さて、当初の予定では、
『新古今和歌集』へ向かおうかと思いましたが、
これまでの数十歩の皆さまの歩みでも、なにも知らない以前よりは、『八代集』の和歌にどれほど近づいたか、その証明というほどでもないですが、ここで金曜日のひとつ前の、四番目の勅撰和歌集を紐解きながら、その確認をしてみるのも、おもしろいかも知れません。その名は……
どうも驚く、
『ご祝儀(ごしゅうぎ)和歌集』
祝いの和歌ばかりをひたすら集めた、
世にも珍しい勅撰和歌集……
……ではありません。
ただ『三代集(さんだいしゅう)』の最後を飾る、『拾遺集(しゅういしゅう)』の後に編纂されたから、『後拾遺(ごしゅうい)和歌集』。実に安易なネーミングには他ならないものです。
ここで大切なことは、古語の単語の一つ一つに立ち止まったり、助動詞のなんたらさんや、助詞のかんたらさんなどと、細かいことは気にしない。とりあえず、原文をそのままに、何度も口に出して唱えること、あとは取るに足らないわたくしめが、その和歌の詩意を、現代語に移し換えるくらいの、ざっくばらんな翻訳をしておきますから、おおよその意味を受け取りながら、全体のニュアンスを感じ取ってみてください。
これまでのように、一つ一つの和歌にはあまり留まらず、注意点のみを若干記しておくばかりですが、おそらくはあなた方は、それほどの苦労もなく、わたしについてこれるかと思うのです。もし、そうであるならば……
あなた方もまた、
はじめてページを開いた時よりは、
わずかに『八代集』の大海に、
知らぬ間に身を投じているのです。
なんだか、大海原(おおうなばら)の愉快です。
さて、はじめに眺めた『金葉和歌集』が、白河院(しらかわいん)(1053-1129)の命により編纂されたことは、覚えておいででしょうか。
その白河院が、白河天皇として在位(1073-1087)していた期間に命じて、編纂されたのがこの『後拾遺和歌集(ごしゅういわかしゅう)』に他なりません。その勅命は1075年。完成して奏覧されたのが1086年ですから、この和歌集はまさに、白河天皇時代に生みなされた勅撰集であると見ることが出来るでしょう。
撰者は、
藤原通俊(ふじわらのみちとし)(1047-99)。
彼の妹共々、白河天皇のお気に入りの歌人として活躍し、ついには勅撰和歌集を任された人物ですが、はたして彼の力量は、どれほどのものであったものか……
当時の歌壇(かだん)の中心人物であり、藤原公任にも喩えられるような、源経信(みなもとのつねのぶ)(1016-1097)と言えば、桂大納言(かつらだいなごん)とも呼ばれる、多芸多才の人物でもありましたが、この勅撰和歌集は、彼の意見を参照して、編纂されたとも言われています。
ところで、『拾遺和歌集(しゅういわかしゅう)』までを「三代集(さんだいしゅう)」と呼ぶように、いつしか古典としての「三代集」、近代のアンソロジーとしての『後拾遺集』以後という見方が生まれてきたようで、『千載集』の撰者である藤原俊成(ふじわらのとしなり)の執筆した『古来風体抄(こらいふうていしょう)』には、『後拾遺集』以降、歌のあり方が少しずつ変化していると書かれています。
一方で、俊成にせよ、鴨長明(かものちょうめい)の『無名抄(むみょうしょう)』にせよ、幾分かこの『後拾遺集』に対して批判が見られるのは、はたして真実なのかどうか。
今はそこには触れずに、
ただ、和歌を紹介してまいりましょう。
もちろん、見るべき和歌はあるのですから。
春の来る
道のしるべは み吉野の
山にたなびく かすみなりけり
大中臣能宣(おおなかとみのよしのぶ) 後拾遺集5
春のやってくる
道しるべとは み吉野の
山にたなびいている かすみなのです
大中臣能宣は、二番目の勅撰和歌集である『後撰(ごせん)和歌集』の撰者の一人。彼らには「梨壺(なしつぼ)の五人」という、戦隊ものみたいなニックネームがつけられています。この和歌でユニークなのは、春が来たから霞(かすみ)が立つのではない、かすみが道しるべとなって春を連れてくるのだ。そう詠んでいるところにあります。
谷川の
こほりもいまだ 消えあへぬに
峰(みね)のかすみは たな引きにけり
藤原長能(ながとう/ながよし) 後拾遺集11
谷川の
氷さえ未だ 消えきらないのに
嶺にはかすみが
たな引いているのです
寒さの残るうちにも、かすみばかりはたなびいて、春の気配を感じさせるような和歌ですが、冷たく閉ざされた氷のイメージと、気体となって立ちのぼる水蒸気の対比は効果的です。この藤原長能という人は、あまり和歌に対するきまじめが過ぎて、藤原公任のつい口にした批判に耐えられず、病になって亡くなってしまった。そんな逸話が残されているような、和歌に命をかけた男なのでした。
あの頃は、そんな男たちが大勢いた……
今では詩人さえも、サラリーマンの様相です。
あるいは芭蕉のように、時代の風潮に反旗をひるがえすような、あるいは太宰治のように、自らの文芸の理想のために、生命を削り取るような愚か者は、今ではどこにもいないようです。わたしはそんな愚か者には、加わる資格すらないのですけれども……
ふるさとへ
ゆく人あらば 言づてむ
けふうぐひすの 初音(はつね)聞きつと
源兼澄(かねずみ) 後拾遺集20
ふるさとのみやこへ
向かう人があったら 伝言を頼もう
今日うぐいすの 初音(はつね)を聞いたと
この和歌は、実際は恵慶法師(えぎょうほうし)の和歌であるらしいのですが、詞書(ことばがき)から逢坂の関(おうさかのせき)という、みやこと地方をへだつ有名な関所で詠まれたものとなっています。
関所に集う「行く人、来る人」に思いを委ねて、自分はふるさと、つまりはみやこを離れてしまうけれど、みやこへ戻るひとがあれば、せめて伝言を頼もうというシチュエーション。うぐいすの初音(はつね)とは、今年はじめて聞く、うぐいすの鳴き声です。
うぐいすが山間から、麓へと降りて来るものならば、やがてはその鳴き声がみやこへも届くだろう。春を待ちわびる友だちに、いち早く知らせてやりたいけれど、みずからは遠くへ旅立つばかり。せめて伝言だけでも、誰かに頼みたいものだ。
その言づてを最後のあいさつに、わたしは旅だってゆくのだ。そんな凛々しい思いと、みやこが恋しくて、今すぐ友人のもとへ訪ねていきたいような、ちょっと女々しい気持ちが、わずかな葛藤(かっとう)のように感じられたら、この和歌は成功していると言えるでしょう。
池水の 水草(みくさ)も取らで
青柳(あをやぎ)の 払ふ下枝(しづゑ)に
まかせてぞみる
藤原経衡(つねひら) 後拾遺集75
池水の 水草さえ取らず
ただ青柳の みなもを払うようにしだれる下枝に
任せては眺めているのです
自らの管理する池水であれば、水草も取り除くのが、美しく保つためのマナーには違いないのですが、風に吹かれては水面(すいめん)を払うような柳の下枝が、まるで水草の掃除でもしているように見えるので、これもまた一興かと、不思議な風流に取り付かれて、風に任せて眺めているのです。
