万葉秀歌集 解説版その三

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万葉秀歌集 解説版その三

巻第七

 巻第六までは、年代順的配列によって和歌を紹介してきましたが、巻第七から巻第十二までは、各種歌集や知られた歌などから、集められた万葉時代の和歌を、
     巻第七 ⇒よみ人しらずの「雑歌」「相聞(比喩歌)」「挽歌」
     巻第八 ⇒よみ人ありの「四季」
     巻第九 ⇒よみ人ありの「雑歌」「相聞」「挽歌」
     巻第十 ⇒よみ人しらずの「四季」
     巻第十一・十二 ⇒よみ人しらずの「相聞」
と分類したものだと、捉える事が出来るかも知れません。それでまずは、歌い手の不明な三大ジャンルの紹介になります。

雑歌

天(あめ)を詠む

天(あめ)の海に
  雲の波立ち 月の舟
    星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1068

天空の海に
  雲は波となって立ち 月の舟が
    星々の林のなかを 漕ぎ隠れるのが見える

 巻第七の巻頭を飾りますから、編者としては、特別な思い入れがあったかも知れません。天空を渡る月を「月人壮人(つきひとおとこ)」と詠む、スケールの大きな擬人法は、万葉集に何首か見られますが、ここでは「天空」「雲」「月」「星」と並べて、海行く舟に委ねていますから雄大です。

 舟の印象から、あるいは月は上弦の月くらいを指すのでしょうか、「星の林」という印象が、ちょっと捉え難い所ではありますが、これもまた、「海に波立ち、舟が林に漕ぎ隠れるのが見える」という、木々のこちら側から、向こうの海を眺めたような印象を、空に移しかえたものかも知れません。

雲を詠む

あしひきの
  山川(やまがは)の瀬の 鳴るなへに
    弓月が岳(ゆつきがたけ)に 雲立ちわたる
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1088

(あしひきの)
   山川の瀬が 鳴り渡るなかに
     弓月が岳に 雲が立ち渡っていく

 弓月が岳は、奈良県桜井市にある巻向山(まきむくやま)の峰のひとつ。そこに雲が立ち渡って見えるのは、上流に雨が降るからで、山川の瀬が激しくなるのも、やはり同じ理由であるから、三句目に「鳴るなへに」つまり「鳴るのに併せて」とまとめている。やはり自然の大きな活力にあふれます。

摂津(つのくに)にして作る

しなが鳥(とり)
   猪名野(ゐなの)を来れば 有間山(ありまやま)
 夕霧立ちぬ 宿りはなくて
          よみ人しらず 万葉集7巻1140

(しなが鳥)
   猪名野へと来れば 有間山に
 夕霧が立ちのぼる 宿る所はないままで

 猪名野(いなの)は、兵庫県の猪名川(いながわ)が流れる平野部で、有間山は有馬温泉(ありまおんせん)付近とも、「六甲山」を指したとも言われます。宿もないまま夕霧が立ったので、そこで野宿をしようというものですが、霧に包まれ、詠み手以外、人の気配もないので、ポツリとした気分にさせられます。それでいて、結句の宿りが無いことは、旅の危機という感じではなく、孤独な状況を強調しているようで、情景と心情のバランスがよろしいようです。

羈旅にして作る

志賀(しか)の海人の
  潮焼くけぶり 風をいたみ
    立ちは昇らず 山にたなびく
          (古集) 万葉集7巻1246

志賀島(しかのしま)の漁師らの
  塩を焼くけむりは 風が強いので
    真っ直ぐには昇らずに
  山の方へ棚引いていく

 福岡県福岡市東区の志賀島(しかのしま)は、志賀海神社(しかうみじんじゃ)という航海を治める神社があり、海の一族である阿曇氏(あずみうじ)によっても知られます。つまりはちょっとひなびた漁村に、漁師が作業をするくらいではなく、全体が海人(あま)の島であり、なかなかに活気のある様相を呈していたのかも知れません。

 そんな志賀島の製塩は、よく知られたもののようです。潮焼くというのは、「藻塩焼く(もしおやく)」と表現されることもありますが、あるいは海藻を焼いた塩灰から、塩を生成したものかともされています。(あくまでも一説です。)その製塩の際のけむりが、島だけに風に支配されがちで、真っ直ぐに昇らずに、山の方にたなびいている。製塩業であれば、なかなかに大々的で、細々としてけむりではないかも知れませんが、生活感を離れた、旅人の目線が、この短歌の味わいです。

旋頭歌

この岡に
  草刈るわらは なしか刈りそね
    ありつゝも
      君が来まさむ/来まして 御馬草(みまくさ)にせむ
          よみ人しらず 万葉集7巻1291

この岡で
  草を刈る子どもよ そんなに刈らないでね
    刈らないでおいたって
      あの人がやってくるんだから
        馬の餌にしましょうね

 これは、個人の創作としての詩としては、表現が異質ですから、「記紀歌謡(ききかよう)」[「古事記」「日本書紀」に治められた歌の部分]や、民謡などから取り込まれたもののように思われます。意味は分かりますが、なんとなくこれだけでは腑に落ちませんから、前後関係が歌の外に存在する気配です。かといって、草を刈る子供に、そんなに刈るなという理由を、あの人が来た時の馬の餌にするのという発想は、ユーモアと愛情が入り交じって、おだやかに薄められたようなカフェの香りに、聞いている方をいざなうようで、不思議な魅力の籠もる作品です。

比喩歌(ひゆか)

「比喩歌」というのは、和歌自体の意味とは別のことを、裏に宿した詠み方で、例えば内容は「さくらの花」を詠んでいるに過ぎないのに、裏に込めた思いとしては、桜を恋人に見立てているような遣り方で、特に恋歌に好まれたジャンルになっています。

草に寄する

月草(つきくさ)に 衣(ころも)は摺(す)らむ
  朝露に 濡れての後は
   うつろひぬとも
          よみ人しらず 万葉集7巻1351

月草で 着物を摺り染めにしよう
  朝露に 濡れた後には
    色あせてしまったとしても

 月草は「ツユクサ」のことで、これで着物を染めても、すぐに色が落ちてしまうことから、たとえ翌朝の露に濡れて色が変わってしまっても、それでも月草で着物を染めましょうと詠んでいます。まさか、売り逃げの悪徳商人でもありませんから、その意図するところは、すぐに気持ちが移ってしまうようなあなたでも、わずかの間でも染まりたい、一夜を共にしたいというのが、「比喩歌」としての読み取り方になります。

藻に寄する

潮満てば
  入りぬる磯の 草なれや
    見らく少なく 恋ふらくの多き
          よみ人しらず 万葉集7巻1394

潮が満ちれば
  隠れる磯の 草のように
    見られることは少なくて
  恋しさばかりが募ります

 こちらも、海の岩礁のあたりの海藻が、ちょっと潮が満ちてくると隠れてしまうものですから、見ることは少なくて、見たい思いばかりが募りますと詠んでいます。なんでまた、海藻なんかを慕うのかと思いきや、裏の心情としては、ちょっとしか逢えない相手を、恋しがる心情が委ねられている。それだから「比喩歌」という訳です。

