梁塵秘抄(後白河法皇編纂)
-
●テキストと朗読について
-
………岩波文庫の『梁塵秘抄』(佐々木信綱校訂)をもとに、仮名は原文に寄り添いつつも歴史的仮名遣いを旨として、段落・余白などは、詩的に変更を加えるのみ。また現代語訳は、解釈や解説を内包したものであり、便宜上のものに過ぎない。随時掲載する。
-
●梁塵秘抄 巻第一
-
………二一首の断片を残すのみ。
-
●梁塵秘抄 巻第二 法文歌その一
-
●梁塵秘抄 巻第二 法文歌その二 (法華経品)
-
●梁塵秘抄 巻第二 法文歌その三
-
●梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 神文
-
●梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑その一
-
●梁塵秘抄 巻第二 四句神歌 雑その二
-
●梁塵秘抄 巻第二 二句神歌 (雑)
-
●梁塵秘抄 巻第二 二句神歌 神社歌
-
●書籍の学習的朗読
-
………角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックの『梁塵秘抄』、及びちくま学芸文庫の『梁塵秘抄』(西郷信綱)の今様を、掲載順に朗読しただけのもの。ビギナーズ・クラシックスは、好書・悪書の無頓着に混濁するシリーズであるが、こと『梁塵秘抄』は、導入の最適な手引きとしておすすめの書籍である。一方で西郷信綱のものは、いくつかの今様を深く考察したものとして、やはり導入の手引きとなるかと思われるが、その内容は、決して初学者のためのものではない。これらの書籍を片手に、朗読を聞いてみるのもまた一興。(ただし、わたしのへたれ朗読ではあるものの。)直接音声ファイルへと至るべし。
-
《角川ビギナーズ・クラシック その一》
《角川ビギナーズ・クラシック その二 (p39-)》
《角川ビギナーズ・クラシック その三 (p65-)》
《角川ビギナーズ・クラシック その四 (p107-)》
《角川ビギナーズ・クラシック ものづくし (p81-)》
《西郷信綱の梁塵秘抄》
梁塵秘抄口伝集
-
●梁塵秘抄口伝集
-
………後白河法皇の自らの今様歴とその正当性、自らの弟子たち、今様における示現譚より、今様往生論へといたる、口伝集の集大成とも言える第十巻のみ、幸運にも全文残されたため、これを朗読して、院政期の rockn rolla に捧げようというもの。
今様と梁塵秘抄について
-
●今様(いまよう)
-
………『枕草子』や『紫式部日記』に始めて登場する「今様歌(いまよううた)」は、文字通り今日風の、当世風の歌、という意味である。当世風とは、当時の文化の中心である貴族文化内での当世風であり、管弦の響きに合わせて歌われる催馬楽(さいばら)や、漢詩に曲を付けた朗詠(ろうえい)、神道への奉納を込めつつも宮中の音楽としてももてはやされた神楽(かぐら)などに対して、新しい歌という事で、もともとは民衆の歌謡などをもとにしながらも、中国伝来の楽器伴奏により宮中音楽(雅楽)へと改変させられた催馬楽に対して、宮中文化や民衆文化の混淆する中から生み出された、ある種の都市的な歌、いわゆる巷(ちまた)の歌を宮中も共有するといった側面を持っていた。したがってその歌は決して、民謡ではなく、むしろ今日風に云うところの、ポピュラーソングに近いと言うことが出来るかもしれない。京の街に大流行を引き起こした田楽(でんがく)が貴族たちにも好まれたように、みやこの文化と宮廷文化の混淆が、すでに顕著な現象となっていた。そしてそれは同時に、大陸からもたらされた音楽形式によって従属させられた歌詞に対して、言葉を開放するという側面があったらしい。(西郷信綱『梁塵秘抄』参照)
当初これは、若い貴族たちによって牽引されたブームであったが、後朱雀天皇(在位1036-1045)の頃には宮中をあげての流行を見せはじめ、白河院、鳥羽院の院政期には、その隆盛を極めたとされている。挙げ句の果てに辿り着いたのが、後白河法皇(1127-1192)の今様への圧倒的な傾倒で、彼はついに今様のアンソロジーである『梁塵秘抄(りょうじんひしょう)』を、自ら編纂することとなった。
彼は消えゆく芸能である歌としての宿命を逃れ、これを後世に伝えるために歌詞集『梁塵秘抄』全十巻、歌のジャンルや歌い方、各種伝承や自らの今様歴を記した『梁塵秘抄口伝集』全十巻(あるいは十一巻以降も)を記したのである。しかし残念ながら今様の流行は、武家政権の誕生、時代の移り変わりに呑まれて、鎌倉時代へと廃れていくこととなった。
