[朗読]
主(あるじ)曰く、後に拙しと覚ゆと。主今に亡く書生怠惰(たいだ)にして、此を補はんとして猶(なほ)拙し。俳人各調に至りては主、「嗚呼(ああ)この恥終(つい)に雪(そそ)ぐべからざるか。噫(ああ)」とまで嘆き捨つるを、不肖の弟子、此を惜むこと万々にて、終に一部を改稿(かいこう)の果に残したる。この咎(とが)許されざらんや。而(しか)して此句、各調を模したる者に非ずして、只(ただ)棄て難きを以て斧正(ふせい)を施(ほどこ)したる者のみにて、更に俳人各調を遠ざかりたること万里なり。嗚呼、書生終(つい)に愚の骨頂を悟らざらんや。噫(ああ)。
宋因調
[西山宋因(にしやまそういん)(1605-1682)]
老もいさめ痩せたりといへども牛の年
天つ雲雀霞となりて失せにけり
くさ臥(ふ)してよし足引の山ざくら
蚊柱や太しり立てゝ宮祭
天の河わたらばわたれ牛と牛
あき樽や飽きぞ哀しきこの秋ぞ
よつ引てひやうとぞはなす大蕪(おおかぶら)
去来調
[向井去来(むかいきょらい)(1651-1704)]
雁金や背戸のうちより別れけり
細雨(ささあめ)やみ吉野をあとに春のくれ
限りなき海のけしきやさつき雨
蓑笠の古びくらべんふゆ籠
凡兆調
[野沢凡兆(のざわぼんちょう)(1640-1714)]
さみだれや月まで透す雲あかり
涼しさや小舟(おぶね)にうごく宵の月
一つづゝ星のくもりや高燈籠(たかどうろ)
寺もなく鐘つきだうや初しぐれ
宇治川の雪の明(あかり)や下り船
来山調
[小西来山(こにしらいざん)(1654-1716)]
風の前の蛍も消えてまちあかり
あすの月ゆうべの月も端居かな
かはらとも石ともつかず海鼠かな
松の雪ほたり/\と惜しみけり
世の中もあれやらこんなや年の暮
素堂調
[山口素堂(やまぐちそどう)(1642-1716)]
我庵は鼾(いびき)もしたり春霞
若竹や心ならずも伸び盛
十六夜(いざよい)やはた月に酔ふて舞ふばかり
身のうへの絶て吹ク也(なり)初しぐれ
遠山を打ち分ツなり除夜の鐘
赤富士もめずらしからず夜明月
尚白調
[江左尚白(こうさしょうはく)(1650-1722)]
菜の花にそふ道ありて稲荷かな
巡礼の親子もかよふ清水かな
眼をくばる空の広さよ天の河
山里はひとも淋しき鳴子かな
長き夜に夢の語りや蝦夷千島
行く年ものりあふ淀の舟でかな
伊丹調(いたみちょう)
[兵庫県南東部にある伊丹の俳人たちの調子]
なんとなふ鳥もしらねど梅の花
われ死なば燈籠の手をはなれゆく
秋のくれまぎらかさんと出でありく
しぐれうと/\して暮にけり
[一月]
鶯の今朝を鳴くなり枝桜
[二月]
ふらつけば菜の花日和となりにけり
[三月]
杉の間の闇よりもれる山桜
[四月]
我が庵は遠き夜汽車を聞くばかり
[五月]
古澤(ふるさわ)やあそぶ水鶏(くいな)のやかましさ
[六月]
こころには妾ひとりや夕涼み
[七月]
朝顔の入谷(いりや)豆腐の根岸かな
[八月]
ありく程の庭は持ちけりけふの月
[九月]
菊ひらく山の南は上野なり
[十月]
冬枯や庚申堂(こうしんどう)の小豆飯
[十一月]
呉竹や庭も響きもはつあられ
[十二月]
掛乞(かけごい)も根岸のかどを失(う)せにけり
