伊勢物語のなかの万葉集

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物語のなかの万葉集

 今度は、『伊勢物語』を中心に、物語から『万葉集』の和歌に近づいてみましょう。はたして、万葉集の紹介だか、伊勢物語の紹介だか、境界線が不明瞭ですが、それが作者の狙いでもあるようです。

伊勢物語について

    「むかし、男、初冠(うひかうぶり)して」
ではじまるこの物語は、物語に和歌をまじえて進行する「歌物語」のバイブルのように、当時の歌人たちからは思われていたようです。ほとんどの場合、主人公は「ある男」のまま登場しますが、全体のほぼ中間部分に、「在原なりける男」という記述があり、また藤原高子(ふじわらのたかいこ)(842-910)(二条の后)や、紀有常(きのありつね)が登場することなど、さまざまな状況から、在原業平(ありわらのなりひら)(815-877)が(多くの場合)主人公であると考えられています。

 執筆者、および書かれた年代は不明ですが、おおよそ9世紀後半から10世紀中頃までに、段階的に作成されたと考えられているようです。ここでは、和歌の扱いや、性質が『古今和歌集』の精神に通じるものがあることから、仮に『古今和歌集』(905年奏上)と同じ頃、あるいは少し遅れて、基本となる部分は形成されたのではないか、ということにして、物語から万葉集に通じる和歌を、抜き出して紹介しようと思います。これは一見、万葉集の導入の手引きのように見せかけて、『伊勢物語』を紹介してやろう。という執筆者の、みなのわたか黒き腹の内を、さらけだすものには違いありません。

くたかけ

 さて、物語は主人公の元服からはじまり、若き頃の二条の后との叶わぬ恋。駆け落ちなど、魅力的な章が続きますが、残念ながらこれらには、直接万葉集と関わるような和歌は見あたりません。はじめて『万葉集』(あるいはそれに類する古歌)に由来すると思われる歌が登場するのは、主人公が恋に破れて、東国に向かってからのことになります。

 まずはじめは、主人公がみやこを逃れ、
  陸奥の国にあてもなく向かった時、
   田舎の女が、そのみやびさに惚れたものか、
  恋しさのあまり詠んでよこした和歌。

なか/\に 恋に死なずは
  桑子にぞ なるべかりける
    玉の緒(を)ばかり
          『伊勢物語』

なまじっか 恋で死ぬよりも
  蚕(かいこ)にでも なりたいものです
 ほんの短いあいだだけでも

 桑子(くわこ)とは蚕のことで、「玉の緒」は玉を繋ぐ紐のことで、そこから短いものの譬えです。おなじすぐに死んでしまうなら、焦がれて死ぬよりも、わずかの間だけでも、ふたりで蚕のマユに閉じこもってから死にたいというのが、その趣旨かと思われます。

 これが、桑子なんて田舎じみた喩えをしながらも、なかなかに洗練された、和歌を学んだもののように思われたので、気になった主人公は、のこのこと女のもとへと向かいます。ところが、一夜を共にしたあと、あまり豪快な夜の営みに、女に対する興が冷めたのでしょうか。あるいは、人目をはばかった為でしょうか。夜も明ける前に、主人公は女の家から立ち去ってしまいます。
  それに腹を立てて、女が詠んだ和歌。

夜も明けば
  きつにはめなで くたかけの
 まだきに鳴きて せなをやりつる
          『伊勢物語』

夜が明けたら
  水にぶち込んでやる あの鶏野郎(くたかけ)め
 早くから鳴いて あの人を立ち去らせるなんて

「くたかけ」は鶏を悪く言う俗語で、「きつにはめなで」には「水槽にぶち込む」以外にも、「狐に食わせてやる」という説もあるようですが、どちらにしても酷いものです。このあまりにも下卑た和歌に驚かされて、「俺も沈められてしまう」と思ったかどうだか知りませんが、主人公は京へ逃げ帰ってしまう。

というのがこの章の趣旨なのですが、
 実は先ほどの「桑子」の和歌、

なか/\に 人とあらずは
  桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
    玉の緒ばかり
          よみ人しらず 万葉集12巻3086

なまじっか 人としてあるより
   桑子にでも なってしまいたい
  玉の緒のような 短いあいだだけでも

 『万葉集』に基づいていたのです。
もちろん巻第十二ですから、これは「相聞」すなわち恋の歌で、しかも「寄物陳思(きぶつちんし)」ですから、桑子に寄せて恋を詠っている短歌になります。この「人であるよりも」という所を、「恋に死ぬくらいなら」と置き換えたところが、『伊勢物語』の短歌の魅力で、「人間やめて桑子になりたい」では意図はつかめますが、人間の一生と、玉の緒ほどの蚕の時間を対比して、短い時間でもあなたといられたらというのは、恋歌としてはちょっと観念的すぎて、個人の心情を描写したものというよりは、おなじようなシチュエーションの時は誰でも使える、恋の格言のような気配がしてきます。しかし、「恋に死ぬくらいなら」と置かれると、すでに恋に焦がれて生きていかれないみじかい命と、共にいられる蚕の短い時間を対比しますから、比喩のしかたがデリケートになった分だけ、観念的であるよりも、リアルな心情として解釈されますから、表現を改めたことによって、短歌に新たな生命力を吹き込んだような、本歌取りになっています。

 なるほど、このような古歌を、田舎の女が知っていたということ、さらには言葉つきを変更して、魅力的な表現に移しかえた手際によって、はじめは主人公も、うっかり和歌のセンスに引かれてしまった。ところが、それは同時に、既存の和歌を利用して、もっとも単純な本歌取り。つまり部分的な表現の変更をするのがやっとであった、という事実も内包していたのですが、それには気づかずに、男は和歌への好奇心にそそのかされて、女のもとへと出向いていく。

  おそらくは、そこで現実を突きつけられたのでしょう。
 女はちっとも品をわきまえてもいなかったし、夜の営みさえ、あるいは「ごめんなさいもう許してください」状態だったのではないか。それで夜のうちに、女の所から逃げるように帰ってくれば、女のもとから、二つ目の「鶏めが」の和歌が放たれる。

 そのインパクトは、洗練されたみやこ人である主人公には、びっくりいたすものであったこには違いありません。あまりおどろいて、負け惜しみではないですが、「すばらしい女性であったなら一緒に連れて行ったのに」という趣旨の和歌を残して、都へ逃げ戻ってしまう。すると女は、その和歌を誤解して、「すばらしい女性だ」と讃えられたと思って喜んだ。めでたし、めでたし。というのが、この章のあらすじなのですが、このように見ていくと、『伊勢物語』のプロットは、和歌というものが全体構成の要になっていて、同時になかなかに detail に凝っているようです。

