古今和歌集のなかの万葉集

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古今和歌集のなかの万葉集

 『古今和歌集』の意図は、『万葉集』に採用されていない古歌から、六歌仙(ろっかせん)と呼ばれる人たちが活躍した、中頃の歌、さらにはもっぱら選者たちの最新の歌をまとめて古今(ここん)のアンソロジーを、天皇の名のもとに編纂するというものでした。

 ただし、次の勅撰和歌集である『後撰集(ごせんしゅう)』の選者達が、同時に万葉集の解読作業に従事するように、漢字だけで書かれていた万葉集には、読解が困難なものもあり、当時の資料が今日私たちが知る『万葉集全二十巻』と同じものであったかも不明であり、どのような理由かは不明ですが、『万葉集』に掲載された短歌とほぼ同じものが、『古今集』にまぎれ込むことになりました。

 また、万葉集の紹介でしばしば眺めたように、同じような定型を使用したり、類似の表現で詠まれた和歌も多く、万葉集に掲載された短歌と、類似の表現、同じパターンを使用した短歌が、『古今集』の編纂時の古歌として、掲載されているものも存在します。

 さらには、明確に「本歌取り(ほんかどり)」の意識を持って、万葉集の短歌に新しい意味を込めて、表現された短歌も存在します。ただし、細かい定義付けはあまり意味をなさないと思いますので、類似の表現に過ぎないものや、同型パターンを使用した短歌も、ここでは「本歌取り」として説明することにします。

 今回は、それらを抜き出しがてらに、『万葉集』の名歌を紹介すれば、同時に『古今集』の短歌を紹介したことにもなりますから、双方向に確認が出来て便利だろうという発想から、いくつかの和歌を紹介して見ようと思います。しかしその前に、せっかく「仮名序」と呼ばれる序文が付いているものですから、その序文からも、取り出せる短歌は取り出して、紹介を加えて行きたいと思います。

仮名序

 まずは、歌の手本と紹介される和歌、

難波津に
   咲くやこの花 冬ごもり
 今は春べと 咲くやこの花
          王仁(わに) 古今集仮名序

と共に紹介される、
 次の作品が、万葉集に由来します。

安積山(あさかやま)
  影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
 浅きこゝろを わが思はなくに
          陸奥の前(さき)の采女(うねめ)
             古今集仮名序/万葉集16巻3807

安積山の
  影さえ映しだされる 澄んだ山の井戸のような
 浅いこころでは わたしはあなたを思ってはいませんのに

 これは葛城王(かづらきのおおきみ)が陸奥国(みちのくのくに)に使わされた時に、当地の役人の催す宴があまりにも不手際なものですから、腹を立ててはワナワナ震え、もう酒もたしなめず、食事も喉を通らないといったありさまで、周囲の者たちも、みな恐怖に顔を引きつらせるくらいでしたが、そこに以前采女(うねめ)[天皇に仕える女官]であった女性が、さかづきをささげながら、この和歌を詠んでやったところ、王の怒りもたちどころに解けて、こころ楽しく宴を楽しまれた。

 その際、この采女は、左手に盃を、右手に水を持ちながら、王の膝を打つという、常人には不可能な、離れ業を演じたと言いますが、まあ、そんなことはどうでもよろしい。記述からは、この采女が作ったものではなく、既存の和歌を利用したような気配ですが、いずれにせよ、上の二つの短歌は、歌の父母と讃えられ、手習いの初めともされていますから、ぜひ二つとも、暗記しておかれると良いでしょう。ちなみに安積山(あさかやま)は福島県の歌枕(うたまくら)とされますが、所在地にいくつかの説があり、明白ではありません。

たらちねの
   母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
  いぶせくもあるか 妹に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集12巻2991

(たらちねの)
   母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
     狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないで

 仮名序に「なづらへ歌」の例として紹介されているもので、絹を作るための蚕(かいこ)を育てると、蚕は繭(まゆ)を作り、その中に閉じこもってしまいます。絹糸はその繭から作りますが、サナギのように、その狭い中に閉じこもるやりきれなさが、序詞となったもので、狭苦しくて逃れられないような息詰まる心情を、うまく表明しています。もっとも、人間が育てなければ生きていけない、自然適応能力の損なった家畜動物としての生き様や、繭に入っている間に茹でられて死んでしまう、お蚕様の空しい最後を暗示した訳ではありません。