巻第八

 よみ人の分かる「四季」に分類されるべき短歌を収めています。春夏秋冬をさらに「雑歌」と「相聞」に分けて、八部に選別していますから、その構成は明白で、詠み手が分かっているだけに、紹介する方もされる方も、取っつきやすい巻かと思われます。

春雑歌

石走(いはゞし)る
  垂水(たるみ)のうへの さわらびの
    萌え出(い)づる春に なりにけるかも
          志貴皇子 万葉集8巻1418

岩をほとばしり
  流れ落ちる水のほとりの ゼンマイが
    芽生え出る春に なったものですね

  巻第八の巻頭歌。
 やはり巻頭というものには、編者としても思い入れが籠もるようで、優れた秀歌が、選ばれることが多いようです。これもよく知られた作品で、万葉集の読者アンケートでもあれば、毎年十位以内に入りそうなくらいですが、岩を走り落ちるように、ほとばしり流れる渓流のほとりのさわらびが、芽生え出る春を喜んだもの。一気呵成に、淀みのない言葉の活力それ自体が、春の息吹を感じさせるようです。さわらびは、時期的に噛み合わず、ゼンマイのことかともされますので、それに従います。

春の野に
   すみれ摘みにと 来し我そ
  野をなつかしみ ひと夜寝(ね)にける
          山部赤人 万葉集8巻1424

春の野に
  スミレを摘みに来た私ですが
    春野がしたわしいものですから
  そこで一夜寝てしまいました

 こちらは、今の私たちでは、馴染まない感覚かもしれませんが、草を枕に寝るのに慣れていた当時の人たちには、すみれ畑が心地よくて、今夜はここで寝ようという感慨は、決意を新たにする程のこともない、さらりとした心情だったのかも知れません。ただし、当時の人たちが実際にどのようなスタイルで、野宿などを行なったものか、詳しいことはよく分かってはいないようです。狼などはあまり人を襲わないようですが、野犬なども多かったでしょうし、どのように危険から身を守っていたのか、気になるところですが、気楽なごろ寝が出来るように感じるのは、かえって今日の、平和ぼけの感情には過ぎないのかも知れません。

 ただいずれにせよ、野宿慣れしているのは確かですから、この短歌の気持ちもまた、すみれ畑に寝転ぶくらいの気楽さで、それが春になったからこその心情とマッチして、心地よく響く訳です。

我が背子に
  見せむと思ひし 梅の花
    それとも見えず 雪の降れゝば
          山部赤人 万葉集8巻1426

あの人に
  見せようと思った 梅の花でしたが
    見分けが付きません
  真っ白な雪が 降りましたから

 我が背子は、男性に向けての呼びかけですから、女性として詠んで見せたか、同性を恋人に見立てたものになります。(特にちょっとへりくだった挨拶には相応しい方針ですから、しばしば行なわれました。)雪でせっかくの梅が、見分けも付かなくて残念なのはもちろんですが、梅を口実に誘い出そうと思ったあなたが、来れないことを残念がる。重なる残念の効果が、心情を複雑なものにしていますが、描写された情景が美しいものですから、心情は切実には響きません。それで情景の影から、豊かな心情がにじみ出るようになって、魅力的な短歌に感じられるという仕組みです。

明日よりは
   春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
 昨日も今日も 雪は降りつゝ
          山部赤人 万葉集8巻1427

明日から
  春菜を摘もうと 標(しめし)をした野でしたが
    昨日も今日も 雪が降り続きます

 こちらは、明日から「春菜摘み」をしようと、しるしを付けておいたのに、明日という希望は、昨日も今日も雪が降って、冬ごもりが継続しているという現実によって、打ち砕かれるという内容です。春菜とか、若菜と言っても、今日「春の七草」と言われるものはずっと後に定められたもので、『万葉集』の「春菜」が何を摘んだかは、詳細は明らかではありません。あるいは、栽培された蕪(かぶ)、つまり「アヲナ」などを摘むものかともされているようですから、偶然生えている雑草を摘む摘むものではなく、「標(しめし)をした野」という印象に、相応しいものだったのかも知れません。

 もちろん新春の行事ですから、すでに年が改まって、新年に春への期待を込めて準備をしたものと思われますが、同時にもっとも雪の多い時期でもありますから、菜摘など出来ないくらい、雪が降りしきっているというものです。それがちっとも残念に響かないのは、これは山部赤人の特長でもありますが、「しめし野」に雪が降りしきる様子の方が、素敵な情景として、感興を催すからに他なりません。

かはづ鳴く
    神(かむ)なび川(かは)に 影見えて
  今か咲くらむ 山吹の花
          厚見王(あつみのおおきみ) 万葉集8巻1435

蛙の鳴く
  神のおわします川に 影を映して
    今頃咲いているだろうか 山吹の花は

 こちらは、おそらくカジカガエルが鳴いているのに心引かれて、川を眺めますと、水面に影を映して、山吹が咲いているという情景です。それだけでも魅力がこもりますが、実際に眺めたスケッチではなく、そのようにして今頃山吹が咲いているだろうか、と推察に委ねたところが凝っています。それだけ鮮やかな情景を思い描くほど、詠み手が山吹に憧れているという、心情と場景が相互に深め合うような印象で、おまけに二句目のせいで、神聖な響きもしますから素敵です。

春の野に
   あさる雉(きゞし)の 妻恋(つまご)ひに
  己(おの)があたりを 人に知れつゝ
          大伴家持 万葉集8巻1446

春の野に
   あさる雉(きじ)が 妻を求めて
  自分の居るあたりを 人に知らせているよ

 こちらは、わざわざ自分の場所を、人間に知らせているという下句の描写から、ただ雉の居場所が発覚するくらいではなく、妻を恋い慕うあまりに、狩猟のターゲットになることすら顧みないという、恋しさのあまり理性を無くした行為を、詠んだものと思われます。

 ただ、それに対する詠み手の思いが、浅はかな奴めという軽蔑なのか、果敢な恋だという同情なのか、恋とはそんなものだという哲学なのか、何一つ表明されていませんから、ただ事実としての景観だけが残される。すなわち詠み手の何らかの心情を、永遠に推し量り続けながらも、叙景詩に留まっているという作戦です。

夏雑歌

神(かむ)なびの
  磐瀬(いはせ)の社(もり)の ほとゝぎす
    毛無(けなし)の岡(をか)に いつか来鳴かむ
          志貴皇子 万葉集8巻1466

神のおわします
   磐瀬の森の ほととぎすは
 毛無の岡に いつになったら来て鳴くだろうか

 場所はどちらも不明ですが、もし「毛無の岡」が「はげ山」のようなものを指すのであれば、あるいは来ないことを承知で、このように詠まれたようにも感じられます。もちろん単純に、自らの家の近くにある「毛無の岡」には、いつになったら来るのかと嘆いているようにも思われ、つまりはそれ以上の解釈はつきません。

