正岡子規 『獺祭書屋俳話』 中

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獺祭書屋俳話 中

目録

宝井其角 [朗読1]
嵐雪の古調 [朗読2]
服部嵐雪
向井去来 [朗読3]
内藤丈草 [朗読4]
東花坊支考 [朗読5]
志太野坡

[書生増補]
野沢凡兆 [朗読6]
杉山杉風
森川許六
他の蕉門 [朗読7、8]

獺祭書屋書生注

 本文内に

[書生加ふる]

とある以下の部分は、岩波文庫『蕉門名家句選』より加えて書生の紹介する句にて、俳句紹介の終わり本文に戻るところでまで書生補筆の部分なり。同様に「章末まで書生加ふる」とある場合は、章末まで書生補筆の部分なるべし。

宝井其角(1661-1707)

[朗読1]
 蕉翁の『六感』なるものに、六弟子の長所を評するの語あり。されどもその語簡単にして未だ尽さざるのみならず、往々その要を得ざるものあれば、漸次(ぜんじ)にこれが略評を試みんとす。初めに其角を評して「花やかなる事、其角に及ばず」といへり。其角の句、もとより花やかなる者少からず。例へば

鶯(うぐいす)の身をさかさまに初音(はつね)かな ・

しら魚をふるひ寄(よせ)たる四手(よつで)哉 ・

名月や畳の上に松の影 ・

[書生加ふる]

傘(からかさ)にねぐらかさうやぬれ燕(つばめ) ・

うぐいすや遠路(とおみち)ながら礼がへし ・

誰(たれ)と誰(た)が縁組すんでさと神楽(かぐら) ・

よき衣(きぬ)のことに賤(いや)しや相撲とり ・

ほの/”\と朝飯匂ふ根釣(ねづり)かな ・

越後屋(えちごや)に衣(きぬ)さく音や更衣(ころもがえ) ・

[これは当時、商売の常識を覆すべく「店前現銀売り(たなさきげんきんうり)」 「現銀掛値無し(げんきんかけねなし)」 「小裂何程にても売ります(切り売り)」 を江戸中の広告に銘打った越後屋が、衣を切り売りにするために絹を裂く音を捉えたもの。当時の新風物を吟じた訳になる]

等の如し。然れども其角一生の本領は、決してこの婉麗(えんれい)[しとやかであり美しいこと]細膩(さいじ)[きめ細かくてなめらかなこと]なる所にあらずして、却(かえ)りて傲兀(ごうこつ)[おごり高ぶって他人に屈しないさま]疎宕(そとう)[粗っぽくて大ざっぱな様子か?]の処、怪奇斬新の処、諧謔百出の処に在りしことは、『五元集』を一読せしものの能く知る所なり。その傲兀疎宕なる者を挙ぐれば左の如し。

鐘一ッうれぬ日はなし江戸の春 ・

夕涼よくぞ男に生れける

小傾城(こげいせい)行(ゆき)てなぶらん年の暮 ・

[「傾城」は中国の故事における「絶世の美女」の意味だが、江戸時代の俳句などに登場するものは、むしろ遊女、あるいは彼女たちのいるところ、すなわち遊郭そのものを指したりすることが多い。ここでは「小」が付くから、まだ若手の遊女くらいの意味か。其角他にも
  傾城の小歌はかなし九月尽(じん)
などの句を詠んでいる]

[書生、加ふるに]

草の戸に我は蓼(たで)くふほたる哉 ・

 其角は実に江戸ッ子中の江戸ッ子なり。大盃を満引(まんいん)[なみなみと注がれた酒を飲む(満を引く)/弓矢を引き絞る]し、名媛(めいえん)[有名な女性。ゆかしさのある女性のこと]提挈(ていけつ)[引き連れること/助け合うこと]して、紅燈緑酒(こうとうりょくしゅ)[繁華街、歓楽街のこと/歓楽、飲酒などにふけること]の間に流連(りゅうれん)[歓楽、遊蕩ふけって帰らずに留まっていること]せしことも多かるべし。されば芭蕉もその大酒を誡(いまし)めて、「蕣(あさがお)に我は飯喰ふ男哉」といひし程の強の者なれば、これらの句ある、もとより怪しむに足らず。而(しか)してこれ即ち、千古一人の達吟(たつぎん)たる所以なり。その怪奇斬新なる者は

