万葉秘抄 巻別

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万葉秘抄 巻別

巻第一

     『舒明天皇、宇智の野に遊猟(みかり)する時』
たまきはる
  宇智(うち)の大野に 馬なめて
    朝踏ますらむ その草深野(くさふかの)
          中皇命(なかつすめらみこと) 万葉集1巻4

(たまきはる)
   宇智の大野に 馬を連ねて
     朝野を踏ませているだろう
   その草深い野を

     『伊予の湯にて』
熟田津(にきたつ)に
  船乗りせむと 月待てば
    潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな
          額田王 万葉集1巻8

熟田津から
  船を出そうと 月を待てば
    潮も頃合いだ 今こそ漕ぎ出そう

     『三山の歌の反歌』
わたつみの
  豊旗雲(とよはたくも/ぐも)に 入り日さし
    こよひの月夜(つくよ) さやけかりこそ/さやけくありこそ
          中大兄皇子(なかのおおえのみこ) 万葉集1巻15

海神の
  豊かなたなびく雲に 入り日がさしている
    どうか今宵の月あかりが
  すばらしいものでありますように

     「天皇、蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)する時、
       額田王の作る歌」
あかねさす
  むらさき野ゆき しめ野ゆき
    野守は見ずや 君が袖ふる
          額田王 万葉集1巻20

(あかねさす)
   紫草の野をゆき 標しのある野をゆき
     野の番人は見ないでしょうか
   あなたが袖を振っているのを

     「皇太子の答ふる御歌」
むらさきの
  にほへる妹を にくゝあらば
    人妻ゆゑに 我(あ)れ恋ひめやも
          大海人皇子(後の天武天皇) 万葉集1巻21

紫草のような
  気品のこもるあなたを 憎く思うのであれば
    人目を気にする 人妻であるからといって
  どうして恋しく袖を振ったりしましょうか

     「十市皇女(とをちのひめみこ)、
        伊勢神宮(いせのかむみや)に参(ま)ゐおもぶく時
       波多(はた)の横山の巌(いはほ)を見て、
         吹黄刀自(ふゝきのとじ)が作る歌」
川の上(へ/うへ)の
   ゆつ石むらに 草生(む)さず
  常にもがもな とこ処女(をとめ)にて
          吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集1巻22

川のほとりの
   なめらかな岩々に 草が生えないように
 常にありたいものですね いつまでも乙女のまま

     「天皇の御製歌」
春過ぎて 夏来たるらし
  しろたへの ころも干したり
    天(あめ)の香具山(かぐやま)
          持統天皇(じとうてんのう) 万葉集1巻28

春が過ぎて 夏が来たようだ
  真っ白な 着物を干してある
    天の香具山に

     『近江荒都(あふみくわうと)の歌の反歌』
さゝなみの
  志賀(しが)の唐崎(からさき) 幸(さき)くあれど
    大宮人(おほみやひと/びと)の 舟待ちかねつ
          柿本人麻呂 万葉集1巻30

(ささなみの)
   志賀の唐崎は 今もすこやかにあるが
     かつての宮廷の人たちの
   来ない船を待ちわびている

     『近江荒都(あふみくわうと)の歌の反歌』
さゝなみの
  志賀(しが)の大わだ 淀むとも
    むかしの人に またも逢はめやも
          柿本人麻呂 万葉集1巻31

(ささなみの)
  志賀の入り江は このように淀んでしまっても
    かつての人々に また逢えるだろうか
  そう思っているようでした

     『紀伊国(きのくに)にいでませる時』
白波(しらなみ)の
  浜松が枝(え)の 手向けくさ/ぐさ
    幾代(いくよ)までにか 年の経ぬらむ
          川島皇子(かわしまのみこ) or 山上憶良 万葉集1巻34

白波の寄せる
   浜松の枝に 結ばれた祈願の幣(ぬさ)は
  幾とせの歳月を 過ごしてきたものか

     『軽皇子、安騎野(あきの)に宿ります時の歌の短歌』
ひむがしの
  野にかぎろひの 立つ見えて
    かへり見すれば 月かたぶきぬ
          柿本人麻呂 万葉集1巻48