 もし戦などで乱された、この荒れた岡に、いつしか緑が戻り、やがてほととぎすが鳴きますように。そんなロマンチックな短歌であれば、ちょっと驚異的な作品になりますが、残念ながらしばしば見られる、あちらのホトトギスは、いつになったらこちらに来るのか、というパターンには過ぎないものかと思われます。でも、鑑賞者である私たちは、その程度のメルヘンを込めても、身に添うくらいの愉快です。

恋しけば
  形見にせむと 我がやどに
    植ゑし藤波 今咲きにけり
          山部赤人 万葉集8巻1471

恋しい時の
  あの人の形見にしようと 私の家に
    植えた藤波が 今こそ咲くのです

 山部赤人というと、叙景に優れた作品を残す歌人とされ、決して間違いではありませんが、この作品のように、深い心情を宿した短歌も残しています。とはいえ、「恋しけば」が何を指すのか、具体的には示してはいないのですが、わざと自分の家に植えた藤が「今こそ咲きました」という結句から、まるで「恋しい時の形見にする」しようという意図まで、一緒に咲いた、つまり成就したような印象が混入します。

 それによって、恋しい思いを形見にしなければならなくなった今頃、藤の花が咲いたように感じられ、恋人が去った後に、居ないときだけでも眺めようと思った花が、本当の形見となって咲いたような気配が、わずかですがしてきます。それでいて、明白には語られてはいませんから、聞いている方は、直接的な心情をはぐらかして詠まれた短歌から、心情を探るような形になり、かえってこの短歌に、引き込まれてしまうようです。

秋雑歌

夕されば
   小倉の山に 鳴く鹿は
 今夜(こよひ)は鳴かず 寐(い)ねにけらしも
          舒明天皇 万葉集8巻1511

夕方になれば
  小倉の山に 鳴くはずの鹿は
    今夜は鳴きません
  妻といっしょに寝ているのでしょう

 いつもは妻を求めているはずの鹿の声が聞こえないのは、妻と一緒に寝ているのだろうか。小倉山(おぐらやま)は京都のものではなく、奈良盆地のどこかの山かとされますが、所在は不明です。風物詩に対しては、声の聞こえない残念と、妻をうらやましがるような心情が混じり合って、簡単な表明の割には、歌に深みが籠もります。

     『七夕の歌十二首より』
秋風の 吹きにし日より
  いつしかと 我(あ/わ)が待ち恋ひし
    君そ来ませる
          山上憶良 万葉集8巻1523

秋風が 吹き始めた日から
  いつになったらと 私が待ちわびていた
    あなたがいらっしゃった

 別にたまたま、秋めいた風が吹いたからと捉えても構いませんが、詠み手が山上憶良でもありますから、なおさら立秋を迎えてから、旧暦7月7日の七夕を待っている、織り姫の心情を詠っているように聞こえます。立春、立秋などの観念は、勅撰和歌集では当たり前の表現ですが、万葉集ではむしろ、新しい暦の観念でした。それだけにかえって、新鮮な印象と共に、織り姫のよろこびが感じられたのではないでしょうか。

七草の歌二首

秋の野に
   咲きたる花を 指折(およびを)り
 かき数(かぞ)ふれば 七種(なゝくさ)の花
          山上憶良 万葉集8巻1537

秋の野に
  咲いている花を 指折りに
    数えてみれば 七草の花

萩の花
  尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが/の花
    をみなへし
  また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)が/の花
          山上憶良 万葉集8巻1538

原文におなじ

 短歌で導入を図り、旋頭歌で七草の花を列挙するという、異なる形式を使用した連作も、明確にペアとして組まれた連作も、長歌と反歌という定型以外では、きわめてめずらしいものです。さすが漢文と和歌の融合から、新しいジャンルを切り開こうとした、山上憶良ならではの発想と言えるでしょう。コンセプトが明白で、旋頭歌は構造的であるにも関わらず、リズミカルな親しみと、リリシズム以外感じられないところが、これらの和歌の魅力です。

秋萩の
  散りのまがひに 呼びたてゝ
    鳴くなる鹿の 声のはるけさ
          湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集8巻1550

秋萩の
  散り乱れているあたりで 妻を呼び出して
    鳴いている鹿の 声のはるかさよ

 散る萩と鹿という、後の屏風絵にでもありそうな構図ですが、ただ並べたというよりは、まるで鹿の鳴く声に震わされて、秋萩が散るような、はるかなる声にスポットを定めた結句が、聴覚に残されるような印象です。ですから、あまり絵画的には感じられず、時間軸が存在する、リアルな響きがするようです。

夕月夜 こゝろもしのに
  白露の 置くこの庭に
    こほろぎ鳴くも
          湯原王 万葉集8巻1552

夕月の夜は 心も感傷でいっぱいになり
   白露が 置かれるこの庭には
  こおろぎが鳴いています

 平坦な叙し方で、内容によっては、秀歌から外されそうなくらいですが、夕月のうちに、「こころもしのに」つまり「胸一杯に」という表現が、自分の心情とも、鳴いているこおろぎの印象とも、双方にあてもなく掛かるような二句目が、飾りのない真心を聞くように、全体の場景に対する、詠み手の気持ちを伝えてくれます。それが、捨て去れない地味な魅力となっているようです。初学者の目標とする短歌です。

しぐれの雨 間なくし降れば
    三笠山(みかさやま) 木末(こぬれ)あまねく
  色づきにけり
          大伴稲公(おおとものいなきみ) 万葉集8巻1553

しぐれの雨が 絶え間なく降るので
  三笠山では 梢が残らず
    すっかり色づきました

 しぐれの雨で、山がすっかり色づきましたよと、大伴家持に時候の挨拶を送ったものです。それに対して家持は、色付いたからには、今日のしぐれで散ってしまったのではと、冗談めかして返答しているのも、気楽な挨拶には相応しく思えます。アンソロジーとはいっても、凝った秀歌ばかりが並んでいたら、息苦しくなるのは避けられません。気楽な短歌には、気楽な魅力が籠もります。とはいえ、四句目の「木末あまねく」という表現が、なかなかいい味を出していて、決しておまけの秀歌などではありません。

秋立ちて 幾日(いくか)もあらねば
  この寝ぬる 朝明(あさけ)の風は
    手(た)もと寒しも
          安貴王(あきのおおきみ) 万葉集8巻1555

立秋を迎えてから 幾日も経ちませんが
  こうして寝ていると 夜明け頃の風は
    手もとに肌寒く感じられます

  これも立秋が意識された短歌。
 なるほど、立秋を過ぎたから、夜明けの風が、手元に肌寒く感じられるのかという、後に使い古されるような着想ですが、万葉集のこの短歌などは、むしろ清新な響きがするのは、後の作品が既存のものを踏まえて、切磋琢磨しすぎるのに対して、率直に着想をまとめているために、飾らないほどの、永遠の清新さを宿しているのかも知れませんね。

