冒頭には「雑歌」と記されていますが、これはあまり意味を持たないようです。巻第五は、漢文と長歌、短歌が結びついて、ひとつの作品にまとまっているものが、多く並べられています。むしろ初心者には、この巻は、大宰府で大伴旅人が催した「梅の宴」における和歌と、その赴任先で知り合った、山上憶良(やまのうえのおくら)(660年頃~733年頃)の作品が置かれた巻であると、覚えておけば十分かと思われます。もちろん山上憶良のよく知られた作品、学校でも習う『貧窮問答(びんぐううもんどう)の歌』も含まれます。
さて、大宰府(だざいふ/おおみこともちのつかさ)(現在の福岡県太宰府市あたり)と言えば、国防および国交の拠点として、地方でも重要な都市として、「遠の朝廷(とおのみかど)」とも称される、文化の中心地のひとつでした。その太宰府に、727年末か728年頃、長官として赴任した大伴旅人(665-731)ですが、すでに60歳を過ぎ、さらに共に付いてきた妻を亡くし、あるいはその後で、大伴家持や坂上郎女が太宰府にやってきたのではないかともされています。
またしても、大伴家と愉快な仲間たちが、
活躍しそうな気配ですが、
ちょうど太宰府のある筑前守(ちくぜんのかみ)
今なら県知事と思ってくださってもかまいませんが、
その筑前守に、山上憶良が赴任。すでに遣唐使として大陸に渡り、漢文に長じ、仏教や儒教に通じていた彼が、大伴旅人と知り合いになることで、みやこを離れた文芸活動が、ここに花開くことになったのです。そのためこの、大宰府での文芸活動を、筑紫歌壇(つくしかだん・ちくしかだん)などと、呼ぶ人もあるくらいです。
そして天平二年正月十三日(730年2月8日)、おそらくは大陸からの外来種として、異国情緒と結びついてたであろう「梅の花」(万葉集の時代はもっぱら「白梅」だそうです)を、愛でつつ酒を飲み、かつ和歌を詠むという宴会が、大伴旅人邸で開かれることになりました。冒頭に、漢文の序が置かれて、
正月(むつき)立ち
春の来たらば かくしこそ
梅を招(を)きつゝ 楽しきを終へめ
大弐紀卿(だいにききょう) 万葉集815
正月となり 春が来たなら
こうして 梅を迎えながら
よろこびを尽くそうではないか
と短歌で宣言して始まる「梅の短歌」は、三十二首にもおよび、シリーズものとしても魅力的なものです。今回は、二、三ピックアップして、やはり私たちにも、詠みなせそうな叙し方のものばかりを、紹介してみようと思います。
梅の花 咲きたる園(その)の 青柳(あをやぎ)は
かづらにすべく なりにけらずや
粟田大夫(あわただいぶ) 万葉集5巻817
梅の花が 咲いている園の柳は
すでに髪飾りにしても 良いくらいに
葉が芽吹いてはいないでしょうか
縵(かづら)というのは、
ツタ植物や柳で輪を作る髪飾りだそうです。
はたして、2月8日に梅が満開になり、柳が芽吹いたかどうかは知りませんが、単なる見立てであっても、あるいは人工的な操作があっても、差し支えはありません。なにしろ酒の力さえあれば、見えざるものも見え、冬にも卯の花が咲き乱れるくらいなのが宴ですから……
このような短歌も、春めくよろこびが、酒宴のよろこびに重ね合わされたとき、遠くいちめんに柳の芽吹く姿を、眺めているように詠んだとしても、不都合はありません。むしろ、現実の状況を詠まなければならないという発想の方が、はるかに病的なもののように思われるくらいです。
それでこの短歌などは、
梅の咲いた園にもう一つ、新たな対象を織り込みながら、間接的に芽吹いたことを悟らせると同時に、それを髪飾りとして、身につけるものとする。春をまとうようなよろこびで、讃えているくらいが軽快です。
うちなびく 春の柳と
わが宿(やど)の 梅の花とを
いかにか分(わ)かむ
史氏大原(しじのおおはら) 万葉集5巻826
うち靡いている 春の柳と
わたしの家の 梅の花とを
どうやって比べられようか
[「わが宿」というのは、この場合、宴の梅を自分たちの梅として、会場を「わたしの家」と詠んでいると解釈して構いません。]
酒が進んでいるようです。
梅も柳も、春のよろこびにあふれて、
比べることなど出来ないよ。
大げさなジェスチャーも、
陽気にすれば結構です。
それにこれならば、
柳が芽吹いていなくても、
虚偽にはならずに済みそうです。
梅の花
折りてかざせる 諸人(もろひと)は
今日のあひだは
楽しくあるべし
荒氏稲布(こうじのいなしき) 万葉集5巻832
梅の花を折って
髪にかざしている 皆さまは
今日が続くあいだ
楽しくありたいものです
「楽しくあるべし」の「べし」にはいろいろな意味が存在しますが、ここでは「~しそうだ」「~でありそうだ」という表現になります。現代語訳はちょっと積極的に言い直してありますが、宴会の最中(さなか)にあって、「楽しいなあ」と素直にはしゃぐこともせず、「楽しくいられそうだ」などと控えるのは、ストレートな喜びの表明とは言えません。わざわざ「今日の間は」と断わっている所から、明日からの仕事の影が、ちらついているようにも思えます。なかなか、酔いきれない男も、一人か二人はいるものです。
わが宿の
梅の下枝(しづえ/しつえ)に 遊びつゝ
うぐひす鳴くも
散らまく惜しみ
高氏海人(こうじのあま) 万葉集5巻842
この庭の
梅の下枝を 移りたわむれながら
うぐいすが鳴いています
散るのを惜しむように
他の人が、うぐいすの短歌を持ち出したからでしょうか、あるいは酔っぱらって、誰かがうぐいすの鳴き真似でもしたのでしょうか。「あなたの家の梅が散るのが惜しいですね」という修辞を、うぐいすにゆだねながら、詠まれた短歌なら、あるじだけでなく、酒宴の誰にしたところで、「うぐいすなんていないじゃないか」と腹を立てたりせず、愉快になるには決まっています。そのような時には、ちょっとした虚構も、みなさまのこころには真実です。
なんだか楽しそうですね、
せっかくですから、私たちも参加しては見ませんか。
お酒が飲めなくても大丈夫。
短歌でもって参入です。
さっそくノートを開きましょう。
ここでは梅、青柳、うぐいすが登場しましたので、これらを「季題(きだい)」、つまり季語のようにして、春というテーマで、いくつかの短歌を詠んでみましょう。もちろん、俳句ではありませんから、季語を同時に使用しても構いませんし、別々に詠んでも構いません。
梅の花
散歩を止めて 公園に
咲き誇るのを 眺めていました
なるほど、日記のままの語りですが、
ちゃんと初句から四句五句に、
「梅の花、咲き誇るのを眺めていました」
と行為の中心を提示して、
それに挟まれるように、直前の行為「散歩を止めて」と場所「公園に」を織り込んでいる。バランスが整っていて、内容にも動きがありますから、はじめにしては上出来かと思われます。
梅が散って
ようやく来ました うぐいすも
去って路傍に 芽吹く青柳(あおやぎ)
こちらは着想を全面に出して勝負です。