世の中の榮螺(さざえ)も鼻をあけの春

枇杷(びわ)の葉や取れば角なき蝸牛(かたつむり)

[これは、枇杷の葉を取れば角もなくくっついた蝸牛を始めて裏葉などに見つけたものをこう吟じたまでのこと]

初雪に此小便は何やつぞ

[書生、加ふるに]

夢と成(なり)し骸骨(がいこつ)踊る萩の声 ・

切ラレたる夢は誠か蚤(のみ)の跡 ・

声かれて猿の歯白し岑(みね)の月 ・

等の如し。これら即ち、巧者巧を弄し智者智を逞(たくましゅ)ふする所にして、其角が一吟、人を瞞着(まんちゃく)[あざむくこと、誤魔化すこと、だますこと]するの手段なり。されば座上の即吟(そくぎん)[その場その時に即興で詩作し、かつ吟じること]に至りては、其角の敏捷(びんしょう)[すばやいこと]一座の喝采を博すること、常に芭蕉に勝(まさ)れたりとかや。その諧謔(かいぎゃく)百出、人頤[読み「じんい」か?、「人のあご」の意味にて、「人のあごを解(と)く」にて、優れた言動や行動によって、相手のあごを唖然と開かせる、つまり感動させるの意味]を解するものまた才子の余裕を示し、英雄の人を欺むく所以なれば、其角に於てこれ無かるべけんや。例へば

こなたにも女房もたせん水祝ひ ・

[「水祝い」はすなわち水掛の祝いのことで、祝儀として花婿に水を浴びせたりする。新年正月に行われることも多く、正月の季題とされるもの]

饅頭(まんじゅう)で人を尋ねよ山ざくら ・

みヽづくの頭巾は人に縫はせけり

[書生、加ふるに]

いなづまやきのふは東けふは西 ・

  けうがる我が旅すがた
木菟(みみずく)の独(ひとり)わらひや秋の昏(くれ) ・

山陵(やまがら)の壱歩(いちぶ)をまはす師走(しわす)哉 ・

[これは、「三両あたり一歩」の金利を取る高利貸しを、「山雀(やまがら)」が木の実をもてあそぶさまを「山陵(さんりょう)」の当て字と読み替えて、「山雀のごとく三両一歩をまわす高利貸しののさばる師走かな」と言ったまでのことである]

等の如し。然れども多能なる者は必ず失す。其角の句、巧に失し、俗に失し、奇に失し、豪に失する者少からず。而(しか)して豪放(ごうほう)[気性が大きくて細かいことにこだわらないこと]迭宕(てっとう?)[「宕」は大なるもの粗っぽいものを現し、「迭」は他のものと入れ替わるの意なり]なる者は、常に暴露(ばくろ)[風雨にさらすこと/さらけ出すこと、悪事などが表に現れること]に過ぐるの弊あり。其角句中、その骨を露(あら)はす者を挙ぐれば

吐かぬ鵜(う)のほむらに燃ゆる篝哉(かがりかな)

二星(にせい)私(ひそかに)憾(うら)ムとなりの娘年十五 ・

[「二星」とは七夕の星のこと。「二星」すなわち牽牛と乙姫の、恋する乙女を覗きて恨み心地ぞするといった意か、あるいは十五の娘が恋わずらいをして「二星」をも恨むという意か]

此秋暮文覚(もんかく)我を殺せかし

[文覚(もんがく)(1139-1203)は、北面武士として19才にて出家。やがて伊豆に流されていた源頼朝と知り合い、彼の庇護を受けつつ活躍した。『源平盛衰記』によると、従兄弟の妻に恋心を抱いて、過って殺してしまい出家したとされている]

[書生、加ふる]

蚊柱(かばしら)に夢の浮はしかゝる也(なり) ・

人が人を恋(こう)るこゝろや花に鳥 ・

年の瀬や比目(ひらめ)呑(のむ)鵜(う)の物思ひ ・

景政(かげまさ)が片眼ひろへば田にし哉 ・

[鎌倉景政(かまくらかげまさ)(1069-?)あるいは平景政(たいらのかげまさ)は、奥州藤原氏の東北覇権の足がかりともなった、後三年の役(ごさんねんのえき)(1083-1087)で、片眼を失いながらも奮戦したとされる。男色街道の「陰間(かげま)」の言葉の由来とも言われる。あるいはこの句、知られぬ裏の意味があるやいなや?]