秋づけば
  尾花がうへに 置く露の
    消ぬべくも我(あれ/わ)は 思ほゆるかも
          日置長枝娘子(へきのながえおとめ) 万葉集8巻1564

秋めいてくると
   尾花のうえに 置かれた露のように
 消えてしまいそうに私は 思われてなりません

 実際のところどうかは知りませんが、なるほどススキの穂などに置かれた露は、ちょっと朝日を浴びたら、たちどころに消えてしまいそうな印象はします。そんなはかない物のように、自らの心が思われてならないのは、恋であろうと推察されがちなのは、読まれた当時もおなじ事です。そうであればこそ、詠み手の方も、恋を委ねて詠む可能性が、もっとも高いというのも、自然な成り行きで、心情に寄り添ったひたむきな序詞になっています。

さを鹿の
   朝立つ野辺(のへ)の 秋萩に
  玉と見るまで 置ける白露
          大伴家持 万葉集8巻1598

牡鹿が 朝に立つ野辺の 秋萩には
  白玉と間違えるくらいに
    きらきらと置かれた白露です

 こちらも鹿と萩の取り合わせでお送りしていますが、さらに白露も配置してみました。「さを鹿の朝立つ」という表現が、動物として居るというよりは、わずかに擬人法の気配がしますから、そのせいで白露が単なる叙景であるというより、涙の比喩ででもあるように感じられなくもありません。それで例えば、夫が立ち去る野辺に置かれた白露は、妻の別れの涙であろうか。といった印象が、わずかに混入します。山辺赤人の叙景とは大きくイメージが異なります。

冬雑歌

あわ雪の
  ほどろ/\に 降りしけば
    奈良のみやこし 思ほゆるかも
          大伴旅人 万葉集8巻1639

沫雪(あわゆき)が
   薄く薄くに 降り敷かれれば
  奈良のみやこが 想い出されます

「ほどろ」は、はらりと散るようなイメージで、薄く降り積もるような雪を表わします。この短歌は、大宰府で詠まれたものですから、わざわざ「あわ雪のほどろほどろ」と記したのは、このあたりでは都のように雪は降らないが、ようやく沫雪がうっすら積もるのを眺めることが出来たので、都のことが想い出されたというものです。なかなかに現実主義の詠まれ方がなされているのです。

巻第九

 この巻は、詠み人の分かる歌を、「雑歌」「相聞」「挽歌」に配したものです。ただし年代も、時には実際の詠み手が何ものであるかも、あやふやなものが多く、巻頭の年代順の和歌とは区別されて、ここにまとめられているようです。

雑歌

弓削皇子(ゆげのみこ)にたてまつる歌

さ夜中と 夜は更けぬらし
   雁が音(ね)の 聞こゆる空を
      月渡る見ゆ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集9巻1701

真夜中へと 夜は更けたようです
  雁の鳴き声が 聞こえてくる空を
    月が渡るのが見えます

「柿本人麻呂歌集」という選考資料に収められたものですが、本人の和歌でしょうか。初めの二句は夜の強調表現には過ぎませんが、なかなか「夜へと夜は更けたようだ」的な文脈は、類似の表現を続けて良いものか、ちょっとおっかなくて、凡庸な歌人には出来なかったりもします。さらには月の渡る中に、雁の声が聞こえるくらいなら、簡単に詠めそうですが、
     「雁の声が聞こえる空に月が渡る」
というのは、普通なら視覚情報が聴覚情報より優位に働きますから、なかなか詠めそうで詠めないかと思われます。

 いずれ、通常であれば「雁渡る聞ゆ」とまとめるべきところを、印象的な聴覚から導き出して、「月渡る見ゆ」と締めくくったところに、非凡な才能を確認できます。あるいは彼の仕事でしょう。

ほとゝぎすを詠む

うぐひすの 卵(かひご/かひこ)のなかに
  ほとゝぎす 独り生まれて
 己(な)が父に 似ては鳴かず
   己(な)が母に 似ては鳴かず
     卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ
       飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし
     橘(たちばな)の 花をゐ散らし
   ひねもすに 鳴けど聞きよし
 賄(まひ)はせむ 遠(とほ)くな行きそ
   わが宿の 花橘に 棲(す)みわたれ鳥
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1755

うぐいすの 卵の中に
  ほととぎすは ひとりで生まれて
 お前の父に 似ては鳴かず
   お前の母に 似ては鳴かず
     卯の花の 咲いている野のあたりを
       飛び回って 来ては鳴き声を響かせ
     たちばなに とまっては花を散らしている
   一日じゅう 鳴いても聞き飽きない
 お礼はきっと授けよう 遠くに行かないで欲しい
   私の家の たちばなの木に 住み続けよその鳥

 ホトトギスには、「托卵(たくらん)」という、ウグイスを恐怖のどん底へとたたき落とすような習性があります。こっそりウグイスの巣に卵を産み落とすと、孵(かえ)った雛(ひな)は、ウグイスの他の卵を投げ捨てて、全然違う姿をした、子供になりすましてしまうのです。ウグイスは「これは私の子じゃない」と思いながらも、その習性からせっせとホトトギスを育て抜き、身も心もずたぼろになってしまうという。連続テレビ小説にもなりそうな、非人情物語です。

 けれどもここでは、かえって生まれたホトトギスが、ひとりぼっちで、本当の父と母も知らず、「まったく変な声をして、いったい誰の子かねえ」とでも言われながら育ったことに、シンパシーを寄せています。そんなお前も成長して、今こそ鳴き誇っているその声を、どれほど聞いても飽きることはない。ずっとここに棲(す)んでいろよとまとめています。

 ちょっと面白いのは、「賄(まひ)はせむ」という表現で、お礼のものを差し上げるような、契約的な印象は、あるいはホトトギスの生まれが、親愛ではなく契約的関係にあるような気配から、導き出されたものでしょうか。お前の義理の父母以上の事はしてやるから、とでも言うような様相です。

     「反歌」
かき霧らし 雨の降る夜は
  ほとゝぎす 鳴きて行くなり
    あはれその鳥
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1756

にわかに曇り 雨の降る夜を
  ほととぎすが 鳴いて行ってしまう
    惜しまれるその鳥よ

 長歌では意気揚々と鳴きはしゃいでいたホトトギスですが、冒頭の義理の父母の子であるという因縁が、深層心理にでも宿っているのでしょうか。同じその鳴き声が、雨のなかでは涙に立ち去るような印象で、結句の「あはれその鳥」というのも、ただ趣深い印象ばかりでなく、鳥に同情するような心情を宿しているように思われます。

