ風の うつり香を
    木ごとに梅と
  思ひけるかな
          崇徳院(すとくいん)御製 千載集25

春の夜は
  吹き舞うような風の 移す香りに
    すべての木が 梅の花であるように
  錯覚されたものでした

   こちらは藤原俊成のような、
  繊細な情景はありません。
 その代わり、「吹き舞ふ風のうつり香」という、きわめて動的な表現を織り込んで、そのアクションの大きさが、「木ごとに梅だ」というちょっと雑な表現を、かえって魅力的なものへと変えています。風が動的に感じられるから、込められた梅の香りが、すべての木から漂ってくるような印象が、わたしたちの心にも生まれて来る。
 先ほどの和歌が、デリケートな表現に優れていたとするならば、こちらは大胆な思い切りのよさに、詠み手のリリシズムは生かされているようです。さらには、春風を「吹き舞ふ」と詠んだ表現力にも、詠み手の巧みが感じられます。

 ところで『八代集』の時代には、歌合(うたあわせ)というものが盛んに行われていました。これは、おなじ題材をもとに、右左に別れて和歌を提出して、その優劣を競うものです。はたして上に挙げた二首、歌合に出されたら、どちらの和歌が勝(かち)となるでしょうか。おそらく題は「春の夜の梅の香」ということになるでしょう。わたしなら崇徳院に軍配を揚げますが、俊成の静的な幻想性を押す人もあるでしょう。
 ちなみに崇徳院の和歌、
  『古今和歌集』の紀友則(きのとものり)の、

雪ふれば
  木ごとに花ぞ 咲きにける
    いづれを梅と わきて折らまし

を踏まえて詠まれたもので、しかも「木毎(きごと)」というのは、梅の漢字を分解したものだという、情感とは関わらないような言葉遊びまで加わっています。このような知恵に訴える愉快が、詩情を損なうことなく、プラスαの魅力を醸(かも)しだしている点も、崇徳院に勝を与えたくなる要因なのですが……
 さて、梅が終わればさくらの季節。

あさゆふに
   花待つほどは おもひ寝(ね)の
 夢のうちにぞ 咲きはじめける
          崇徳院御製 千載集41

朝に夕べに
  花を待ちわびる頃ならば
    思い焦がれて眠りについた
  その夢のなかにこそ
花は咲き始めることでしょう

 きわめて分かりやすく、今のわたしたちにも、そのまま伝わってくる。さらには「思ひ寝」という表現が、恋人を思いながら寝るときに、和歌ではしばしば使用されることを知っていれば、なおさら深く詠まれるでしょう。
 作者である崇徳院は、先ほども登場しましたが、時代に翻弄された天皇(後に院)という印象が強いようです。けれども和歌においては、地位など関係なく、ひとりの優れた歌人として、名を残すべき人物なのかもしれません。
 ちなみに後に、本居宣長(もとおりのりなが)がこの和歌を元に、

待ちわぶる
  桜の花は おもひ寝の
 夢路よりまず 咲きそめにけり

というものをを詠んでいますが、まったく同一の着想を「朝夕に花待つ」から「待ちわびる桜の花」にしたからといって、「夢のうちから」を「夢路からまず」にしたからといって、なんの取りどころがあるでしょうか。
 イマジネーションの欠けらさえ見あたらない。
  こういうものは、本歌を参照して和歌を詠みなす、
 本歌取り(ほんかどり)とはまったく関係がありません。たんなる模倣、あるいは翻訳、はたまたパロディー。あるいは現代なら、「パクリ」とか「盗作」とか呼んだ方が相応しいくらい、お茶をにごした類似品に過ぎませんが、なぜ、あえてこれを行ったのでしょうか。本歌の方が、はるかに柔軟な、語りかけの喜びあふれていて好印象です。

いづかたに
  花咲きぬらむと 思ふより
 よもの山辺に 散るこゝろかな
          待賢門院堀川(たいけんもんいんのほりかわ) 千載集42

どのあたりに
   花は咲いただろう そう思い始めたらもう
 あちらこちらの山に
    こころは散り迷うばかりです

 この和歌も捉えやすくて、
  わたしたちのこころに迷いはありません。
 花見がしたばかりに、あちらの山は咲いたかな、こちらの里はまだかいな、と四方の山辺に、まだ花も咲いていないのに、こころの方が先に散ってしまったよ。そんなユーモアには過ぎませんが、下手な頓智問答のように響かないのは、語りかけが素直なのと、花への思いが切実だからに他なりません。
 そろそろ、春の下へと移りましょう。

春歌下 巻第二

 さて、みやこに桜の散る頃は、山桜も咲き初め、やがて藤の花は松と戯れ、卯の花のうちにほとゝぎすを待ちわびるような、初夏の気配へといたるものです。

ひと枝は
  折りてかへらむ 山ざくら
 風にのみやは 散らしはつべき
          源有房(みなもとのありふさ) 千載集94

ひと枝くらいは
  折り取って帰ろうか 山ざくらを
 ただ風にばかり 散らされてよいものだろうか

  これもたやすい表現です。
 里のさくら、あるいはみやこのさくらも散ったので、山桜を眺めに来たのですが、それさえ吹き散らしそうな山風が吹いているので、
     「風にすべてを散らされてなるものか」
ひと枝くらい折り取って帰ろうか、消えるのが惜しいものだから。そんな和歌になっています。和歌としては、
     「すぐに散ってしまうから、
       折ることなんて出来ませんよ」
と詠むものも多いのですが、折ることによって、風から守ってあげたいという思いに、詠み手の温かい心情と共に、ちょっと斬新な着想が込められているようです。
 もっとも、折って帰る和歌でも、

われが名は
   花ぬす人と 立たば立て
 ただひと枝は 折りてかへらむ

 これは、和泉式部(いずみしきぶ)と恋仲となったことで知られる敦道親王(あつみちしんのう)の和歌ですが、
   「花泥棒と言うなら言え、この花は奪い取っていくぞ」
といった、恋人を奪い去るようなイメージさえ内包する、主観的情熱にまさる和歌もあり、その表現はさまざまです。どちらの方が優れているのか、それは半分は、捉える側の精神によっても違ってくる、なかなかに優劣の付けがたい問題ともなりますが、今はそのことには触れず、先へ向かいましょう。

ながむれば
   思ひやるべき かたぞなき
 春をかぎりの ゆふぐれの空
          式子内親王(しょくしないしんのう) 千載集124

眺めていると
   思いの向かうべき あてさえありません
  春の終わりの 夕暮れの空には……

 この和歌に詞書はありませんが、かわりに和歌の中に、
     「春をかぎりの夕暮の空」
とありますから、これは「三月尽(さんがつじん)」つまり三月末日(三十日)の夕暮、春との別れを歌った和歌であることが知られます。あるいは、春を惜しむ思いには、はかない恋の「思ひ」も込められているのでしょうか、ここではただ言葉のままに、

 霞、梅、うぐいす、さくら
   春雨、山吹あるいは春の月
     さまざまな春への思いが
       わたしのこころを過ぎました
     いまはもう宛さえありません
   春も終わりを告げる
 この夕暮の空には……

 そんな読みとりかたで、夏へと向かおうではありませんか。

夏歌 巻第三

[朗読2]

 いかがでしょうか。
  こうして紹介している和歌たちは、
 流行歌の歌詞が、わたしたちの日頃の語りかけを、ちょっとお洒落に修辞(しゅうじ)したくらいで、淀みなく胸に伝わるよう……
 さりげなく生まれた着想を、ありきたりの表現にゆだねているからこそ、詠み手の思いが、心地よく響いて来るのです。「着想品評会」の頓智問答のように、ひけらかしのエゴに悩まされることもないままに……

夕月夜(ゆふづくよ)
   ほのめく影も 卯の花の
 咲けるわたりは/垣根は さやけかりけり
          藤原実房(さねふさ) 千載集140

夕月の残された宵
   ほのかな影さえ 卯の花の
 咲いているところばかりは
     はっきりと見分けがつくのです

 「夕月夜(ゆうづきよ、ゆうづくよ)」とは、日の沈んだ後に夕月の残された宵を指します。もっとも、ようやく三日月の残る西空もあれば、日が沈んだ頃には天頂にあるような弓張(ゆみはり)の月もありますから、その明るさや受ける印象は違います。この和歌のきめ細かさは、それを「ほのめく影」と呈示して、ようやくかすかに眺められるような、心細い月の印象を定めているところにあり、いつの世も変わらない月並俳句が、
     「夕月夜と述べているのだから、
       詠み手の思いは、貴様が推し量るべきである」
と、尊大な態度を決め込むのとは対照的に、
 繊細な描写を相手に伝えようとしています。