鹿の子まだら

 今度は、紀有常(きのありつね)(815-877)という人が、
   主人公である在原業平に送ってきた和歌。

手を折りて
  あひ見しことを 数ふれば
 十(とを)と言ひつゝ 四(よ)つは経にけり
          『伊勢物語』

  「一緒にいた年月を、指を折って数えたら、十あまり四だった」
という和歌です。それが十四年を指すのか、四十年を指すのかは知りませんが、なにしろ和歌というよりは、具体的な日常表現が濃厚です。けれども実は万葉集の和歌は、日常の語りかけを、率直に記したものが多く、もちろんそれは詩として成功している場合もあれば、それが傷となっている場合もあるのですが、万葉集の魅力のひとつには違いありません。

 この和歌は万葉集にはありませんが、
  具体的な数を持ち出した短歌といえば、
   たとえば、次のようなものが、
    日記みたいな具体性を持って、
   添削もなく置かれています。

富士の嶺(ね)に 降り置く雪は
   六月(みなつき/づき)の 十五日(もち)に消ぬれば
 その夜降りけり
          高橋虫麻呂 万葉集3巻320

富士の嶺に 降り積もった雪は
   六月の十五日に消えたと思ったら
 その夜にまた降ると言います

 「6月15日に消えれば、その夜降り出す」
なんて、散文のニュースでも記入したようにすら思われますが、必ずしもそうではありません。富士山が夏まで雪が残り、また夏にも雪が降るような山であることが、この日付によって分りますから、この具体的な日付はむしろ、富士山が他とは異なる霊峰であることを、悟らせるためのキーポイントになっているからです。(4~6月が夏ですから六月と置いた必然性も分ると思います。)

 また、日付を与えることによって、ニュースのような錯覚がしてきますから、「富士の雪が消えたとたんに、その夜には降り出した」という安っぽい空想に陥りそうな所(事実であろうと無かろうと)を、詩のうちで真実らしくするのにも一役買ってるようです。

 つまりこの日付は、単なる記録ではなく、この和歌において伝えたいことを強調するための、もっとも大切な要素となっている。あるいはこの短歌と、なんの情緒性もなく、詩型を壊するのにいそしんでいる、メンデルなんたらさんの短歌とを、比べてみるのも面白いかもしれませんが……

  今は万葉集のお話しです。
 もちろん、そうは言っても、先ほどの富士山の和歌が、時事の会話くらいにしか感じられず、せっかくの様式の魅力を、わずかに損ねているのも事実で、なかなか説明的な記述と、情緒的な語りのバランスを取るのは、難しい問題なのかもしれません。
 内容としてはかえって、
   『伊勢物語』に納められた和歌。

時知らぬ
  山は富士の嶺(ね) いつとてか
    鹿の子(かのこ)まだらに 雪の降るらむ
          『伊勢物語』

季節を知らない山か 富士山の嶺は
   今をいつだと思って 鹿の子のまだら模様に
  雪が降っているのであろうか

 具体的な月日を設定しなくても、消えたら降ったというような、ちょっと露骨な着想に身をゆだねなくても、「時知らぬ」「いつとてか」といった表現で、感嘆の念を表現しきってしまう。万葉集のものは表現が見え透いていて、作為的ですが、別に溶けきってから降らなくても、「時節も知らないのか」「いつだと思って降るのだ」という疑問だけでも、雪の消えない山の印象は、十分以上に表現出来るものですから、作者の素直な驚き、その心情に還元される『伊勢物語』の方が、作品としての完成度は遥かに高くなっています。
 もちろん「鹿の子まだらに」の効果については、
   言うまでもありません。
  さすが在原業平ですね。

たまかづら

 次のは、深く愛し合っていたはずの恋人同士が、
   女に出て行かれて、哀しみに耽りながら、
     男が詠んだ和歌。

人はいさ
  思ひやすらむ たまかづら
    おもかげにのみ
  いとゞ見えつゝ
          『伊勢物語』

あの人ははたして
   わたしのことを思ったりするのだろうか
 わたしは彼女の髪に飾られた
    玉葛(たまかずら)まで一緒になって
  あの人の面影ばかりが
     いつまでも心から離れないのに

人はよし
   思ひやむとも 玉かづら
  影に見えつゝ 忘らえぬかも
          倭大后(やまとのだいごう) 万葉集2巻149

他の人はたとえ 悲しい思いを止めるとしても
  (たまかずら) 面影にあの人が見えるので
 いまでも忘れることが出来ません

 万葉集の和歌は、671年、天智天皇が亡くなった際に、正妻である倭大后(やまとのだいごう)が詠んだ短歌です。「玉葛(たまかずら)」は髪飾りの事ですが、ここではただ、「影」に掛かる枕詞として置かれています。したがって、ただ「影」の修飾として存在しているだけで、全体の内容とは関わりませんが、もちろん、その葛をしている姿が、面影に見えると読み解いても構いません。

 それで全体の意味としては、
     「人は思いを止めても、私は面影に見える」
と他人と自分を対比させ、その文脈の変更を効果的に、中心に置かれた「たまかずら」に担わせる。また同時に、意味には関わらないはずの「たまかずら」が、日常的な文脈を、非日常的な詩文へと高める、つまり様式化にも寄与しているようです。

 それに対して、
『伊勢物語』の和歌もまた、本歌の形式にあやかって、
     「あの人は思うのだろうか、私は面影に見える」
とやはり相手と自分を対比させていますが、万葉集とは違って、「人は思わなくても」のような単純な対比にはなっていません。相手の気持ちは分からない、あるいは類推はされるかも知れませんが、断定は出来ない。そのはっきりしないものと、自らの思いを対比させるものですから、自分の思いの方も、「私は思い続ける」「私はあきらめる」のような明快な解答は出てきません。ただ「面影ばかりが浮かんで来る」

 心情の深さはまた別のことですが、表現の仕方が、万葉集のものは輪郭がしっかりしているのに対して、『伊勢物語』の方は、スフマート[輪郭を徐々に変化させてぼかして描くこと]でも使用されたかのような、白黒のはっきり付かない、より細かい心情描写を行なっていると見ることが出来るかと思います。

 すべてがそうではありませんが、万葉集時代の傾向と、古今集時代の傾向の違いが、このような類似した短歌同士であっても、見て取れるのは興味深いことです。ただこの二つの短歌同士の場合は、どちらにもそれぞれ異なる魅力が籠もるのは事実ですが、万葉集の叙し方が、日常的な表現を、三句目の「たまかずら」が辛うじて短歌らしく保っているのに対して、『伊勢物語』は全体の表現により丁寧なこだわりが見られ、もし歌合で優劣を付けるとなったら、『伊勢物語』のものを勝ちとするかと思われます。

沖つ白波竜田山

 次の和歌は、『伊勢物語』の中でも特に有名な場面のひとつで、『大和物語』にも収められているくらいですが、物語と結びついて、不思議な魅力のある和歌になっています。全文を眺めてはいられないので、わたしのだらしない詞書を加えてどうぞ。

「むかし、田舎におさない子供が二人おりました。一人は男で、一人は女でありました。ふたりは仲良く遊びながら、大きくなったら結婚するのだと、指切りなどしていましたから、適齢期になってからも、親の縁談をことわり、和歌などを送り合いながら、恋人のように付きあっていました。