東の野に
  夜明けの きざしがあらわれて
    かえり見れば 月は西へと傾いていた

     『明日香の宮より藤原の宮に移りし後』
うねめの
  袖吹きかへす 明日香風(あすかゝぜ)
    みやこを遠み いたづらに吹く
          志貴皇子(しきのみこ) 万葉集1巻51

かつて 天皇(みかど)の侍女たちの
  袖を吹き返してた 明日香の風も今は
    新しいみやこが遠いので
  ただ空しく吹いている

     『持統太上天皇、参河国(みかはのくに)にいでませる時』
引馬野(ひくまの)に
  にほふ榛原(はりはら) 入り乱れ
    衣にほはせ 旅のしるしに
          長意吉麻呂(ながのおきまろ) 万葉集1巻57

引馬野に
  色づいた榛木(はんのき)の原に 乱れ入って
    着物を染めるがいい 旅のしるしに

巻第二

     『仁徳天皇を思ひて作らす歌』
かくばかり 恋つゝあらずは
    高山の 岩根(いはね)しまきて
  死なましものを
          磐之媛命(いわのひめのみこと) 万葉集2巻86

これほどに 恋しいくらいなら
  高い山に果て 岩を枕にして
    死んでしまった方がましです

     「有間皇子、みずから傷(いた)みて松が枝を結ぶ歌」
岩代(いはしろ)の
  浜松が枝(え)を 引き結び
    ま幸(さき)くあらば また帰り見む
          有間皇子(ありまのみこ) 万葉集2巻141

岩代の
  浜松の枝を 結びあわせて無事を祈り
    生きながらえたら また戻り見られるだろうか

巻第三

     『羈旅の歌八首より』
あまざかる
  鄙(ひな)の長道(ながち)ゆ 恋ひ来れば
    明石(あかし)の門(と)より 大和島(やまとしま)見ゆ
          柿本人麻呂 万葉集3巻255

(あまざかる)
   田舎びた地方からの長い道を
     みやこを恋慕ってやってくると
   明石海峡から 大和の山々が見えてきました

     『近江国よりのぼり来る時、宇治川の辺(へ)にいたりて作る歌』
ものゝふの
  八十宇治川(やそうぢかは/がは)の 網代木(あじろき/ぎ)に
    いさよふ波の ゆくへ知らずも
          柿本人麻呂 万葉集3巻264

(もののふの)
    八十に分かれる宇治川の 網代の木に
  いざよう波の 行方は分からない

近江(あふみ)の海
  夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
    こゝろもしのに いにしへ思ほゆ
          柿本人麻呂 万葉集3巻266

近江の海の
  夕波にいる千鳥よ お前が鳴けば
    胸が締め付けられるように
  昔のことが思われるよ

     『富士の山を望む歌の反歌』
田子(たご)の浦ゆ
   うち出でゝ見れば 真白にそ
  富士の高嶺(たかね)に 雪は降りける
          山部赤人 万葉集3巻318

田子の浦から
  うち出て見ると 真っ白に
    富士の高嶺に 雪は降っているよ

あをによし 奈良のみやこは
   咲く花の にほふがごとく
      今盛りなり
          小野老(おののおゆ) 万葉集3巻328

(あをによし) 奈良の都は
   咲き誇る花の 照り映えるように
     今こそ栄えているよ

     「大津皇子、死をたまはりし時、
         磐余の池の堤(つゝみ)にして、
       涙を流して作らす歌一首」
もゝづたふ
  磐余(いはれ)の池に 鳴く鴨を
    今日のみ見てや 雲隠(くもが)りなむ
          大津皇子(おおつのみこ) 万葉集3巻416

(ももづたふ)
   磐余の池に 鳴いている鴨を
     今日だけは見て
   死んでいくというのか

巻第四

川の上(へ/うへ)の
  いつ藻の花の いつも/\
    来ませ我が背子 時じけめやも
          吹黄刀自(ふふきのとじ) 万葉集4巻491

河のほとりの
  いつ藻の花の いつもいつも
    いらしてくださいなあなた
  都合が悪い時などありませんから

     「碁檀越、伊勢国に行きし時、とゞまれる妻が作る歌一首」
神風(かむかぜ)の
  伊勢の浜荻(はまをぎ) 折り伏せて
    旅寝やすらむ 荒き浜辺(はまへ)に
          碁檀越(ごのだにおち)の妻 万葉集4巻500