すべての言葉を折り込んだ上で、梅が散ってからうぐいすは来るし、うぐいすが去ってから柳は芽吹くしで、取り合わせることなど出来ませんが、それにしても路傍の青柳は見事です。そんな内容を表現しています。これ以上着想が表に出れば、嫌みな短歌になりそうですが、比較的素直に、事実のように順に提示したのが幸いして、我を通したような不快感は起こりません。かえって結句の青柳の芽吹く姿が心地よいくらいです。
ただ少し、いろいろなものが込めら過ぎて、
情景への喜びへと、集約しきれていない恨みが残り、
それが少し残念です。
待ちわびる うぐいすの声
窓あけて
くすぐったいな 風におはよう
時乃遥
……もう少し、初心者らしく詠んでください。
もう一人は酒に心を奪われて、
こちらには来ない様子ですので、
残念ながら、ここでお別れです。
山上憶良に移りましょう。
さて、梅の宴にも、山上憶良は参加して、短歌を詠んでいますが、それに続く巻第五の後半は、彼の作品を中心にまとめられています。まずは、漢文の長い序に、短歌が続く「松浦川に遊ぶ」から、短歌をひとつ取り出してみましょうか。ただし、これには作者名がありませんので、山上憶良か、あるいは大伴旅人か、どちらが作者か結論が出ていないようですが、少なくとも今は、気にすることもないでしょう。。
松浦川(まつらがは)
七瀬(なゝせ)の淀(よど)は 淀むとも
われは淀まず 君をし待たむ
(魚を釣るおとめ達) 万葉集5巻860
[松浦川のいくつもある瀬が、
流れごと淀みをつくったとしても、
わたしのこころは淀みません。
戸惑いもなく、あなたを待ちましょう。]
さて、「松浦川に遊ぶ」というのは、さもプレイボーイの歌人達が、松浦川で見つけた鮎を釣る娘子(おとめ)たちと、恋歌のやり取りをするような、みずからの出来事のように書かれています。しかし後になれば、歌物語にも詠まれそうな、ちょっと凝ったシチュエーションは、多くが漢文からもたらされていることは、前に見た通りです。
これもまた、「大和心をくすぐった官能的伝奇文学」こと『遊仙窟(ゆうせんくつ)』などをもとにしているようですが、ここではただ、恋歌を贈られた鮎釣りの娘らが、旅の一行に対して短歌で答えた。その短歌と思っていただけば十分です。
この和歌は、釣りをしている川の名称を用いて、
「松浦川が淀んでも、
わたしたちの心は淀まないよ」
と言ったに過ぎません。ただ「淀」というキーワードをくり返しながら、淀むものと、淀まないものを対比させて、結論にまとめていますから、言葉のくり返しによるリズム感が、詩としての様式化に役立っています。つまりは、日常の語りよりは、凝ったものとなっていますが、同時にそのリズム感によって、軽快さが保たれていて、語りの即興性が失われていません。それで詩的な表現を、直に言われたようなよろこびを感じるのです。あるいは娘さん(娘さんを気取った作者)は、そこまで計算に入れて、この短歌を詠んだのでしょうか。
次は間違いなく憶良です。
家にありて
母が取り見ば なぐさむる
心はあらまし 死なば死ぬとも
山上憶良 万葉集5巻889
《一に云ふ「後は死ぬとも」》
家にあって
母親が看取(みと)ったなら 慰めになる
思いもあっただろうに
おなじ死ぬのであっても
《後に死ぬものではあっても》
[《》にあるのは、別の本にはこう言うとか、一つには~と言うと、説明が加えられている部分です。万葉集ではしばしば見られ、もっと大きく異なる場合もあります。ここでは、そのような例がしばしばあることを紹介するために記しましたが、これからは、必要の無い限り、このように記したりは致しません。]
さて、「松浦川」の後は、ほとんど山上憶良による、[漢文+和歌]の作品で占められています。この和歌もまた、漢文と長歌が置かれて、その後のいくつかの短歌が収められている、その短歌の一つですが、漢文の内容から、役人の従者を仰せつかった青年が、旅の途中で亡くなったのに対して、追悼の意を表したものであることが分かります。簡単な内容ですが、このような真摯な思いを述べるときは、よけいな修辞や、凝った表現を求めるよりも、率直に記すことが、共感を得やすいということは、覚えておいて欲しいと思います。
さて、この作品の後、いよいよ、
山上憶良の『貧窮問答(びんぐううもんどう)の歌』が続き、
その締めくくりには、
世の中を
憂しとやさしと 思へども
飛びたちかねつ
鳥にしあらねば
山上憶良 万葉集5巻893
世の中を
辛くて恥じ入るように 思いはするが
飛び去ることは出来ない
鳥ではないのだから
という有名な短歌が置かれ、さらには、老い滅びゆく自分をしたためた『沈痾自哀文(ちんあじあいぶん)』という、漢文長編が置かれ、まるで「万葉集巻第五」を、山上憶良歌集のようにして彩っています。
この巻も冒頭に「雑歌」と記され、すべてが雑歌で成り立っていますが、雑歌というのは、ジャンルとしてはあまりにもざっくばらんで、定義することに意味があるのかどうか、あやしいくらいの項目には違いありません。
この巻に初心者向けの、うまいまとめ方は残念ながらないのですが、おおよそ宮中でのおおやけの歌を紡いでいた「巻第一」に続くように、次の時代の和歌が収められています。内容は様々ですが、冒頭に笠金村(かさのかなむら)、車持千年(くるまもちのちとせ)、山部赤人(やまべのあかひと)の長歌をしばらく掲載し、巻末には田辺福麻呂(たなべのさきまろ)の長歌をいくつか掲載して、それらにサンドイッチされるように、他の和歌が並べられていることを、特徴としてあげておきましょう。いずれも、宮廷歌人(きゅうていかじん)と表現されることもある、宮廷での儀礼や祭事に歌をまかされていた人たちです。
朝(あした)には 海辺(うみへ)にあさりし
夕されば 大和(やまと)へ越ゆる
雁しともしも
膳王(かしわでのおおきみ) 万葉集6巻954
朝の間は 海辺で餌をあさり
夕方になれば 大和の方へ飛んでゆく
雁がうらやましいよ
さて、前にも登場した、長屋王(ながやのおおきみ)の息子、膳部王(膳王)(かしわでのおおきみ)の和歌です。729年「長屋王の変」で無念の最後を遂げますが、この短歌がそれと関係している訳ではありません。
内容としては、「朝と夕」「海辺と陸」「あさると飛ぶ」という、きわめて分りやすい対比を、二句ごとに繰り返した後、「そんな雁がうらやましい」とみずからの感慨へまとめるところ、詩の形式と心情の兼ね合いが、単純ながら効果的です。そして内容が明快だからこそ、「うらやましい」のひと言に、真実味が籠もります。
たとえば「夕焼空焦げきわまれる大空を」飛んでいく雁などと、こなれない、夕焼けが焦げるという着想が浮かんだものだから、奮発してそれを「きわまれる」まで持っていた、自分のイマジネーションに乾杯して酔いしれたような、いつわりの表現に雁を飛ばしたら、うらやましい気持ちが消え失せてしまうのとは、大きな違いです。しかし「焦げるような夕焼けを」と言うなら、あまり不自然には感じない。表現というのは、難しいもの……でしょうか?
