万ごふとしふる かめやまの
したはいづみの ふかければ
こけふすいはやに まつをひて
こづゑに つるこそ あそぶなれ (316)
[万劫の長きを経るという 亀の支える亀山(蓬莱山)の
下にあるという泉は 大層深いものだから
苔のむす岩屋(洞穴)の口にさえ 松が生い茂り
その梢には 鶴こそ 遊んでいるだろう]
万ごふかめの せなかをば
おきのなみこそ あらふらめ
いかなるちりの つもりゐて
ほうらいさんと たかゝらん (317)
[万劫の長きを生きる亀の背中を
沖の波こそたえず洗っているというのに
いったいどうしてその亀の背中に
流され残した塵はやがては積もって
蓬莱山(ほうらいさん)となって
高く聳えるというのだろう]
うみには万ごふ かめあそぶ
ほうらい はう丈 えいしう
この みつのやまをぞ いたゞける
いはほにれんずる かめのよはひをば
ゆづる /\
きみに みな ゆづる (318)
[海には万劫の時を生きる亀が遊んでいる
蓬莱山、方丈山、瀛州山という不老不死の
仙境の三つ山を、背中にいただきながら
その山々の巌と連なったような、亀の万劫の時を
その齢(よわい)を譲ろう、譲ろう
みなあなたに、譲ろう
(どうか長生きしてくださいますように)]
うみには万ごふ かめあそぶ
ほうらいさんをや いたゞける
仙人わらはを つるにのせて
たいしをむかへて あそばゞや (319)
[海には万劫の長きを亀が遊んでいる
蓬莱山を背中にいただきながら
仙人に仕える童(わらわ)を
鶴に載せて、出向かせて
立派な太子を迎えて、遊びたいなあ
なんて思って遊んでいる]
こがねの なかやまに
つるとかめとは ものがたり
仙人わらはの みそかに たちきけば
とのは受領に なりたまふ (320)
[黄金の輝くという秘仙の中山に
鶴と亀とが、何かを語り合っている
仙人に仕える童が、盗み聞きして
それを知らせてくれたものだから
殿様は受領に成ることが出来たんだってさ]
須弥(すみ)をはるかに てらす月
はちすのいけにぞ やどるめる
はうくわう なぎさに よるかめは
こふをへてこそ あそぶなれ (321)
[世界の中心に座するという須弥山(しゅみせん)
それさえもはるかに照らすという月が
極楽浄土の蓮(はちす)の池のような
海には映っていることだろう
月のひかりは宝光のように波をきらめかせ
その渚に寄り添う亀は
劫(=長き時)を越えて
遊んでいることだろう]
おまへのやりみづに
めうぜち こんほうなる いさごあり
まさごあり
いさごの まさごの
はん天のいはほと ならんよまで
きみは おはしませ (322)
[あなたの御前の遣り水(庭の人工小川)には
妙絶(=きわめて巧妙)にして金宝(こんぽう)に輝く
そんな砂(いさご)があります、真砂(まさご)があります。
それな砂の、真砂の積み重なって、
半分天にそびえ立つような巌となる世まで
あなたは長く生きておいでください]
やまのしらめは さくら人
うみのしらめは なみのおと
また しまめぐるよな
きねがつどひは なかのみや
けさう やりどは こゝぞかし (323)
[山の方から響いてくる調(しらべ)は 催馬楽の「桜人」の曲
海の方から響いてくる調(しらべ)は、波の音
また島(厳島神社のことか)を巡り響いているなあ
巫女(きね)たちの集っているのは中の宮だし
そう、厳粧(げんしょう・立派な)な遣戸(=引き戸)は、
ここにこそあるんだ。(すばらしい所だなあ)]
すゞはさやふる 藤太(とうた)みこ
めよりかみにぞ すゞはふる
ゆら/\と ふりあげて
めよりしもにて すゞふれば
けたいなりとて ゆゝし
かみ はらだちたまふ (324)
[鈴はそうやって振るんだ
巫(みこ)の藤太よ
目より上にこそ 鈴は振るもんだ
そうそう ゆらゆらと振り上げて
目より下などに 鈴を振ったならば
懈怠(けたい)であると言われて
ああ 忌々(ゆゆ)しいことだ
神はお怒りになられることだ
(どんな罰が下るか