 けれども女の親が亡くなります。
  彼女の生活は落ちぶれます。
   将来のことが気がかりです。
  男は縁談でもあったのでしょうか、
 やがて別の女のもとへ、
  通うようになりました。
   けれども……

……けれども、前の女が気がかりです。男は勝手なものです。あいつは自分がいなくても平気なのかと心配し始めます。とうとう、幼なじみの家の庭に隠れていますと、かつての恋人は物思いに耽りながら、こんな和歌を詠んでいるのでした。

風吹けば
   沖つ白波 たつた山
  夜半には君が ひとり越ゆらむ
          『伊勢物語』

「風が吹いたら沖には 白波が立つよ竜田山」
  そんな風に歌われる竜田山を 夜も更けて真っ暗なのに
   あの人は たったひとりで越えてゆくのでしょうか

 男はたちまち、彼女のまごころに打たれてしまい、
  また幼なじみのもとへと帰ってくる。
というのが、この章の、途中までのストーリーなのですが、ここで「風吹けば沖に白波が立つ」というのが、「竜田山」の「たつ」だけに重ね合わされるための、直接的には和歌の内容に関わらない部分、例の「序詞(じょことば)」には違いありません。

 ところで、この和歌の本歌(もとうた)が、
  万葉集には収められていますので、
 それを眺めることにしましょう。

海(わた)の底
  沖つ白波 竜田山
    いつか越えなむ 妹(いも)があたり見む
          長田王(ながたのおおきみ)? 万葉集1巻83

(わたのそこ)
   沖には白波が立つよ竜田山
  そんな風に歌われる あの山を
    いつ越えることが出来るだろう
   妻のいるあたりを見たいものだ

『伊勢物語』の和歌にもまして、初心者に分りにくいのは、その趣旨は「いつ山を越えることが出来るだろう」である筈なのに、わずか三十一字の短詩型において、よりによって海底から描写がわき起こってくる、破綻しているような、破天荒な構図にあるかと思われます。

 なるほど、『伊勢物語』が「風吹けば」としたのも、「竜田山」とは自然には結び付きそうもない「海の底」の不条理を改め、「竜田山」に対しても、「白波」に対しても、申し訳が立つようにしたのか。それによって「沖つ白波」が、スケッチの背景に移されますから、まるで気の利いた修飾のように、生かされて来るようです。万葉のものは、まるで絶対的な、実体めいて「海の底」から始まりますから。いったんは、そう思ってみるものの……

 万葉集の持つ、海の底から白波となって、竜田山へと登りゆくような、ちょっと破天荒めいた記述もまた、和歌のスケールを大きくして、「いつになったら越えられるだろう、妻のいるあたりを見たい」という心情を、雄大なものにしているようで……『伊勢物語』の「竜田山」が、女性が詠んだ和歌にふさわしくなっているのと同じように、「妹があたり見む」と詠まれた万葉集のものは、男性が詠んだ和歌にふさわしいものになっている。
 そう見ることもできるかも知れません。

 でもあるいは、気づかれた方もあるかも知れませんが、この女性の和歌は決して、今風に改めたり、状況に合わせてかつての歌を読み替えたものではなく、万葉集の古歌をそれと悟らせることによって、今詠まれた新しい短歌の意味を豊かに表現する、正統な意味での本歌取りになっています。

 おそらく、万葉集のもと歌は、ライブの最後に歌われる、アンコールの定番のような、当時としてはよく知られた和歌だったのではないでしょうか。ですから、この女性は、万葉集の歌にあるように、

海(わた)の底
  沖つ白波 竜田山
    いつか越えなむ 妹(いも)があたり見む

 今現在は、男性の方に、新しい恋人に対して、そのような思いがあるものですから、「いつか越えなむ」じゃない「今でしょう」と決意を新たに、風が吹く中を、夜中に一人で越えてゆくのだろうと歌っている訳です。でも恐らくしばらく考えて、男性ははっとなったと思います。なぜなら、そこにはもう一つ別の意味、

海(わた)の底
  沖つ白波 竜田山
    いつか越えなむ 妹(いも)があたり見む

 いつかあなたが、ふたたびそう思って、竜田山を逆に越えて、わたしの方を見たいと願ってくれたなら。そんな思いが隠されているのに気がついたからです。なぜ気がついたか、それは言うまでもありません。すでに男性にはそのような思いが、幾分かはあって、こうして昔の恋人の庭に隠れて、彼女のことを眺めていた。そのシチュエーションがすでに、彼にこの事を築かせるための、伏線として準備されているからです。

 こうして見ていくと、この作品はちょっと本歌取りをしてみたくらいではなく、本歌取りの効果を最大限に利用して、和歌を心情変化の骨格として利用していることが分かります。なんだか、途方もない戦略でしかも表面上は、そのような事をまるで悟らせずに、何気なく記されているものですから、その緻密なプロットには、畏怖の念さえ湧いてきそうなくらいですが……

 これで「めでたし」とならないのが、なかなか安易ならざる『伊勢物語』の真の魅力で、今日の通常の作劇であれば、冒頭からのストーリーがクライマックスを迎えた、本歌取りの部分で、物語を完結させるのが常道かと思われますが、今度はむしろ現実主義者のように、リアルな目線でもって、男が来なくなった相手の女性のことを語り始めます。しかもその女が、なかなかに魅力的な和歌を詠ってよこす。これによって、ストーリー上、脇役であるはずの「新しい女」が、和歌があるばかりに、物語のなかで、重要な存在意義を確立してしまうようです。そのため、和歌がなければ、蛇足になるはずの最後の部分が、この全体の物語に対して、捨て去れない魅力を宿してしまっている。これもまたきわめてユニークな、物語の構成法だと言えるかも知れません。

君があたり
   見つゝををらむ いこま山
 雲なかくしそ 雨は降るとも
          『伊勢物語』

あなたの居るあたりを
   ずっと眺めて 待っているものですから
 どうか雲よ 生駒山を隠したりしないでください
    たとえ雨が降るとしても……

 あるいはその雨は、
  彼女のなみだか何かであるのでしょうか。
   それは知りませんが……

 先ほどの「竜田山」に対して、
  三句目に「生駒山」を配して、
   詠み込まれたこの和歌もまた、
  万葉集のなかにプロトタイプがあるようです。

     『雲に寄せる恋』
君があたり
   見つゝも居らむ 生駒山
  雲なたなびき 雨は降るとも
          よみ人しらず 万葉集12巻3032

あなたのいるあたりを
   ずっと見ていましょう 生駒山に
  雲よたなびかないで 雨が降ったとしても

 なるほど、万葉集の短歌は、相聞ですから、たとえ雨が降ってあなたが来ないとしても、雲が生駒山のあたりにたなびいて、ずっと見ているあなたの方向を、分からなくさせないで欲しいと詠んでいる事になります。より正確に述べるなら、方向というよりは、生駒山をあなたに見立てて眺めているのですから、それを隠さないで欲しいというのが、詠み手の本心かと思われます。