春の野に
  すみれ摘みにと こし我そ/ぞ
 野をなつかしみ ひと夜ねにける
          山部赤人 古今集仮名序/万葉集8巻1424

春の野原に
  すみれを摘みに 来たわたしですが
 野が心地よくて慕わしいので
   ひと夜を過ごしてしまいました

「すみれ」は今のスミレと考えて、「なつかしみ」とあるのは「想い出される」ではなく、「心が引かれる」「親しみが持てる」といった意味になります。当時の野宿というものがどういうものだったのか、それは残念ながらわたしには分かりません。「草枕」という枕詞があるくらいですから、寝るための準備なども合ったように思われますが。

わかの浦に
   しほ満ちくれば 潟をなみ
 葦へ/べをさして 鶴(たづ)鳴きわたる
          山部赤人 古今集仮名序/万葉集6巻919

若の浦に
  潮が満ちてきたので 干潟が無くなって
    葦の方をめざして
  鶴が鳴き渡って行くのです

「和歌浦(わかのうら)」は、和歌山県北部の海岸沿いにある景勝で、当時は潮の干満により島になったり陸になったりする山を幾つも望む、広大な干潟だったようです。そこに潮が満ちて、干潟が消えたので、鶴たちが葦の生えている方をめざして、鳴き渡っていく。そんな叙景詩(じょけいし)になっています。

古今和歌集

もゝち鳥
   さへづる春は ものごとに
 あらたまれども われぞふりゆく
          よみ人しらず 古今集28

さまざまな鳥が
   さえずりを始める春は 人の営みもまた
 あらたまるようですが わたしだけが残されたように
    古びてゆくのがかなしい

     「旧(ふ)りゆくことを嘆く」
冬過ぎて 春し来たれば
  年月は 新たなれども
    人は古(ふ)りゆく
          よみ人しらず 万葉集10巻1884

冬が過ぎて 春が来たなら
   年月は 新たになりますが
      人は古びてゆくのです

 万葉集のものは観念的で、万人のための格言のような気配がしますが、古今集のものはより情景的であり、個人の感慨としてデリケートな描写を試みています。万葉集の方は、古りゆく悲しみは悲しみとして受けとめ、また歩んでいくような感じですが、古今集のはあきらめに囚われて逡巡するような感じでしょうか。それぞれの精神が異なりますから、安易に優劣は付けない方が良さそうですが、現代人には、古今集の方が共感を得るのではないでしょうか。

みわ山を
   しかもかくすか 春がすみ
 人に知られぬ 花や咲くらむ
          紀貫之 古今集94

なぜ三輪山を
   これほどに隠すのか 春霞よ
 人に知られないように うるわしい花が咲いているのを
    隠し守っているのだろうか

三輪山を しかも隠すか
  雲だにも こゝろあらなも/む
    隠さふべしや
          井戸王(いのへのおおきみ) 万葉集1巻18

なぜ三輪山を
   これほどに隠すのか せめて雲だけでも
 心があってくれるものならば
    どうして隠したりするのだろうか

 万葉集の和歌が分かりにくいのは、本来は額田王の長歌に対する、反歌として井戸王(いのへのおおきみ)が答えたものだからです。ここでも万葉集は語りにかけによって心情を表明していて、「雲だけでも」「もし心があるならば」「どうして隠したりしようか」という表現で、心なくも三輪山を隠してしまった雲にどいて欲しいと願うのですが、それももはや叶わぬ前に、遠ざかる旅路に、やがては三輪山は消えなくなってしまう現実もあるものですから、それでもあきらめの付かない心情だけが、このような表現となって現われたと言えるでしょう。

 もちろんこれは何も、現在といにしえの表現の違いだけでなく、もし現在においても「あの雲どいてくれないかな」と直接表明したら、それはあまり高くない飽和点で、大げさに表現すると茶番劇のように、わざとらしい仰々しさが現われてくるには違いありません。わざと間接的な表現で攻めるから、これだけの誇大表現が可能になっているという側面もあるのです。

