「天皇(すめらみこと)の御製歌(おほみうた)」
籠(こ)もよ み籠もち
ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます子
家聞(き)かな/家告(の)らせ 名告(の)らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 我(われ)こそをれ
しきなべて 我こそいませ/ませ
我こそば/は 告(の)らめ 家をも名をも
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう) 万葉集1巻1
籠(かご)は よい籠を持ち
菜摘のへらも よいへらを持ち
この岡で 菜を摘まれている娘子(むすめ)よ
家を訪ねよう 名を告げて欲しい
(そらみつ) この大和の国は
押し伏せて 私が治める国
均しく 私が治める国
私こそは 告げよう 家柄をも名をも
「天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌(おほみうた)」
大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天(あめ/あま)の香具山(かぐやま)
登り立ち 国見(くにみ)をすれば
国原(くにはら)は けぶり立ち立つ
海原(うなはら)は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島
大和の国は
舒明天皇(じょめいてんのう) 万葉集1巻2
やまとには 群れなす山々があるが
私にふさわしい 天の香具山に
登り立って 国を見わたせば
広大な陸には 炊煙(すいえん)が立ちのぼる
広大な海には かもめが飛び回っている
すばらしく味わいのある国だ
あきづ島と讃えられる
このやまとの国は
「天皇、宇智(うち)の野に遊猟(みかり)したまふ時、
中皇命(なかつすめらみこと)、
間人連老(はしひとのむらじおゆ)にたてまつらしむる歌」
やすみしゝ わが大君の
朝(あした)には 取り撫でたまひ
夕(ゆふへ)には い寄り立たしゝ
み執(と)らしの あづさの弓の
中弭(なかはず)/金弭(かなはず)の 音すなり
朝狩(あさがり/かり)に 今立たすらし
夕狩(ゆふがり/かり)に 今立たすらし
み執(と)らしの あづさの弓の
中弭(なかはず)/金弭(かなはず)の 音すなり
中皇命(なかつすめらみこと)
/あるいは間人老(はしひとのおゆ)か 万葉集1巻3
(やすみしゝ) わが大君が
朝には 手に取り撫でられ
夕べには そばに立たれて
お取りになられる 梓(あずさ)の弓の
弓弦(ゆみづる)の 音がしてきます
朝の狩に 今立たれるのでしょう
夕べの狩に 今立たれるのでしょう
お取りになられる 梓の弓の
弓弦の 音がしてきます
「反歌」
たまきはる
宇智(うち)の大野に 馬なめて
朝踏ますらむ その草深野(くさふかの)
中皇命(なかつすめらみこと) 万葉集1巻4
(たまきはる)
宇智の大野に 馬を連ねて
朝野を踏ませているだろう
その草深い野を
「額田王の歌」(編者による存疑あり)
秋の野の
み草刈り葺き 宿れりし
宇治のみやこの 仮廬し思ほゆ
額田王 万葉集1巻7
秋の野の
萱を刈って屋根を葺いて 仮の宿とした
宇治のみやこの 庵のことが思われる
『伊予の湯にて』
熟田津(にきたつ)に
船乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
額田王 万葉集1巻8
熟田津から
船を出そうと 月を待てば
潮も頃合いだ 今こそ漕ぎ出そう
『中大兄皇子の三山(みつやま)の歌一首』
香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)をゝしと
耳成(みゝなし)と 相争(あひあらそ)ひき
神代(かみよ/かむよ)より かくにあるらし
いにしへも しかにあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
中大兄皇子(なかのおおえのみこ) 万葉集1巻13
香具山は 畝傍山(うねびやま)がいとしいと
耳成山と 互いに妻を争った
神代より こうであったようだ
いにしえも そうであればこそ
