万葉集 巻別秀歌三

[Topへ]

万葉集 巻別秀歌三

巻第七

雑歌

天(あめ)を詠む

天(あめ)の海に
  雲の波立ち 月の舟
    星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1068

天空の海に
  雲は波となって立ち 月の舟が
    星々の林のなかを 漕ぎ隠れるのが見える

雲を詠む

あしひきの
  山川(やまがは)の瀬の 鳴るなへに
    弓月が岳(ゆつきがたけ)に 雲立ちわたる
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1088

(あしひきの)
   山川の瀬が 鳴り渡るなかに
     弓月が岳に 雲が立ち渡っていく

葉を詠む

いにしへに
   ありけむ人も 我がごとか
  三輪(みわ)の檜原(ひはら)に かざし折りけむ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1118

いにしえに
   いた人たちも 私のように
 三輪の檜(ひのき)の原で 髪飾りに折っただろうか

摂津(つのくに)にして作る

しなが鳥(とり)
   猪名野(ゐなの)を来れば 有間山(ありまやま)
 夕霧立ちぬ 宿りはなくて
          よみ人しらず 万葉集7巻1140

(しなが鳥)
   猪名野へと来れば 有間山に
 夕霧が立ちのぼる 宿る所はないままで

武庫川(むこがは)の 水脈(みを)を早みと/か
   赤駒(あかごま)の 足掻(あが)くたぎちに
  濡れにけるかも
          よみ人しらず 万葉集7巻1141

武庫川の 水流が早いので
  赤馬の 足掻くしぶきで
    濡れてしまったよ

暇(いとま)あらば 拾ひにゆかむ
   住吉(すみのえ)の 岸に寄るといふ 恋わすれ貝
          よみ人しらず 万葉集7巻1147

暇があったら 拾いに行こう
  住吉の 岸に寄せるという 恋忘れ貝を

大伴の
  御津(みつ)の浜辺(はまへ)を うちさらし
    寄せ来る波の ゆくへ知らずも
          よみ人しらず 万葉集7巻1151

大伴の
  三津の浜辺を 洗いさらして
    寄せてくる波の 行方は分からない

住吉(すみのえ)の
  岸の松が根 うちさらし
    寄せ来る波の 音のさやけさ
          よみ人しらず 万葉集7巻1159

住吉の
  岸の松の根を 洗いさらして
    寄せてくる波の 音の清らかさ

羈旅にして作る

志賀(しか)の海人の
  潮焼くけぶり 風をいたみ
    立ちは昇らず 山にたなびく
          (古集) 万葉集7巻1246

志賀島(しかのしま)の漁師らの
  塩を焼くけむりは 風が強いので
    真っ直ぐには昇らずに
  山の方へ棚引いていく

臨時(りんじ)

買い物歌

西の市に
   たゞひとり出でゝ 目ならべず
 買ひてし絹の 商(あき)じこりかも
          (古歌集) 万葉集7巻1264

みやこの西の市に
   ただ一人で出かけて 品を比べず
  購入した絹の 買い損ねかも

旋頭歌

あづさ弓
   引津の辺にある なのりその花
 摘むまでに
    逢はざらめやも/逢はずあらめやも なのりその花
          よみ人しらず 万葉集7巻1279

(あづさ弓)
   引津の海辺の ナノリソの花
     摘む頃までに
  逢わないことがあるだろうか
    ナノリソの花

港(みなと)の
  葦の末葉(うらば)を 誰か手折(たを)りし
    我が背子が
      振る手を見むと 我れぞ手折りし
          よみ人しらず 万葉集7巻1288

港のあたりの
  葦の葉末(はずえ)を 誰が折り取ったのか
    愛する夫の
  振る手が見たくて わたしが折り取りました

この岡に
  草刈るわらは なしか刈りそね
    ありつゝも
      君が来まさむ/来まして 御馬草(みまくさ)にせむ
          よみ人しらず 万葉集7巻1291

この岡で
  草を刈る子どもよ そんなに刈らないでね
    刈らないでおいたって
      あの人がやってくるんだから
        馬の餌にしましょうね

比喩歌(ひゆか)