 それに対して、万葉集の和歌を本歌取りしたとされる、紀貫之のものは語り方も、内容も明快です。そうして明快に表現するからこそ、こっそり大切なものを隠しているのかな、あの春霞は、という可愛らしいような発想に、春の喜びが感じられて、屈託もなく心地よい。万葉集のものは、語りかけによる魅力が、紀貫之のものは着想による魅力が、それぞれに勝るようです。

夏歌

わが宿の
  池のふじ波 咲きにけり
 やまほとゝぎす いつか来鳴かむ
          よみ人しらず 古今集135
         「この歌ある人のいはく、柿本の人麿がなり」

わたしの家の
   池の藤は 波うつように咲きました
 山のほととぎすは いつ来て鳴いてくれるのでしょうか

藤波の 咲きゆく見れば
  ほとゝぎす 鳴くべき時に
    近づきにけり
          田辺福麻呂(たなべのさきまろ) 万葉集4042

藤波が 咲いていくのを見れば
  ほととぎすが 鳴くべき時期が
    近づいてきたことです

 内容については分かるかと思います。ここでは、古今集のものが、万葉集の和歌にもとずく、本歌取りの手本のようになっているので、それを眺めてみましょう。まず比べてみると分かるように、明確に本歌に基づいていると悟れます。しかも万葉集が、藤波が咲いていく状況で、ほととぎすの当来を未来に思い描いたのに対して、古今集のものは、すでに藤波は咲ききって、より近い未来に、ほととぎすの当来を待ち望んでいる。つまり本歌より、わずかに後の状況が詠まれていることが分かるかと思います。

 後の時代の歌論書などでは、例えば藤原定家があまり多く本歌の言葉を取らないように定めるなど、新しい歌のアイデンティティとの兼ね合いで、うるさい規則めいたことも言われましたが、本来はこのように、本歌と関連を持たせながら、本歌とは違った魅力を織り込んで、新しい表現を生みなしたり、本歌がなんの歌であるか悟らせることによって、まるで本歌と新しい歌が、関連性を持った連作や応答のように、どちらも楽しめるようになったりするのが、優れた本歌取りの特徴です。

秋歌

天の川
  あさ瀬しら波 たどりつゝ
    わたり果てねば
  明けぞしにける
          紀友則 古今集177

天の川を渡ろうと
  浅瀬の白波の立つあたりを 辿りながら
    渡り尽くすことが出来ないまま
  夜が明けてしまいました

     『七夕』
天の川
  去年(こぞ)の渡りで うつろへば
 川瀬を踏むに 夜ぞ更けにける
          よみ人しらず 万葉集10巻2018

天の川の
  去年の渡り瀬が 移り変っていて
    川瀬を求めるうちに 夜は更けてしまった

 比べると、万葉集の方が現実描写ということを重んじているのが分かるかと思います。彦星は当てもなくさ迷うのではなく、明確に渡れるところを辿って川を踏み渡って来るのですが、去年と浅瀬の状況が移り変ってしまったために、渡りきることが出来ない。具体的であるために、天上のおとぎ話のような空想性は、紀友則の作品に劣りますが、実際に渡ろうとする彦星のリアルさは、遥かに増さっていると言えるでしょう。

 しかも紀友則は結果を描いていますが、万葉集のものは、現在渡ろうとしている状況を描いていますから動的です。そしてリアルでありながら、万葉集のものは「夜ぞ更けにける」と、危機感のうちにも、まだ渡りきれる可能性を残してくれていますが、逆に空想的に思えた紀友則の方は、「明けぞしにける」と彦星の希望を打ち砕いています。

 そうして現実的描写と、幾分抽象的な表現と、それぞれの特徴はあるのですが、紀友則の短歌は、ちゃんともとの歌を踏まえて、夜更けが過ぎた、より後の状況を描き出している。もと歌を知っていれば、「ああ、苦労の果てに、彦星はとうとう……」と二つの和歌を比べて、同情することも可能です。このようなものこそ、優れた本歌取りと言えるでしょう。

 もちろん、本歌取りはいつも成功する訳ではありません。
  次のは、むしろ改編によって、
   もと歌の魅力を損ねているかもしれない例。

     「是貞親王(これさだのみこ)の家の歌合の歌」
いつはとは
   時は分かねど 秋の夜ぞ
 もの思ふことの かぎりなりける
          よみ人しらず 古今集189