今の世でも 妻を争うらしい
「反歌」
香具山(かぐやま)と 耳成山(みみなしやま)と 闘(あ)ひし時
立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)
中大兄皇子 万葉集1巻14
香具山と 耳成山とが
妻を争ったとき
心配して見に来たよ
阿菩大神(あぼのおおかみ)が印南国原まで
わたつみの
豊旗雲(とよはたくも/ぐも)に 入り日さし
こよひの月夜(つくよ) さやけかりこそ/さやけくありこそ
中大兄皇子(なかのおおえのみこ) 万葉集1巻15
大海原の
旗のようになびく雲に 入り日がさしている
今夜の月の明かりは きっとすばらしいだろう
(今夜の月の明かりが すばらしいものであるように)
『天智天皇、春山(しゅんざん)の万花(ばんか)の艶(えん)と、
秋山(しゅうさん)の千葉(せんよう)の彩(いろ)との、
哀れを競はせたまふ時に、額田王の答ふる歌』
冬ごもり 春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山を茂(し/も)み 入(い)りても取らず
草深み 取りても見ず
秋山の 木(こ)の葉を見ては
黄葉(もみぢ)をば 取りてそ偲(しの)ふ
青きをば 置きてそ嘆く
そこし恨(うら)めし
秋山そ我(あれ)は/秋山われは
額田王 万葉集1巻16
(冬ごもり) 春が来たれば
鳴かなかった 鳥も来て鳴きます
咲かなかった 花も咲きますが
山が茂ってしまうので 入って取ることもせず
草が深いので 取って見ることもしません
秋山の 木の葉を見れば
もみじを 手に取って偲びます
青々としたものは そのままにして嘆きます
そんな恨めしさもまた
秋山こそすばらしいと思うのです
『額田王、近江国にくだる時に作る歌』
うま酒 三輪(みわ)の山
あをによし 奈良(なら)の山の
山の際(ま)に い隠(かく)るまで
道の隈(くま) い積(つ)もるまでに
つばらにも 見つゝゆかむを
しば/"\も 見放(みさ)けむ山を
心なく 雲の 隠(かく)さふべしや
額田王 万葉集1巻17
(うまさけ) 三輪の山を
(あをによし) 奈良の山の
山のあいだに 隠れてしまうまで
道の曲がりが 重なるまで
つまびらかに 見続けて行きたいのに
頻(しき)りに 眺めたい山なのに
つれなくも 雲が隠してしまってよいものか
「反歌」
三輪山を しかも隠すか
雲だにも こゝろあらなも/む
隠さふべしや
額田王 万葉集1巻18
三輪山を そんなにも隠すのか
せめて雲だけでも 心があるのならば
隠したりはしないでください
「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時、
額田王の作る歌」
あかねさす
むらさき野ゆき しめ野ゆき
野守は見ずや 君が袖ふる
額田王 万葉集1巻20
(あかねさす)
紫草の野をゆき 標しのある野をゆき
野の番人は見ないでしょうか
あなたが袖を振っているのを
「皇太子の答ふる御歌(みうた)」
むらさきの
にほへる妹を にくゝあらば
人妻ゆゑに 我(あ)れ恋ひめやも
大海人皇子(後の天武天皇) 万葉集1巻21
紫草のような
気品のこもるあなたを 憎く思うのであれば
人目を気にする 人妻であるからといって
どうして恋しく袖を振ったりしましょうか
「十市皇女(とをちのひめみこ)、
伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐおもぶく時
波多(はた)の横山の巌(いはほ)を見て、
吹黄刀自(ふゝきのとじ)が作る歌」
川の上(へ/うへ)の
ゆつ石むらに 草生(む)さず
常にもがもな とこ処女(をとめ)にて
吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集1巻22
川のほとりの
なめらかな岩々に 草が生えないように
常にありたいものですね いつまでも乙女のまま
「天皇の御製歌(おほみうた)」
み吉野の 耳我(みゝが)の嶺(みね)に
時なくそ 雪は降りける
間なくそ 雨は降りける
その雪の 時なきがごと
その雨の 間なきがごとく/ごと
隈(くま)も落ちず
思(おも)ひつゝぞ来(こ)し
その山道(やまみち)を
天武天皇(てんむてんのう) 万葉集1巻25