(神風の)
   伊勢の浜荻を 折り敷いて
     旅に寝ているのだろうか
   荒れた浜辺で

     『大伴百代(もゝよ)の恋歌に答ふる歌』
黒髪に
  白髪まじり 老ゆるまで
    かゝる恋には いまだ逢はなくに
          大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ) 万葉集4巻563

黒髪に
  白髪がまじり 年を取るまで
    これほどの恋には
  逢ったことはありませんでした

     『大伴家持に贈る歌』
玉の緒を
   あは緒に縒(よ)りて 結べらば
 ありて後にも 逢はざらめやも/ずあらめやも
          紀郎女(きのいらつめ) 万葉集4巻763

玉の緒を
  沫緒(あわお)縒りにして 結んだならば
    ことがあった後でもまた
  逢えないことがあるでしょうか

巻第五

     『子らを思ふ歌の反歌』
しろかねも
  くがねも玉も なにせむに
    まされる宝 子にしかめやも
          山上憶良 万葉集5巻803

銀(しろがね)も金(こがね)も玉も なにほどの事か
   よりすばらしい宝である
      子どもには及ぶべくもない

     『貧窮問答(びんぐうもんだふ)の歌の短歌』
世の中を
  憂(う)しと恥(やさ)しと 思へども
    飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
          山上憶良 万葉集5巻893

世の中は
   辛いもの 恥ずべきものと 思うけれど
 飛びされないもの 鳥ではないから

巻第六

     『紀伊国(きのくに)にいでませる時の歌の反歌』
若の浦に
  潮満ち来れば 潟(かた)をなみ
    葦辺(あしへ)をさして 鶴(たづ)鳴き渡る
          山部赤人 万葉集6巻919

若の浦に
  潮が満ちてくれば 干潟がないので
    葦辺をめざして 鶴が鳴き渡るよ

     『吉野離宮賛美の歌の反歌』
ぬばたまの
   夜の更けゆけば 久木(ひさぎ/ひさき)生ふる
 清き川原に 千鳥しば鳴く
          山部赤人 万葉集6巻925

(ぬばたまの)
   夜が更けてゆけば 久木(ひさぎ)の生える
     清らかな川原に 千鳥がしきりに鳴いている

     『みやこに向かふ海路(うみつぢ)にして、
        貝を見て作る歌一首』
我が背子に 恋ふれば苦し
    いとまあらば
  拾ひてゆかむ 恋忘れ貝
          大伴坂上郎女 万葉集6巻964

愛する人への 恋しさが苦しいから
  暇があったら 拾って行こうかしら
    恋を忘れるという貝殻を

     『沈痾の時の歌一首』
をのこやも 空しくあるべき
   万代(よろづよ)に 語り継ぐ/継くべき 名は立てずして
          山上憶良 万葉集6巻978

男であれば 空しく終えてよいものか
  いつの世までも 語り継がれるべき 名を立てないままで

巻第七

あしひきの
  山川(やまがは)の瀬の 鳴るなへに
    弓月が岳(ゆつきがたけ)に 雲立ちわたる
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集7巻1088

