万葉秘抄 解説 その二

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朗読ファイル

万葉秘抄 解説 その二

挽歌

     「有間皇子、みずから傷(いた)みて松が枝を結ぶ歌」
岩代(いはしろ)の
  浜松が枝(え)を 引き結び
    ま幸(さき)くあらば また帰り見む
          有間皇子(ありまのみこ) 万葉集2巻141

岩代の
  浜松の枝を 結びあわせて無事を祈り
    生きながらえたら また戻り見られるだろうか

 有間皇子(ありまのみこ)(640-658)は孝徳天皇(こうとくてんのう)の息子です。父が654年、中大兄皇子(後の天智天皇)との対立の末に亡くなると、恐らくは中大兄皇子の策謀に掛かり、クーデター未遂の廉(かど)で捕らえられ、処刑されることになりました。この歌は、その護送途中、和歌山県日高郡みなべ町にある岩代(いわしろ)で詠まれたとされる、二首の辞世の句(じせいのく)(ただし正確には死より少し前の和歌ですが)のうちのひとつです。

 もっとも、悲劇のヒーローを思いはかって、別の人が詠んだ歌ではないかという説も有力です。内容は簡単ですが、実はこの短歌でもっとも分かっていないのは、三句目の「引き結び」というのが、実際にはどのような行為であったかで、場景を定めるキーワードが、中途半端になって、イメージがはっきりしない嫌いが残されます。

 仕方ないので、このようなものであると考えて、情景を描き出すしかないようですが、「引き結び」という行為が、ただ幣を結ぶくらいの意味よりも、特別な行為、すなわち和歌の中で、もっとも大切な部分を形成しているようにも思われます。あるいはそれされ外れなければ、幸せが訪れるような、呪術的な要素さえ、感じられなくもありませんが、なにしろ分かりませんので、ここでは取りあえず、枝と枝とを何らかの手段で結び合わせるものとして、先に進むことにしましょう。

 それで歌の内容としては、松への祈願が叶ったならば、また帰ってきて眺めようというものになっています。これを、帰ってこれないと知りながらの、観念的な歌であると捉えて、ヒーロー伝説に参加するような意見もあるようですが、仏教や儒教が浸透して、精神が人工的に作り替えられた後の世ならともかく、古代人はもっと自分の感情に率直です。それに19歳の若者です。帰ってこれたらまた見たいと願うなら、それは純粋に生きることへの願望を込めた歌であり、それ以外の何物でもないと捉えなければ、かえって妄想が籠もるように思われるのですが……

 ただし、この短歌だけで、それが実際に連行中に本人が詠んだものか、あるいは後世の歌人が思いはかったのか、それとも別の機会に詠まれた和歌が利用されたに過ぎないのか、短歌自体から定めることは不可能かと思われますが、わたしたちの鑑賞としては、有間皇子の辞世の歌でよいでしょう。

     「大津皇子、死をたまはりし時、
         磐余の池の堤(つゝみ)にして、
       涙を流して作らす歌一首」
もゝづたふ
  磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を
    今日のみ見てや 雲隠(くもが)りなむ
          大津皇子(おおつのみこ) 万葉集3巻416

(ももづたふ)
   磐余の池に 鳴いている鴨を
     今日だけは見て
   死んでいくというのか

 その意味では、この歌も、本人が詠んだのか、後世の人が思いはかったのか、明白ではありません。ただし、有間皇子の歌とは異なり、ほかの機会、例えば普通の羈旅の歌として詠まれうる内容ではなく、まさに大津皇子が死の直前に詠まれた和歌として、つまり「辞世の和歌」として存在しています。

 大津皇子(おおつのみこ)(663-686)は天武天皇の息子で、皇太子である草壁皇子(くさかべのみこ)に継ぐ立場にありましたが、686年に天武天皇が亡くなると、川島皇子(かわしまのみこ)の密告により、謀反のかどで糾弾され、自害に追い込まれた人物です。時に二十四歳。磐余(いわれ)に邸宅があったので、和歌では「磐余の池に」と詠み込まれています。

 この事件には、自分の血を引く草壁皇子を守る、持統天皇が関わっているともされますが、それを言うなら、争いを回避するための、天武天皇のひそかな遺言かも知れませんし、実際に行動に出ようとしていたのかもしれませんから、どうとでも空想に委ねることは可能で、真相は不明です。

 短歌は、自分の邸宅の池の鴨を、まるで自分を慕ってくれる者たちが嘆くように見立てて、「あなたがたを今日限り眺めて、雲へと去るだろう」と詠んだもので、有間皇子の短歌とは異なり、確定された死が眼前に迫っていますから、「観念的に悟りし者」の和歌になっています。もとより、後の歌人が、そのように推し量ったとも捉えられますが。

 観念した切腹の際のような、武士的な辞世の和歌というものは、万葉集においても、そしてもちろん勅撰和歌集の時代を含めても、きわめてユニークなものですから、それだけでも価値があるかと思われますが、もちろん格調高い和歌自体が、優れたものであるからこそ、取り上げたものには過ぎません。

雑歌

     「十市皇女(とをちのひめみこ)、
        伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐおもぶく時
       波多(はた)の横山の巌(いはほ)を見て、
         吹黄刀自(ふゝきのとじ)が作る歌」
川の上(へ/うへ)の
   ゆつ石むらに 草生(む)さず
  常にもがもな とこ処女(をとめ)にて
          吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集1巻22

川のほとりの
   なめらかな岩々に 草が生えないように
 常にありたいものですね いつまでも乙女のまま

 十市皇女(とをちのひめみこ)は、天武天皇と額田王の娘で、672年の壬申の乱では、父である(後の)天武天皇と、自分の夫である大友皇子(おおとものみこ)が争い、夫が亡くなるという悲劇に見舞われた女性です。その後の675年に、伊勢神宮に参拝したとき、恐らくは彼女に使える次女兼歌人であった吹黄刀自(ふふきのとじ)が、この和歌を詠みました。それで、詞書が記され、公的な和歌の多い「巻第一」に含まれることから、和歌で十市皇女が永遠に美しくありますようにと、言祝(ことほ)いだものかとされています。