み吉野の 耳我の嶺に
休みなく 雪は降ります
絶え間なく 雨は降ります
その雪に 休みがないように
その雨に 絶え間がないように
曲がり角ごとにずっと
もの思いしながら来たのです
その山道を
「天皇、吉野宮(よしのゝみや)にいでませる時の御製歌」
よき人の
よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見/よく見つ
天武天皇(てんむてんのう) 万葉集1巻27
かつての良き人が
良しとよく見ては 良しと名付けた
吉野をよく見なさい 良き人を/良き人よよく見なさい
「天皇の御製歌」
春過ぎて 夏来たるらし
しろたへの ころも干したり
天(あめ)の香具山(かぐやま)
持統天皇(じとうてんのう) 万葉集1巻28
春が過ぎて 夏が来たようだ
真っ白な 着物を干してある
天の香具山に
「近江(おうみ)の荒れたる都に過(よき)る時に、
柿本人朝臣(あそみ)麻呂が作る歌」
玉だすき/たすき 畝傍(うねび)の山の 橿原(かしはら)の ひじりの御代(みよ)ゆ 生(あ)れましゝ 神のこと/”\ つがの木の いやつぎ/”\に 天(あめ)のした 知らしめしゝを 天(そら)にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離(あまざか)る 鄙(ひな)にはあれど 石走(いはゞし)る 近江の国の さゝなみの 大津の宮に 天のした 知らしめしけむ 天皇(すめろき)の 神のみことの 大宮は こゝと聞けども 大殿(おほとの)は こゝと言へども 春草の しげく生(お)ひたる 霞立つ 春日(はるひ)の霧(き)れる もゝしきの 大宮所(おほみやどころ) 見れば悲しも
柿本人麻呂 万葉集1巻29
(たまだすき) 畝傍(うねび)の山の 橿原宮(かしはらのみや)にいらした 神武天皇(じんむてんのう)の御代から 生まれました神の 歴代の天皇が (つがの木の) 次から次へと 天の下を 治められたのものを (そらにみつ) 大和を置き去りに (あをによし) 奈良山を越えなどして いったい何を 思われたものか (あまざかる) 辺境にはあるものの (いはばしる) 近江の国の (ささなみの) 大津の宮より 天の下を 治められたという 天智天皇 神なるお方の その宮殿は ここだと聞いたが 春草が しきりに生えている 霞が立ち 春の日を覆っている (ももしきの) 宮殿のあった所を 見れば悲しい気持ちにさせられるよ
「反歌」
さゝなみの
志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあれど
大宮人(おほみやひと/びと)の 舟待ちかねつ
柿本人麻呂 万葉集1巻30
(ささなみの)
志賀の唐崎は 今もすこやかにあるが
かつての宮廷の人たちの
来ない船を待ちわびている
さゝなみの
志賀(しが)の大わだ 淀むとも
むかしの人に またも逢はめやも
柿本人麻呂 万葉集1巻31
(ささなみの)
志賀の入り江は このように淀んでしまっても
かつての人々に また逢えるだろうか
そう思っているようでした
「紀伊国(きのくに)にいでませる時に、川島皇子の作らす歌
《あるいは云はく、山上臣(おみ)憶良の作なりと》」
白波(しらなみ)の
浜松が枝(え)の 手向けくさ/ぐさ
幾代(いくよ)までにか 年の経ぬらむ
川島皇子(かわしまのみこ) or 山上憶良 万葉集1巻34
白波の寄せる
浜松の枝に 結ばれた祈願の幣(ぬさ)は
幾とせの歳月を 過ごしてきたものか
「伊勢国にいでませる時に、京(みやこ)にとゞまれる、
柿本人朝臣麻呂が作る歌」《三首のうち一首》
あみの浦に
舟乗りすらむ をとめらが
玉裳(たまも)の裾(すそ)に 潮満つらむか
柿本人麻呂 万葉集1巻40
あみの浦で
船乗りをする むすめらの
玉裳の裾には 潮が満ちているだろうな
「軽皇子(かるのみこ)、安騎(あき)の野に宿らせる時に、
柿本人朝臣麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が作る歌」