玉に寄する

水底(みなそこ)に 沈(しづ)く白玉
  誰がゆゑに こゝろ尽くして
    我が思はなくに
          よみ人しらず 万葉集7巻1320

水底に 沈んでいる真珠よ
   お前以外の誰のために こんなに心を尽くして
      思ったりする私ではないのだから

草に寄する

月草(つきくさ)に 衣(ころも)は摺(す)らむ
  朝露に 濡れての後は
   うつろひぬとも
          よみ人しらず 万葉集7巻1351

月草で 着物を摺り染めにしよう
  朝露に 濡れた後には
    色あせてしまったとしても

秋さらば
  移しもせむと 我が蒔きし
    韓藍(からあゐ)の花を 誰れか摘みけむ
          よみ人しらず 万葉集7巻1362

秋が来たなら
   移し染めにしようと 私が種を蒔いた
  ケイトウの花を 誰が摘んでしまったのだろう

藻に寄する

潮満てば
  入りぬる磯の 草なれや
    見らく少なく 恋ふらくの多き
          よみ人しらず 万葉集7巻1394

潮が満ちれば
  隠れる磯の 草のように
    見られることは少なくて
  恋しさばかりが募ります

挽歌(ばんか)

秋山の
  黄葉(もみぢ)あはれと うらぶれて
    入りにし妹は 待てど来まさず
          よみ人しらず 万葉集7巻1409

秋山の
  黄葉に魅了されて 心がしおれるように
    山に入っていった妻は
  待っても帰っては来ない

たまづさの 妹は玉かも
  あしひきの 清き山辺に
    撒けば散りぬる
          よみ人しらず 万葉集7巻1415

(たまづさの) 妻は玉のよう
   (あしひきの) 清らかな山辺に
      骨を撒けばあたりに散りばめられ

巻第八

春雑歌

石走(いはゞし)る
  垂水(たるみ)のうへの さわらびの
    萌え出(い)づる春に なりにけるかも
          志貴皇子 万葉集8巻1418

岩をほとばしり
  流れ落ちる水のほとりの ゼンマイが
    芽生え出る春に なったものですね

神なびの
   石瀬(いはせ)の社(もり)の 呼子鳥(よぶこどり)
  いたくな鳴きそ 我が恋まさる
          鏡王女 万葉集8巻1419

神のおわします
   石瀬の森の 呼子鳥
  しきりに鳴くな 恋しさが増さるから

あは雪か
  はだれに降ると 見るまでに
    流らへ散るは なにの花そも
          駿河采女(するがのうねめ) 万葉集8巻1420

沫雪が
  まばらに降ると 見間違うくらい
    流れ散るのは 何の花でしょうか

去年の春
   いこじて植ゑし 我が宿の
 若木の梅は 花咲きにけり
          阿部広庭(あへのひろにわ) 万葉集8巻1423

去年の春
   掘り起こして植えた 我が家の
  若木の梅は 花を咲かせました

春の野に
   すみれ摘みにと 来し我そ
  野をなつかしみ ひと夜寝(ね)にける
          山部赤人 万葉集8巻1424

春の野に
  スミレを摘みに来た私ですが
    春野がしたわしいものですから
  そこで一夜寝てしまいました

我が背子に
  見せむと思ひし 梅の花
    それとも見えず 雪の降れゝば
          山部赤人 万葉集8巻1426

あの人に
  見せようと思った 梅の花でしたが
    見分けが付きません
  真っ白な雪が 降りましたから

明日よりは
   春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
 昨日も今日も 雪は降りつゝ
          山部赤人 万葉集8巻1427