ただ私たちが「夕焼けが焦げ極まった」
とは普通表現しないから変に聞こえるだけで、
なにも難しいことはないのです。
ではせっかくですから、
「Aは ~であり」
「Bは ~である」
で四句を形成して、結句で取りまとめるような和歌を、ノートに落書してみましょう。内容は別に「今日は給食であり」「明日は弁当である」でも、「東には朝日が差して」「西には雲がたなびく」でも何でも構いません。
右手には お前のハートを
左手に 俺の心を 永久(とわ)に捧げよ
二日酔いの彼方
「お酒はさめたの?」
赤い花 あなたにあげる
白い花 あなたにあげない
わたしのこころは
課題歌 時乃遥
「冷めたようですね」
今夢は 絵描き歌して
いつか叶う 虹を描けよ
色鉛筆して
応用歌 時乃旅人
実はこのように、似たような表現を使用しながら、異なる内容を対置させるものを、「対句(ついく)」と呼びます。簡単なものは「山は緑、海は青」とか「電車には人が揉まれて」「改札に人影はなし」など、一部の言葉を入れ替えながら、二回繰り返すことにより、通常の表現ではあまり見られない、詩的な表現を目指すものです。覚えておかれると良いでしょう。
大和道(やまとぢ)の
吉備(きび)の児島(こしま)を 過ぎて行かば
筑紫(つくし)の児島 思ほえむかも
大伴旅人 万葉集6巻967
大和へ向かう途中
吉備の児島を 過ぎるときには
筑紫にいた児島という娘のことを
わたしは思いだすだろう
大宰府の赴任先で知り合った、児島という名のあそび女(め)が、別れを惜しんで詠んだ、短歌に対する返答です。「吉備の児島」[岡山県の「児島半島」で当時は島だった]を過ぎるとき「筑紫の児島」を思いだす。というリズムを取った対比が、分かりやすい内容ながら、この短歌を様式化して、堅調なものにしています。
実はこの短歌は、
はじめは取り上げるつもりはなかったのですが、わたしが古本で購入した小学館の「新編日本古典文学全集」の『万葉集二』に、以前の持ち主の落書きでしょう、小さな落書きで、
「H11.11.日書展」
と赤ペンで記してあるのが、気になって、
これも何かの縁だろうと思って、
短歌の内容も、幸いここに取り上げるのに、
ちょうどよかったものですから、
ついでに採用してみたものです。
古本の書き込みを見るとうれしくなるのは、
わたしだけでしょうか?
たゞ越(こ)えの この道にてし
おしてるや 難波(なには)の海と
名づけゝらしも
神社忌寸老麻呂(かむこそ/かみこそのいみきおゆまろ) 万葉集6巻977
ああ この直線ルートの山越えの道でか
「おしてるや難波」の海と
枕詞に命名されたのは
「おしてる」「おしてるや」というのは、
「太陽や月が空高く照らしている」
という意味を持ちますが、
枕詞として「難波」に掛かることになっています。なぜ掛かるかは不明のようですが、あるいはこの短歌が詠まれた時代、すでに分らなくなっていたのでしょうか。山越えルートの高いところから、難波の海を眺めたら、まさに「おしてるや難波」としか表現しようのない、日に照らし出された海が広がっていた。それで、「枕詞の由来は、この光景にあったのか」と納得した。そんな和歌になっています。つまりは、名前の由来にはすぎませんが……
枕詞のすべてが、
対象を畏怖の念で、
褒め称えるものでもありませんが、
「おしてるや難波」という枕詞は、まぎれもなく「難波」を褒め称えた表現です。ですから、「これがおしてるや難波のルーツか」と思わず詠んでしまったこの短歌は、そのように感嘆(かんたん)してしまうほど、実際の景観がすばらしかったことを、まさに枕詞の効果によって、表現することになりました。
すると聞かされた方も、「おしてるや」が枕詞であることさえ分かれば、山から見晴らした時の、かなた先に広がるキラキラ光る海が浮かんで来ますから、そのような実体験さえ持っているならば、ほとんどかたり口調にすぎないこの短歌を、詩情豊かに捉えることが出来るのです。
またここでは、枕詞であるはずの「おしてるや」が、和歌を様式化させるのではなく、説明の対象として利用されているのも、ちょっとユニークかも知れません。
思ほえず 来ましゝ君を
佐保川(さほがは)の かはづ聞かせず
帰へしつるかも
按作村主益人(くらつくりのすぐりますひと) 万葉集6巻1004
思いがけず 来られたあなたを
佐保川の かえるの声さえ聞かせずに
帰してしまうなんて
[佐保川(さほがわ)はそれほど大きな川ではありませんが、奈良のみやここと平城京の内側を、東寄りに南北に「ぶった切って」流れる川として、当時は良く和歌に詠まれた歌枕(うたまくら)[和歌でよく詠まれる名所]でした。今日なら関西本線と平行するものと覚えておけば、おおざっぱな流れは捉えられるかと思います。]
これだけでも、思いがけず来た相手が、すぐに帰ってしまったことは分りますが、実際は、上司の接待を受け持ったら、上司が用事だけを済ませて、すぐに帰ってしまった。そんなシチュエーションで詠まれたことが、万葉集には記されています。
「かはづ」はやはり、
千鳥と並ぶ佐保川名物であった、カジカガエルの「鳴き声」を指すのでしょうか。夕方にうつくしく鳴く、その声さえ聞かせずにということは、宵の接待すら受けずに、相手は帰ってしまったということになります。よほど急な用件でもあったのでしょうが、接待する側としては、自分の落ち度ではないかと心配して、あれこれと思い悩むのは、今も昔も変わらないようで……
ですから、こんな短歌をしたためて、
お詫びに添えてみたりもするのです。
冒頭に「思いかけず」とあるのは、準備が整いきれなかったのを、ちょっと言い訳したようにも取れますが、あるいはむしろ、思いがけず予定の時間より早く来て、早く帰ってしまったので、(つまり別の用事があり、約束の時間を変更して)上司が来て帰ったのを、このように詠みなしたものかもしれませんね。
言問(ことゝ)はぬ
木すら妹(いも)と兄(せ)と ありといふを
たゞひとり子(ご)に あるが苦しさ
市原王(いちはらのおおきみ) 万葉集6巻1007
ものを言わない
木ですら雌と雄の 区別があるというのに
ただひとりっ子で あるのがつらいよ
きわめて簡単です。
それでいて、嘆きをしらない植物にすら、
男女の区別があるというのにと、比喩から始めて、下句の自らと対比させています。対比というのは、短歌における常套手段で、それだけで、幾分それらしく聞こえますから、決して「ひとりはさみしいの」と、主情を述べたようには聞こえません。おかげでちょっと率直すぎる、「あるが苦しさ」が、大地に落ちずに済んでいるのです。
妹背(いもせ)[妹兄も同]という言葉は、兄弟も指しますが、まずは愛し合う男女を表わす言葉として、より多く使用されますから、ここでも「独り子であるのは辛い」というのは表の辛さで、内心は恋人が欲しいと読み解くと、「あるが苦しさ」なんて、白状した精神が、生かされて来るかもしれませんね。