やすみしゝ わが大君 高照(たかて)らす 日の御子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 太敷(ふとし)かす 都を置きて こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒き山道(やまぢ)を/荒山道(あらやまみち)を 岩が根(いはがね) 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかどり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に はたすゝき 篠(しの)を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
柿本人麻呂 万葉集1巻45
(やすみしし) わが大君 (高照らす) 日の御子よ 神のまま 神らしくして しっかりとした みやこを置き去りに (こもりくの) 泊瀬の山へと 真木が立ち並ぶ 荒々しい山道を 岩々や 遮る木をねじ伏せ (坂鳥の) 朝から越えられて (玉かぎる) 夕方が来れば み雪の降る 安騎の大野に 穂のススキや 小竹(しの)を押し伏せて (草枕) 旅の宿りをなさいます 昔を偲びながら
「短歌」
安騎の野に
宿る旅人 うちなびき
寐(い)も寝(ね)らめやも いにしへ思ふに
柿本人麻呂 万葉集1巻46
安騎の野に
仮寝をする旅人は 横になって
眠ることなど出来ようか 昔のことを思えば
ま草刈る 荒野(あらの)にはあれど
もみぢ葉の 過ぎにし君が
形見とぞ来(こ)し
柿本人麻呂 万葉集1巻47
(ま草刈る) 荒れた野ではあるけれど
(もみぢ葉の) 過ぎて亡くなったあなたの
形見の地であるとやって来ました
ひむがしの
野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ
柿本人麻呂(賀茂真淵改作?) 万葉集1巻48
東の野に
夜明けの きざしがあらわれて
(/朝日の立ちのぼるのが見えて)
かえり見れば 月は西へと傾いていた
ひなみし
御子のみことの 馬なめて
み狩立たしゝ 時は来むかふ
柿本人麻呂 万葉集1巻49
かつて日並皇子(ひなみしのみこ)が 馬を並べては
み狩りに向かわれた その同じ時刻がやって来たよ
「明日香の宮より藤原の宮にうつりし後、
志貴皇子の作らす歌」
うねめの
袖吹きかへす 明日香風(あすかゝぜ)
みやこを遠み いたづらに吹く
志貴皇子(しきのみこ) 万葉集1巻51
かつて 天皇(みかど)の侍女たちの
袖を吹き返してた 明日香の風も今は
新しいみやこが遠いので
ただ空しく吹いている
『持統太上天皇、紀伊国にいでませる時』
巨勢山(こせやま)の
つら/\つばき つら/\に
見つゝ偲(しの)はな 巨勢の春野を
坂門人足(さかとのひとたり) 万葉集1巻54
巨勢山の
茂みに連なるような椿を つくづくと
見ては 思い浮かべましょう
やがて訪れる 巨勢の春野を
『ある本の歌』
河の上(へ/うへ)の
つら/\つばき つら/\に
見れども飽かず 巨勢の春野は
春日蔵老(かすがのくらのおゆ) 万葉集1巻56
河のほとりの
連なるような椿を つくづくと
どれほど眺めても飽きません
巨勢の春野は
『持統太上天皇、参河国(みかはのくに)にいでませる時』
引馬野(ひくまの)に
にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ
衣にほはせ 旅のしるしに
長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集1巻57
引馬野に
色づいた榛木(はんのき)の原に 乱れ入って
着物を染めるがいい 旅のしるしに
『持統太上天皇、参河国(みかはのくに)にいでませる時』
いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ
安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻(た)みゆきし
棚なし小舟(をぶね)
高市黒人(たけちのくろひと) 万葉集1巻58
どこで 舟泊(ふなど)まりするのだろう
安礼の崎を 漕いで巡っていった
あの横棚のない小舟は
「山上臣憶良、大唐(だいたう)にありし時、国を思ひて作る歌」
いざ子ども 早く日本(やまと)へ