明日から
  春菜を摘もうと 標(しめし)をした野でしたが
    昨日も今日も 雪が降り続きます

うち登る
  佐保の川原の 青柳は
    今は春へと なりにけるかも
          大伴坂上郎女 万葉集8巻1433

登り行く
  佐保の川原の 青柳は
    今こそ春の姿と なったことです

かはづ鳴く
    神(かむ)なび川(かは)に 影見えて
  今か咲くらむ 山吹の花
          厚見王(あつみのおおきみ) 万葉集8巻1435

蛙の鳴く
  神のおわします川に 影を映して
    今頃咲いているだろうか 山吹の花は

春の野に
   あさる雉(きゞし)の 妻恋(つまご)ひに
  己(おの)があたりを 人に知れつゝ
          大伴家持 万葉集8巻1446

春の野に
   餌をあさる雉(きじ)が 妻を求めて
  自分の居るあたりを 人に知らせているよ

春相聞

     『妹の坂上大嬢に与える歌』
茅花(つばな)抜く
  浅茅(あさぢ)が原の つほすみれ
    今さかりなり 我(あ)が恋ふらくは
          田村大嬢(たむらのおおいらつめ) 万葉集8巻1449

チガヤの花穂を抜いて食べる
  浅茅の原に咲いている つぼすみれのよう
    今こそ盛りです 私が恋しく思うことは

夏雑歌

神(かむ)なびの
  磐瀬(いはせ)の社(もり)の ほとゝぎす
    毛無(けなし)の岡(をか)に いつか来鳴かむ
          志貴皇子 万葉集8巻1466

神のおわします
   磐瀬の森の ほととぎすは
 毛無の岡に いつになったら来て鳴くだろうか

恋しけば
  形見にせむと 我がやどに
    植ゑし藤波 今咲きにけり
          山部赤人 万葉集8巻1471

恋しい時の
  あの人の形見にしようと 私の家に
    植えた藤波が 今こそ咲くのです

夏相聞

夏の野の
  茂みに咲ける 姫百合(ひめゆり)の
    知らえぬ恋は 苦しきものそ
          大伴坂上郎女 万葉集8巻1500

夏の野の
  茂みに咲いている 姫百合のような
    相手に知られない恋は 苦しいものです

秋雑歌

夕されば
   小倉の山に 鳴く鹿は
 今夜(こよひ)は鳴かず 寐(い)ねにけらしも
          舒明天皇 万葉集8巻1511

夕方になれば
  小倉の山に 鳴くはずの鹿は
    今夜は鳴きません
  妻といっしょに寝ているのでしょう

経(たて)もなく
  緯(ぬき)も定めず 娘子(をとめ)らが
    織るもみぢ葉に 霜な降りそね
          大津皇子 万葉集8巻1512

縦糸もなく
  横糸も定めずに 乙女たちが
    織り上げたようなもみじに
  霜が降りませんように

秋風の 吹きにし日より
  いつしかと 我(あ/わ)が待ち恋ひし
    君そ来ませる
          山上憶良 万葉集8巻1523

秋風が 吹き始めた日から
  いつになったらと 私が待ちわびていた
    あなたがいらっしゃった

七草の歌二首

秋の野に
   咲きたる花を 指折(およびを)り
 かき数(かぞ)ふれば 七種(なゝくさ)の花
          山上憶良 万葉集8巻1537

秋の野に
  咲いている花を 指折りに
    数えてみれば 七草の花

萩の花
  尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが/の花
    をみなへし
  また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)が/の花
          山上憶良 万葉集8巻1538

原文におなじ

秋の露は 移しにありけり
  水鳥(みづどり)の 青葉の山の 色づくみれば
          三原王(みはらのおおきみ) 万葉集8巻1543

秋の露は 移し染めの染料だったのか
  (水鳥の) 青葉の山が 色づくのを眺めると

秋萩の
  散りのまがひに 呼びたてゝ
    鳴くなる鹿の 声のはるけさ
          湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集8巻1550

秋萩の
  散り乱れているあたりで 妻を呼び出して
    鳴いている鹿の 声のはるかさよ

夕月夜 こゝろもしのに
  白露の 置くこの庭に
    こほろぎ鳴くも
          湯原王 万葉集8巻1552

夕月の夜は 心も感傷でいっぱいになり
   白露が 置かれるこの庭には
  こおろぎが鳴いています

しぐれの雨 間なくし降れば
    三笠山(みかさやま) 木末(こぬれ)あまねく
  色づきにけり
          大伴稲公(おおとものいなきみ) 万葉集8巻1553