(あしひきの)
   山川の瀬が 鳴り渡るなかに
     弓月が岳に 雲が立ち渡っていく

しなが鳥(とり)
   猪名野(ゐなの)を来れば 有間山(ありまやま)
 夕霧立ちぬ 宿りはなくて
          よみ人しらず 万葉集7巻1140

(しなが鳥)
   猪名野へと来れば 有間山に
 夕霧が立ちのぼる 宿る所はないままで

巻第八

石走(いはゞし)る
  垂水(たるみ)のうへの さわらびの
    萌え出(い)づる春に なりにけるかも
          志貴皇子 万葉集8巻1418

岩をほとばしり
  流れ落ちる水のほとりの ゼンマイが
    芽生え出る春に なったものですね

我が背子に
  見せむと思ひし 梅の花
    それとも見えず 雪の降れゝば
          山部赤人 万葉集8巻1426

あの人に
  見せようと思った 梅の花でしたが
    見分けが付きません
  真っ白な雪が 降りましたから

明日よりは
   春菜(はるな)摘まむと 標(し)めし野に
 昨日も今日も 雪は降りつゝ
          山部赤人 万葉集8巻1427

明日から
  春菜を摘もうと 標(しめし)をした野でしたが
    昨日も今日も 雪が降り続きます

かはづ鳴く
    神(かむ)なび川(かは)に 影見えて
  今か咲くらむ 山吹の花
          厚見王(あつみのおおきみ) 万葉集8巻1435

蛙の鳴く
  神のおわします川に 影を映して
    今頃咲いているだろうか 山吹の花は

夕されば
   小倉の山に 鳴く鹿は
 今夜(こよひ)は鳴かず 寐(い)ねにけらしも
          舒明天皇 万葉集8巻1511

夕方になれば
  小倉の山に 鳴くはずの鹿は
    今夜は鳴きません
  妻といっしょに寝ているのでしょう

     『七種(なゝくさ)の花の歌』
萩の花
  尾花葛花(をばなくずはな) なでしこが/の花
    をみなへし
  また藤袴(ふぢばかま) 朝顔(あさがほ)が/の花
          山上憶良 万葉集8巻1538

上同

秋づけば
  尾花がうへに 置く露の
    消ぬべくも我(あれ/わ)は 思ほゆるかも
          日置長枝娘子(へきのながえおとめ) 万葉集8巻1564

秋めいてくると
   尾花のうえに 置かれた露のように
 消えてしまいそうに私は 思われてなりません

巻第九

     『葛飾の真間の手児名を詠む歌の反歌』
葛飾(かつしか)の 真間(まゝ)の井(ゐ)を見れば
  立ちならし 水汲(く)ましけむ
    手児名(てごな)し思ほゆ
          高橋虫麻呂 万葉集9巻1808

葛飾にある 真間の井戸を見れば
   地面をならして 水を汲んでいたであろう
      手児名のことが偲ばれる

巻第十

梅が枝に
  鳴きて移ろふ うぐひすの
    羽根しろたへに あは雪そ降る
          よみ人しらず 万葉集10巻1840

梅の枝に
  鳴いては飛びうつる うぐいすの
    羽根さえ真っ白にして
  沫雪(あわゆき)が降っています

昨日こそ 年は果てしか
  春かすみ 春日(かすが)の山に
    はや立ちにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1843

昨日年が 暮れたばかりなのに
  春霞が 春日山には
    早くも立ちのぼっている

もゝしきの
   大宮人(おほみやひと)は いとまあれや
  梅をかざして こゝに集(つど)へる
          よみ人しらず 万葉集10巻1883

(ももしきの)
    宮中の貴人たちは 暇などあるのだろうか
  梅を髪に挿して ここに集まったりして

恋ひつゝも 今日は暮らしつ
   かすみ立つ 明日の春日(はるひ)を
      いかに暮らさむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1914

恋しく思いながら
  今日はとりあえず暮らしましたが
    霞の立ちのぼる 明日また長い春の一日を
      どうやって暮らしたらよいでしょう

旅にして
   妻恋ひすらし ほとゝぎす
 神(かむ)なび山に さ夜更けて鳴く
          (古歌集) 万葉集10巻1938

旅にあって
  妻が恋しいのだろう ほととぎすが
    神奈備山で 夜更けに鳴いているのは

この夕(ゆふ)へ
   降りくる雨は 彦星(ひこほし/ぼし)の
 はや漕ぐ舟の 櫂の散りかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2052

この夕方に
    降ってきた雨は 彦星が
  早漕ぎする船の 櫂のしずくかもしれない

しぐれの雨 間なくし降れば
  真木(まき)の葉も あらそひかねて
    色づきにけり
          よみ人しらず 万葉集10巻2196

しぐれの雨が 絶え間なく降るので
  真木の葉さえも 抗(あらが)いきれなくて
    色が変わってきました

秋萩の
  咲き散る野辺(のへ)の 夕露に
    濡れつゝ来ませ 夜は更けぬとも
          よみ人しらず 万葉集10巻2252

秋萩が
  咲き散る野辺の 夕露に
    濡れながらでもいらっしゃい
  夜は更けてしまっても

八田(やた)の野の あさぢ色づく
   愛発山(あらちやま) 峰のあは雪 寒く降るらし
          よみ人しらず 万葉集10巻2331

八田の野の 浅茅が色づいた
  愛発山の 峰にはあわ雪が
    寒く降っていることだろう

巻第十一

朝影に 我(あ/わ)が身はなりぬ
  玉(たま)かきる/かぎる ほのかに見えて
    去(い)にし子ゆゑに
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2394