 短歌の「ゆつ岩群」とある「ゆつ」は、「斎(ゆ)つ」で神聖なものに付ける接頭語かとされ、「常にもがもな」というのは、「百人一首」の源実朝(みなもとのさねとも)の「常にもがもな渚(なぎさ)漕ぐ」のフレーズが印象的なものですから、記憶している人もあるかも知れませんが、「常にあればよいのに」という願望を表明しています。

 それで、草ひとつ生えていない、なめらかな、神聖なものに思われる岩を眺めて、こんな風に永遠(とわ)にありますようにと願ったものですから、願望とはいっても、むしろ聖なる岩に手を合わせて、祈願を掛けるようなイメージかも知れません。また、今日風に捉えるなら、
     「いつまでもこんな風に、お肌すべすべでありますように」
くらいの感性に移しかえても、楽しめるかと思われます。

 ところで、このせっかくの吹黄刀自の願いは叶わず、678年、十市皇女は急な病で亡くなってしまいました。自殺したなどという説もあるようですが、明確に残された資料を否定するためには、それと同等の証拠が最低限必要で、希望的観測にもとづくものは、単なる妄想には過ぎないものです。

     『葛飾の真間の手児名を詠む歌の反歌』
葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の井(ゐ)を見れば
  立ちならし 水汲(く)ましけむ
    手児名(てごな)し思ほゆ
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1808

葛飾にある 真間の井戸を見れば
   地面をならして 水を汲んでいたであろう
      手児名のことが偲ばれる

 葛飾の真間の手児名(ままのてこな)というのは、真間、つまり今日の千葉県市川市あたりにいた、伝説の女性です。伝説といっても、いくつもバリエーションがあったようですが、海に入って自殺するというのが共通の結末になっています。詠み手は、その具体的なストーリーは詠み込まず、「美しいその姿に、言い寄ってくる男たちは多かったものを、なんで死んでしまったのか」と長歌にまとめました。これはその反歌になっています。

 内容は分かりやすいかと思われます。井戸のあたりの地面が馴らされているのは、もちろん手児名一人のためではありませんが、手児名もそこでひたむきに水を汲んでいたであろうから、その姿が偲ばれるというものです。伝説に対して詠まれた和歌ということは、すでに伝説が聞き手の心情をあおり立てるものですから、あまり技巧的な作品に仕上げると、かえって虚偽に陥りかねません。むしろ伝説を前提にして、さらりと推し量るくらいが程よい短歌です。そうして、程よい短歌を、最適な状況で提示するということが、現代の自称歌人たちにも、なかなか出来ないことを考えるならば、なるほど高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)という万葉歌人も、なかなか優れた歌い手であったことが、悟れるのではないでしょうか。

 ちなみにこの歌人、浦島伝説だの、「うなひをとめ」だの、伝説による物語的な和歌を残す歌人として、独自の地位を固めています。柿本人麻呂ほどではありませんが、万葉集の中で、外せない歌人のひとりには違いありません。

     『子らを思ふ歌の反歌』
しろかねも
  くがねも玉も なにせむに
    まされる宝 子にしかめやも
          山上憶良 万葉集5巻803

銀(しろがね)も金(こがね)も玉も なにほどの事か
   よりすばらしい宝である
      子どもには及ぶべくもない

 独自の道を歩んでいるというなら、
  山上憶良も外せません。
 この遣唐使帰りの歌人は、持ち前の漢文の知識を生かした、ユニークな作品を数多く生みなしています。教科書の贄(にえ)にさらされている、「貧窮問答歌」などはもっとも知られたものかもしれませんが、貧者を思い歌ったり、子どものことを歌ったり、自らの老いを切実に歌うようなことは、今日では当たり前に感じるかも知れませんが、万葉集という閉ざされた美的価値観を持つ、和歌の世界にあっては、むしろ異質なものを形成しているくらいです。

 かと思えば、和歌らしい素敵な作品も残していたりと、なかなか多彩な人なのですが、この作品も、子どもを思う漢文の序に、長歌と反歌が融合した、ユニークなスタイルで歌われていて、その取りまとめとして、どんな宝も、子どもには及ばないと詠んでいます。その宝に「金・銀・玉」を順にあげるような発想は、やはり漢籍からの影響によるもので、万葉集の一般的な作品中に見いだすことは出来ません。ただ彼の漢詩的なアプローチは、大伴家持を中心に、山上憶良の精神的な弟子たちに、後々影響を与えているようです。

     『防人(さきもり)の歌』
からころも
  裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
    置きてそ来(き)ぬや 母(おも)なしにして
          他田大島(おさたのおおしま) 万葉集20巻4401

唐風(からふう)の衣(ころも)の
  裾に取り付いて 泣く子どもたちを
    残して来ました 母もいないのに

 編纂者として有力視される大伴家持が、防人(さきもり)の監督を任された事から、関東圏などの東国から北九州に送り出される、国防兵団としての「防人(さきもり)の歌」が、万葉集に、数多く収められることになりました。これは、山上憶良とは異なり、漢学の才に溢れるどころか、中央貴族ほどの教養は身につけていない、しがない者たちの短歌ですが、日常的な感覚から出発して、やはり子どもたちを思うという、私たちの感覚に、馴染みやすい短歌にまとめています。なにしろ、「金や銀」と比べられても観念的な気がしますが、袖に取り付いて泣く子どもを置き去りになどというのは、お涙ものが大好きな現代人にこそ、しっくり来るような内容です。