-
●今様(いまよう)の音楽について
-
………基本となる楽器は鼓(つづみ)で、場合によって様々な楽器を加えることもあった。「今様は四句なり。しかして一句各一息なり」(体源抄)とあるように、言葉として聞き取られることが意識された音楽であったとされるが、数多くのジャンルに分けられ、語られるように歌われる歌もあれば、面白おかしい歌には特徴的なフレーズが付けられ、ジェスチャーを交えて楽しまれ、一方で敬虔なる仏の歌には、それに相応しい音楽が付けられ、引き延ばされたゆっくりの曲もあった。
今様は仏前で歌われることもあり、仏教の教えを、大衆的に消化したような歌詞が数多く残されている。喜ばしい時は喜ばしく、哀しいときは悲哀に満ちて、自らの感情に寄り添って歌われる一方、沢山の言葉遊びに彩られ、歌だか冗談だかもの笑いに更けるような歌もあったに違いなく、同時に即興性も重視され、「折に合う」ように歌詞を即興的に歌い替えることが求められた。その音楽はさぞやバラエティーに富んだものだったに違いない……が、その音楽は後白河法皇が危惧したように、風に吹かれた塵となって消え失せてしまった。
-
●今様の担い手たち
-
………今様の担い手としては、遊女(ゆうじょ)、傀儡(くぐつ)、白拍子(しらびょうし)といった、宮廷の娯楽とも都市とも関わりを持つ、体制の外ある女性の芸人が活躍した。あるいは都市的な芸人集団と宮中との結びつきから生み出された新しいタイプの歌が、今様と呼ばれるものの正体だったのかどうか、それは分からない。大江匡房(おおえのまさふさ)(1041-1111)の記した『遊女記(ゆうじょのき)』『傀儡子記(かいらいしのき)』を見ると、遊女とは水路の要所に活動し、船遊びなどと深く関わった芸能人であり、三人一組で貴人の舟に乗りこんで宴に華を咲かせることによって生計を立てていたらしい。もちろん、場合によっては夜のたわむれをも共にするが、本業は音楽家と見なし得た。あるいは彼女たちは、かつての律令制の雅楽寮などへと、その系譜をさかのぼることが出来るのかも知れないが、すでに在野の存在として体制の外に活動を行っていた。
一方で、傀儡(くぐつ)はひと昔前の言葉にある、旅芸人のようなものである。陸路を渡り歩きつつ男は人形劇や奇術などを見せ、また狩りをし、女は今様などを歌い、また一夜の客を取りながら生計を立てる、そんな集団であったようだ。
これに対して白拍子(しらびょうし)は、歌い手というよりは舞子であり、足拍子を取りながら舞を披露する男装の女芸人であったが、流行歌であるところの今様などにも長けていた。この白拍子は、今様の流行から言えばその最後の華にあたる頃、院政期の終わり頃になって登場した、さらに新しい流行りものであり、『平家物語』に華を添える仏御前(ほとけごぜん)(平清盛の寵愛を受けた)や、静御前(しずかごぜん)(源義経の寵愛を受けた)らが有名である。
-
●梁塵秘抄
-
………『梁塵秘抄』は、後白河法皇(1127-1192)によって、嘉応(かおう)元年(1169年)頃にそのプロトタイプが完成し、1180年前後に補筆されたと考えられる、今様の歌詞集全十巻と口伝集全十巻のことである。(口伝集第十一巻から十四巻も発見されているが、歌い方や伝承など編纂前の印象もあり、解読も困難で、後白河法皇と直接関わりがあるのか不明である)そのうち、現存するのは歌詞集が巻第一の一部(309首のうち21首)、巻第二(545首)、口伝集が巻第一の断片、巻第十(後白河法皇の今様歴)となっている。
題目の『梁塵』とは、「梁(うつばり)の塵(ちり)」の意味で、虞公(ぐこう)・韓娥(かんが)という歌の名手が歌うと、人々はなみだを流し、柱の上に掛ける横木(梁・うつばり)の塵さえも響きに呼応して、三日の間静まらなかったという中国の故事に由来する。
母親の影響から今様にどっぷり浸かった後白河法皇は、往年の天皇たちが和歌に傾けたような情熱を、今様に対して持ち続け、ついには傀儡(くぐつ)の乙前(おとまえ)に弟子入りして、今様の正統な後継者たらんとした。これは趣味として今様を嗜むというレベルではなく、いわゆる今様道を極めようと決意した、求道者の如きものであった。今様の仏教的な歌によって、遂には悟りの道へ至るべしと信じるほどの情熱から、咽を潰しても歌い続けるような今様狂いは、その担い手であるアウトサイダー的な芸人との関わりをいさぎよしとするような風潮を、院政内部に持ち込んだのかもしれない。(あるいは院政とは、武士やアウトローと、はなから結びついた様相で時代に登場したものだろうか?)