 これに対して、捨てられた女性の和歌はどうでしょうか。なるほど、ちょっと眺めると、「雲なたなびき」を「雲なかくしそ」に変えたくらいで、しかも変えたとは言っても、内容には違いも見られませんから、本歌取りなどではなく、ただの古歌の借用に過ぎないようにも思われます。なるほど、主人公が商人(あきんど)の若旦那でもあれば、「古歌を利用して思いを述べるなんてだらしねえ」とでも言いそうですが、『伊勢物語』のこの章での主人公は、かつてから和歌の贈答などを行なうという、事前の伏線がありますから、ちゃんと和歌を解する男です。だからこそ、先ほどの「竜田山」にも反応して、もとの恋人のもとへと返ったくらいの巧みです。

 ですから、おそらく男は、これをミニマムの本歌取りと読み取ったのではないでしょうか。つまりおなじ和歌を、ほぼおなじ表現で、ほぼおなじ内容で提示しながら、四句目だけを「同じ内容のまま」差し替えたのは、私もあの有名な歌にあるように、

君があたり
   見つゝも居らむ 生駒山
  雲なたなびき 雨は降るとも

という気持ちで、
 あなたのいる方を眺めているのです、
  だから、お願いですどうか
   「雲よ隠さないでください。たとえ雨は降ったとしても」
つまり、たとえ雨が降って、(あるいは二人のあいだに障害があって、)あなたがこれなくても構わない、どうかあなたが隠れて見えなくなってしまうことだけは、どうか有りませんようにと、四句目をわざと言い換えることによって、そこに強い思いがあることを、悟らせようとしたのではないかと思われます。そうであればこそ、男の方も、またしても和歌に興をそそられて、「お前の所に行くよ」なんて返事をしてしまうのも、無理はなかったのかも知れません。

  なかなか凝った趣向です。
 二人の女は、共にもとからある古歌を用い、しかもそれを、みずからの心情に改編することによって、みずからの思いを和歌に乗せて、男に提出していることになります。それにしても……

『伊勢物語』の驚異的なことろは、物語に歌が添えられたような、あるいは歌でまとめたような、数多くの「歌物語」とは違って、和歌こそがストーリーを規定する、最重要なファクターになっている点にあります。

 ここでも二人の女性の詠んだ和歌が、まるで、「山のかなたを待つ思いを、古歌を利用して詠め」という歌合の勝負でもしているように提示して、しかも、おそらくは、幼なじみであったからだけでなく、「竜田山」の和歌の方がすぐれていたために、男は幼なじみをこそ選んだ。なぜなら、思いは通じても、新しい女の和歌が、一句だけを改編したものに過ぎないという事実は、避けようがありません。それに対して、かつての恋人の作品は、男の思いを推し量ると見せて、自らの思いを委ねている、驚異的な本歌取りになっていたからです。そうして……

 新しい女が、最後に送ってくる和歌をもって、この章は閉ざされています。このエンディングの部分は、前に見た「にわとり野郎め」のストーリーと共通するものがありますが、自分の言葉でしたためた和歌が、酷いものではないにせよ、男の興をそそるほどの、魅力的な和歌ではなかったために、(ストーリー上は、さまざまな理由付けがなされているにも関わらず、)男は新しい女の元に、行かなくなってしまう。どこまでも、和歌によって物語が確定されているような気配がします。

 ただし、かつての恋人はともかくも、新しい恋人の四句だけの改編は、うがちすぎで、本歌そのものを引用したのに過ぎなかったのかも知れません。また、新しい恋人の最後の短歌に、由来がないのかどうかも、ちょっと不明です。いずれにせよ、最後の短歌がこれまでの和歌に対して、魅力に劣ることには変りませんから、大枠の構造はこちらの解説で、全うできるかと思います。

あづさ弓

 『伊勢物語』の章分けと名称は、後世に便宜上つけられたものに過ぎませんが、次の和歌は「あづさ弓」などと呼ばれて、知られた章のものです。

 結婚の約束をしておきながら、三年も来ない男を待ちきれなくて、ついに新しい男と結ばれようとしたその日に、その男が来るという、なかなか非情なシチュエーションの物語ですが、戸を叩いても開けてもらえなかった男が、その場で古歌を引用しながら、みずからの思いを伝えます。それに対して、男が立ち去ろうとするので、とっさに女が返したのが、次の和歌になります。

あづさ弓
   引けど引かねど むかしより
 こゝろは君に よりにしものを
          『伊勢物語』

あづさ弓ではないですが
  あなたがわたしの気を 引こうが引くまいが
    わたしは昔から あなたに心を寄せていたのに

あづさ弓
  末のたづきは 知らねども
 こゝろは君に よりにしものを
    (同じ番号の和歌の別バージョン) 万葉集12巻2985

(あづさ弓)
   未来の手立ては 分かりませんが
  心はあなたに ゆだねていますものを

 細かい描写は、男の和歌から始めないと、掴みづらいところがあるかもしれませんが、ここでもまた、古歌を言い換えることによって、みずからの思いを伝えています。男が「梓弓(あずさゆみ)」で和歌を始めたのを受けて、同じく「梓弓(あずさゆみ)」に始まり、「心はあなたにあったものを」という心情を宿した古歌をとっさに思いしたのでしょう。とっさに作り替えて男に返します。

    「引けど引かねど むかしより」
と本歌(もとうた)よりも日常語の傾向に増さり、様式的に整わないのは当然で、男が立ち去ろうとする刹那に、引き留める言葉の代わりに出てきた和歌ですから、とても整えた和歌にするゆとりはなく、思いを伝えるのに精一杯だった。逆を返せば、そのようなシチュエーションに合せて、わざと即時的な、日常語に近い表現が描き出されている訳です。

 もちろん本歌の内容が、少しまえまで、男を信じていた時の心情そのものであり、とっさの古歌の利用ではありますが、同時に本歌取りにもなっている訳です。それにしても、このような状況で和歌で返答が可能なのは、まさにすでに知られた和歌や、知られた序詞、知られたフレーズの引用が、和歌社会において認められているからであり、そうであればこそ既存の歌を、自分の表現へと移しかえて、このような緊急の場合にも、(もちろんストーリー内部での話ですが、)即興で唱えることができる。このような利便性を、こころに留めておくと良いかも知れません。

 それにしても、この物語、
  最後には女性の方が、

あひ思はで
   離れぬる人を とゞめかね
  わが身は今ぞ 消えはてぬめる
          『伊勢物語』

と、血で和歌を書き残して死んでしまう。
 そんな、悲しい結末を迎えることになりました。

いくつかの短章その一

 『伊勢物語』には、これまで挙げたような、本格的なストーリーに、和歌が融合したような章もありますが、ほとんど和歌の紹介のために、短い詞書(ことばがき)が添えられたような、きわめて短い章も多く、そのバランスもまた魅力の一つになっているようです。特に紹介された和歌の質が高く、そうでもない場合でも、印象深いものが、勾玉(まがたま)のそろっている所が、この「歌物語」を、他とは引き離している。教科書のように、あがめられたゆえんでしょうか。