しぐれの雨が 絶え間なく降るので
  三笠山では 梢が残らず
    すっかり色づきました

秋立ちて 幾日(いくか)もあらねば
  この寝ぬる 朝明(あさけ)の風は
    手(た)もと寒しも
          安貴王(あきのおおきみ) 万葉集8巻1555

立秋を迎えてから 幾日も経ちませんが
  こうして寝ていると 夜明け頃の風は
    手もとに肌寒く感じられます

うづら鳴く
  古りにし里の 秋萩を
    思ふ人どち 相見つるかも
          沙弥尼の一人 万葉集8巻1558

うずらの鳴く
  古びた里に咲く 秋萩を
    気の合う人同士で 一緒に眺められました

秋づけば
  尾花がうへに 置く露の
    消ぬべくも我(あれ/わ)は 思ほゆるかも
          日置長枝娘子(へきのながえおとめ) 万葉集8巻1564

秋めいてくると
   尾花のうえに 置かれた露のように
 消えてしまいそうに私は 思われてなりません

雨晴れて
  清く照りたる この月夜(つくよ)
    またさらにして 雲なたなびき
          大伴家持 万葉集8巻1569

雨が晴れて
  清らかに照っている この月夜を
    さらにまたどうか 雲よたなびかないで欲しい

十月(かみなづき/かむなづき)
  しぐれにあへる もみぢ葉の
    吹かば散りなむ 風のまに/\
          大伴池主 万葉集8巻1590

十月の
  時雨に打たれた 黄葉のように
    吹けば散ってしまうことだろう
  ただ風に任せたままで

[(小学館)によると、「もみぢ葉の」の「の」が平叙文の主格を表わすことはないので、「黄葉が」ではなく「~のように」の意味だという。]

こもりくの
  泊瀬の山は 色づきぬ
    しぐれの雨は 降りにけらしも
          坂上郎女 万葉集8巻1593

(こもりくの)
   泊瀬の山は 色づいた
     しぐれの雨が 降ったのだろう

さを鹿の
   朝立つ野辺(のへ)の 秋萩に
  玉と見るまで 置ける白露
          大伴家持 万葉集8巻1598

牡鹿が 朝に立つ野辺の 秋萩には
  白玉と間違えるくらいに
    きらきらと置かれた白露です

秋相聞

秋萩の
  上に置きたる 白露の
    消(け)かもしなまし
  恋つゝあらずは
          弓削皇子(ゆげのみこ) 万葉集8巻1608

秋萩の
  上に置かれた 白露が
    消えてしまった方がましかも知れない
  恋しくあるくらいなら

冬雑歌

あわ雪の
  ほどろ/\に 降りしけば
    奈良のみやこし 思ほゆるかも
          大伴旅人 万葉集8巻1639

沫雪(あわゆき)が
   まだらまだらに 降り敷かれれば
  奈良のみやこが 想い出されます

冬相聞

酒坏(さかづき)に 梅の花浮かべ
  思ふどち 飲みての後は
    散りぬともよし
          大伴坂上郎女 万葉集8巻1656

さかづきに 梅の花を浮かべて
  気の合う者同士 飲んだその後には
    散ってしまっても構わない

あは雪の
   庭に降りしき/く 寒き夜を
  手枕(たまくら)まかず ひとりかも寝む
          大伴家持 万葉集8巻1663

沫雪が
  庭に降り積もる 寒い夜を
    妻の腕枕もせずに 一人で寝るのだろうか

巻第九

雑歌

ひとりか君が

     『斉明天皇が、紀伊国(きのくに)にいでませる時の歌』
朝霧(あさぎり)に
  濡れにし衣(ころも) 干(ほ)さずして
    ひとりか君が 山道(やまぢ)越ゆらむ
          よみ人しらず 万葉集9巻1666

朝霧に
  濡れた着物も 乾かさないで
    ひとりであなたは 山道を越えているのでしょうか

行幸を待つ人の歌

後れ居(ゐ)て 我が恋ひをれば
   白雲の たなびく山を
  今日か越ゆらむ
          よみ人しらず 万葉集9巻1681

後に残されて 私が恋い慕っている頃
  白雲の たなびく山を
    あなたは今日越えているのでしょうか

弓削皇子(ゆげのみこ)にたてまつる歌

さ夜中と 夜は更けぬらし
   雁が音(ね)の 聞こゆる空を
      月渡る見ゆ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集9巻1701