「水草も取らずに」と置いたことによって、若い水草のはびこる様が、上方の青柳と対比され、「払う下枝(しずえ)」によって、池水を焦点に結ばれつつ、風の吹き抜ける、動的な臨場感を加えている。
ちょっとずぼらなところを、何となく語りかけただけのような初めの二句が、実はこの和歌の構図を定め、情景を豊かにしながら、水草も取らずにそれをぼんやり眺めているような、詠み手の心理状態を、結句に取りまとめているあたり、さりげない巧みが光ります。
思ひやる
こゝろばかりは さくらばな
たづぬる人に 遅れやはする
祐子内親王家(ゆうしないしんのうけ)の駿河(するが)
後拾遺集86
思いをはせる その心だけは
さくらの花を
実際に尋ねて 眺めた人たちに
どうして遅れたりするでしょう
第三句の「桜花」が、上の句に対しては、
「桜花に思いをはせるこころばかりは」
として掛り、下の句に対しては、
「桜花を尋ねた人に、遅れるだろうか」
として掛かっています。
つまりは、ひとつの言葉として、同じ意味のまま、
両方の文脈に掛かっているのが効果的です。
もし散文であれば、
「桜の花を思うこころだけは、
実際に眺めた人に劣るものではない」
という、取るに足らない発想を、
「思うこころだけは、桜の花を」
と倒置することによって「桜の花を」を三句目へと渡らせ、
体言止めに文脈を区切ることにより、その印象を強くし、改めて、
「桜の花を尋ねた人に」
と、下の句の主語として利用しているのです。
なるほど、倒置法と体言止めの、教科書のような和歌になっていますが、技巧的な印象などまるでない、即興的な響きがするならば、その策略は、詩のうちに成功していると言えるでしょう。
[ワンポイント]
・「体言止め(たいげんどめ)」というのは、「~です」「~た」などを加えず、体言つまり名詞や代名詞でもって「ほろ酔いの酒」とか「お洒落なわたし」と文章を終えることです。その名詞を心に留めさせるような効果がありますので、「宿題を忘れたな、鈴蘭響子」と体言止めされたことにより、強い印象を受けた響子さんが、学校を休んでしまうような、強いインパクトを与えることも可能です。
もちろん、聞き流してしまえば、すぐには悟れないにしても、この和歌は、それだけの技巧をこらしているからこそ、日常的な会話よりは、格調の高い精神が感じられるような気にもなるのです。
……けれども、
次の能因法師(のういんほうし)のものは、もっと単純に、思いついた着想をそのままに、すらすらと詠んで、なお詩情へといざないます。このような和歌は、初学者に取っては、ぜひ真似して欲しいような和歌の手本と言えるでしょう。
さくら咲く
春は夜だに なかりせば
夢にもゝのは 思はざらまし
能因法師 後拾遺集98
さくらの咲く
春はせめて夜さえ なかったならば
夢にまで桜のことを 思い悩んだりしないのに……
もっとも、着想はなかなかにユニークで、
なかなか初学の思いつく内容ではありません。
また、言葉への思いの込め方も、
「夢にさえ、いつ咲くか、今は見頃か、
やがては散りゆくかなど、桜について、
あらゆることを、思い悩んだりはしなかったろうに」
くらいの意味をひっくるめて、
「夢にも物は 思はざらまし」
と代弁しているあたり、たまたま浮かんだ表現におぼれてしまうような、初学のなせる技ではありません。さすがは能因法師(のういんほうし)、伊達に西行法師(さいぎょうほうし)や松尾芭蕉(まつおばしょう)の先輩とされる人物ではありませんね。
感服いたしました。
わが宿の
こずゑばかりと 見しほどに
よもの山べに 春はきにけり
源顕基(みなもとのあきもと) 後拾遺集106
わたしの住みかの
花のつぼみをつけた梢だけが
ようやく春めいてきた
そう思って眺めていたのに
四方の山々に、一斉に春は訪れたのです
庭先の木のつぼみという近景に感じた春が、いつしか花開いて、四方の山辺を覆い尽くす。焦点のダイナミックな拡大が、喜びを誘うような和歌ですが、その表現はきわめてデリケートです。
なぜなら、わたしの住みかの周囲であるならば、わたしの庭と同じように、木々はつぼみをつけている筈ですが、わたしはそれには気づきません。ただ身近にあって、「花はまだか」と待ちわびる思いが強いために、毎日よく観察するものですから、ようやく庭先につぼみを発見したのを、
「わたしの庭先の梢にだけ、春は訪れた」
と感じた訳です。
つまりは、わざわざ「こずゑばかり」と記したのは、決して庭木にだけ花が咲いたことを意味しているのではありません。それは同時に、「まだこずゑばかりが目につく」というようなイメージを内包し、あるいは咲く前のつぼみの、ほころぶのに始めて気づいたような印象を、表現したかったものと思われます。
それが下の句の、
「四方の山辺に春は来にけり」
では、もう確かめるまでもなく、あたりは一面、花に覆われているような印象です。もちろん、わたしの庭もまた、花に覆われている。つまり上の句は、待ちわびていた花の頃を、ようやく身近に感じ始めたような期待が記されているのですが、下の句に入るとあたり一面『花の咲き誇る』よろこびが、広がるように感じられるものですから、聞かされている私たちでさえ、うれしさがこみ上げてくるという仕組みです。
その策略が成功しているのであれば、
この作品は散文であろうと、律文(りつぶん)であろうと、
すぐれた詩には違いありません。
天皇や上皇の和歌が、しばしば現代人の感性に寄り添うのは、おおらかな表現が、統治者には相応しいとされたせいでしょうか。あるいは幼い頃から、自らの情緒を妨げられることなく、のびのびと表現することが許されたからでしょうか。こんな可愛らしい表現は、『八代集』のなかでも珍しいくらいです。
三千代(みちよ)へて
なりけるものを などてかは
桃としもはた 名づけ初(そ)めけむ
花山院(かざんいん) 後拾遺集128
三千年を経て
実をつけるものを なんでまた
百(もも)なんてまあ 名づけはじめたのでしょう
実は、中国の西王母(さいおうぼ)という仙女の故事に基づくもので、三千年に一度だけ実をつける西王母の桃を食べると、不老長寿を得ることが出来るといったものですが、そのような故事を踏まえつつも、
「三千年もかかって実るのに、
なんで『百(もも)』なんてつけたのだろう」
なんて、故事を母親から聞かされた子供が、つい答えてしまったような、たわいもないひらめきに身を委ねています。それで、ちょっとあどけないような素直さをもった、かわいらしい詩に仕上がっている。着想を和歌に仕立てようと、わずかでも欲が籠もったら、もうこのように詠むことは叶いません。
たとえば次のものなどは、着想を三十一字におさめようと、言葉を込めすぎて、少々賑(にぎ)わしいくらい。ただし、蛙の声を、ここまで騒がしく描ききった和歌もまた、他にはありません。浮かび来る情景が、いつしか心に通うなら、これもまた、優れた和歌だとは言えるでしょう。
みがくれて
すだくかはづの もろ声に
さはぎぞわたる 井手のうき草
良暹法師(りょうぜんほうし) 後拾遺集159