七巻は、「雑歌」「比喩歌」「挽歌」からなりますが、「比喩歌」は歌の内容ではなく、詠み方のジャンルで、しかも恋の比喩が多いので、相聞の代わりのように捉えても構いません。すると、三大分類のすべてがこの巻には収っていると言えるでしょう。これまでと違って、恐ろしいことに、この七巻は「よみ人しらず」つまり「名無しさん」の和歌が並べられています。何が恐ろしいかと言いますと、漢文の序文や説明文の添えられた、これまでの巻と同じくらいのスペースに、もっぱら短歌を並べますので、特にはじめて読んでいくと、「名無しさん」の短歌が、果てしなく続いていくような恐怖感にとらわれる。よほど好きな人でも、へこたれるのではないかと危惧します。そんな訳ですから、なおさら紹介という行為も、意味があるのではないでしょうか。
見取り図としては、
雑歌 ……前半「~を詠む」シリーズ
中頃少しだけ「~にして作る」
後半ずっと「羈旅にして作る」
最後に「旋頭歌」を置く
比喩歌……「~に寄せる」シリーズ
挽歌 ……実際は最後にちょっとだけ
だいたいこんな感じになります。
「よみ人しらず」を集めた巻の特徴として、この巻も「柿本人麻呂歌集」から取られたものが結構あります。「柿本人麻呂歌集」というのは、『万葉集』の先行資料として、編纂時に利用された歌集ですが、これが柿本人麻呂自身による作詩なのか、柿本人麻呂を中心にした集なのか、彼が編纂したに過ぎないのか、完全な結論は出ていません。今はそんな集が、万葉集を編纂するときに利用されたとだけ、知っていれば十分かと思われます。
『月を詠む』
もゝしきの
大宮人(おほみやひと/びと)の まかり出(で)て
あそぶ今夜(こよひ)の
月のさやけさ
よみ人しらず 万葉集7巻1076
(ももしきの)大宮人らが退出して
あそび興じている今宵の
月のさやけさときたら
「ももしきの」は大宮の枕詞で、大宮は宮中ですから、大宮人は、(大宮駅にたむろする人々ではなく、)宮中に仕える、特に公卿など、上級貴族を指す言葉です。彼らが仕事を終えて退出して、宴かなにかに興じている今宵の、月はなんとさやかなことだろう。(分りにくければ「清らかなんだろう」でもかまいません。)貴人達を主人公にして、狭い空間から逃れ出たような印象を与え、遊ぶやいなや、空の月へとフォーカスをうつす手際は見事で、広がりのある短歌に仕上がっています。それでいて、
宮廷の貴族たちの退出して
遊んでいる今宵の月の清らかさ
と述べているに過ぎませんから、
ただちょっと枕詞や敬語を着こなして、
私たちが日記を付けるくらいの、
ことを語っているには違いないのです。
『雲を詠む』
大き海に/大海に 島もあらなくに
海原(うなはら)の たゆたふ波に
立てる白雲
よみ人しらず 万葉集7巻1089
大きな海には 島も見あたらない
海原を ただよう波には
真っ白な 雲が立ち上っている
伊勢への行幸(ぎょうこう)、つまり天皇の伊勢参りに随行した時の短歌です。大きな風景を、近景へ移すのではなく、大きなまま、さらに大きな空へゆだねる手際は、凝ったものではありませんが、きわめて雄大です。自然を描写するのは、このくらいで十分なのです。
『吉野にして作る』
宇治川(うぢかは/うぢがは)を
舟渡せをと 呼ばへども
聞こえずあらし/ざるらし 楫(かぢ)の音(おと)もせず
よみ人しらず 万葉集7巻1138
宇治川を
舟を渡せと 呼んでいるのに
聞こえないようだ 楫の音すらしない
一見簡単な内容ですが、まさか何もないところで、舟を出せと叫んだりはしないでしょうから、聞こえないらしいというのは、あるいは見えているけれど、聞こえないくらいの距離なのでしょうか。でも、見えているのに、楫の音もしないというのは不自然です。では、船着き場のあることは分かっているけれど、霧でも立っていて、向こうが見えないものだから、何度も呼んでみたのでしょうか。それで楫の音を頼りに、待っているのでしょうか。
などと、想像力をふくらませても、詠まれた以上のことは分からないのですが、情景に興がそそられて、ついいつまでも、あれこれと推し量ってしまいそうな魅力があります。詠まれ方は明白でも、描き出した内容に、何か足りないところがあって、状況を定めきれない短歌というものも、はぐらかし方がうまいと、いつまでもシチュエーションを定めきれないもどかしさよりも、次々と情景を浮かべて見る面白さの方が、増さるような場合があります。この和歌は、その良い見本のようになっています。
『摂津(つのくに)にして作る』
命を/命をし 幸(さき)くよけむと
石走(いはゞし)る 垂水(たるみ)の水を
むすびて飲みつ
よみ人しらず 万葉集7巻1142
いのちこそ 無事でありますようにと
ほとばしるような 滝の水を
手にすくって 飲みました
「石走る」は、水が勢いよく流れる様子を込めた枕詞で、「垂水(たるみ)」や「滝」に掛かりますが、ここでは比喩のように訳して起きました。「垂水」は垂れ落ちる水のことで、まさに「滝」のことに過ぎません。それで、普通であれば、「無事でありますように」と言うところを、
「いのちに幸いがありますように」とし、
「滝の水」くらいのところを、枕詞を込めて、
「石走る垂水の水」
と置いたものですから、ちょっと敬虔なおもむきで、神の聖水でも飲むような、改まった印象がしてきます。もし仮に、これが名水でなくても、詠み手が自然の中で、滝に畏敬の念を抱いたように感じられますから、特別な水であっても、何気ない滝の水であっても、情緒性はないがしろにされません。
ところで、この短歌、
講談社文庫の『万葉集(二)』(中西進)では、
命幸(いのちさき)く 久しくよけむ
石走る 垂水の水を
むすびて飲みつ
となっています。
これだと、先ほどのよりも、「幸く、久しく」と念を押したような感じですから、ちょっと特別な滝の気配が強くなるでしょうか。このように、ベースに置いた原文や、校訂者による解釈の違いが、八代集などよりも遥かに多いのが、『万葉集』の特徴ですから、わたしの紹介するテキストもまた、正しい訳ではないことを、留めおいてくださるとよいかと思います。
ところで、『万葉集』に限らず、平安時代くらいまでの文学作品は、作者のオリジナルが残されていることはほとんどありません。それは様々な人々が書き写した写本(しゃほん)によって、後世に伝えられています。それで書き写された時の、文字の解釈や、ちょっとした校訂(こうてい)[いくつかの資料を参考にして改め正すこと]によって、写本ごとに内容が異なる所が、幾つも生まれてしまうのは、避けられません。