十六夜(いざよい)や竜眼(りゅうがん)にくのから衣(ころも) ・

[竜眼とは熱帯産、ムクロジ科の常緑高木で、2cmほどの球状の実を房みたいに付けるが、それを竜眼肉と呼ぶ。ライチに似た味がするそうだ。「から衣」は「唐(中国)の」という意味と「殻の」という意味を持って、その皮を言い表したるもの]

うぐひすにこの芥子酢(からしず)は涙かな ・

[赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入り事件の直後の作品で、彼らに思いを致したものともされる。其角は討ち入り前夜に大高源五(おおたかげんご)と会って、発句のやり取りをするという歌舞伎もあるが、史実とは関係ない]

泥亀(どろがめ)の鴫(しぎ)に這(はい)よる夕(ゆうべ)哉 ・

などあり。さてまた其角句中に一種の澹嫻(たんかん)[あっさりとしていて、かつみやびなさま]穏整(おんせい?)[穏やかで、整っているさま?]なる文字ありて、その調やや嵐雪(らんせつ)・越人(えつじん)[越智越人(おちえつじん)(1656-1739)]に近きが如し。例へば

あくる夜も仄(ほのか)に嬉しよめが君 ・

[子規の原文、及び『続猿蓑』では「あくる夜の」]

明星や桜定めぬ山かづら ・

秋の空尾上(おのえ)の杉にはなれたり ・

[書生、加ふる]

青柳(あおやぎ)に蝙蝠(かわほり)つたふ夕ばへ也(なり) ・

こゝかしこ蛙鳴ク江の星の数 ・

雀子(すずめご)やあかり障子の笹の影 ・

帆かけぶねあれやかた田(だ)の冬げしき ・

羽(は)ぬけ鳥(どり)鳴音(なくね)ばかりぞいらご崎 ・

この木戸や鎖(じょう)のさゝれて冬の月 ・

菊を切る跡まばらにもなかりけり ・

うすらひやわづかに咲る芹(せり)の花 ・

子をもたばいくつなるべきとしのくれ ・

ゆく水や何にとゞまる海苔(のり)の味 ・

庖丁(ほうちょう)の片袖(かたそで)くらし月の雲 ・

傾城(けいせい)の小歌はかなし九月尽(じん)・

岡釣リの後(うしろ)すがたや秋の暮 ・

茶の水にちりな落(おと)しそ里燕(さとつばめ) ・

汁鍋(しるなべ)に笠の雫(しずく)や早苗取(さなえとり) ・

煮凍(にこごり)や簀子(すのこ)の竹のうす緑 ・

などにして、前に連らねし十数句とはその趣(おもむき)いたく変れり。之(これ)を要するに、其角は豪放(ごうほう)にしてしかも奇才あり。奇才ありてしかも学識あり。されば時として豪放の真面目を現はし、時として奇才を弄し学識を現はすなど、機に応じ変に適して、盤根錯節(ばんこんさくせつ)[曲がりくねった根っこと、複雑に入り組んだ木の節の意味から、物事が込み入っていて解決が困難な事柄]を断ずること、大根・牛蒡(ごぼう)を切るが如くなれば、芭蕉も之を賞し、同門も之に服し、終(つい)に児童走卒(そうそつ)[召使い、使い走り]をして其角の名を知らしむるに至りたり。其角はそれ、一世の英傑なるかな。

[以下、章末まで書生加ふるに]

 また知者俗陋に堕(おち)ず巧みに言ひこなしたるものに

蚊をやくや褒似(ほうじ)が閨(ねや)の私語(ささめごと) ・

此(これ)あり。周王が愛妾(あいしょう)を「褒似(ほうじ)」と言ひしを、冷徹無表情を笑わせたる。そが為(ため)に国傾きたるさまを、蚊遣火(かやりび)のうちにものしたる。衒学(げんがく)のうちに優柔艶麗を宿し、曲学阿世(きょくがくあせい)に失墜(しっつい)せぬちょころ、以(もっ)て巧みなれ。外(ほか)に博学にして音調捨てがたきものは

鉄槌(てっつい)にわれから辛螺(にし)のからみ哉 ・

「われから」は「割殻」にして挙動不審の節足動物なれど[訂正。この「われから」は純粋に貝殻の割れた殻の事で節足動物は関係ないと思われる。]、ここには巻き貝の肉を形容したるまでにて、そが打ち割りし辛螺(にし)(小形の巻き貝)に絡み付きて、鉄槌にまとわりたる姿を、語調巧みにこなしたる。然れども、尤(もっと)も衒学錯綜して外に例を見ざるものは

