宮沢賢治の生涯、詩と朗読

宮沢賢治の生涯、詩と朗読

注意書
………個々の詩のテキストは青空文庫の宮沢賢治内の「春と修羅」を使用しています。しかし朗読はちくま文庫の「宮沢賢治全集」によっています。自分の追加で記入した読みや注意書には[色つき]を使用することにします。
宮沢賢治 (1896-1933)の年号暗記
………岩(18)手の苦労(96)を
幾耳(1933)聞いたる賢治かな
(お粗末)
宮沢賢治 (1896-1933)の生涯略歴
………宮沢賢治は、1896年に現在の岩手県花巻市に生まれる。浄土真宗を信奉する質屋の長男として成長。仏教への信仰を無頓着に植え付けられた。
 質入りに来る人々の苦労を眺めつつ、鉱物採集や哲学にのめり込み、旧制盛岡中学時代には寄宿舎へ入り、やっぱり鉱物をあさっていた。やがて、短歌の創作をはじめるも、進学の叶わぬこともあって反抗期を迎えるなどの中学時代を送る賢治だったが、両親に許され、1915年に盛岡高等農林学校に入学すると、文学的同人誌を発行するなど、文学的な好奇心も高まっていった。
 そんな賢治も、二十歳を超える頃には童話の創作も開始、1919年には日本女子大に通っていた妹のトシが病となり、東京へ出て看病しているうちに、萩原朔太郎の詩集『月に吠える』に触れ、大いに感銘を受けた。翌年1920年には国柱会(こくちゅうかい)という日蓮宗の宗教団体へ入り、家業と宗教の問題で、父親との仲が悪化していくのだった。ついに1921年、父との関係悪化もあり東京へ出て、童話の製作も活溌に行うが、妹のトシが発病し岩手に戻り、現在の花巻農業高等学校の教師となる。しかし妹は翌年22年に亡くなってしまった。
 1923年には樺太旅行に出掛け、1924年には宮沢賢治の名を通人にのみ知らしめた?詩集「春と修羅」を自費出版、童話「注文の多い料理店」を刊行するなど活動を盛んにする。26年には教師職を退き、農業指導などで活躍。28年に肺炎を発症し、翌年一時よくなるも、再度悪化して1933年に亡くなった。享年37歳である。
 そんな賢治は岩手をこよなく愛し、そのエスペラント語風の発音、イーハトーブを、我が心のアルカディア(理想郷)のごとくに愛用した。死後の出版による名声は、1925年頃に知り合った草野心平(くさのしんぺい)を中心に確立されていく。

宮沢賢治、名詩と朗読

宮沢賢治「春と修羅、第一集」の朗読

0. 序 1. 屈折率 2. くらかけの雪
3. 日輪と太市 4. 丘の眩惑 5. カーバイト倉庫
6. コバルト山地 7. ぬすびと 8. 恋と病熱
9. 春と修羅 10. 春光呪咀 11. 有明
12. 谷 13. 陽ざしとかれくさ 14. 雲の信号
15. 風景 16. 習作 17. 休息
18. おきなぐさ 19. かはばた 20. 真空溶媒
21. 蠕虫舞手 22. 小岩井農場

宮沢賢治「春と修羅、第二集」の朗読(予定)

宮沢賢治に関するリンク

宮沢賢治 (ウィキペディア)
………ウィキペディアの「宮沢賢治」
宮沢賢治 (青空文庫)
………青空文庫の宮沢賢治。
宮沢賢治記念会
………サイトより「宮沢賢治の遺品、遺跡、関係資料などを収集し、保全管理するとともに、一般に供覧し、宮沢賢治研究および社会教育の振興に資することを目的とする。」
森羅情報サービス
………宮沢賢治作品館の作品紹介、「銀河鉄道の夜」原稿の変遷など。

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