 そんなおぼつかない月であるのに、
  卯の花のあたりだけは、
   「さやかに」見分けがつく。
 ほとんどモノトーンのシルエットに消えゆくような情景に、「卯の花」ばかり、まるでわずかな月の光を吸収するみたいにして、白く浮き上がって見分けがつくというのですから、聞き手の心には、ホッソリとした月と卯の花ばかりが浮かび上がり、それ以外は闇へと消されるような印象で、対象を見事にクローズアップさせることに成功しています。

 こうして、卯の花が浮かび上がってくるのは、もちろん実景に従ったまでですが、どうして詠まなければならなかったか。それは夕月夜の『卯の花』に、心を動かされたからに他なりません。そんな詠み手の思いを、ほとんど無意識に、わたしたちも共有してしまうなら、この和歌は今日においても、生命力を宿しているのかもしれません。
 もう少しだけ、光と影の関係を眺めて見ましょうか。

さつき闇
   さやまの嶺に ともす火は
 雲のたえまの 星かとぞ見る
          藤原顕季(あきすえ) 千載集193

 「さつき闇」とは、五月雨(さみだれ)の雲に閉ざされた闇夜のことで、「五月雨」とは陰暦五月の雨ですから、つまりは「梅雨(つゆ)の長雨」に他なりません。(もっとも近頃は、長雨というよりは、スコールじみた雨季の様相ですが)また「狭山(さやま)」とは、「小さな山」くらいで捉えておきましょう。

 その峰にともす火、それが何かと問われれば、わずかな知識が必要になってきます。つまりそれは「照射(ともし)」と呼ばれる、鹿を狩るために焚かれた篝火(かがりび)で、おびき寄せられた鹿を、捕らえる、というより、射殺(いころ)すための装置です。つまりは、

 雨雲に閉ざされた真っ暗な夜、
  狭山の峰の、鹿狩りのともし火は、
   まるで雲の絶え間の、
  星のように見えるのでした。

 いまさら私たちに、「照射(ともし)」の経験などありませんが、嶺に松明がちらついているくらいでも、その情景は浮かんでくるのではないでしょうか。さらには四句目で、「雲のたえまの」と断っている点。ここからまた、想像は膨らみます。

 もちろん一般的には、単にともし火の加減から、それまで雲に閉ざされた裂け目から、ふと星が見えたような、そんな錯覚にとらわれたのを詠んだという解釈が生まれます。
 あるいは、そうではなくて、すでに上空の雲の絶え間には、しばしば星のひかりが見え隠れしていて、峰の火もそれに呼応していたと見ることも出来るでしょう。

 けれどもこれを、冒頭に呈示された闇からの解放。つまりは長く憂鬱な五月雨(さみだれ)からの解放と捉えるならば、幻想の影に精神性が加わります。すなわち詠み手が、「雲の絶える」ことを望んでいるために、まるでシェークスピアの戯曲『マクベス』の中でマルカムが、「明けない夜は長い」と悲観しながらも、「明けない夜はないはずだ」と願いを込めるみたいに、峰のともし火に、晴れゆく空を委ねた。つまりは希望の星とする解釈も生まれますが……

 もっとも、これらは説でもなんでもありません。
  ただ和歌の述べていない所を述べたまで、
 いくらでも読み取れるような、とりとめもない落書は過ぎません。けれども、このように「読み取り方に幅がある」からこそ、つまりは、それぞれの解釈を許すだけの許容力があるからこそ、その和歌は逆に、多くの人に訴えかけてくる、より不偏的な詩情を宿しているとも言えるでしょう。
 説明さながら、作者の意図をすべて込めたような落書は、ほとんどの人にとっては詩情の欠けらもない、殺風景な興ざめには違いありませんから。
 もう一つだけ、夜の光を。

あはれにも
  みさをに燃ゆる ほたるかな
    声立てつべき
  このよと思ふに
          源俊頼(としより) 千載集202

 「操(みさお)」というと女性の貞操(ていそう)のように思われがちですが、これは「志を固く変えない」とか「かたくなに」とかいった意味です。「このよ」はもちろん「この世」ではありますが、螢(ほたる)の瞬いている「この夜」という意味も込められています。ただしこれを、一般的に解釈されるように「この世」から取ってしまうと、

あわれにも
  黙って懸命に瞬いている ほたるですね
 声をあげて泣いてしまいそうな
  この世のなかにあって

 つまりは、ほたるばかりは「声をあげて鳴かない」けれど、この世は「声をあげて泣くべき」ものであるという、ちょっと観念のまさる印象で、下の句の「声をあげて泣くべきものが世のなかだ」という格言じみた調子が、けなげに瞬いている蛍のともし火に、マイナスに作用するように思われます。つまりは、世の中が先に立って、情景ではなく観念が浮かんできますから、知性による解釈が殺風景に響きわたるばかりです。けれどもこれを、「この夜」を表に取って、その裏に「この世」を内包するものだとすれば、

あわれにも
  声もあげないで 懸命に瞬いているほたるですね
 声をあげて泣いてしまいそうな
    そんな夜だと思うのだけれども

 たちまち、ほたるのほの光りが闇夜に浮かび上がって、情景として広がってくるのは不思議です。すると「みさを」という表現が、舟を操るための水棹(みさを)を掛け合わせているという事実も、生き生きとよみがえって来るものですから、ますます詠み手の情景を定めます。

 すなわちこの詠み手は舟に乗っているか、あるいは舟の留められた川べりなどにしゃがみ込んでいて、水棹のあたりに瞬いている螢(ほたる)を眺めている。そうして、哀しい思いに囚われている。水棹に螢が止まっているのだから、舟は静止しているか、わずかに漂っているような印象です。

「まるで声をあげて泣いてしまいそうな、こんな夜なのに、どうして螢は声さえ立てず、ひたむきな思いを燃え上がらせては、呼吸のようにふっと消して、また燃え上がらせて、けなげに瞬いていいるのだろうか。」

 そんな詩情を浮かび上がらせるためには、「この夜」がどうしても必要なのです。「この世」を表にしたら台無しです。それでいて情景としての「この夜」は、詠み手の心情である「この世」に直結していて、詠み手の嘆きへと繋がるものですから、「裏の意味」もまた飾りではなく、もうひとつの明確な意図として、この和歌の重要なファクターには他なりません。
 このような言葉や意味の持つ二重性というのは、当時の和歌においては、きわめて多用された技術ですから、馴れておくと良いでしょう。

 ところで、しのびに燃える螢というと、恋と解釈したくもなりますが、下の句の「この世」のイメージと共に、家庭のこと、仕事のこと、社会情勢、あるいは健康など、さまざまな泣きたくなるような事情を、身近に当てはめることが可能です。何をあてるかは、聞き手に委ねられているのです。
 この和歌は「題しらず」とはじめに記されていますから、詞書のしがらみすらありません。「声立てつべき」を「口に出してなにかを言うべき」と読み取って、想像力を膨らましてみてもよいでしょう。あなたには、あなたの解釈をする自由が与えられているのです。
 知識や背景はその後でよいのです。
  もし、これを逆にしてしまったら、
   この落書きはなんの取り得もない、
  ただの化石標本になってしまうことでしょう。

あさりせし
  水のみさびに とぢられて
    ひしの浮き葉に
  かはづなくなり
          源俊頼 千載集203

  まず言葉を説明しましょう。
 「みさび」とはつまり「水錆(みずさび)」のことです。これはなにも「非金属の水が錆びた」という怪奇現象ではなく、水のよどんだあたりには、たとえば赤さびじみた浮遊物が、ところ狭しと覆っているような場合もあるわけで、そのようなよどんだ垢(あか)を、「水錆(みさび)」と称しているにすぎません。はじめの「あさりせし」とは、蛙が自分で餌などをあさっていたことを表していますから、つまりはこの和歌は、

さっきまであさっていた
  みなもの水錆に閉ざされて
    浮かぶ菱(ひし)の浮き葉に
  かえるが鳴いています

ということになります。
 ちなみに「菱(ひし)」とは、菱形の語源にもなった雑草みたいな浮き草で、沼や池などに自生していますから、見たことのある方も多いかと思われます。もっとも、それと気づかない人もいるかも知れません。そんな人は、端末でも検索して、写真を眺めることから始めましょう。いつかどこかで、実物を発見できたら愉快です。