いつであると 時を区別することはありませんが……
 秋の夜でしょうか もの思い悩むことの 極みということでしたら

いつはしも
   恋せぬ時は/恋ひぬ時とは あらねども
 夕かたまけて 恋はすべなし
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2373

いつといって
   恋しくないときは ありませんが
  夕暮に近づく頃になると
     恋はとりわけ切ないものです

 古今集の短歌は歌合(うたあわせ)の際詠まれたものですから、あるいは「恋の限り」のようなお題でも出されていたのでしょうか。万葉集のものは、全体の語りのトーンが統一されていて、下句の思いに向けて、ストレートに語りかける感じになっていますから、「夕ぐれこそはもっとも切ない時」と、詠み手からさらりと聞かされたような、シンパシーが湧いてきます。

 それに対して、古今集のものは、「秋の夜ぞ、もの思ふことの限りなりける」という倒置法を使用した下の句の表現は、きわめて魅力的なのですが、初句からの「いつはとは時は分かねど」というのは、歌合わせのお題や、あるいは本歌(もとうた)の内容を言い換えたような、わずかなたどたどしさが籠もります。といっても、辛うじて体裁は整っているのですが、それ以上の切れが無いものですから、下の句に対して幾分見劣りする。万葉集のものが、全体のに隙のない作品となっているのに対して、本歌取りで新しい魅力を込められたのは良かったのですが、そのため傷を残しているのが、ちょっと無念の点かと思われます。

さ夜なかと 夜はふけぬらし
   雁がねの きこゆる空に
  月わたる見ゆ
          よみ人しらず 古今集192

小夜なかと呼ばれるくらい 夜は更けたようです
    雁の鳴き声の 聞こえる空には
  月の渡るのが見えています

さ夜なかと 夜は更けぬらし
   雁がねの 聞こゆる空を/に/ゆ
  月わたる見ゆ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集9巻1701

  これは完全に同じ和歌です。
 これまで見てきたうちにも、本歌取りは多いものの、完全に同一のものはありませんでしたが、あるいはほんの手違いでしょうか。万葉集の和歌が収められる事になりました。

 意味は分かるかと思いますが、「小夜中」とあるのは「真夜中」のことで、四句目は漢文に無い文字を、補うに際して、説が分かれているようです。この短歌の見所は、表現としては三句目以後の情景によって、「さ夜なかと夜は更けぬらし」と、倒置された内容を推察しているのですが、情景としてはこれだけでは「夜が更けた」証拠にはなりませんから、今度は逆に冒頭の推察によって、月の位置など、三句目以下の情景が定められる。

 そのような双方向の推察が、心地よい不明瞭さ、つまり聞かされてから情景が浮かぶまでの、僅かなブレが、含みのような余韻となって、残される点にあると言えるでしょう。きわめて簡単な表現ではありながら、なかなか味わい深い作品になっています。

つき草に ころもはすらむ
   あさ露に ぬれてのゝちは
  うつろひぬとも
          よみ人しらず 古今集147

月草で 着物を染めようか
  もし朝露に 濡れた後には
    色あせてしまうとしても

     『草に寄せる』
月草に 衣は摺(す)らむ
   朝露に 濡れての後は
  うつろひぬとも
          よみ人しらず 万葉集7巻1351

 漢字表記を多くしたのは、万葉集にあやかっただけで、実際は同一の和歌に過ぎません。「月草」はツユクサの事で、この花の色素を使って布を染めても、すぐに色あせてしまうので、「うつろひぬとも」と言っています。「草に寄せる」とありますから、真意は別にある訳で、お約束で恋愛に関連している短歌です。

 まず朝露に濡れてとある所から、恋人達が分かれて、家に帰るのは男性の方なので、「相手が濡れて移ろってしまっても」と詠むこの和歌は、女性の気持ちを表わしたものである事が分かります。すると、月草に衣を染めるというのは、自分のような月草程度のものですが、あなたを染めて差し上げたい。一緒になりたいという意味になります。

 それで、翌日になって、わたしの存在が、朝露に濡れて色あせてしまっても構わないからとまとめている。あるいは、自分の衣が、涙に濡れて褪せてしまっても構わない。そんな意味も込められているのでしょうか。それでも相手を、一時でよいから染めてみたい。静かな情念がちらつきます。

