巻第十一と巻第十二は相聞(そうもん)、つまり恋の和歌を収めます。巻第十一は、「柿本人麻呂歌集」という「万葉集」の先行資料からの引用がかなりあることが特徴で、その引用のすべてが柿本人麻呂の作品であるかは、疑惑が残るようですが、彼らしい作品が多く存在するのもまた事実です。
泊瀬(はつせ)の
弓槻(ゆつき)がしたに わが隠せる妻
あかねさし
照れる月夜(つくよ)に 人見てむかも
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2353
泊瀬の
弓槻が岳のふもとに わたしが隠した妻
あかあかと
照らす月夜に 誰かが見つけたりしないだろうか
旋頭歌(せどうか)というのは、
[五七七]⇒[五七七]
と上句と下句に[五七七]を繰り返す形式で、下句の[五七七]はあらためて語り直されるように、上下が独立傾向にあるのが特徴になります。
弓槻(ゆつき)は、「弓月が岳に雲立ちわたる」にあったのと同じ地名で、奈良県桜井市にある巻向山の一方の頂を指すもの。まさか、本当に隠していた妻が、月明かりで発見されるとは、心配しないでしょうから、神話や民話などとの関連が期待されます。あまり取り上げられもしないようですが、旋頭歌としては、もっとも優れたものの一つです。
「正述心緒(せいじゅつしんしょ/しんちょ)」というのは風変わりなジャンルですが、恐らく先行資料である「柿本人麻呂歌集」から持ち込まれたもので、その意味することは、比喩などを使用せず、心情をそのままに述べるというものには過ぎません。これはすぐ後に紹介する「寄物陳思(きぶつちんし)」と対比されるジャンルで、こちらは、「咲く花」を恋人に見立てたり、「揺れる木の葉」に思いを委ねたりと、なんらかの比喩によって、思いを詠むという和歌です。
朝影に 我(あ/わ)が身はなりぬ
玉(たま)かきる/かぎる ほのかに見えて
去(い)にし子ゆゑに
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2394
朝早くのおぼろ気な姿に 私はなってしまった
(たまかきる) わずかに見えて
消えたあの子のせいで
本来なら、朝影の印象は、わずかに見えて消えたあの子の姿であるはずなのに、ほのかでわずかなものを眺めた自分の方が、もっとおぼろ気な心になってしまったよ。そんな状況を、朝影に委ねたものです。通常なら三句目以下から始まるであろう文脈を倒置させることにより、はじめに結論を述べて、後からその理由を説明するというパターンで、夢に垣間見たような印象もしてきます。
春やなぎ
葛城山(かづらきやま)に 立つ雲の
立ちても居ても 妹をしそ思ふ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2453
(春やなぎ)
葛城山に 立つ雲のように
立っていても座っていても
あの娘(こ)のことばかりまた考えてしまう
この「立ちても居ても~を思ふ」という表現は、流行語大賞ではないですが、ちょっとした表現のブームでもあったようで、幾つかの短歌に、同じ表現を見いだすことが出来ます。ここでは、冒頭が季節を定め、二句目が場所を定めて、その上で雲を立ちのぼらせますから、序詞にしてもそのイメージがしっかりと浮かび、それが下句の心情へと返されるという仕組みです。
ここでも序詞は、ただ「立つ」「立ち」でつながっているのではなく、まず立ちのぼった雲が、立ちゆく時も山に居留まる時にも、という印象が先にあって、その上で、言葉によってもつながっていると解釈すべきでしょう。逆に季節も場所も定められ、ある時は留まり、ある時は去りゆくほどの印象であるからこそ、はじめてそれが「立ちても居ても妹をしそ思ふ」と切り離せない、詩としてのアイデンティティを、確立していると言えるでしょう。
それで「寄物陳思」ですから、この短歌は「雲に寄せて」思いを述べたものだということになります。以前紹介した「比喩歌」は、最後まで雲のことを詠み切って、その背後に別の意味を織り込ませるものでしたが、「寄物陳思」の方はかえって、今日述べるところの比喩を織り込んだ和歌として、捉えやすいかと思います。
道の辺(へ)の
いちしの花の いちしろく
人皆知りぬ 我(あ/わ)が恋妻(こひづま)は
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2480
道ばたに咲く
いちしの花のよう はっきりと
皆に知られてしまった
私の恋する妻のことを
こちらは道ばたの花に寄せたものです。残念ながら「いちしの花」は今となっては、なんの花やら不明ですが、よほど人目を引きやすい花だったのでしょう。別の和歌から推察すると、「白い花」として三句目の「しろく」にも掛け合わされている可能性が高く、当時の人が聞けば、「そんなにはっきりばれてしまったのか」と、笑われるくらいだったのかも知れませんが、今となっては諸説に委ねて、それを楽しむしかなさそうです。それでもなお発生的な愉快もあり、なかなか魅力的な作品かと思われます。
水底(みなそこ)に
生(お)ふる玉藻(たまも)の うちなびき/く
こゝろは寄りて 恋ふるこのころ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2482
水の底に
生えている玉藻のように 流れになびいて
こころを寄せて 恋するこの頃
玉は美称に過ぎませんから、つまりは藻がなびき寄せる、その様子に心情を委ねたものです。冒頭に「水底に」と置いていますから、水面下、つまり胸のうちでそっとなびくような印象が、上句によってもたらされます。また心を寄せるのではなく、藻のように靡(なび)いてしまうのを、自分ではコントロールできない状況を、「こころは寄りて」という表現に委ねているのも魅力です。
「柿本人麻呂歌集」からの紹介を終えて、ふたたび「よみ人しらず」の和歌を、「正述心緒」に戻って紹介し直す方針です。
朝寝髪(あさねがみ/あさいがみ) われは梳(けづ)らじ
うるはしき 君が手枕(たまくら)
触れてしものを
よみ人しらず 万葉集11巻2578
朝の寝起きの髪を わたしは梳(すき)ません
うるわしい あなたの腕枕に
触れた髪の毛
正述心緒は、心情の直球勝負ですから、ストレートに読み取れるものが多いのですが、それだけにどれも似たり寄ったりの、安易な内容の短歌も、ひしめいているような実情です。しかしこの作品のように、真珠の玉のような秀歌も、転がっていますから見逃せません。
内容は分かりやすいかと思いますが、当時は男が通って来ては、朝に帰ってしまうのが恋愛ですから、ただあなたが触れたくらいではなく、恋人が立ち去った後の、さっきまで肌を触れ合っていた印象を、失いたくないという願望が、強く込められているようです。「うるわしき」というのは、それほど多用される讃美ではありません。
ぬばたまの
わが黒髪を ひきぬらし
乱れてさらに/なほも 恋ひわたるかも
よみ人しらず 万葉集11巻2610
(ぬばたまの)
この黒髪を 引き解いて
思い乱れてさらに 恋い慕うでしょう
三句目の「引きぬらし」というのが分かり難いですが、「ぬらし」というのは「ぬる」つまり「ほどける」の他動詞型で、「ほどかせる」といった意味になります。それで、わざと髪を引きほどいたのは、髪が解けるのは相手が思ってくれる証という俗信を、自らの手で引き寄せようとしたようです。
しかし、語調としては、まるで自分をつなぎ止めるための、封印の紐をでも解き放って、恋の化身にでも生まれ変わりそうな、激しい情念が伝わってきます。「乱れてさらに」という四句目には、並々ならない激情が込められているようです。(もっとも「乱れてなほも」という詠みもありますが、今日の詩として考えると、「さらに」と読みたくなります。)
あづさ弓
引きみ緩(ゆる)へみ 来ずは来ず
来ば来そをなぞ/など 来ずは来ばそを
よみ人しらず 万葉集11巻2640
梓弓を 張ったり緩めたりするように
来ないといって来ない 来るといって来る
それかと思えば 来ないといって来たりまたそれを……
弓を引いたり、その手を離したりしながら、「来る」「来ない」の占いでもするような気配です。ただ弦をもてあそんでいるというより、弓矢を的に当たるかどうかで、来るか来ないかを定めているような印象で、三句目以下の「来」の繰り返しにつきまとう、「ず」「ば」といった濁音が、もしこの通りの発声であったとするならば、的に矢が突き刺さるような印象がします。さらには、全体が濁音によるリズムで統一されているのがユニークです。