朝早くのおぼろ気な姿に 私はなってしまった
  (たまかきる) わずかに見えて
     消えたあの子のせいで

朝寝髪(あさねがみ/あさいがみ) われは梳(けづ)らじ
  うるはしき 君が手枕(たまくら)
    触れてしものを
          よみ人しらず 万葉集11巻2578

朝の寝起きの髪を わたしは梳(すき)ません
  うるわしい あなたの腕枕に
    触れた髪の毛

ちはやぶる
  神の斎垣(いがき/いかき)も 越えぬべし
    今はわが名の 惜しけくもなし
          よみ人しらず 万葉集11巻2663

(ちはやぶる)
   神域の垣根も 越えてしまおう
     今は自分の名など 惜しくもないから

青山(あをやま)の
   岩垣沼(いはかきぬま)の 水隠(みごも)りに
 恋ひやわたらむ 逢ふよしをなみ
          よみ人しらず 万葉集11巻2707

青く茂った山の
  岩に囲まれた沼の 水に隠れるように
    ひっそりと恋し続けます
  逢うすべもないので

波の間ゆ
  見ゆる小島(こしま)の 浜久木(はまひさぎ/き)
    久しくなりぬ 君に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集11巻2753

波の間から
  見える小島の 浜のヒサギのよう
    久しくなります
  あなたに逢わないままで

あしひきの
  山鳥の尾の しだり尾の
    長々し夜を ひとりかも寝む
          よみ人しらず 万葉集11巻2802別本

(あしひきの)
   山鳥の尾の しだれた尾のような
     長々しい夜を ひとりで寝るのだろうか

巻第十二

うつくしと/うるはしと
  思ふ我妹(わぎも)を 夢(いめ)に見て
    起きてさぐるに なきが寂(さぶ)しさ
          よみ人しらず 万葉集12巻2914

可愛らしいと
  思うあの娘(こ)を 夢に見て
    起きて手探りをすると 居ない寂しさ

あづさ弓
  末のたづきは 知らねども
    こゝろは君に 寄りにしものを
          よみ人しらず 万葉集12巻2985別本

(あづさゆみ)
   先のことは なにも分かりませんが
     心はあなたに 寄り添ってしまいましたから

たらちねの
   母が飼ふ蚕(こ)の 繭隠(まよごも)り
  いぶせくもあるか 妹に逢はずして
          よみ人しらず 万葉集12巻2991

(たらちねの)
   母が飼う蚕(かいこ)が 繭にこもるように
     狭くて息が詰まりそうだ あの人に逢わないで

あしひきの
  山より出づる 月待つと
    人には言ひて 妹待つ我(われ)を
          よみ人しらず 万葉集12巻3002

(あしひきの)
   山からのぼる 月を待ちますと
     人には言って
   恋人を待っているわたしなのです

君があたり
   見つゝも居(を)らむ 生駒山(いこまやま)
  雲なたなびき 雨は降るとも
          よみ人しらず 万葉集12巻3032

あなたのあたりを
   ずっと眺めていましょう 生駒山に
  雲よ掛からないでください
    たとえ雨が降ったとしても

忘れ草
  垣もしみゝに 植ゑたれど
    しこのしこ草(ぐさ/くさ) なほ恋ひにけり
          よみ人しらず 万葉集12巻3062

忘れ草を
  垣根にいっぱい 植えたのに
    醜(しこ)の駄目草だわこんなの
  やっぱり恋しいもの

なか/\に 人とあらずは
  桑子(くはご/くはこ)にも ならましものを
    玉の緒ばかり
          よみ人しらず 万葉集12巻3086

なまじいに 人として恋しさに死ぬくらいなら
  蚕にでも なったほうがマシです
    おなじわずかな命でも

さひのくま
  檜隈川(ひのくまがは)に 馬とゞめ
    馬に水かへ 我れよそに見む
          よみ人しらず 万葉集12巻3097

(さひのくま)
   檜隈川に 馬を休めて
     馬に水を与えなさいな
   わたしは遠くから眺めていますから

巻第十三

     『水の尽きることなき恋歌の反歌』
思ひやる
  すべのたづきも 今はなし
    君に逢はずて 年の経ぬれば
          よみ人しらず 万葉集13巻3261