乾や兌坎震離す艮坤巽
(そらやあきみずゆりはなすやまおろし)

あり。こは三爻(さんこう)を組み合わせたる八卦(はっけ)の表(ひょう)にて
乾・兌・坎・震・離・艮・坤・巽
(けん・だ・かん・しん・り・ごん・こん・そん)
を、それぞれの寓意たる
天・沢・水・雷・火・山・地・風
より導き出し、「乾(けん)」は「天」により「そら」、「兌(だ)」は「商」の意を寓する故に「商い」の「秋」と掛け合わせ、博識のうちにものしたる。句の趣(おもむき)、ただ殺風景の極み也(なり)。これなら意を取りて、

天沢(てんたく)の水雷(すいらい)火山の地には風

と吟じても差し支え無き事になる訳なり。これもとより其角の悪戯にして、領海句域の広漠たるを示すのみ。また、若干の数秘を交えたるものあり。

からびたる三井の二王(におう)や冬木立 ・

滋賀大津の大観、尽(ことごと)く乾(から)びたるなかを、三井の二王に移りて、一木の冬木立へと収斂(しゅうれん)するさま、さり気なくものして巧者の達吟を覚ゆ。

 其角、風流子にして大酒を嗜(たしなむ)む。即ち酒の句を吟ず。然(しかれ)ども皆泥酔の即吟を出でずして、佳句を得ること能(あた)わざりき。

大酒に起(おき)てものうき袷(あわせ)哉 ・

紅葉(もみじ)にはたがをしへける酒の間(かん) ・

かたつぶり酒の肴(さかな)に這(はわ)せけり ・

明月や居酒(いざけ)のまんと頬(ほお)かぶり ・

酒かひに行(ゆく)か雨夜(あまよ)の雁(かり)ひとつ ・

なかに尤(もっと)も拙(つたな)きものは

十五から酒を呑出(のみで)てけふの月 ・

また、修学生徒の張り紙に似たるものに

  坐右銘
行年(ゆくとし)や壁に恥たる覚書(おぼえがき) ・

あり。他にも秀逸にはあらねど、俗謡に改変せられて人口に膾炙(かいしゃ)せし句あり。

我(わが)雪とおもへばかろし笠(かさ)の上 ・

これ即ち
「わがものと思へば軽し笠の雪」
と謡われしものにて、今こそはと討ち入りたる大高源吾(赤穂浪士のひとり)に、吉良邸で出くわした時の句と讃えられしは、大方に事実無根なるべし。

 七夕の星逢(ほしあ)い、鶏鳴(けいめい)を待たずしてあかつきに消され行く時、牽牛(けんぎゅう)・織女(しょくじょ)相抱(いだ)きてうち嘆(なげ)きたる。ついに高灯籠の残燈も空に白みゆく悲しみに

ほしあひや暁(あかつき)になる高灯籠(たかどうろ) ・

これは秀句なり。

 其角の経歴、近江(おうみ)膳所藩(ぜぜはん)の藩医の長男にて、江戸に生まれし生粋の江戸っ子なり。早熟の才子(さいし)にて、医学に飽きたらず俳諧、書画、漢文を学び、さまざまな遊びをぞしける。十代半ばにて芭蕉の門を叩きたり。漢文調による新風の俳書『虚栗(みなしぐり)』を編みし時は二十代前半にて、師の追善集『枯尾花(かれをばな)』を編むまで芭蕉を離れず、後に江戸座を起こせし蕉門の一翼なり。天下の伊達者(だてもの)にて、大酒を嗜みしためか四十代に亡(なく)なりたる。自選の句集に『五元集(ごげんしゅう)』、別号に「晋子(しんし)」在り。

嵐雪の古調

[朗読2]
 服部嵐雪(はっとりらんせつ)(1654-1707)は古文を好みしものと見え、その作る所の俳句も古書・古歌に憑(よ)りたるもの多く、その語調もまた和歌に似たる者少からず。例へば