  そんな短編の章から、
   和歌だけを万葉集もろとも、
  紹介してみようと思います。
 次のものは、はじめの二句が「いや増しに」を比喩する序詞になっていますが、実際に蘆辺に立って、潮の満ちくるのを眺めているようなイメージが、下句の心情にマッチしていて、なんの不都合も感じられないばかりか、かえって魅力的なものにしています。

あし辺より
   満ちくる潮(しほ)の いやましに
 君にこゝろを 思ひますかな
          『伊勢物語』

葦辺から
  満ちてくる潮が 増さるように
    ますますあなたに恋心を
  抱いてしまうようです

 このような序詞が、
  すぐれた序詞であると言えるでしょう。
 万葉集でも、秀作にはそのような配慮が見られますが、『伊勢物語』や『古今和歌集』の時代になるにつれ、ますます序詞や枕詞を、歌の本意に溶け込ませる。あるいは、背景にして傷をなくすような精神。すなわち繊細な表現をめざす傾向が高まっていきます。
 次に、万葉集のものを見てみましょう。

蘆辺(あしへ)より
   満ち来る潮の いやましに
 思へか君が 忘れかねつる
          山口女王(やまぐちのおおきみ) 万葉集4巻617

 ここでは、詩的な表現として整えられた序詞に対して、下句は日常会話へと返すような印象で、「いやましに思うからか、君が忘れられない」と具体的に記していますから、その場で即座に口にしたような即興性にまさり、即答された言葉でありながら、詩的表現になっている、というところに美意識があるものと思われます。

 けれども、表現は日常語ではないものの、説明の内容が日常会話でありがちなくらいにまとめられたため、上句が凝っている割に、その凝った方で詩が全うされていない恨みが残ります。例えば四句目などは、「思うためか」と説明していますが、思っている以上、忘れていないのは当たり前のことになりますから、「思へか君が」というちょっと凝った口調で、詩的表現を全うしたというよりも、序詞から結句の心情に繋ぐ際に、接続的に持ち込まれた説明書きのように、思われなくもありません。

 つまりは「思うためか」などと加えないで、四句目でいきなり「あなたのことが忘れられません」と続けても、意味は通じますし、「思うためにあなたが忘れられません」と条件付けを行なうよりも、無条件に忘れられない印象に増さりますから、心情の表出としては純粋になります。
 それで『伊勢物語』の作者も、

あし辺より
   満ちくる潮(しほ)の いやましに
 君にこゝろを 思ひますかな
          『伊勢物語』

 無駄な四句を大きく改め、代わりに序詞の内容を、結句で言い直したような、魅力的な表現へと生まれ変わらせています。これによって万葉集の持つ、その場で語られたような生の喜びは遠ざかりましたが、デリケートで隙のない、ひとつの完結した様式美を持った、とびっきりの短歌として提出されることになりました。

 もっともこれは、万葉集の元歌と比較した場合の話で、同時に語りかけへの意識が強く保たれているのが、『伊勢物語』の短歌の特徴でもあるくらいです。しいて喩えるなら、万葉集のものは日常の生の現場で発せられた、魅力的な表現としての詩の価値を、伊勢物語のものは役者が舞台で発したような、語りとしては自然でありながらも、周到に計算され整えられた、様式美を兼ね揃えた詩としての価値を、それぞれ持っていると言えるかも知れません。

いくつかの短章その二

 次のは、愛し合ってはいたのに、
   どうにもならないことがあって、
  分かれた相手に送った和歌。

玉の緒を
  あわ緒によりて 結べれば
 絶えてのゝちも 逢はむとぞ思ふ
          『伊勢物語』

こころの玉つなぎの糸を
   あわ緒に縒(よ)って 結んだものですから
  途絶えたとしても きっとまた逢えると思います

玉の緒を
   沫緒によりて 結べらば
 ありてのちにも あはざらめやも/あはずあらめやも
          紀郎女 万葉集763

こころの玉つなぎの糸を
  沫緒に縒よって 結んでおけたなら
    あってからの後でも
  お逢いすることが出来るでしょうに

「あわ緒に縒(よ)る」というのは諸説あります。
  どれだけ学説がいく違うか眺めてみるのも、
    冷やかしには面白いかも知れません。

・糸を緩く縒り合せた緒。以下二句、互いの心を緩く結ぶ意。(角川文庫)
・水の泡という玉をつらねた緒(ひも)。はかないもの、非現実の比喩。(講談社文庫)
・沫緒は糸の撚り方の名称か。(小学館)
   ⇒(要約)続けて、「片緒に撚(よ)りて」が切れやすい結び方であるのに対して、
  より丈夫な結び方かと解説あり。

 一方は緩く、一方は固く、さらにもう一つは空想の結び方と、ここまで違っているとあっぱれなくらいですが、わたしもどれかを選択しなければならないとなると、なんだか足取りが重くなります。ただ、この二つの短歌の内容が、離れてからも逢えるというものですから、素直に糸が切れても、補修がしやすいなんらかの結び方を指したものとして、やり過ごすことに致します。むしろ皆さまは、定説を探すことよりも、定説がないということに、注意をして頂ければ、それで良いのでは無いでしょうか。

 このように、言葉の定まらない例は、万葉集を始め、古文にはつきまとう問題で、あまり一つの書籍の解説を、信じすぎないことが大切であるという、ひとつのサンプルとして、ここではちょっと脱線気味に、話を膨らませてみました。

 それで、二つの短歌を比べてみますと、万葉集の「ありてのちにもあはざらめやも」というのは、「あって後ににも逢わないということがありましょうか」という非常に分かりにくい表現で、しかも回りくどい表現になっていることが分かります。なにしろ「あって後」が「生きていれば」の意味なのか、「何かがあって後」なのか、それとも「生きた後」で「死んでから」なのか、明確なことは何も分かりませんから、故意にはぐらかされたような印象です。

 そのため、『伊勢物語』の作者は「絶えての後も逢はむとぞ思ふ」と、具体的に離れてから後にもと説明し、心情もまた「逢おうと思うよ」と分かりやすい、直接的な表現に移しかえて、逢いたい思いを表明しています。けれども逆を返せば、万葉集の短歌は、不明瞭で回りくどい表現によって、表わしたい思いがあった、と見ることも可能で、

玉の緒を
   沫緒によりて 結べらば
 ありてのちにも あはざらめやも/あはずあらめやも

 実は、この和歌は二首がペアとなって大伴家持に送られた贈答歌になっているのですが、それらを合せて捉えても、なお二句の意味と、四句の真意が判然と分かりません。おそらくは、当事者にしか分からない何かを、暗示したのかも知れません。それで解説者たちも、完全には解明できずに、それぞれの説を掲げるのが、精一杯のような、不統一の解釈に陥っているようです。