分かったものではないぞ)]
あふみにおかしき うたまくら
おいそ とゞろき がまふの
ふせの池 あきのはし いかごの
よごのうみの しがのうらに
しらぎが たてたりし
持仏堂(ぢぶつだう)の かねのはしら (325)
[近江で興のある歌の名所(歌枕)といえば
老曾(おいそ)の森 瀬田の唐橋 蒲生郡の野原
八日市の古池 安吉川の橋 伊香郡の野原
余呉湖(よごこ)つまり琵琶湖南東の浜に
新羅が建てた寺の、持仏堂の金の柱]
これよりひむがしは なにとかや
せきやま せきでら
おほつの みゐのおろし やまおろし
いしだどの あはづ いしやま
こくぶんや せたのはし
せんのまつばら ちくぶしま (326)
[これより東には何の名所があると言えば
大津市西部にある逢坂山(関山) そこにある関寺
大津の三井寺に吹き下ろす風、その山おろしの風
藤原泰憲(やすのり)の別荘 大津市南東の松林
石山寺 近江の国分寺 瀬田の唐橋
彦根市の北にある千の松原
琵琶湖の北に浮かぶ竹生島(ちくぶしま)]
むさをこのまば こやなぐひ
かりをこのまば あやゐがさ
まくりあげて
あづさのまゆみを かたにかけ
いくさあそびよ いくさがみ
[武者(むしゃ)を好むものは、矢を背負うための小胡ぐい(こやなぐい)
狩りを好むものは、藺草(いぐさ)で編んだ綾藺笠(あやいがさ)
しかして、その笠をまくり上げて、神々を讃えるべき弓である
梓(あずさ)(カバノキ科落葉高木)の弓を肩に掛けて
いくさ遊びをするのは、いくさの神さまさ]
つくしの もじのせき
せきのせきもり おいにけり
びんしろし
なにとて すゑたるせきの
せきやの せきもりなれば
としのゆくをば とゞめざるらん (328)
[筑紫の国の門司(もじ)の関
つまり九州の入り口にあたる門司の関
その関の関守(せきもり)の役人は老いてしまった
鬢(びん)の色が白くなってしまったよ。
人に対して何かをしようとして、据えたような関所の
関屋に住むような関守だから
人の行く手は留められても
歳の行くのは、留められなかったのだろう]
つくしなんなるや もろこしのかね
白(びやく)ろといふかねも あんなるは
ありときく
それをあはせて つくりたる
あこやのたまつぼ やうがりな (328)
[筑紫の国にあるそうだ、唐金(からかね)すなわち青銅が
白鑞(びゃくろう)すなわち鈴という金属もあるそうだ、
確かにあると聞いたんだ。
それを合わせて作ったという
阿古屋(あこや)(=真珠貝)の玉壺とは、
なんとも興があるじゃないか。]
よく/\めでたく まふものは
かうなぎ こならは くるまのどうとかや
やちくま ひきまひ てくゞつ
花のそのには てふ ことり (330)
[とりわけ面白く舞うものは
巫女さん 小楢(こなら)の葉っぱ、車輪の軸とかね
やちくまの芸(独楽・と関係有るか)、侏儒舞(ひきまい)
手で操る人形の術、それから花の園には、蝶とか小鳥だよね]
をかしく舞ふものは
かうなぎ こならは くるまのどうとかや
平等院なる みづぐるま
はやせば まひいづる いぼうじり
かたつぶり (331)
[とりわけ面白く舞うものは
巫女さん 小楢(こなら)の葉っぱ、車輪の軸とかね
平等院のところにある水車、それから
はやすみたいにちょっかい出すと舞始める
かまきりとか、かたつむりだよね]
こゝろのすむものは
あきはやまだの いほごとに
しかおどかすてふ ひたのこゑ
ころもしでうつ つちのおと (332)
[心のすみ渡るようなものは
秋は山田の庵(=小屋)ごとに響いてくる
鹿を近づけさせないための引板(ひた)の音
布をやわらかくするために打つ、砧(きぬた)の音]
こゝろのすむものは
かすみ はなぞの よはの月
あきのゝべ
上下もわかぬは こひのみち
いはまをもりくる たきのみづ (333)
[心のすみ渡るようなものは
春にはかすみ、花園、秋には夜半の月、野原のあたり
そんな季節や上下を分けないで来るのは、恋の道とか