燈火(ともしび)の
影にかゞよふ うつせみの
妹が笑(ゑ)まひし 面影(おもかげ)に見ゆ
よみ人しらず 万葉集11巻2642
ともし火の
影にちらつく 生きたままの
あの子の笑顔が 面影となって浮かぶよ
不思議な短歌です。
ややこしくなるので、
三句目の「うつせみの」を外して考えて見ますと、
燈火の 影にかゞよふ
妹が笑まひし 面影に見ゆ
となり、「面影に見ゆ」の直前で切れて、
「灯火の揺らめきの中での恋人のほほ笑みが」
⇒「面影に見える」
なのか、「影にかがよふ」で切れて、
「灯火がゆらめいている」
⇒「恋人のほほ笑みがそこに、面影となって見える」
のか解釈がつきません。そこにさらに三句目に「うつせみの」と加えましたから、さらに「うつせみの」つまり「この世の」「現実の」と「面影に見ゆ」まで絡み合って、繰り返せば繰り返すほど、なおさら解き明かせないないような気分にさせられます。かといって、どちらにせよ詩情をかき立てられますから、解明されないでも不快なところはなく、ただ何だろうと思って、もう一度唱えて見るとやっぱり分からなくて、また唱え直してしまうような、炎の向こうにちらついて、つかみ取れそうでつかみ取れないような秀歌です。
ちはやぶる
神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
今はわが名の 惜しけくもなし
よみ人しらず 万葉集11巻2663
(ちはやぶる)
神域の垣根も 越えてしまおう
今は自分の名など 惜しくもないから
神域にさえも踏み込むというのは、相手の女性が自分には、手を出してはならない立場にあることを暗示しているようです。ですから、名前も惜しくないという表明にも、噂が立つくらいでなく、人生を棒に振るくらいの覚悟が見られます。そうして、神聖なものに手を出すような印象がありますから、巫女をでも奪い去るような短歌になっていると言えるでしょう。あるいはタブーを犯すという所から、人妻に手を出すものとも考えられます。
青山(あをやま)の
岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに
恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
よみ人しらず 万葉集11巻2707
青く茂った山の
岩に囲まれた沼の 水に隠れるように
ひっそりと恋し続けます
逢うすべもないので
隠れた沼の奥底で、ひっそりと恋を、広がらせてゆくような内容で、上句の情景描写に、秘境のみずうみのような気配が隠(こも)りますから、ひるがえって恋しさの心情まで、聖なる清らかさに包まれます。それが逢えないわびしさを、ちょっと非日常的な心情へと高めているようです。
波の間ゆ
見ゆる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ/き)
久しくなりぬ 君に逢はずして
よみ人しらず 万葉集11巻2753
波の間から
見える小島の 浜のヒサギのよう
久しくなります
あなたに逢わないままで
小島もはや遠ざかり、ようやく波の間に見えていた浜久木も、久しくなります見なくなってから。という印象を、あなたに逢わなくなってから、という心情へと差し替えたものです。船出をして、いつか戻ってくるような印象から、離別ではなく、羈旅などでしばらく逢えないことを詠んだものと思われ、またいつか、あなたに逢えることを、上句に織り込んでもいるようです。もちろん序詞ですから、旅に行くのは男で、「君に逢はずして」は不自然、ということにはならずに済む訳です。
あしひきの
山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む
よみ人しらず 万葉集11巻2802別本
(あしひきの)
山鳥の尾の しだれた尾のような
長々しい夜を ひとりで寝るのだろうか
さえない本歌に、「ある本にある」として添えられた秀歌で、こちらをメインに置かないのは、知名度の差か、それとも元資料の優先順位なのか、あれこれ考えたくなるような短歌です。『百人一首』では柿本人麻呂の短歌になっていますが、実際は「よみ人しらず」の和歌。
枕詞を加え、口調のリズムまで整えられた上の句が、単なる夜の比喩とは思われず、夜をつかさどる神の山鳥が、実際に長い夜を尾にしたたらせているような、時間だけでなく空間も覆い尽くしているような、奥行きのある夜の提示が、優れた序詞の、本来の魔力なのかも知れません。
恋ひつゝも 今日はあらめど
たまくしげ 明けなむ明日を
いかに暮らさむ
よみ人しらず 万葉集12巻2884
恋しさに 今日は過ごしました
(たまくしげ) 明けるであろう明日は
どうやって暮らしましょう
以前に見た、「恋ひつつも今日は暮らしつ」(10巻1914番)では、春の日という状況設定が、詩興を醸し出していましたが、ここでは季節感は抜け落ちて、代わりに「たまくしげ」という化粧箱を意味する枕詞が、開ける意味を通じて「明ける」に掛かっています。二つを比べてみると、表現としては春日を込めたものの方が、心情を豊かに表現していて上等かと思われますが、逆にこちらは「たまくしげ」の表現によって、化粧箱を開いては、自らの姿に思い悩み、恋に逡巡するような印象が混入しますから、今どきの娘さんじみた、ちょっとリアルな魅力が籠もるようです。
うつくしと/うるはしと
思ふ我妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て
起きてさぐるに なきが寂(さぶ)しさ
よみ人しらず 万葉集12巻2914
可愛らしいと
思うあの娘(こ)を 夢に見て
起きて手探りをすると 居ない寂しさ
抱きたい、抱かれたい、といった単純な性愛ではなく、男女の恋の手続き、あるいは駆け引きを、苦しむことも含めて楽しむような傾向が、高度に発達するのは、文明的にある程度のレベルに達した段階で、始めてなされるものでしょうか。中世ヨーロッパ史には「恋愛革命」なる言葉もあるようですが、大陸の知識をどん欲に取り込んで成立した新興国において、それが始めて花開いたのは、(もちろん『記紀歌謡(ききかよう)』などのにも兆しは見られるでしょうが、)あるいは万葉集時代の和歌においてだったのかも知れません。
この作品もまた、唐の流行小説である『遊仙窟(ゆうせんくつ)』から着想を得たものであるようですが、明治維新で西洋文化に触れたときの、情熱的な取り込み運動と似たようなエネルギーが、当時の社会を政治的にも文芸的にも、一気に成熟したものへと押し上げるような、時代の熱気のようなものすら、『万葉集』から感じられなくもありません。。
それにしても、夢に見たあの人を手探りしたら、いない寂しさなどいう感覚は、現在では何とも思わないでしょうが、当時としてはかなり斬新な表現で、聞き手の注目を集めたのではないでしょうか。以上、ちょっとした、あくまでも感想には過ぎませんでした。
あづさ弓
末のたづきは 知らねども
こゝろは君に 寄りにしものを
よみ人しらず 万葉集12巻2985別本
(あづさゆみ)
先のことは なにも分かりませんが
心はあなたに 寄り添ってしまいましたから
これも、ちょっと傷のある短歌の、「一本にいはく」とある別バージョンの方です。「たづき」は手立て、手がかりといった意味で、未来の手立てが分からないのに、どうしてもあなたに寄り添ってしまう、そんな理性では統制の付かない、恋しさを歌にしています。
たらちねの
母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
いぶせくもあるか 妹に逢はずして
よみ人しらず 万葉集12巻2991
(たらちねの)
母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないで
こちらは、庶民的な短歌。
絹糸生産のために飼っている蚕(かいこ)が、サナギになって繭(まゆ)にこもるような、狭苦しくて抜け出せないような恋煩いです。わざわざ「たらちね」を持ち出し来るところから、一方では母親がバリアーとなって、彼女と逢えないような気配もします。
あしひきの
山より出づる 月待つと
人には言ひて 妹待つ我(われ)を
よみ人しらず 万葉集12巻3002
(あしひきの)
山からのぼる 月を待ちますと
人には言って
恋人を待っているわたしなのです