真夜中へと 夜は更けたようです
  雁の鳴き声が 聞こえてくる空を
    月が渡るのが見えます

さゝなみの
  比良山(ひらやま)風の 海吹けば
    釣りする海人の 袖返る見ゆ
          槐本(えのもと?) 万葉集9巻1715

さゝなみの
  比良山からの風が 海へと吹けば
    釣をしている漁師の 袖がひるがえるのが見える

山科(やましな)の
  石田(いはた)の小野(をの)の はゝそ原
    見つゝか君が 山道越ゆらむ
          藤原宇合の妻か? 万葉集9巻1730

山科の
  石田の小野の コナラの原を
    眺めながらあなたは 山路を越えているだろうか

ほとゝぎすを詠む

うぐひすの 卵(かひご/かひこ)のなかに
  ほとゝぎす ひとり生まれて
 己(な)が父に 似ては鳴かず
   己(な)が母に 似ては鳴かず
     卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ
       飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし
     橘(たちばな)の 花をゐ散らし
   ひねもすに 鳴けど聞きよし
 賄(まひ)はせむ 遠(とほ)くな行きそ
   わが宿の 花橘に 棲(す)みわたれ鳥
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1755

うぐいすの 卵の中に
  ほととぎすは ひとりで生まれて
 お前の父に 似ては鳴かず
   お前の母に 似ては鳴かず
     卯の花の 咲いている野のあたりを
       飛び回って 来ては鳴き声を響かせ
     たちばなに とまっては花を散らしている
   一日じゅう 鳴いても聞き飽きない
 お礼はきっと授けよう 遠くに行かないで欲しい
   私の家の たちばなの木に 住み続けよその鳥

     「反歌」
かき霧らし 雨の降る夜は
  ほとゝぎす 鳴きて行くなり
    あはれその鳥
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1756

にわかに曇り 雨の降る夜を
  ほととぎすが 鳴いて行ってしまう
    惜しまれるその鳥よ

相聞

紐児(ひものこ)をめとる歌

     『筑紫に任ぜらるゝ時、豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、
       紐児(ひものこ)をめとりて作る歌』
いそのかみ
   布留(ふる)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
 こゝろのうちに 恋ふるこのころ
          抜気大首(ぬきけのおおびと) 万葉集9巻1768

石上(いそのかみ)の
  布留にある早稲田の 穂のようには現わさず
    心のうちで 恋しく思うこの頃です

挽歌

真間の手児名の歌

     「葛飾の真間娘子(まゝのをとめ)を詠む歌一首 あはせて短歌」
鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に いにしへに ありけることゝ 今までに 絶えず言ひける 葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の手児名(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿着(あをくびつ)け ひたさ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに はかず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎(いは)ひ子(こ)も 妹にしかめや 望月(もちづき)の 足(た)れる面(おも)わに 花のごと 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入(い)るがごと 港入(みなとい)りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらぬものを/生けらじものを なにすとか 身をたな知りて 波の音(おと)の 騒(さわ)く港の 奥城(おくつき)に 妹が臥(こ)やせる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1807

(鳥が鳴く) 東の国に いにしえに あった話と 今日にまで 伝え続ける 葛飾の 真間の手児名が 麻服に 青襟を付け 真麻(まあさ)した 布を裳に着て 髪さえも 梳(けず)ることなく 靴さえも 履かずにゆくが あやにしきの 中に包んだ 愛娘(まなむすめ)も 及ぶべくもない 満月の まあるい顔で 花のよう ほほ笑みかければ 夏の虫 火にいるように 港には 漕ぎ寄るように 行き集まり 求婚する時 どれほども 生きられないもの なんでまた 我が身を悟って 波の音の 騒ぐみなとの 墓となり むすめは眠る 遠い昔 あったこととか まるで昨日 見たことのように 思われるものよ

     「反歌」
葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の井(ゐ)を見れば
  立ちならし 水汲(く)ましけむ
    手児名(てごな)し思ほゆ
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1808