岩間を漏れてくる、瀧の水でしょうか]
つねに こひするは
そらには たなばた よばひぼし
のべには やまどり あきはしか
ながれの きうだち
ふゆは をし (234)
[常に恋をしてるのは
夜空には七夕星、流れ星
野辺には山鳥、秋になれば鹿、それから
流れに生きる遊女たち、そして
冬はオシドリでしょうか]
おもひは みちのくに
こひはするがに かよふ也(なり)
みそめざりせば なか/\に
そらにわすれて やみなまし (335)
[思いは陸奥の奥までも満ち
恋をするが故にこころは駿河にまで通うのです
見初めさえしなければ、かえっていつの間にやら
空の中ばに忘れて、消えてしまった思いだろうに]
百日百夜は ひとりぬと
人のよづまは
なぢせうに ほしからず
よひより よなかまでは よかれども
あかつき とりなけば とこさびし (336)
[百日百夜もの長い間、ひとりで寝(ぬ)るしても
他人の妻を、夜妻(よづま)になんかして
何しようというのだ、欲しくなんかないよ。
そう思って、宵から夜中までは済ませたけれども
あかつき頃に鳥が鳴いたら、なんだか寝床が寂しいよ。]
天魔(てんま)が八幡(やはた)に まうすこと
「かしらのかみこそ
前世(ぜんせ)のほうにて をいざらめ
そは おいずとも
きぬがさ ながぬさなども たてまつらん
呪師(じゆし)のまつりぬと たゞひせよ
しないたまへ」
[仏道を妨げる魔である天魔が、僧の形をした八幡大菩薩(八幡神が神仏習合により生まれた菩薩)に向かって言うには、
「お前の頭の髪の毛こそ、
前世の報いから生えないのだろう。
(まあ、なんだ、そんなにがっかりするな)
それは生えなくても
俺さまが衣笠や、長幣なんかを奉納してやるから、
芸能者から貰ったといって、知らずにかぶって
その頭を隠しておくがいい。さあ、そうするのだ
(まったくだらしないんだから)」]
け粧(しやう)かりばの こやならび
しばしはたてたれ ねやのとに
こらしめよ よひのほど
よべも ようべも よがれしき
け過(くわ)はきたりとも /\
めなみせそ (338)
[厳粧(げんさう→けしやう)(=立派)な狩り場の小屋のように、わたしたちのあの小屋が並んでいるよ
しばらくは立たせておかなきゃ、寝床の外にね
こらしめなくっちゃね、宵のあいだくらいは
昨夜(ゆうべ)だって、その前の昨夜だって
夜離(よが)れして、やってこなかったんだ、あいつ
今さら悔過(けくわ)(=罪の懺悔)が来たからって
そうさ、来たからって、その瞳なんか見てやるもんか]
われをたのめて こぬおとこ
つのみつ おいたる をにゝなれ
さて 人に うとまれよ
しも ゆき あられ ふる
みずたの とりとなれ
さて あし つめたかれ
いけの うきくさと なりねかし
と ゆり かう ゆりゆられ ありけ (339)
[頼みに思わせておいて 来ないあの男
角の二つでなく、三つも生えた鬼になっちまえ
そうして、人に疎まれてしまうがいい
霜や雪や霰の降るなかに苦しむような
水田の鳥となってしまえ
そうしたら、足は冷たいだろうよ
そのまま、池の浮き草となって
ゆらゆら揺られるように
あてもなくさ迷い歩くがいい]
[結局は「頼めて来ぬおとこ」が「あてもなくさまよい歩いて」わたしのもとへは来ないという、諦観のなかに毒づいているという悲しみもわずかに籠もるようだ]
冠者(くわざ)は めまうけにきんけるは
かまへて ふたよは ねにけるは
みよといふよの よなかばかりの あかつきに
はかまどりして にげにけるは (340)
[その若者は、結婚するといって来たそうだ
構えて(=騙して)二夜を寝たそうだ
でも明日には結婚をおおやけに出来るという
三夜めの夜中に、やることをやったあかつきになって
袴(はかま)の股立(ももだち)を取って
すたこら逃げてしまったのさ]
[「冠者(くわざ)」もともとは元服して冠をつけたばかりのような若者。そこから単に若者。「妻設け(めまうけ)」は妻を娶ること、結婚すること]