蕪村は画家にして俳家なり。人となり卓犖(たくらく)[他よりも抜きんでて優れていること。卓越]不羈(ふき)[束縛されないこと/能力が優れて常規で律しにくいこと]、尋常の法度を以て律すべからず。清貧にして名利の念に疎く、卑賤(ひせん)にして権貴(けんき)[権力や勢力があって高い地位にあること・人]の門に媚びず。あるいは云ふ一時魚を商へりと。その実否(じっぴ)未だ知るべからずといへども、逆境に立ち困苦に安んじたるは則(すなわ)ち知るべし。さればその画の神品(しんぴん)[神かと見まがうほどの品位。人の技とは思えないほどの作品]に入るが如く、その俳句もまた凡俗に越え尋常に抽(ぬき)んで、文辞富贍(ふせん)[富み足りて豊かであること]、奇想錯出[交錯して、異なるものが次々と現れるさま]、俳家郡中の第一流に居る。近者[ここでは、近頃の意味]その歌集を閲(けみ)するに貧居八詠なる者あり。その句は則ち蕪村集中の上乗に非ずといへども、また以て性行の一斑を知るに足るなり。
かんこ鳥は賢(けん?)にして賤し寒苦鳥(かんくちょう) ・・
我を厭(いと)ふ隣家寒夜に鍋を鳴らす ・・
氷る燈の油うかがふ鼠かな ・・
紙ぶすま折目正しくあはれなり ・・
炭取のひさご火桶に並び居る ・・
我のみの柴(しば)折りくべるそば湯かな ・・
歯豁(あらは)に筆の氷を噛(か)ム夜哉 ・
愚に耐(たへ)よと窓を暗(くらう)す雪の竹 ・
一箪(いったん)[食べ物を容れる竹製の容器、一個]の食、一瓢(いっぴょう)[ひさご、つまりヒョウタン一つ]の飲、独り陋巷(ろうこう)[狭くてきたない、むさくるしいような巷(ちまた)]に棲息(せいそく)するといへども、顔子(がんし)[孔子の弟子である顔回(がんかい)(前514-前483)のこと]の徳を備へたるにもあらず、蕪村の放を学ばんとにもあらず、ただ古書堆中に今年の冬籠り安らかに月日を送るも、またこれ君恩(くんおん)[「君主の恩」今日なら、庶民を照らすべき恵みとでも言ったところか]ならずやと、戯れに獺祭書屋八詠を作る。
飯は飽くを以て限りとし
茶は出流れを以て好しとす
味噌ざらの模様に寒し膳のめし
絹蒲団の栄燿(えいよう)も無く
紙衾(かみふすま)の風流も知らず
かさねても軽さばかりや薄蒲団
やう/\に求め得たる敷
十巻の書冊(しょさつ)も之を容るゝの函を持たず
古書幾巻床には飾る花もなし
一蓋(いっかい)の笠、一枚の蓑は
猶(なほ)掛けて柱に在り
破(や)れ障子木枯らしの笠ゆきの蓑
米を炊く下女もなく
水を汲む下男(げなん)も居らず
薪を割るいもうとやあり冬籠
家は上野を負ふて
庭には一株の樹だに植ゑず
三尺の庭をもしげく落葉かな
古き摺鉢(すりばち)を下して
仮の手水鉢(ちょうずばち)とはなしぬ
水鉢の氷をたゝく擂木(れんぎ)かな
[擂木とはすり鉢でものを摺(す)るための木の棒。擂り粉木(すりこぎ)]
雨は頻りに漏れども
屋根を繕(つくろ)ふの力なし
しぐるゝや写本の上の雨のしみ
笛をふけば嚠喨(りゅうりょう)[楽器の音が冴え渡って響くようす]と鳴り、太鼓をうてば鼕鼕(とうとう)[太鼓の音/浪の音]と響く。臼に臼の音あり、西瓜に西瓜の音あり、我が俳諧の底をたたけば
われ鐘や敲けども秋の聲(こえ)あらず
[おわり]
2011/5/22-6/28