 また、印象として、昼と夜、晴れと雨、留まる事と去る事が対比され、長歌では「聞きよし」くらいで、心情表明を避けて、留まって欲しい思いも、「賄はせむ」という契約関係に置き換えているくらいですが、ひるがえって反歌では、これまで取っておかれた、心情の中心である「あはれ」によって取りまとめますから、なかなかに長歌と短歌の関係を、知り抜いた歌人であるようです。

 このように、柿本人麻呂とはまた違いますが、
  長歌と反歌による全体構成は、
   なかなか侮りがたい、
  綿密なプランが敷かれています。

相聞

紐児(ひものこ)をめとる歌

     『筑紫に任ぜらるゝ時、豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、
       紐児(ひものこ)をめとりて作る歌』
いそのかみ
   布留(ふる)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
 こゝろのうちに 恋ふるこのころ
          抜気大首(ぬきけのおおびと) 万葉集9巻1768

石上(いそのかみ)の
  布留にある早稲田の 穂のようには現わさず
    心のうちで 恋しく思うこの頃です

 実際は三首並べられていて、いずれも紐児(ひものこ)への愛情を詠っていますが、あるいは、もてないくらいの中年男性が、若くてきれいな妻を得て、感極まるのを押さえているような印象が、しなくもありません。これはその二首目の短歌で、いち早く稲となる早稲(わせ)のようには、すぐに穂となって現わさず、こころのうちで、恋しさをかみ締めるという内容です。それ以上、具体的な心情は記していませんから、聞き手は自らのシチュエーションに合せて、それぞれに楽しむことが出来るかと思われます。

挽歌

真間の手児名の歌

     「葛飾の真間娘子(まゝのをとめ)を詠む歌一首 あはせて短歌」
鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に いにしへに ありけることゝ 今までに 絶えず言ひける 葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の手児名(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿着(あをくびつ)け ひたさ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに はかず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎(いは)ひ子(こ)も 妹にしかめや 望月(もちづき)の 足(た)れる面(おも)わに 花のごと 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入(い)るがごと 港入(みなとい)りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらぬものを/生けらじものを なにすとか 身をたな知りて 波の音(おと)の 騒(さわ)く港の 奥城(おくつき)に 妹が臥(こ)やせる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1807

(鳥が鳴く) 東の国に いにしえに あった話と 今日にまで 伝え続ける 葛飾の 真間の手児名が 麻服に 青襟を付け 真麻(まあさ)した 布を裳に着て 髪さえも 梳(けず)ることなく 靴さえも 履かずにゆくが あやにしきの 中に包んだ 愛娘(まなむすめ)も 及ぶべくもない 満月の まあるい顔で 花のよう ほほ笑みかければ 夏の虫 火にいるように 港には 漕ぎ寄るように 行き集まり 求婚する時 どれほども 生きられないもの なんでまた 我が身を悟って 波の音の 騒ぐみなとの 墓となり むすめは眠る 遠い昔 あったこととか まるで昨日 見たことのように 思われるものよ

     「反歌」
葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の井(ゐ)を見れば
  立ちならし 水汲(く)ましけむ
    手児名(てごな)し思ほゆ
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1808

葛飾にある 真間の井戸を見れば
   地面をならして 水を汲んでいたであろう
      手児名のことが偲ばれる

 葛飾の真間の手児名(ままのてこな)は、真間、つまり今日の千葉県市川市あたりにいた伝説の女性です。その内容は、つまりは沢山の男性からの、求婚の嵐にさらされて、こらえきれずに入水(じゅすい)して果てるというものです。嫁ぎ先と故郷の国争いのため、故郷に戻って来た後でという説もあるようですが、多くの逸話の一つには過ぎません。当時から伝説が乱れていたからでしょうか、高橋虫麻呂もその内容には言及せず、おめかしもせずに、ざっくばらんに居るだけで、求婚者どもが、飛んで火にいる夏の芋虫、にょろにょろと寄ってくるので、海に身を投じてしまったと詠んで、何でまたみじかい命を自ら閉ざすのかとまとめています。

 そうして、遠い昔にあったことが、まるで昨日のことのように感じられると締めくくった長歌を受けて、こうして今、彼女が利用した井戸を眺めると、彼女の姿が浮かんでくるようだと反歌にまとめている。やはり長歌と短歌の利点が、よく生かされて、全体としてひとつの作品になっているようです。

巻第十

 よみ人しらずの「四季」を収めたこの巻は、後に勅撰和歌集の時代に、『万葉集』のリバイバル運動が沸き起こったときに、その精神の中心と信じられた巻で、幾つもの作品が、『拾遺集(しゅういしゅう)』『新古今集』を中心に収められています。

春雑歌

ひさかたの 天の香具山(あめのかぐやま)
  この夕(ゆふ)へ 霞たなびく
    春立つらしも
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集10巻1812

(ひさかたの) 天の香具山に
   この夕ぐれ 霞がたなびいている
     春になったようだ

  十巻の巻頭歌。
 神の山として特別な意味を持つ天の香具山に、霞がたなびくのを眺めて、春を実感する短歌で、春立つは、立春のことであると説明されますが、夜明けの霞でもありませんし、「らしい」と推し量っているあたりから、「立春」という新しい表現を踏まえた上で、逆に「春になったようだ」と、暦とは関わりなく、感想を述べたようにも思われます。

雪を詠む

風まじり/まじへ
   雪は降りつゝ しかすがに
  霞たなびき/たなびく 春さりにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1836

風にまじって 雪は降っている
  そうは言っても 霞がたなびいて
    春はやってきたのだ

 まだ風に雪が降ってはいるが、一方では霞がたなびく。「然(しか)すがに」は、「しかしながら」「そうは言うものの」といった意味です。春を導くために、霞を配したというよりも、靄がかった雪の様相に、これまでの雪とは違う気配を感じて、春の当来を予感したので、このように詠まれたと見るべきです。

梅が枝に
  鳴きて移ろふ うぐひすの
   羽根しろたへに あは雪そ降る
          よみ人しらず 万葉集10巻1840

梅の枝に
  鳴いては飛びうつる うぐいすの
    羽根さえ真っ白にして
  沫雪(あわゆき)が降っています

 浅く詠むと、虚構の屏風絵のように捉えがちですが、

梅が枝に
  鳴きて移ろふ うぐひすの
   羽根にしろたへの あは雪そ降る

という実景を、ちょっと飾ったものと捉えると、おめでたいような配置ではあるのもの、安っぽい虚偽のようには響きません。逆に「羽根を染めるように」降る雪の印象が、リアルを越えたもののように思われて、それでこそ詩にした甲斐も、あるように思われます。そもそも、事実をそのまま写し取るだけなら、短歌にする必要も、詩にする必要もなく、散文で済ませればよいだけの話です。そんな字数を合わせただけの散文を大量生産しても、情報化社会にノイズを発生させるくらいのものには過ぎませんから。

霞を詠む

昨日こそ 年は果てしか
  春かすみ 春日(かすが)の山に
    はや立ちにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1843