濡椽(ぬれえん)や薺(なずな)こぼるゝ土ながら ・

蔀(しとみ)あけてくゝだち買(かわ)ン朝まだき ・

[「蔀」は碁盤の目のように格子を組んで、上部に開放出来るようにした板戸。その間に板を挟んだりもするもの。
「茎立」(くくたち、くくだち、くきだち)は、菜ものの若いもの。あるいは、アブラナの一種で、どちらも食用]

不産女(うまずめ)の雛(ひな)かしづくぞ哀(あわれ)なる ・

[「不産女」あるいは「石女」は、子供の出来ない女性のことを指す]

みる房(ぶさ)やかゝれとてしも寺の尼

[「海松房」(みるぶさ)は海草の海松(みる)の房の意味。海松は、ミル科の緑藻で、食用にされた。「みるめ」「みるぶさ」「みるな」などと呼ばれ、春の季語。「海松色(みるいろ)」という色もあるくらい当時は知られた海草で、僧正遍昭(そうじょうへんじょう)(816-190)の和歌に、
「たらちねはかゝれとてしもむば玉の
我くろかみをなでずやありけん」
と在るのを踏まえて、「源氏物語」のなかで浮舟(うきふね)という女性が尼になることに思いを致すあたりを詠じたものか。ここで「みる房」は、例えて「髪をすくためのもの」を表しているそうである]

[書生加ふる]

色としもなかりける哉(かな)青嵐 ・

[これは寂蓮の
「さびしさはその色としもなかりけり
槙(まき)立つ山の秋の夕ぐれ」
をほぼ借用したものである]

等の如し。また同人の句に

行燈(あんどん)を月の夜にせんほとゝぎす ・

といふは世の中へ知れ渡りたるものなるが、こは万葉集にある家持(やかもち)の

保等登藝須 許欲奈枳和多禮 登毛之備乎
 都久欲爾奈蘇倍 曾能可氣母見牟

「ほとゝぎす こゆなきわたれ ともしびを
 つくよになそへ そのかけもみむ」

といへる歌をそのまま俗訳せしものにして、余り珍重すべきものとも思はれず。されど俳家者流の宗匠及びその門弟等は、皆、学問浅薄なる者のみ多かれば、さることのありとも知らず。よし之(これ)を知る者あれば、却(かえ)つてそを賞讃して、古歌にちなみたる名句なりなどと云ふこと、恰(あたか)も今日の平凡学者が、こは欧州の学者某の説なりといはば、尤(もっと)も善き証論なりと思へるが如し。げにも片腹いたきことぞかし。余はこの嵐雪の句よりも

蝋燭(ろうそく)のひかりにくしや郭公(ほととぎす)
  越智越人(おちえつじん)(1656-1739)

提灯の空に詮(せん)なしほとゝぎす ・
  杉山杉風(すぎやまさんぷう)(1647-1732)

などといふ句の、同じ意ながら古歌を翻案したるこそ、いと妙なれと思ふなり。

[章末まで書生加ふる]

 また漢詩に基づきたるものに

はぜつるや水村山郭酒旗風
(すいそんさんかくしゅきのかぜ) ・

なるあり。杜牧(とぼく)の絶句「江南春」の一節を秋季に引用したるまでにて、ただ選抜の妙趣を尽くしたるが如し。

服部嵐雪(1654-1707)

 蕉翁『六感』の中に「からびたる事、嵐雪に及ばず」とあるは適評なるべし。嵐雪の句、温雅(おんが)[おだやかでありみやびであること。落ち着いていて上品なこと]にして古樸(こぼく)[(=古朴)古びていて飾り気のないこと]、しかも時に従ふて変化するの妙は、其角の豪壮(ごうそう)にして変化するものと相反照(はんしょう)[光が照り返すこと/夕映え]して、蕉門の奇観と謂ふべし。その所謂(いわゆる)からびたる句は

梅一輪一輪ほどの暖かさ ・

相撲取(すもうとり)ならぶや秋のからにしき ・

黄菊白菊其外(そのほか)の名はなくも哉(がな) ・

[書生加ふる]

秋風の心動きぬ縄すだれ ・

草の葉を遊びありけよ露の玉 ・

鈴鴨(すずがも)の声ふり渡る月寒し ・

の類(たぐい)にして、この嵐雪一家の格調は、終(つい)に他人の摸倣し能(あた)はざる所なり。

文(ふみ)もなく口上(こうじょう)もなし粽五把(ちまきごわ) ・

[「粽(ちまき)」は端午の節句に食べる祝い事のお餅]