葛飾にある 真間の井戸を見れば
   地面をならして 水を汲んでいたであろう
      手児名のことが偲ばれる

巻第十

春雑歌

ひさかたの 天の香具山(あめのかぐやま)
  この夕(ゆふ)へ 霞たなびく
    春立つらしも
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集10巻1812

(ひさかたの) 天の香具山に
   この夕ぐれ 霞がたなびいている
     春になったようだ

鳥を詠む

我が背子を
   莫越(なこし)の山の 呼子鳥(よぶこどり)
 君呼び返せ 夜の更けぬとに
          よみ人しらず 万葉集10巻1822

愛する夫を
   莫越の山の 呼子鳥よ
  あの人を呼び返しておくれ
    夜が更けないうちに

冬ごもり 春さり来れば
  あしひきの 山にも野にも
    うぐひす鳴くも
          よみ人しらず 万葉集10巻1824

(冬ごもり) 春が来たなら
   (あしひきの) 山にも野にも
      うぐいす鳴くよ

雪を詠む

今さらに 雪降らめやも
  かぎろひの 燃ゆる春へと
    なりにしものを
          よみ人しらず 万葉集10巻1835

今更 雪が降ることがあってよいだろうか
  かげろうの ゆらめく春と
    なったものを

(雪を詠む)

風まじり/まじへ
   雪は降りつゝ しかすがに
  霞たなびき/たなびく 春さりにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1836

風にまじって 雪は降っている
  そうは言っても 霞がたなびいて
    春はやってきたのだ

梅が枝に
  鳴きて移ろふ うぐひすの
   羽根しろたへに あは雪そ降る
          よみ人しらず 万葉集10巻1840

梅の枝に
  鳴いては飛びうつる うぐいすの
    羽根さえ真っ白にして
  沫雪(あわゆき)が降っています

霞を詠む

昨日こそ 年は果てしか
  春かすみ 春日(かすが)の山に
    はや立ちにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1843

昨日年が 暮れたばかりなのに
  春霞が 春日山には
    早くも立ちのぼっている

花を詠む

春雨(はるさめ)に 争ひかねて
  我が宿の さくらの花は
    咲きそめにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1869

春雨に 抗しきれなくて
  わたしの家の 桜の花は
    咲き始めました

春雨は いたくな降りそ
  さくら花 いまだ見なくに
    散らまく惜しも
          よみ人しらず 万葉集10巻1870

春雨よ あまり降らないでほしい
  さくらの花を まだ見てもいないのに
    散ってしまうのが惜しいから

野遊(やゆう)

もゝしきの
   大宮人(おほみやひと)は いとまあれや
  梅をかざして こゝに集(つど)へる
          よみ人しらず 万葉集10巻1883

(ももしきの)
    宮中の貴人たちは 暇などあるのだろうか
  梅を髪に挿して ここに集まったりして

歎旧(たんきゅう)

冬過ぎて 春し来たれば
   年月は 新たなれども 人は古りゆく
          よみ人しらず 万葉集10巻1884

冬が過ぎて 春が来たなら
   歳月は 新しくなるが 人は老いてゆく

春相聞

霞に寄する

恋ひつゝも 今日は暮らしつ
   かすみ立つ 明日の春日(はるひ)を
      いかに暮らさむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1914

恋しく思いながら
  今日はとりあえず暮らしましたが
    霞の立ちのぼる 明日また長い春の一日を
      どうやって暮らしたらよいでしょう

夏雑歌

鳥を詠む

     「鳥を詠む」
ますらをの 出で立ち向ふ ふるさとの 神(かむ)なび山に 明けくれば 柘(つみ)のさ枝(えだ)に 夕されば 小松が末(うれ)に 里人(さとびと)の 聞き恋ふるまで 山びこの 相響(あひとよ)むまで ほとゝぎす 妻恋(つまごひ)すらし さ夜中に鳴く
          (古歌集) 万葉集10巻1937

ますらおが 旅立ち向かう ふるさとの 神なび山に 夜が明ければ 山桑の小枝に 夕方になれば 小松のこずえに 里の人が 聞きたいと恋願うまで 山びこが 一緒に鳴くほどに ホトトギスが 妻を恋い慕っているようだ 真夜中に鳴いている