この素朴な飾らないくらいの心情を、平坦に述べたような秀歌は、当時もその魅力に取り付かれた人がいたものでしょうか、巻第十三の3276番において、「君待つ我を」として、そのまま長歌に組み込まれています。その最後だけが、他の部分よりまとまりが良いために、この短歌の心情を表わしたいがために、長歌と反歌が作られたようにすら感じられます。内容については、捉えにくい所は無いかと思われます。心情と様式のバランスにおいて、短歌の初学者のめざすべき、理想を掲げてもいるようです。
君があたり
見つゝも居(を)らむ 生駒山(いこまやま)
雲なたなびき 雨は降るとも
よみ人しらず 万葉集12巻3032
あなたのあたりを
ずっと眺めていましょう 生駒山に
雲よ掛からないでください
たとえ雨が降ったとしても
「伊勢物語」にも「新古今集」にも収められる、不思議なくらいの愛され和歌です。二人の関係が雨にあって閉ざされても、あなたの代理である生駒山だけは、どうか隠れないで欲しいという内容で、それが隠れてしまったら、もう二度と逢えなくなるような不安が、ずっと相手のことを考えながら、じっと山を眺め続ける印象のうちに、かすかに響いています。
忘れ草
垣もしみゝに 植ゑたれど
しこのしこ草(ぐさ/くさ) なほ恋ひにけり
よみ人しらず 万葉集12巻3062
忘れ草を
垣根にいっぱい 植えたのに
醜(しこ)の駄目草だわこんなの
やっぱり恋しいもの
恋を忘れられるはずの「忘れ草」をいっぱい植えたのに、どうして恋を忘れられないの。「忘れ草」はヤブカンゾウの事で、中国の別名「忘憂草」から、恋を忘れられる花という俗信が生まれました。あまり恋を知らない人などは、見立ての歌と罵りますが、案外本気で、垣根一杯に植えたのではないでしょうか。そうして効き目がないので罵ってはみたけれど、花自体は美しいものですから、こんな短歌をつぶやきながら、やっぱり花を眺めているようです。
なか/\に 人とあらずは
桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
玉の緒ばかり
よみ人しらず 万葉集12巻3086
なまじいに 人として恋しさに死ぬくらいなら
蚕にでも なったほうがマシです
おなじわずかな命でも
恋とは言っていませんが、「寄物陳思」に納められていますから、自動的に恋歌になります。もっともそうでなくても、苦しくて短い命で果てるなら、人であるより、蚕の方がマシだなんて着想は、和歌の伝統から捉えるならば、万葉集の時代でさえも、恋に苦しむ短歌には決まっています。ちょっと、桑子の世話をしながら、口ずさんでいるような気配がします。
さひのくま
檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
馬に水かへ 我れよそに見む
よみ人しらず 万葉集12巻3097
(さひのくま)
檜隈川に 馬を休めて
馬に水を与えなさいな
わたしは遠くから眺めていますから
こちらも相手と一緒に居られない短歌ですが、川で馬に水を遣ってください、せめてその間、そっと眺めていますからと詠んでいます。ただし相手に語りかけた短歌と言うよりも、片思いの相手に、心のなかにつぶやいてみたようなものかも知れません。全体に表現の繰り返しが、口調のリズムに貢献していますから、深刻であるよりも、フレーズでも付けて、口ずさんで見たくなるような短歌です。
いで我(あ/わ)が駒(こま)
早く行きこそ 真土山(まつちやま)
待つらむ妹を 行きて早見む
よみ人しらず 万葉集12巻3154
出でよ 我が馬よ
早く行くのだ 真土山に
待つであろう恋人を 行って早く見よう
上句は「待つ」につながる序詞ともされますが、実際に山に馳せ登って、そこから待っている恋人のあたりを眺めても構いませんし、「待つ~行きて早見む」まで含めた、歌謡でもあって、それを「妹」に移しかえたようにも感じられ、同時に屈託もなくて行動派です。
志賀(しか)の海人(あま)の
釣し灯(とも)せる 漁(いさ)り火の
ほのかに妹を 見むよしもがも
よみ人しらず 万葉集12巻3170
志賀(しか)の漁師が
釣に灯している いさり火のように
わずかだけでもあの人を
垣間見ることは出来ないものか
志賀は前に説明した、志賀島(しかのしま)のことで、この地の海人はよほど知られたものらしく、万葉集のなかに幾つもの和歌を残しています。ところで、今日においてすら、田舎の宿に宿泊して、表に出たりすると、夜とはこれほどの暗闇なのかと、驚かされるくらいのものですが、その驚かされる日本を衛星から眺めると、島全体が光り輝いているのは滑稽なくらいです。その照明がすべて消え去るなかに、漁り火だけがほのかに見えるおぼつかなさ、けれども確かにそこに明かりがあるという希望が入り交じって、恋の闇夜であればこそ、わずかな光にすがりつきたいような願いです。上句は、なかなかに、深い心情を宿した序詞だと言えるでしょう。
住吉(すみのえ)の
岸に向へる 淡路島(あはぢしま)
あはれと君を 言はぬ日はなし
よみ人しらず 万葉集12巻3197
住吉(すみよし)の
岸に向かい合った 淡路島のように
あなたを目の前に浮かべて
ああ愛しいと 嘆かない日はありません
海を隔てていればこそ、住吉の神には「逢はじ島」でしょうか。「あはれ」という心情にも、神話めいたものが籠もるかも知れません。もとより初めのうちは、「あはれ」という恋人への思いに、序詞を加えたように感じられるものですが、何度も唱えて、次第に詩が生きた言葉として、捉えられるようになって来ると、まさに序詞にあるような「あはれ」でなければ、思いを言い果(おお)せない事に気づくでしょう。その時、この作品は、あなたにとってかけがえのないものとなるのではないでしょうか。
さらには悲別歌という、旅行く相手を慕う和歌のジャンルであることから、住吉の岸を離れた、船旅のような印象や、羈旅の安全を願うために、わざわざ住吉を持ち込んだのだろうかなど、短歌への好奇心が引き金となって、あれこれ考えれば考えるほど、内容も深まってくるから秀歌です。
一方で、ある種の不快感が引き金となって、考えれば考えるほど、興ざめを引き起こすような負の連鎖が、嫌々ながら高まってくるような短歌も存在します。つまりはそれが悪歌です。
ところで、ここで『万葉集』ばかりを誉めているのは、誉めるだけの価値を有した秀歌を、紹介しているからに過ぎません。今日の作品にも、優れたものと悲惨なものとがあるように、『万葉集』に収められた短歌にも、残すほどの価値を持たないもの、むしろ貶すべきであるような作品も存在します。特にこの短歌が収められた、巻第十一、十二などは、批判すべき短歌を探し出して、「万葉秀歌」と同じ量の解説を加えられるくらい、さえない作品も多いのが特徴で、それだけに撰集としての解説にも、意味があるものかと思われます。ちょっとした好奇心くらいで、全首を読破するのは、かなり辛いものがありますし、あなたのイマジネーションでも、描き出せるくらいの内容を、わざわざ学究の意図もなく、古語で楽しむ必要もありませんから。
この巻は、長歌集ですが、公的行事に使用されたような柿本人麻呂の作品や、個人の詩的表現として存在する大伴家持の作品とは異なり、フレーズでも付けて歌われ、あるいは演じられたような、歌謡の気配がするのが特徴です。といっても、わたしの感想には過ぎませんから、安易に歌謡集であるなどとは、聞いたまま紹介しない方が、身のためかと思われます。
しき島の 大和(やまと)の国は
言霊(ことだま)の 助くる国ぞ
ま幸(さき)くありこそ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集13巻3254
(しき島の) 大和の国は
言葉の霊力の 助ける国と言います
ですから「どうぞご無事で」
長歌と共に、「柿本人麻呂歌集」に納められた作品です。言霊(ことだま)などというと、縄文やら弥生の呪術的時代から、大和の精神を支配してきた、特別な言葉のように思われるかも知れませんが、言われるようになったのは、案外新しく、むしろ柿本人麻呂の時代頃だともされています。
長歌では、この国は口に出して一々言わないのが通常ではあるが、あえてわたしは口に出して、あなたの無事を祈るという内容を詠んでいます。反歌はそれを踏まえて、一方では口に出しては言わない国ではあるが、一方では言葉の霊力が助けてくれる国でもあるのだから、口に出して言いましょう、「あなたがつつがなくありますように」。そんな内容になっています。