冬歌

梅の花 それとも見えず
  ひさかたの 天霧(あまぎ)る雪の
    なべて降れゝば
          よみ人しらず 古今集334

梅の花を それと見分けることができません
   (ひさかたの) 空を曇らせて降る雪が
  いちめんに降っていますから

わが脊子に
   見せむと思ひし 梅の花
  それとも見えず 雪の降れゝば
          山部赤人 万葉集8巻1426

愛する人に
   見せようと思っていた 梅の花が
 それと分からないくらい 雪が降ったものですから……

 この短歌もまた、万葉集のものは情景を眺めての、リアルな感慨になっていて、「あの人に見せようと思ったのに」という語りかけから、「それと分からないくらい雪が降ってしまった……」と締めくくります。どこまでも、その場の生の感慨のように響くので、臨場感に増さり、美しいものを愛でて春の到来を、あなたと一緒に喜びたかったのに残念であるという、気持ちがストレートに伝わってきます。

 それに対して、本歌取りされた古今集のものは、「梅の花はそれとも見えない」「天を曇らせる雪が一面に降ったので」など、その場の語りかけと言うよりも、浮かんだ感慨を、表現を改めて、より効果的な表現で客観性を持たせて描き出しています。さらには「ひさかたの」という枕詞まで使用してますから、全体が短歌として様式を整えられた、取って置きの表現のように移し替えられている。

 よって万葉集のものは、より即時的[=その場で詠まれたようである]、口語的であり、リアルな生の感慨としての魅力に勝り、古今集のものは、後から心情を再構成したようであり、様式的な表現であり、日常から離れた美的感覚としての魅力に勝る。と言えるかも知れません。

 ところで、これなどは、同一の趣向を、古今和歌集時代の美意識へと改めたような印象ですが、着想自体がデリケートな方に洗練された、新しい時代の短歌というものも、古今集の中には存在します。

月夜には
   それとも見えず 梅の花
 香をたずねてぞ 知るべかりける
          凡河内躬恒(おほしこうちのみつね) 古今集40

月明かりであたりはまるで銀世界
  きらきらしていて白梅の花なんて
    見分けがつきません
  ただかおりが漂ってくるので
    そのあたりにあることが分かったのです

 雪で見られないという定番のスタイルを、月光に移し替えることによって、雪のなかとはまったく違った幻想性を、短歌に宿すことに成功しています。しかも、実際にその光景にあってみると、本当に白梅の存在は消されているのが分かりますから、虚構の世界を打ち立てているのではありません。それは結句の、「香りによって知ることが出来た」という、ユニークな発想も同様で、実際の現場で詠めば、この短歌がどれほど理に適ったものであるかが理解できる。

 それにも関わらず、虚構の世界のように思われるのは、凝った着想を、凝った表現で様式化しているために、美意識に基づいて生みなされた、美しい幻想画のように、聞き手が錯覚してしまうからに他なりません。

 こうして、捉えた生の心情を大切にする万葉集に対して、それを再構成して、美的創造物に仕立て上げるという古今集の傾向と、着想自体が、ユニークな、とっておきの表現へと、突き詰められていく様子を、この二つの古今集の短歌からも、眺めることが出来るという訳です。

恋歌

いつとても
   恋しからずは あらねども
  秋のゆふべは あやしかりけり
          よみ人しらず 古今集546

いつと言っても
  恋しくないわけでは ないのですが
    特に秋の夕暮れには
  不思議な恋心にとらわれてしまいます

いつはしも
   恋せぬ時は/恋ひぬ時とは あらねども
 夕かたまけて 恋はすべなし
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2373

いつといって
   恋しくないときは ありませんが
  夕暮に近づく頃になると
     恋はとりわけ切ないものです

 万葉集の方は、先ほど「秋」で眺めたものと一緒です。先ほどのものは新しい着想が込められ、本当の意味での「本歌取り」として認められそうですが、こちらの古今集の和歌は、なるほど新しい意味は込められていますが、あまりにも本歌に表現も着想も、つまり「心も姿」も類似しているために、「本歌取り」と言うのは、はばかられるくらいです。