水に隠れて
しきりに鳴いている蛙の 互いのかけ声に
騒ぎ渡っているような 井手の浮き草であることよ
京都府井手町を流れる玉川を中心に、周囲の池や沼などを合せて、山吹と蛙(かわず)の名所とするような、井手(いで)を歌枕に詠んだものです。
その詠まれた情況や、この蛙(かえる)はどのような蛙であるか、詠み手の思いに近づくのも和歌の楽しみではありますが、一方で、私たちのあたりきの感性で、捉え直せるからこそ、和歌は生命力を保つものであるならば……
今はただ、水田に騒ぐ蛙(かわず)くらいで、
寄り添ってみるのも悪くはありません。
「みがくれて」には「水に隠れて」の意味も「身を隠れて」の意味もありますから、なおさら蛙の姿は見あたりません。ただ風が吹き付けて、水草を揺らしている。本来なら「ざわざわ」と鳴りそうなところですが、声ばかり響く蛙(かわず)どもがあまり騒がしいので、水草がいち面に震え渡っているように思えてきた。そんなイメージが浮かんでくるようです。
特に「すだく」は、「群がって騒ぐ」「集まって鳴く」という意味で、「もろ声」は「互いにあげる声」を指しますから、二重に強調されたその鳴き声は、天にも聞こえるかと思われるくらい。あまりの響きに、水草が一斉に振動しているような、騒がしい蛙(かえる)の声ばかり、鳴き渡るような和歌に仕上がっています。
次の和歌は、もはや何の説明も必要ありません。
ただ情景に身を委ねたような、飾り気のないリリシズムは、八代集のなかでもユニークなくらいのものですが、わたしたちの感性にはよく馴染みます。
沢水(さわみず)に
空なる星の うつるかと
みゆるは夜半の ほたるなりけり
藤原良経(よしつね) 後拾遺集217
沢の水に
夜空の星が うつるのかと
見えたのは夜半の
ほたるの影でした
「夜半の」というひと言は、さりげなくして見事です。
次は夕べの涼しさに、秋を感じるような和歌。
夏山の
ならの葉そよぐ ゆふぐれは
ことしも秋の こゝちこそすれ
源頼綱(よりつな) 後拾遺集231
青く繁る夏の山だけれど
楢(なら)の葉をそよがせる 夕ぐれの風を感じると
今年ももう秋であると
そのようなセンチメンタルにとらわれます
「今年も秋」という表現には、「今年ももう秋」であるという思いばかりではなく、毎年この時期になれば感じることだけれど、「今年もまた」秋のような気持ちがしてきました。そんな思いも込められているようです。
冒頭に「夏山の」と断言してから、秋の気分を呈示しているために、夏の終わりに感じた秋の気配という情景が、明確に浮かんでくることも好印象でしょう。それでは、わたしたちも秋へと参りましょう。
天の川
とわたる舟の かぢのはに
思ふことをも 書きつくるかな
上総乳母(かずさのうば) 後拾遺集242
天の川へ
漕ぎ出す舟の 舵(かじ)の端(は)に
あなたへの思いを 書きつけましょうか
by 彦星
梶の木(かじのき)は神聖なものとされ、七夕まつりでも使用されますが、かつてはその梶の葉に、和歌を書きしるすことも行われていました。それが今日に伝わる、短冊に願い事を掛けるような、七夕飾りのルーツとなっているようです。
そんな梶(かじ)の葉を、舟の舵(かじ)に見たてて、一年に一度の逢瀬(おうせ)に思いを馳せながら、その気持ちを和歌にしている。そんな内容ですが、実はこの和歌の本意は、先に挙げたような、彦星の生き様にはなく、上総乳母(かずさのうば)が、自らの行為を記したものに過ぎませんから、次のようなものになります。
天の川を漕ぎ渡る舟の舵(かじ)の端(は)
まるでそれを思わせるようなこの梶の葉に
思うことなどを、書きしるしましょうか
つまりは「梶の葉っぱ」に、
思うことを記すことが、この和歌の本意になります。
ところで上の句は、序詞(じょことば)と呼ばれる技法を使用しています。なにしろ「梶の葉」は、実際には舟の舵ではありませんから、
「天の川とわたる舟の梶の葉」
では意味が通じません。逆に、
「梶の葉に思うことを書き付ける」
という行為は、上の句の「天の川を渡る舟」
とは直接関係ありません。ただ「かぢのは」という言葉に、
「舵の端(はし)」
「梶の葉っぱ」
という二つの意味を重ね合わせることにより、これを基点にして、二つの異なる内容をつないでいるに過ぎないのです。
結論を述べれば、
この和歌において上の句は、
「梶の葉に思うことを書き付ける」
という内容の主語、「梶の葉」を導き出すための修飾です。
けれども、それがちっとも不自然でないのは、
「空には彦星が舵の端に」
「地上ではわたしが梶の葉に」
という関わりのない事象が、「たなばた」という特別な日によって、恋人への願いを込めるイメージとして結ばれ、序詞(じょことば)と本意の精神を、一体化させているからに他なりません。
もしこれによって、
「梶の葉に思うことを書き付ける」
というたわいもない表現が、七夕の二星(にせい)の恋わずらいと結びついて、詠み手の特別な情緒として、聞き手に感じられたとすれば、それは序詞という技法のおかげには他なりません。
次は口直しではないですが、
単純明瞭な和歌をひとつ。
すむ人も
なき山ざとの 秋の夜は
月のひかりも さびしかりけり
藤原範永(のりなが) 後拾遺集258
住んでいる人さえ
いない山里の 秋の夜は
月のひかりもまた さびしいものですね
あるいはまた、
「住む人」には「澄む人」が掛け合わされ、
月に興じるような
澄んだこころの人もいない山里の
秋の夜であればこそ
共に眺める者のない
月のひかりもさびしく思えます
そんな思いさえ、内包しているのかもしれませんが、感興(かんきょう)を催すほどの秋の名月さえも、人さえいなければ、さびしく思われるばかりである。そんな内容です。さらに分かりやすく述べるなら、
住む人の
集ふみやこの 秋の夜は
月のひかりも うれしかりけり
と反対のことを述べている訳です。
ところでこの和歌の「秋の夜」は、
ちょっと説明がくどいように思われ、
「ゆうぐれは」くらいの方が、無難な気もするのですが、何度も噛みしめているうちに、まさに「秋の夜は」のうちに、この和歌の思いが込められていることを知るのです。
ここでは、詳細は説明はいたしませんが、皆さまも何度も口に唱えてみたらよいかと思います。もしこのキーワードが、最終的に「秋の夜は」以外にあり得ないと感じたとき、その言葉は、この和歌において、
「動かせない言葉である」
と述べることが出来るでしょう。
たやすく動かせるうちは、詩は完成していません。まして、いくらでも動かせる言葉を、こねまわしていびつなものを捏造するのは、着想ひけらかしのお披露目パーティーには過ぎないものです。たとえば、
白き霧
ながるる夜の 草の園に
自転車はほそき
つばさ濡れたり
高野公彦(たかのきみひこ)
下の句の、
「自転車はほそきつばさ濡れたり」
には、自然な表現によって相手の心理と共感を引き起こすのとは、まるで正反対のもの。仮面舞踏会みたいな厚化粧がほどこされていて、つまりは、局所的なナチュラルでないデフォルメが、けばけばしくも着想の嫌みを誘います。