小墾田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を
間なくそ 人は汲(く)むといふ
時じくそ 人は飲むといふ
汲む人の 間なきがごとく
飲む人の 時じきがごと
我妹子に 我(あ)が恋ふらくは
止(や)む時もなし
よみ人しらず 万葉集3260
小墾田の 年魚道の水を
絶え間なく 人は汲むといいます
時を開けず 人は飲むといいます
汲む人の 絶え間がないように
飲む人の 時を開けないように
愛するあなたを わたしが恋慕うことは
留まることがありません
思ひやる
すべのたづきも 今はなし
君に逢はずて 年の経ぬれば
よみ人しらず 万葉集13巻3261
思いを馳せる
手立ての糸口も 今はありません
あなたに逢わないで
年が過ぎてしまいましたから
長歌は、巻第一で紹介した天武天皇の「時なくそ雪は降りける」ときわめて類似の表現で、どちらかが本歌(もとうた)を参照にして、詠まれたものかと思われますが、それについては考察はいたしません。小墾田(おはりだ)は飛鳥の地とされますが、詳細は不明。当然年魚道(あゆぢ)もはっきりとはしません。いずれ、霊泉(れいせん)か生活の為かは知りませんが、その水を汲んで飲む人が、ひっきりなしで絶えることがないように、あなたへの恋しさは、止む時がないとまとめたものです。
それに対して、反歌は「君」と応えているため、「万葉集」の編者が注釈を付けて、「妹に逢はず」でなければおかしいと、いぶかしがっていますが、健全であふれる思いに任せたような長歌に対して、反歌のトーンが、むしろ心細さの細さも細るような印象で、この反歌は同一人物の反歌ではなく、夫と妻の応答を反歌で行なった、つまり反歌は妻の気持ちを表わしているのではないでしょうか。
反歌の精神は、年を経るほどあなたと離れていいるので、もはや何をよすがにして、思いを馳せたらよいのか分からない。長歌であふれて留まらないイメージに歌われた恋しさに対して、あるいはあてなくさ迷う水の印象も込められているのでしょうか、思いがあふれたとしても、それをあなたへと渡らせる、なんの方途(ほうと)も付かないとまとめます。ですから慕うことさえ今では、どう続けたらいいか分からない。長い別れの辛さに、打ちのめされるような短歌です。
ところで、反歌の「思ひ遣る」ですが、この短歌においては、文字通りの「思いを相手に遣る」「思いを渡らせる」のような気がするのですが、どの解説にも「気を紛らわす」とか「気を晴らす」と説明されていますので、一応断わっておきましょう。
明日香川
瀬々の玉藻の うちなびく/き
こゝろは妹に 寄りにけるかも
よみ人しらず 万葉集13巻3267
明日香川の 川瀬の玉藻が なびくみたいに
この心はあなたに なびき寄ってしまいました
長歌も似たような内容を、同じ表現まで加えて詠まれて、愛しい秘密の妻よと締めくくっていますから、あるいは短歌を元にして、長歌が生みなされたようにも思われます。そうであるならば、やはり音楽や劇などでの使用のために、わざと作られたような気もしますが、私には分かりかねます。
わざわざ瀬々と言うからには、ただ藻が靡くようにではなく、川のすべての藻が、流れによって同一方向に靡くように、全体が愛するあなたに寄っている様子を、表現したと見るべきでしょう。そうなると、可愛らしいどころか、なかなかスケールの大きな、愛情表現のようにも思われます。
この巻は、東国で詠われたとされる、東歌(あづまうた)だけを収めた巻になっています。みやこの貴族なら詠まないような、日常的な内容、庶民的な感覚、ちょっと露骨なエロなどを、方言で楽しめるというジャンルです。もっとも、言葉つき以外は、みやびな短歌と変わらないものも、詩としてきわめて優れた表現になっているものもあり、その精神は多様です。
葛飾(かづしか)の 真間の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の
舟人騒(さわ)く 波立つらしも
上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3349
葛飾の 真間の浦内を 漕ぐ船の
舟人たちが騒いでいる 波が荒れてきたらしい
これなどは、手児奈で紹介した真間(まま)の地名以外は、別に東歌でなくてよいような内容で、漁師らが慌ただしく、声を荒げている様子から、波が荒れてきたことを推し量ったものに過ぎません。四句目の「舟人騒く」によって、現場の臨場感が伝わってくるようで、それが短歌に動的な活力を与えています。
さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり
恋(こ)ふらくは 富士の高嶺(たかね)の 鳴沢(なるさは)のごと
駿河国(するがのくに)の歌 万葉集14巻3358
寝たのは ほんのわずかなのに
恋しさは 富士の高嶺の 鳴沢の響きのよう
ちょっとだけ一緒に寝たものだから、寝る前よりも、なおさら恋しさが高まって、まるで富士山の峰にある鳴沢のよう。鳴沢は、今でも崩落を続けている「大沢崩れ」のことかともされますが、そうであるならば「玉の緒」との対比は、スケール感があって劇的なくらいです。
逆を返せば、デリカシーのない大げさな対比と見ることも可能になりますが、初句と三句を対置しつつ、伝えたい心情の方をより長くして、結句を導くという構成が、様式的であるだけに、安っぽい虚偽のようには響かず、わざと大げさに表現した感はあるものの、歌の風格を保っています。みやこのスタイルを、熟知した詠み方だと言えるでしょう。
多摩川(たまがは)に
さらす手作り さら/\に
なにそこの子の こゝだ愛(かな)しき
上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3373
多摩川に
さらす手作り布の さらさらと
今さらどうしてこの子は
こんなにも愛しいのだろう
多摩川(たまがわ)は、下流で東京都と神奈川県を分かつ川で、布染めには水にさらす行程が必要ですから、そんな布さらしの作業をしながら、「どうしてこの子はこんなに愛しいの」と口ずさんでいるような気配がします。母音の「a」が基調であるものを、「この子のここだ」だけ「o」に支配される発声の面白さも、感じて欲しい所です。
にほ鳥(どり)の
葛飾早稲(かづしかわせ)を にへすとも
その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも
下総国(しもつふさのくに)の歌 万葉集14巻3386
(にほ鳥の)
葛飾の早稲(わせ)を 祭りに捧げる時でも
愛するあの人を 外に立たせたままで
神のために ひとりでこもっていられましょうか
上句は刈り取った早稲(わせ)を、豊穣の感謝として神に捧げる祭りを表わしています。その際、選ばれた女性は、たった独りで家に籠もらなければならないのですが、「愛する人がいるのに、どうして外に立たせて置けるでしょうか」、という内容です。
誰も入ってこれないなら、かえって二人きりになれるチャンスかと、積極的に捉えても面白いかも知れません。それとも、神の代わりにしてしまおうというものでしょうか。学究的に捉えようとすると、苦難の道が待っていそうですが、専門家でさえお茶を濁しているような事柄にまで、私たちが立ち入る必要はありません。
稲つけば
かゝる我(あ)が手を 今夜(こよひ)もか
殿(との)の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
よみ人しらず 万葉集14巻3459
稲を精米すれば
あかぎれの私の手を 今夜もかしら
お屋敷の若旦那が 手に取って嘆かれるのは
「稲つけば」とは要するに精米をすることで、もちろん自分のためではなく労働には過ぎません。そんな私であればこそ、日々の農作業でごつごつした、あかぎれのあるような手なのですが、そんな手を取って、今夜もお屋敷の若旦那が、甘い声で愛をささやいたりなんかしたりしちゃって。てへへっ。
……とまあ、妄想にふけるような内容に思われるのは、このようなシチュエーションの当事者であれば、このような詠み方をしないことを、私たちが無意識に感じ取るからでしょうか。せめて心のなかでは、アイドルに抱かれたいと願う、市井の人が口ずさむような短歌です。
山鳥(やまどり)の
尾(を)ろのはつをに 鏡かけ
唱(とな)ふべみこそ 汝(な)に寄そりけめ
よみ人しらず 万葉集14巻3468
山鳥の
尾ろのはつをに 鏡をかけて