 このような庶民的な、日常感覚に基づく短歌というものは、防人の歌だけでなく、「東歌(あずまうた)」という方言による東国の歌にも数多く収められています。また、よみ人の分からない恋歌などにも、幾つも混入していますから、ひとつのジャンルとして、確立していると見ることも出来そうです。ただこの作品ほど、引き締まった短歌になっているのは、むしろめずらしいくらいで、日常感覚に身を委ねたものであるがゆえに、短歌としては、何らかの傷を持つものが多いのも、この種のジャンルの特徴だと言えるかも知れません。

     『貧窮問答(びんぐうもんだふ)の歌の短歌』
世の中を
  憂(う)しと恥(やさ)しと 思へども
    飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
          山上憶良 万葉集5巻893

世の中は
   辛いもの 恥ずべきものと 思うけれど
 飛びされないもの 鳥ではないから

  知性派といっても、心情の根幹はおなじです。
 ただその心情を、そのまま暴露するか、表現に再構成を加えるか、その違いです。「あの鳥のように飛んで行けたら」と詠めば日常感覚の短歌ですが、山上憶良はそれを観念的な表現へと置き換えます。「世の中を」と置いて、人々の普遍的な価値観として、憂いややりきれなさを提示して、さらには、「鳥になりたい」という願望をそのまま表明せず、そう願っても叶わないものとまとめます。そこに格調が生まれます。つまりは、素直な和歌には素直な良さが、着想をもとに再構成された和歌には、日常には生まれない凝った表現の良さが、それぞれにこもると言えるでしょう。優劣の問題ではないのです。

     『沈痾(ちんあ)の時の歌一首』
をのこやも 空しくあるべき
   万代(よろづよ)に 語り継ぐ/継くべき 名は立てずして
          山上憶良 万葉集6巻978

男であれば 空しく終えてよいものか
  いつの世までも 語り継がれるべき 名を立てないままで

 それにしても、山上憶良という人は、陽よりは陰の方に情念の強い歌人で、老、貧、病などの状況を、正面から捉えた和歌が多いという、他の歌人にはまず見られない特徴を有しているのですが、これも沈痾、つまりずっと治らないような病に際しての、老いの歌になっています。

 遣唐使として派遣されたからこそ、従五位下(じゅごいのげ)を授かったものの、以後昇進することもなく、その知識を政権に生かすことも出来ずに、空しく消えていく絶望のようなものが、あるいは根底にあったのかも知れません。または、遣唐使として大陸で学んだ者どもが、朝廷で活躍しているのを見て、なおさら我が身を恨んだものかも知れませんが、すでに七十歳を越えていたと思われる人の言葉としては、むしろ絶望のような悲しみが、にじみ出ているように思われます。

恋歌

[朗読ファイル その二]

朝影に 我(あ/わ)が身はなりぬ
  玉(たま)かきる/かぎる ほのかに見えて
    去(い)にし子ゆゑに
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2394

朝早くのおぼろ気な姿に 私はなってしまった
  (たまかきる) わずかに見えて
     消えたあの子のせいで

 朝の光のぼんやりした時間帯を、「彼は誰でしょうの時間帯」の意味で「かはたれ時」と呼んだりしますが、朝影(あさかげ)というのも、やはり輪郭のぼんやりした、明確でない印象をあらわしているようです。「玉かきる」は「ほのか」に掛かる枕詞です。つまりは、ほんのわずかに垣間見た、あの人の姿が離れないので、わたしはもっと「ほのか」な状態、つまり朝影のように、はっきりした心を失ってしまったという内容です。

玉かぎる
  ほのかに見えて 去にしゆゑ
 朝影のごと 我が身はなりぬ

くらいの短歌を倒置させて、はじめに強調して自らの状況を提示して、三句目からその理由を説明するという、オーソドックスな修辞のパターンを使用していますから、そのフォームと一緒に、覚えておくと良いかも知れません。定型とはもともと、効率よく詩情を伝えるための、常套手段には違いありませんから、安定した共感を、誘い出すことが可能です。

青山(あをやま)の
   岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに
 恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
          よみ人しらず 万葉集11巻2707

青く茂った山の
  岩に囲まれた沼の 水に隠れるように
    ひっそりと恋し続けます
  逢うすべもないので

 逢えるような人ではないので、そぶりに表われないように、恋しさをこころに深く沈めて、隠しておきましょうという内容ですが、上の句の秘境のイメージには、相手への心情が、偽りのない、神聖な思いであるような印象も、同時に詠み込んでいるように思われます。

 なかなか味わいのあるのは、四句目の「恋ひやわたらむ」という表現で、本来なら「わたる」というのは、表へ出て行くような、広がり行くような言葉なのですが、上の句の印象によって、水面下に広く深く、恋が広がっていくような印象が生まれます。その印象のまま結句に掛かりますから、なんだか「聖なる切なさ」のような、かけがえのない短歌になっている訳です。

さひのくま
  檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
    馬に水かへ 我れよそに見む
          よみ人しらず 万葉集12巻3097

(さひのくま)
   檜隈川に 馬を休めて
     馬に水を与えなさいな
   わたしは遠くから眺めていますから

 こちらも、片思いや、おおやけに出来ない恋心の気配がします。馬を乗り回す相手の男に対して、この川で馬を休めて、馬に水を飲ませてください。その間だけでも、わたしは遠くから、あなたのことを眺めていますから。もちろん、その後も逢う事が叶わないから、せめてつかの間でも、遠くからでも眺めていたいというのが心情です。

 ただ、それがあまり切実に、締め付けるように響かないのは、この短歌が、「ひのくま」を初句と二句に、「馬」を三句と四句に橋渡し、また「隈(くま)」「馬(うま)」の類似の表現を、四句にわたって繰り返すという、口調のリズム遊びの要素が、豊かに織り込まれているせいで、まるで歌の歌詞ででもあるかのような、深刻でない様式美を持っているせいかと思われます。

なか/\に 人とあらずは
  桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
    玉の緒ばかり
          よみ人しらず 万葉集12巻3086