「自転車の細いつばさ」
など、比喩にしても、一度知性的考察を経なければならないような、独りよがりのフィーリングには過ぎません。しかも、それがハンドルの形をたとえたものなのか、その自転車は走っているものなのか、あれこれ考えるにしても、初めからフィーリングに過ぎないことが、聞き手には明確なものですから、あれこれと考えさせられることが、非常に不愉快に感じられるのです。つまりは取って付けたような、おめかしには過ぎませんから、
「羽根を濡らして消ゆる自転車」
であろうと、
「自転車はつめたきつばさ休めて」
だろうと、あるいは着想をまるで変えて、まったく別の「下の句」を詠みなそうとも、そうでなければならないような必然性はまるでなく、どのように動かしても、差し支えがないものです。特に「ほそき」というのは、まったく不要の説明で、初めからたまたまの比喩に過ぎないことが明白な「つばさ」の幅が広かろうと、細かろうと、情緒的に得られるものなど、なにも無いという不始末です。
写実と空想のことはともかく、安易なフィーリングに己惚れたような和歌には、このような失態が多いのも事実です。これなどは、いくら動かしまくっても、それに釣られて全体が付いてくるような、必然性のない短歌には過ぎませんが、それにしても……
そのようなこと以前に、
どう見ても現代文の構文なのに、中途半端な古語もどきを使用して、いかなる時代の言語とも異なる、『サークル言語』を捏造していますから、まだしも社会の辺境に形成される、生きたスラングなどよりも、はるかにいびつであると言えるでしょう。
(しかも、「濡れつつ」くらいの継続を余韻として残すならまだしも、「濡れたり」では、「自転車は細いつばさが濡れた」と言っているだけなので、「つばさ濡らして」くらいの心情へとつながる印象さえまるでなく、ただ事実を説明した傾向がきわめて強いのですが、そうすると「つばさ」という比喩が、事実からはぐれた嫌みとして浮かび上がり、よほど「自転車は濡れていた」と真実のみを語られた方が、詩情が湧くくらいのものです。ちなみに、「つばさも濡れてねむる自転車」などと詠んだ方が、古語など使用しなくても、よほど古典らしく響くようです。)
それだからなおさら、
言葉に対する感受性を持った人々には、
不愉快を誘発してはばからないのです。
なんだか嫌な気分にさせられてしまいました。
紹介したわたしがおろかです。
……口直しに、愉快な和歌を。
秋も秋
今宵も今宵 月も月
ところもところ 見る君も君
よみ人知らず 後拾遺集265
気取るというのは、厚化粧をすることではありません。
同じように、愉快とは、韜晦や頓智のことではありません。
もっと率直に、言葉とたわむれたものには違いないのです。
けれども……
よりによって、『八代集』ともあろうお方が、こんなたわけた和歌を、掲載するはずがないではないか。さては先ほどのうっぷん晴らしに、わたしたちを愚弄するための、筆者のたくらみではないのか!
いいえ、違います。違います。
どうか、落ち着いてください。
これはまぎれもなく、
『後拾遺集』に含まれる和歌なのです。
実は八代集というものは、ただ秀歌のみを、均質に並べたものではありません。このような言葉のリズムと戯れたもの、駄洒落に終始したような和歌、そうかと思えば、ことわざや教訓として採用されたのではないかと疑わしいもの、時には撰者が、
「あまりにも下手面白しくて捨てきれない」
という理由で勅撰したとしか思われないような駄歌までも、(もちろん外部の圧力とも邪推されますが、)きわめてバラエティー豊かに収めているのです。
つまりは、和歌が詩型として生きていた頃の、多様なおもしろさを秘めた万華鏡といったらよいでしょうか。ですから、その内側に一歩踏み込むことさえ出来れば、わたしたちの感受性にただちに響いて来るような、ゆかいな詩興にあふれているのですが……
それにしても……
そのおもしろみをまるで抹殺して、
屁理屈やら技法、さらには、
「助動詞のなんたらさんが、
活用したとか、
体言止めなされた」
とか、訳の分からない解説で煙に巻いて、どうにか和歌を嫌いになるように、あの手この手を駆使する、教科書片手の teacher どもの、なんと悪意に満ちた destroyer ぶりでしょう。わたしもかつては、駆逐されかけた一人ですが……
さて、そんなことよりも、
今は歌の解説を進めましょう。
この和歌はもとより、同じ言葉、同じ着想の繰り返しにより、反復されるリズムを楽しんだものですが、ひたすら助詞の「も」を使用した点と、最後に「見る君も君」と反復の一瞬途切れたところに、おのずから注意点、つまりはクライマックスが形成されるというあたり、よくまとめられていると言えましょう。現代語の意味を加えて訳すなら、
秋もまさに秋
今宵もまさに今宵こそ 月もまさに名月であるならば
それを眺める場所もまさにこの場所こそ相応しく
眺めるあなたも、まさに名月に相応しいあなたである
かなり理屈めいた翻訳をしましたが、実はこの和歌そのものが、考えもない言葉遊びではなく、このような思いを内包したものであるからこそ、初めは馬鹿にされたようなお遊びには思えるものの、ちょっと覚えてくり返したくなるような、ある種のチャーミングな魅力を備えているのです。
つまりは、唯一反復されない「見る君」によって、繰り返される「君」が特別なものとしてまとめられますから、この和歌は特別なある人を讃えた和歌として読み取れるのですが、そこに気がつくと、リズムで遊んでいただけのような全体が、「君」を讃えるために、
「季節と時にかなった名月、
それを眺める場所」
すべてを兼ね揃えた、最高の名月であることを呈示しながら、まさに眺めているあなたこそ、その名月に相応しい者であると、名月に対比して「君」を上位に置いたような……
つまりは、詩上最強のおべっかを、
見事に呈示しきったようにも聞こえて来るのです。
ところが、そのようなへりくだった印象は、何度読み返しても感じられません。それよりも、言葉で遊んでいるような印象が濃厚です。実はそれこそが、この和歌の作者(といっても詠み人知らずですが)のねらいで、あくまでも言葉のリズム遊びの内側に、相手を讃えているものですから、どこまでいっても、詩としての面白みが勝り、この和歌の真意である、
「詩上最強のおべっか」
を見事に包み隠してくれているのです。
ここまで見てくると、はじめはちょっとからかわれたような気もした和歌ですが、いつしかその言葉の繰り返しが、非常に魅力的なように思われてはこないでしょうか。それは確かに、その真意を知ってしまったからに違いありませんが、そうであるならば……
つまりはこの和歌は、
「詩上最強のおべっか」
を織り込ませることによって、ただの言葉遊びを、明確な意図を持った魅力的な技法へと、昇華させてもいるのです。
……ここまで、悟ってしまったら、きっと、あなたにとっても、この和歌は、魅力的な和歌に、ならざるを得ないのではないでしょうか?