 ですから、あるいは古今集のよみ人しらずの短歌は、万葉集の類歌が伝承されながら取り込まれたものに過ぎなくて、つまりは同じ和歌に過ぎないものかも知れません。

おく山の
  菅(すが)の根しのぎ ふる雪の
    消(け)ぬとかいはむ 恋のしげきに
          よみ人しらず 古今集551

奥山の
  菅(すが)の根を押さえて 降る雪でさえ
     溶けて消えてしまうと言います
  あまりの恋の激しさのために

高山(たかやま)の
  菅の葉しのぎ 降る雪の
    消(け)ぬとか言はも/消ぬと言ふべくも 恋の繁けく
          三国真人人足(みくにのまひとひとたり) 万葉集8巻1655

高山の
  菅の葉を押さえるように 降る雪さえも
    消えるなどと言います
  あまりの恋の激しさに

 上の句の序詞が、四句の「消ぬ」に掛かって、消えてしまいそうな、死んでしまいそうな恋の苦しさへと流している。ほとんど同じ短歌ですから、継承される間に、ちょっと変化したくらいに捉えても良いでしょうが、もし変更に積極的な意味があるならば、ちょっとモダンな表現に改めたと見ても良いでしょう。

 例えば「葉に折り伏せるように降る雪」よりも「根っこを押さえるように」とした方が、実体に近いと考えて改めたのかも知れませんし、ただ高い山ではなく、奥山としたところに、雪に閉ざされたような印象が込められて、この変更も悪くはありません。万葉集の「繁けく」というのは、例の「ク語法」で、「恋の激しさ」と名詞化した表現ですが、あるいはすでに不自然な、時代遅れの表現に感じられたからでしょうか、「恋のしげきに」へと改められています。

 ところでこの短歌、
  「はじめての万葉集」で取り上げた、

奥山の
  菅(すが)の葉しのぎ 降る雪の
    消(け)なば惜しけむ
  雨な降りそね
     大伴安麻呂(おおとものやすまろ)? 万葉集3巻299

奥山で 菅の葉を押し伏せて
  降っている雪が 消えてしまうのは
   惜しいものだから……
  雨よ 降らないで欲しい

と同じ序詞を使用していますから、「奥山の」も「高山の」も、もともとこの序詞のスタイルとして存在していたのかも知れません。「雨な降りそね」だと上の句は実体として機能しますが、このような使いまわされる序詞と考えるとき、この大伴安麻呂の和歌の上の句も、別に「奥山」の雪が消えるのを惜しんでいるのではなく、何気なく降っている雪が消えて欲しくないのを、序詞として喩えたに過ぎない。あるいは当時の聞き手には、そのように受けとめられたのではないでしょうか。

 次のは、内容ではなく、
  同じ表現形式を使用した例。

逢ふことは 玉の緒ばかり
   名の立つは 吉野の川の
  たぎつ瀬のごと
          よみ人しらず 古今集673

あなたと逢うことは 玉の緒のような短さなのに
   噂の立つことは まるで吉野川の
  激しく流れる川瀬のようです

さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり
  恋ふらくは 富士の高嶺(たかね)の
    鳴沢(なるさは)のごと
          (東歌) 万葉集14巻3358

寝たことは ほんの僅かなのに
   恋しいことは 富士の高嶺に
  音を鳴らす沢のようだ

 万葉集の東歌には、他の本にある短歌として、さらに二つ類似の短歌を紹介していますが、どれも内容は寄り添っているのに対して、古今集のものは、
     「Aは玉の緒ばかり」「Bはどこどこの何々のごと」
という表現のパターンを利用して、違った内容を読んでいる。このような定型パターンの多様というのは、まさに『万葉集』の特徴の一つにもなっていますから、古今集への伝統の継承のように、眺めることも可能かも知れません。

須磨(すま)のあまの
   塩焼くけぶり 風をいたみ
 おもはぬかたに たなびきにけり
          よみ人しらず 古今集708

須磨の猟師たちが
   塩を焼いている煙は 風があまり激しいので
 思わぬ方へと たなびいて行ってしまった
    (あなたの気持ちもまた……)