なまじいに 人として恋しさに死ぬくらいなら
  蚕にでも なったほうがマシです
    おなじわずかな命でも

 これも「恋に死ぬ」というテーマを詠んでいて、苦しい恋でまもなく死ぬくらいなら、蚕として恋も知らずに死んだ方がマシだという、意味だけを取れば、なかなか深い情念を詠んでいるのですが、ちっともそんな気分にならないのは何故でしょう。

 それは簡単で、「星となっていつまでも君を見守ろう」なら絵になるシチュエーションでも、「LEDライトとなって君を見守ろう」としたら、なんのこっちゃと首を傾(かし)げられ、「街灯となって見守ろう」では、ずっと見守る気があるのやら無いのやら、分からなくなるのと一緒で、本当に苦しくて死にそうな人間が、「蚕にでもなった方がマシだ」などとは、別に貴族も庶民も関係なく、普通は詠まないものであるからに他なりません。

 それで印象としては、恋しさにさいなまれてはいるけれど、今すぐ死ぬほどの重傷ではない娘さんが、蚕の世話でもしながら、芋虫みたいなにょろにょろを、指でつついて話しかけるような短歌になっているようです。そのため、民謡などで、皆が歌いながらでも、深刻におちいらない程度の、人々の共感を誘うような表現になっていて、尖ったような個人の心情と言うよりは、丸まった普遍的な情緒が感じられますから、安心してこころを委ねていられる。むしろフレーズを付けて、口ずさんでみたくなるような歌詞になっているのではないでしょうか。それがこの短歌の魅力です。

あしひきの
  山鳥の尾の しだり尾の
    長々し夜を ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集11巻2802別本

(あしひきの)
   山鳥の尾の しだれた尾のような
     長々しい夜を ひとりで寝るのだろうか

 この短歌は、非常にさえない短歌の別バージョンとして紹介されている、「百人一首」に採用された名歌です。ここまで本歌が酷くて、「ある本にある」と紹介されている和歌の方がすばらしいのも、かえってめずらしいくらいですが、その魅力が、長々しい夜を、長々しく表現した、上の句の序詞の、長々ししくも淀みない、山鳥の尾にあることは言うまでもありません。口に唱えると分かることですが、意味は長々しいのにも関わらず、非常にリズミカルで淀みなく、テンポとしてはちっとも長々しく感じられないのが特徴です。

 せっかくですから、万葉集においては、序詞というものが、単なる本心の比喩や、それを導き出す修飾にあるのではなく、本心と一体化して、どちらが表現目的であるのか、分からないような、融合したひとつの詩になっていることを、ここで確認して頂けたらと思います。上の句を取った「長々しい夜をひとりで寝るのか」では、陳腐を五乗しても計算違いに陥るような無意味さで、むしろ上の句を述べるためにこそ、下の句が存在するようにすら思えてくる。序詞のための心情だか、心情表明のための序詞だか、把握できなくなったひとつの創作物において、序詞という定義が、はたしてどのような意味を持つのか、考えて見るのも面白いかも知れませんね。

うつくしと/うるはしと
  思ふ我妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て
    起きてさぐるに なきが寂(さぶ)しさ
          よみ人しらず 万葉集12巻2914

可愛らしいと
  思うあの娘(こ)を 夢に見て
    起きて手探りをすると 居ない寂しさ

 起きてまさぐると、夢にいたはずのあなたは居ないというテーマは、大伴家持の短歌(万葉集4巻741)にも詠まれていて、『遊仙窟(ゆうせんくつ)』という中国の流行小説が元ネタになっているようです。当時は『文選(もんぜん)』という漢詩集を初め、さまざまな漢籍(かんせき)が詠まれ、知識を拡大させていましたから、中国側の資料にも、日本人があさましく書籍を買いあさる様子が、やれやといった調子で載っているくらいです。

 それにしても、中国の文芸の歴史は、万葉時代の文芸の歴史とは、桁が違いますから、その表現力の豊かさも、ずっと洗練されたもので、万葉集はそのような精神を取り込みながら、表現の拡張を計っていった。そう見ることも出来るかも知れません。そうしてもちろん、自らの感覚として捉え直されて、わたしたちの言葉に最適な表現で表わされたからこそ、わたしたちの感性に伝わって来る、つまりは詩になっているという訳です。

 それで内容の方は、かえって今となっては、注釈が必要ないくらい、分かりやすいものではないでしょうか。むしろ現代人としては、あまり言葉をこね回すことを止めにして、このくらいの心情と表現の結びつきを、見習った方がよいくらいの、飾らない表現にすら思えます。もちろん当時は、きわめて華のある表現に思えたには違いありません。

     『仁徳天皇を思ひて作らす歌』
かくばかり 恋つゝあらずは
    高山の 岩根(いはね)しまきて
  死なましものを
          磐之媛命(いわのひめのみこと) 万葉集2巻86

これほどに 恋しいくらいなら
  高い山に果て 岩を枕にして
    死んでしまった方がましです

 先に見た「桑子にも」の短歌と、パターンは一緒です。ただこちらは、語りかけにゆとりがなく、心情も直線的で、しかも岩を枕にとあるのは、飛び降り自殺でもしかねないような、せっぱ詰まった危機感がこもりますから、パターンは一緒ですが、聞き手に伝えられる心情は大きく異なります。とてもではありませんが、「桑子」の短歌のように、皆で竪琴を奏でながら「玉の緒ばかり」なんて、輪になって歌ってはいられません。ビルの屋上から、飛び降りそうな女性を、説得する覚悟が必要になってきます。

ちはやぶる
  神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
    今はわが名の 惜しけくもなし
          よみ人しらず 万葉集11巻2663