思いを紛らわせる
   ための手段も 今はありません
      あなたに逢わないで
   年が過ぎてしまいましたから

巻第十四

     『東歌(あづまうた)』
多摩川(たまがは)に
  さらす手作り さら/\に
    なにそこの子の こゝだ愛(かな)しき
          上総国(かみつふさのくに)の歌 万葉集14巻3373

多摩川に
  さらす手作り布の さらさらと
    今さらどうしてこの子は
  こんなにも愛しいのだろう

巻第十五

君がゆく
   道の長手(ながて)を 繰(く)りたゝね
 焼き滅ぼさむ 天(あめ)の火もがも
          狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ) 万葉集15巻3724

あなたが行く
  長い道のりを 手繰り重ねて
    焼き滅ぼしてくれる
  神の火があればよい

巻第十六

     『手習ひ歌』
安積山(あさかやま)
  影さへ見ゆる 山の井(ゐ)の
    浅きこゝろを 我が思はなくに
          (陸奥のさきの采女詠む) 万葉集16巻3807

安積山の
  影さえ映しだされる 澄んだ山の井のような
 浅いこころで あなたを思ってはいません

     『手習ひ歌 (万葉集外)』
難波津に
   咲くやこの花 冬ごもり
 今は春べと 咲くやこの花
          王仁(わに) 万葉集外(古今和歌集仮名序)

難波津に
   咲きますこの花 冬ごもりして
 今こそ春だと 咲きますこの花

巻第十九

     『春苑桃李(しゅんえんとうり)の歌』
春の園(その)
  くれなゐにほふ もゝの花
    した照(で)る道に 出で立つをとめ
          大伴家持 万葉集19巻4139

春の園に
  くれない色に 映える桃の花が
    下を照らすような道に
  立ち現われた少女よ

ものゝふの
  八十娘子(やそをとめ)らが 汲(く)みまがふ
    寺井(てらゐ)の上の かたかごの花
          大伴家持 万葉集19巻4143

(もののふの)
    沢山の娘らが 汲み交わしている
   寺の井のほとりの かたくりの花

春の野に 霞たなびき
  うら悲(がな)し この夕影に
    うぐひす鳴くも
          大伴家持 万葉集19巻4290

春の野に 霞がたなびいて
  もの悲しい この夕暮の光に
    うぐいすが鳴いている

我が宿の
  いさゝ群竹(むらたけ) 吹く風の
    音のかそけき この夕へかも
          大伴家持 万葉集19巻4291

私の家の
  わずかな群竹に 吹く風の
 音さえかすかな この夕べです

うら/\に
  照れる春日(はるひ)に ひばり上がり
    こゝろ悲しも ひとりし思へば
          大伴家持 万葉集19巻4292

うららかに
  照る春の日に ヒバリは上がり
    こころ悲しいもの
  ひとりもの思いをしていると

巻第二十

     『防人(さきもり)の歌』
からころも
  裾(すそ)に取り付き 泣く子らを
    置きてそ来(き)ぬや 母(おも)なしにして
          他田大島(おさたのおおしま) 万葉集20巻4401

唐風(からふう)の衣(ころも)の
  裾に取り付いて 泣く子どもたちを
    残して来ました 母もいないのに

     『玉箒(たまばゝき)をたまひての宴の時』
初春(はつはる)の
  初子(はつね)の今日の たまばゝき
    手に取るからに 揺(ゆ)らく玉の緒
          大伴家持 万葉集20巻4493

初春を迎えて
  初子の日である今日の 玉箒は
    手に取る途端に 玉が鳴り揺れます

新(あらた)しき
  年の初めの 初春(はつはる)の
    今日降る雪の いやしけ吉事(よごと)
          大伴家持 万葉集20巻4516

新しい
  年の初めの 初春の
    今日降る雪の
  しきりに積もれ 良きことよ

               (をはり)

2016/07/17

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