大伴の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ
山上憶良 万葉集1巻63
さあ皆よ 早く日本へ
大伴の三津の 港の浜松も
待ちわびていることだろう
『難波の宮にいでませる時』
葦辺(あしへ)ゆく
鴨の羽がひに 霜降りて
寒き夕(ゆふ)へは 大和(やまと)し思ほゆ
志貴皇子 万葉集1巻64
葦辺をゆく
鴨のつばさに 霜が降って
寒さのつのる晩には
大和のことが思われる
『藤原宮より寧楽宮(ならのみや)にうつる時に、
御輿(みこし)を長屋の原にとゞめ、
ふるさとを顧みて作らす歌』
飛ぶ鳥の/飛ぶ鳥
明日香(あすか)の里を 置きて去(い)なば
君があたりは 見えずかもあらむ
元明天皇(げんめいてんのう) 万葉集1巻78
(飛ぶ鳥の)
飛鳥の里を 置き去りにしたなら
あなたのあたりは 見えなくなりはしないだろうか
「君があたり」は夫であった草壁皇子のみ墓のある、真弓の岡という。
海の底(わたのそこ)
沖つ白波 竜田山(たつたやま)
いつか越えなむ 妹があたりみむ
(古歌か?) 万葉集1巻83
(わたのそこ)
沖には白波が立つよ 竜田山
いつか越えたいな
妻のあたりが見たいから
「磐媛皇后(いはのひめわうごう)、天皇を思ひて作らす歌四首」
君がゆき 日長(けなが)くなりぬ
山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ
磐之媛命(いわのひめのみこと) 万葉集2巻85
あなたの旅も 日数が過ぎました
山を尋ねて 自ら迎えに行きましょうか
ひたすらお待ちしましょうか
かくばかり 恋つゝあらずは
高山の 岩根(いはね)しまきて
死なましものを
磐之媛命(いわのひめのみこと) 万葉集2巻86
これほどに 恋しいくらいなら
高い山に果て 岩を枕にして
死んでしまった方がましです
ありつゝも 君をば待たむ
うちなびく 我が黒髪に
霜の置くまでに
磐之媛命 万葉集2巻87
このようにありながら あなたを待ちましょう
ほどきなびいた わたしの黒髪に
霜が置かれるまでずっと
(あるいはそれは 白髪になるまでかも知れません)
秋の田の
穂のうへに霧(き)らふ 朝霞(あさかすみ)
いつへのかたに 我が恋やまむ
磐之媛命 万葉集2巻88
秋の田の
稲穂に掛かっている 朝霞の
覆い尽くすように 垂れ込めるように
どちらへ向かったら私の恋しさは
抜け出すことが出来るのでしょうか
「天皇、藤原夫人にたまふ御歌一首」
我が里に 大雪降れり
大原(おほはら)の 古りにし里に
降らまくは後(のち)
天武天皇 万葉集2巻103
わたしの居る里に 大雪が降った
大原の 古びた里に
降るのはこれからだろう
「藤原夫人の和(こた)へまつる歌一首」
我が岡の
おかみに言ひて 降らしめし
雪のくだけし そこに散りけむ
藤原夫人(ふじわらのぶにん) 万葉集2巻104
わたしの居る岡の
水神(おかみ)に祈って 降っていただいた
雪の欠けらが お裾分けにそちらにも散ったのでしょう
「大津皇子、ひそかに伊勢神宮(いせのかむみや)にくだりて、
上り来る時に、大伯皇女の作らす歌二首」
わが背子を
大和へやると さ夜更けて
あかとき露に 我(あ/わ)が立ち濡れし
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻105
大切なあの人を
大和へ見送ろうと 夜も更けて
あかつきの露に わたしは立ち濡れる
ふたり行けど
ゆき過ぎがたき 秋山を
いかでか君が ひとり越ゆらむ
大伯皇女 万葉集2巻106
二人で助け合って行っても
越えることの難しい あの秋山を
どうやってあなたは 一人で越えているでしょう
「大津皇子、石川郎女に贈る御歌一首」
あしひきの
山のしづくに 妹待つと
我(あれ/われ)立ち濡れぬ 山のしづくに
大津皇子 万葉集2巻107
(あしひきの)
山のしずくに 恋人を待って
わたしは立ち濡れる 山のしずくに
「石川郎女が和(こた)へまつる歌一首」
我(あ/わ)を待つと
君が濡れけむ あしひきの
山のしづくに ならましものを
石川郎女(いしかわのいらつめ) 万葉集2巻108
わたしを待って
あなたが濡れていたという (あしひきの)
山のしずくに なれたらお逢いできたのに