 ところでこの和歌、子規居士の提唱した所の、
     「豊かな着想とは、
        眺める対象の、かなたに存在する」
ということ、つまり写生の精神で描かれています。
 なぜならこんなしょうもない、
と言っては失礼ですが、取るに足らないことを、ありのままに述べたような和歌は、そもそもなにかを生みなそうとして、故意に創造されたものではありません。つまり故意に作るなら、もっと華のある題材を選びますし、かわづが鳴いているだけのために、こんな配合を並べたからといって、拍手喝采が得られるものでもありません。哲学や格言、あるいは詠み手の心情をたとえたものとしては、実際の光景がまさり過ぎです。言うなれば、演出するには無意味な臨場感がある、そんなところでしょうか。

 おそらくこの和歌は、
  菱(ひし)の葉に鳴いている蛙を眺めて、
   その周囲が水錆に覆われているのに遭遇した詠み手が、
  そこから感興を得て、

「餌をあさっていたら水がよどんでしまい、
  逃れるように菱の葉のうえで、
   水錆に閉ざされながら、
    しぶしぶ鳴いている蛙だよ」

とたわむれたものに過ぎません。
 そう思わせるだけのリアリティー、
  つまりは、平安時代なりの写生主義を、
   この和歌は持っているように思われます。

 一方で、ただ写し取るのではなく、閉ざされて水に入れず、哀れに鳴いている蛙を、ちょっと擬人法めかして描いてみせる滑稽(こっけい)は、後の俳諧連歌(はいかいれんが)のようなおかしみが、先取りされているようにも思えます。
 あるいは源俊頼という人は、実景からこのようなユニークな和歌を採取して、歌合などにそれまでにないような、斬新な表現を提出しては、人々を驚かせていたのではないか……
  そんな邪推まで浮かんでくるようです。。。
 夏の終わりに、スルメ歌をひとつ。

ゆふ立の
  まだ晴やらぬ くもまより
    おなじ空とも 見えぬ月かな
          俊恵法師(しゅんえほうし) 千載集217

夕立の雲の
  まだ晴れきっていない 雲の合間から
    おなじ空とは 思えない月のひかりです

 「おなじ空とも」と言うのは、先ほどの夕立の空と対比させているのですが、この和歌のキーワードになっています。夕立後の雲間を呈示した上の句に対して、四句目に「おなじ空とも」と置くことによって、先ほどまでの、

「夕立の暗雲に閉ざされ、
   はげしい雨風にさらされていた、
     暗くて重い天候」

が回顧され、

「雲が途切れ始める頃には、先ほどの打ちつける雨も、はげしい風も嘘のように収まって、おだやかな静寂のうちに、月のひかりがあたりをぱっと照らし出す。そのさわやかさ。」

 すなわち雲間から顔を覗かせた月のイメージと、先ほどの夕立を対比させることによって、月のひかりの差し込めた瞬間の印象を、あざやかに描き出しているのです。それでいて、詠んでいると、ただその場の状況を、即興的に語りかけただけのように響いてきますから、つい自分たちでも、その場に居さえすれば、たやすく詠めるような気がしてくる。
 なるほど、「ただ歌は幼くあれ」と主張した俊恵法師らしい和歌ですが、なかなか初心者に詠めるような和歌ではありません。誰にも理解できて、誰にもつくれそうで、際だった花もなくて、すらすらと書き流されていて、それでいて聞くたびにうれしくて、なかなかたやすくは詠めないような和歌。
 人はそれを秀歌と呼ぶようです。

秋歌上 巻第四

[朗読3]

 さて秋も上下に分かれていますが、順番にこだわらず、俊恵法師のスルメ歌をもうひとつ。

ながめやる
  こゝろの果てぞ なかりける
    あかしの沖に
  澄める月かげ
          俊恵法師 千載集291

眺めわたす
  こころに果てなど ありません
    明石の沖に
  澄みわたる月を見ていると

 これもただ、
  「明石の浦の沖の、澄んだ月の光を眺めていると、
    いつまでもこころは、果てることはない」
と、その場にいれば誰でも詠めそうな和歌ですが、
  「こころは果てることはない」
という主観を
  「こころの果てなどない」
と、ちょっと客体に記したところに、
  「万人の心の果てるところではない」
といった不偏的な効果が生まれ、
  「誰にとっても、
    明石の月影はすばらしいものである、
     わたしが偶然に感動したばかりではなく、
    ここはすぐれた月の名所なのだから」
という思いが、さりげなく込められているようです。
 だからはじめのうちは、さらりと詠み流してしまうくせに、聞くたびに魅力的なもののように感じられ、次第に明石の月を見たくなってくる。それだから噛めば噛むほど味の出る……
 いはゆる、スルメ歌と呼ばれるものです。

 もっとも、スルメの精神においては、
  藤原公任も負けてはいません。

時しもあれ
  秋ふるさとに 来てみれば
    庭は野辺とも
  なりにけるかな
          藤原公任 千載集269

ほかの時もあろうに
  秋にこうしてふるさとに 来てみれば
    庭はまるで野原のように
  秋草に覆われているばかり……

 「時しもあれ」とは「ほかの時もあろうに」くらいの意味で、そこから「よりによって今」というような気持ちを内包している言葉です。これも俊恵法師の和歌のように、ただ、
    「秋のふるさとを訪れてみれば、
       庭は野原のように荒れ果てていた」
 中学生の日記にでも記されそうなくらい、ありきたりの感想文に過ぎません。ただ冒頭の「よりによってこの秋」という感慨は、この和歌の核心ともなっているようです。このひと言によって、呆然と立ち尽くすような、詠み手の視点へと引き込まれ、俗な感慨に過ぎないはずの、
    「庭は野辺のようになっていた」
というありふれた感想が、
 リアルなイメージとなって浮かび上がってくる。
  さらに「なりにけるかな」という結句は、
 「かな」が詠嘆(えいたん)……
というより、ここには悲嘆(ひたん)を表現しますから、
     「なってしまったものだなあ」
とさみしい気持ちを、余韻に残すような効果が込められています。これによって、その場に歎息するような臨場感が加わり、殺風景な野原のなかに、詠み手と共に立ち尽くすような感覚にとらわれるのです。

 ありきたりの情景を、ありきたりに詠みながら、散文的な説明ではなく、わたしたちの心の底に、その心情が響いてくるだけの仕組みが、さりげなく用意されている。それで、詠むほどに詩興が湧いてきて、繰り返し唱えたくなるのです。

 おおよそ、大げさなジェスチャーで描かれた表現は、たまに詠むと、その巧みな描写や、周到な修辞に感嘆するのですが、何度も繰り返し唱えると、しだいに野暮ったくもなってくるもので……
 ありきたりの情緒を、詠み手の思いを伝えるために、飾り気もなく詠むからこそ、聞くたびに味わいがまさってくるような……
 それでこそスルメ歌です。

 もっともプロフェッショナルな(といっては公任卿に失礼ですが)和歌には、プロフェッショナルな魅力があります。たとえば源俊頼の和歌。

なにとなく
   ものぞかなしき 菅原(すがはら)や
  ふしみの里の 秋の夕ぐれ
          源俊頼 千載集260

なんとはなしに
   ものがなしいのは 菅原ですね
  伏見の里の 秋の夕ぐれこそ……

 これはつまり、大和国(奈良県のあたり)は菅原というところの名所「伏見の里(ふしみのさと)」を詠んだものですが、「菅原の伏見の里」という名称を「菅原だなあ」と三句目で区切り、下の句では一気呵成(かせい)に「伏見の里の秋の夕ぐれ」と、助詞「の」の連用にまとめるあたり、日常的な散文からかけ離れ、着想からたやすく到着出来そうにありません。おそらく、ありのままに記したならば、

菅原の
 伏見の里の 夕ぐれは
  秋こそことに ものぞかなしき

といった、きわめてだらしないものに、
  落ちぶれてしまうには違いありません。
 特に上の句では
     「何となくもの悲しいものは菅原だなあ」
と主観に訴えておきながら、
 下の句では、ただ場所と情景を客体に
     「伏見の里の秋の夕暮」
と解説しているに過ぎないのですが、上の句で
     「菅原だなあ(菅原や)」
と余韻を残した結果、下の句の体言止めが、上の句へと返り、主観の対象を定めると同時に、秋の夕暮の光景へとイメージを収斂(しゅうれん)させる効果を担っている。ちょっと単純化させすぎかもしれませんが、あえて述べるなら、
     「なんとなくもの悲しいのは
        伏見の里の秋の夕暮だなあ」
などと述べられると、
 説明がクドクドしすぎて、興を削ぐ嫌いがありますが、
     「なんとなくもの悲しいのは菅原だなあ」
と、もの悲しさの焦点を、聞き手に明確に意識させた上で、
 今度はおなじ菅原を、別の表現にゆだねつつ、
     「やっぱり、伏見の里の秋の夕暮だよなあ」
さらに、季節と時間帯を定めるものですから、
      場所⇒季節⇒夕暮
と聞き手のイメージがたやすく導かれ、その最後のイメージが、
      「なにとなくものぞかなしき」
というはじめの心情と結びつく仕掛けになっている。
 これこそ技巧を凝(こ)らした、
  プロフェッショナルな言葉の巧みです。