それで現代の校訂者は、なるべく原点に近いと思われる写本を、底本(ていほん・そこほん)に定めて、それをベースに幾つもの写本を参照しながら、校訂を行なうのですが、その底本にしても、取り上げる写本が校訂者によって異なることはしばしばで、さらに校訂と解釈の違いから、私たちが購入する書籍によって、表現に違いが見られることは、古文においてはきわめて一般的な事象です。
以上、ちょっとした脱線コラムでした。
『摂津(つのくに)にして作る』
妹がため
貝を拾ふと 千沼(ちぬ)の海に
濡れにし袖は
干せど乾かず
よみ人しらず 万葉集7巻1145
妻のために貝を拾おうと
茅渟の海で濡らした袖は
干しても乾かないほどだ
「千沼(茅渟)の海」
というのはここでは、大阪湾くらいに考えておけば良いでしょう。そこで貝を拾おうとしたら、袖が濡れまくって乾かない。それがどうしたと反論が来そうですが、冒頭に「妹がため」と断っていますから、妻や恋人のためのお土産として、貝殻を求めたことが分ります。すると干したのに乾かない袖、というさりげない不条理が、なみだで濡れているのだと悟れます。
貝を拾っているうちに思い出して、
夜になってから、めそめそ泣きました。
見てください、袖がこんなに濡れて……
なんて主情任せに言われれば、「なんだこのだらしない野郎は」と、あまったれの精神に、平手打ちの五六発も捧げたくなりますが、詠まれているのは、あくまで貝殻を拾う情景に過ぎませんから、密かに思いをゆだねたような短歌として、寄り添うことが出来るという仕組みです。
おなじ「干せど乾かず」でも、
あさりする
海人娘子(あまおとめ)らが 袖通り
濡れにし衣(ころも) 干せど乾かず
よみ人しらず 万葉集7巻1186
漁をする漁師の 娘らの袖を通って
濡れた服は 干しても乾かない
だと、「恋人のため」といった対象もないものですから、恋のなみだで乾かないとは感じられません。その代り今度は、「漁をする猟師の娘である」という説明が加えられますから、具体的な意味として、「毎日漁をするので乾く暇がない」と、つまりは生活に同情するような気持ちが湧いてきます。それで短歌としては、ちゃんと心情が伝わってくる。少し慣れれば、私たちにも詠めそうな表現には過ぎませんが、真心のある短歌になっているのです。
浜清(はまきよ)み
磯(いそ)に我(あ)が居れば 見る人は/見む人は
海人(あま)とか見らむ 釣もせなくに
よみ人しらず 万葉集7巻1204
浜が清らかなので
磯にわたしがたたずんでいると
どこからか眺める人は 漁師などと思うだろうか
釣りもしていないのに
浜が清らかなので佇(たたず)んでいると、と始めますから、なるほど浜を眺めているのは私なのですが、それをどこかから眺める人はと、視点を移しかえたところにおもしろみがあります。そうして「釣りもしていないのに、漁師だと思ったりするのだろうか」という見立てが、なるほど、ぼんやり海を見ながらの思いつきらしく、実際はどう思って貰っても構わないような感慨です。
けれどもちゃんと、相手が遠くから眺めるからこそ、釣りの道具も無いのに、漁師と見誤るだろうという距離感が織り込まれていて、それによって詠み手が眺めている光景も、遠景へと広がるように定められている。それで、このように明確に説明されなくても、聞き手は何となく、遠望する情景が、自然に浮かんで来るのです。
なんだかぼんやりと詠まれたような短歌に思われましたが、なかなかの詠まれ方をしていることが理解できたかと思いますが、それでもう一度詠んでみても、やっぱりぼんやりと海を眺めている旅人の、即興的な感慨くらいにしか聞こえてこない。何の嫌みもなく、その情景に身を委ねて、聞き手の方もぼんやりと、海を眺めていられる。
それだからこそ、読み手の発想が頓知と絡み合って、エゴの溢れてくるような、奇抜な着想にまみれた、品評会の提出物などに比べて、この短歌は遥かにすぐれているのだと言えるでしょう。
波高し
いかに楫(かぢ)取り 水鳥(みづとり)の
浮(う)き寝(ね)やすべき なほや漕ぐべき
よみ人しらず 万葉集7巻1235
波が高いね。
どうだい船頭さん、
水鳥みたいに、船を浮かべて休もうか。
それともまだ漕げるかい。
波が高いけど、ここで停泊しようか、まだ漕げるかと尋ねただけですが、留めた舟で眠ることを、水鳥のように浮き寝をすべきかな、とシャレて言ったので、日常的な話し言葉が、ちょっと様式めいて短歌らしく聞こえてくる。それでいて、実際にこのように尋ねても、差し支えのないくらいの語りを保っています。すると聞き手は、即興で気の利いた言葉を語られたような気持ちになる。それがこの短歌の値打ちかと思われます。
さて、比喩歌(ひゆか)はただの比喩を使った歌ではなく、歌の内容が別のことを暗示しているものだと説明しました。次のものは、何を比喩したもになっているでしょうか。考えながら読むのも、暇つぶしには幸福です。
『衣(きぬ)に寄する』
くれなゐに
衣(ころも)染めまく 欲しけども
着てにほはゞか 人の知るべき
よみ人しらず 万葉集7巻1297
紅花(べにばな)で
衣を染めたいと 思うのですが
着て目立ったら みんなに指さされそう……
「にほふ」というと、今日なら香りが先に立ちますが、万葉集の時代はむしろ、「うつくしく映える」「うつくしく染まる」など、視覚的な言葉として、まずあったようです。「染めまく」は、「染めむ」を「ク語法」によって名詞化したもので、「染めること」を「欲っする」つまり、「染めることを願う」「染めたい」という意味になります。
[ちょっとおまけの知識。この「まく欲し」が繰り返されているうちに、平安時代になると「まほし」という表現で、「~したい」というようになっていきます。]
それでおもての意味は、鮮やかな紅色(べにいろ)に服を染めたいけど、目立ったら皆に知られてしまう。という内容になります。ただ比喩歌ですから、
紅のように美しく映えるあの人に、
染まってしまいたいと思うけれど、
そんな衣を身にまとったら、
皆に感づかれてしまうに違いない。
というような、譬えを宿しているのです。これを、高嶺の花に恋い焦がれながら、行動に起こす勇気が出ない青年くらいに捉えても構いませんが、実際は染めて着るというのは、共に寝ることに他なりませんから、むしろ人目さえ気にしなければ、行動に移せる立場の人間が詠んだようにも思えます。そうして人目が気になるというのは、身分の差があるとか、すでに相手が誰かのものであるとか、ちょっと禁断の恋の様相なのかも知れません。
『山に寄する』
岩(いは)が根(ね)の
こゞしき山に 入りそめて
山なつかしみ 出(い)でかてぬかも
よみ人しらず 万葉集7巻1332
大きな岩が そそり立つような
険しい山に 足を踏み入れたら
山に心を引かれて
出られなくなってしまいました