もちろん、決めるのはあなたですけれども……
おそらくは、撰者もまた、
同じように考えて、
これを採用したには違いありません。
秋の野は
折るべき花も なかりけり
こぼれて消えむ 露のおしさに
源親範(ちかのり) 後拾遺集309
秋の野には
折ってよい花など ありません
触れたらこぼれて 消えてしまう
露のしずくが 惜しいものだから
ある花を折り取ろうとしたら、露のしずくがきららめくので、こぼれて散らすのが惜しい気がしてきました。別の花にしようと思ったのですが、やはり露のしずくがきららめくので、なんだか惜しくて止めました。そうしたらもうどの花も、露をつけているものですから、すべてがなごり惜しくて、もはや折り取ることなど出来なくなってしまいました。そんな和歌です。
さて秋上が長引きましたので、秋下は採用せず、準急のいつしか過ぎましょう。『後拾遺集』してからが、秋下の和歌は、秋上の半分以下しかありませんから、なにも各駅停車を試みなくてもよいのです。
みやこにも
はつ雪降れば 小野山の
まきの炭がま たきまさるらむ
相模(さがみ) 後拾遺集401
都にも 初雪が降りました
今ごろ小野山の 真木をくべた炭窯も
いよいよさかんに 炭を焚いていることでしょう
「小野山」は、京都市大原あたりの山で、炭にするための木、すなわち真木(まき)を釜(かま)にくべる、炭の名所として知られていました。みやこからは東北の山間にあるため、
「みやこでさえ初雪が降ったのだから、
すでに雪に埋もれた小野山のあたりでは、
いよいよ炭を作るために、
窯が赤々と燃えているのだろう」
つまりは「雪の降る夜は燃えろよペチカ」という印象を、もっと壮大に詠んだものと言えるでしょう。白く冷たい雪と、赤々と燃えさかる真木の対比が、うまく生かされています。
次は同じ炭でも、
炭火の前に縮こまって思う和歌。
うづみ火の
あたりは春の こゝちして
散りくる雪を 花とこそ見れ
素意法師(そいほうし) 後拾遺集402
埋み火の
あたりだけは 春の気持ちがします
散ってくる雪を 花と思って眺めれば……
「埋み火」とは、
炭の火を絶やさずに、翌日また使用するために、炭を半ば灰の中へ埋めて、ぎりぎりの酸素供給量で燃やすというやり口ですが、もちろん、乏しくなった埋み火くらいでは、暖を取ったからといって、とても雪の寒さを忘れることなど叶いません。
ですから、この和歌の印象は、
「埋み火のあたりは春の気持ちがするので、
ほかほかして、散ってくる雪を花と眺めたよ」
などではありません。むしろ、
寒くてしかたないけれど、
それでも埋み火のあたりだけは、
かすかなぬくもりがあって、
いつかおとずれる、
春の気配さえするのです。
散ってくるあの雪を、
花と思って眺めれば……
といったニュアンスになるわけです。
(ちなみに、「花とこそ見れ」という表現は、学生をもっとも古文嫌いにさせる「係り結び」という奴ですが、そんなことは今はどうでもよいことです。ただ「まさに花と」くらいの強調表現であると捉えておけば十分です。)
もし雪の寒さと、埋み火の侘びしさを実感しないで、言葉づらだけ解釈するならば、「ここだけ温かくて春心地」みたいな、脳天気な和歌になってしまいますが、それは詠み手のこころではありません。むしろ震えながら春を待つこころ、待春(たいしゅん)こそがこの和歌の核心です。
けれども待つ春は訪れず……
さ夜ふくる
まゝにみぎはや 凍るらむ
遠ざかりゆく 志賀のうら浪
快覚法師(かいかくほうし) 後拾遺集419
夜の更けゆく
ままに水ぎわが 凍るのだろうか
遠ざかってゆく 志賀の浦の波の響きよ
さて「志賀の浦」とは、
琵琶湖の南西部の湖岸を指します。
この和歌もまた、軽く詠み流してしまうと、水ぎわに立ち寄せる白波が、あるいは月にでも照らされて見えるのか、次第に遠ざかっていくようなイメージが浮かんで来ますが、丁寧に詠み取っていけば、「凍るらむ」の「らむ」は推量を意味しますから、
「夜が更けていくのに合せて、
水際が凍ってゆくのだろうか」
と、自らの目で確認していない状況を、推量していることが悟られます。つまりは、「遠ざかってゆく志賀の浦の波よ」というのは、波の音を聞いて判断している訳で……
それはひるがえって、眺められないことを意味しますから、情景としては暗闇のなかに、波ばかりが響いてくる。そのあいだじっとこらえて、波の音が遠ざかるほどの長い間、聞き耳を立てて、眠れないでじっとうずくまっている。そんな詠み手の姿が浮かんで来るようです。
そこに印象的な、三句目の、
「凍るらむ」
です。これによって、ただ眠れないばかりではなく、凍るような寒さに震えている詠み手の心情が、どれほどリアルに描き出されていることか。言葉が思いを伝えるというのは、このようなことを指すのであって、
「自転車はほそきつばさ濡れたり」
なんて、フィーリング任せのまやかしは、
言葉をもてあそぶのが精一杯のところです。
これ以後、取るほどの初心の和歌のないものは、あえて採用を試みません。その場合は、巻名のみをしるして行き過ぎますが、あくまで初学用の秀歌がないというだけのことで、優れた和歌が存在しないという意味では、まるでありませんから、注意が必要です。たとえばこの『後拾遺集』の賀歌にも、
めづらしき
ひかりさしそふ さかづきは
もちながらこそ 千代もめぐらめ
紫式部 後拾遺集433
他、優れた秀歌が収められていますが、
これらはまた、いつしか秀歌集でお送りいたしましょう。。
そんな訳で、スルーです。
さ夜ふけて
嶺のあらしや いかならむ
みぎはの波の 声まさるなり
源道済(みちなり) 後拾遺集535
夜も更けて
嶺のあらしは どうなっているのだろう
水ぎわの波の 響きがはげしくなってきました
「志賀のうら浪」と似た和歌ですが、ここでは「波の声」として音声であることを確定させています。やはり暗くて見えないので、波の響きがはげしくなってきたのを耳で確認して、「声まさるなり」と表現してしているのです。そうして、
「嶺のあらしはどれほどなのだろうか」
と心配している。「志賀のうら浪」とは違って、「水ぎわ」がずっと近くにあるように感じられるのは、「身際(みぎわ)」が掛け合わされているからというよりも、ダイレクトに「声まさるなり」としているせいですが、詞書を読むと、みやこに向かう道で詠まれたことが知られ、
これから向かう、
嶺のあらしはどれほどなのだろう。
水ぎわの波が、こんなに響いてくるなんて。
と、さらに臨場感が増すようです。
そうしてこの詞書があるために、
この和歌は『羇旅』に収められているのです。
『後拾遺集』の和歌の紹介に、
空白が目立つのは偶然ではありません。
それはむしろ必然と言っていいかもしれない。