 もっとも、となりに並べられた、藤原俊成(ふじわらのとしなり・しゅんぜい)の和歌があまりにも優れているために、この作品すら、吉野の里の霞んでしまうほどですが……
 せっかくですから、
  俊成の和歌も紹介しておきましょう。

ゆふされば
  野辺の秋風 身にしみて
 鶉(うづら)なくなり 深草の里
          藤原俊成 千載集259

 あるいは『千載集』の白眉(はくび)でしょうか。
  いつか紹介したく思いますが、
 今はこれまでにして、
もうひとつくらい源俊頼の和歌を。

こがらしの
   雲吹きはらふ 高嶺(たかね)より
  さえても月の 澄みのぼるかな
          源俊頼 千載集276

木枯らしが
  雲を吹き払う 山の高峰から
    冴え渡るように月が
  澄んだ光で昇って来るのです

 もし実際に、峰の雲を風が吹き払うあたりから、月が昇って来たからといって、そうたやすく詠めるような和歌ではありません。日常会話の語り口や、日記に記すような散文からは、かけ離れています。特に、
     「冴えながら月が澄み昇る」
なんて表現は、ちょっとした詩文でも、思いつかないくらい巧みです。けれども、なんの逡巡(しゅんじゅん)もなく、意味をつかみ取れるのはどうしてか……それはきわめて簡単なことで、

風が雲を払った山の峰から
  澄んだ月が昇ってきました

 こんな、わたしたちでもその場に居合わせれば、すぐにメールでも送れそうな、ありきたりの文章構造がベースになっていて、その大枠を踏み外さずに、詩文へといたらしめているからに他なりません。ですから、日常の感覚そのままに、言葉を修辞して、格調を高めたような印象を受けて、なおさら心地がよいのです。さすがは新時代の旗手と讃えられた、源俊頼と言ったところでしょうか。
 もっとも、こんなアクロバットな表現をしなくても、着想をそのままに記して共感を得るような和歌なら、『千載集』にも沢山あります。たとえば、

秋の月
 高嶺(たかね)の雲の あなたにて
  晴れゆく空の 暮るゝ待ちけり
          藤原忠通(ただみち) 千載集275

秋の月は
  高嶺の雲の 向こう側で
    晴れてゆく空の 暮れるのを待っています

 着想としては、
     「月を待ちわびて東の空を眺めれば、
       高い嶺と雲とが邪魔をして、
     しかもまだ暮れきっていない」
そんな思いを、擬人法に委ねて、月の立場から、
     「秋の月が嶺の向こう側で、
       雲が晴れ、日が暮れるのを待っている」
と詠んだものです。

 擬人法というのは、諸刃の剣で、着想を捻ったような印象が顔に表れると、たちまち、嫌みな和歌に落ちぶれてしまうものです。例えば、

向日(ひまわり)は
   金の油を 身にあびて
  ゆらりと高し 日のちひささよ
          前田夕暮(まえだゆうぐれ)

 これは「サンフラワー油」のキャッチフレーズではありません。
  詠み手は企業のまわし者ではなく、
   詩をこしらえようとして短歌を詠んだものでした。
  それなのに、メーカーの広告にでもありそうな、
 安っぽい印象がぬぐい去れません。それはなぜなのか……

 つまりは、ひまわりを実際に眺めた時の、自然に浮かんだよろこびではなく、ひまわりをいかに巧みに表現してやりたいか、つい生みなしてしまったわたくしの着想を、披露したいような欲求に駆られた、
     「金の油を身にあびて」
という、ナチュラルな情景よりも、誇張されたイメージに寄り添うような擬人法が、次第に嫌気を誘発するからには違いありません。
 するとこの人は誰に向かって、着想をひけらかしたかったのだろうという、詠み手のエゴのようなものが、金の油のちらつきますから、何となく嫌な気分にさせられてしまうのです。

 もとより、浅はかな対比を、
   おまけみたいに付け加えた、
     「日のちひささよ」
   こそが、嫌みの核心であることは、
      説明するまでもありませんが……

向日(ひまわり)は
   金の油を 身にあびて
  ゆらりと高し 日のちひささよ

  もう一度、考えて見ましょう。
 二句目、「金の油」を浴びたのは、太陽のおかげであり、ひまわりが「浴びる」という受け身の擬人法で成り立っている以上、上の句は、日盛りの太陽のすばらしくまぶしい状況、それを受け手のひまわりの印象によって、表現したものと思われます。
 そうであるならば、太陽のもとに輝くひまわりを、最後まで描写すればよかったのですが、急にひまわりの方をゆらりと尊大にして、
     「ひまわりは大きくて、
       太陽は小さいよ」
などとオチを付けたものですから、太陽に対して立派に誇るひまわりというよりは、太陽よりもはなから立派であるような印象が生まれ、統一した精神が蔑ろにされてしまったようです。
 かといって、これを、

ひまわりは
  金の油を身にまとい
 遠き日差しを
    あこがれとして……

としても、やはり引っかかります。
  つまりは、「金の油を身にあびて」という安っぽい擬人法が、
 キャッチフレーズのような印象をぬぐい去れないのです。。

[ただし、この短歌には、小学生が夏休みの絵日記に描きそうな、稚拙なデフォルメの持つ善良性のようなものがあり、(それが逆にこの短歌を安っぽくもしているのですが、)幼児用の教育に利用するには、かえって捉えやすく、好ましいかも知れません。
     「ほら、お日様が遠くでにこにこしているね」
         「うん、にこにこしている。
            でもこんなに小さいや。
              僕のひまわりはおっきいなあ」
 実景から受ける情緒というよりは、子どもの絵にしっくりくるような情緒性ですが、その絵を自慢したいような単純なよろこびがあるようです。もちろん、ひまわりが金色に塗りたくってあることは、疑いありませんが……]

 これに対して、
  藤原忠通の和歌はいかがでしょうか。
 簡単に述べれば、「金の油を身にあびて」というのは、ひまわりを眺めた時に自然に湧いてこない、あるいは、実景よりも空想にしっくりくるような表現であるために、実景を詠んだような体裁を持つ短歌としては、詠み手の思いへと懐疑が生まれてしまうような、安っぽい擬人法になっています。そうであればこそ、大げさなジェスチャーの台詞でもなければ、感情移入すら出来ないような、品評会の皆さまには、大受けするのかもしれませんが……
 反対に、向こうの山で、
  月が出番を待っているというような擬人法は、
     「ねえママ、月がなかなか出てこないよね。
         どうして月はなかなか出てこないの?」
       「月はあの山のあたりでね、
           あの雲が晴れて、
          日が暮れるのを待っているのよ」
 子どもの感覚に当てはめても、ここには実景からもたらされる情緒性があります。デフォルメされたひまわりの絵は、描写が幼稚であるゆえに、成長してからでは鑑賞に堪えられませんが、月の昇る実景は幾つになっても変わりませんから、そこから素直に得られるような擬人法は、子供でなくても、なんの嫌みもなく捕えることが可能です。
 またこの和歌を、古今集の、

遅くいづる 月にもあるかな
   あしびきの 山のあなたも
     惜しむべらなり
          よみ人知らず 古今集877

遅く昇る 月であることよ
   あしびきのと讃えられるあの山
     あの山の向こう側では
   誰もが月を惜しんでいる
 それで月も 躊躇しているのだろうか

と比べてみるのも、面白いかも知れません。
 古今集の和歌では、月は人々の思いを受けてとどまっているに過ぎません。躊躇しているというのは擬人法ですが、詩興の根幹は、月を押しとどめる向こう側の人々の思いに対して、月を待ちわびるわたしの思いを対比している所にある訳です。
 これに対して、藤原忠通の和歌では、月をもっと積極的、かつ直接的に擬人法で表現しています。つまり月は、舞台袖から、自ら出番を待っているような印象です。ですから虚偽においては、はるかに古今集のものより増さりますが、それが嫌らしく響いてこないのは、出番を待っているという印象が、月を待ちわびる時の情緒性に寄り添うものですから、自然な思いのように響いて来るからです。さらには叙し方がさりげないので、不意に思いついたような、即興性にあふれている。それだから、なんの嫌みも湧いてこないばかりでなく、一緒に月を待ちわびるような気分にさせられる訳です。
 これをもし、

