わたしたちは生まれるとすぐに、
誰かの言葉に耳を傾けます。
それが何であるかを得ようとして、
いつしかそれを真似します。
親の話している言葉つきは、
こちらから仕向けることもなく、
おのずから身につけてゆくのです。
それが人と言葉の関わりの本質で、
永遠に変わることはありません。
わたしたちは生まれも一向に、
誰かの言葉を読もうとは思いません。
それが何であるか得ようともせず、
容易に真似しようとはしないもの。
親が活字を読んでいても、
こちらから努力して教えなければ、
おのずから身につけてはゆきません。
それが人と活字との関わりの本質で、
永遠に変わることはありません。
語ることは言葉を躍動させ、
書き記すことはままならない、
高度な表現を自由にする。
それらは共に大切な、
わたしたちの表現ではあるけれど。
詩の領域の本質は、
語られることを良しとします。
修辞をこらした文章も、
みてくればかりのお化粧も、
口に出して崩れたら、
もう取り返しが付きません。
それからなんど読み返しても、
その落書きはいびつです。
口に出すのがわたしたちに、
優位であるからどうしても、
くつがえすことはかないません。
取るにたらない落書きも、
口にしてみて心地よい、
響きがしたらもう二度と、
つまらない記述とは思えません。
眺めた言葉はたちまちに、
語りの愉快へうつされて、
黙読したような印象は、
まやかしだったと思うでしょう。
口に出すのがわたしたちに、
優位であるからどうしても、
くつがえすことはかないません。
それをわきまえているならば、
どれほど記述の領域を、
取り込んだって語られる、
よろこびくらいへ戻されて、
きびきび羽ばたくことでしょう。
ただ語ることだけを指標とし、
感情ばかりの表出も、
新聞めかした解説も、
言葉を伝える有効性の、
内容の違いと悟るとき、
あらゆる表現は一つとなり、
(あるいはもはや話し言葉も、
階層の異なる書き言葉すらなくなって)
語りのうちへと帰るでしょう。
ゆたかな指標と生きるでしょう。
それがわたしのひそやかな、
願いと定理に過ぎないのですから。
ある詩型がそれを営むべき社会において生命力を保っている間は、どれほどその内なる表現が、常態を乖離しているように思われても、それを逃れることはありません。現在社会において、カラオケなどで歌われる歌詞が、どれほど破天荒なように思われても、詩として破綻していないように思われるのは、(あるいは市場原理によってかもしれませんが、)提供者と享受者の緊張感によって、今わたしたちが使用している、言語の営みそのものから、(もちろん文法からではなく、)詩が紡ぎ出されているからに過ぎません。
前世紀に「現代詩」(今なら古代詩でしょうか)と呼ばれた一ジャンルや、サークル活動にいそしんだ特定の短詩の領域に、すべてではないにしろ、口に出すやいなや、作者の浅はかな着想やら頓知が、下手な口調で語られて、心情が伝わらないどころか、馬鹿にされたような気になるものが、なかなか現在の焼却システムでは、廃棄できないくらい、あしびきの山高く積まれているのは、それが通のものだからという訳ではなく、それが詩として、享受者の言語生活から乖離した、まがいものに陥っているからには違いないのです。
(今の語りの特徴のまま、言葉付きだけを古い言葉に置き換えて、いびつなものを生みなすことが、多少の感受性を持つ人たちから見たら、どれほど言葉をもてあそんだ、きたならしいものに思われるか。それは制作者が、みずからの言葉ではなく、嘘の言葉をもてあそんでいるからに他なりません。もちろん制作者が、その言葉を本当に豊かに使用することが出来れば、みずからの言葉としているのであれば、つまりはそつなく模倣することが可能であるならば、それは擬古的な詩として、生命力を得ることは出来るかもしれません。あるいは、現在の表現との兼ね合いを操れるほどの巧みならば、それはもう、どんな使い方をしても、焼却されるような、不要物に陥ることはないでしょうが、往々にして今日の言葉ですら詩を書くことも出来ない人々が、そのような不可解な行動に、慰めを見いだしているような、掃き溜めです。)
わたしには言葉をもてあそぶ人は不気味です。
変な言葉遣いの、センテンスすらままならない、
わめき散らす人たちよりもはるかに、
言葉を破壊しているように思われてなりません。
わたしたちはそれとは関わらず、
伝えたいことを、その心情はないがしろにせず、
ただちょっと様式化して、
詩としての存在意義を高めたくらいの、
あるいはそれは、ポピュラー音楽の歌詞くらいの、
ありきたりの言葉から生まれて、結晶化されたもの。
そんな詩を求めて、旅をしてみようではありませんか。
P.S.
そのような訳ですから、
わたしたちと主義の異なる人たちは、
あちらからお引き取りください。
それがわたしの願いです。
2016/04/20
2016/05/14 改訂