宮廷での今様熱も、彼に突き動かされた。例えば承安(しょうあん)四年(1194年)に後白河法皇の御所で行われた今様合(いまようあわせ)に於いては、九月一日から十五日間の間、三十人の公卿らが左右に分かれて、一夜ごとに十五番勝負繰り広げたという。恐らくは伝統的な貴族や、保守派からは、類い希なる暗君のようにも見られたに違いない。このような人物が、平清盛が登場し、平家が台頭し、また源氏に滅ぼされ、鎌倉幕府が成立するさなかに君臨した、治天の君であったことは、いささかに興味深いことではある。
-
●梁塵秘抄の今様分類について
-
[巻第一の分類]
長歌十首
……初めに「そよ」という囃子詞が付き、その後五七五七七の和歌が付く。和歌は勅撰和歌集などの有名なものを付け、つまりは和歌を歌詞とした歌である。
古柳(こやなぎ)三十四首
……一首しか残されず、「そよや」「なにな」「よな」などの囃子ことばが多用されたものと思われる。
今様(いまよう)二百六十五首
……七五調(というより字余りなど当たり前なので、長短調くらいの意味)が四句(つまり四行詩)を基本とする。
-
[巻第二の分類]
法文歌(ほうもんのうた)二百二十首
……様々な仏典の法文を読み解いた歌。
四句神歌(しくのかみうた)百七十首
二句神歌(にくのかみうた)百十八首
……どちらも仏、神への賛美から、世俗の歌までひろく含む。四句は今様に典型的な四句のものを旨とし、二句のものは和歌に見られるような五七五(上)七七(下)を典型とする。
-
●雅仁親王へ
-
………さま/”\な同時代人が、あなたを批判した。さま/”\な歴史家があなたをもてあそんだ。さま/”\な俗人が、奇異のまなざしであなたを眺めている。だけど俺たちは知っているのさ、あなただけが、本当のロックンローラーだったってこと。たましいのゆえを叫ぶことの、ただそれだけでたぐいまれなる、俺たちの憧れだってことを。そう、俺たちは知っている、異質なものを讃えるのではなく、排除しようとする、この島国全体の縄文から続くおぞましいほどの束縛を。それ故にこそ、あなたは永遠に奇異であり、曲学阿世の泥にまみれた、蟻ん子どもの餌食とはなるだろうけれど。
だって、あなただけがただひとりのきり/”\すではなかったろうか。ほんまもんの本当の真実のたましいの叫びを、まるで現代の壊れそうな俺たちみたいに、時代錯誤に本気で探求した、たましいの情熱家ではなかったろうか。
俺たちは歌い続ける
それはグロテスクな、
奴らに憧れるようなビートじゃなくて
俺たちの中から生まれたもの、
あんなにせものゝビートじゃなくて、
しっぽを振ってむさぼるような、
媚びを誇りあって、それとさえ知らないような、
そんな隷属した犬っころの精神じゃなくって、
ただ、ひたむきな歌を奏でるとき……
そうさ、あなたこそ
俺たちの黄泉の道しるべ
闇の絶望の哀しみのなかにさえ、
隷属ともしらず号令主義した蟻どもを、
ひたすら憎み拒絶するほどの、
群がる嘲笑主義の蟻どもとは、
永遠釣り合わない本当の、
きり/”\すしたすがたには、
違いないのだから。
梁塵秘抄、今様に関するリンク
-
●梁塵秘抄
-
………ウィキペディアの「梁塵秘抄」について
-
●今様
-
………ウィキペディアの「今様」について
-
●後白河法皇
-
………ウィキペディアの「後白河法皇」について
-
●Zaco's Page
-
………「国語の先生の為のテキストファイル集」こ古文のところに、『梁塵秘抄』のテキスト有り。
-
●今様ラプソディ
-
………後白河法皇著とされる「梁塵秘抄口伝集」の翻訳を試みているサイト。
-
●遊びをせんとや生まれけん/桃山晴衣
-
………「梁塵秘抄」の今様を現代に甦らせようと活動した、歌い手の桃山晴衣(ももやまはるえ)(1939-2008)女史による、toutubeの「遊びをせんとや生まれけん」
[Topへ]