「こごしき」というのは、「岩などがそそり立って険しい」ことで、「なつかしみ」というのは、懐かしく思い出されるような意味よりもむしろ、「側にいたい、慕わしい」と心引かれるような言葉です。それでおもての意味は、「険しくて近づきがたい山に踏み込んでみたら、かえってそこが素敵に思われて、離れがたくなってしまった」というような内容になります。
これだけでは、山賊の親分みたいな短歌になってしまいますが、
当然「比喩歌」ですから、裏には別の意味が込められている。
それは何かと考えれば、なるほど、恐れ多いような、近づきがたい人に、勇気を出して近づいたら、その人か逃れられなくなってしまった。そんな思いを、そっと織り込めていると気づくのです。それにしても……
「岩石のそそり立つような険しい山」
に喩えられるような人って、
どのような人だったのでしょうか、
ちょっと気になります。
では、ここでまたノートを取り出して、
「比喩歌」というものを、作ってみましょう。
暗示を込めようとすると、難しくなりますので、
はじめに描き出すべき「真意」を先に決めてから、
「仲違い」 ⇒「子犬の喧嘩」
「迷い」 ⇒「数式にたとえる」
そして困ったときには、
「恋」 ⇒「花にたとえる」
という王道を利用するとよいかと思われます。
ただし、課題としては、これまでのより難題です。
頭が痛くなったら思い詰めることなく、
さらりとスルーするのが秘訣です。
妥協でも逃げでもありません。
気楽にスルーして良いのです。
出来るところだけやりましょう。
楽しいところだけ歩んだら、
いつしか辛いところも歩けます。
わたしの課題は、ふと気に入ったら、
つまみ食いくらいでも十分です。
それでもきっと向上です。
子犬らの
じゃれあううちに 喧嘩して
またじゃれあえたら いいのだけれど
「比喩歌」のちょっと面倒な所は、結句を「あなたと一緒に」などとすると、単なる短歌内部での比喩になってしまいます。あくまで子犬らが喧嘩したけど、またじゃれあえたらいいなあ、と子犬のことを推し量って、おもての意味を全うします。けれども子犬がまたじゃれ合うのは自明のことなので、どこかに不自然が籠もる。そこに暗喩を導く鍵が隠されているという仕組みです。
だから、うまく出来なくてもいいんです。
短歌の向上とあまり関わりなく、ややこしいものなのです。
XとYから導く公式の
定めきれない定理もあるかと
これも、XとYだけで導く公式で、定められない定理があるのは自明なものですから、なぜそのような分かりきったことを述べたのか、という所に暗喩を解く鍵が隠されている。もちろんこれだけで、明確な意図は分かりませんが、ともかくも、詠み手が定めきれない何かに悩んでいて、その思いを託したのだということは分かります。心情表現としては、それが伝われば十分で、「比喩歌」がまっとうされるという仕組みです。
さて、皆さまは詠めたでしょうか。
俺様の方がよっぽど優れている?
それは大いに結構です。
しかし、うまく出来なくてもよいのです。
あなたが試して見たことによって、簡単そうな『万葉集』の短歌たちも、なかなかそれなりの詠み手たちによって、産み落とされたことが分かったなら、それはそれで収穫です。いらだつことなど何もない。そろそろ先へと参りましょう。
挽歌(ばんか)は人の死を悲しむもの。
柿本人麻呂の長歌による挽歌は、宮廷で公式に使用されたものですが、
名もなき人たちの挽歌には、個人的な思いがあふれています。
秋津野(あきづの)に
朝ゐる雲の 失(う)せゆけば
昨日(きのふ)も今日(けふ)も なき人思ほゆ
よみ人しらず 万葉集7巻1406
秋津野に 朝かかっていた
雲がどこかへ 消えてしまえば
昨日も今日も おなじように
亡くなった人のことばかり考えてしまう
このひとつ前の和歌に、
「秋津野と誰かが言うと」
「朝に散骨をしたあなたが思われて」
嘆きが止まらないとありますから、
これもまた、火葬の煙に見立てた雲が流れ去ると、あの人の魂が行ってしまったことが思いだされる。そんな和歌になっています。もし露骨に、「あの人が死んでからずっと泣いてる」なんて言われれば、知り合いでもなければ、かえって興ざめを起こすくらいですが、結句から、誰かを偲んでいることが分り、後は地名と雲の消えゆくことが、上の句から悟れるくらいのものです。その雲に悲しみを委ねるみたいな、様式化された短歌であればこそ、第三者である私たちも、詠み手に寄り添って、心を動かすことも出来るのでしょう。
ちなみに秋津野は、和歌山県田辺市の秋津野の事かともされますが、「吉野の秋津の宮」という表現もあり、吉野のどこかを指すとも。つまり確定はされていないようですが、火葬の行なわれた山ですから、当時の葬儀場があったものと思われます。火葬はそれまでの土葬に対して、最先端の葬儀システムだったと思われますが、ひとつ前の短歌から、骨は埋めるのではなく、撒いて自然に帰したことが見て取れます。もちろんその一般性については不明です。
巻第八は、「よみ人の分かる」四季の歌です。
春の雑歌、春の相聞
夏の雑歌、夏の相聞
秋の雑歌、秋の相聞
冬の雑歌、冬の相聞
という括りで分類されているので、
順番は分かりやすいかと思います。
春雨(はるさめ)の しく/\降るに
高円(たかまと)の 山のさくらは
いかにかあるらむ
河辺朝臣東人(かわべのあそみあづまと/あづまひと) 万葉集8巻1440
春雨がしきりに降っています
高円の山のさくらは
どうなっているでしょう
前に見た「対句(ついく)」ほど明確ではありませんが、「Aは何々だけれど」と別の対象を詠んでから、詠みたい内容「B」を提示するのも、短歌ではよく見られる方法です。「Aは何々だけれど」に対して「Bはこれこれである」とか「Bはどうでしょう」と表現すると、「Aの内容」と「Bの内容」が対置されて、構造がしっかりしますから、普通の会話レベルの内容でも、様式化された短歌らしく響きます。
高間山(たかまどやま)は、現在の奈良市の南東部、春日山の南にある山です。「しくしく」というのは、なんだか泣いてるような感じですが、そうではなくて、「しきりしきり」と思っていただければ良いかも知れませんが、「しきりに」「うち続いて」といった意味になります。
それで和歌の意味は、
春雨がしきりに降っているけど、山のさくらはどうなっただろう。というだけの、きわめて分りやすい内容になっています。それが興ざめせずに、どことなく慕わしにのは、先ほど見ましたように、構図が整っているのと、詠まれた情景が、詠み手のおせっかいな意見やら、とびっきりの発想とやらに妨げられることなく、心地よく共感できるからには違いありません。
闇(やみ)ならば うべも来まさじ
梅の花 咲ける月夜(つくよ)に
出(い)でまさじとや
紀女郎(きのいらつめ) 万葉集8巻1452
闇夜であれば、もっともです来ないのも。
