籠(こ)もよ み籠もち
ふくしもよ みぶくし持ち
この岡に 菜摘ます子
家聞(き)かな/家告(の)らせ 名告(の)らさね
そらみつ 大和の国は
おしなべて 我(われ)こそをれ
しきなべて 我こそいませ/ませ
我こそば/は 告(の)らめ 家をも名をも
雄略天皇(ゆうりゃくてんのう) 万葉集1巻1
籠(かご)は よい籠を持ち
菜摘のへらも よいへらを持ち
この岡で 菜を摘まれている娘子(むすめ)よ
家を訪ねよう 名を告げて欲しい
(そらみつ) この大和の国は
押し伏せて 私が治める国
均しく 私が治める国
私こそは 告げよう 家柄をも名をも
「天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌(おほみうた)」
大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天(あめ/あま)の香具山(かぐやま)
登り立ち 国見(くにみ)をすれば
国原(くにはら)は けぶり立ち立つ
海原(うなはら)は かまめ立ち立つ
うまし国そ あきづ島
大和の国は
舒明天皇(じょめいてんのう) 万葉集1巻2
やまとには 群れなす山々があるが
私にふさわしい 天の香具山に
登り立って 国を見わたせば
広大な陸には 炊煙(すいえん)が立ちのぼる
広大な海には かもめが飛び回っている
すばらしく味わいのある国だ
あきづ島と讃えられる
このやまとの国は
「天皇、宇智(うち)の野に遊猟(みかり)したまふ時、
中皇命(なかつすめらみこと)、
間人連老(はしひとのむらじおゆ)にたてまつらしむる歌」
やすみしゝ わが大君の
朝(あした)には 取り撫でたまひ
夕(ゆふへ)には い寄り立たしゝ
み執(と)らしの あづさの弓の
中弭(なかはず)/金弭(かなはず)の 音すなり
朝狩(あさがり/かり)に 今立たすらし
夕狩(ゆふがり/かり)に 今立たすらし
み執(と)らしの あづさの弓の
中弭(なかはず)/金弭(かなはず)の 音すなり
中皇命(なかつすめらみこと)
/あるいは間人老(はしひとのおゆ)か 万葉集1巻3
(やすみしゝ) わが大君が
朝には 手に取り撫でられ
夕べには そばに立たれて
お取りになられる 梓(あずさ)の弓の
弓弦(ゆみづる)の 音がしてきます
朝の狩に 今立たれるのでしょう
夕べの狩に 今立たれるのでしょう
お取りになられる 梓の弓の
弓弦の 音がしてきます
たまきはる
宇智(うち)の大野に 馬なめて
朝踏ますらむ その草深野(くさふかの)
中皇命(なかつすめらみこと) 万葉集1巻4
(たまきはる)
宇智の大野に 馬を連ねて
朝野を踏ませているだろう
その草深い野を
『伊予の湯にて』
熟田津(にきたつ)に
船乗りせむと 月待てば
潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
額田王 万葉集1巻8
熟田津から
船を出そうと 月を待てば
潮も頃合いだ 今こそ漕ぎ出そう
『中大兄皇子(なかのおほえのみこ)の三山(みつやま)の歌一首』
香具山(かぐやま)は 畝傍(うねび)をゝしと
耳成(みゝなし)と 相争(あひあらそ)ひき
神代(かみよ/かむよ)より かくにあるらし
いにしへも しかにあれこそ
うつせみも 妻を 争ふらしき
中大兄皇子(なかのおおえのみこ) 万葉集1巻13
香具山は 畝傍山(うねびやま)がいとしいと
耳成山と 互いに妻を争った
神代より こうであったようだ
いにしえも そうであればこそ
今の世でも 妻を争うらしい
「反歌」
香具山(かぐやま)と 耳成山(みみなしやま)と 闘(あ)ひし時
立ちて見に来し 印南国原(いなみくにはら)
中大兄皇子 万葉集1巻14
香具山と 耳成山とが
妻を争ったとき
心配して見に来たよ
阿菩大神(あぼのおおかみ)が印南国原まで
わたつみの
豊旗雲(とよはたくも/ぐも)に 入り日さし
こよひの月夜(つくよ) さやけかりこそ/さやけくありこそ
中大兄皇子(なかのおおえのみこ) 万葉集1巻15
海神の
豊かなたなびく雲に 入り日がさしている
どうか今宵の月あかりが
すばらしいものでありますように
『天智天皇、春山(しゅんざん)の万花(ばんか)の艶(えん)と、
秋山(しゅうさん)の千葉(せんよう)の彩(いろ)との、
哀れを競はせたまふ時に、額田王の答ふる歌』
冬ごもり 春さり来れば
鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ
咲かざりし 花も咲けれど
山を茂(し/も)み 入(い)りても取らず
草深み 取りても見ず
秋山の 木(こ)の葉を見ては
黄葉(もみぢ)をば 取りてそ偲(しの)ふ
青きをば 置きてそ嘆く
そこし恨(うら)めし
秋山そ我(あれ)は/秋山われは
額田王 万葉集1巻16
(冬ごもり) 春が来たれば
鳴かなかった 鳥も来て鳴きます
咲かなかった 花も咲きますが
山が茂ってしまうので 入って取ることもせず
草が深いので 取って見ることもしません
秋山の 木の葉を見れば
もみじを 手に取って偲びます
青々としたものは そのままにして嘆きます
そんな恨めしさもまた
秋山こそすばらしいと思うのです
「額田王、近江国にくだる時に作る歌」
うま酒 三輪(みわ)の山
あをによし 奈良(なら)の山の
山の際(ま)に い隠(かく)るまで
道の隈(くま) い積(つ)もるまでに
つばらにも 見つゝゆかむを
しば/"\も 見放(みさ)けむ山を
心なく 雲の 隠(かく)さふべしや
額田王 万葉集1巻17
(うまさけ) 三輪の山を
(あをによし) 奈良の山の
山のあいだに 隠れてしまうまで
道の曲がりが 重なるまで
つまびらかに 見続けて行きたいのに
頻(しき)りに 眺めたい山なのに
つれなくも 雲が隠してしまってよいものか
「反歌」
三輪山を しかも隠すか
雲だにも こゝろあらなも/む
隠さふべしや
額田王 万葉集1巻18
三輪山を そんなにも隠すのか
せめて雲だけでも 心があるのならば
隠したりはしないでください
「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時、
額田王の作る歌」
あかねさす
むらさき野ゆき しめ野ゆき
野守は見ずや 君が袖ふる
額田王 万葉集1巻20
(あかねさす)
紫草の野をゆき 標しのある野をゆき
野の番人は見ないでしょうか
あなたが袖を振っているのを
「皇太子の答ふる御歌(みうた)」
むらさきの
にほへる妹を にくゝあらば
人妻ゆゑに 我(あ)れ恋ひめやも
大海人皇子(後の天武天皇) 万葉集1巻21
紫草のような
気品のこもるあなたを 憎く思うのであれば
人目を気にする 人妻であるからといって
どうして恋しく袖を振ったりしましょうか
「十市皇女(とをちのひめみこ)、
伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐおもぶく時
波多(はた)の横山の巌(いはほ)を見て、
吹黄刀自(ふゝきのとじ)が作る歌」
川の上(へ/うへ)の
ゆつ石むらに 草生(む)さず
常にもがもな とこ処女(をとめ)にて
吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集1巻22
川のほとりの
なめらかな岩々に 草が生えないように
常にありたいものですね いつまでも乙女のまま
「天皇の御製歌(おほみうた)」
み吉野の 耳我(みゝが)の嶺(みね)に
時なくそ 雪は降りける
間なくそ 雨は降りける
その雪の 時なきがごと
その雨の 間なきがごとく/ごと
隈(くま)も落ちず
思(おも)ひつゝぞ来(こ)し
その山道(やまみち)を
天武天皇(てんむてんのう) 万葉集1巻25
み吉野の 耳我の嶺に
休みなく 雪は降ります
絶え間なく 雨は降ります
その雪に 休みがないように
その雨に 絶え間がないように
曲がり角ごとにずっと
もの思いしながら来たのです
その山道を
「天皇、吉野宮(よしのゝみや)にいでませる時の御製歌」
よき人の
よしとよく見て よしと言ひし
吉野よく見よ よき人よく見/よく見つ
天武天皇(てんむてんのう) 万葉集1巻27
かつての良き人が