(ちはやぶる)
   神域の垣根も 越えてしおまう
     今は自分の名など 惜しくもないから

 これも、生真面目な心情の短歌です。
「ちはやぶる」は神に掛かる枕詞ですが、「あしひきの」のように乱用されたり、「たらちねの母」のように、冗談めいて使用されることもあるような、日常的枕詞ではありません。むしろ本当に恐れ多い神々を表明する時にこそ使用される、神聖な枕詞と言えるかも知れません。(もっとも程度の問題ですが。)そんな枕詞をかかげる神域の垣根ですから、乗り越えれば死をも覚悟しなければならないくらいですが、今はどうなっても構わないといって、恋のために乗り越えるような精神が、この短歌の核心です。

 ですから「わが名」とあるのは、もちろん相手の女性が、神域に控えるような、手を出してはならない女性であるからこそ、自分の名が知られれば、噂が広がるばかりではない、命をも滅ぼしかねない、そのくらいの決意を込めたものと思われます。なかなか、「荒海を泳ぎ渡っても」などと詠んでみても、これほどリアルな決意表明には至らないでしょうし、デリケートな表現力がどれほど膨らんでも、明確な意志は遠ざかるばかり。これと同じような心情が、描き出せないとするならば、この和歌は、当時の和歌として優れているのではなく、今日の短歌としても、やはりかけがえのない名歌であると言えるでしょう。

あづさ弓
  末のたづきは 知らねども
    こゝろは君に 寄りにしものを
          よみ人しらず 万葉集12巻2985別本

(あづさゆみ)
   先のことは なにも分かりませんが
     心はあなたに 寄り添ってしまいましたから

 これも『伊勢物語』にあるからという訳ではありませんが、簡単に幾つものムラを指摘出来る、傷だらけの元歌よりも、「一本の歌に」とある別バージョンの方が優れた短歌になっています。「梓弓」はもちろん「梓」から作られた弓ですが、その「梓」とは今日それの指す「キササゲ」の事ではなく、カバノキ科の「ミズメ」ではないかとされています。ここではその弓末(ゆずえ)に掛けて、「末」の枕詞になっています。それでこの「末」は未来のことで、「たづき」とは「手立て、手段」といった意味。

 よって、先のことは分からないけれど、あんたが好きになってしまんたんだもん。という内容になります。「今さえ良ければよい」という刹那主義(せつなしゅぎ)のようにも感じられますが、わざわざ「未来の手立ては分からない」と述べる以上は、今さえ良ければ良いのではなく、先のことを不安がりながら、それでもあなたへの恋を振り切れず、身を委ねるような印象です。つまりは、もし刹那主義の短歌にすれば、単純明快ですがそれまでです。しかしこの歌は、より複雑な心情を込めて詠われている。それだけに、何度咥(くわ)えても飽きるどころか、スルメのような味わいがある、と言うのは真面目な恋の歌に対して、ちょっと失礼でしょうか。

川の上(へ/うへ)の
  いつ藻の花の いつも/\
    来ませ我が背子 時じけめやも
          吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集4巻491

河のほとりの
  いつ藻の花の いつもいつも
    いらしてくださいなあなた
  都合が悪い時などありませんから

 やはり序詞と本体が融合しているようです。
「いつでもいらっしゃいよ」と言われるところを、「いつもの花のいつもいつもいらっしゃいよ」と語られると、親しいからこそ見せてくれた、品のある冗談のように聞こえますから、より印象が深くなり、相手が嫌いであれば憎たらしくもなりますが、相手が好きであれば、また直ぐにでも行きたくなります。そのような効果がありますから、序詞はただの修飾ではなく、心情を豊かにするための、生きた言葉として機能している。

 ただ日常会話ではなく、短歌ですから、それをさらに様式化を推し進めて、「川の上の」から始めてみせると、上のような効果に加えて、「藻の花」を詠んでいるような印象も、冒頭に強まりますから、結びつかない事柄が、結びついてしまったような、奇妙な表現が生まれました。

 あとはその奇妙が、素敵に思われれば魅力的な詩にもなります。意味不明に感じられたり、心情に寄り添えなければ、言葉をもてあそんでいるようにも響きます。もちろん私は、すばらしく思えるのでここに紹介してるのですが、あとは皆さまで判断して頂ければと思います。

     「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時、
       額田王の作る歌」
あかねさす
  むらさき野ゆき しめ野ゆき
    野守は見ずや 君が袖ふる
          額田王 万葉集1巻20

(あかねさす)
   紫草の野をゆき 標しのある野をゆき
     野の番人は見ないでしょうか
   あなたが袖を振っているのを

     「皇太子の答ふる御歌」
むらさきの
  にほへる妹を にくゝあらば
    人妻ゆゑに 我(あ)れ恋ひめやも
          大海人皇子(後の天武天皇) 万葉集1巻21

紫草のような
  気品のこもるあなたを 憎く思うのであれば
    人目を気にする 人妻であるからといって
  どうして恋しく袖を振ったりしましょうか

 大海人皇子(おおあまのみこ)つまり後の天武天皇と、額田王(ぬかたのおおきみ)の恋の贈答歌ですが、さまざまな逸話に彩られて、和歌以外のころもが付けられて、むりやり天ぷらにされてしまったような印象があります。初めに述べますと、二人だけの真摯な恋の贈答歌というものは、このような詠まれ方をするものではありません。たとえ公的な傾向の増さる巻第一ではなく、巻第十一に収められていたとしても、この和歌は第三者である聞き手を、強く意識した和歌になっています。

 特に額田王の、「野守は見ずや」というのは、むしろ聞いている外野を意識した表現で、どちらも恋の色彩は、明るくて外向的な表現です。だからこそ屈託もなくて、湿気が無くて、舞台の恋の台詞のようで、魅力的な詩になっているのですが、「巻第一」に収められていることや、詞書の存在から、あるいは宴の席などで詠まれたのではないかという説も、なかなかに有力な説のようです。ある種の外向性がありますから、そのように捉えたくなるのも、もっともな事かと思います。