昨日年が 暮れたばかりなのに
  春霞が 春日山には
    早くも立ちのぼっている

 元来、年始というのは自然の知ったことではありませんし、春になるというのも、人間が勝手に暦を付けたに過ぎません。定めたこと自体が人工的であるならば、新年を喜ぶ気持ちもまた、自分たちで人工的に拵えたことになります。私たちの情緒が、多分に人工的に作られていることを理解すれば、挨拶の短歌などを、虚偽の産物だとして、軽蔑するような愚かしい行為は、なくなるかも知れません。その人工的な所こそ、人々が自らの願いで作り上げた、心の拠り所に過ぎないのですから。

 それで、「霞」のような水蒸気が、春に限らずよく見られる地域であればこそ、人工的な季節の移り変りに合せて、その水蒸気を喜ばしいものに見立てて、春日山に配することは、新春を祝うにはまことに相応しい行為で、むしろもっとも心情に寄り添ったものだと、捉え直したならば、実景であろうと心象風景であろうと、貶すべきものなど何もないと言えるでしょう。

春雨(はるさめ)に 争ひかねて
  我が宿の さくらの花は
    咲きそめにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1869

春雨に 抗しきれなくて
  わたしの家の 桜の花は
    咲き始めました

 はじめに、桜の咲くのを毎日確認している詠み手があって、春雨の中で、つぼみがほころび始めたのを認めた時、まるで頑(かたく)ななつぼみを、春雨がなだめて開かせつつあるように感じた。期待にあふれる人ならば、今日でもふと浮かんでも可笑しくないくらいの着想ですが、二句目の「争ひかねて」という表現が、この短歌のこだわりかと思われます。

春雨は いたくな降りそ
  さくら花 いまだ見なくに
    散らまく惜しも
          よみ人しらず 万葉集10巻1870

春雨よ あまり降らないでほしい
  さくらの花を まだ見てもいないのに
    散ってしまうのが惜しいから

 きわめて分かりやすく、まだちゃんと見ないうちに、桜が散らないで欲しいという願いです。シーズンインだから、時間を作って眺めようとするうちに、ちょっと数日過を過ごして、かと思えばお決まりの春雨が降り出して、散るのを心配するというものですから、必要以上に忙しがる現代人にこそ、うってつけの情緒ではないでしょうか。ただ、この桜は、今日のソメイヨシノとは異なりますが、だからといって私たちは、見慣れた桜を連想して、短歌を楽しんでも良い訳です。

野遊(やゆう)

もゝしきの
   大宮人(おほみやひと)は いとまあれや
  梅をかざして こゝに集(つど)へる
          よみ人しらず 万葉集10巻1883

(ももしきの)
    宮中の貴人たちは 暇などあるのだろうか
  梅を髪に挿して ここに集まったりして

 「貴族どもが暇をもてあまして、宴会なんかしてやがる」
では、詩情どころか、天皇制打破をめざす、革命にでも発展しかねませんが、枕詞と歌語を利用して、「ももしきの大宮人」などと言われると、現実を離れた、物語のなかの貴人たちが戯れるようで、自分も梅をかざして、おとぎ話の住人に、春を楽しみたい気分がしてきます。のほほんとした魅力がこもります。

春相聞

霞に寄する

恋ひつゝも 今日は暮らしつ
   かすみ立つ 明日の春日(はるひ)を
      いかに暮らさむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1914

恋しく思いながら
  今日はとりあえず暮らしましたが
    霞の立ちのぼる 明日また長い春の一日を
      どうやって暮らしたらよいでしょう

 実際の日長は夏至ですが、今と比べれば暖房設備も十分でなく、凍えるような冬から解放されると同時に、日が延びることを実感できるシーズンでもあり、なにしろ過ごしやすい昼の印象が、長い春を導きます。そんな間延びした一日を、今日はなんとかやり過ごしたものの、恋しさばかりは季節を選ばないようで、苦しみに変りはありませんから、こんな辛いなら、明日また長い一日を、どうやって暮らそうか、ちょっと途方に暮れている。そんな短歌です。

夏雑歌

鳥を詠むの長歌の反歌

旅にして
   妻恋ひすらし ほとゝぎす
 神(かむ)なび山に さ夜更けて鳴く
          (古歌集) 万葉集10巻1938

旅にあって
  妻が恋しいのだろう ほととぎすが
    神奈備山で 夜更けに鳴いているのは

 神なび山は、神のいらっしゃる山くらいの意味で、移動してくる鳥で、つがいでもないホトトギスを、旅先で妻が恋しいと感じるのは、必ずしも自分が同じ境遇にあるからと、決めつける必要はありません。この短歌は、叙し方が大様(おおよう)で、切実な共感というほど、切り詰めたものは感じられず、むしろ偶然寝起きて聞いたその声に、ちょっと同情するような気配がします。ただしもちろん、そのような心情を経験的に知っていなければ、感慨自体が湧いてきませんから、それを推し進めて、共感と捉えることも、もちろん相応しい読解です。

鳥を詠む

朝霞(あさがすみ) たなびく野辺(のへ)に
  あしひきの 山ほとゝぎす
    いつか来鳴かむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1940

朝霞が たなびいている野原に
 (あしひきの) 山ほととぎすは
    いつになったら来て鳴くだろう

 先に紹介した、「毛無の岡にいつか来鳴かむ」の短歌は、これを踏まえて詠まれた物でしょうか、春の風物詩である霞が立つ野ではあるが、大分初夏めいてきたので、そろそろホトトギスが聞きたくなる頃。現代なら「早くおいでよ」と詠みそうですが、いつになったら来て鳴くだろうかと、間接表現にまとめています。もとより、どちらの表現にも、めざすべき秀歌の頂が存在しますが、「いつか来鳴かむ」の方が、個人の思いというより、共有されべき心情へと、返されるような印象はこもります。皆が感じるべき心情であると、思わせることに成功していると言えるでしょう。

夏相聞

鳥に寄する

ほとゝぎす
  来鳴く五月(さつき)の みじか夜も
    ひとりし寝(ぬ)れば
  明かしかねつも
          よみ人しらず 万葉集10巻1981

ほととぎすが
  来て鳴く五月の 短い夜であっても
    ひとりで寝ていると
  なかなか明けてくれないものです

 五月の短夜というのは、現実に即して、もっとも夜の短いシーズンになりますから、癒し系リスニングとしてのホトトギスを聞いていると、大好きな音楽を聞いている時みたいに、あっという間に夜が明けてしまいそうですが、ひとりぼっちのわびしさが募って、なかなか明けないように思われる。一緒に寝たい誰かへの思いで、大好きな歌手の声さえうわの空です。そんな時には、仕舞いにはホトトギスの声さえも、わずらわしくなってくるものですから、「憎たらしいホトトギスめ」などという短歌が連作されていても、違った面白さがあるかも知れません。