秋の月
  金の油を 身にまとひ
 晴れゆく空の 暮るゝ待ちけり

などと詠んだらどうでしょうか。
 おなじ擬人法にしても、虚飾のマントでもまとったお月様が、本当に台詞を待っているようなイメージが沸き立って、実景に立ち会って詠んだものとは、到底思われません。
 つまりは藤原忠通の和歌の場合は、舞台裏に控えているということが自然描写のたとえに過ぎないのですが、この場合はもはや、自然描写の方が、舞台裏に控えているという安い擬人法の、生け贄のようにされてしまう。それだから、キャッチフレーズのように聞こえるのです。

 さて、脱線した列車は、
   なかなか寄りを戻しません。
  和歌による、口直しでもしましょうか。

山の端(は)に
   ますみのかゞみ かけたりと
 見ゆるは月の いでるなりけり
          藤原基俊(もととし) 千載集287

「真澄の鏡」とはなんでしょう。
 万葉集の頃すでにあった、「真澄鏡(まそかがみ)」という枕詞(まくらことば)もありますが、この和歌においては「澄み切った鏡」くらいの意味で捉えてかまいません。つまりは単純に、

山の端(はし)に
  澄みわたった鏡が 掛けられていると
    見えたのは月が 昇ってくるのです

 もちろんこれは藤原基俊が、月の輝きを太陽の反射だと悟った、近代科学の勝利とはなんの関係もありません。ただ月がのぼってきたのを、鏡にたとえたまでのこと。ただ鏡のような月であれば、丸鏡の反射するような印象ですから、満月であることが、おのずから悟れるようになっているのです。さながら眺めた印象のままに、

「鏡のような満月が昇ってきたな」

とつぶやいたくらいの印象ですが、
   「ますみの鏡」
とちょっと様式化された表現を使用することによって、いつもの月ではない、特別な月が昇ってくるようなニュアンスが生まれますから、つまりは仲秋の名月のような、鑑賞すべき満月がのぼってくることが知られるのです。

 ちなみに、この藤原基俊という人、源俊頼と紅白を分けたライバルであったことが、鴨長明の『無名抄(むみょうしょう)』におもしろく描かれていますが、その中には、この『千載集』の撰者である藤原俊成が、晩年の基俊に「プチ弟子入り」したことまで記されています。『無名抄』では、そのうっかりぶりが際立つような基俊ですが、世俗受けする表現を使うなら、理系より文系人間でしょうか。新奇・斬新を好まず、歌風も伝統を重んじる傾向があったようですが、その人柄からか、おだやかな暖かみの感じられるような和歌が多いように思われます。

秋歌下 巻第五

[朗読4]

 ここまで見てきただけでも、
  『八代集』の和歌には、
 分からない言葉をちょっと解説しながら、古語を現代語に改めつつ、そのままの文脈で、やすやすと詩興へといたるものがあることは、おわかりいただけたかと思います。
 しかもこれらは、特別な和歌という訳ではなく、勅撰和歌集の過半数は、着想や内容のちょっとした説明さえ加えれば、わたしたちの語り言葉や日常散文ほどのレベルで、容易に把握できるものばかり。むしろ和歌の本体であると言っても差し支えありません。
 このような分かりやすい和歌をベースに、それを乗り越え、さらなる芸術性を求めたような和歌が、歌人たちのしのぎを削った名残みたいに、『勅撰和歌集』には折り込まれているのですが……
 和歌の基礎さえないうちに、技巧と表現のきわみを目指したような和歌を詠まされても、園児に国宝の茶碗を眺めさせるようなもの。価値など分かるはずはないのです。
 よちよち歩きの、山のふもとから、
  芸術至上主義かとあやまたれるような、藤原定家の編みなした、表現の結晶みたいな『百人一首』を懸命に覚えさせても、むしろ和歌なんて馬鹿げたものと思い込むか、そうでもなければ、競技のための呪文くらいにしか思われず、逃れる子どもを大量に生みなすのも、むしろ当然のことのように思われます。
 さながら教育カリキュラムは、
  母国の伝統を捨てさせるためにこそ、
   狂奔(きょうほん)しているような終末です。
    ……それはさておき。

 そろそろ次の段階へまいりましょう。
  ここからもわたしは、やすやすと、悟れるほどの和歌を紹介してきますが、これまでのように「やすやすと悟れること」を力説することは、もう十分理解されたと信じますから、やや控えたいと思うわけです。

山ざとは さびしかりけり
   木枯らしの 吹くゆふぐれの
 ひぐらしのこゑ
          藤原仲実(なかざね) 千載集303

山里は さびしいものですね。
   木枯らしの 吹く夕暮れに
 ひぐらしの声がしています。

 始めに「山里はさびしいものですね」と情緒を定義しておいて、次の文章でその内容を説明している。ただそれだけのことで、ひとつの和歌ではありますが、散文にすると二つの文脈から成り立っている。そのため二句目の「さびしかりけり」で文章が「切れる」ことになるのです。
 和歌や俳句でよく「切れ」などと称して、犬の嗅覚(きゅうかく)みたいに切れ端を求めたりすることがありますが、「切れ」の本質は、単に文章や文脈の途切れ具合に過ぎません。
 この和歌においては、二句目で言い切って、あらためて「さびしさ」の内容を説明していることが、一つの文章にするよりも、「さびしさ」が際立つように生かされている。つまり、

山里は、
 木枯らしの吹く夕暮れに、
  蜩(ひぐらし)の声がしてさみしいなあ。

では情緒的な語り言葉というよりは、「さびしさ」を解説した様相ですが、始めに「さびしかりけり」と置かれると、
    「ああ、さびしいなあ」
と思わず口に出してしまったように感じられ、改めてその理由を語る相手に、聞き手は引き込まれてしまう。これは語り言葉の技法ですが、寂しさの共感を覚えた瞬間に、わたしたちはその和歌に詩情を感じる訳です。

 そんな「ひぐらしの声」ですが、
  それさえ知らなければ、仕方ありません。
「ひぐらし」は今日の季節感なら、夏の後半から秋の入りくらいの朝夕に、幻想的な「カナカナ」とした鳴き声を奏でる蝉ですから、まずは音源を検索して、その鳴き声を確かめてみることです。
 この和歌の着眼点は、秋の終わりを告げるような木枯らしの吹くなかに、秋の初め頃から鳴き始めるひぐらしの声がするという一点にあり、つまりこのひぐらしは、豊かに鳴き暮らしているようなものではありません。

―ここでは、この「木枯らし」は今日の定義と同様、晩秋から初冬に吹く風であると解釈して話を進めます。「木枯らし」自体の定義が変われば、この解説のすべてがやり直しになる点にも、心を留めておいて欲しいかと思います。この際、別の解釈でも詩情がまっとうされるならば、この和歌の価値は保たれますし、そうでないならば破綻するわけですが、この和歌の場合は「ひぐらし」と「木枯らし」が純粋な併置であっても、詩情は十分に保たれる和歌になっています―

 あるいは生き残った一匹が、鳴き出したものでしょうか。不意にひぐらしの声が響いてきた。それで自然にあらがえず、ほろびゆくものの哀しさが、殺風景な木枯らしと一体になって、「さびしかりけり」と詠ませたのです。
 ちょっと作為的にさえ思えますが、それは私たちが自然界から遠ざかっているからに過ぎません。実際、季節外れの蝉が、あわれな声を張りあげて驚かせることくらい、都会のひとり暮らしにも、耳を澄ませば出逢うことが出来るくらい、ありきたりのユニークには過ぎないからです。

 ちなみに、このように二句目で切れる和歌を、二句切れ(にくぎれ)と呼びます。私たちが「上の句」「下の句」と分割する「五七五」でひと区切りとするものは、三句目で切れるので、三句切れとなります。せっかくですから、二句切れの例をもう一つ見てみましょう。

秋深く なりにけらしな
  きり/”\す 床(ゆか)のあたりに
 こゑ聞こゆなり
          花山院(かざんいん) 千載集332

  同じ二句切れを使用しても、
   花山院はさすがに帝王、
  直球を放ってどっしり構えています。
 さて、その意味ですが、「なりにけらし」とは、「なりにけり」に「らし」の加わったもので、「に」は完了の助動詞である「ぬ」の連用形であり、「けり」は過去を表わし、間接的には詠嘆を表現し、おまけに「らし」は推量ですから……