 そうであるならば、この二人は夫婦であり子供も居るくらいですから、宴会の席であれば、わざと自分の妻に、「人妻であるから」などと呼びかけるのも、まさに相応しい行為ではないでしょうか。余計な妄想を張り巡らせる余地は、ないようにすら思われます。しかしもし宴の席であるならば、はたして額田王は、もともと大海人皇子に対して、この短歌を投げかけたのか、という疑惑すら沸き起こってきます。

 もし宴の歌であるというのが失礼であるならば、それと同じくらい三角関係の歌だというのも、失礼なことかと思われますが、あるいは、この短歌の内容を元に、何かを推し量るという態度自体が、きわめて蒙昧に満ちた行為なのかも知れませんね。そんなことより、せっかく素敵な短歌が贈答に並んでいるのですから、ねちねちしたうわさ話はもう結構ですから、もっと素直に、二つの短歌を口に出して楽しんでくれたら良いのにと思います。

 ところで、恋と言うものには、純粋に相手だけを思うという心情と共に、愛し合う自分たちを見せたい、幸せを見せびらかしたい、という欲求もこもるものです。それはちっとも嫌らしいことではありません。この短歌は、恐らく真摯な心情によってではなく、その二つの心理状態が融合している点に置いてこそ、万葉集の恋歌のトップに躍り出るのかも知れません。
 ただそれだけの感想でした。

あしひきの
  山より出づる 月待つと
    人には言ひて 妹待つ我(われ)を
          よみ人しらず 万葉集12巻3002

(あしひきの)
   山からのぼる 月を待ちますと
     人には言って
   恋人を待っているわたしなのです

 ちょっと月でも見て来ようか。
と言いながら、本当はあの子を待っている。というだけの短歌で、なぜこんなものが秀歌に入っているのか、特に花のある「むらさき野ゆき」の後だけに、尚更いぶかしがる人もあるかも知れません。それほど豊かな心情がこもる訳でもなく、着想に凝ったところもなく、それどころか、「あしひきの」すらありがちの枕詞には過ぎないと捉えるなら、
     「山より」「出づる」「月」「待つ」
     「人に」「言ふ」「妹待つ」「我を」
まるで小学生の学習帳の、簡単な言葉だけを選んで、記したくらいの内容ではないのか。憤慨する人もあるかも知れませんが……

 逆にそれほどありきたりの、簡単な表現で、三句と結句の「待つ」の対比、二句と四句の名詞から動詞への類似パターン、それゆえに起こる二三句と四五句の語り口調による対置。その上で、短歌としての様式を整える冒頭の「あしひきの」。短歌として必要十分な様式を身につけた上で、表明された心情の、対外的な意識や、飾り気のまったくない、日常的なちょっとしたユーモア。それに対して、取り上げるべき傷はどこにもない。

 大したことがない短歌と言われれば、それももっともですが、同時に大したことのある名歌なら、疲れてしまうであろうところのもの。具体的に述べれば、「むらさき野ゆきしめ野ゆき」では、何度も唱えていると、しばらくは「ごちそう様」になってしまうような、日常的な心情からすれば飾りすぎた、わずかな大げさな心情さえも、この短歌には存在しません。ですから、この短歌の取りどころを尋ねられたら、ただ「究極のスルメ歌だから」とでも言うしかありませんが、なにしろ悪い歌ではありませんよ。ためしに一日一回、騙されたと思って唱えてみてください、だんだん味わいが分って来るです。

     『東歌(あづまうた)』
多摩川(たまがは)に
  さらす手作り さら/\に
    なにそこの子の こゝだ愛(かな)しき
          上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3373

多摩川に
  さらす手作り布の さらさらと
    今さらどうしてこの子は
  こんなにも愛しいのだろう

 これも、序詞が「この子のここだ愛しき」を表明するための核として機能していますから、心情に関わりのない贅物(ぜいぶつ)が付いているのではなく、序詞がなければ、心情を表明したことにならないような短歌です。万葉集の優れた序詞は、このように機能しているものが多いのですが、逆にただ載せただけのような、下手な短歌ももちろん存在します。これは優れた方の例。

aaaai aaueuui aaaai
aiooooo ooaaaii

 これはこの和歌の母音だけを、アルファベットの「aiueo」(ややこしくなるので現在と同じ五母音として話をします)で抜き出したものですが、「多摩川」「さらす」「さらさら」などが「a」の連続で形成され、開口的で高らかなのに対して、「この子はこんなに」という力点だけは、「o」が連続して使用されているのが分かると思います。さらにそれぞれの句が「i」で閉ざされ、特に「a⇒i」のリズムが優位であるのに対して、四句目だけがはじめに「a⇒i」を置いてから、「o」の連続に移りますから、明確に意識はしないかも知れませんが、何となく口調から来るリズム変化と、「o」の閉ざした感じが「この子はこんなに」としたところに特別な感じを与え、最後に「かなしき」で基調に返ることを、何度も唱えていると、そこはかとなく感じ取れるかと思います。このような発声的なよろこびと、詠まれた言葉と、その内容が一体化して、全体としてひとつのニュアンスに奉仕しているからこそ、この詩は優れた作品になっている訳です。

 ところで、東歌(あずまうた)というのは、都のみやびな和歌に対して、東国の方言のある、あまりにも日常的感覚に寄り添いすぎて、時には「都人たちには詠めない」ような短歌を、東国を言い訳にして収めた、「巻第十四」に付けられた題目です。先に見た「防人の歌」も東国の出身者による短歌ですから、ふたつには似通った点も見られます。もちろんここに紹介したような、素敵な短歌もありますが、逆にあまりにも方言がきつかったり、内容がお粗末なもの、ちょっと露骨な性愛を歌ったものなど、なかなか豊富に取り揃えてお贈りしているような編纂です。ここでは、その名称だけを紹介して、一首限りで過ぎ去りましょう。