     「反歌」
旅にして
   妻恋ひすらし ほとゝぎす
 神(かむ)なび山に さ夜更けて鳴く
          (古歌集) 万葉集10巻1938

旅にあって
  妻が恋しいのだろう ほととぎすが
    神奈備山で 夜更けに鳴いているのは

鳥を詠む

朝霞(あさがすみ) たなびく野辺(のへ)に
  あしひきの 山ほとゝぎす
    いつか来鳴かむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1940

朝霞が たなびいている野原に
 (あしひきの) 山ほととぎすは
    いつになったら来て鳴くだろう

夏相聞

鳥に寄する

ほとゝぎす
  来鳴く五月(さつき)の みじか夜も
    ひとりし寝(ぬ)れば
  明かしかねつも
          よみ人しらず 万葉集10巻1981

ほととぎすが
  来て鳴く五月の 短い夜であっても
    ひとりで寝ていると
  なかなか明けてくれないものです

花に寄する

うぐひすの
   通ふ垣根の 卯の花の
  憂きことあれや 君が来まさぬ
          よみ人しらず 万葉集10巻1988

うぐいすが
   通ってくる垣根の 卯の花の憂い
  憂うつなことがあるのでしょうか
     あなたがいらっしゃらないのは

外にのみ 見つゝ恋ひなむ
   くれなゐの 末摘花(すゑつむはな)の 色に出でずとも
          よみ人しらず 万葉集10巻1993

遠くから 眺めて恋しがろう
  紅花の 末摘花のように 鮮やかに現さなくても

秋雑歌

七夕(しちせき)

天の川 霧立ちわたり
   彦星(ひこほし)の 楫の音(おと)聞こゆ
 夜の更けゆけば
          よみ人しらず 万葉集10巻2044

天の川に 霧が立ちこめて
  彦星の船の 楫の音が聞こえます
    夜が更けてゆくので

この夕(ゆふ)へ
   降りくる雨は 彦星(ひこほし/ぼし)の
 はや漕ぐ舟の 櫂の散りかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2052

この夕方に
    降ってきた雨は 彦星が
  早漕ぎする船の 櫂のしずくかもしれない

渡し守 はや舟渡せ
  ひと年に ふたゝび通ふ
    君にあらなくに
          よみ人しらず 万葉集10巻2077

渡し守よ 早く舟を渡せよ
   一年に ふたたび通ってくる
  あの人ではないのだから

花を詠む

真葛原(まくずはら)
  なびく秋風 吹くごとに
    阿太(あだ)の大野の 萩の花散る
          よみ人しらず 万葉集10巻2096

葛(くず)の原を
   なびかせる秋風が 吹くたびに
  阿太の大野に 萩の花が散る

人皆は 萩を秋と言ふ
  よし我は 尾花が末(うれ)を 秋とは言はむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2110

人は皆 萩をこそ秋だと言う
  よし私は ススキの穂先を 秋だと言おう

朝霧の
  たなびく小野の 萩の花
    今か散るらむ いまだ飽(あ)かなくに
          よみ人しらず 万葉集10巻2118

朝霧が
  たなびいている小野の 萩の花は
    今頃散っているだろうか
  まだ飽き足りないのに

恋しくは 形見(かたみ)にせよと
  わが背子が 植ゑし秋萩
    花咲きにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2119

恋しい時に わたしを偲べと
  愛するあなたが 植えてくれた秋萩が
    花を開かせました

葦辺(あしへ)なる 荻(をぎ)の葉さやぎ
   秋風の 吹き来るなへに
      雁鳴き渡る
          よみ人しらず 万葉集10巻2134

葦辺にある 荻の葉がさやいで
   秋風が 吹いてくるのに合わせて
 雁が鳴き渡っているよ

蟋(こほろぎ)を詠む

庭草に 村雨(むらさめ)降りて
  こほろぎの 鳴く声聞けば
    秋づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2160

庭草に にわか雨が降って
  こおろぎの 鳴く声がすれば
    秋らしくなってきたよ

露を詠む

秋田刈る
  仮廬(かりほ/かりいほ)を作り 我(あ/わ)が居れば
    ころも手寒(でさむ)く 露そ置きにける
          よみ人しらず 万葉集10巻2174

