はじめての万葉集
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●「はじめての万葉集 (あるいは短歌の作り方)」について
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………万葉集に興味はあるけれど、近寄ればあまりの解説やら文法の説明にびっくりして、泣きながら帰って行く人たち。あるいは短歌を作っては見たいけど、ちょっと調べたら意味不明な落書が並び立っていて、恐ろしくって逃げ帰ってきた人たち。流行歌の歌詞くらいに共感できる、ありきたりの感性を持った人々。そんなあたりきの人たちに、『万葉集』を紹介するように見せかけて、短歌の作り方も紹介するような、どっちつかずを喜びとする、今から逃れた自由です。
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●詩の本文と現代語訳について
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………ここでは本文と現代語訳について、句ごとの空白や、改行、段下げなどを行なっていますが、原文は漢文で連続的に記され、そのようなものは存在しません。幾つかの読みがある場合は「我(あが/わが)」のように、「/」で幾つかの候補を挙げている場合がありますが、もちろん諸説を網羅している訳ではありません。
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………また、連続する平仮名に「がか」なら「かゝ」、「かが」なら「かゞ」という記号を使用するのと、「たび/\」とくり返し記号を使用するのは、執筆者が好みで行なっているものに過ぎません。詩の前に置かれる詞書きについては、本文のままの場合は「」を、現代語に改めるなど、執筆者の意図が込められている場合は『』を使用しています。
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●万葉集はじめての短歌の作り方
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………「短歌の作り方」を知りたい方は、まずは、こちらのコンテンツをご使用ください。また、当コンテンツの導入の役割も果たしていますので、ゆとりのある方も、こちらから開始すると、『万葉集』にも『短歌』にも親しみ易いかも知れません。
はじめての万葉集 (あるいは短歌の作り方)
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●はじめに
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………小さなプライバシー表明。読みたい人だけどうぞ。
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●本文について、および予習と見取り図
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………『万葉集』を眺める前に、ちょっとした和歌の説明と、全体の見取り図。
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●はじめての万葉集 その一
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………巻第一から巻第四までの短歌を、きわめて分かりやすいものだけを撰んで紹介。同時に、ともかく短歌を詠んでみるための、導入と、序詞や枕詞などの、基本的な説明を行なう。
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●はじめての万葉集 その二
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………巻第五から巻第八までの短歌を紹介しながら、対句など、二つの内容を対置させる、短歌の基本的なパターン。季節の言葉。着想品評会の具体例などを紹介する。
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●はじめての万葉集 その三
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………巻第九と巻第十の紹介。及び、前回の内容の対置による短歌の、具体的な練習。自然な表現を求めて、着想品評会の具体例をもう一つ紹介する。
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●はじめての万葉集 その四
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………巻第十一と巻第十二の、「相聞」つまり「恋の歌」に当たる部分を紹介したもの。素直な語り、素直な記述からちょっと踏み出した、様式的な短歌というものについても、ちょっと書き加える。
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●はじめての万葉集 その五
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………巻第十三から巻第十六まで、長歌による歌謡集のような巻や、東歌(あずまうた)と呼ばれる歌を集めた巻など、それぞれユニークな構成によってまとめられた、『万葉集』第一部の最後の部分を紹介する。紹介に専念するため、短歌の作り方は最後のまとめだけ。
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●はじめての万葉集 その六
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………巻第十七から巻第二十まで、大伴家持の私家集ともされる、これまでの『万葉集』とは性質を異にする、第二部をまとめて紹介する。ついでに、目標とすべきでない和歌を、あえて詠んでみることにより、自分たちの歩むべき道を確認してみる。
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●はじめての万葉集 その七
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………これまでの掲載歌に、同じ階層に位置し、紹介しきれなかった和歌を加えて、全二十巻のアンソロジーとする。(自己確認。黒ボールペンでラインを引いて、取らなかったものを加える。)時間の都合で、今は掲載不可能。
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●ふたたびの万葉集
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………「はじめての万葉集」はあくまでも「はじめて」の人が、全体をひと眺めするための導入に過ぎません。それが終わったら、あらためて初めから、優れた和歌とは何が、次のステップに進んでみるのも良いでしょう。
万葉集について
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●万葉集とは
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………わたしたちのもっとも古い和歌の詩集で、4500首以上の和歌を収める。編纂は大伴家持(おおとものやかもち)かともされ、最後の短歌が詠まれた759年から彼が亡くなる785年の間に、最終的ではないにしろ、ある程度輪郭の整った形に整備されたのではないかとされる。
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………和歌の内容は、歴代の歌人を採取する historical なものと、大伴家持を中心とする大伴家周辺の和歌と、後の勅撰和歌集に見られるような、「四季の歌」、相聞(そうもん)と呼ばれる「恋の歌」などのジャンル別アンソロジーの、三つの大枠に分けられる。
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………はじめて眺めるときの概要としては、[歴史的和歌]⇒[ジャンル別アンソロジー]⇒[大伴家持の和歌]という大枠のなかで、大伴家持の周辺の人々の和歌を、[歴史的和歌]のうちに折り込んで成立したと思って、詠んでみると分かりやすいかと思われる。
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●その意義について
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………過去の遺産を学ぶことが、伝統であるからとか、我々の血脈であるからとか、血統の由来であるとか、そんなことはなんの意味もありません。あらゆる文学作品は、今に眺めても面白く詠まれるから、始めて価値を持つのです。そうでなければ、アンモナイトの化石と一緒です。歴史的意義以外、なんの意味があるでしょうか。ただ今と異なる言葉で記されるから、ちょっと近づき難いのです。今と異なる感性で記されるから、寄り添うのに時間が掛かるのです。けれどもわたしたちが、心開いて眺めれば、『イーリアス』は今日でも比類ない作品なのです。『古事記』は叙事的な物語なのです。そうして『万葉集』もまた、三十一文字のもっとも多様に息づいていた、言葉の万華鏡のような詩集なのです。それだからこそ、ちょっとあなたに紹介したくなった……
もし意義があるとしたら、それくらいのものなのですけれども……
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