正岡子規、俳人太祇

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俳人太祇 (正岡子規)

 テキストは時の都合上、俳句紹介部分のみを紹介致す。

朗読2

 人事を詠んだ句の一例を挙ぐれば

春の夜や女を怖すつくり事

やぶ入や琴かきならす親の前

御共してあるかせ申す汐干かな

島原へ愛宕(あたご)戻りや朧月

雉追ふて叱られて出る畠かな

灌仏や仮に刻みし小刀目(こがたなめ)

寺からも婆々を出されし田植かな

思ひもの人にくれし夜時鳥(ほととぎす)

麦秋や馬に出て行く馬鹿息子

先づ活けて返事書くなり蓮のもと

旅人や夜寒問ひあふねむた声

魂祭る料理帳あり筆の跡

呵(しか)る程舳先(へさき)へ出たる月見かな

初雁や遊女に油さゝせけり

関越えて又柿かぶる袂(たもと)かな

唐へ行く屏風も書くや歳の暮

達磨忌や宗旨(しゅうし)代々不信心

意趣(いしゅ)のある狐見廻す枯野かな

剛の座は鰤(ぶり)大ばえに見えにけり

盗人に鐘撞(つ)く寺や冬木立

趣向の奇抜にて複雑なる事は、此等の句だけでも大かた分るが、今特に複雑な句を少し挙げんに

山路来て向ふ城下や凧(たこ)の数

欺いて行きぬけ寺や朧月

汗とりや弓に肩ぬく袖の内

取り逃す隣の声や行く蛍

剃つて住む法師が母の砧かな

乞ひければ刈りてこしけり草の花

剃りこかす若衆のもめや歳の暮

初雪やとくに雪見し旅戻り

此等の句を読めば訳も無いやうだけれど、初めから此趣向を考へて句にせうと思ふたら、誰も先ず手の著けやうが無いのに困るであらう。

 太祇の専売特許ともいふべきは、人の話す言語をそのまま句の中へ入れる事である。十七字の中へ人の言葉を入れるのは、実にむづかしい筈であるが、太祇はうまくそれを言ひこなす。それが自分にも得意であつたと見える。例

東風吹くと語りもぞ行く主と従者

な折りそと折りてくれけり園の梅

  閨怨
飛ぶ蛍あれといはんも独かな

寐よといふ寐覚の夫や小夜砧

十三夜月は見るやと隣から

沙魚釣や鼻おこめきて百とよむ

怖(おど)すなり年暮るゝよとうしろから

夜明けぬと蒲団剥(はぎ)けり旅の友

玄関にてお傘と申す時雨かな

この「と」の字の使ひやうは実に不思議だ。几董(きとう)が少し真似するがその外は真似もせなんだ。

 珍しき題を詠みこなしたるは

年玉や杓子(しゃくし)数そふ草の庵

年玉や利かぬ薬の医三代

春駒や男顔なる女の子

春駒やよい子育てし小屋の者

婆つれし爺も来にけり二の替

初寅や欲づら赤き山おろし

丸盆に八幡みやげの弓矢かな

旅立の東風に吹かるゝ火縄かな

駕(かご)に居て東風に向ふや懐手

商人や干鱈(ひだら)かさねるはたり/\

連翹(れんぎょう)や黄母衣(きぼろ)の衆の屋敷町

皮ひてし穢多(えた)が入江や蘆の角

江をわたる漁村の犬や蘆の角

山葵(わさび)ありて俗ならしめず辛き物

釣瓶から水呑む人や道の端

側に置いて著ぬ断(ことわり)や夏羽織

飲みきりし旅の日数や香じゅ散(こうじゅさん)
   (「こうじゅさん」すべて漢字。かくらんの薬)

川どめの伊藤どのやな虎が雨

きりはたりてうさやようさや呉服祭

石榴(ざくろ)くふ女かしこうほどきけり

喰はずとも石榴興ある形かな

掌に愛して見する葡萄かな

葉がくれにぬす人猫や葡萄棚

褌(ふんどし)に二百くゝるや厄落し

人の難題として裂けし者や、俗な題として嫌ひし者や、又は些細な事として見逃した者を持つて来て、太祇が自在に詠みこなしたのは、今日の新派でやつて居る傾向を、この時既にあらはしたのだ。

朗読3

 中七の終にある「や」の切の例

親に逢ひに行く出代や老の阪

心行く極彩色(ごくさいしき)や涅槃像

原立てゝ水呑む蜂や手水鉢(ちょうずばち)

夜を寐ぬと見ゆる歩みや蝸牛(かたつむり)

葵掛けて戻る余所目や駕(かご)の内

物がたき老の化粧や更衣(ころもがえ)

ありわびて酒の稽古や秋の暮

簗(やな)を打つ漁翁(ぎょおう)が嘘や今年限

畠踏む似せ侍や小鳥狩

暁の一文銭や鉢敲(はちたたき)

腰かける舟梁(せんりょう?)の霜や野の渡

夜見ゆる寺の焚火や冬木立

語句の奇なる者には

掃きけるが終には掃かず落葉かな

吹き倒す起きず吹かるゝ案山子かな

犬を打つ石の扠(さて)無し冬の月

「掃かず」にて切りたるも稍(やや)珍しき心地はするが「吹き倒す」にて切りたるは極めて珍しい。「石の無し」といふ中へ「扠(さて)」の字を挿みたるも人の得為(えなさ)ぬ事だ。これらはいづれも苦心惨憺の後に出来た者と思はれる。

2012/1/18

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