[朗読ファイル その三]

朝寝髪(あさねがみ/あさいがみ) われは梳(けづ)らじ
  うるはしき 君が手枕(たまくら)
    触れてしものを
          よみ人しらず 万葉集11巻2578

朝の寝起きの髪を わたしは梳(すき)ません
  うるわしい あなたの腕枕に
    触れた髪の毛

  別に説明は必要なさそうです。
 あなたの腕に触れた髪だから、
そのままにしておこうという発想です。
 ひとつ付け加えて置きますが、
  解説が沢山ある方が、優れた和歌ということでは、
   まったくありませんから、ご注意ください。

     『大伴家持に贈る歌』
玉の緒を
   あは緒に縒(よ)りて 結べらば
 ありて後にも 逢はざらめやも/ずあらめやも
          紀郎女(きのいらつめ) 万葉集4巻763

玉の緒を
  沫緒(あわお)縒りにして 結んだならば
    ことがあった後でもまた
  逢えないことがあるでしょうか

 玉の緒(たまのを)は、本来は宝石としての玉を貫きつなげる紐のことですが、そこから「短い」後には「いのち」などが掛け合わされるようになっていきます。ここではその玉つなぎの紐としての用法。ただし、実は二句目の「あは緒に縒りて」というのがどのような結び方なのかはっきり分かっていません。それで「ありて後にも」というのが、一夜を共にした後を指すのか、ふたりの間が途切れた後のことなのか、やはりしっくりは分かってはいないのです。ただ、ここでも、

aaooo aaoioie uueaa
aieoiio aaaaeao/aauaaeao

という母音のリズムが、同音反復的である初句、三句、結句に対して、二句と四句が「o」と「i」を使用しながら、特徴的な類似の動きの多い部分を形成している。口調の心地よさもあって、不思議と忘れがたい短歌になっているようです。

たらちねの
   母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
  いぶせくもあるか 妹に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集12巻2991

(たらちねの)
   母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
     狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないでいると

「たらちねの」は母に掛かる枕詞。後の時代とは異なり、この時代は母親の存在が、非常な勢力を持っていました。それで和歌においても、父親が登場するとしても、大抵は母親のおまけで、母親のことが歌われることが圧倒的に多いのが実情で、しかもしばしば「たらちねの」という、勢力のありそうな枕詞をかかげて登場してきます。

 そんなお母さんの飼っている蚕(かいこ)ですが、もちろんペットとして飼っている訳ではありません。小屋に桑の葉を敷き詰めて、芋虫うようよとする蚕を飼育してやると、やがて蚕がサナギになって繭(まゆ)を形成して、その中に閉じこもります。そうしたら、一網打尽に茹で殺しにして、繭を解いて絹糸(きぬいと)を生産するのです。

 もっともこの短歌に関しては、茹で殺しにされるイメージまでは付随していません。ただその狭い繭に閉ざされて、息が出来ないくらい、あの子のことで胸がいっぱいだと詠まれているのです。とは言っても、冒頭から母の影がちらつきますから、あるいは詠み手側の心情と共に、相手の娘さんが、たらちねのおっ母さんに封じ込められて、出られないでいることすらも、暗示されているのかも知れません。すると恋人は物理的に繭に閉じ込められて、自分は精神的に繭に閉じ込められて、ますますがんじがらめな気がしてきます。そこまで捉えると、なかなか味わいのある作品になっているのではないでしょうか。

波の間ゆ
  見ゆる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ/き)
    久しくなりぬ 君に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集11巻2753

波の間から
  見える小島の 浜のヒサギのよう
    久しくなります
  あなたに逢わないままで

 久木(ひさぎ)は先にも登場しましたが、あちらは吉野川、こちらは浜に生える久木で、それが波の間の小島に見えているという序詞が、「久しくなりぬ」を導きます。これも波間に見え隠れするような、小島の浜木の頼りなさが、下句の心情に反映されているようで、意味としては「久木」だから「久しく」なのですが、心情としては揺られる小舟からでも眺めるような、詠み手の心の揺らぎが、この序詞の魅力なのではないでしょうか。

 万葉集でしばしば発音だけでつながっているとか、発音でつながっているが、あるいは~の意味もあるか、などと説明されているものは、優れた作品の場合は、意味でつながっている方が本体で、なおかつ発音でもつながっているに過ぎないような場合がまま見られます。そのような時、第一義を取り損ねたような、順番を履き違えた解説は、詩の解説にはなっていないのだと、糾弾することが出来るかも知れませんね。

     『水の尽きることなき恋歌の反歌』
思ひやる
  すべのたづきも 今はなし
    君に逢はずて 年の経ぬれば
          よみ人しらず 万葉集13巻3261

思いを紛らわせる
   ための手段も 今はありません
      あなたに逢わないで
   年が過ぎてしまいましたから

 人が水を絶えず汲んでは飲むように、
  わたしの恋は止むことがない。
 そんな長歌に添えられた反歌です。これもまた、これといった華のない短歌ですが、あまりにも相手のことを思い悩みすぎて、もはや思い悩むあてさえもなくなってしまったような、ちょっと虚無感に囚われたような、悩みの最果てを表明しています。しかも、際だった誇張もありませんから、素朴で生真面目な詠み手の心情に対して、いたわりの気持ちも湧いてきます。さらには、このような短歌を詠む以上は、それでもあなたへ逢いたいという、気持ちだけは無くならない。そんな恋しさを表明してもいる訳ですから、さりげなさすぎるくらい、真心の短歌です。