蒲団(ふとん)着て寐たる姿や東山 ・

[書生加ふる]

  寺にて
常燈(じょうとう)や壁あたゝかにきり/”\す ・

白雨(ゆうだち)や障子懸(かけ)たる片びさし ・

 これらの句は、実景・実情を有の儘(まま)に言ひ放しながら、なほその間に一種の雅味(がみ)を有するものにして、これまた嵐雪の独り擅(ほしい)ままにする所なり。盖(けだ)し嵐雪は一見識ある人なれども、やや理想には乏しきものの如く、随つて宇宙の事物を観察するに、常にその表面よりするの傾きあり。是(これ)を以て、その表面的の観察もまた、重(お)もに些細(ささい)なる事物に向つて精密なるが如し。例へば

花に風かろくきてふけ酒の泡(あわ) ・

[「酒の泡」とは燗酒などを注ぐとき、泡の立つさまを形容したもの]

五月雨や蚓(みみず)の徹(とお)す鍋の底 ・

[さみだれの頃とて暗澹(あんたん)たる台所の隅に放擲せられし古鍋の鉄錆に錆びたるを見ればついに小穴を認む。かほどの古鍋ならばとて拾い上げしかば、鈍重の動き初めたる蚯蚓のたくるさまを見し時、この蚯蚓に食い破られし穴なるかと、その貧惨たるありさま殺風景の極みを実感するものなり]

白露(しらつゆ)や角(つの)に目を持(もつ)かたつぶり ・

[書生加ふる]

狗脊(ぜんまい)の塵(ちり)にえらるゝわらびかな ・

青嵐(あおあらし)定まる時や苗の色 ・

の如きその一斑(いちはん)を知るに足るべきなり。なほこの種の観察の滑稽なる者には

顔に付(つく)飯粒(めしつぶ)蠅にあたへけり ・

門(かど)の雪臼(うす)とたらひのすがた哉 ・

君見よや我手入るゝぞ茎の桶 ・

[「茎の桶」は茎漬けの仕込み桶のこと。君よ見たまえ、我が手によって取り出す茎漬けのさかな位が、我が家のせめてものもてなしだ。くらいの意味]

[書生加ふる]

酒くさき人にからまるこてふ哉 ・

等あり。また人情の上に於ける観察も、かつて悽楚(せいそ)[とがめのような哀しみ、痛ましさ]慘憺(さんたん)[見るに堪えない痛ましさ]の処に向はず、はた勇壮豪放(ゆうそうごうほう)の処に向はずして、常に婦女もしくは児童の可憐なる処に在るが如く見ゆ。そは

ほつ/\と喰摘(くいつみ)あらす夫婦(めおと)哉 ・

[「喰積」は新年に米、餅、昆布などの縁起物の食べ物を飾り、かつそれを客に供したもの。後に飾りは蓬莱飾(ほうらいかざり)へ、食べる方は「おせち料理」へと至ったとか]

不産女(うまずめ)の雛(ひな)かしづくぞ哀(あわれ)なる ・

我恋や口もすはれぬ青鬼灯(あおほおずき)

[「青鬼灯」は晩夏の季語。まだ赤く熟さない「ほおずき」のこと。おまけ。浅草寺では七月十日の観世音菩薩の縁日として、「四万六千日(しまんろくせんにち)」すなわちその日参詣すると「四万六千日」参詣するほどの効果があるとされる仏教行事に合わせて、「ほおずき市」が開かれる。かつては旧暦によって行われ、「ほおずき市」は秋の季語、「ほおずき」も秋の季語になっているようだ]

岡見すと妹つくろひぬ小家《こへ》の門(かど)

出替(でがわり)や幼ごゝろに物あはれ ・

[「出替」とは奉公人すなわち下男下女の交代する日。春と秋にあり一年、または半年交替だった。古くは二月二日と八月二日、1669年、幕令によって三月五日と九月五日となった。季題では春のものを指す。秋のものは「後(のち)の出替」などと呼ぶようになった]

竹の子や児(ちご)の歯茎のうつくしき ・

等の数句を見ても知るべきなり。なほこの外に

秋風の心動きぬ縄(なわ)すだれ ・

[「縄すだれ」は縄編みのすだれのこと]

[書生加ふる]

つくり木の糸をゆるすや秋の風 ・

[「つくり木」とは、庭木や盆栽などの枝を整えるために糸によって矯正するもの。「ゆるす」は「緩めてやる」の意と「許してやる」の意を掛けたものか?]