志賀(しか)の海人の
  塩焼くけぶり 風をいたみ
    立ちはのぼらず
  山にたなびく
          (古集) 万葉集7巻1246

志賀の漁師たちの
  潮を焼く煙は 風が強いので
    真っ直ぐは昇らずに 山の方にたなびいている

 万葉集では、塩の精製で知られていた福岡県の志賀島(しかのしま)での、叙景詩(じょけいし)のようになっていますが、もちろん裏に別の思いが込められていると、解釈するのも不可能ではありません。

 それに対して、古今集のものは、恋歌に分類されていますから、明確に恋人の心が、「思わぬ方へとたなびいてしまった」ことを含んでいます。ここでも万葉集のものは、現実主義で現場の情景を写し取って、「立ちのぼるのではなく山の方へたなびいた」と説明しますから、なおさら塩焼きの情景を、描写した叙景詩の傾向に増さります。それに対して古今集のものは、「おもはぬかたに」と、自らの願いとは異なる方へ流れたような印象を込めることによって、自然を描写したと言うよりは、何か含みがあるように感じられる。

 ですから、恋歌に分類されていないとしても、古今集の短歌の方が、ずっと恋歌のように感じられると思います。この二つを並べて、情景描写と心情描写の違いについて、思いを馳せてみることも、有用なのではないでしょうか。

 ところで古今集の和歌は、
  『伊勢物語』にも採用されていますから、
    後でまたちょっとだけ、
  登場することになるかと思います。
 さらには、万葉集の方の短歌が、
  『新古今和歌集』に収められていて、
    どれだけ知られた短歌なのだろうかと、
   不思議なくらいの愛され方です。

須磨のあまの
   塩焼きごろも をさをあらみ
 まどほにあれや 君がきまさぬ
          よみ人しらず 古今集758

須磨の海女(あま)が
   塩を焼いている着物は 目が粗いのですが
 そんな風にすき間があるせいでしょうか
    あなたがやってこないのは

須磨の海女(あま)の 塩焼き衣(きぬ)の 藤衣(ふじころも)
  間遠(まどほ)にしあれば いまだ着なれず
          大網人主(おおあみのひとぬし) 万葉集3巻413

須磨の海女が
  塩を焼いている着物は 藤から作った着物
    目が粗いので まだ肌に馴染まない

  こちらも須磨(すま)の和歌。
 藤の布は目も粗く、肌触りも粗いので、まだ着慣れない。と詠んでいる万葉集は、宴会の際に詠まれたもので、下句にまだ間が遠くて、しっくり来ない女との関係が暗示されているというものです。古今集ではその暗示を取り払って、「君が来まさぬ」とまとめますから、万葉集の持っていた「着物の歌」と「恋の歌」という二重性は無くなって、着物は恋のための譬えとなって奉仕します。多様な解釈の面白さでは万葉集の方が勝りますが、一方で、恋の歌としての価値は、明確に表現された古今集の方が勝りますから、どちらが良いとは、簡単には言えなそうです。

山の井の
   浅きこゝろも おもはぬに
 影ばかりのみ 人の見ゆらむ
          よみ人しらず 古今集794

安積山の歌と同じように
   浅いこころで 思っている訳ではないのに
 ただ面影のうちにだけ その人は見えるようです

安積山(あさかやま)
  影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
 浅きこゝろを わが思はなくに
          陸奥の前(さき)の采女(うねめ)
             古今集仮名序/万葉集16巻3807

安積山の
  影さえ映しだされる 澄んだ山の井戸のような
 浅いこころでは わたしはあなたを思ってはいませんのに

  こちらは、正式の本歌取りです。
「山の井(ゐ)の浅きこゝろを思はぬに」という表現と、「影」を使用して、誰もが知っている「安積山の和歌」を引用していることを悟らせます。すると、上の句だけで、「安積山の和歌」全体を表現して、「浅い心では思っていない」とまとめた上で、さらに下の句の内容に踏み込めますから、わずか三十一字で豊かな内容を込めることに成功している。