まじないを唱えることによってこそ
お前に寄って来るであろう
(正訳不明歌)
現時点では、解答が出せませんが、なんだか占いの結果か、呪術の勧めのような作品です。しかも迷信や、ちょっとした願掛けくらいではなく、秘術めいた、あるいは黒魔術めいた気配がしますが、「汝に寄そりけめ」というのは、噂などは関係なく、言葉通りの、本来の意味ではないでしょうか。意味は明確には分かりませんが、捨て去れない情念が籠もります。
このような難解な短歌にあたって、いつも腹立たしいのは、私などと違って、触れ合った期間も長く、知識も豊富であろう者どもの解説が、適当なことを述べて済ませている点にこそあると言うべきでしょう。
烏(からす)とふ
おほおそ鳥(どり/とり)の まさでにも
来まさぬ君を ころくとぞ鳴く
よみ人しらず 万葉集14巻3521
カラスという
大うつけ鳥の奴 しっかりと
来もしないあなたを
来たとか鳴きやがって
「ころく」というのも、幾つか説があるようですが、いずれ「来る」の意味が含まれていると思われます。カラスとしては、別にあてもなく「カー」と鳴いたに過ぎないのですが、聞いている方は、あらゆる音を恋人の発するものと信じるくらいに、相手を待ちわびているものですから、とりわけハキハキとしたカラスが鳴きでもしたら、「来た」と信じて飛び出してしまうのは避けられません。するとカラスは馬鹿にしたように、「アホー」と鳴いて去っていく。それで、こんな短歌を詠んだからといって、気が晴れるものではありません。
この巻は、『遣新羅使(けんしらぎし)』の一行が、出発から対馬(つしま)に付くまでの、使節団の旅の和歌という、ユニークな連作物が大部分を占め、その後に中臣宅守(なかとみのやかもり)と狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)の、離ればなれの夫婦同士の、愛情一杯の往復短歌という、二部の連作によってお送りしています。
あしひきの
山路越えむと する君を
こゝろに持ちて 安けくもなし
狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3723
(あしひきの)
山路を越えようと するあなたを
こころに抱いて 穏やかではいられません
連作物の宿命か、佳作くらいならまだしも、秀歌として紹介すべき和歌となると、傷だらけの十五巻ですが、狭野弟上娘子の短歌には、すぐれたものが残されています。といっても、この短歌ではありません。次に紹介する短歌です。こちらは、もう一首くらい紹介しようかという事と、何の華もありませんが、心情を宿したものとしては、簡素に過ぎるこのくらいの表現も、もしあなたが短歌に興味を持ったならば、はじめにめざすべき短歌として、覚えておくのも良かろうと、思いついたからに過ぎません。
君がゆく
道の長手(ながて)を 繰(く)りたゝね
焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
狭野弟上娘子 万葉集15巻3724
あなたが行く
長い道のりを 手繰り重ねて
焼き滅ぼしてくれる
神の火があればよい
一方、こちらは、秀歌と呼ぶに相応しいものになっています。恋の情熱を詠った女流歌人というと、笠郎女があげられますが、彼女の場合は表現技巧をわきまえた、知性と激情の融合が見られますから、今日風に述べるなら、プロフェッショナルな仕事をしますが、こちらはむしろ、思いのあまり自らの表現の、枠を越えてしまったような印象が籠ります。つまりは、他の短歌から、これだけが抜き出ているように感じられるのです。
そうであればこそ、着想の由来となる資料や、行方知れずの本歌(もとうた)があっても不思議ではありませんが、その内容は、あなたが旅行く道を、たぐり寄せて重ねて焼き滅ぼしたら、あなたが目の前にいるというもので、下句の「焼き滅ぼす天の火があれば」という激しくも雄大な表現は、万葉集のなかでもめずらしいくらいです。
我がやどの
花たちばなは いたづらに
散りか過ぐらむ 見る人なしに
中臣宅守(なかとみのやかもり) 万葉集15巻3779
我が家の
花橘はむなしく
散り過ぎるのだろうか
見る人もいないままで
これも、秀歌にあげるべきかといわれると、はてなという気もしますが、せっかくですから相手の男性の和歌も紹介しつつ、やはり狭野弟上娘子の一つ目の短歌のように、もしあなたが短歌を詠みたくなったなら、まずは目標にして欲しい、心情に余計な飾りを加えずに、素直に詠んだ作品として、残しておきたかったものには過ぎません。
とびっきりの着想をめざそうとした短歌は、「とびっきりの着想をめざそうとした」心情として、着飾った表現をもてあそんだ短歌は、「着飾った表現をもてあそんだ」心情として、耳のある人には聞こえるものですから、生真面目に気持ちを伝えるような短歌をこそ、まずは理想としていただけたらと思います。それさえつかみ取れたら、愉快な作品も、お化粧をした作品も、飾り方をわきまえて、素敵に表現できますが、それさえつかみ取れなければ、永遠に言葉のガラクタを、量産するには違いありませんから。
もともと「万葉集」のコンセプトは、この十六巻を持って閉ざされていたようで、全体を閉ざす最後の巻として、これまでのジャンルには当てはまらない、いわば「その他の歌」を収めています。宴の座興に過ぎないような、滑稽な短歌もあれば、仏教的な和歌ではなく、まさに教義としての短歌があったり、興味深い巻ではありますが、あくまでも秀歌の紹介ですので、二つばかり取り上げて行き過ぎます。
『手習ひ歌』
安積山(あさかやま)
影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
浅きこゝろを 我が思はなくに
(陸奥のさきの采女詠む) 万葉集16巻3807
安積山の
影さえ映しだされる 澄んだ山の井のような
浅いこころで あなたを思ってはいません
下手な饗応でふて腐れていた葛城王(かずらきのおおきみ)を、かつて采女だった女性が、この和歌を詠って、愉快な気分にさせたという短歌です。『古今和歌集』の「仮名序」に「歌の父母」とか「手習い歌」であると讃えられ、「難波津(なにわず)の歌」と共に、勅撰和歌集の時代には、きわめて知られた作品でした。
『難波津の歌』
難波津に
咲くやこの花 冬ごもり
今は春べと 咲くやこの花
王仁(わに) 万葉集外(古今和歌集仮名序)
安積山は福島県の郡山市にあるいずこかの山で、上句の序詞は浅い心を喩えているはずなのですが、その情景が魅力的なものですから、否定すべき内容に掛かるようには思われません。それで不思議な感覚に囚われるのですが、あるいはこの短歌は、
安積山
影さへ見ゆる 山の井も
浅きこゝろを 水は思はなくに
安積山の
影さへ見える、山の井ではありますが
水の澄みきった心は
決して浅いものではありません
というようなイメージの上に詠まれたものではないか。そう捉えた方が魅力的というよりは、そのような解釈でもしないと、不思議な感覚が解かれないものですから、ここではそのようにまとめておきます。
人魂(ひとだま)の
さ青なる君が たゞひとり
逢へりし雨夜(あまよ)の はびさし思ほゆ
よみ人しらず 万葉集16巻3889
霊魂の
真っ青になったあなたが たったひとりで
現われた雨の夜の はびさしを思う
(解読困難歌)
万葉集には、せっかくすばらしい傑作でありそうなところを、ユニークな表現過ぎて、現在に至るまで、その詠みが解き明かせていない短歌も、幾つか残されていますが、これもその一つです。巻第十六を修める最後の短歌でもあり、「恐ろしき物の歌三首」のうちの一首ですから、他には類を見ないような、幽霊めいた秀歌でもありそうな所ですが、肝心の結句が解読困難に陥ってしまいました。
もっとも、解読困難のせいで、魅力があるように錯覚せられているだけで、正体が明かされれば、がっかりする可能性も無きしもあらずですが、ここでは不明は不明のまま、このままで覚えて、唱えて見るとあら不思議、あなたも今夜は、「さ青なる君」が、夢に現われるかも知れない。そんな納涼です。
巻第十七から巻第二十までは、大伴家持の越中国守赴任時代を中心とした、彼の個人的な歌ノートの気配で、これまでの万葉集とは、大きく方針が異なります。むしろここから先は、「家持万葉集」とでも、別の名称にしたいくらいです。
新(あらた)しき 年のはじめに
豊(とよ)の稔(とし) しるすとならし
雪の降れるは
葛井諸会(ふじいのもろあい) 万葉集17巻3925