花に寄する

うぐひすの
   通ふ垣根の 卯の花の
  憂きことあれや 君が来まさぬ
          よみ人しらず 万葉集10巻1988

うぐいすが
   通ってくる垣根の 卯の花の憂い
  憂うつなことがあるのでしょうか
     あなたがいらっしゃらないのは

 ウグイスは春を告げる鳥ですが、もちろん初夏になっても、鳴きたい放題に鳴きまくるような野鳥には過ぎません。上句は序詞ですが、単なる「卯の花」と「憂き」をゴロ合せにしたというより、「卯の花」のところに「憂い」があるから、「鳥が来まさぬ」という、「ウグイス」を詠んだ全体を、「君」に差し替えたと捉える方が、ずっとナチュラルに解せます。自然に響くのであれば、そのように発想された可能性も高いものですから、「う」のゴロ合せなどという興ざめするような答案よりは、詩的な解釈かと思われます。つまり、

うぐひすの
   通ふ垣根の 卯の花に
  憂きことあれや 鳥が来まさぬ

というイメージを元に、下句を現実に差し替えると同時に、「卯の花の憂き」と序詞化がなされているという解釈で、詩情を知らない中年男性の、駄洒落につながっている訳ではありません。ところで、これとよく似た1501番の短歌では、冒頭がホトトギスになっていて、その方が「卯の花」との取り合わせとしては、定番なのですが、ここでは「卯の花」「憂きこと」という「う」の表現に合せて、冒頭を「うぐひす」にしたことが、口調のうれしさを誘うことも魅力です。もとより、だからといって、ウグイスの鳴くべき季節であることは、冒頭にお話しした通りです。

秋雑歌

七夕(しちせき)

天の川 霧立ちわたり
   彦星(ひこほし)の 楫の音(おと)聞こゆ
 夜の更けゆけば
          よみ人しらず 万葉集10巻2044

天の川に 霧が立ちこめて
  彦星の船の 楫の音が聞こえます
    夜が更けてゆくので

 かつての人は、昇る朝日の音が実際に聞こえた、とも言います。もちろん測定器で観測して、周波数を見いだせるという音ではありません。聴覚でも、嗅覚でも、自らがイメージして、心のうちに生みなす感覚と、刺激として受け取る、外界からの感覚とは、錯綜(さくそう)する場合があるので、それが民族的共通意識の上に存在すると、日の出の音などという概念が、実際に頭のなかで、響きとして聞こえたのではないか、そのような意味になります。

 なんでそのようなことを述べたかと云いますと、果たしてこの短歌の、三句目の「楫の音聞こゆ」というのは、船に乗っているか、近くに楫の音でもして、それを踏まえて詠まれたものでしょうか。それとも実際に、何らかの響きが聞こえたのでしょうか。そんな疑問が浮かんだものですから、ちょっと落書きを加えてみたには過ぎませんでした。

 つまりは私もはじめは、実際に楫の音が近くでするから、このように詠んだものと信じていたのですが、そのような解釈は現代病に過ぎなくて、なおかつ実際の音でなくても、かならずしも虚偽とは言えないのではないか。そう思い付いただけのことです。もう一つ定まりが付かないのが、しばしば詠まれる「霧立ち渡り」の表現で、はたして晴天の天の川のぼうっとした濁り具合を、霧に見立てたものなのか、それとも薄雲や薄切りで、天の川が隠されたのか、たとえ同じような着想から持ち込まれたものにしても、ある種のイメージは存在していたかと思われるのですが、ちょっと読み比べたくらいでは、なかなか簡単には、結論は出せそうには思えませんでした。逆にこれだけのヒントを提示しましたので、皆さまは後はお好みのスタイルで、解釈していただければ良いでしょう。

この夕(ゆふ)へ
   降りくる雨は 彦星(ひこほし/ぼし)の
 はや漕ぐ舟の 櫂の散りかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2052

この夕方に
    降ってきた雨は 彦星が
  早漕ぎする船の 櫂のしずくかもしれない

 こちらは、夕立などにわか雨が、男性の通う時間帯に降り出したのを、天上で一生懸命に漕ぎまくる彦星が、櫂から散らしているのかと詠んでいます。激しくも急な雨を想像しますと、彦星の形相さえ浮かんで来そうで、表にはしっとりとした表現にも、こっそりおかしみの籠もるような短歌です。

花を詠む

恋しくは 形見(かたみ)にせよと
  わが背子が 植ゑし秋萩
    花咲きにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2119

恋しい時に わたしを偲べと
  愛するあなたが 植えてくれた秋萩が
    花を開かせました

 こちらも、先に山部赤人の和歌として紹介した、1471番の「植ゑし藤波今咲きにけり」類似しています。むしろ現代であれば、盗用だと大騒ぎするような醜態も、お見せするくらいの類歌(るいか)ですが……

 しかし赤人の短歌は「今咲きにけり」とあったのが、かすかに恋の終焉を感じさせますが、こちらはむしろ三句目に「我が背子が」と親愛を持って呼びかける表現が優位に働きますから、恋人は旅にでもあって、逢えないけれど愛情は継続している。そんな安心感が、秋萩の花を温めます。逆を返せば、どちらが先かはともかく、違ったことを詠みうる可能性があるからこそ、もとの表現をわずかに改編させる意義も、大いにあると言えるでしょう。

 それが今日であれば、同一人物でなければ許されませんが、当時は別の歌い手であっても差し支えなかった、万葉集を眺めていて感じるのは、新規な表現をめざすべきという意識よりも、むしろ既存の表現に基づいて、新たな和歌を読むべきという意識で、価値観の違いが感じられます。そこには、表現が歌社会で使いまわされながら、より普遍的な詩型へと整えられて行くという傾向が、一つには見られますが、もちろん程度の問題で、それとは正反対の、個人の特別な作品という意識も、一方に存在することは言うまでもありません。

葦辺(あしへ)なる 荻(をぎ)の葉さやぎ
   秋風の 吹き来るなへに
      雁鳴き渡る
          よみ人しらず 万葉集10巻2134

葦辺にある 荻の葉がさやいで
   秋風が 吹いてくるのに合わせて
 雁が鳴き渡っているよ

 普通に散文にするならば、「秋風吹き来る」から「荻の葉がさやぐ」のですが、それを倒置させ、詠み人の近景である「荻の葉のさやぎ」から、空吹く風へと視線を移して、その彼方に雁を渡らせます。ぐっと遠方にフォーカスが移る感じで、空間を感じさせる短歌になっています。同時に、近景の聴覚としてまず「荻の葉」をさやがせて、遠景の雁の声を導きますから、視覚と聴覚の双方で、聞き手にまで広がりが伝わってきます。

蟋(こほろぎ)を詠む

庭草に 村雨(むらさめ)降りて
  こほろぎの 鳴く声聞けば
    秋づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2160