 けれども、その分四句の意図を、さまざまに読み取っても成り立つような、解釈の幅を持っているのと、何らかの含みがあって、それが悟れないものの、含みを持たせた表現としては、様式的に整っているのが原因で、しっかり内容が掴みきれないながらも、優れた和歌のように思われるのは、あるいは「はぐらかし法」が洗練されているかも知れません。豊かな心情の籠もる詩としては、むしろ伊勢物語のものよりも、万葉集の方が勝るように思われます。

いくつかの短章その三

谷狭ばみ
   峰まではへる たまかづら
  絶えむと人に わが思はなくに
          『伊勢物語』

谷が狭いので
  峰まで這いのぼる つたかずらが
 絶えることなどはないとあなたに対して
   わたしは思っているのですが

谷狭ばみ
   峰にはひたる 玉かづら
 絶えむのこゝろ わが思(も)はなくに
          (東歌) 万葉集14巻3507

谷が狭いので
  峰にまで這っている つたかずらが
 絶えるような心を 私は持っていません

  「峰に這い上るツタ草が絶えることのない」
という序詞が、すぐれたものであるか、それはあなたの判断にゆだねましょう。ただツタ草が絶えることのないというのは、絶えないものの譬えとしては、鉄の鎖ならぶった切ればそれまでですが、ツタ草はどれだけ切っても、再生してきますから、リアルなしぶとさを持った表現であることだけは、おせっかいに付け加えておこうかと思います。

 ほとんどおなじ表現で、四句目の「絶えむの心」を「絶えむと人に」に変えたのも、本歌取りのような意図があるようには感じられませんから、万葉集の和歌の類歌として、すでに存在したものを、そのまま利用しただけかも知れません。一方で、次の和歌などは、まさに既存の和歌を利用して、みずからの和歌を生みなしている好例かと思われます。

ふたりして
  結びし紐を ひとりして
 あひ見るまでは 解かじとぞ思ふ
          『伊勢物語』

二人して結んだ紐を 一人で……
  互いに見つめ合うまでは
   解いたりはいたしません

 この和歌は、上の句と下の句の間に、文脈的に断絶があります。「ひとりして」以下の部分には、上の句の文章をまとめる何らかの文章が続き、その後ではじめて「あひ見るまでは」と次の文脈が来るのが普通ですから、なんだか途中まで語って、下の句で言い直したような印象がしてきます。ところが、この元になった和歌が『万葉集』には収められていて、もしこの古歌さえ知ってさえいれば、この言い換えの正体は、深く考えるまでもなく、さらりと受け取れたのではないでしょうか。

二人して 結びし紐を
  一人して 我(あ)れは解き見じ
    たゞに逢ふまでは
          よみ人しらず 万葉集12巻2919

二人で結んだ紐を
  一人で私は解きません
    直接逢うまでは

 二人で紐を結ぶのは、
  二人のかたい契りを確認するための、
   恋人たちの儀式のようなものですが、
  この和歌の存在を知ってさえいるならば、

  「二人して 結びし紐を
    一人して 我は解き見じ
      たゞに逢ふまでは」
という歌がありますが、
  わたしもあなたに逢うまでは、
    決して紐をほどいたりはいたしません。

 つまり上の句は本歌の引用になっていて、
  これによって、解かないという思いが強調され、
     「わたしは解きません。実際にあうまでは。
        互いに顔を合せるまでは、決して解きません。」
という、とても下の句に収めきれない内容を、効果的にまとめることに成功しています。さらに、実際には「古歌」を途中まで引用することによって、一度目の「解きません」を省略させていますから、同じことを二度繰り返すような、しつこい感じがどこにもない。さらりとシャツを着こなして、軽やかにして技巧的です。そうしてもし、この和歌が、『伊勢物語』本文にあるように、「色好みの女」(恋愛とみやびをたしなむ女)への返信として、あてられているのを知るとき、
   「なるほど、相手が色好みの女だから、
      古歌の引用をあてにしたような詠み方が出来たのか」
と納得するよろこびさえ、湧いてくる訳です。

 このように、以前ある歌や、言葉を利用することによって、効果的に新しい和歌を詠むということは、何も『万葉集』を眺めるばかりでなく、三十一文字の詩型を嗜むときの修辞法として、記憶しておくと便利ですし、そんなおしゃれな言い回しに気づかずに、
  「パクリに過ぎない」
    とか「イマジネーションの枯渇である」
 などと、お猿のわめき散らすような、
   蛮行に陥らないですむかと思われます。

いくつかの短章その四

お砂糖を
  こらえて飲みます マンデリン
 打ち明けたいな 窓際の君
          即興歌 時乃遥

 さて、ひと息ついて、
   ぬばたまのコーヒーブレイク、
  見出しを改めましょうか。

ちはやぶる
   神のいがきも 越えぬべし
 大宮人(おほみやびと)の 見まくほしさに
          『伊勢物語』

聖なる
  神の垣根さえ 越えてしまおうかしら
    宮中にお仕えするあなたに
   お逢いしたいばかりに

 これは、神に仕えるべき女性からの和歌で、男はこれに対して、「恋の道は神さまが禁じるものではないから、どうぞいらっしゃい」なんて戯れて返答ていますが、むしろ『万葉集』に収められている和歌の方が情熱的で、恋にせっぱ詰まっているようです。そうして躊躇なく突き進んでいます。

ちはやぶる
  神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
    今はわが名の 惜しけくもなし
          よみ人しらず 万葉集11巻2663

 『伊勢物語』の方は、物語のシチュエーションをまじえて、
   禁断の恋が導かれるように作られていますが、
     純粋に和歌だけを比べれば、
      「神罰が下ろうと神の垣根も越えよう、
     今は名声も、プライドも捨ててもかまわない」
と突き進むような『万葉集』のものは、ダイレクトに情熱が伝わってきて魅力的です。次は、そこに居るとは知っていても、連絡さえ出来ないような、遙かなる女性を思っての和歌。月には桂(かつら)の木が生えている、そんな中国の伝説に基づいて詠まれています。

目には見て
  手にはとられぬ 月のうちの
 桂(かつら)のごとき 君にぞありける
          『伊勢物語』

眺めることは出来ても
   決して手に取ることは出来ない
  月の桂のような あなたなのですね

目には見て
  手にはとらえぬ 月のうちの
 桂(かつら)のごとき 妹をいかにせむ
          湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集4巻632

 これなどは、本歌が男性から女性に歌われていたものを、女性から男性に呼びかけたものに過ぎません。この種の、男性と女性の変更は、万葉集内部でもよく見られる類歌(るいか)[よく似た歌同士]のパターンであり、既存の和歌が心情に相応しいものへと置き換えられ、利用されていたような形跡をしめしていると思われます。次のものも、若干変更されていますが、『万葉集』(にも収められたとある和歌)の引用です。