新しい 年の初めに
豊かな稔(みの)りを 予兆するのでしょう
雪が降るのは
もちろん、すべてが家持の和歌ではありません。ただ彼に関連した宴、彼と友好にある知人の作品など、家持を中心に描かれているのが、これ以降の特徴になります。こちらは正月に雪が降った中での、宮中の宴の席で、「この雪は今年の豊作を予告したものでしょう」と詠まれたもの。一番最後に紹介する、家持の「新しき年のはじめの」と比べてみるのも面白いでしょう。
うぐひすの
鳴き散らすらむ 春の花
いつしか君と 手折(たを)りかざゝむ
大伴家持 万葉集17巻3966
うぐいすが
鳴き散らしているようです 春の花を
いつしかあなたと 折って髪に飾りたいもの
さて、雪掻きの歌の後、大伴家持は越中国(えっちゅうのくに)[富山県あたり]の国守(こくしゅ)、つまり朝廷派遣の役人のトップとして、任地に赴くことになりました。大伴池主(おおとものいけぬし)は、その地に勤めていた和歌仲間です。せっかく赴任しましたが、弟は亡くなるし、自らは病に掛かるし、妻は一緒に来てくれないしで、消沈するような気分に、さいなまれていた家持ですが、すべてが良い方へ向かう願いも込めて、挨拶の短歌に委ねたものと思われます。
あゆの風 いたく吹くらし
奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟(をぶね)
漕ぎ隠る見ゆ
大伴家持 万葉集17巻4017
あゆの風が
ずいぶん吹いているようです
奈呉の漁師たちの 釣をする小舟が
波に漕ぎ隠れながら見えています
別に鮎釣の風でもありませんが、赴任地の越中国で東から吹く風を「あゆの風」と呼ぶことが、わざわざ万葉集のなかに、注釈として記されています。今日でも北寄りに吹く風を、同じ名称で呼ぶ地域が残っているよう。もちろん奈呉(なご)も当時の地名で、内容自体はありがちな表現ですが、実際に眺めたよろこびを、素直に記したような好印象がこもります。聞き慣れない「あゆの風」が、結果としてこの短歌を、特別なものと感じさせる要因となっている。ひとつ魅力的な表現が込められると、短歌の印象がぐっと引き締まる実例として、記憶しておくのもよいでしょう。
「鵜を潜(かづ)くる人を見て作る歌一首」
婦負川(ひめがは)の
早き瀬ごとに かゞりさし
八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり
大伴家持 万葉集17巻4023
婦負川の
早い瀬ごとに 篝火を焚いて
多くの鵜飼いたちが 鵜漁(うかり)をしている
こちらも越中の川の名称で、今日の富山県の神通川(じんずうがわ)の一部を指すかとも言われます。大伴家持というと、繊細な表現ばかりがクローズアップされ、武官よりも文官よりの精神を持っていたようすら思われがちですが、このような柿本人麻呂めいた詠みに倣うものもあり、馬上のよろこびを詠った作品、部下を関所に送り込んで、客を帰さないと脅すような短歌も詠んでいて、なかなかに武士(もののふ)の精神も、兼ね揃えたような人物です。
この作品も、「八十伴の男は」という四句目に、戦でも始めるような気配が込められて、瀬という瀬にかがり火を焚いて、出立を控える兵団の印象が、鵜飼いに移し替えられている様相です。そうでなくても、繊細な描写によってデリケートな心情を表明するのとは正反対のもの、わざと大枠を描き出すことによって、全景を描き出すような壮大さが感じられ、「憂いの和歌」などとはスタイルからして違って来ます。真の巧みと言うべきでしょう。
ひと本(もと)の
なでしこ植ゑし そのこゝろ
誰れに見せむと 思ひそめけむ
大伴家持 万葉集18巻4070
ひと株の
なでしこを植えた その心は
いったい誰に見せようとして
思い立ったものだと言うのでしょう
酒宴の客への挨拶の短歌です。
梅の宴でも開かれたときに、この梅を誰のために植えたと思うのですか、なんて挨拶はありがちですが、大量の花を恋人でもない相手のために、本当に植える訳はありませんから、社交辞令の気配に増さります。ですが、ひと株くらいですと、本当に誰かが来るのに合せて、わざわざ植えても差し支えが無いように、私たちの日常感覚から類推して、聞き手は感じてしまいます。それで挨拶の短歌としても、真心がこもるように思われますから、社交辞令以上のものに感じられます。
しかもこれは、春に詠まれたものです。いったい誰に見せようと思って、撫子(なでしこ)を植えたと思っているのですという着想は、しばらく留まっていればよいのにという心情を宿したものとして、挨拶の例文集などは参考せずに、特別なあなたのために練り上げられた短歌のようで、ありきたりの挨拶短歌を凌駕(りょうが)します。送られた側としては、うれしい言葉のプレゼントになったのではないでしょうか。
「宴席に雪月梅花(せつげつばいくわ)を詠む歌一首」
雪の上に 照れる月夜(つくよ)に
梅の花 折りて贈らむ
はしき子もがも
大伴家持 万葉集18巻4134
雪の上を 月が照らす夜に
梅の花を 折り取って贈るような
愛おしい恋人がいたらよいのに
「雪月花(せつげっか)」あるいは「月雪花(つきゆきはな)」というと、白居易の詩が知られていますが、日本においての元祖は、白居易など生まれる前の大伴家持のこの和歌です。これも家持の得意な、人工的に仕立てられた舞台の上に、思いを委ねるような短歌ですが、せっかくの場景も、恋人がなければ完成しないというプロットをもとに、恋人を願う心情へと返しています。
『暮に春苑(しゅんえん)の桃李を眺めて作る歌二首』
春の園(その)
くれなゐにほふ もゝの花
した照(で)る道に 出で立つをとめ
大伴家持 万葉集19巻4139
春の園に
くれない色に 映える桃の花が
下を照らすような道に
立ち現われた少女よ
人工的な舞台装置になされた秀歌としては、おそらくこの短歌がトップに来るのではないでしょうか。あまりにも用意周到に構築された情景に、少女を登場させるものですから、リアルな実景をもとに詠まれたものとは思われず、そこが「リアルな実景に基づく」作品だけが短歌であると、思い込むような狢(ムジナ)どもが、柿本人麻呂などの作品よりも、大伴家持を軽視する所以(ゆえん)でもあるようです。
めざすべき価値観が異なるだけで、いただきの異なる秀歌には過ぎませんし、人工的な舞台の台詞が、日常に返されたからといって、興を削がれるどころか、むしろ素敵な表現になることを考えれば、この短歌もまた、人工的な詠まれ方をしてはいるものの、実際の桃園などで唱えられた時の喜びというものは、宇治川を眺めて「ゆくへ知らずも」と詠うときの感興と、心情のベクトルは異なるものの、優劣を付けられたものではありません。またこのような作品は、柿本人麻呂に詠めたものではないのも事実です。
我が園の すもゝの花か
庭に散る はだれのいまだ
残りたるかも/残りてあるかも
大伴家持 万葉集19巻4140
私の園の 李(すもも)の花だろうか
それとも庭に散った はだれ雪がいまだに
残されているのだろうか
勅撰和歌集の時代になると、この種の着想は、みんな梅と桜に集約されがちなので、むしろ「李の花(すもものはな)」などは清新な感じがします。ここでは庭が、まだらに白く敷かれているのは、花が散ったせいなのか、それとも「はだれ雪」が残っているのだろうか、と疑ったという趣向で、三句目の「庭に散る」が、上句にも下句にも掛かる、二つの対象物の分岐点の役割を担っています。これによって、継続性と対比のバランスが保たれて、様式を整えるという戦略です。
さらにこれによって、最近雪が降ったような印象がこもりますから、李の花の散ったのを雪に喩えたにすぎないのか、雪を花に見立てたのか、ちょっと分からないような感覚に陥ります。実はそれが作戦で、この表現によって、
[雪が残っているのを李の花の散るのに見立てた]
[実際に雪も残っているし、李の花も散り始めている]
[散り敷かれた花を、まばらな雪に見立てた]
という、いずれの状況とも、明確に定めがたくしているようです。
ですから、聞き手は焦点を定めようとすると、どちらが詠まれた実景に近いのか、心地よく詩に酔いしれるように、何度も唱え直しては、浮かべたイメージのうちにまどろむような感覚に囚われます。それを単純にまとめれば、「余韻(よいん)」、あるいは中世の歌人であれば「余情(よじょう)」とでも述べるでしょうか。さらに一方では、たとえ散った花びらにしても、敷き詰めたものではなく、まばらな雪のようであり、枝がスカスカでは、そもそも散ったことが明白になってしまいますから、まだ十分に、李の花は咲き誇っているような印象です。つまりは、どのようなシチュエーションを描いても、李が美しく咲いているというイメージだけは、まったくぶれない訳です。