稲を刈るための
   仮の小屋を作って そこに居れば
  袖は寒くて 露が置かれている

黄葉(もみぢ)を詠む

しぐれの雨 間なくし降れば
  真木(まき)の葉も あらそひかねて
    色づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2196

しぐれの雨が 絶え間なく降るので
  真木の葉さえも 抗(あらが)いきれなくて
    色が変わってきました

明日香川 もみぢ葉流る
    葛城(かづらき)の 山の木の葉は
  今し散るらむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2210

飛鳥川に 黄葉が流れている
  葛城の 山の木の葉は
    今こそ散っているのだろう

水田(こなた)を詠む

さ雄鹿の
  妻呼ぶ山の 岡辺(おかへ)なる/にある
    早稲田(わさだ)は刈らじ 霜は降るとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2220

牡鹿が
  妻を呼ぶ山の 岡のあたりの
    早稲の田は刈らないでおこう
  たとえ霜が降ったとしても

風を詠む

萩の花 咲きたる野辺(のへ)に
   ひぐらしの 鳴くなるなへに
      秋の風吹く
          よみ人しらず 万葉集10巻2231

萩の花が 咲いた野原に
  ひぐらしが 鳴くのに合わせて
    秋の風が吹いている

秋相聞

露に寄する

秋萩の
  咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
    濡れつゝ来ませ 夜は更けぬとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2252

秋萩が
  咲き散る野辺の 夕露に
    濡れながらでもいらっしゃい
  夜は更けてしまっても

蛙(かはづ)に寄する

朝霞(あさがすみ/かすみ)
  鹿火屋(かひや)がしたに 鳴くかはづ
    声だに聞かば 我(あ/わ)れ恋ひめやも
          よみ人しらず 万葉集10巻2265

(あさがすみ)
   鹿火(かび)の小屋のかげに 鳴く蛙のように
     声だけでも聞こえたら わたしも恋しがったりするものか

花に寄する

さを鹿の
   入野(いりの)のすゝき 初尾花(はつをばな)
  いづれの時か 妹が手まかむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2277

(さを鹿の)
   入野のススキ その初穂の花のように
     いつになったら あの子の手を枕に出来るだろう

朝(あした)咲き
  夕へは消(け)ぬる 月草(つきくさ)の
    消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2291

朝になったら咲いて
   夕べにはしぼんでしまう 月草のような
 消え入りそうな恋を わたしはしているのです

比喩歌(ひゆか)

祝(はふり)らが
  斎(いは)ふ社(やしろ)の もみぢ葉も
    しめ縄越えて 散るといふものを
          よみ人しらず 万葉集10巻2309

神官らが
   祀(まつ)る神社の 黄葉でさえ
 しめ縄を越えて 散るというものを

冬雑歌

巻向(まきむく)の
  檜原(ひはら)もいまだ 雲居(くもゐ)ねば
    小松が末(うれ)ゆ あは雪流る
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集10巻2314

巻向の
  檜原さえまだ 雲がないというのに
    小松のこずえから 沫雪が流れ降ってくる

あしひきの 山道(やまぢ)も知らず
   白橿(しらかし)の 枝もとをゝに 雪の降れゝば
          三方沙弥(みかたのしゃみ) 万葉集10巻2315

(あしひきの) 山路さえ分からない
    シラカシの 枝もたわむほどに 雪が降っているので

花を詠む

誰(た)が園(その)の 梅の花そも
  ひさかたの 清き月夜(つくよ)に
    こゝだ散りくる
          よみ人しらず 万葉集10巻2325

誰の庭の 梅の花なのか
  (ひさかたの) 清らかな月夜に
     こんなに散ってくるのは

黄葉を詠む

八田(やた)の野の あさぢ色づく
   愛発山(あらちやま) 峰のあは雪 寒く降るらし
          よみ人しらず 万葉集10巻2331

八田の野の 浅茅が色づいた
  愛発山の 峰にはあわ雪が
    寒く降っていることだろう

2016/08/25

[上層へ] [Topへ]