わたしは初学の手引きとして、なるべく分かりやすい和歌をばかり撰んで、こうして掲載しているわけですが、あくまでも優れた和歌であることを条件に、紹介を企てているのです。ところが『後拾遺和歌集』の和歌には、佳作(かさく)の一歩前、あるいは半歩前に留まっているような和歌がはなはだ多いのが特徴で……
けなすほどでもなく、詩情のこもらないでもないが、ありきたりで、いくらでもありそうな感慨、類型的な着想。合格マークをあげられないような和歌ばかり、数をゆたかに並んでいるのです。そんな理由もあって、わたしはまとまりの良い『金葉集』からはじめて、ここで復習がてらに、四番目の勅撰和歌集を眺めているのですが……
一方では、『千載和歌集』まで読み解いた方々には、ここに紹介してきた『後拾遺集』の和歌の方が、はるかに分かりやすく、単純な表現で読まれている。たやすくつかみ取ることが出来るように思われたのではないでしょうか。それはまるで、一番初めに『金葉集』を眺めた時、簡単な語り口調や、日常的散文くらいの表現のうちに、詩情を見いだしたのと同じくらいに……
もしそう感じたのなら、それはまさに、『後拾遺集』が『金葉集』へと続く直前の勅撰集だからに他なりません。いつしか『千載集』へと向かう間に、やさしい和歌を取り上げてさえ、少しずつ表現が技巧的に、かつ繊細になってゆくのを、もし皆さまが感じ取ったとしたら、その感じこそ『新古今集』へいたる、和歌の傾向の変遷そのものだと言えるでしょう。
そうして『新古今集』では、わたしが取り上げるような和歌でさえも、なかなかの解釈が必要になってくる。それだけ表現が研ぎ澄まされて来るのです。けれども、身構える必要はありません。もしここで『後拾遺集』の和歌くらい、ある程度読み取れるようになっているならば、『新古今集』への第一歩を踏み出すのに、なんの難儀(ナンギー)もないのですから。
閑話休題。
まずは『恋一』の初めを告げる和歌から。
ほのかにも 知らせてしがな
春がすみ かすみのうちに
思ふこゝろを
後朱雀院(ごすざくいん)御製 後拾遺集604
ほのめかすみたいに
知らせてみたいな……
まるで春がすみ
かすみのうちをさ迷うような
そんな恋心を……
まるで恋に手馴れた男が、
「かすみのうちに潜むような恋心を、
あなたに伝えられたなら」
など、ちょっと気障(きざ)に戯れたような和歌ですが、詞書(ことばがき)を読んでみると、また違った印象が浮かんできます。すなわちこの和歌は、後朱雀天皇(1009-1045)がまだ皇太子、つまり東宮(とうぐう・はるのみや)だった十代前半に、政略結婚で結ばれることになる藤原道長(ふじわらのみちなが)の娘、嬉子(きし/よしこ)(1007-1025)に、はじめて贈った和歌だというのです。
いかに英才教育の誉れ高き「天皇予備校」の秀才とはいえ、中学一年生くらいにこれほどの和歌が詠めるものだか、わたしの方が真実をお尋ねしたいくらいですが、
「かすみのうちに思ふ心を……」
という表現は、案外、恋とはどのようなものか、雲をつかむような自らの戸惑いを、素直に表わしただけなのかもしれません。そう思って眺めると、なんだか初々(ういうい)しいような、懐かしくも淡い初恋の気持ちを、くすぐられるような気もしてくるのは、不思議なものです。
もろともに
いつか解くべき 逢ふことの
かた結びなる 夜半の下紐(したひも)
相模 後拾遺集695
ふたりで共に
いつか解くこともあるのでしょうか
逢うことの難(かた)いくらいに
固く結ばれた 真夜中の下紐を……
詞書から、
「ひそかに思っている恋人がいる頃、
気の知れた人に、
気むずかしそうにしてどうしたと聞かれ、
そっと胸のうちに思うには……」
といった含みのあるシチュエーションですが、胸のうちに思って、口には出さなかったということから、問いかけてきた相手には、この和歌の内容は伝えたくなかったということ、つまりは、和歌が「もろともに」と開始している「ふたりで共に」の恋人のことは、悟られたくなかったことが伺(うかが)えます。さらに和歌が「逢うことが難しい」ことを詠んでいるあたりから、あるいは夫に尋ねられて、ひそかに恋人を思う妻の歌ではないか。そんな推測さえ、浮かんできそうですが、事実をあからさまに呈示しないことによって、解釈の幅が、解けきれない物語のようにして残されて、ある種の余韻を生み出してもいるようです。
ただし注目すべきは、
むしろこの和歌の燃えるような情熱、
恋する女の情念の方にあるのかもしれません。
ふたりで一緒になって
いつかはほどきましょう
逢うことさえ叶わないような
かた結びにされた 真夜中の下紐を。
(そうして紐をほどいたなら
あなたとずっと結ばれていたい……)
相手と抱きしめ合いたいほどの、こらえきれない恋心。
それを第三者に、見とがめられるくらいに、
仕草にみせてしまうほどの恋わずらい。
例えばあなたはそれを、感じたことがあるでしょうか。
もしなければ、あなたにこの和歌を、完全に把握することは叶いません。そうしてそれは、学業やら優等生とは、なにも関わりの無いことなのですけれども……
恋すとも
なみだの色の なかりせば
しばしは人に 知られざらまし
弁乳母(べんのめのと) 後拾遺集779
恋をしたからといって
なみだに色さえ ないものならば
しばらくは人に 知られずにすんだだろうに
「涙の色」などと詠むばかりに、
「当時はなみだに色があると思われて」
などと安易に済ませてはなりません。いかに当時の人とて、なみだに色がない事くらい分かっています。分かっていながら詠むのです。なぜなら色は喩えです。
なんのかたちも色もないのに、ちょっとした仕草で恋は悟られてしまう。失恋の悲しみは露呈する。「顔色を変える」という表現がありますが、これはなにも、本当に顔が赤から青に変化する色彩を説明したものではありません。心理作用にもとずくちょっとした表情の変化を、そのように喩えたもの。それと同じように、
「泣き濡れた後のような表情」
を「なみだの色」に委ねて、
昇華させただけのことなのです。
つまりこの和歌の本意は、
恋をしたからといって
泣き濡れたような表情さえ 隠せたならば
しばらくは誰にも 知られずに済んだでしょうに
というところにあり、現在の私たちの感性と、きわめて親しい関係にあるのです。これをもし、「なみだに色さえないものならば」と済ませてしまうくらいなら、はじめから中途半端な解説など、試みないほうがなんぼかマシです。
そろそろ次へ参りましょうか。
さま/”\に
思ふこゝろは あるものを
おしひたすらに ぬるゝ袖かな
和泉式部(いずみしきぶ) 後拾遺集817
さまざまなことを
思う心は まだ残されていますが……
今はただひたすら
なみだに袖を濡らすばかりです
和泉式部の和歌が核心に迫るのは、
半分は巧みな表現力のなせる技です。
後の半分は言うまでもありませんが、
あふれ出すような情感によってです。