結論を述べれば、詠み手が李の苑の夕暮の光景で、まばらに敷かれたものは雪であろうか、それとも花びらであろうか、と疑惑を感じながら、いつまでも答えを出せずに、それでいてその情景に対しては、咲き誇る花の美しさに囚われているような心情そのもの。そのとりとめもないような、迷える詩興のようなものを、聞き手も共有させられることになります。そうであるならば、その詩興を私たちは楽しめば良いのであって、実際の状況を定めようとするような、文字通りの興ざめを引き起こすような考察は、詩を解さない屁理屈家にでも、任せておけば良いでしょう。
「かたかごの花をよぢ折る歌一首」
ものゝふの
八十娘子(やそをとめ)らが 汲(く)みまがふ
寺井(てらゐ)の上の かたかごの花
大伴家持 万葉集19巻4143
(もののふの)
沢山の娘らが 汲み交わしている
寺の井のほとりの かたくりの花
「かたかごの花」は「カタクリ」の花のことで、賑やかなむすめらの華のある情景に、そっと咲き誇る花の情景を加えたようなもので、どちらの対象物にも、詠み手の好奇心が向けられているのが特徴です。そしてもちろん結句の、焦点を定めた「かたかご」の方へ、より強い心情が委ねられていると見るべきです。
「川をさかのぼる舟人の唄をはるかに聞く歌一首」
朝床(あさとこ)に
聞けば遥(はる)けし 射水川(いみづかは)
朝漕ぎしつゝ 歌ふ舟人
大伴家持 万葉集19巻4150
朝の寝床で
聞いていると遙かな 射水川に
朝船を漕ぎながら 歌っている船頭の声
射水川(いみずがわ)は、富山湾に注ぐ小矢部川(おやべがわ)の事で、この川名を軸に、上句では自分側を、下句では川行く舟を描き出す。「かたかご」のきめ細かい描写とはうって変わって、素朴に「朝」を繰り返して、双方の開始の韻を踏む。むしろ、柿本人麻呂が地名を利用して、雄大に描くときの様式が感じられますが、この巻第十九における家持は、どんな詠み方も自らの手のひらで、自由に操れるような巧みが見られ、これまでの自らの作品からも、さらに抜き出たような印象です。あるいはこのまま詠み続けたら、和歌の歴史も、変わっていたかと思われるくらいですが、次巻を最後に、彼の和歌は消息を絶ってしまいます。あるいは遊びのシーズンは終わったという事でしょうか。それとも残されていたはずの和歌は、死後の犯罪者の汚名と共に、闇に葬り去られてしまったのでしょうか。残念なことではあります。
唐人(からひと)も
いかだ浮かべて 遊ぶといふ
今日そわが背子 花かづらせよ/な
大伴家持 万葉集19巻4153
唐人も
いかだを浮かべて 遊ぶという
今日ですよ皆さん 花かづらをかざしましょう
こちらは、挨拶の和歌に相応しく、その場で語りかけたような詠まれ方です。この宴は、「曲水の宴(きょくすいのうたげ)」と呼ばれるもので、さかずきを水に浮かべるところに、特徴があるようです。本来は、唐人からもたらされた行事ですが、ここでは完全に、異国情緒を醸し出す小道具として、唐人は利用されているようです。「今日そ」で切れて、「わが背子、花かづらせよ」と言い直しますから、様式的な切れと、実際の切れとがずれる方針も、日常の語りかけに近づける効果として使用されています。即興的な体裁を取っていますが、もとより即興で詠えるようなものではなく、予作(よさく)されたものと思われます。
ところでこの曲水の宴は、平安時代に入ると、盃を流して、それが流れ来る前に、和歌を詠むような行事へと発展していきますが、家持の時代にどのような行事が行なわれていたのか、詳細は不明です。今日の「ひな祭り」の遠きルーツになり得るかどうか、三月三日の祭りの関連性もまた不明瞭で、歴史の狭間に、消えゆく事柄の多さに驚かされます。
「筑紫の大宰(ださい)の時の、
春苑梅歌(しゆんゑんばいか)に追和(ついわ)する一首」
春のうちの 楽しき終(をへ)は
梅の花 手折(たを)り招(を)きつゝ 遊ぶにあるべし
大伴家持 万葉集19巻4174
春のあいだの 楽しい過ごし方は
梅の花を 折って皆を招待して 遊ぶことではないでしょうか
家持というと、『春愁三首』のような、デリケートな表現ばかりがクローズアップされがちですが、このような挨拶を兼ねた和歌にこそ、秀でた歌人でもありました。即興的に喜びを表明した印象はそのままに、他の歌人たちの類型的な表現とは異なる、こだわりのある表現として、挨拶をまっとうしています。「終へ」はあるいは、一日の終え方、つまり過ごし方でしょうか。父親である大伴旅人の「梅の宴」の和歌の表現を踏まえて詠まれた、「本歌取り(ほんかどり)」になっていますから、純粋な挨拶歌ではなく、宴の席でよろこびを表明するように、創作された短歌です。
あるいはこの短歌は、『万葉集』を編纂しながら「梅の宴」を眺めていうるうちに、自分も詠んでみたくなったものでしょうか。純粋な創作欲による作品と受け取れる作品も、これだけ掲載数が多ければ当然なのかも知れませんが、大伴家持の特長だと言えるでしょう。
たこの浦の
底さへにほふ 藤波を
かざして行かむ 見ぬ人のため
内蔵縄麻呂(くらのなわまろ) 万葉集19巻4200
たこの浦に
映し出された底まで照り映えるような
すばらしい藤波を
髪にかざしてゆこう
見られなかった人のために
たまには、別の人の和歌。
分かりやすい内容ですが、湾の底まで照り映えるという、ちょっと大げさな虚偽が、見ない人にかざして行こうという気分にマッチします。なぜなら、実際に眺めていない人に、そのすばらしさを伝えるためには、藤が何本あって、斜め四十五度に浜の方から日差しが指して、などと具体的に説明しても、ちっともその印象は伝わりません。かえって、このような大げさな虚偽の方が、はるかにリアルに、その情景が浮かんで来るのは、伝え手の思い描いたイメージの分だけ、眺めた時のよろこびが受け取れますから、それを糧として、自らのイマジネーションを膨らませるからに他なりません。つまるところは、写真を見せられるよりも、かえって「本当に太陽にきらきらしててさあ、波が風になびくんだよ風に」などと、懸命に伝えるその表情から、かえって美しい情景が、思い描けるような、人の性によるものなのかも知れませんね。
そんな訳で、見ない人へのお土産としての和歌としては、
ちっとも虚偽などなってはいないと言えるでしょう。
石瀬野(いはせの)に
秋萩しのぎ 馬なめて
初鳥猟(はつとがり)だに せずや別れむ
大伴家持 万葉集19巻4249
石瀬野で
秋萩を踏みつけて 馬を並べての
初の鷹狩りすらも せずに別れようとは
これも、センチメンタルの系譜とは異なり、初期万葉に見られるような、硬派な印象を込めたものと思われます。「初鳥猟すらせずに分かれてしまった」と事実を提示して、そこに無念を込めただけですから、いさぎよいような残念で、じめじめした所がありません。初鳥猟は晩秋頃から始まる、今期初めての鷹狩りの事ですから、二句目の「秋萩しのぎ」ともよく馴染み、別れの時期まで明白にさらします。
松かげの
清き浜辺(はまへ)に 玉敷かば
君来まさむか 清き浜辺に
藤原八束 万葉集19巻4271
松の影の
清らかな浜辺に 玉を敷き詰めたら
あなたはおいでになられるでしょうか
この清らかな浜辺に
こちらは別人の短歌。
家持の短歌を並べた後では、ちょっと低調に響いて来ますが、単純な着想に、強調すべき言葉を二度繰り返して、様式を整えるような、この位の短歌こそを、もしあなた方が短歌を詠みたくなったら、まずは挨拶の手本にしてはいかがでしょうか。それくらいの紹介には過ぎませんでした。
春の野に 霞たなびき
うら悲(がな)し この夕影に
うぐひす鳴くも
大伴家持 万葉集19巻4290
春の野に 霞がたなびいて
もの悲しい この夕暮の光に
うぐいすが鳴いている
影とは実体に対するもので、太陽や月の実体に対するものは、光そのものですから、月影といえば、月光のことで、日影も本来は、太陽の光を指します。この夕影もまた、夕日を指していますから、霞のたなびく春野の夕日に、うぐいすの声が聞こえている。それが美しいのでも、うれしいのでもなく、「もの悲しい」と置いた心情は、複雑なものを感じさせますから、なるほど繊細な表現者と見なされるのは、もっともなことかと思われます。