わぬしはなさけなや
わらはが あらじとも すまじとも
いはばこそ にくからめ
てゝやはゝの さけたまふ なかなれば
きるとも きざむとも
よにもあらじ (341)
[あんたったら情けないのね
あたいが一緒にいれないとか、一緒に住めないとか
言ったりするのが憎たらしいんでしょう。
でもね、もともと父さんや母さんに
間を裂かれたのに、寄り添っているような
そんな仲なんだから
切られたって、刻まれたって
別れたまんまなんかでは
この世には居られないのよ]
[遊女とかたぎの男の会話か]
びんでう うちみれば
ひともとかづらとも なりなばや とぞおもふ
もとより すゑまで よらればや
きるとも きざむとも
はなれがたきは わがすくせ (342)
[美女をちらりと見れば、もうそれだけで
一本(ひともと)の葛(かずら)の蔓(つる)のように
絡み合いたいなあと思ってしまう。
蔓の本から末まで結ばれていたいよ
たとえ切られようとも、刻まれようとも
逃れられないのは、そんな自分の宿世(すくせ)
つまりは宿命か]
[「きるともきざむとも」は蔓のように離れない、宿命から逃れられないの両方に掛かる]
きみがあいせし あやゐがさ
おちにけり/\
かもがはに かはなかに
それをもとむと たづぬとせしほどに
あけにけり/\
さら/\さやけの あきの夜は (343)
[あなたが愛した綾藺笠
落ちてしまいました
(ああ、落ちてしまいました)
鴨川に、その川のなかに
わたしがそれを求めて
探し回っているあいだにもう
はや、明けてしまったのですね
(ああ、明けてしまったのですね)
さらさらとすがすがしい、秋の夜は……]
[「綾藺笠」藺草(いぐさ)を編んで作った笠で、狩や武術などで使用する笠、武者的な笠でもある]
すぐれてたかきせん
須弥山(すみせん) ぎ闍崛(しやく)せん
てちゐせん 五(ご)だいさん
すだちたいしの 六年おこなふ だんどくせん
どせん こくせん 鷲ぶせん (344)
[優れて高い山(せん)
すべての世界の中心たる須弥山
マガダ国の首都、王舎城の周辺にある耆闍崛山
《またの名を霊鷲山(りょうじゅせん)、
あるいは鷲峯山(じゅぶせん)という》
須弥山よりもっとも離れた鉄囲山(てちいせん)
文殊菩薩のおわす中国の五台山(ごだいさん)
釈迦になる前の悉達太子の
六年修業をした檀特山(だんどくせん)
法華経に記された土山(どせん)黒山(こくせん)
先ほどすでにあげた鷲峯山(じゅぶせん)]
すぐれてたかきせん
だいたう/\には五だいさん 霊鷲山
日本こくには しらやま 天台山
おとにのみきく
ほうらいさんこそ たかきさん (345)
[すぐれて高い山は
大唐、その唐には五台山
天竺(=インド)には霊鷲山(りゅうじゅせん)
日本国には修験道で名高い白山(はくさん)
それから比叡山は天台宗の山
そして噂にだけ聞かれる
海のいずこかへ浮かぶ蓬莱山こそ高い山]
かうべにあそぶは ふんのとり
おきのなみをこそ かずにかけ
かずと すれや
はまのまさごは かずしらずや
せんずのねがひは みちぬらむ (346)
[川辺に遊ぶのは鴛鴦(おしどり)(古名、文禽)
文の鳥だなんて言ってるけど
それなら川ではなくって
海の沖の波の数を文に書いてみせろよ
数に表して見せろよ
砂浜の真砂(まさご)なんか数えられないだろう
それでも千秋(せんず)、つまり千年もの願いは
(ちゃんとこころで願っていれさえすれば)
いつか潮が満ちてくるはずじゃないか]
[頭(かうべ)に遊ぶ文の取り、つまり頭ばかりで考えているような者に対する揶揄(やゆ)を掛け合わせたものか]
こいその はまにこそ
紫たん あかぎは よらずして
ながれ こで
こちくの たけのみ ふかれきて
たんな たりやの なみぞたつ (347)
[小磯の浜なれば
紫檀(したん)や赤木の樹は
浜の方へは寄せてこないし
海から流れても来ないで
ただ胡竹(笛の材料となる竹)ばかりが
浜の方へ風になびいて来ては