良しとよく見ては 良しと名付けた
吉野をよく見なさい 良き人を/良き人よよく見なさい
「天皇の御製歌」
春過ぎて 夏来たるらし
しろたへの ころも干したり
天(あめ)の香具山(かぐやま)
持統天皇(じとうてんのう) 万葉集1巻28
春が過ぎて 夏が来たようだ
真っ白な 着物を干してある
天の香具山に
さゝなみの
志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあれど
大宮人(おほみやひと/びと)の 舟待ちかねつ
柿本人麻呂 万葉集1巻30
(ささなみの)
志賀の唐崎は 今もすこやかにあるが
かつての宮廷の人たちの
来ない船を待ちわびている
さゝなみの
志賀(しが)の大わだ 淀むとも
むかしの人に またも逢はめやも
柿本人麻呂 万葉集1巻31
(ささなみの)
志賀の入り江は このように淀んでしまっても
かつての人々に また逢えるだろうか
そう思っているようでした
『紀伊国(きのくに)にいでませる時』
白波(しらなみ)の
浜松が枝(え)の 手向けくさ/ぐさ
幾代(いくよ)までにか 年の経ぬらむ
川島皇子(かわしまのみこ) or 山上憶良 万葉集1巻34
白波の寄せる
浜松の枝に 結ばれた祈願の幣(ぬさ)は
幾とせの歳月を 過ごしてきたものか
『伊勢国にいでませる時に、京にとゞまり作る歌』
あみの浦に
舟乗りすらむ をとめらが
玉裳(たまも)の裾(すそ)に 潮満つらむか
柿本人麻呂 万葉集1巻40
あみの浦で
船乗りをする むすめらの
玉裳の裾には 潮が満ちているだろうな
「軽皇子(かるのみこ)、安騎(あき)の野に宿らせる時に、
柿本人朝臣麻呂(かきのもとのあそみひとまろ)が作る歌」
やすみしゝ わが大君 高照(たかて)らす 日の御子(みこ) 神(かむ)ながら 神(かむ)さびせすと 太敷(ふとし)かす 都を置きて こもりくの 泊瀬(はつせ)の山は 真木(まき)立つ 荒き山道(やまぢ)を/荒山道(あらやまみち)を 岩が根(いはがね) 禁樹(さへき)押しなべ 坂鳥(さかどり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に はたすゝき 篠(しの)を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
柿本人麻呂 万葉集1巻45
(やすみしし) わが大君 (高照らす) 日の御子よ 神のまま 神らしくして しっかりとした みやこを置き去りに (こもりくの) 泊瀬の山へと 真木が立ち並ぶ 荒々しい山道を 岩々や 遮る木をねじ伏せ (坂鳥の) 朝から越えられて (玉かぎる) 夕方が来れば み雪の降る 安騎の大野に 穂のススキや 小竹(しの)を押し伏せて (草枕) 旅の宿りをなさいます 昔を偲びながら
『短歌四首より一首』
ひむがしの
野にかぎろひの 立つ見えて
かへり見すれば 月かたぶきぬ
柿本人麻呂 万葉集1巻48
東の野に
夜明けの きざしがあらわれて
かえり見れば 月は西へと傾いていた
「明日香の宮より藤原の宮にうつりし後、
志貴皇子の作らす歌」
うねめの
袖吹きかへす 明日香風(あすかゝぜ)
みやこを遠み いたづらに吹く
志貴皇子(しきのみこ) 万葉集1巻51
かつて 天皇(みかど)の侍女たちの
袖を吹き返してた 明日香の風も今は
新しいみやこが遠いので
ただ空しく吹いている
『持統太上天皇、紀伊国にいでませる時』
巨勢山(こせやま)の
つら/\つばき つら/\に
見つゝ偲(しの)はな 巨勢の春野を
坂門人足(さかとのひとたり) 万葉集1巻54
巨勢山の
茂みに連なるような椿を つくづくと
見ては 思い浮かべましょう
やがて訪れる 巨勢の春野を
『持統太上天皇、参河国(みかはのくに)にいでませる時』
引馬野(ひくまの)に
にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ
衣にほはせ 旅のしるしに
長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集1巻57
引馬野に
色づいた榛木(はんのき)の原に 乱れ入って
着物を染めるがいい 旅のしるしに
『持統太上天皇、参河国(みかはのくに)にいでませる時』
いづくにか 舟泊(ふなは)てすらむ
安礼(あれ)の崎 漕ぎ廻(た)みゆきし
棚なし小舟(をぶね)
高市黒人(たけちのくろひと) 万葉集1巻58
どこで 舟泊(ふなど)まりするのだろう
安礼の崎を 漕いで巡っていった
あの横棚のない小舟は
『大唐(だいたう)にありし時、国を思ひて作る歌』
いざ子ども 早く日本(やまと)へ
大伴の 御津(みつ)の浜松 待ち恋ひぬらむ
山上憶良 万葉集1巻63
さあ皆よ 早く日本へ
大伴の三津の 港の浜松も
待ちわびていることだろう
『難波の宮にいでませる時』
葦辺(あしへ)ゆく
鴨の羽がひに 霜降りて
寒き夕(ゆふ)へは 大和(やまと)し思ほゆ
志貴皇子 万葉集1巻64
葦辺をゆく
鴨のつばさに 霜が降って
寒さのつのる晩には
大和のことが思われる
海の底(わたのそこ)
沖つ白波 竜田山(たつたやま)
いつか越えなむ 妹があたりみむ
よみ人知らず 万葉集1巻83
(わたのそこ)
沖には白波が立つよ 竜田山
いつか越えたいな
妻のあたりが見たいから
『仁徳天皇を思ひて作らす歌』
かくばかり 恋つゝあらずは
高山の 岩根(いはね)しまきて
死なましものを
磐之媛命(いわのひめのみこと) 万葉集2巻86
これほどに 恋しいくらいなら
高い山に果て 岩を枕にして
死んでしまった方がましです
『大津皇子、ひそかに伊勢神宮(いせのかむみや)にくだりて、
上り来る時に、大伯皇女の作らす歌』
わが背子を
大和へやると さ夜更けて
あかとき露に 我(あ/わ)が立ち濡れし
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻105
大切なあの人を
大和へ見送ろうと 夜も更けて
あかつきの露に わたしは立ち濡れる
あしひきの
山のしづくに 妹待つと
我(あれ/われ)立ち濡れぬ 山のしづくに
大津皇子 万葉集2巻107
(あしひきの)
山のしずくに 恋人を待って
わたしは立ち濡れる 山のしずくに
『石見国(いはみのくに)より妻に別れて上り来る歌の反歌』
さゝの葉は
み山もさやに さやげども
我(あれ/われ)は妹思ふ 別れ来ぬれば
柿本人麻呂 万葉集2巻133
笹の葉が
御山でしきりに さやいでいるが
わたしは妻を思う 別れて来たので
「有間皇子、みづから傷(いた)みて松が枝(え)を結ぶ歌二首」
岩代(いはしろ)の
浜松が枝(え)を 引き結び
ま幸(さき)くあらば また帰り見む
有間皇子(ありまのみこ) 万葉集2巻141
岩代の
浜松の枝を 結びあわせて無事を祈り
生きながらえたら また戻り見られるだろうか
家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を
草枕 旅にしあれば
椎(しひ)の葉に盛る
有間皇子 万葉集2巻142
家にいれば うつわに盛る飯を
(くさまくら) 旅にあるから
椎の葉に盛る
『天武天皇の崩(かむあが)ります時』
北山に
たなびく雲の 青雲(あをくも)の
星離れゆき 月を離れて
持統天皇 万葉集2巻161
北山に
棚引いている雲 その青雲は
星を離れてゆき そして月を離れて……
「大津皇子の屍(かばね)を葛城の二上山に移し葬(はぶ)る時、
大伯皇女の悲しびて作らす歌」
うつそみの
人なる/にある我(あれ/われ)や 明日よりは
二上山(ふたかみやま)を 弟背(いろせ)と我(あ/わ)れ見む
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻165
この世の 人であるわたしは
明日からは み墓となった二上山を
愛する弟と わたしは見るでしょう
磯のうへに
生(お)ふる馬酔木(あしび)を 手折(たを)らめど
見すべき君が ありと言はなくに
大伯皇女(おおくのひめみこ) 万葉集2巻166
磯のほとりに
生えた馬酔木(あせび)を 折り取ろうとしたけれど