 すみません、ほんの冗談です。
  こんな訳の分からないことを言われたのでは、
   興ざめを起こすばかりです。
  わたしたちが言葉を覚えるときと一緒です。
 くり返し唱えるうちに、それがどのような時に使用されるものなのか、次第に身についてくる。そのような段階に至らなければ、品詞分解など、テキストへの好奇心を削ぐばかり。幸い先達(せんだち)のおかげで、古文の意味は現代語に訳されているのですから、今は「なりにけらしな」は「なったようだなあ」であると済ませて、全体の意味を捉えてくださればそれで十分です。
 それをくり返していくうちに、いつしか言葉のニュアンスが身についてくる。おおよそ、簡単な古文の輪郭が捉えられるようにならなければ、品詞分解など、突き詰めたからとて無意味なことですし、むしろ古文を毛嫌いにさせるための、諸悪の根源には違いありません。
    「さにあらず、さにあらず。
       いはゆる古文なるものは」
 さっそく反論を述べ立てる講師たち。
  奇妙なジェスチャーで唾を吐き散らし、
   ナチュラルな詩情などまるで知らないような、
  賢者のふりをした道化師ども。
 あなた方こそ、私たちから古典の面白さを奪い去る、文化破壊主義者には他なりません。いずこの曲芸師かは知りませんが、それにしても、あなた方の政策は、ほとんど完遂しつつあるようです。
 わたしの悲しみと引き替えに……

秋も深く
  なってきたなあ。
    キリギリスの声が、
  床のあたりから、聞こえてくるよ。

 構図としては、「山里はさびしかりけり」と同じです。
  始めに自らの思いを言い切って、
   次の文章でその理由を説明している。
  それで二句目で切れる訳です。
 この和歌の肝(きも)は、なるほど「なりにけらしな」のニュアンスにありますが、これを品詞分解して「らし」が推量であるからと、局所的な意味から判断して現代語訳を構築すると、「なってきたらしいなあ」となって、詩情はないがしろにされるでしょう。
 なぜならこの和歌は、床のあたりからキリギリス(今日のコオロギとしておきます)の声が響いてきたので、深まる秋の侘びしさを噛みしめているような和歌であって、それをあえて「なりにけらしな」と表現したものに過ぎないのです。決して、
    「あれ、秋が深くなってきたようだな」
と始めて気がついた、
 すなわち推量されたものではないのです。
  そうではなくて……
 「キリギリス」の声を聞くまでもなく、感じていた秋の深まりを、改めてその響きにはっとさせられて、それを推量にゆだねたものに過ぎません。ですから、その精神を汲み取って現代語訳にしなければ、全体のニュアンスを伝えるという、もっとも大切な意義が損なわれてしまうのです。
 もちろん、このくらいの表現の違いなら、さほど影響もないのですけれど、思いはるかに詩情を蔑ろにして、屁理屈の塊のように貶めた現代語は、ちまたにあふれかえっているようです。
 ちょっと書籍を手にしただけでも、

新玉(あらたま)の
  年の終はりに なるごとに
 雪も我が身も ふりまさりつつ
          在原元方(ありわらのもとかた) 古今集339

一年の終わりになる度(たび)に、
  雪がますます降りながら、
 私もますます古くなっていくことだなあ。
          角川ソフィア文庫「ビギナーズクラシック」
             「古今和歌集」より

    「私もますます古くなっていく」
 こんなヘンテコな感慨は、
通常の日本語からは、
 思いもよらないヘタな表現で、
    「雪は降りつのり、私は老いてゆく」
と述べた本歌の精神を、
 土足で踏みにじってはしゃいでいます。
    「新年がいつしか、年の終わりを迎えるたびに」
と呈示された、年始から年末へいたるひとゝせの思いすら、
    「一年の終わりになる度に」
という殺風景な説明へと落ちぶれて、本歌を踏みにじる以外に、なんの取り処もないようです。それでいて、「ふりまさる」のニュアンスを込めることばかりに躍起になっていますから、
    「雪がますます降りながら、
       私もますます古くなっていく」
などといういびつな表現、私たちの言語生活から、下ずれしたような表現に落ちぶれてしまいました。そうして、

新年がいつしか
  年の終わりへと 移り変わるたびに
 やがてはまた雪は降り出し 積もってゆくようです。
   それに合わせるようにわたしも
     またそっと、年老いてゆくのでしょう。

という和歌の精神は、添削の必要な作文によって、姿も心もずたぼろにされてしまうのでした。もっともこれは、執筆基準にすら乏しい、下卑た文庫本には過ぎませんが、なかなかどうして、教科書に載せられるような現代語訳にも、このような悪意はこもるようです。学生たちに、軽蔑をでも植え付けるために……
 ちょっと脱線が過ぎました。
   ともかく先に進みましょう。

杣(そま)かたに
   道やまどへる さを鹿の
 妻どふ声の しげくもあるかな
          藤原公実(きんざね) 千載集308

 ここでは「杣かた」とは、「杣山」つまり「材木などを切り出すところの山」のあたりと解釈しておきましょう。「妻問う」とは要するに、九月になると雄鹿が盛んに鳴いて、その声で妻を得ようという「求愛」行動を指すのですが、秋のさみしさにふさわしい響きとして、また恋愛に掛け合わされる風物詩として、当時から知られていたものです。つまりこの和歌は、

杣山のあたりに
 (迷うのは、心ばかりではりません)
    道さえさ迷うような 牡鹿(おじか)の
  妻を求める鳴き声が しきりに響いているのです

 ただしきりに聞こえてくる、
  鹿の鳴き声を詠んだ和歌ですが、
   「道やまどへる」
つまり「道こそ迷っている」と表現したことにより、心ばかりではなく、ついには道にさえ迷ってしまったような、身も心もおぼつかない印象がまさって来る。それが私たちの秋の寂しさと触れたとき、ある種の共鳴作用を引き起こす所が、この和歌のさりげなく優れたところです。
 同じ鹿でも、スルメ歌でお馴染みの、俊恵法師の場合。

夜をこめて
   明石の瀬戸(せと)を 漕ぎいづれば
 はるかに送る さを鹿のこゑ
          俊恵法師 千載集314

夜の深いうちに
   明石の海峡へ 漕ぎ出せば
 はるかな山の方から
   わたしを送って鳴いてくれるのだろうか
     牡鹿の鳴き声がしています

  「夜を籠めて」
というニュアンスは、たとえば明るくも暗くもない大気の入った箱に、夜を込めれば闇が深くなる、といったようなイメージで捉えると分かりやすいかも知れません。夜にどっぷりつかった、深夜を指すわけです。(夜の深まった際として、空の明るくなる直前を指すこともあります。)
  「明石の瀬戸」は、
 今日の兵庫県明石市と淡路島を隔てる海峡のことですが、夜更けに漕ぎ出さなければならなかった理由はなんであるのか、見送るものはただ鹿の声というシチュエーションはいかなる状況なのか、なかなかに想像の膨らむような和歌になっています。
 それでいて深夜の海峡を渡る心もとない寂しさは、詞書(ことばがき)を待つまでもなく伝わってきますから、物語を期待するような奥行きと、その実景から感じられる寂寥(せきりょう)とが結ばれて、深い印象を与えてくれるようです。

草も木も
  秋のすゑ葉は 見えゆくに
    月こそ色は\も かはらざりけれ
          式子内親王(しょくしないしんのう) 千載集325

草も木も
  秋の行く末に 葉を染めるように見えるのに
    月ばかりは色も変わらず……それどころか
  なおさら澄みわたるように思えます

 式子内親王といえば、『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を編纂して、今様を詠いまくった、平安のロックンローラーこと、後白河法皇の娘ですが、私たちにはむしろ藤原定家との恋のうわさや、『新古今和歌集』を代表する女流歌人として、よく知られているような人物です。

 和歌の内容は、
    「草木は紅葉に色づき、
       あるいは枯れてゆくのに、
      月ばかりは変わらない光を放っている」
という分かりやすいものですが、周囲が冬へと枯れゆくものだから、それに対比されて、変わらないはずの月のひかりが、なおさら澄みわたって眺められる。もちろん、大気が澄みわたるという理由もあるかもしれませんが、そんなニュアンスが込められているようです。特に、「月こそ」と表現した強調の「こそ」には、
    「まったくおなじLEDの外灯であるのに、
       夏には涼しげな親しみをもって眺められて、
      冬には突き放すような冷たさに感じられた」
以前とは異なって感じられるような印象を、
 ひそかに潜ませているような気配です。

 さらに二句目、三句目では、
    「秋の末になっていくように見える」
      「末の葉から、紅葉になっていくように見える」
という、二つのニュアンスを掛け合わせています。
 そのうち二つめの意味は、
    「すゑ葉は見えゆくに」
だけでは判然としませんが、下の句の「月だけは色も変わらない」から類推することにより、「すゑ葉は(色を変えて)見えゆくに」であることが悟れるという、なかなか凝った作りになっています。さらには、末の葉は落ちて、枝から月が眺められる。といった印象をも含むように感じられます。

 余情(よじょう)とは、
  このような、解釈しきれない事柄が、余韻となって、聞いた後まで残される現象をさすのかも知れませんが、さすが『新古今和歌集』の中でもきらめく女流歌人だけあって、繊細な表現をしたものです。