「たんなたりや」(笛の譜読みの声)の
笛のような響きをさせて
波とたわむれているようだ]
[「こちく」には「こっちに来る」の意味も掛けてある。胡竹が笛の材料であるからには、紫檀や赤木も他の楽器の比喩として登場させたものか。あるいは「小磯の浜」には、楽曲の名前が込められているのか。それなら寄せてこないのは、響いてこないとかいう意味なのか、など想像の膨らむところ。]
とさのふなぢは おそろしや
むろつがおき ならでは
しませが いはゝたて
さきや さきのうちくらべ
みくりやの ほつみさき
こむがう浄土の つれなごろ (348)
[土佐へ向かう船路は恐ろしいよ
あの室津(室戸岬)付近の沖なんだからね
島勢(島のような姿の)岩は聳(そび)えているし
佐喜浜(さきはま)だよ、佐喜浜の波のうちくらべ
あの空海が修業したという御蔵洞(みくろど)
つまり御厨人窟(みくりやどむろ)のある最御崎(=室戸岬)
金剛頂寺のあたりに寄せ連なるような波の余波(なごり)よ]
[「さきのうちくらべ」は原文「さきのうちくら(一字空)」で、「佐喜の浦々(一字空)」と解されたりする。わたしのは、純粋に詩の面白さより「うちくらべ」としたもので、学究的なものではない。「こむがう」の歴史的仮名遣いは「こんごう」だが、これも詩的な解釈から、ここに関しては「ん」を嫌って、「こむがう」と原文に戻しておいた。]
びごのとものしま
そのしま しまにて しまにあらず
しまならず
にしなし さだえなし せいもなし
あまのかりほす わかめなし
[備後(びんご)の国にある鞆の浦(とものうら)
鞆の島なんて呼ばれてるけど、島なんかじゃないのさ
まったくもって島じゃないね
螺(にし)(巻き貝の総称)だって取れないし
栄螺(さざえ)だって取れないし
それから、石華(せい)(甲殻類のカメノテのこと)もない
海人(あま)の刈って干している
ワカメすらないんだから]
[「鞆の島」といっても岩場がない砂浜だからという意味かしらん。それとも浦などの名称ではなく、海の無いいずこかを指すものか]
あかしの うらのなみ
うらや なれたりけるや
うらの なみかな
このなみは うちよせて
かぜは ふかねどもや
さゝらなみぞ たつ (350)
[明石の浦の波は
浦に馴れ染めたような波だよ
本当に浦の波と呼ぶにふさわしいよ
この波は浜へと打ち寄せては
風なんか吹かないのに、ほら
さらさらさざ波が立っているよ]
としごろなでかふ りゆうのこま
むまばのすゑにぞ れんずなる
すは はしりいでゝ
わかみや三所(さんじよ)は のりたまひ
慈悲のそでをぞ たれたまふ (351)
[年来(としごろ)に撫でながら飼っている
竜のようなすぐれた駒(こま)(=馬)
馬場の末の方で訓練をしているよ
そら、走りだしたぞ
若宮(=御子神)の三所の神さえこれに乗って
人々に慈悲の袖をなびかせてくれるような
そんな立派な馬じゃないか]
[「のりたまひ」には祝福するの意味を掛けるものか?]
上馬(じやうめ)のおほかる みたちかな
むさのたちとぞ おぼえたる
呪師(じゆし)のこずしの かたをどり
きねはゝかたの おとこみこ (352)
[立派な馬の多い屋敷だな
武士の屋敷と思われるよ
そら見て見ろよ、
呪師や小呪師が怪しげに肩踊りをしているし
巫(みこ)だって、博多の男巫なんだから]
みまやのすみなる かひざるは
きづなはなれて さぞあそぶ
きにのぼり
ときはのやまなる ならしばゝ
風のふくにぞ
ちうとろ ゆるぎて うらがへる (353)
[(武士の)馬小屋の隅には飼い猿が
紐から逃れて、遊んでいる
木によじのぼって
常緑樹の茂る山に連なる
館にある楢(なら)の小枝だからこそ
風の吹くたびに
ちらっと揺られて裏返るのさ]
かうべはしろき おきなども
仏事をつとめよ せんたびは
かしらしろかる つるだにも
さはには せんざい としふなり (354)
[頭の白くなったじじいども
ちゃんと仏事に精を出せよ、千回だって