下の句の意味から、上の句の「思ふ心」とは、恋に破れて、悩みや苦しみにさいなまれ、恨み、果ては死にたくなるような、あらゆる心情を集約させて、ただひと言に込めていることが分かります。
つまりは、失恋小説でもあれば、一冊分の思いの程を、わずか上の句にまとめてしまって、それにたいして下の句は、
「あらゆる失恋の思いはあるものを、
いまはただ、涙にくれるばかりです」
と詠んでいるだけなのですが、これによって「あらゆる頭に浮かんでくること」と、「純粋な悲しみ」のシーソーが、感情の方へと傾いて、ただ泣いているだけのわたくしへと昇華されるのです。
この人の心情の吐露には、それを支える詩的な表現力が息づいている、さながらそれは、恋する詩人サッフォーの再来を思わせるくらいです。
さて『後拾遺集』の巻第十五から二十、つまり最後までは「雑の歌」が「一から六」まで置かれています。残念ながら、歌数の多いわりには、濃度の薄いのが難点ですが、見どころがないわけではありません。まずは「雑一」から、月の歌を三つばかり、シリーズでお送りしてみましょう。
もろともに
眺めし人も 我もなき
宿にはひとり 月やすむらむ
藤原長家 後拾遺集855
ふたりで一緒に
眺めた人も わたしももういない
その屋敷にはただひとり
月だけが澄んでいるのだろうか
もはや、わたしのお節介もいらないでしょう。
かつてはふたりで月を眺めた、
そうして恋に夜を明かしたような屋敷さえ、今ではあなたはいない、わたしもいない、ただ月だけがぽつんと澄み渡っている。まるで月だけが今も変わらず、そこに住んでいるように……
つまりはそれだけの和歌ですが、詞書を読むと、恋人はすでに亡くなってしまい、わたしもその館を訪れるべき意味をなくしてしまった。その侘びしさを歌ったものであることが知られます。
いまはたゝ
雲居(くもい)の月を 眺めつゝ
めぐり逢ふべき ほどもしられず
陽明門院(ようめいもんいん) 後拾遺集861
今はただ
雲のあたりの月を 眺めながら
巡り会えるかどうか
それさえも分からない……
「雲居(くもい)」は雲の居るあたり、つまりは空や雲そのものを指す言葉ですが、同時にそこには宮中、つまり「雲の上の人々」の住まう場所というイメージが内包されていました。この和歌も実は、宮中に対するイメージを持って詠まれたものですが……
かといってただ空を眺めて、隠れそうな月に思いを委ねて、再び逢えるかどうか、恋にわずらうような、日常の感性に委ねても、なんの障害もありません。それはつまりこの和歌が、宮中へのあこがれを重ねながら、あくまでも月を眺めた心情をおもてにして、二重唱を奏でているからに他なりません。
そうであればこそ、私たちはこの和歌を、ただ身近なイメージで、捉え直すことも可能な訳で、そのような心理的な共通項がなければ、過去の遺産だろうと、伝統を振りかざそうと、生きた詩としての価値など、微塵(みじん)もなくなってしまうことでしょう。
くもる夜の
月とわが身の ゆくすゑと
おぼつかなさは いづれまされり
藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは) 後拾遺集670
曇りゆく夜の
月あかりと わたしの未来と
頼りなさは どちらのほうが
まさっていることでしょうか
藤原道綱母というのは、まさに藤原道綱の母親にあたる人で、女性の名称は、このような扱いが非常に多いのが、当時の社会事情でした。かといって名称のしっかりしている方が、扱いが上であるというのは、今の価値観には過ぎませんけれども……
この人の名前は、きまじめな学生なら、知っているかも知れません。それは西暦千年よりもわずか前、975年頃に完成したとされる『蜻蛉日記(かげろうにっき)』を執筆し、かの『源氏物語』にすら影響を及ぼしたとされる、日記文学の代表的作品の作者として、今日に名を残している人物です。それはさておき……
詠まれた状況は、今は顧みず、
和歌の内容だけを眺めることにしましょう。
雲に隠されては照らし出す月明かりの、次第に曇りがちに閉ざされてゆくような不安は、みずからの未来へと重なり合い、おぼつかない心細さばかりが、ストレートに伝わってくるのではないでしょうか。
あるいはすでに雲に覆われていて、月明かりが微かに、その向こうから、その存在だけは知られる。そんなイメージで捉えても構いませんが、
「くもる夜の月」
という表現に、曇りのなかに、ようやく月の姿が確かめられる状態を、描き出せればよいのです。今日とは違って、月が隠れてしまえば、明かりにも乏しく、闇に怯えながら生きるような、平安時代の生活に、わずかばかりの想像を羽ばたかせるとき、その「おぼつかなさ」はどれほどのものか、心に伝わるものがあるのではないでしょうか。
それはこの和歌が、
きわめて率直に思いを述べているせいでもあります。
もし技巧性がまさり、虚飾が下手な眉でも描いて見せたなら、この和歌の本質は損なわれてしまうでしょう。語りかけるようなまっすぐで訴えるから、私たちもおぼつかなく感じるのです。
次は「雑三」から、藤原高遠(ふじわらのたかとお)(949-1013)の和歌を。彼は笛の名手でもあり、藤原公任の従兄弟(いとこ)でもあった人物です。
恋しくは
夢にも人を 見るべきに
窓うつ雨に 目を覚ましつゝ
藤原高遠(たかとお) 後拾遺集1015
恋しいならば
せめて夢だけでも あの人を見たいのに
窓を打ちつける雨のなか 眠れもせずにいるのです
「窓打つ雨に思いをはせる」
ただそのくらいの表現が、いにしへからの大和言葉(やまとことば)では成り立たず、大陸からの漢語の影響のもとに、ようやく獲得されたものであることを実感するには、おそらくは仙人じみた修行か、勤勉な学習が必要です。
(もちろん、理解だけなら誰にでも出来ます。
それは言葉づらの作業に過ぎませんから)
けれどもそれを、恋人への思いから眠れずに、苦しくも打ちつける雨を聞きながら、こころは泥んこのたうち回るような、そんな「飛び込め青春」みたいな和歌に仕立て上げたのは、まぎれもない大和(やまと)のこころです。それはさておき……
恋しくて、恋しくて、
せめて夢のなかだけでも、
あなたを見たいと願ったの。
それなのに、雨は窓に打ちつけて、
わたしは眠れないで、
いつまでも、それを聞いていました。
この意味を受け取るのに、
なにか差し障りがあるでしょうか。
お勉強をしなければ、理解出来ないようなことが記されているでしょうか。まるで現代にもある、送信できない落書みたいな、千年の歳月を軽やかに越える和歌になっているからこそ、わたしたちの口ずさむような、ワンフレーズにさえなれるのです。
もしこれが、解読困難な考古学の呪文であったとすれば、わたしたちの唱えるこの和歌も、取るに足らないサンプルへと陥ることでしょう。幸か不幸か八代集の和歌は、芸術至上主義よりも生々しい、詩としての喜びにあふれているようです。それだからこそ、わたしもつい、このように紹介をしてしまうのです。