 もし相手が「安積山の和歌」を知らなければ、ただ「山の井戸の浅い心」くらいの比喩には過ぎないものですが、当時の歌人であれば、真っ先に習う基本の和歌であるからこそ、その効果は絶対的に保証されていた、と言えるかも知れません。さらに、本歌取りを行なうと、しばしば、本歌と今歌の表現に、僅かな不自然さが籠もる場合がありますが、この短歌では全体の語りのトーンがナチュラルで、したがって本歌を知らずに、「井戸の浅い心」と受けとめても、不自然に感じられるところはありません。このようなさりげない本歌取りを、まずは本歌取りの手本とすべきであると言えるかも知れませんね。

 それではさっそくノートを開いて、
  本歌取りの練習をしてみましょう……

とは、今回はなりませんが、
 興味のある人はいつでも、どこでも、
  ノートを開いて、短歌を詠んでみるのが、
 明日のためのステップです。
  先生が朝露の消えていなくなっても、
   自分のためなら学習ではなく、
    向上心の愉快です。
     それこそ本当の遊びです。

大歌所御歌

     「しはつ山ぶり」
しはつ山
  うちいでゝ見れば かさゆひの
    島こぎ隠る 棚なし小舟(をぶね)
          よみ人しらず 古今集1073

しはつ山から
  うち出て眺めれば かさゆひの
    島に漕ぎ隠れる 棚なし小舟が見えるよ

     『高市黒人の羈旅歌』
しはつ山 うち越え見れば
  笠縫(かさぬひ)の 島漕ぎ隠る 棚なし小舟(をぶね)
          高市黒人 万葉集3巻273

しはつ山を 越えて眺めると
   笠縫の島に 漕ぎ隠れる
  棚なし小舟が見えるよ

「しはつ山」「笠縫(かさぬひ)」も所在が特定されきっていません。ただ山を越えると、視界に海が飛び込んで来て、島に小舟が漕ぎ隠れるのが見えるという趣向ですから、普遍的情景として楽しめるかと思います。『古今集』の「うち出でて見れば」は、後に変化したものか、それとも『万葉集』の時代から、別の表現の短歌も存在したか、詳細は不明です。「かさゆひ」と「かさぬひ」の地名も同様です。大歌所御歌とありますから、伝承された古歌として、この『万葉集』の作品が、歌いものとして行事の際にフレーズを付けて歌われたものと思われます。

     「ひるめの歌」
さゝのくま
   檜隈川(ひのくまがは)に 駒(こま)とめて
  しばし水かへ 影をだに見む
          よみ人しらず 古今集1080

「ささのくま」と讃えられる
    檜隈川に 馬を休めて
  しばらくは水を飲ませてください
     せめてその姿を眺めていましょうから

     『馬に寄せる恋』
さ檜隈(ひのくま)
   檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
 馬に水かへ われ外(よそ)に見む
          よみ人しらず 万葉集12巻3097

(さひのくま)
    檜隈川(ひのくまがは)に 馬を留めて
  馬に水を与えなさい わたしは外から見ていましょう

  別にストーカーの短歌ではありません。
 万葉集のものは、「水飲(みずか)へ」というのは、水を飲ませなさい、という意味で、あるいはあなたがそこで、馬に水を与えるために立ち止まってくれたなら、わたしはそっと眺めていられるのに、というような内容になるでしょうか、初句と二句が「檜隈」をくり返し、三句と四句が「馬」をくり返し、言い直しながら次に移るような、リズミカルな言葉の楽しみを内包して、歌謡のような、口に出して唱えるのに相応しい表現になっています。

 それで、遠くから眺めるだけでも、あまり悲壮感は無いのですが、古今集の方は、あえてそのような言葉遊びは無しにして、全体を真摯な表現に移していますから、民謡的な面白さは薄まりましたが、デリケートな心情が籠もります。それでも、もともとの歌謡的な傾向は抜けきれませんから、独自の魅力的な歌いもののような感じがします。まさに「大歌所御歌(おおうたどころおんうた)」として、歌謡として掲載された短歌に、相応しいものだと言えるでしょう。

 まとめれば、万葉集のものは民謡っぽい傾向が、
  古今集のものは、それを宮廷歌曲へ移し替えたような、
   印象が籠もると言えるでしょうか。
  そろそろ、終わりに致しましょう。
 次回は少し趣向を変えて、
  『伊勢物語』の中から、
    万葉集に由来する短歌を取り出して、
     紹介を行なっていきたいと思います。
      それでは失礼。

               (つゞく)

2016/06/21

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