頭の真っ白な鶴だって
沢で千載の年を過ごしているんだ
(長生きしたかったら、祈れよなお前ら)]
うかひは いとほしや
万劫(まんごふ)としふる かめころし
また うのくびをゆひ
「現世(げんぜ)はかくても ありぬべし
後生(ごしやう)わがみを いかにせん」 (355)
[鵜飼はかわいそうな
万年を生きるという長寿の象徴
あの亀を殺しては鵜の餌として与え
その上、鵜の首を絞めて
口から吐かせた魚を捕らえては
「現世はこのようにしても生きられましょうが
このような殺生をおこなったあげく
来世での私の身の上は、
どのようになってしまうのでしょう」
なんて怯えているのだから]
さがのゝ きようえんは
のぐちうちいでゝ いはさきに
きんやのたかゝひ あつともが
のとりあわせしこそ みまほしき (356)
[嵯峨野(京都市右京区)の興あるものといったら
野口をうち出て、岩崎に向かうあたり
禁野(=禁猟区)に狩りを認められている
あの鷹飼(たかがい)の敦友(あつとも)が
野の鳥を捕まえているそのすがたを
見てみたかったものだなあ]
はねなきとりの やうがるは
すみとり かいとり かいもとり
いしなとり
かきほにおうてふ さるとりや
ゆみとり ふでとり
こゆみの やとりとか (357)
[羽のない鳥で一風変わったものは
隅を入れておく炭取(すみとり)
船の梶を取る楫取(かいとり)
なんだか分からないけど、かいもとり
お手玉みたいに遊ぶのは石取り(いしなとり)
タデ科の多年草なら虎杖(いたどり)だし
垣根に生えるのはユリ科の「さるとり」だよね
他にも、弓を取る奴らは弓取りって言われるし
筆を取る人は筆取りって言うだろう
小弓の矢を拾い集める奴らなんか
小弓の矢取りって呼ばれてるしね]
むこの くわざのきみ
なにいろの なにずりか
このうだう きまほしき
きぢん やまぶき とめずりに
はなむらご みつながしはや
りうご わちがへ
さゝむすび かうけち
まへだりの ほやの かのこゆひ (358)
[婿となられる冠者の君(=若君)は
何色の何摺(ず)りの着物を好むのかしら
着たいのかしら
高貴な麹塵(きくじん)色、それとも山吹色
染めかたはやっぱり止め摺りとか……
ううん、やっぱり色は花村濃(=縹色・はなだいろ)で
三角にかたどった御綱柏の模様入りがいいかしら
それとも紋は輪鼓(りゅうこ)、あるいは輪違(わちがひ)?
あるいは笹結びの紋にして、染めは纐纈染(こうけちぞめ)?
ううん、前垂(まえだれ)の寄生樹(ほや)で染めた
斑点の鹿子結(かのこゆい)の模様がいいわ]
あそびをせんとや うまれけむ
たはぶれせんとや うまれけむ
あそぶこどもの こゑきけば
わがみさへこそ ゆるがるれ (359)
[あそびをしようとは生まれたのでしょうか
たわむれしようとは生まれたのでしょうか
遊ぶ子供の声を聞いていると
わたしの心さえ揺すられてなりません]
[「あそび」の本体は音楽にあり、遊女や傀儡子(くぐつ)の歌としての本分を織り込めたものという]
おまへにまいりては
いろもかはらで かへれとや
みねにおきふす しかだにも
なつげ ふゆげは かはるなり (360)
[まるで参詣するみたいに
お前のもとへ拝み臥したというのに
顔色も変えずに、帰れと言うのか
(これほどしげく通っているというのに)
峰に起きたり眠ったりする鹿でさえも
その時期が来れば、夏毛を冬毛に替えて
季節を迎え入れる準備はするというのに
(どうしてお前の心は、変わってくれないんだ)]
かひのくにより まかりいでゝ
しなのゝみさかを くれ/”\と
はる/”\と
とりのこにしも あらねども
うぶげも かはらで かへれとや (361)
[甲斐の国からあゆみ出て
難所の信濃の御坂をせっせせっせと
はるばる京に上ってきたというのに
鳥の子どもという訳では無論なく
わたしは人の子供だというのに
産毛も変わらないうちに
すぐに帰れだなんて言うのです
(あんまりです!)]