もう見せるべきあなたが いる訳ではないのに
『日並皇子(ひなみしのみこ)の殯宮(あらきのみや)の時の歌』
島の宮(みや)
まがりの池の 放ち鳥(はなちどり)
ひと目に恋ひて 池にかづかず
(柿本人麻呂) 万葉集2巻170
島の宮の
まがりの池に 放し飼いの鳥は
亡き人が恋しくて
池に潜ろうとしないのか
『但馬皇女(たぢまのひめみこ)の薨(こう)ぜし後、
冬の日、雪降るに、み墓を遥かに望み、
悲傷流涕(ひしょうりゅうてい)して作らす歌一首』
降る雪は あはにな降りそ
吉隠(よなばり)の 猪養(ゐかひ)の岡の 寒からまくに/くあらまくに
穂積皇子(ほつみのみこ) 万葉集2巻203
降る雪よ 沢山積もるな
吉隠の 猪養の岡にあるみ墓が 寒くなるだろうから
『河辺宮人、姫島の松原に、
娘子(をとめ)がかばねを見て、
悲嘆して作る歌』
妹が名は 千代(ちよ)に流れむ
姫島(ひめしま)の 小松がうれに
苔生(こけむ)すまでに
河辺宮人(かはへのみやひと) 万葉集2巻228
この娘の名前は 千代まで伝わるだろう
いつか姫島の 小松のこずえに
苔が生すその日まで
『志貴皇子の薨(こう)ずる時の歌より短歌』
高円(たかまと)の 野辺(のへ)の秋萩
いたづらに 咲きか散るらむ
見る人なしに
笠金村(かさのかなむら) 万葉集2巻231
高円の 野辺の秋萩は
むなしく 咲いたり散ったりしているだろうか
もう見る人もいないのに
『天皇、いかづちの岡にいでませる時』
大君は 神にしませば
天雲(あまくも)の いかづちの上に 廬(いほ)り/らせるかも
柿本人麻呂 万葉集3巻235
大君は神であられるゆえ
天雲をとどろかせる 神なりの岡のうえに
仮の庵(いおり)を築いていらっしゃる
『壬申の乱静まりし後』(巻第十九より)
大君は 神にしませば
赤駒(あかごま)の 腹ばふ田ゐを みやことなしつ
大伴御行 万葉集19巻4260
大君は神であられるゆえ
赤駒が 腹ばうような田んぼを 都へと変えられた
『壬申の乱静まりし後』(巻第十九より)
大君は 神にしませば
水鳥(みづとり)の すだく水沼(みぬま)を みやことなしつ
よみ人しらず 万葉集19巻4261
大君は神であられるゆえ
水鳥が 群がるような沼地を 都へと変えられた
『長皇子(ながのみこ)、猟路(かりぢ)の池にいでませる時』
ひさかたの
天(あま/あめ)ゆく月を 網(あみ)に刺(さ)し
わが大君は きぬがさにせり
柿本人麻呂 万葉集3巻240
(ひさかたの)
天を行く月を 網で捕らえ
我らが天皇は かざし傘にされている
玉藻刈る 敏馬(みぬめ)を過ぎて
夏草の 野島(のしま)の崎に 船近づきぬ
柿本人麻呂 万葉集3巻250
玉藻を刈っている 敏馬を過ぎて
夏草の茂る 野島の崎に 船は近づいた
あまざかる
鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば
明石(あかし)の門(と)より 大和島(やまとしま)見ゆ
柿本人麻呂 万葉集3巻255
(あまざかる)
田舎びた地方からの長い道を
みやこを恋慕ってやってくると
明石海峡から 大和の山々が見えてきました
『近江国よりのぼり来る時、宇治川の辺(へ)にいたりて作る歌』
ものゝふの
八十宇治川(やそうぢかは/がは)の 網代木(あじろき/ぎ)に
いさよふ波の ゆくへ知らずも
柿本人麻呂 万葉集3巻264
(もののふの)
八十に分かれる宇治川の 網代の木に
いざよう波の 行方は分からない
近江(あふみ)の海
夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
こゝろもしのに いにしへ思ほゆ
柿本人麻呂 万葉集3巻266
近江の海の
夕波にいる千鳥よ お前が鳴けば
胸が締め付けられるように
昔のことが思われるよ
旅にして もの恋しきに
山もとの 赤(あけ)のそほ船(ぶね/ふね)
沖を漕ぐ見ゆ
高市黒人 万葉集3巻270
旅にあって もの恋しい時に
山裾から 赤色の丹(に)を塗った船が
沖を漕いでいるのが見える
桜田(さくらだ)へ 鶴(たづ)鳴き渡る
年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし
鶴鳴き渡る
高市黒人 万葉集3巻271
桜田の方へ 鶴が鳴き渡る
年魚市潟では 潮が引いたらしい
鶴が鳴き渡る
志賀(しか)の海人(あま)は
藻刈(めかり)り塩焼き いとまなみ
櫛笥(くしげ)/くしらの小櫛(をぐし) 取りも見なくに
石川少郎(いしかわのしょうろう) 万葉集3巻278
志賀の海女たちは
海藻を刈り塩を焼きと 暇がないので
化粧箱の小櫛(おぐし)さえ 取って見ようとしないよ
『富士の山を望む歌の反歌』
田子(たご)の浦ゆ
うち出でゝ見れば 真白にそ
富士の高嶺(たかね)に 雪は降りける
山部赤人 万葉集3巻318
田子の浦から
うち出て見ると 真っ白に
富士の高嶺に 雪は降っているよ
あをによし 奈良のみやこは
咲く花の にほふがごとく
今盛りなり
小野老(おののおゆ) 万葉集3巻328
(あをによし) 奈良の都は
咲き誇る花の 照り映えるように
今こそ栄えているよ
あさぢ原
つばら/\に もの思(おも/も)へば
古(ふ)りにし里し 思ほゆるかも
大伴旅人 万葉集3巻333
(浅茅原)
つくづくと もの思いに耽っていると
古びたかつての都のことが 思われてなりません
「山上憶良臣(おみ)、宴(えん)をまかる歌一首」
憶良(おくら)らは
今はまからむ 子泣くらむ
それその/そのかの母も 我(あ/わ)を待つらむそ
山上憶良 万葉集3巻337
この憶良めは
これで失礼します。子も泣いているでしょう。
それでその子の母も、私を待っているでしょうから。
しるしなき ものを思はずは
ひと坏(つき)の にごれる酒を
飲むべくあるらし
大伴旅人 万葉集3巻338
考えても仕方のない ことを思うよりは
一杯の にごった酒を
飲む方が良いでしょう
世のなかを
なにゝ喩(たと)えむ 朝びらき
漕ぎ去(い)にし船の 跡なきごとし/がごと
沙弥満誓(しゃみまんぜい) 万葉集3巻351
世の中を 何に喩えようか
朝の港から 漕ぎ去った船の
波跡が消えてしまうようなものか
「大津皇子、死をたまはりし時、
磐余の池の堤(つゝみ)にして、
涙を流して作らす歌一首」
もゝづたふ
磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を
今日のみ見てや 雲隠(くもが)りなむ
大津皇子(おおつのみこ) 万葉集3巻416
(ももづたふ)
磐余の池に 鳴いている鴨を
今日だけは見て
死んでいくというのか
『天智天皇を思(しの)ひて作る歌』
君待つと 我(あ/わ)が恋ひ居れば
わが宿の すだれ動かし 秋の風吹く
額田王 万葉集4巻488
あなたを待って 恋い慕っていますと
わたしの家の すだれを動かして
秋の風が吹いて来るのです
川の上(へ/うへ)の
いつ藻の花の いつも/\
来ませ我が背子 時じけめやも
吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集4巻491
河のほとりの
いつ藻の花の いつもいつも
いらしてくださいなあなた
都合が悪い時などありませんから
「碁檀越、伊勢国に行きし時、とゞまれる妻が作る歌一首」
神風(かむかぜ)の
伊勢の浜荻(はまをぎ) 折り伏せて
旅寝やすらむ 荒き浜辺(はまへ)に
碁檀越(ごのだにおち)の妻 万葉集4巻500
(神風の)
伊勢の浜荻を 折り敷いて
旅に寝ているのだろうか
荒れた浜辺で
来(こ)むと言ふも 来(こ)ぬ時あるを
来じと言ふを 来むとは待たじ
来じと言ふものを
大伴坂上郎女 万葉集4巻527
来ようと言っても 来ない時があるのに
来ないと言うのを 来るだろうかと思って
待ったりはしません
だって 来ないと言うのだから……
『大伴百代(もゝよ)の恋歌に答ふる歌』
黒髪に
白髪まじり 老ゆるまで
かゝる恋には いまだ逢はなくに
大伴坂上郎女 万葉集4巻563
黒髪に
白髪がまじり 年を取るまで
これほどの恋には
逢ったことはありませんでした
『大伴旅人に仕える余明軍、大伴家持に与ふる歌』