梅の花が咲いている月夜に、
いらっしゃらないだなんて。
「うべ」というのは、「それももっともだ」「それも道理だ」と前のことを肯定する表現です。それだと「闇であるのはもっともだ」となってしまいそうですが、二句目が「来まさじ」というのも「うべ」である、という表現を、例の倒置法(とうちほう)で「うべ」を強調したものになっていますから、「来ないのももっともだ」という内容になります。
それが解けると、輪郭はつかめると思いますが、この和歌も「闇」と「月夜」の二つを対比しつつ、こんなすばらしい夜に来ないなんてと、まとめてみせる。「もっともね来ないのは」とわざと理屈っぽくしてから、「でもこんな夜に来ないなんて」と驚いてみせる口調は、来ない相手を罵るよりも、日常会話の陽気さを保って、すねて見せたような印象です。
わが宿の
花橘(はなたちばな)に ほとゝぎす
今こそ鳴かめ 友に逢へる時
大伴書持(ふみもち) 万葉集8巻1481
わたしの家の庭の
橘の花に ほととぎすよ
今こそ鳴いておくれ 友に逢っているこの時
橘(たちばな)は、在来種のニッポンタチバナともされますが、実のなるミカン科の植物の総称ともされています。「花橘(はなたちばな)」とは、花の咲いている橘のことで、万葉集の和歌には、橘の実のことについて歌った和歌も多いものですから、花という定義が、わざわざなされたのかもしれません。
その夏に咲く、白い花のところに来て、
ほととぎすよ、どうか鳴いて欲しい。それくらいの短歌ですが、
「今こそ鳴くんだ、友に逢っている今」
「この時こそ鳴くんだ、友に逢っているこの時」
どちらでも結構ですが、結局おなじ意味の、「今」「時」に強調されるように、詠み手のテンションの高さが伝わってきます。それで聞き手も引き込まれて、なんだか友だちと一緒に、ほととぎすを聞きたくなってくる。あるいはまた、友だちに逢いたくなってくる。そんな陽気な活力が、この和歌の魅力です。ところで……
また大伴一味の登場です。
大伴書持(ふみもち)(?-746)、彼は大伴旅人の息子のひとり、大伴家持とは母を同じくする弟で、万葉集の中にも、いくつかの作品が残されています。また書持が亡くなった時の、家持の追悼歌も納められていますから、名称を覚えておいてもよいでしょう。
『霍公鳥(ほとゝぎす)をよろこぶる歌』
いづくには
鳴きもしにけむ ほとゝぎす
我家(わぎへ)の里に 今日のみそ鳴く
大伴家持 万葉集8巻1488
いずこかで 鳴いてもいたのだろう
ほととぎすが わたしの家のこの里で
今日ようやく鳴いている
今度はお兄さんの短歌です。
いくぶん理屈っぽく責めてきます。
おそらくは、そこが狙いです。
わざわざ上の句で、「他ではもう鳴いていたんだろう」と加えたのは、鳥の習性を披露した訳でも、しかるべき事実を、推量した訳でもありません。素直に鳴き声を喜ぶべきところを、あえて上の句を加えたのは、つまりは、
「うちにはなかなか来て鳴かなかったのに、
余所ではきっと鳴き声を聞かせていたのだ」
とちょっと妬んで見せた。ちょっと恨んでみせた。
つまりは待ち焦がれる気持ちが元となって、
上の句のような台詞を加えさせたという訳です。
するとおもしろいことに、
なまじ学問の才能に長けた、知性派であるばかりに、弟のようには素直に喜んだり悲しんだり出来ず、ついこんな理屈っぽくなって、恨んでみせたのではないか。先ほどの弟の和歌と比べて、素直な心情を、理屈に置き換えたような原因を深読みして、比べてみるのも愉快です。
ふるさとの
奈良思(ならし)の岡の ほとゝぎす
言告(ことつ)げやりし いかに告げきや
大伴田村大嬢(おおとものたむらのおおいらつめ) 万葉集8巻1506
古きみやこの、奈良思の岡のほととぎすに
伝言を伝えましたが、なんて伝わりました?
これは田村大嬢が、異母妹の坂上大嬢に贈った和歌です。ほととぎすの鳴き声を待ちわびている相手に、わたしが伝言を頼んだほととぎすは、なんて伝えましたか。つまりは、ほととぎすはもう鳴きましたか、と尋ねてもいるわけです。
一方で、受け取った方は、
すでにほととぎすの声を聞いていれば、「ああ、あれが伝言だったのね」と、含み笑いも出来ますし、まだ来ていなければ、「いつになったら姉からの伝言は届くのかしら」、そんな思いを加えて、ほととぎすを待つことも出来る。つまり、すでに聞いていても、まだ聞いていなくても、相手への挨拶を果たす訳ですから、なかなか戦略的な、「季節の頼り」になっているようです。
そうして一番大切なことですが、
なんの嫌みもないからこそ、
わたしたちも愉快に読まれる訳です。
それを例えば、
ほととぎす
ひとすぢ咲けば 空晴れて
悲劇の中に たたずむ如し
小池光 「時のめぐりに」
このような、着想と頓知とフィーリングに戯れて、不可解な表現に生き甲斐を見いだしたような落書きが送られて来たら、散々言葉のお遊びをした後で、「わたしは悲劇の中にたたずんでいるようだ」などと、平気で述べるような安っぽい誇大表現にあふれていますから、「ほとゝぎす言告げやりし」のような些細な嘘、あくまでも「ほとゝぎす」の鳴き声に寄り添って喩えた、ユーモアのようには響きません。まるで着ぐるみのほととぎすが、悲劇を気取った大根役者と一緒になって、大げさな芝居でもするような、安っぽい擬人法が光ります。
面白いことに、「ほととぎすがひとすぢ咲く」などという、むしろコマーシャルのキャッチコピーに相応しいような、流行語大賞をでも目指して考え出されたような、安っぽい虚偽が仇となって、「ほととぎすがひとすぢ咲く」はもはや実際のほととぎすに対する鳴き声の比喩のようには聞こえません。ほととぎすの着ぐるみが、花咲く演技をしているような、つまりは擬人法で無いはずの比喩が、無理矢理擬人化させられた比喩のように響きます。私たちの感覚に寄り添った比喩にはなっていません。
その理由は簡単で、「ほととぎすひとすぢ鳴く」でも、「ほととぎす咲く」でも、よほど考慮して使用しないと破綻するような、きわどい表現なのに、それを無頓着に絡み合わせてしまいましたから、わざとどぎつく着飾った、厚化粧のようにしか、響かなくなりました。なるほどコマーシャルや、コメディアンに毒されて、どぎつくないと反応しないような、俗人へのキャッチコピーには相応しいでしょうが、心情を語りかけた表現としては、完全に破綻しています。
その上で、悲劇などを持ち出しますから、そこからにじみ出てくるものは、心から感じた思いを表現したいという欲求とは正反対のもの、こんな表現を生みなしてしまった、すばらしいわたくしの感性をひけらかしたいという、安っぽいエゴ以外の、何ものも存在しない。このような作品こそが、皆さまにとっては反面教師となるであろう、いわゆる着想品評会の提出物、いびつな形をした壺の、押し売りのサンプルには他なりません。