わうじのおまへの さゝくさは
こまはゝめども なほしげし
ぬしはこねども よどのには
とこのまぞなき わかければ (362)
[若々しい若王子(にゃくおうじ)の神社の
お前にある笹草ならば、どれほど馬どもが
食ったところで減るものでなし
青々と茂っているじゃないの
あんたが来なくたって夜殿(=寝所)には
臥床(ふしど)の開く間なんて無いんだ
あたいはまだまだ若いんだからね
(食われたところで減るものでなし)]
おうながこどもは たゞふたり
ひとりの女ごは 二位中将(にゐのちゆうじやう)どのゝ
くりやざうしにめしゝかば たてまてき
おとゝのおのこゞは うさの大ぐじが
はやふね ふなこにこひしかば まだいてき
かみも ほとけも 御覧ぜよ
なにをたゝりたまふ わかみやのおまえぞ (363)
[ばばの子供はたった二人じゃった
一人の女の子はなあ、二位中将どのとやらが
台所の雑役(ぞうやく)へとお召しになるもので
是非もない、差し上げることになったのじゃ
もう一人、弟の男の子はなあ、
宇佐神宮の神官である大宮司(だいぐじ)とやらが
早船の舟子へなれとおっしゃるので
差し上げるほか、なかったのじゃ
そうして、わしを面倒見てくれる子供は
もう、どこにもおらんのじゃ
ああ、神も仏もご覧なされい
なにを祟ってこんな仕打ちをなされるのか
若宮の御子神さまよ]
わが子は十余に なりぬらん
かうなぎしてこそ ありくなれ
たごのうらに しほふむと
いかにあま人 つどふらん
まさしとて とひみとはずみ
なぶるらん いとをしや (364)
[わたしの子は、十余歳にもなったでしょう
あるき巫女をして、各地をめぐっているでしょう
(かつてはわたしが、そうであったように)
ある日、田子の浦に出て、波を踏んで歩いていると
どれほどの海人たちが、集まって来ることでしょう
むすめが懸命に答えるのをひやかしては
「そりゃあまったく当たっているよ」
「さすが、さすが」「それからどうした」
などと、なぶり者にしていることでしょう
(かつてはわたしが、そうされたように)
ああ、かわいそうなわたしの子よ]
わが子ははたちに なりぬらん
ばくちしてこそ ありくなれ
くに/”\のばくたうに
さすがにこなれば にくかなし
まかいたまふな
わうじのすみよし にしのみや (365)
[俺の子は、もう二十歳になっただろう
博打をしながら歩いているのさ
国々の博打どもと、しのぎを削りながら
さすがに俺様の子だからな、憎くはないさ
博打上等、大いに結構じゃねえか
(なんだと俺様の職業だと
そんな野暮なこと、聞くんじゃねえよ)
どうか負けさせるんじゃねえぞ
王子の神をまつる住吉大社よ、西宮神社よ]
おうなのこどもの ありさまは
くわざはゞくちの うちまけや かつよなし
禅師(ぜんし)はまだきに やかうこのむめり
ひめが心のしどけなければ いとわびし (366)
[ばばの子供たちの有様ときたらのう
冠者(=息子)は博打に打ち負けて
勝つことがまるでなくってのう
次男坊は姿ばかりは僧だというのに
若いうちから夜遊び三昧じゃ
娘はといえば奔放で、だらしなくって
ああ、侘びしいのう]
くしな城の うしろより
じふの菩薩ぞ いでたまふ
ばくちのねがひを みてんとて
一六三とぞ げんじたる (367)
[天竺にはクシナ城、そのクシナじゃないが
九四七を足して二十のうしろ側より
十の菩薩さまがおいでになるのさ
つまりは博打の願いを満たそうと
一六三とさいの目に現れたのさ
ほら合わせて十だろう
大した、菩薩さまだぜ]
このごろみやこに はやるもの
かたあて こしあて えぼうしとゞめ
えりのたつかた さびえぼうし
ぬのうちの したの はかま
よのゝ さしぬき (368)
[この頃みやこ(=京)で流行るもの
服を角張らせるための肩当て、腰当て
それに烏帽子の落ちるのを止める支え
角を立てた衿とか、しわ付き烏帽子(えぼし)
布で裏打ちをした下袴(したばかま)
短く四幅(よの)に仕立てた
指貫(さしぬき)の袴(はかま)]
[鳥羽院の頃から流行したという糊や当て布を使用した強装束(こわしょうぞく)という新しいファッションが、それまでの萎装束(なえしょうぞく)に取って代わったことを歌ったもの]
このごろみやこに はやるもの
りうたい かみ/”\ えせかづら
しほゆき あふみめ 女冠者(をんなくわざ)
なぎなたもたぬ あまぞなき (369)
[この頃みやこ(=京)で流行るもの
眉墨で書いた偽まゆ毛
すなわち柳黛(りゅうたい)
さまざまな髪の毛のかたち