我妹子に 恋ひつゝあらずは
秋萩の 咲きて散りぬる 花にあらましを
弓削皇子(ゆげのみこ) 万葉集2巻120
あなたへの 恋しさにさいなまれるくらいなら
秋萩のような 咲いてはすぐに散ってしまう
花であった方がまだましです
(つかの間でも花開くことが出来るのですから)
『石見国(いはみのくに)より妻に別れて上り来る歌』
石見の海(うみ) 角(つの)の浦廻(うらみ)を 浦なしと 人こそ見らめ 潟(かた)なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 鯨魚(いさな)取り 海辺(うみへ)を指して 和多津(にきたづ)の 荒磯(ありそ)のうへに か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 波こそ来寄(きよ)れ 浪のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜(つゆしも)の 置きてし来れば この道の 八十隈(やそくま)ごとに よろづたび かへり見すれど いや遠(とほ)に 里は放(さか)りぬ いや高(たか)に 山も越え来ぬ 夏草(なつくさ)の 思ひ萎(しな)えて 偲(しの)ふらむ 妹(いも)が門(かど)見む なびけこの山
柿本人麻呂 万葉集2巻131
石見の海の 角の海辺を 浦などないと 人は見るだろう 潟などないと 人は見るだろう よしたとえ 浦はなくても よしたとえ 潟はなくても (くじら取り) 海岸をめざして にきたづの地の 荒磯のあたりに 青く茂る 玉なす海藻は 朝に羽ばたくような 風にこそ寄せる 夕べに羽ばたくような 波にこそ寄せ来る そのように波と一緒に 様々に寄り添う 玉藻のような 添い寝の妻を (露や霜のように) 置いて来たので この道の 沢山の曲がり角ごとに 何度も何度も 振り向いて見るが いよいよ遠く 里は離れてしまう いよいよ高く いく山を越えて来たので (夏草の) 思いさえしおれて 偲んでいる事だろう 妻の居る門がますます見たくなる なびいて視界から消えよ この山よ
「反歌二首」
石見(いはみ)のや
高角山(たかつのやま)の 木(こ)の間より
我が振る袖を 妹見つらむか
柿本人麻呂 万葉集2巻132
石見にある
高角山の 木の間から
私が振る袖を 妻は見ただろうか
さゝの葉は
み山もさやに さやげども
我(あれ/われ)は妹思ふ 別れ来ぬれば
柿本人麻呂 万葉集2巻133
笹の葉が
御山でしきりに さやいでいるが
わたしは妻を思う 別れて来たので
「有間皇子、みづから傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首」
岩代(いはしろ)の
浜松が枝(え)を 引き結び
ま幸(さき)くあらば また帰り見む
有間皇子(ありまのみこ) 万葉集2巻141
岩代の
浜松の枝を 結びあわせて無事を祈り
生きながらえたら また戻り見られるだろうか
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を
草枕 旅にしあれば
椎(しひ)の葉に盛る
有間皇子 万葉集2巻142
家にいれば うつわに盛る飯を
(くさまくら) 旅にあるから
椎の葉に盛る
「長忌寸(いみき)意吉麻呂、結び松を見て哀咽(あいえつ)する歌二首」
岩代(いはしろ)の
岸の松が枝 結びけむ
人は帰りて また見けむかも
長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集2巻143
かつて岩代で
岸の松の枝を 結んだであろう
あの人はここに帰って
また松の枝を見たのだろうか
岩代の
野中に立てる 結び松
こゝろも解けず いにしへ思ほゆ
長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集2巻144
岩代の
野の中に立っている 結び松の
こころも解けないまま かつてのことを思うよ
『結び松を見る歌一首』
のち見むと
君が結べる 岩代の
小松がうれを また見けむかも/またも見むかも
(柿本人麻呂歌集) 万葉集2巻146
後に見ようと
あなたが結んだ 岩代の
小松の末を また見られただろうか
(あるいは、今またの意味か?)