 けれどもいつしか、
   そんな紅葉さえ、
  やがては散り果てるものならば……

もみぢ葉の
  散りゆく方を たづぬれば
    秋もあらしの 声のみぞする
          崇徳院(すとくいん) 千載集381

もみじの葉の
  散ってゆく方を 訪ねてゆけば
    秋も今は 嵐の声ばかり 響いてくるようです

 ただそれだけの和歌ですが、
  言葉遊びも加えられています。つまりは、
   「おとずれてゆけば、嵐のような風ばかりが吹く」
  という意味の裏に、誰かにそのことを尋ねてみたら、
 「秋ももうあらじ」
つまりは、「秋はもうありませんよ」という答えが返ってきた。
 そんな意味を織り込んでいるのです。

 このような和歌が、興ざめを引き起こすか、それともかえって高め合うものか。それは、両方の意味を吟味してみれば分かることです。

 はじめの意味は、
  先ほど現代語訳にあげた通りです。
 もう少し加えるならば、紅葉の散りゆく方を訪れた理由は、秋が名残惜しいからです。あるいは紅葉の名残に逢いたいからです。隠れた意味としては、冬の侘びしさ、冷たさに触れたくないからには違いありません。
 ところが、訪ねたからといって、どこまで行っても、秋も今や、紅葉を散らす嵐の響きしかしてこない。冬を控えた現実の光景が、殺風景に広がるばかりです。きらきらとした秋はどこにもなくて、ただ「あらしの声」が響いてくる。つまりこの和歌の核心は、
     「枯れゆくものの華やかさみたいな、
        紅葉のいろどる秋もはや遠のいて、
       もはや冬を控えたような、
         あらしの声を残すばかりである」
去りゆくものを惜しもうとも、
  もはや取り戻せないような、
 木枯らしの様相を、
    詠んだ和歌になっているのです。

 すると、はじめに読み解いた、
   もうひとつの意味が生きてきます。
  その内容はただ、

もみぢ葉の
  散ってゆく方へ 尋ねてみれば
 秋はもうありませんよ
    そんな声ばかりが返って来るのです

なるほど、
 これだけ取り上げれば、似通った言葉を利用した、駄洒落のようにも響きますが、けれども「秋はもうありませんよ」という答えは、先ほど読み解いた表の意味そのものです。それを擬人法に見立てて、木枯らしの風が、
     「秋などもうないぞ」
と応答しているばかりですから、
     「秋ももうあらじ」
という洒落(しゃれ)が加わったからといって、興ざめを引き起こすどころか、おもての意味と結び合わされて、わたしたちを秋の終わりへと導くような気配です。つまりは情景描写という写実と、擬人法という空想、互いの意味が補いあって、より深い詩情へと、私たちをいざなっている。
 これこそ、写実主義や、空想主義などという、くだらないイデオロギーに陥って、互いを牽制していては、永遠(とは)に辿り着くことの出来ないもの。空想と写実が互いを高め合うような、真の詩の姿である。
 そう宣言したならば、
  ちょっと誉めすぎでしょうか。

   さて、こうして、
     紅葉さえ散り尽くしたら、
       秋の終焉を告げるべき和歌は、
         惜しむ思いばかりがつのって、
       もはや、神さえ恨むしかないようです。

今宵まで
  秋は限れと 定めける
 神代(かみよ)もさらに うらめしきかな
          花園左大臣家の小大進(こだいしん) 千載集386

今宵で
  秋は終わりだと 季節を定めたという
 神々の世さえ 恨めしく思われます

 この和歌のユニークなところは、
   「今宵まで(と)秋は限れ」
という冒頭が、
   「秋は今宵までであると限れ」
と宣言した刹那(せつな)の神々の声を、語り口調で表現しているところにあります。それによって、生で聞かされたような印象が生まれますから、三句目の「定めける」が、
   「そのように定めたものじゃった」
と、昔語りを、真実として話されたような効果をもたらし、
   「そんな神々の世さえ恨めしい」
という自らの主観が、安っぽい観念ではなく、実際に神々の掟があって、それにあらがうことも出来ずに、ただ恨めしがるような、リアルな情緒へと昇華されている。
 つまりは、神など信じなくても、わたしたちの力で、季節を留めることは出来ませんし、時の流れをくつがえすことも叶いませんから、それに対してやりきれなさを抱くならば、その思いを抽象的に神に当てはめたとしても、現代の私たちにも、どうにもならない自然への、畏怖やあきらめの観念として、たやすく受け入れられるのではないでしょうか。
 もとより、神々の語りかけという空想的な事柄を、三句目の「定めける」によって既成事実として、空想にたやすく溶け込むような自らの主観、すなわち「うらめしい」によって取りまとめるような、全体の構図もみごとです。

冬歌 巻第六

[朗読5]

霜さえて
  枯れゆく小野(をの)の 岡(をか)べなる
    ならのひろ葉に
  しぐれ降るなり
          藤原基俊(もととし) 千載集401

霜は冷たく、冴え渡り
  枯れてゆく野原の 岡のあたりに立っている
    楢(なら)の枯れ残った広葉に
  しぐれがぱらぱらと降るのです

 枯れ野の小高いあたりには、
  楢の木が立っています。
 わざわざ「小野の岡のあたり」と断ったのは、なにも言葉数に寄り添うような、浅はかなつじつま合わせではありません。それどころか、「小野」のひと言によって、ただ岡の上に、楢(なら)の木が目に付くほどの枯れ野であることが察知され、まさにデッサンの定番、野原に枯れ木が一本立つような、私たちの心理作用にいつの時代もマッチする、黄金の構図であることが分かります。
 もちろんこれは、陳腐と紙一重であることは、言うまでもありませんが、おそらくはこれが詠まれた時代には、まだ使い古されていないであろう、心理的な構図を使用したという一点でも、この和歌は取りどころがありそうです。けれども、この和歌を、今日においても、陳腐な落書きではなく、清新な詩としているのは、冒頭の「霜さえて」という表現に他なりません。

 たとえば、「霜が降って枯れゆく」くらいであれば、いつの時代でも、誰にでも思いつくような、したがって陳腐な感慨には過ぎませんが、「霜さへて」という表現には、
     「幾度となく、くり返された霜も、
        いよいよ、冷たく冴え渡ってきて」
という臨場感がこもりますから、

  これまでは、どうにか堪え忍んできた。
 残された紅葉もあったような、枯れかけの野原でしたが、今こそ霜は冷たく冴え渡り、こらえきれずに枯れ野へと転落した、その冬の一刹那(いっせつな)

  その現場に居合わせたようなリアリズムが、
   殺風景な情景となって、心に焼き付けられてしまう。
  それによって、「枯れ野に立つ一本の楢」
 ただ残された秋の名残のような、色づいたもみじ葉が、まだ落ちずに残されている場面が、鮮明に浮かび上がって来るのです。すると、その「ひろ葉」に、冬の到来を告げる時雨(しぐれ)が「ぱらぱら」と降り注いで来る様子が、
   「霜冴えて」
によってもたらされた枯れ野以上に、なおさら侘びしいものとして捉えられ、和歌を聞いている私たちまでも、冷たい雨に打たれているような錯覚を引き起こす。そうであるからこそ、この和歌は今日においても、心に揺さぶりをかけるもの、
 すなわち詩であると言えるでしょう。

 このようにして、解説を加えれば、きわめてデリケートな描写を試みた和歌であることに気づかされますが、さりとて、さらりと詠み流せば、さらりとして過ぎてしまうような、即興的なデッサンくらいにしか思われず、たわいもないひと筆書きとも錯覚させられるくらいの、ひっそりと川底を流れるみたいな、静かに宿る詩情というもの。
 つまりは、エゴを丸だしに、互いの頓智を競うような、グロテスクなまでの自我の発散。ナチュラルをはるかに凌駕した、色彩の統一もない、パーツごとの気ままな厚化粧とは、まるで正反対のもの。
 あるいは、笑わせるともなく、
  いつしか人を笑わさせてしまうような、
   落語の名人とも通じ合うような……
  藤原基俊という人は、
 たとえるなら、そんな名人芸を、
  詩情に宿す歌人なのかもしれません。

なには潟(がた)
  入り江をめぐる あし鴨(がも)の
 たま藻(も)の床(とこ)に 浮き寝すらしも
          藤原顕輔(あきすけ) 千載集433

難波(なにわ)の干潟(ひがた)あたり
   入り江を巡り暮らしている 蘆鴨(あしがも)は
  玉なすような藻を 寝床(ねどこ)にでもして
    浮き寝をしているのでしょうか