実は、言葉をこね回して、わざと風変わりな表現を身にまといたいという欲求は、初心者にきわめてありがちな落とし穴でもあります。それが作品の identity のように思われて、自分が優れた、特殊な作品を生みなしたような気になれるからです。でも、皆さまには、自分が心から相手に伝えたいことを、相手に伝えるべき表現で、つまり日常の語りや落書きの表現で、まずは短歌にして欲しいと思います。それを気長に続けていけば、自然に風変わりな表現や、アクロバットな表現も出来るようになっていきますが、それはこのような、はじめから虚偽を目指したような、安っぽい誇大広告ではなく、あくまで聞き手の当たり前の感覚に寄り添ったままで、ユニークな表現を目指す、まったく別のものとなるべきであると、わたしは信じているからです。
秋萩は さかり過ぐるを
いたづらに かざしに挿(さ)さず
帰りなむとや
沙弥尼等(しゃみにども) 万葉集8巻1559
秋萩は 盛りを過ぎてしまうというのに
そのままにして 髪飾りに挿すこともなく
お帰りになってしまうのですか
沙弥尼等とあるのは、人の名前ではありません。
沙弥尼というのはつまり、まだ若い年齢の、尼さん見習いの娘さんといったところで、そのうちの誰かが詠んだ短歌、くらいのものです。実はこの和歌の少し前に、寺に付属する尼さんの修行宿舎で、宴会が開かれたことが記されていますが、そこで男が詠んだ和歌に答えて、詠まれたものになっています。それで、彼女らは、やがては尼になってしまうものですから、自分たちのことを宿舎の中で、空しく盛りを過ぎるものと見立てて、
「私たちはこのままでは尼になってしまいますよ
かんざしに挿してでも連れ出してくれたらいいのに
帰ってしまうのですか」
くらいの意味は、込められているのかもしれません。
ちょっとした冗談とも取れますが、案外本気で、
そこから抜け出したかったのかもしれませんね。
『鹿鳴(ろくめい)の歌』
山彦(やまびこ)の
あひ響(とよ)むまで 妻恋(つまご)ひに
鹿鳴(かな)く山辺(やまへ)に ひとりのみして
大伴家持 万葉集8巻1602
山彦が 互いに響き合うように
妻を恋求めて 鹿が鳴くこの山辺に
わたしはたったひとりで……
さて、この頃の大伴家持には、何でも具体的に記しがちな傾向があるようですが、ここでは、ただの鹿の妻問いの声を、「山彦が響き合うように」と形容したために、心にイメージされる情景が、ずっと空間を広くして、響きあう声までも、リアルにこだまするように感じられます。それによって、こんな山辺に独りきりであるというとりまとめが、なおさら寂しいものに思えてくる。
細かい描写が、
見事に生かされていると言えるでしょう。
しかも「山びこのとよみ咲く間の妻恋ひに」
など、みずからの表現に酔ったところがなく、
すべてが明白なのは、さすがです。
安易に「悲劇の中にいる」などとは言わずに、
「ひとりのみして」くらいで、詠み手にゆだねているから、
聞いている方も、素直に受け止められるのです。
『梅に寄せて思いをおこす歌』
今のごと
心をつねに 思へらば
まづ咲く花の 地(つち)に落ちめやも
県犬養娘子(あがたのいぬかいのおとめ) 万葉集8巻1653
今のように
こころを いつもと変わらないように保てたなら
春にまず咲く梅の花のように
むなしく土に落ちるようなことがあるでしょうか
これはちょっと込み入っています。
四句目の「まづ咲く花」というのは、春にまず咲く梅の花のことですが、詞書に「寄せて思いを起こす」とありますから、何かの比喩になっていることが悟れると思います。そして、冒頭に「今のように」と述べたことから、「あの頃はそうでなかった」というニュアンスが生まれてきます。地に落ちたというのは、終わってしまった、汚れてしまった、といったニュアンスでしょうか。
女性がみずからを「咲く花」にたとえて、
若き日を回想するならば、
いつものお約束へ落ち着くのは必然です。つまりは、
今のようにこころを乱すことなく愛せたなら、
はじめて開いた恋の花びらが、
(みずから)地に落ちることはなかったでしょうに。
そんな思いが、
あるいは宿されているのではないでしょうか。
すべての項目を、
紹介する必要もありませんから、
今は軽やかに過ぎ去ります。
その代わり折角ですから、
季節の短歌を詠んでみましょうか。
季節の表明は、直接「春夏秋冬」を使用しても良いですし、
俳句なら「季語(きご)」「季題(きだい)」と呼ばれる、
季節を表明する言葉を使用しても構いません。
「春夏秋冬」とそれから「正月」
全部で五つ、詠んでみるのも息抜きです。
散歩して
犬に噛まれた わたくしの
包帯しながら 植えるパンジー
遊び歌 時乃遥
押し競(くら)の
打ちあげ花火の ど真ん中
叫んでやるぜ お前が好きだと
いつもの彼方
見上げれば
いちょう並木の 青空は
突き抜けるよう 足をとどめて
課題歌 時乃旅人
短歌の作り方においては、今回は「対句(ついく)」というキーワードが出てきました。「山は緑が茂り」「海は青く広がる」のように、似たような表現の、一部を変えて対置する表現で、これが二句ずつ行なわれれば、
「Aは~である」
「Bは~である」
⇒結句で取りまとめ
という分かりやすい、短歌の定式になるという仕組みです。
この定式ではなくても、これまでの短歌から、常套手段として[A]⇒[B]のように、和歌の本意に対して対置される、なんらかの表現を折り込んで、短歌を完成させる例が、非常に多いことが分かるかと思います。
例えば序詞なども、
[序詞]⇒[本意]
となりますし、
[希望]⇒[その内容]
[空想]⇒[現実]
など、おおよそ二句三句を分岐点に、内容を二つ対置させるのは、短歌を作る際の、もっとも安定した定型にもなっていますから、鑑賞する時だけでなく、自分たちが短歌を詠むときにも、まずはこのような定型を足がかりに、安定した詠み方を試みて見るのが良いかも知れません。
それから、「季題(きだい)」「季語(きご)」というキーワードも登場しました。俳句と違って、短歌には季語は必要ありませんが、勅撰和歌集時代の四季の和歌を見ても分かるように、四季の表現を折り込むことが、俳句と同じように、短歌をたやすく表情豊かに見せることが出来ますので、自然と折り込まれることが多くなってきます。これも皆さまが、もし短歌を作ってみて、何か一つ足りないような時に、ちょっと寒さや暑さの表現を加えるだけで、全体の詩情が生きてくる場合もありますので、覚えておかれると良いと思います。
また、今回は最後に、品評会向けの作品について、ちょっとお話ししました。
これは次回、もう少し話を続けてみることにしましょう。
それでは、失礼します。
(つゞく)
2016/04/29
2016/06/06 改訂