あしひきの
山に生ひたる 菅(すが)の根(ね)の
ねもころ見まく 欲しき君かも
余明軍(よのみょうぐん) 万葉集4巻580
(あしひきの)
山に生えている 菅の根のように
ねんごろに見たいと 思うあなたです
君に恋ひ いたもすべなみ
奈良山の 小松がもとに/したに
立ち嘆くかも
笠郎女(かさのいらつめ) 万葉集4巻593
あなたが恋しくて どうしようもなくて
奈良山の 小松のところに
たたずんで嘆いているのです
八百日(やほか)行く 浜の真砂(まなご)も
我(あ/わ)が恋に あにまさらじか
沖つ島守(しまもり)
笠郎女(かさのいらつめ) 万葉集4巻596
八百日を歩くほどの 浜の砂を集めても
わたしの恋には きっとまさらないでしょうよ
聞いていますか
沖で眺めている島守さん
思ふにし/ひにし
死にするものに あらませば
千度(ちたび)そ我(あれ/われ)は 死に反らまし
笠郎女 万葉集4巻603
恋しさが
死ぬべきもので あるならば
千回でもわたしは 死を繰り返す事でしょう
葦辺(あしへ)より
満ち来る潮の いや増しに
思へか君が 忘れかねつる
山口女王(やまぐちのおおきみ) 万葉集4巻617
葦辺から
満ちてくる潮の ますます増さるように
思うからかあなたが どうしても忘れられません
をみなへし
佐紀沢(さきさは)に生ふる 花かつみ
かつても知らぬ 恋もするかも
中臣郎女(なかとみのいらつめ) 万葉集4巻675
(をみなへし)
佐紀沢に生える 花がつみでもありませんが
わずかほども知らなかった
恋をしているのです
玉の緒を
あは緒に縒(よ)りて 結べらば
ありて後にも 逢はざらめやも/ずあらめやも
紀郎女(きのいらつめ) 万葉集4巻763
玉の緒を
沫緒(あわお)縒りにして 結んだならば
ことがあった後でもまた
逢えないことがあるでしょうか
世の中は
空しきものと 知る時し
いよゝます/\ 悲しかりけり
大伴旅人 万葉集5巻793
この世に居るのは
空しい事に過ぎないと 知ったときこそ
いよいよますます 悲しい気持ちにさせられます
しろかねも
くがねも玉も なにせむに
まされる宝 子にしかめやも
山上憶良 万葉集5巻803
銀(しろがね)も金(こがね)も玉も なにほどの事か
よりすばらしい宝である
子どもには及ぶべくもない
春されば
まづ咲くやどの 梅の花
ひとり見つゝや 春日(はるひ)暮らさむ
山上憶良 万葉集5巻818
春になれば
まず咲く我が家の 梅の花を
一人で眺めながら 春の日を暮らすものか
わが園(その)に 梅の花散る
ひさかたの 天(あめ)より雪の
流れ来るかも
大伴旅人 万葉集5巻822
わたしの園に 梅の花が散るよ
(ひさかたの) 天から雪が
流れて来るように
『松浦川に遊ぶ歌より』
松浦(まつら)なる
玉島川(たましまがは)に 鮎釣ると
立たせる子らが 家道知(いへぢし)らずも
(筑紫歌壇制作) 万葉集5巻856
松浦の
玉島川に 鮎を釣ろうと
立っている娘たちの 家路は知らないけれど
「あへて私懐(しくわい)を述ぶる歌」
あまざかる
鄙(ひな)に五年(いつとせ) 住まひつゝ
みやこの手振り 忘らへにけり
山上憶良 万葉集5巻880
(あまざかる)
田舎の地方に 五年も住み続け
みやこの仕草も 忘れてしまいました
世の中を
憂(う)しと恥(やさ)しと 思へども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
山上憶良 万葉集5巻893
世の中は
辛いもの 恥ずべきものと 思うけれど
飛びされないもの 鳥ではないから
『吉野の離宮(とつみや)にいでませる時の歌の反歌』
山高(やまたか/だか)み
白木綿花(しらふゆばな/はな)に 落ちたぎつ
滝の河内(かふち)は 見れど飽かぬかも
笠金村 万葉集6巻909
山が高いので
白木綿(しらゆう)の花みたいに たぎり落ちる
滝で知られた河内は どれほど見ても飽きない
『紀伊国(きのくに)にいでませる時の歌の反歌』
若の浦に
潮満ち来れば 潟(かた)をなみ
葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
山部赤人 万葉集6巻919
若の浦に
潮が満ちてくれば 干潟がないので
葦辺をめざして 鶴が鳴き渡るよ
み吉野の
象山(さきやま)の際(ま)の 木末(こぬれ)には
こゝだも騒(さわ)く 鳥の声かも
山部赤人 万葉集6巻924
み吉野の
象山の谷間の 梢(こずえ)には
これほど鳴き騒ぐ 鳥の声がします
ぬばたまの
夜の更けゆけば 久木(ひさぎ/ひさき)生ふる
清き川原に 千鳥しば鳴く
山部赤人 万葉集6巻925
(ぬばたまの)
夜が更けてゆけば 久木(ひさぎ)の生える
清らかな川原に 千鳥がしきりに鳴いている
『みやこに向かふ海路(うみつぢ)にして、
貝を見て作る歌一首』
我が背子に 恋ふれば苦し
いとまあらば
拾ひてゆかむ 恋忘れ貝
大伴坂上郎女 万葉集6巻964
愛する人への 恋しさが苦しいから
暇があったら 拾って行こうかしら
恋を忘れるという貝殻を
をのこやも 空しくあるべき
万代(よろづよ)に 語り継ぐ/継くべき 名は立てずして
山上憶良 万葉集6巻978
男であれば 空しく終えてよいものか
いつの世までも 語り継がれるべき 名を立てないままで
振り放(さ)けて 三日月見れば
ひと目見し 人の眉引(まよび)き 思ほゆるかも
大伴家持 万葉集6巻994
振り仰いで 三日月を見れば
ひと目見た あの人の眉毛のさまが
こころに浮かんで来るよ
天(あめ)の海に
雲の波立ち 月の舟
星の林に 漕ぎ隠る見ゆ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1068
天空の海に
雲は波となって立ち 月の舟が
星々の林のなかを 漕ぎ隠れるのが見える
あしひきの
山川(やまがは)の瀬の 鳴るなへに
弓月が岳(ゆつきがたけ)に 雲立ちわたる
(柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1088
(あしひきの)
山川の瀬が 鳴り渡るなかに
弓月が岳に 雲が立ち渡っていく
しなが鳥(とり)
猪名野(ゐなの)を来れば 有間山(ありまやま)
夕霧立ちぬ 宿りはなくて
よみ人しらず 万葉集7巻1140
(しなが鳥)
猪名野へと来れば 有間山に
夕霧が立ちのぼる 宿る所はないままで
志賀(しか)の海人の
潮焼くけぶり 風をいたみ
立ちは昇らず 山にたなびく
(古集) 万葉集7巻1246
志賀島(しかのしま)の漁師らの
塩を焼くけむりは 風が強いので
真っ直ぐには昇らずに
山の方へ棚引いていく
この岡に
草刈るわらは なしか刈りそね
ありつゝも
君が来まさむ/来まして 御馬草(みまくさ)にせむ
よみ人しらず 万葉集7巻1291
この岡で
草を刈る子どもよ そんなに刈らないでね
刈らないでおいたって
あの人がやってくるんだから
馬の餌にしましょうね
月草(つきくさ)に 衣(ころも)は摺(す)らむ
朝露に 濡れての後は
うつろひぬとも
よみ人しらず 万葉集7巻1351
月草で 着物を摺り染めにしよう
朝露に 濡れた後には
色あせてしまったとしても
潮満てば
入りぬる磯の 草なれや
見らく少なく 恋ふらくの多き
よみ人しらず 万葉集7巻1394
潮が満ちれば
隠れる磯の 草のように
見られることは少なくて
恋しさばかりが募ります
石走(いはゞし)る
垂水(たるみ)のうへの さわらびの
萌え出(い)づる春に なりにけるかも
志貴皇子 万葉集8巻1418
岩をほとばしり
流れ落ちる水のほとりの ゼンマイが
芽生え出る春に なったものですね
春の野に
すみれ摘みにと 来し我そ
野をなつかしみ ひと夜寝(ね)にける
山部赤人 万葉集8巻1424
春の野に
スミレを摘みに来た私ですが
春野がしたわしいものですから
そこで一夜寝てしまいました
我が背子に
見せむと思ひし 梅の花
それとも見えず 雪の降れゝば
山部赤人 万葉集8巻1426
あの人に
見せようと思った 梅の花でしたが
見分けが付きません
真っ白な雪が 降りましたから
明日よりは