庭草に にわか雨が降って
  こおろぎの 鳴く声がすれば
    秋らしくなってきたよ

 先ほども登場しましたが、この「こほろぎ」が何者かを突き詰めると、ノイローゼでアル中になるほどの、混迷を深める恐れがありますから、ここではあまり拘泥(こうでい)せず、秋の虫が鳴き出したくらいに捉えておきましょう。

 現在でも、立秋を過ぎる頃には、夜には虫の声が聞こえるようになり、ふと寂しい風が吹き抜けた瞬間に、秋を感じるようになりますが、当時は旧暦ですから、夕立が通り過ぎて、ちょっとだけ涼しくなった夕ぐれに、虫の声がしてきたのを、「夏も後半だ」とは感じないで、「秋の第一段階」と感じた、くらいで良いかと思われます。

黄葉(もみぢ)を詠む

しぐれの雨 間なくし降れば
  真木(まき)の葉も あらそひかねて
    色づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2196

しぐれの雨が 絶え間なく降るので
  真木の葉さえも 抗(あらが)いきれなくて
    色が変わってきました

「あらそひかねて」は、春雨にさくらの咲き始める短歌にもありましたが、これも同じパターンで、しぐれの雨によって、色が変わった事を詠んでいます。ただ、こだわりは三句目の「真木の葉も」という表現で、真木は建築材として使用されるような、杉や檜などの常緑樹を指しますから、枯れ落ちたり、黄葉(もみじ)に染まったりはしないはずですが、そんな木々でも、やはり冬の勢力には打ちのめされて、くすんだような色になってしまう。すべての物をうちひしぐような冬の寒さを、暗示するような短歌になっています。

水田(こなた)を詠む

さ雄鹿の
  妻呼ぶ山の 岡辺(おかへ)なる/にある
    早稲田(わさだ)は刈らじ 霜は降るとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2220

牡鹿が
  妻を呼ぶ山の 岡のあたりの
    早稲の田は刈らないでおこう
  たとえ霜が降ったとしても

 もちろん、動物愛護週間とは何の関係もありません。そもそも、自分の田んぼではないでしょうし、かといって、刈り取り禁止令を発して、民を生き殺しにするつもりもありません。ただ、牡鹿の鳴き声のなかで、まだ早稲田の稲が刈り取られていないのを眺めて、お前が困らないように霜が降っても、この稲田は刈らないでおこうよと、興じて見せたに過ぎません。見張りの農民が聞きつけたら、農具をかかげて追いかけてきそうなくらいですが、あるいはわざと刈らずに残しておくような、贄(にえ)の早稲田でも存在したのでしょうか。など、妄想が広がってしまうのは、ようするにこの短歌に、魅力がこもっているのが理由で、結論を述べれば、あまり解説にもなりませんでした。

風を詠む

萩の花 咲きたる野辺(のへ)に
   ひぐらしの 鳴くなるなへに
      秋の風吹く
          よみ人しらず 万葉集10巻2231

萩の花が 咲いた野原に
  ひぐらしが 鳴くのに合わせて
    秋の風が吹いている

 こちらは、視覚と聴覚を風で混ぜ合わせたような短歌ですが、ヒグラシは朝夕に、特別な響きで大合唱するような蝉です。それで情景も、夕方などが思い浮かべられます。そのうえ、どことなく幻想第四世界じみた、魔術めいた響きで、どこで鳴いているのかも明白には分かりませんから、簡単な描写の割には、豊かな叙情性を宿しているようです。

秋相聞

露に寄する

秋萩の
  咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
    濡れつゝ来ませ 夜は更けぬとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2252

秋萩が
  咲き散る野辺の 夕露に
    濡れながらでもいらっしゃい
  夜は更けてしまっても

 ひた待ちに待つ女性というよりは、やさしく「来なきゃ駄目ですよ」と命じるようなゆとりが感じられますが、描き出された上句の情景が、自(おの)ずから男を外出へといざなうような、感興を描き出しているのが魅力です。挨拶の短歌にしては、叙景歌の様相がしてきます。

蛙(かはづ)に寄する

朝霞(あさがすみ/かすみ)
  鹿火屋(かひや)がしたに 鳴くかはづ
    声だに聞かば 我(あ/わ)れ恋ひめやも
          よみ人しらず 万葉集10巻2265

(あさがすみ)
   鹿火(かび)の小屋のかげに 鳴く蛙のように
     声だけでも聞こえたら わたしも恋しがったりするものか

 鹿火屋(かびや)というのは、田畑を動物などから守るための、鹿火(かび)を焚いたり、見張りをする小屋のことでしょうか。ちょっと簡単には、結論が出せない短歌です。今は仮に、夜通し堅く守られた鹿火屋も、やがては朝靄(あさもや)につつまれて、その傍で、鳴き疲れたような蛙の細い声がする。あるいは夜通し鳴き尽くして、蛙の声さえもはや聞こえない。

 その声だけでも聞けたなら、わたしの恋しさも紛れるのに。屋敷にでも守られたような女性が、恋い慕う人の、か細い鳴き声だけでも聞けたなら、と願う短歌としておきますが、どうも定まりきれません。

花に寄する

朝(あした)咲き
  夕へは消(け)ぬる 月草(つきくさ)の
    消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2291

朝になったら咲いて
   夕べにはしぼんでしまう 月草のような
 はかない恋を わたしはしているのです

 こちらは月草、つまりツユクサのような、はかない恋をするというものです。ただ、「消え入りそうな恋」の比喩であるというのは、まだ読み取りが浅くて、1351番で紹介した「月草に衣は摺らむ」の精神と近しいものが感じられ、はかなく移ろってしまうと分かっている恋を、それと分かってしてしまうという、こらえられない恋心を詠んだ短歌かと思われます。

 これは単に、白露とは異なり、月草は、「消え入るような」よりも「移ろう」というイメージで、よく万葉集に詠まれているからに過ぎません。実は、巻第十二の恋歌のところに、

夕(ゆふへ)置きて
  朝(あした)は消ぬる 白露の
    消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
          よみ人しらず 万葉集12巻3039

夕方に置かれて
   翌朝には消えてしまう 白露のような
  消え入りそうな恋を 私はしているのです

という、きわめて類似の短歌が見られますが、おなじ事を詠ったというより、わずかに異なるニュアンスを込められるという、積極的な意味をもって、どちらかがどちらかを踏まえたものではないでしょうか。

冬雑歌

黄葉を詠む

八田(やた)の野の あさぢ色づく
   愛発山(あらちやま) 峰のあは雪 寒く降るらし
          よみ人しらず 万葉集10巻2331

八田の野の 浅茅が色づいた
  愛発山の 峰にはあわ雪が
    寒く降っていることだろう

 八田の野は、奈良県の大和郡山市(やまとこおりやまし)の西方で、愛発山(有乳山)は、福井県敦賀市(つるがし)南方にある山のことです。ここには「愛発の関(あらちのせき)」という関所がありましたので、都の方に残され人が、異境にある旅行く人を偲びながら、季節の違いを強調したものと捉えられます。

               (つゞく)

2016/08/16

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