岩根ふみ
   かさなる山に あらねども
 逢はぬ日おほく 恋ひわたるかな
          『伊勢物語』

あなたへの道のりは
  岩を踏み越えて 重なる山々を行くものではないけれど
 それなのに逢わない日が多くて 恋しさにさいなまれているのです

岩根ふむ
   かさなる/へなれる山は あらねども
 逢はぬ日まねみ 恋ひわたるかも
          よみ人しらず 万葉集11巻2422

岩根を踏むような
   重なる山々は ありませんが
 あなたに逢えない日が多いので
    恋しさにさいなまれているのです

「まねみ」はミ語法で「多いのが理由で」といった意味になりますから、伊勢物語のは、それをちょっと言い換えたくらいの、本歌の類歌に過ぎません。

布引の滝

 さて、主人公たちが「布引(ぬのびき)の滝」[兵庫県神戸市にある日本三大神滝の一つ]を見に出かけるこの章は、滝見の帰り道、いつしか日が落ちた場面で、主人公が、

晴るゝ夜の 星か
   川辺の ほたるかも
 我が住むかたの
    あまの焚く火か
          『伊勢物語』

あれは晴れる夜の 星だろうか
  いや 川辺に明滅する蛍かもしれない
 ああ違う あれは
   私の家がある方に
     海人の焚く 漁火(いさりび)であったか

と詠むという、魅力的な場景が描かれていて、
  よく知られた章ですが、残念ながらこの和歌は、
 『万葉集』とは関わりがありません。ただこの話の冒頭に、

葦の屋の
  灘(なだ)のしほ焼き いとまなみ
 つげの小櫛も さゝず来にけり
          『伊勢物語』

蘆屋(あしや)の灘(なだ)では
  海人たちが 塩を焼くのにいそがしいので
    黄楊の小櫛(つげのおぐし)さえ
  差さずにきてしまいました

 説明がないと「なんのことやら」ですが、
   これもまた冒頭の二句が序詞で、
     「蘆屋の灘では塩焼きに忙しい」
  そんな忙しさで、わたしも慌ただしく出てきたので、
 髪を飾る小さな櫛さえ、差さずに出てきてしまいました。

という女性の歌になっていますが、
  この和歌、『万葉集』のなかで、

志賀(しか)の海人(あま)は
   め刈り塩焼き いとまなみ
  くしげ/くしらの小櫛(をぐし) 取りもみなくに
          石川少郎(いしかわのしょうろう) 万葉集3巻278

志賀の海女(あま)たちは
   藻を刈り塩を焼くのに 忙しくて
 化粧箱のクシさも 取って見やしないよ

と詠われたものにもとづいています。
 万葉集のものは、福岡県志賀島(しかのしま)の当時有名だった藻塩(もしお)作り[ワカメなどの海藻を焼いて塩を得る製塩]を詠んだもので、海女さんたちは、仕事に明け暮れてお化粧なんかにかまけていられないという感慨になっています。

 それに対して『伊勢物語』の本文では、場所が神戸よりずっと大阪よりの、やはり海を見晴らせる海岸沿いである蘆屋の灘の短歌になっていて、しかも全体が景観を詠んだものではなく、上の句は序詞へと置き換えられています。この短歌の紹介に、「昔の歌にこのように詠まれている場所こそ、この里である」と紹介されていますから、あるいはこれは、『伊勢物語』の作者が改編したというより、この『万葉集』の和歌の類歌が有名な古歌として存在して、それを紹介したと見る方が自然かも知れません。

はまひさぎ

 さて、「はまひさぎ」と呼ばれる章には、

須磨(すま)のあまの
   塩焼くけぶり 風をいたみ
 おもはぬかたに たなびきにけり
          よみ人しらず 古今集708

須磨の猟師たちが
   塩を焼いている煙は 風があまり激しいので
 思わぬ方へと たなびいて行ってしまった
    (あなたの気持ちもまた……)

志賀(しか)の海人の
  塩焼くけぶり 風をいたみ
    立ちはのぼらず
  山にたなびく
          (古集) 万葉集7巻1246

志賀の漁師たちの
  潮を焼く煙は 風が強いので
    真っ直ぐは昇らずに 山の方にたなびいている

 この短歌については、「古今集のなかの万葉集」で眺めましたが、この和歌は『伊勢物語』にも、『新古今集』にも収められています。他にも『伊勢物語』に収められている万葉集由来の短歌が、『新古今集』で採用されているものが、何首かありますから、ここではあえて注意書きは加えませんでしたが、「新古今集のなかの万葉集」で、個々に収められた短歌にも、再開する機会があるかと思います。
 今は次の紹介。

波間より
   見ゆる小島(こじま)の はまびさし
 久しくなりぬ 君にあひ見で
          『伊勢物語』

「波間から見える
   小島の浜小屋の庇(ひさし)のような久しさ」
  なんて言葉もありますが
    ずいぶん久しくなりますね
      あなたと逢わなくなってから

波の間ゆ
   見ふる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ)
 久しくなりぬ 君に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集11巻2753

波の間に
  見える小島の ハマヒサギではないが
    ヒサしくなってしまった
  あなたに逢わないで

 典型的な『万葉集』タイプの序詞で、上の句がまるごと、序詞になっています。たとえば「久しぶりだね」と言いたいときに、上の句の常套句を加えて述べれば、もう和歌らしく様式化されてくる。もちろん相手が、その序詞を知っていることが条件になりますが、なかなか便利で、簡単に言葉に芸術性を与えることが可能です。その代り、その伝統を損ねた私たちがいきなり読むと、なんだかよく分らないことにもなるのですが……

 はじめはそんなものだと思って、判断するまもなく口に出して唱えていればよいのです。そうして万葉の和歌に触れるほど、当時の表現が自分のものになっていく。するとそれまで邪魔に思えたり、言葉をもてあそんでいるようにしか思われなかったものが、案外、違った価値観で眺められるようになる。段々おもしろみも分ってくる。異なる領域、異なる時代に踏み込むためには、みずからがそこに近づく、ちょっとした努力が必要です。なんていうと面倒ですが、安易に自分の価値観で判断せずに、しばらくは素直に読み流していればよい。ただそれくらいのことには、違いありません。

 ちなみに、そのように何度も繰り返しているうちに、次第によく思えて来るのが秀歌、逆に段々嫌になってくるのが、駄歌という判断基準もありますから、歌の価値が不明瞭なときは、ともかく何度も繰り返して唱えて見るのが、もっとも手っ取り早い方法です。

在原なりける男

 当時の作品に漏れず、『伊勢物語』もいくつもの写本と異伝に彩られています。ある資料には収められた章が、他のものには無い、言葉が違っているということは、しばしば起きることなのです。もちろん書き写す際の誤写も存在しますし、さきほどの和歌の「はまびさし」などは、すでに『伊勢物語』の執筆当時に、もとの和歌が誤解されて「浜久木」という植物の名称が、家の庇(ひさし)にされてしまったらしいくらいです。ですから、異伝の物語のなかにも、万葉集から由来するものがいくつかあるのですが、今は割愛(かつあい)。