春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
昨日も今日も 雪は降りつゝ
山部赤人 万葉集8巻1427
明日から
春菜を摘もうと 標(しめし)をした野でしたが
昨日も今日も 雪が降り続きます
かはづ鳴く
神(かむ)なび川(かは)に 影見えて
今か咲くらむ 山吹の花
厚見王(あつみのおおきみ) 万葉集8巻1435
蛙の鳴く
神のおわします川に 影を映して
今頃咲いているだろうか 山吹の花は
春の野に
あさる雉(きゞし)の 妻恋(つまご)ひに
己(おの)があたりを 人に知れつゝ
大伴家持 万葉集8巻1446
春の野に
餌をあさる雉(きじ)が 妻を求めて
自分の居るあたりを 人に知らせているよ
神(かむ)なびの
磐瀬(いはせ)の社(もり)の ほとゝぎす
毛無(けなし)の岡(をか)に いつか来鳴かむ
志貴皇子 万葉集8巻1466
神のおわします
磐瀬の森の ほととぎすは
毛無の岡に いつになったら来て鳴くだろうか
恋しけば
形見にせむと 我がやどに
植ゑし藤波 今咲きにけり
山部赤人 万葉集8巻1471
恋しい時の
あの人の形見にしようと 私の家に
植えた藤波が 今こそ咲くのです
夕されば
小倉の山に 鳴く鹿は
今夜(こよひ)は鳴かず 寐(い)ねにけらしも
舒明天皇 万葉集8巻1511
夕方になれば
小倉の山に 鳴くはずの鹿は
今夜は鳴きません
妻といっしょに寝ているのでしょう
秋風の 吹きにし日より
いつしかと 我(あ/わ)が待ち恋ひし
君そ来ませる
山上憶良 万葉集8巻1523
秋風が 吹き始めた日から
いつになったらと 私が待ちわびていた
あなたがいらっしゃった
秋の野に
咲きたる花を 指折(およびを)り
かき数(かぞ)ふれば 七種(なゝくさ)の花
山上憶良 万葉集8巻1537
秋の野に
咲いている花を 指折りに
数えてみれば 七草の花
萩の花
尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが/の花
をみなへし
また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)が/の花
山上憶良 万葉集8巻1538
原文におなじ
秋萩の
散りのまがひに 呼びたてゝ
鳴くなる鹿の 声のはるけさ
湯原王(ゆはらのおおきみ) 万葉集8巻1550
秋萩の
散り乱れているあたりで 妻を呼び出して
鳴いている鹿の 声のはるかさよ
夕月夜 こゝろもしのに
白露の 置くこの庭に
こほろぎ鳴くも
湯原王 万葉集8巻1552
夕月の夜は 心も感傷でいっぱいになり
白露が 置かれるこの庭には
こおろぎが鳴いています
しぐれの雨 間なくし降れば
三笠山(みかさやま) 木末(こぬれ)あまねく
色づきにけり
大伴稲公(おおとものいなきみ) 万葉集8巻1553
しぐれの雨が 絶え間なく降るので
三笠山では 梢が残らず
すっかり色づきました
秋立ちて 幾日(いくか)もあらねば
この寝ぬる 朝明(あさけ)の風は
手(た)もと寒しも
安貴王(あきのおおきみ) 万葉集8巻1555
立秋を迎えてから 幾日も経ちませんが
こうして寝ていると 夜明け頃の風は
手もとに肌寒く感じられます
秋づけば
尾花がうへに 置く露の
消ぬべくも我(あれ/わ)は 思ほゆるかも
日置長枝娘子(へきのながえおとめ) 万葉集8巻1564
秋めいてくると
尾花のうえに 置かれた露のように
消えてしまいそうに私は 思われてなりません
さを鹿の
朝立つ野辺(のへ)の 秋萩に
玉と見るまで 置ける白露
大伴家持 万葉集8巻1598
牡鹿が 朝に立つ野辺の 秋萩には
白玉と間違えるくらいに
きらきらと置かれた白露です
あわ雪の
ほどろ/\に 降りしけば
奈良のみやこし 思ほゆるかも
大伴旅人 万葉集8巻1639
沫雪(あわゆき)が
まだらまだらに 降り敷かれれば
奈良のみやこが 想い出されます
さ夜中と 夜は更けぬらし
雁が音(ね)の 聞こゆる空を
月渡る見ゆ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集9巻1701
真夜中へと 夜は更けたようです
雁の鳴き声が 聞こえてくる空を
月が渡るのが見えます
うぐひすの 卵(かひご/かひこ)のなかに
ほとゝぎす ひとり生まれて
己(な)が父に 似ては鳴かず
己(な)が母に 似ては鳴かず
卯の花の 咲きたる野辺(のへ)ゆ
飛び翔(かけ)り 来鳴き響(とよ)もし
橘(たちばな)の 花をゐ散らし
ひねもすに 鳴けど聞きよし
賄(まひ)はせむ 遠(とほ)くな行きそ
わが宿の 花橘に 棲(す)みわたれ鳥
高橋虫麻呂 万葉集9巻1755
うぐいすの 卵の中に
ほととぎすは ひとりで生まれて
お前の父に 似ては鳴かず
お前の母に 似ては鳴かず
卯の花の 咲いている野のあたりを
飛び回って 来ては鳴き声を響かせ
たちばなに とまっては花を散らしている
一日じゅう 鳴いても聞き飽きない
お礼はきっと授けよう 遠くに行かないで欲しい
私の家の たちばなの木に 住み続けよその鳥
「反歌」
かき霧らし 雨の降る夜は
ほとゝぎす 鳴きて行くなり
あはれその鳥
高橋虫麻呂 万葉集9巻1756
にわかに曇り 雨の降る夜を
ほととぎすが 鳴いて行ってしまう
惜しまれるその鳥よ
『筑紫に任ぜらるゝ時、豊前国(とよのみちのくちのくに)の娘子(をとめ)、
紐児(ひものこ)をめとりて作る歌』
いそのかみ
布留(ふる)の早稲田(わさだ)の 穂には出でず
こゝろのうちに 恋ふるこのころ
抜気大首(ぬきけのおおびと) 万葉集9巻1768
石上(いそのかみ)の
布留にある早稲田の 穂のようには現わさず
心のうちで 恋しく思うこの頃です
「葛飾の真間娘子(まゝのをとめ)を詠む歌一首 あはせて短歌」
鶏(とり)が鳴く 東(あづま)の国に いにしへに ありけることゝ 今までに 絶えず言ひける 葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の手児名(てごな)が 麻衣(あさぎぬ)に 青衿着(あをくびつ)け ひたさ麻(を)を 裳(も)には織り着て 髪だにも 掻(か)きは梳(けづ)らず 沓(くつ)をだに はかず行けども 錦綾(にしきあや)の 中に包める 斎(いは)ひ子(こ)も 妹にしかめや 望月(もちづき)の 足(た)れる面(おも)わに 花のごと 笑(ゑ)みて立てれば 夏虫の 火に入(い)るがごと 港入(みなとい)りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらぬものを/生けらじものを なにすとか 身をたな知りて 波の音(おと)の 騒(さわ)く港の 奥城(おくつき)に 妹が臥(こ)やせる 遠き代(よ)に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも
高橋虫麻呂 万葉集9巻1807
(鳥が鳴く) 東の国に いにしえに あった話と 今日にまで 伝え続ける 葛飾の 真間の手児名が 麻服に 青襟を付け 真麻(まあさ)した 布を裳に着て 髪さえも 梳(けず)ることなく 靴さえも 履かずにゆくが あやにしきの 中に包んだ 愛娘(まなむすめ)も 及ぶべくもない 満月の まあるい顔で 花のよう ほほ笑みかければ 夏の虫 火にいるように 港には 漕ぎ寄るように 行き集まり 求婚する時 どれほども 生きられないもの なんでまた 我が身を悟って 波の音の 騒ぐみなとの 墓となり むすめは眠る 遠い昔 あったこととか まるで昨日 見たことのように 思われるものよ
「反歌」
葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の井(ゐ)を見れば
立ちならし 水汲(く)ましけむ
手児名(てごな)し思ほゆ
高橋虫麻呂 万葉集9巻1808
葛飾にある 真間の井戸を見れば
地面をならして 水を汲んでいたであろう
手児名のことが偲ばれる
ひさかたの 天の香具山(あめのかぐやま)
この夕(ゆふ)へ 霞たなびく
春立つらしも
(柿本人麻呂歌集) 万葉集10巻1812
(ひさかたの) 天の香具山に
この夕ぐれ 霞がたなびいている
春になったようだ