教育カリキュラムに殺されかけた、
あなたひとりを救い出すために。
気分転換。
次は「雑五」から一つだけ。
春来れど
きえせぬものは 年をへて
かしらに積もる 雪にぞありける
花山院(かざんいん)御製 後拾遺集1117
春が来たけれど
溶けて消えることのないものは……
生きゆく年月を重ねて
わたしの髪に降り積もったような
真っ白な雪ばかりです……
春が来たのに、
わたしの白髪は、
もう溶けて消えることはないのでした。
こんな侘びしさをさりげなく記したような、「名無しさんの落書」みたいな悲しみは、ここでもまた不思議なことに、国を治めるほどの、高貴な存在から生まれたものなのでした。
この和歌は、実際は、『古今和歌集』の文屋康秀(ふんやのやすひで)の和歌に基づいていますが、ただ思いのままに歎息(たんそく)して、春の日につづられたひと筆書きみたいに、私たちには思われるのではないでしょうか。それだからこそ、優れた和歌なのですけれども……
さて、皆さま、
そろそろ、お別れの時間が近づいてまいりました。
今日一日、楽しいことでもありましたでしょうか。
わたくしは……
わたくしはただ
いつものグラスを傾けながら
たゞ黄昏(たそがれ)のなかに悲しく浮かぶ
三日月みたいなこゝろ細さに
打ちのめされながら『後拾遺集』を、
紹介しているような不始末です。
それならそれで、
今さらどうでもよいことなのですが……
さて『後拾遺集』の構成が、もし後続の勅撰和歌集の参考になったからといって、ほとんど「体(てい)たらく」と言えるような、構成力の欠如は明らかです。最後にだらしなく「雑」をまとめ上げ、雑の最後には、大和の神を讃えるべき『神祇(じんぎ)』、仏教に関わる『釈教(しゃっきょう)』、それから、和菓子のおまけみたいに加えられた『誹諧歌(はいかいか)』が、ざっくばらんに収められているばかり。到底賞賛すべき方針とは思えませんが、個々の和歌に、取るべきところがない訳ではないことは、これまでも見てきた通りです。
皆さまはむしろ、これまでの和歌と遜色もないのに、なぜに志憐(しれん)なる酔っぱらいは、この集を悪(あ)しざまに言うのか、いぶかしげに思うかもしれませんが……
ようは密度の問題です。
アンソロジーとしての価値は、
個々の和歌の価値とはまた違うもの。
ただそれだけの事ですが……
ここでは締めくくりの「巻第二十」から、誹諧歌(はいかいか)を一つだけ紹介して、この『後拾遺集』を離れることにいたしましょう。こんな素直な可愛らしさで遊んだような和歌は、現在に至るまで、なかなかにあるものではありません。そうしてこういうのが本当の詩です。「朝のリレー」みたいな子供だまし、あれは、偽善と独善からなる、あんころ餅なのではないでしょうか。
笛の音(ね)の
春おもしろく 聞こゆるは
花ちりたり と 吹けばなりけり
よみ人知らず 後拾遺集1198
笛の調べが
ことに春におもしろく 聞こえて来るのは
「花は散った、花は散った」と 吹くからなのです
この和歌のおもしろさが、母音にして「aaiiai」となり、「a」と「i」をくり返す、第四句の「花ちりたり」にあることは、言うまでもありません。
「花は散ってしまったよ」
という表現が、言葉のリズム遊びと戯れて、まるで笛の響きへと昇華して聞こえるとき、わたしたちははからずも、
「花散りたり、
花散りたり」
と、「花の真っ盛り」にみんなで酒でも飲みながら、
「まだ花は散ってねえよ」
なんてはしゃぎして、咲き誇る喜びと、散りゆく哀しみに身を委ねつつ、
「けれども今宵、この酒はやはり楽しいし、
誰もが笑顔に咲き誇るようでもあるのだし」
と手を叩きながら、笛の音に興じてしまうような……
そんな花見の座興をさえ、思い起こしはしないでしょうか。それでいながら、笛の音はおもしろく聞かれるのに、「はなちりたり」と吹く風は、いつしかこの桜の花を、すべて「花散りたり」と散らせてしまう。祭りの夜の、不意に空を見上げたようなはかなさ、寂しささえも、ひそかにそっと織り込みながら……
表面ばかりはどこまでも、
ただおかしく戯れながら、
「花ちりたり、花ちりたり」
と歌うのでした。
そうであればこそ、この和歌は、誹諧歌(はいかいか)に収められているのです。それでいて、はしゃぎの向こうの、静かな悲しみさえ宿している。諧謔(かいぎゃく)や滑稽(こっけい)に、道化師を演じるほどのデフォルメはなく、勅撰和歌集に収められるべき、ひたむきな心情を宿しているのです。
例えばこのようなユーモアと、着想におのぼれたような安いヒューマニズムを、羞恥心の欠けらもなく述べ立てたような、
「ぼくらは朝をリレーするのだ」
のような、詠み手の意図が、ちらちらと舌を出しているような、嫌みな表現と比べるとき、どちらが詩情にまさるか、わたしにはわざわざ、比べるまでもないことのように思われるのですけれども……
(ああいうものを教え込まれたことは、私にとって、おさない日の哀しみの一つには違いありません。それは消すことの出来ない、安っぽいうわべだけのコスモリタニズム。あるいは利権をむさぼる、ミッキーに通うものがあるようです。)
つまりは一方は詩であり、
一方は詩を気取ったものに過ぎません。
わたしは古代をあがめません。
けれども現代もあがめません。
ただいつの世の人にも共通のもの、
喜怒哀楽と結びついた本当の言葉をばかり、
探しているだけなのですけれども……
どうやら桜もないので、
わたしのこゝろも、いくぶんか、
すさんでしまったのかもしれません。
いずれあなた方は、『千載集』よりもっと素朴な表現。つまりは、わたしたちの日常会話くらいの叙し方によって記された、『後拾遺和歌集』の幾つかの和歌を眺めてきたことになるのです。
古文のことは、あまりくよくよしなくてよいのです。ただわたしの紹介文くらいの意味を、かつての言葉で記したくらいのものなのです。ですから、もしその現代文の翻訳を読んで、それほど難しく感じないのであれば、大丈夫、あなたはそろそろ、『新古今和歌集』へと足を踏み入れる、準備が出来たには違いありません。
もとより初めの一歩です。
けれども、踏み出せばなぜか楽しくて、
先へ、先へと進みたくなることは、
これまでと何も変わりません。
あたかもそれは、一歩一歩が苦痛のうちに、理屈めかした要項を背負いながら、シーシュポスが果てなき岩をのぼらせる苦しみとは、対極にあるようなもの……
ただ喜びに満ちて、
ありきたりの感性で、
共感を受けるものをばかり、
私たちは探しにまいりましょう。
それでは、また逢う日まで。
みなさま、しばしのお別れです。
(をはり)
2014/06/02
改訂 2014/07/29
再改訂+朗読 2014/12/07