 当時、大阪湾のあたりは深い入り江になっていて、交通の要所でもありました。「難波津(なにわづ)」と呼ばれる港もあり、水と陸との境には、芦(あし)の繁るような「難波潟(なにがわがた)」と呼ばれる潟もあった。そこには冬になると鴨が訪れて、まるで藻(も)を寝床にするみたいにして、ぷかぷか浮かびながら首をからだにあずけて眠っているのです。

 ところで、冬の鳥と言えば、
  「鴨(かも)」「鴛(おし)」か、
   それは知れませんが、
 「蘆鴨あしがも)」というのは、「蘆/芦/葦(あし)」に生活をする鴨くらいの意味には過ぎません。続く「玉藻」の「玉」は美称であり、「豊かな藻」といったところ。「玉藻を床にして」眠っているという着眼点が、この和歌の取りどころと言えるでしょう。

 「浮き寝」というのは、ぷかぷか浮かびながら眠っているので、水鳥を表現するのによく使用されたものですから、珍しいところはありません。したがって、ありきたりの表現には過ぎず、深い情がこもるわけではありませんが、いつ眺めたとしても、首をかしげて眠っている鴨のイメージは、可愛らしくて喜ばしいものですから、もうそれだけで、若干の詩興は籠もるように思われます。
 ただし、当時の人々にとっては、「難波潟」という地名は、ありきたりの潟ではなく、それに応じて、この和歌から受け取る印象も、わたしたちの感じるものとはまた違っていたかもしれません。
 ここでは、詳細を突き詰めずに、
  今はただ鴨のちょこんと首をかしげて、
   眠るような構図のうれしさに、
  夢をゆだねて過ぎましょう。

   ちなみに、作者の藤原顕輔と言えば、
     前に見たように、『詞花集』の撰者だった人物です。

跡も絶え
  しほりも雪に うづもれて
 かへる山路に まよひぬるかな
          藤原実房(さねふさ) 千載集458

足跡も消えて
  道しるべさえ雪に 埋もれてしまい
    帰ろうとした山路に
  迷ってしまったものだなあ

 時雨(しぐれ)して、
  鴨の浮き寝を見る頃は、
   いつしか雪さえ降りつのる。
  それが冬の定めです。
    それはさておき……

 「迷ひぬるかな」
  (迷ってしまったものだなあ)
などと、のんびり構えている場合ですか。
 山路に迷ってしまったのですよ。冬の雪山ですよ。これは生死の問題です。なにを暢気に和歌なんか詠んでいる場合ですか。八甲田山では、進軍さえままなりませんよ。滅びの美学。ええい、みんな凍死です。いったいどうするつもりです。決死隊ですか、決死隊!

 どうか落ち着いて下さい、
  そんな切羽詰まった情況は、
   はなから、歌や詩には、なりっこないのです。
  これは、その場の情景を実写した訳ではありません……

 むしろ、このようなゆとりのある和歌を詠んで見せたという事実が、この和歌自体から察知されるとき、それは真の遭難の恐怖とは関わらない、もっと日常的な情緒から詠まれたものであること。それがわたしたちへと伝わってくるのではないでしょうか。

 つまりは、足跡どころか道跡さえ雪に埋もれて、道しるべにしていた対象物さえ消えてしまったけれど、詠み手にはまだ慣習的に方角が定められ、道を見失ったわけではありません。そのゆとりがあって、かつ、道が絶えたような錯覚に囚われたから、藤原実房は、
    「かへる山路にまよひぬるかな」
と詠んだのです。
 したがって、この「迷ひぬる」は、実際の迷子ではありません。日常世界を置き去りにしたような雪一面の中にあって、その情景のうちに惑うような気持ちに囚われた。その時の心情を詠んでいるものですから、「迷子」とはたましいの迷子であって、遭難の焦燥(しょうそう)が抜け落ちているのです。地理的に確かであるはずの場所が、いつもとまるで異なる世界へ変化したときの、こころの迷子に囚われて、その光景に呆然と見とれるような心象スケッチ。とでもまとめておきましょうか。

 ちなみに「しほり」とは、歴史的仮名遣い(これは当時の正しい仮名遣いなどではありませんが)なら「しをり」と書きますが、もともとは山道などの枝を折ったりして、道しるべを残しておくものでした。それが残される印として、今ではページに挟み込むような「しおり」となっているのです。

 もう一つ雪の和歌を。
   これも定番の着想ですが、
  雪が積もれば、友は来ないという構図です。

ふる雪に
   軒ばの竹も うづもれて
 友こそなけれ 冬の山ざと
          よみ人知らず 千載集462

降る雪に
  軒端の竹までも 埋もれてしまい
 友さえ訪れない 冬の山里よ

 ただでさえ人影の少ない山里であるのに、雪に閉ざされて友さえ訪れないさみしさを詠(うた)ったものです。「友こそないものである」と強調したところに、せめて語り友だちくらい欲しいのに、それさえ叶わないような、独り身の侘びしさがクローズアップされて、その庵(いおり)もさぞかし粗末なものであろうと、邪推まで浮かんでくるような和歌になっています。

 このような、
  「よみ人知らず」の和歌は、
 中には詠み手を隠したものすらあるようですが、市井で同じような表現を口ずさむうちに、かたちを整えていたいったような、素朴で分かりやすい和歌も多く見られます。この和歌においても、
   「軒端の竹さえ雪に埋もれて、
      会えなくなってしまったけれども、
     ことにこたえるのは、
       友だちの来なくなってしまった、
         そんな冬の山里です」
 つまりは、
  竹まで埋もれたけれど、さらに堪えられないのは、友の訪れが絶えたことであると、上の句との対比において、下の句を切実なものへと至らしめている。そのさりげない巧みさは、職人芸の極致というよりは、市井にシャッフルされて生まれたような、質朴(しつぼく)な単純性に委ねられているように思われて来ます。
  (だからといって、これが個人の作品ではない、
     という保証はまったくありません。
    あくまでも和歌の傾向を述べているまでです。)
 もし「よみ人知らず」の選集でも作ったら、
  さぞかし魅力的なアンソロジーにはなることでしょう。

 さて、雪さえ積もりがちに、
  いつしか年の暮へといたるのが、冬の和歌の定めです。

あはれにも
   暮れゆく年の 日かずかな
 かへらむことは 夜の間とおもふに
          相模(さがみ) 千載集471

しみじみと思うことは
   暮れゆく年の 残された日数について……
 はじめの日数にもどることは
   年明けの夜の
     わずかな間には、過ぎないのだけれど……

 年の暮れになると、ふと残された日数のこと、なし得なかった事柄への後悔や未練、まるで降りつのるみたいな回想にさいなまれ、一日一日が名残惜しくも思われる。それを「哀れにも」と述べたものです。

 しかし、やがて年は、大晦日(おおみそか)の夜に改まり、人々はまた新年(あらたま)の日数に安心し、「哀れ」を催すような感慨も、泡沫(ほうまつ)のはじけて消えてしまう。それも「夜の間」のことには過ぎないのだ。そのような感慨ですが、もうひとつ別の意味が込められています。

しみじみと思うことは
   暮れてゆく年齢の 残された日数について……

という思いが、どちらがおもてというより、裏表なく二重螺旋の意味として、この和歌には込められているようです。そうであればこそ、

年の明けて、はじめの日数にもどることは、
   ほんのひと夜の間だとは思うのだけれど……

の言い尽くされなかった余韻として、

けれども、わたしの暮らした歳月は、
  決して戻ることはないのです。

という思いが込められている。
 そればかりでなく、「夜の間と思ふに」には、
  さらに、次のような意味も内包されているようです。

しみじみと思うことは
   暮れてゆく年齢の、残された日数について……
  夢や思い出が、かつての時へと返ることは
     わずかひと夜にも出来るのに……

    けれどもそれはつかみ取れない
       回想という名の
     蜃気楼には過ぎないのでした。

 ところで、意味も内包しているというのは、なにも発掘調査や科学的リサーチでもって、ようやく明らかにした訳ではありません。ただ、詩を読み返しているうちに、そんな意味も自然と湧いてくる。それはこの和歌の詠み手が、はじめから幾つもの思いを束にして、ひとつの和歌を紡ぎ出しているからに他なりません。
 この和歌は分かりやすい内容でありながら、先ほど述べたような複数の意味が、渾然一体となって聞き手に伝わってくるので、深みのある和歌になっているのです。
 そろそろ四季を離れましょう。
   次は『離別』の和歌に移ります。
     その前に、ちょっと coffee break
   しばしの、休憩といたしましょう。

           (をはり)

2014/05/21
2014/07/20 改訂
2014/11/30 再改訂+朗読

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