風まじり/まじへ
雪は降りつゝ しかすがに
霞たなびき/たなびく 春さりにけり
よみ人しらず 万葉集10巻1836
風にまじって 雪は降っている
そうは言っても 霞がたなびいて
春はやってきたのだ
梅が枝に
鳴きて移ろふ うぐひすの
羽根しろたへに あは雪そ降る
よみ人しらず 万葉集10巻1840
梅の枝に
鳴いては飛びうつる うぐいすの
羽根さえ真っ白にして
沫雪(あわゆき)が降っています
昨日こそ 年は果てしか
春かすみ 春日(かすが)の山に
はや立ちにけり
よみ人しらず 万葉集10巻1843
昨日年が 暮れたばかりなのに
春霞が 春日山には
早くも立ちのぼっている
春雨(はるさめ)に 争ひかねて
我が宿の さくらの花は
咲きそめにけり
よみ人しらず 万葉集10巻1869
春雨に 抗しきれなくて
わたしの家の 桜の花は
咲き始めました
春雨は いたくな降りそ
さくら花 いまだ見なくに
散らまく惜しも
よみ人しらず 万葉集10巻1870
春雨よ あまり降らないでほしい
さくらの花を まだ見てもいないのに
散ってしまうのが惜しいから
もゝしきの
大宮人(おほみやひと)は いとまあれや
梅をかざして こゝに集(つど)へる
よみ人しらず 万葉集10巻1883
(ももしきの)
宮中の貴人たちは 暇などあるのだろうか
梅を髪に挿して ここに集まったりして
恋ひつゝも 今日は暮らしつ
かすみ立つ 明日の春日(はるひ)を
いかに暮らさむ
よみ人しらず 万葉集10巻1914
恋しく思いながら
今日はとりあえず暮らしましたが
霞の立ちのぼる 明日また長い春の一日を
どうやって暮らしたらよいでしょう
旅にして
妻恋ひすらし ほとゝぎす
神(かむ)なび山に さ夜更けて鳴く
(古歌集) 万葉集10巻1938
旅にあって
妻が恋しいのだろう ほととぎすが
神奈備山で 夜更けに鳴いているのは
朝霞(あさがすみ) たなびく野辺(のへ)に
あしひきの 山ほとゝぎす
いつか来鳴かむ
よみ人しらず 万葉集10巻1940
朝霞が たなびいている野原に
(あしひきの) 山ほととぎすは
いつになったら来て鳴くだろう
ほとゝぎす
来鳴く五月(さつき)の みじか夜も
ひとりし寝(ぬ)れば
明かしかねつも
よみ人しらず 万葉集10巻1981
ほととぎすが
来て鳴く五月の 短い夜であっても
ひとりで寝ていると
なかなか明けてくれないものです
うぐひすの
通ふ垣根の 卯の花の
憂きことあれや 君が来まさぬ
よみ人しらず 万葉集10巻1988
うぐいすが
通ってくる垣根の 卯の花の憂い
憂うつなことがあるのでしょうか
あなたがいらっしゃらないのは
天の川 霧立ちわたり
彦星(ひこほし)の 楫の音(おと)聞こゆ
夜の更けゆけば
よみ人しらず 万葉集10巻2044
天の川に 霧が立ちこめて
彦星の船の 楫の音が聞こえます
夜が更けてゆくので
この夕(ゆふ)へ
降りくる雨は 彦星(ひこほし/ぼし)の
はや漕ぐ舟の 櫂の散りかも
よみ人しらず 万葉集10巻2052
この夕方に
降ってきた雨は 彦星が
早漕ぎする船の 櫂のしずくかもしれない
恋しくは 形見(かたみ)にせよと
わが背子が 植ゑし秋萩
花咲きにけり
よみ人しらず 万葉集10巻2119
恋しい時に わたしを偲べと
愛するあなたが 植えてくれた秋萩が
花を開かせました
葦辺(あしへ)なる 荻(をぎ)の葉さやぎ
秋風の 吹き来るなへに
雁鳴き渡る
よみ人しらず 万葉集10巻2134
葦辺にある 荻の葉がさやいで
秋風が 吹いてくるのに合わせて
雁が鳴き渡っているよ
庭草に 村雨(むらさめ)降りて
こほろぎの 鳴く声聞けば
秋づきにけり
よみ人しらず 万葉集10巻2160
庭草に にわか雨が降って
こおろぎの 鳴く声がすれば
秋らしくなってきたよ
しぐれの雨 間なくし降れば
真木(まき)の葉も あらそひかねて
色づきにけり
よみ人しらず 万葉集10巻2196
しぐれの雨が 絶え間なく降るので
真木の葉さえも 抗(あらが)いきれなくて
色が変わってきました
さ雄鹿の
妻呼ぶ山の 岡辺(おかへ)なる/にある
早稲田(わさだ)は刈らじ 霜は降るとも
よみ人しらず 万葉集10巻2220
牡鹿が
妻を呼ぶ山の 岡のあたりの
早稲の田は刈らないでおこう
たとえ霜が降ったとしても
萩の花 咲きたる野辺(のへ)に
ひぐらしの 鳴くなるなへに
秋の風吹く
よみ人しらず 万葉集10巻2231
萩の花が 咲いた野原に
ひぐらしが 鳴くのに合わせて
秋の風が吹いている
秋萩の
咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
濡れつゝ来ませ 夜は更けぬとも
よみ人しらず 万葉集10巻2252
秋萩が
咲き散る野辺の 夕露に
濡れながらでもいらっしゃい
夜は更けてしまっても
朝霞(あさがすみ/かすみ)
鹿火屋(かひや)がしたに 鳴くかはづ
声だに聞かば 我(あ/わ)れ恋ひめやも
よみ人しらず 万葉集10巻2265
(あさがすみ)
鹿火(かび)の小屋のかげに 鳴く蛙のように
声だけでも聞こえたら わたしも恋しがったりするものか
朝(あした)咲き
夕へは消(け)ぬる 月草(つきくさ)の
消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
よみ人しらず 万葉集10巻2291
朝になったら咲いて
夕べにはしぼんでしまう 月草のような
消え入りそうな恋を わたしはしているのです
『巻第十二より』
夕(ゆふへ)置きて
朝(あした)は消ぬる 白露の
消ぬべき恋も 我(あれ/われ)はするかも
よみ人しらず 万葉集12巻3039
夕方に置かれて
翌朝には消えてしまう 白露のような
消え入りそうな恋を 私はしているのです
八田(やた)の野の あさぢ色づく
愛発山(あらちやま) 峰のあは雪 寒く降るらし
よみ人しらず 万葉集10巻2331
八田の野の 浅茅が色づいた
愛発山の 峰にはあわ雪が
寒く降っていることだろう
泊瀬(はつせ)の
弓槻(ゆつき)がしたに わが隠せる妻
あかねさし
照れる月夜(つくよ)に 人見てむかも
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2353
泊瀬の
弓槻が岳のふもとに わたしが隠した妻
あかあかと
照らす月夜に 誰かが見つけたりしないだろうか
朝影に 我(あ/わ)が身はなりぬ
玉(たま)かきる/かぎる ほのかに見えて
去(い)にし子ゆゑに
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2394
朝早くのおぼろ気な姿に 私はなってしまった
(たまかきる) わずかに見えて
消えたあの子のせいで
春やなぎ
葛城山(かづらきやま)に 立つ雲の
立ちても居ても 妹をしそ思ふ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2453
(春やなぎ)
葛城山に 立つ雲のように
立っていても座っていても
あの娘(こ)のことばかりまた考えてしまう
道の辺(へ)の
いちしの花の いちしろく
人皆知りぬ 我(あ/わ)が恋妻(こひづま)は
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2480
道ばたに咲く
いちしの花のよう はっきりと
皆に知られてしまった
私の恋する妻のことを
水底(みなそこ)に
生(お)ふる玉藻(たまも)の うちなびき
こゝろは寄りて 恋ふるこのころ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2482
水の底に
生えている玉藻のように 流れになびいて
こころを寄せて 恋するこの頃
朝寝髪(あさねがみ/あさいがみ) われは梳(けづ)らじ
うるはしき 君が手枕(たまくら)
触れてしものを
よみ人しらず 万葉集11巻2578
朝の寝起きの髪を わたしは梳(すき)ません
うるわしい あなたの腕枕に
触れた髪の毛
ぬばたまの
わが黒髪を ひきぬらし
乱れてさらに 恋ひわたるかも
よみ人しらず 万葉集11巻2610
(ぬばたまの)
この黒髪を 引き解いて