君があたり
   見つゝも居(を)らむ 生駒山(いこまやま)
  雲なたなびき 雨は降るとも
          よみ人しらず 万葉集12巻3032

あなたのあたりを
   ずっと眺めていましょう 生駒山に
  雲よ掛からないでください
    たとえ雨が降ったとしても

 これも、相手と逢えない短歌です。
  「なたなびき」の「な」は、願望を込めた禁止の表現ですから、
 「どうか雲よたなびくな」
というニュアンスになります。
 それで、たとえ雨が降っても「どうか雲だけは」という下句には、相手との関係が暗示されているようにも思われます。あなたの方を見ている生駒山というのは、恋人を山に見立てて、その山に「ねえどうして来てくれないの」と、冗談ではなく、本気で語りかけているような印象です。(この種の気持ちは、自分に経験があればすぐに理解される代わりに、経験がなければ一生悟れないものです。)だからこそ、二人の関係が雨で妨げられても、まだ望みはあるのだけれど、それが隠れてしまったら、もう本当にあなたとは、二度と逢えなくなってしまうのではないか。

 そう思いながら、でも動いているのは心ばかりで、視線はまんじりともせず、生駒山をじっと眺めている。そんな詠み手の姿が浮かんできて、ちょっといじらしいような和歌になっています。あなたはそんな風に、誰かを愛したことがありますか。なんて台詞は、ちょっと時代錯誤の響きがします。あるいは気障(きざ)という表現でしょうか。ここで筆を置きます。

忘れ草
  垣もしみゝに 植ゑたれど
    しこのしこ草(ぐさ/くさ) なほ恋ひにけり
          よみ人しらず 万葉集12巻3062

忘れ草を
  垣根にいっぱい 植えたのに
    醜(しこ)の駄目草だわこんなの
  やっぱり恋しいもの

 こちらはやけのかんぱちです。
  鰤(ぶり)になれなくて自暴自棄です。
「忘れ草」とあるのはカンゾウのこと。あるいは特にヤブカンゾウの事とされ、その中国での別名にあやかって、「恋を忘れる花」として和歌に詠まれているようです。「恋忘れ貝」もそうですが、迷信家なのかなと思っていると、「ちっとも利きやしねえ」と投げ出したりと、当時の人たちもなかなかリアリストです。ここでも、あの人が忘れられると信じて植えた忘れ草が、何の役にも立たないものですから、「醜(しこ)」つまり「醜(みにく)い」という、和歌ではほとんど最大級の下卑た表現で、
     「こんなの、醜さあふれた、みに草だわ」
と嘆いている。ただ全体が様式として整っていますから、和歌を踏み外して、実際に引っこ抜くようには思われず、そうは口にしても、まだ花を眺めているような印象です。

 もちろん万葉集の中にも、もう歌詠みなど捨て去って、実際に行動に打って出そうな短歌もありますが、バランスが崩れるようなものは、秀歌として紹介していようなものです。この短歌の場合は、忘れ草では無かったものですから、「しこのしこ草」と言っているばかりでなく、逢えない相手を心に描いて、「しこのしこ草」と罵っているようにも聞こえる。そうして結句の「なほ恋ひにけり」によって、それでも慕わしくて、花を眺めてしまっているような気持ちにさせられる。すると結局は、罵ったはずの花の、美しい姿が浮かんできてしまい、悪くいいながらも眺めている、詠み手のやるせなさも伝わって来る。それで、
     「しこのしこ草」
などという表現を使用している割には、言葉つきも心情も、下卑たようには響かない。ただそう言わせた心情ばかりが、抽象的に伝わって来る。それで秀歌に紹介されたという理由付けです。

君がゆく
   道の長手(ながて)を 繰(く)りたゝね
 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
          狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3724

あなたが行く
  長い道のりを 手繰り重ねて
    焼き滅ぼしてくれる
  神の火があればよい

 道成寺(どうじょうじ)ではありませんが、恋の激しい情念の表出は、やはり女性の方が一枚上手のようで、万葉集においても、もっとも激しい恋の和歌は、必ず女性のものになっているようです。なにしろ、旅をする相手の場所までの道を、たぐり寄せて折りたたんで、天の炎で焼き滅ぼしてやれば、目の前にあなたがいるはずだというのですから、理屈だか情念だか、分かったものではありません。

 もっとも笠郎女(かさのいらつめ)という女流歌人の作品にも激しいものがありますが、ここまで劇的なものは、万葉集においても他に類をみないと思われます。しかもこれは片思いではなく、両思いの相手へのラブレターですから、ここまで慕われれば、相手も本望というものではないでしょうか。

     『大伴百代(もゝよ)の恋歌に答ふる歌』
黒髪に
  白髪まじり 老ゆるまで
    かゝる恋には いまだ逢はなくに
          大伴坂上郎女 万葉集4巻563

黒髪に
  白髪がまじり 年を取るまで
    これほどの恋には
  逢ったことはありませんでした

 ただし、あまり激しすぎる短歌は、何度も接していると、しばらくは遠ざけたくなるのも事実です。そうであるならば、この位のにじみ出るような心情こそが、何度繰り返しても疲れのこない、ひたむきな秀歌と言えるかも知れません。言うまでもなく坂上郎女(さかのうえのいらつめ)は、万葉集における女流歌人の筆頭です。

おさめ歌

新(あらた)しき
  年の初めの 初春(はつはる)の
    今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
          大伴家持 万葉集20巻4516

新しい
  年の初めの 初春の
    今日降る雪の
  しきりに積もれ 良きことよ

 この大伴家持の、因幡国(いなばのくに)への国守年頭の挨拶をもって、万葉集は全二十巻を閉ざします。それはすべてを終えた、アンソロジーを締めくくるための短歌ではなく、まだ詠まれていない未来の和歌たちに、幸せがありますようにと祈っているようにも思われます。あるいはその未来には、わたしたちも含まれているのでしょうか。私たちもまた、これらの秀歌につらなるような、素敵な和歌を、詠えたらよいのですけれども。もしかしたら、ただそれだけのためにこそ、この万葉集は、今日にまで伝えられたのかも知れませんから。。

               (をはり)

2016/07/22 時乃旅人記す
2016/08/05 朗読+推敲

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