本物の髪でないニセのかつら
しほゆきども、近江女(おうみめ)
男装して冠者の格好をした女
長刀を持たない尼(あま)は無い
といった女の有様だ]
[「しほゆき」「あふみめ」は遊女や、傀儡(くぐつ)のような女芸人のある種の集団を指すものか]
清太がつくりし かりがまは
なにしにとぎけむ やきけん つくりけむ
捨てたうなんなるに
あふさか ならざか ふはの関
くりこまやまにて くさも えからぬに (370)
[清太が造った刈鎌は、
何のために研いだのだ、焼いたのだ
そもそも造ったんだ
あまり刈れないので
捨てたくなったというのに
逢坂、奈良坂、不破の関
宇治市にある栗駒山でさえも
まだ草も刈っていないというのだから
(ああ、いったいこんな刈鎌で
どうしたらいいというのだ)]
清太がつくりし みそのふに
にがうり あまうりの なれるかな
あこだうり
ちゞにえださせ なりびさこ
ものなのたびそ ゑぐなすび (371)
[あの清太が作った
神への供物を育てる御園生(みそのう)に
苦瓜、甘瓜(=真桑瓜)がみのったよ
紅南瓜(=金冬瓜)とかもね
八方に蔓を広げてゆけ生瓢(なりびさこ)(=瓢箪)
なにか言おうとしてその実を割るんじゃないぞ
もう味の落ちたエグ茄子(なすび)よ]
やましろなすびは おひにけり
とらでひさしく なりにけり
あからみたり
さりとてそれをば すつべきか
おいたれ おいたれ
たねとらん (372)
[名産の山城茄子(なすび)も老いてしまった
もう採らないで久しく過ぎてしまった
すっかり赤らんでしまった
かといってそれを捨てておくべきだろうか
いいや、そのまま措(お)いておけ、措いておけ
種を取らなければ]
[あるいは、かつての売れっ子遊女も、さかりを過ぎたものをいかがすべきか、置いておけよ、まだ子供は出来ようから、新しい売れっ子として育てようよ、というような意味を含むものか。いずれ、ただの茄子を取っておけと意味ではなく、山城茄子であればこそ、その種を取らなければならないという趣旨の歌かと思われる。]
かぜになびくもの
まつのこずゑの たかきえだ
たけの こずゑとか
うみにほかけて はしるふね
そらには うきぐも
のべには はなすゝき (373)
[風に吹かれてなびくものはと言えば
松の梢(=木の末)の方にある高い枝
もちろん竹の梢もね
海には帆を掛けて走る舟があるし
空なら浮き雲がなびいているし
野原でいえば、穂の出た芒(すすき)だよね]
[「松」「竹」「海」は「松竹梅」のゴロを掛けて転じたものかと邪推したくなるが、松からより先走った(心象的に高い)竹へ転じつつ、そのまま空へ向かわずいきなり海へと転じる面白さ。また、広大へと順次転じつつ、保留された空を次に導いて、自らの大地であるところの野辺に視野を返し、秋に季節を定めるあたりのプロットは、きわめて優れたものがある]
すぐれてはやきもの
はいたか はやぶさ てなるたか
たきのみづ
やまより落ちくる しばくるま
三所五所(さんじよごしよ)に まうすこと (374)
[とりわけ早いものはと言えば
小形の鷹であるところの鷂(はいたか)
鷹狩りにももちいるという隼(はやぶさ)
そうその鷹狩りの手飼の鷹とかね
打ち付けるような瀧の水
山から転がり落とす薪の枝
つまり芝の車とかね
三所五所の神々に願い事だよね]
[三所五所は熊野にある三所権現と五所王子で、そこへの願い事は、鷹よりも、瀧よりも、芝車よりも早く叶う、ということを主意にたわむれた歌か。冒頭鳥の早きものを列挙し、着想のなだらかな移行を遂げつつ(序)、恐らく「たか」と「たき」の掛け合わせを込めて、いきなり激流へと身を転じ(破)、滝なら山で、山なら芝車だと転じてみせる後半の飛躍の度合いのピークに、三所五所へと移すという方針(急)が面白い]
京よりくだりし とけのぼる
しまえにやたてゝ すみしかど
そもしらず うちすてゝ
いかにまつれば 百大夫(ひやくだいふ)
げんなくて
はなのみやこへ かへすらん (375)
[京より下ってきた「とけのぼる」
島江(しまえ)に屋敷を建てて住んだけど
男はそんなことも知らずに打ち捨てて
どのように祈ったものか百大夫
その霊験(れいげん)すら表れなくて
花のみやこへと取って返すようだ]
[「とけのぼる」原文は「とけのほる」で、遊び女のあだ名か、名称かと思われるが、不明瞭。一応「下る」に対して「のぼる」と洒落た佐佐木信綱校訂をそのまま取ることとする。「そもしらず、うちすてて」「げんなくて」は別の歌い手の相の手のような歌詞となっている]
2012/6/5