思い乱れてさらに 恋い慕うもの
あづさ弓
引きみ緩(ゆる)へみ 来ずは来ず
来ば来そをなぞ/など 来ずは来ばそを
よみ人しらず 万葉集11巻2640
梓弓を 張ったり緩めたりするように
来ないといって来ない 来るといって来る
それかと思えば 来ないといって来たりまたそれを……
燈火(ともしび)の
影にかゞよふ うつせみの
妹が笑(ゑ)まひし 面影(おもかげ)に見ゆ
よみ人しらず 万葉集11巻2642
ともし火の
影にちらつく 生きたままの
あの子の笑顔が 面影となって浮かぶよ
ちはやぶる
神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
今はわが名の 惜しけくもなし
よみ人しらず 万葉集11巻2663
(ちはやぶる)
神域の垣根も 越えてしまおう
今は自分の名など 惜しくもないから
青山(あをやま)の
岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに
恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
よみ人しらず 万葉集11巻2707
青く茂った山の
岩に囲まれた沼の 水に隠れるように
ひっそりと恋し続けます
逢うすべもないので
波の間ゆ
見ゆる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ/き)
久しくなりぬ 君に逢はずして
よみ人しらず 万葉集11巻2753
波の間から
見える小島の 浜のヒサギのよう
久しくなります
あなたに逢わないままで
あしひきの
山鳥の尾の しだり尾の
長々し夜を ひとりかも寝む
よみ人しらず 万葉集11巻2802別本
(あしひきの)
山鳥の尾の しだれた尾のような
長々しい夜を ひとりで寝るのだろうか
恋ひつゝも 今日はあらめど
たまくしげ 明けなむ明日を
いかに暮らさむ
よみ人しらず 万葉集12巻2884
恋しさに 今日は過ごしました
(たまくしげ) 明けるであろう明日は
どうやって暮らしましょう
うつくしと/うるはしと
思ふ我妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て
起きてさぐるに なきが寂(さぶ)しさ
よみ人しらず 万葉集12巻2914
可愛らしいと
思うあの娘(こ)を 夢に見て
起きて手探りをすると 居ない寂しさ
あづさ弓
末のたづきは 知らねども
こゝろは君に 寄りにしものを
よみ人しらず 万葉集12巻2985別本
(あづさゆみ)
先のことは なにも分かりませんが
心はあなたに 寄り添ってしまいましたから
たらちねの
母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
いぶせくもあるか 妹に逢はずして
よみ人しらず 万葉集12巻2991
(たらちねの)
母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないで
あしひきの
山より出づる 月待つと
人には言ひて 妹待つ我(われ)を
よみ人しらず 万葉集12巻3002
(あしひきの)
山からのぼる 月を待ちますと
人には言って
恋人を待っているわたしなのです
君があたり
見つゝも居(を)らむ 生駒山(いこまやま)
雲なたなびき 雨は降るとも
よみ人しらず 万葉集12巻3032
あなたのあたりを
ずっと眺めていましょう 生駒山に
雲よ掛からないでください
たとえ雨が降ったとしても
忘れ草
垣もしみゝに 植ゑたれど
しこのしこ草(ぐさ/くさ) なほ恋ひにけり
よみ人しらず 万葉集12巻3062
忘れ草を
垣根にいっぱい 植えたのに
醜(しこ)の駄目草だわこんなの
やっぱり恋しいもの
なか/\に 人とあらずは
桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
玉の緒ばかり
よみ人しらず 万葉集12巻3086
なまじいに 人として恋しさに死ぬくらいなら
蚕にでも なったほうがマシです
おなじわずかな命でも
さひのくま
檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
馬に水かへ 我れよそに見む
よみ人しらず 万葉集12巻3097
(さひのくま)
檜隈川に 馬を休めて
馬に水を与えなさいな
わたしは遠くから眺めていますから
いで我(あ/わ)が駒(こま)
早く行きこそ 真土山(まつちやま)
待つらむ妹を 行きて早見む
よみ人しらず 万葉集12巻3154
出でよ 我が馬よ
早く行くのだ 真土山に
待つであろう恋人を 行って早く見よう
志賀(しか)の海人(あま)の
釣し灯(とも)せる 漁(いさ)り火の
ほのかに妹を 見むよしもがも
よみ人しらず 万葉集12巻3170
志賀(しか)の漁師が
釣に灯している いさり火のように
わずかだけでもあの人を
垣間見ることは出来ないものか
住吉(すみのえ)の
岸に向へる 淡路島(あはぢしま)
あはれと君を 言はぬ日はなし
よみ人しらず 万葉集12巻3197
住吉(すみよし)の
岸に向かい合った 淡路島のように
あなたを目の前に浮かべて
ああ愛しいと 嘆かない日はありません
しき島の 大和の国は
言霊の 助くる国ぞ
ま幸くありこそ
(柿本人麻呂歌集) 万葉集13巻3254
(しき島の) 大和の国は
言葉の霊力の 助ける国と言います
ですから「どうぞご無事で」
小墾田(をはりだ)の 年魚道(あゆぢ)の水を
間なくそ 人は汲(く)むといふ
時じくそ 人は飲むといふ
汲む人の 間なきがごとく
飲む人の 時じきがごと
我妹子に 我(あ)が恋ふらくは
止(や)む時もなし
よみ人しらず 万葉集3260
小墾田の 年魚道の水を
絶え間なく 人は汲むといいます
時を開けず 人は飲むといいます
汲む人の 絶え間がないように
飲む人の 時を開けないように
愛するあなたを わたしが恋慕うことは
留まることがありません
思ひやる
すべのたづきも 今はなし
君に逢はずて 年の経ぬれば
よみ人しらず 万葉集13巻3261
思いを馳せる
手立ての糸口も 今はありません
あなたに逢わないで
年が過ぎてしまいましたから
明日香川
瀬々の玉藻の うちなびく/き
こゝろは妹に 寄りにけるかも
よみ人しらず 万葉集13巻3267
明日香川の 川瀬の玉藻が なびくみたいに
この心はあなたに なびき寄ってしまいました
葛飾(かづしか)の 真間の浦廻(うらみ)を 漕ぐ舟の
舟人騒く 波立つらしも
上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3349
葛飾の 真間の浦内を 漕ぐ船の
舟人たちが騒いでいる 波が荒れてきたらしい
さ寝(ぬ)らくは 玉の緒ばかり
恋(こ)ふらくは 富士の高嶺(たかね)の 鳴沢(なるさは)のごと
駿河国(するがのくに)の歌 万葉集14巻3358
寝たのは ほんのわずかなのに
恋しさは 富士の高嶺の 鳴沢の響きのよう
多摩川(たまがは)に
さらす手作り さら/\に
なにそこの子の こゝだ愛(かな)しき
上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3373
多摩川に
さらす手作り布の さらさらと
今さらどうしてこの子は
こんなにも愛しいのだろう
にほ鳥(どり)の
葛飾早稲(かづしかわせ)を にへすとも
その愛(かな)しきを 外(と)に立てめやも
下総国(しもつふさのくに)の歌 万葉集14巻3386
(にほ鳥の)
葛飾の早稲(わせ)を 祭りに捧げる時でも
愛するあの人を 外に立たせたままで
神のために ひとりでこもっていられましょうか
稲つけば
かゝる我(あ)が手を 今夜(こよひ)もか
殿(との)の若子(わくご)が 取りて嘆かむ
よみ人しらず 万葉集14巻3459
稲を精米すれば
あかぎれの私の手を 今夜もかしら
お屋敷の若旦那が 手に取って嘆かれるのは
山鳥(やまどり)の
尾(を)ろのはつをに 鏡かけ
唱(とな)ふべみこそ 汝(な)に寄そりけめ
よみ人しらず 万葉集14巻3468
山鳥の