 今日、もっともよく知られている百二十五段本では、主人公は最終章で、

ついにゆく
  道とはかねて 聞きしかど
    きのふけふとは 思はざりしを
          『伊勢物語』

最後には行かなければならない
   道だとは以前から聞いてたが
  それが昨日今日に迫っているとは
     思ってもみなかった

という最後の和歌を残して、物語を閉じています。そんな主人公の歌物語ですが、主人公の名称が、「在原なりける男」として、はっきりと明記されている長い章が、ほぼ物語の中央に配備されていますから、その中から一首お送りして、『伊勢物語』を離れようかと思います。

あまの刈る
   藻にすむ虫の われからと
 音をこそ泣かめ 世をばうらみじ
          『伊勢物語』

 猟師の刈る海草にひそむ虫「ワレカラ」は、陸に上げられて、なみだを流しつくして、最後には干からびてしまいますが、決して猟師たちを恨むことなく、結局は自分のせいだ、我から出たことなんだと、自分ばかりを責めて消えてゆきます。わたしもまた、あの人が悪いんじゃない、自分のせいなんだ、我から出たことなんだと、世の中を恨むことなく、一人で泣いているのです。

 牽強付会(けんきょうふかい)も時には結構。
  ちょっと込めすぎた現代文ですが、まあちょっとしたお遊びです。
 この海草に付着する小さな生物「ワレカラ」は、ここにあるように「我から」と重ね合わされて、まれに和歌に登場します。正しくは虫ではなく、甲殻類に属するのですが、ワレカラの愛くるしい(?)姿については、皆さまそれぞれに、「我から」調べてもらうとして……

 この和歌は、主人公のせいで内蔵(うちのくら)に閉じ込められた、女が歌う和歌になっています。「我から」を導くために、「猟師の刈る藻にひそむワレカラ」を登場させるような、ちょっと強引な序詞は、『万葉集』のなかでは、時折見かけるタイプです。決して「ワレカラ普及委員会」の回しもという訳ではありません。けれども……

 清少納言も「枕草子」のなかで、虫と言えば鈴虫、ひぐらしなどと並べていくうちに、ワレカラを登場させています。あるいは当時の貴族たちにとってワレカラは、海草などにまぎれ込んで、食卓で眺めるようなこともある、身近な動物だったのかもしれません。そうして、そのような環境で愛着を持った歌人であれば、私たちには破天荒に思われるこの序詞も、案外親身な表現だったのかもしれませんね。

 以上、私自身、もし十年前であったなら、絶対にこの和歌の価値など理解できなかったものを、今となっては魅力的な和歌に思え来るという、知識と歳月と慣れのもたらす不思議さと、絶対的な判断基準など、存在しないのだというもどかしさ。だからこそ、皆さまも慣れないうちは自らの判断に囚われず、しばらくは素直になって付き合ってみることが、『万葉集』に踏み込むための、ちょっとしたコツかもしれません。

 ところでこのワレカラ、実は『伊勢物語』のなかで二度も和歌にされています。しかもどちらもなかなかに魅力的な和歌なので、この執筆者もまた、ワレカラ普及委員会の回し者だったのかも知れませんね。

われ殻や
  みの虫唄ひつく夜かな
          時乃旅人

土佐日記

 脱線しました。
  脱線ついでに、『土佐日記』からも、
   一首抜き出してみましょうか。

寄する波 うちも寄せなむ
   わが恋ふる ひと忘れ貝
     おりて拾はむ
          土佐日記 二月四日

寄せる波よ
  どうかここまで打ち寄せて 貝殻を届けておくれ
    恋い慕う人を忘れるための忘貝(わすれがい)を
  降りて拾いたいと思うから

わが脊子に
  恋ふれば苦し いとまあらば
 拾ひて行かむ 恋わすれ貝
          坂上郎女(さかのうえのいらつめ) 万葉集6巻964

あの人に
  恋をしているのが苦しい 暇があったら
    拾っていこうか 恋を忘れるための忘貝を

 これなどは類似の発想ではあるものの、似たような着想は他の和歌にもありますから、万葉集のこの和歌から由来しているかどうか、確かめられないくらいの類歌(るいか)には違いありません。ただ和歌の精神として、どちらも貝を拾ったところで、恋しさが無くならないことを分った上で、それでも気を紛らわせることくらい出来るだろうか。そんな空しい思いに取り憑かれて、忘貝を拾いたいと呼んでいる。なかなかにしみじみとした和歌になっているようです。

暇(いとま)あらば 拾(ひり)ひに行かむ
  住吉(すみのえ)の 岸に寄るといふ/とふ
    恋わすれ貝
          よみ人しらず 万葉集7巻1147

暇があったら 拾いに行こう
  住吉(すみよし)の 岸に打ち寄せるという
    恋わすれ貝を

 ついでなので、類歌も紹介して起きましょう。
「恋わすれ貝」については、二枚貝の死んだ後の貝殻が、片方になって転がっているもので、ペアになっていたものが引き離されている所から、相手を忘れさせる貝殻とされています。あるいはまた「磯の鮑(あわび)の片思い」という言葉にあるように、アワビの貝殻は、二枚貝に見えるのに、実際は一枚貝なので、ぴったりと揃うことがないことから、アワビの貝殻を指したという説もあるようです。

 ところで、『伊勢物語』と違って、『土佐日記』は作者の新しい創造物、すなわち日記による文学ですから、当然『万葉集』からの引用などは、探すのが困難で、このような影響を受けたものを、拾えるくらいのものになっています。ちょっと強引ですが、『古今和歌集』の過去へのまなざしと、現在の表現という意識のうち、懐古的なものを『伊勢物語』が、モダンな表現を『土佐日記』が担っていると捉えることも、導入の手引きとしては、許されるのではないかと思われます。

草枕

 最後は番外編。
  夏目漱石の『草枕』で使用されている万葉集の和歌が、なかなかに捨てがたい魅力を持っているので、ついでに紹介して、このコンテンツを終了したいと思います。それでは皆さま、次回『新古今集のなかの万葉集』でまたお逢いしましょう。

「昔しこの村に長良の乙女と云う、
   美くしい長者の娘が御座りましたそうな」
「へえ」
「ところがその娘に二人の男が一度に懸想して、あなた」
「なるほど」
「ささだ男に靡こうか、ささべ男に靡こうかと、
  娘はあけくれ思い煩ったが、どちらへも靡きかねて、とうとう

秋づけば
   をばなが上に 置く露の
 消(け)ぬべくも我(あれ/わ)は おもほゆるかも
     日置長枝娘子(へきのながえをとめ) 万葉集8巻1564

秋になると
   ススキの上に 置かれた露のように
  消えてしまいそうな思いに
     わたしは囚われているのです

と云う歌を咏んで、淵川へ身を投げて果てました」
 余はこんな山里へ来て、
  こんな婆さんから、こんな古雅な言葉で、
 こんな古雅な話をきこうとは思いがけなかった。

                  (つゞく)

2016/06/22

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