一方では、「もの悲しい」と言われてみれば、もの悲しい気もするような光景には過ぎませんから、詠み手へのシンパシーと共に、わたしたちもまた、もの悲しい気分で、情景を思い描いてしまう。それはつまり、作品に引き込まれたという事に他なりません。
我が宿の
いさゝ群竹(むらたけ) 吹く風の
音のかそけき この夕へかも
大伴家持 万葉集19巻4291
私の家の
わずかな群竹に 吹く風の
音さえかすかな この夕べです
もっとも大切な表現は四句目の「音のかそけき」で、この有るか無いか分からないような風の響きが、そのままわずかな竹の群れへと返されますから、さわさわと葉の触れ合う響きが、するかしないかの印象が、夕暮の庭に浮かびます。つまりはそれが、詠み手が眺めている光景ですから、心が動きそうで動かないようなイメージを、聞き手も共有してしまい、作品に引き込まれてしまうようです。
うら/\に
照れる春日(はるひ)に ひばり上がり
こゝろ悲しも ひとりし思へば
大伴家持 万葉集19巻4292
うららかに
照る春の日に ヒバリは上がり
こころ悲しいもの
ひとりもの思いをしていると
後書に、うぐいすが鳴いている中で、晴れない気持ちを晴らすために詠んだとあります。うぐいすは、期待されている時は良いのですが、春も大分過ぎた頃には、ひっきりなしに鳴きまくったりしますから、あるいはヒバリの声もしていたかもしれませんが、ぼんやりしている時は、うぐいすの声ばかりが、頭に響いていたのではないでしょうか。
そこに、ぱっとヒバリが舞い上がり、せわしない鳴き声も、うぐいすが背後に沈んで、急に耳に飛び込んで来たのですが、それもほんの一瞬のこと、ヒバリは声もろとも空へと消えてしまった。それで、今まで物思いをしていた心情が、いったん途切れて、また想い出されたときに、一層「こころ悲しい」ものとして、心象に再提示されたものと思われます。
ですから、ヒバリが上がった瞬間を詠んだものではありません。うらうらな春日に、とりとめもなく逡巡していた、晴れることのない心情が、一瞬ヒバリによって断ち切られ、また物思いへと返る、その刹那の心情として、「心悲しも」という表現は、捉えられたものと思われます。もちろんヒバリのようには、空へと飛翔できない、自らの屈託も込められているでしょう。
我が妻は いたく恋ひらし
飲む水に 影(かご)さへ見えて
よに忘られず
若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ) 万葉集20巻4322
愛しい妻は 強く恋慕っているらしい
飲む水に その姿さえ映し出されて……
なおさら忘れられない
家持が、難波(なにわ)に集結する防人の監督を務めた際に、防人達の詠んだ和歌が集められました。それが「防人の歌(さきもりのうた)」です。これには、防人達の実情をリサーチするという、職務上の意味も兼ねていたともされますが、詳細は不明です。防人は東国から徴収されるものですから、東歌(あずまうた)同様、方言の耳に付く、日常感覚に寄り添ったような作品が、幾つも収められているのが特徴で、文芸としての和歌というよりは、日常的心情に基づく和歌を垣間見ることが出来る、貴重なジャンルにもなっているようです。
「恋ひらし」「影(かご)」など、通常の表現と異なっているのは、つまりはそれが方言で、これは軽いものですが、ちょっと聞いたくらいでは、古語に慣れていても、意味が不明瞭なものさえ存在します。万葉集の特徴として、相手が夢やまぼろしに登場するのは、自らの思いが強いというよりも、相手が一生懸命に思っているから、自分の所に現われたと捉えられたようで、この短歌なども今日なら、「お前が思ってるんだろ」と突っ込まれてしまいそうですが、水を飲むときすらも、愛する人の姿が浮かぶのを、妻が案じているのだろうかと心配している。どっちが忘れられないのか、ほとんど一心同体の気配です。
『防人(さきもり)の歌』
からころも
裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
置きてそ来(き)ぬや 母(おも)なしにして
他田大島(おさたのおおしま) 万葉集20巻4401
唐風(からふう)の衣(ころも)の
裾に取り付いて 泣く子どもたちを
残して来ました 母もいないのに
もちろん、育てる人がいないという訳ではありませんが、母を亡くして、自らが中心となって育ててきた、まだ「わあわあ」鳴くような子供を、置き去りに徴兵されたという内容です。山上憶良は下々を眺めることによって、貧者を憐れみましたが、こちらは当事者として、やはり子供のことを詠んでいます。
内容が真摯なばかりでなく、枕詞のような「からころも」の用法。倒置によって「母なしにして」と最後にとりまとめる方針など、様式的に優れたところがあり、秀歌としての条件を兼ね揃えた短歌にもなっています。ということは、当事者の生の声という訳ではなく、あるいはやはり推し量って詠まれた可能性も、大いにありそうな短歌ではあります。もちろんそうだとしても、作品としての真実性には、傷がつくものではありません。
防人(さきもり)に
行くは誰(た)が背(せ)と 問ふ人を
見るがともしさ 物思(ものも)もせず
(前年の防人の秀歌) 万葉集20巻4425
防人に
行くのは誰の夫ですと 尋ねる人を
見ているとうらやましい
物思いもしないで……
こちらは、先ほどの作品よりはやや散漫ですが、「今回は誰が選ばれたのかな?」なんて、気楽に問いかけられる立場にある人がうらやましい。倒置法を使用して、「もの思いもしないで」と閉ざしますから、割り切れないような心情が、余韻のように残されます。着想に類型的でない、ユニークな状況が描かれているのも、この作品の価値を高めていますが、これは前年の秀歌として、家持に紹介されたもののようです。
『玉箒(たまばゝき)をたまひての宴の時』
初春(はつはる)の
初子(はつね)の今日の たまばゝき
手に取るからに 揺(ゆ)らく玉の緒
大伴家持 万葉集20巻4493
初春を迎えて
初子の日である今日の 玉箒は
手に取る途端に 玉が鳴り揺れます
「防人の歌」を過ぎれば、
長かった『万葉集』も、最終楽章のコーダです。
「玉ばはき」は玉の付いた箒(ほうき)で、これはお正月を飾るための、お飾りの一つです。暦が改まり、初めての子(ね)の日には、「初子(はつね)」の宮中行事が催されていたのですが、その宴のために、家持が準備しておいた短歌です。
残念ながら、仕事の都合で出席出来なかったようですが、手にすれば鳴り響く玉の印象が、おめでたくも正月を祝福するような印象で、ここまで練り上げられた短歌ですと、もはや挨拶の歌というよりは、「挨拶の歌」をモチーフにした、完全な芸術作品の様相です。恐らく歌人としての大伴家持の悲劇は、同レベルの歌人たちが、最高の作品にしのぎを削るような、『新古今集』のような時代に、生まれなかったことにあるのではないでしょうか。少なくとも『万葉集』だけを眺めていると、そのような気持ちにさせられます。
『天平宝字三年春、正月一日に、因幡国の庁(ちやう)にして、
饗(あへ)を、国郡の司(つかさ)らにたまふ宴の歌一首』
新(あらた)しき
年の初めの 初春(はつはる)の
今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
大伴家持 万葉集20巻4516
新しい
年の初めの 初春の
今日降る雪の
しきりに積もれ 良きことよ
越中から都に戻って、防人の監督も務めた家持が、今度は因幡国(いなばのくに)の国守として、就任先のお正月の挨拶をもって、『万葉集』は全二十巻を閉ざします。その内容は、年始に降る雪に、一年の慶(けい)を委ねるというもので、巻を閉ざすのに相応しい短歌です。
というのは、結果としてそう見えるだけであって、あるいは因幡国就任時代には、「巻第二十一」のための資料のようなものが、存在しなかったかどうか、分かったものではありませんが、残念ながらこれを最後に、彼の和歌の足取りは、行方知れずになってしまいます。恐らくそれは、この万葉集そのものが、運良く残されなかったら、彼や柿本人麻呂、あるいは額田王などの歌人としての存在が、ほとんど消えて無くなってしまうのと、同じようなものですから、あるいはこれ以降も、何らかの和歌が、詠まれていたのだろうとは思われます。
けれどもはや、それはつかみ取れない蜃気楼。
せめてわたしたちは、これだけの和歌が残されたことに、
感謝を捧げて納めましょうか。
それでは失礼致します。
(をはり)
2016/08/17