「天皇の崩(かむあが)りましゝ後の時、倭大后の作らす歌一首」
人はよし 思ひ止むとも
たまかづら 影に見えつゝ
忘らえぬかも
倭大后(やまとのおおきさき) 万葉集2巻149
人はもし 思うことを止めても
(たまかづら) 私は面影に見え続け
忘れることはありません
『天武天皇の崩(かむあが)ります時』
燃ゆる火も
取りて包みて 袋には
入ると言はずや 面智男雲(おもしるをくも)
燃える火でさえ
つつみ取っては 袋の中に
入れると言うではないか
面智男雲(おもしるをくも)よ
(解読不可能歌)
北山に
たなびく雲の 青雲(あをくも)の
星離れゆき 月を離れて
持統天皇 万葉集2巻161
北山に
棚引いている雲 その青雲は
星を離れてゆき そして月を離れて……
「大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬(はぶ)る時、
大伯皇女の悲しびて作らす歌二首」
うつそみの
人なる/にある我(あれ/われ)や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我(あ/わ)れ見む
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻165
この世の 人であるわたしは
明日からは み墓となった二上山を
愛する弟と わたしは見るでしょう
磯のうへに
生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど
見すべき君が ありと言はなくに
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻166
磯のほとりに
生えた馬酔木(あせび)を 折り取ろうとしたけれど
もう見せるべきあなたが いる訳ではないのに
『日並皇子(ひなみしのみこ)の殯宮(あらきのみや)の時の歌』
島の宮(みや)
まがりの池の 放ち鳥(はなちどり)
ひと目に恋ひて 池にかづかず
(柿本人麻呂) 万葉集2巻170
島の宮の
まがりの池に 放し飼いの鳥は
亡き人が恋しくて
池に潜ろうとしないのか
長歌は名調子なれど、膨大すぎるので省略。
「短歌二首」
ひさかたの
天知らしぬる 君ゆゑに
日月も知らず 恋ひわたるかも
柿本人麻呂 万葉集2巻200
(ひさかたの)
天上を治められることになった あなたを思えば
月日も分からないくらい 恋しさにさいなまれ続けます
埴安(はにやす)の
池のつゝみの 隠(こも)り沼(ぬ)の
ゆくへを知らに 舎人(とねり)は惑ふ
柿本人麻呂 万葉集2巻201
埴安(はにやす)の
池の堤(つつみ)に覆われた 隠り沼のように
行くべきあてもないものですから
あなたを失って 舎人らは心さ迷っているのです
「但馬皇女(たぢまのひめみこ)の薨(こう)ぜし後、
穂積皇子、冬の日雪降るに、み墓を遥かに望み、
悲傷流涕(ひしょうりゅうてい)して作らす歌一首」
降る雪は あはにな降りそ
吉隠(よなばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒からまくに/くあらまくに
穂積皇子(ほつみのみこ) 万葉集2巻203
降る雪よ 沢山積もるな
吉隠の 猪養の岡にあるみ墓が 寒くなるだろうから
秋山の 黄葉を茂み
惑ひぬる 妹を求めむ
山道知らずも
柿本人麻呂 万葉集2巻208
秋山の 黄葉がしきりなので
迷い込んだ 妻を求め行くための
山路が分からない
もみぢ葉の 散りゆくなへに
たまづさの 使ひを見れば
逢ひし日思ほゆ
柿本人麻呂 万葉集2巻209
もみじの葉が 散りゆく頃に
(たまづさの) 使いに出会えば
妻と逢っていた日が思われる
「短歌」
さゝなみの
志賀津(しがつ)の子らが まかり道(ぢ)の
川瀬の道(みち)を 見れば寂(さぶ)しも
柿本人麻呂 万葉集2巻218
ささなみの
志賀津のその娘が 身まかって去ったという
その川瀬の道を 見れば寂しい気持ちになります
「柿本人朝臣麻呂、石見国にありて死に臨む時に、
みずから傷(いた)みて作る歌一首」
鴨山(かもやま)の
岩根(いはね)しまける 我(あれ/われ)をかも
知らにと妹が 待ちつゝあるらむ
柿本人麻呂 万葉集2巻223
鴨山の 岩根を枕に
死に行く わたしの事を
知らずに妻は 待ち続けているだろうか
『河辺宮人、姫島の松原に、
娘子(をとめ)がかばねを見て、
悲嘆して作る歌』
妹が名は 千代(ちよ)に流れむ
姫島(ひめしま)の 小松がうれに
苔生(こけむ)すまでに
河辺宮人(かはへのみやひと) 万葉集2巻228
この娘の名前は 千代まで伝わるだろう
いつか姫島の 小松のこずえに
苔が生すその日まで
『志貴皇子の薨(こう)ずる時の歌より短歌』
高円(たかまと)の 野辺(のへ)の秋萩
いたづらに 咲きか散るらむ
見る人なしに
笠金村(かさのかなむら) 万葉集2巻231
高円の 野辺の秋萩は
むなしく 咲いたり散ったりしているだろうか
もう見る人もいないのに
2016/08/25