尾ろのはつをに 鏡をかけて
まじないを唱えたから
あなたと一緒になれたのよ
(正訳不明歌)
烏(からす)とふ
おほおそ鳥(どり/とり)の まさでにも
来(き)まさぬ君を ころくとぞ鳴く
よみ人しらず 万葉集14巻3521
カラスという
大うつけ鳥の奴 しっかりと
来もしないあなたを
来たとか鳴きやがって
あしひきの
山路越えむと する君を
こゝろに持ちて 安けくもなし
狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3723
(あしひきの)
山路を越えようと するあなたを
こころに抱いて 穏やかではいられません
君がゆく
道の長手(ながて)を 繰(く)りたゝね
焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
狭野弟上娘子 万葉集15巻3724
あなたが行く
長い道のりを 手繰り重ねて
焼き滅ぼしてくれる
神の火があればよい
我がやどの
花たちばなは いたづらに
散りか過ぐらむ 見る人なしに
中臣宅守(なかとみのやかもり) 万葉集15巻3779
我が家の
花橘はむなしく
散り過ぎるのだろうか
見る人もいないままで
『手習ひ歌』
安積山(あさかやま)
影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
浅きこゝろを 我が思はなくに
(陸奥のさきの采女詠む) 万葉集16巻3807
安積山の
影さえ映しだされる 澄んだ山の井のような
浅いこころで あなたを思ってはいません
人魂(ひとだま)の
さ青なる君が たゞひとり
逢へりし雨夜(あまよ)の はびさし思ほゆ
よみ人しらず 万葉集16巻3889
霊魂の
真っ青になったあなたが たったひとりで
現われた雨の夜の はびさしを思う
(解読困難歌)
新(あらた)しき 年のはじめに
豊(とよ)の稔(とし) しるすとならし
雪の降れるは
葛井諸会(ふじいのもろあい) 万葉集17巻3925
新しい 年の初めに
豊かな稔(みの)りを 予兆するのでしょう
雪が降るのは
うぐひすの
鳴き散らすらむ 春の花
いつしか君と 手折(たを)りかざゝむ
大伴家持 万葉集17巻3966
うぐいすが
鳴き散らしているようです 春の花を
いつしかあなたと 折って髪に飾りたいもの
あゆの風 いたく吹くらし
奈呉(なご)の海人(あま)の 釣りする小舟(をぶね)
漕ぎ隠る見ゆ
大伴家持 万葉集17巻4017
この地の東風である「あゆの風」が
ずいぶん吹いているようです
奈呉の漁師たちの 釣をする小舟が
波に漕ぎ隠れながら見えています
「鵜を潜(かづ)くる人を見て作る歌一首」
婦負川(ひめがは)の
早き瀬ごとに かゞりさし
八十伴(やそとも)の男(を)は 鵜川(うかは)立ちけり
大伴家持 万葉集17巻4023
婦負川の
早い瀬ごとに 篝火を焚いて
多くの鵜飼いたちが 鵜漁(うかり)をしている
ひと本(もと)の
なでしこ植ゑし そのこゝろ
誰れに見せむと 思ひそめけむ
大伴家持 万葉集18巻4070
ひと株の
なでしこを植えた その心は
いったい誰に見せようとして
思い立ったものだと言うのでしょう
「宴席に雪月梅花(せつげつばいくわ)を詠む歌一首」
雪の上に 照れる月夜(つくよ)に
梅の花 折りて贈らむ
はしき子もがも
大伴家持 万葉集18巻4134
雪の上を 月が照らす夜に
梅の花を 折り取って贈るような
愛おしい恋人がいたらよいのに
春の園(その)
くれなゐにほふ もゝの花
した照(で)る道に 出で立つをとめ
大伴家持 万葉集19巻4139
春の園に
くれない色に 映える桃の花が
下を照らすような道に
立ち現われた少女よ
我が園の すもゝの花か
庭に散る はだれのいまだ
残りたるかも/残りてあるかも
大伴家持 万葉集19巻4140
私の園の 李(すもも)の花だろうか
それとも庭に散った はだれ雪がいまだに
残されているのだろうか
「かたかごの花をよぢ折る歌一首」
ものゝふの
八十娘子(やそをとめ)らが 汲(く)みまがふ
寺井(てらゐ)の上の かたかごの花
大伴家持 万葉集19巻4143
(もののふの)
沢山の娘らが 汲み交わしている
寺の井のほとりの かたくりの花
「川をさかのぼる舟人の唄をはるかに聞く歌一首」
朝床(あさとこ)に
聞けば遥(はる)けし 射水川(いみづかは)
朝漕ぎしつゝ 歌ふ舟人
大伴家持 万葉集19巻4150
朝の寝床で
聞いていると遙かな 射水川に
朝船を漕ぎながら 歌っている船頭の声
唐人(からひと)も
いかだ浮かべて 遊ぶといふ
今日そわが背子 花かづらせよ/な
大伴家持 万葉集19巻4153
唐人も
いかだを浮かべて 遊ぶという
今日ですよ皆さん 花かづらをかざしましょう
「筑紫の大宰(ださい)の時の、
春苑梅歌(しゆんゑんばいか)に追和(ついわ)する一首」
春のうちの 楽しき終(をへ)は
梅の花 手折(たを)り招(を)きつゝ 遊ぶにあるべし
大伴家持 万葉集19巻4174
春のあいだの 楽しい過ごし方は
梅の花を 折って皆を招待して 遊ぶことではないでしょうか
たこの浦の
底さへにほふ 藤波を
かざして行かむ 見ぬ人のため
内蔵縄麻呂(くらのなわまろ) 万葉集19巻4200
たこの浦に
映し出された底まで照り映えるような
すばらしい藤波を
髪にかざしてゆこう
見られなかった人のために
石瀬野(いはせの)に
秋萩しのぎ 馬なめて
初鳥猟(はつとがり)だに せずや別れむ
大伴家持 万葉集19巻4249
石瀬野で
秋萩を踏みつけて 馬を並べての
初の鷹狩りすらも せずに別れようとは
松かげの
清き浜辺(はまへ)に 玉敷かば
君来まさむか 清き浜辺に
藤原八束 万葉集19巻4271
松の影の
清らかな浜辺に 玉を敷き詰めたら
あなたはおいでになられるでしょうか
この清らかな浜辺に
春の野に 霞たなびき
うら悲(がな)し この夕影に
うぐひす鳴くも
大伴家持 万葉集19巻4290
春の野に 霞がたなびいて
もの悲しい この夕暮の光に
うぐいすが鳴いている
我が宿の
いさゝ群竹(むらたけ) 吹く風の
音のかそけき この夕へかも
大伴家持 万葉集19巻4291
私の家の
わずかな群竹に 吹く風の
音さえかすかな この夕べです
うら/\に
照れる春日(はるひ)に ひばり上がり
こゝろ悲しも ひとりし思へば
大伴家持 万葉集19巻4292
うららかに
照る春の日に ヒバリは上がり
こころ悲しいもの
ひとりもの思いをしていると
我が妻は いたく恋ひらし
飲む水に 影(かご)さへ見えて
よに忘られず
若倭部身麻呂(わかやまとべのみまろ) 万葉集20巻4322
愛しい妻は 強く恋慕っているらしい
飲む水に その姿さえ映し出されて……
なおさら忘れられない
『防人(さきもり)の歌』
からころも
裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
置きてそ来(き)ぬや 母(おも)なしにして
他田大島(おさたのおおしま) 万葉集20巻4401
唐風(からふう)の衣(ころも)の
裾に取り付いて 泣く子どもたちを
残して来ました 母もいないのに
防人(さきもり)に
行くは誰(た)が背(せ)と 問ふ人を
見るがともしさ 物思(ものも)もせず
(前年の防人の秀歌) 万葉集20巻4425
防人に
行くのは誰の夫ですと 尋ねる人を
見ているとうらやましい
物思いもしないで……
『玉箒(たまばゝき)をたまひての宴の時』
初春(はつはる)の
初子(はつね)の今日の たまばゝき
手に取るからに 揺(ゆ)らく玉の緒
大伴家持 万葉集20巻4493
初春を迎えて
初子の日である今日の 玉箒は
手に取る途端に 玉が鳴り揺れます
『天平宝字三年春、正月一日に、因幡国の庁(ちやう)にして、
饗(あへ)を、国郡の司(つかさ)らにたまふ宴の歌一首』
新(あらた)しき
年の初めの 初春(はつはる)の
今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
大伴家持 万葉集20巻4516
新しい
年の初めの 初春の
今日降る雪の
しきりに積もれ 良きことよ
(をはり)
2016/07/19