の如く、やや理想的な句なきに非(あらざ)るも、終(つい)に嵐雪の本色に非ず。またその奇抜なるもの

順礼(じゅんれい)と打まじり行(ゆく)帰雁(きがん)哉 ・

武士(もののふ)の臑(すね)に米磨(と)グ霰(あられ)かな ・

[書生加ふる]

蓑干(みのほし)て朝/\ふるふ蛍かな ・

等の類(たぐい)あれども、其角の変幻極りなきとは大に異なりて、却りて味深き処あり。されば嵐雪の変化は、其角の天地に渡りて縱横奔放(ほんぽう)するの類に非ずして、僅(わず)かに一小局部内に彷徨(ほうこう)[さまようこと]するものなれども、その雅味を存するの多きは、其角もまた一歩を讓らざるべからず。宜(むべ)なるかな[もっともなことである]「門人に其角、嵐雪あり」と並称せしや。

『正誤』嵐雪の論につきて

 この、嵐雪を論ずる処甚だ誤れり。大体に於(おい)て嵐雪をやさしきものに見て、総て其角の反対なりと論じたるは、いたく嵐雪を取り違へたるなり。嵐雪は寧(むし)ろ其角に似たるなり。蕉門幾多の弟子中最も其角に似たる者は嵐雪なり。嵐雪の句の佶屈なる処、斬新なる処、勁抜(けいばつ)[力強くほかに抜きんでていること]なる処、滑稽なる処、古事を使ふ処、複雑なる事物を言ひこなす処等、甚だ其角に似てただ一歩を譲るのみ。其角・嵐雪が特に名を得たるは、その俳句に必ずしも名句多しとのわけならず、寧ろ何でも彼でも言ひこなす処、即ち両人が多少の智識学問を具へたる処に在るなり。例句

殿(との)は狩(かり)ッ妾(めかけ)餅うる桜茶屋 ・

煮鰹を干して新樹の烟りかな

煮取たくこゝでもおすあひ愚なり

[「すあひ」は正しくは漢字書き。衣類や小物の商売をする一方でかげに売春をした女性のこと。「すあいおんな」]

星合に我妹かさん待女郎

[「待ち女郎(まちじょろう)」は、婚礼に際して入口に花嫁を待ち受けて家へと導き入れ、さらに付き添いの世話役をする女性のこと]

稲妻にけしからぬ神子(みこ)が目ざしやな

蓮の実の飛ぶは飛びしかそもされば

早雲寺(そううんじ)明月の雲早きなり

 この外、前書を有する者は嵐雪句集の過半にして、前書ある句はただ言ひこなしの処に於(おい)て人を驚かすものなり。蓋(けだ)し嵐雪は、言ひこなしの力あるを頼みて、われから文学的の趣向を探ることに務めず、偶然に遭遇する雅事・俗事、一切これを俳句の材料として消化せんとしたるならん。また嵐雪に理想的の句少しと言へりしかど、多少の理屈を説きたる者はその例に乏しからず。例へば

三の朝三夕暮を見はやさん

年すでに明て達磨(だるま)のしり目哉 ・

花の夢この身を留守に置きけるか

世のあやめ見ずや真菰(まこも)の髑髏(しゃれこうべ)

[「真菰」はイネ科マコモ属の多年草で、別名をハナガツミという。川や湖などの水辺に群生し、日本全国で見られる。これが黒穂菌の影響で(自然に)茎が太るので「マコモタケ」としてここを食用にする。一方で、葉は筵(むしろ)や畳などに、また採取される「マコモズミ」は眉墨、お歯黒や、漆器の顔料ともなる]

底清水心の塵ぞ沈みつく

[書生加ふる]

兼好(けんこう)も筵(むしろ)織(おり)けり花ざかり ・

  墓参
山ぶきの実を穴掘の鍬(くわ)ひとつ ・

[実のならない(という)山吹の実のようなはかない身を、今は埋めるために墓堀は鍬のひとつを振るうのだろう、みたような意味]

の如し。嵐雪に擬人的譬喩的の句、甚だ多し。例へば左の如し。

四海波(しかいなみ)魚のきゝ耳あけの春 ・

元日や晴てすゞめのものがたり ・

めん/\の蜂をはらふや花の春

手の行かぬ背中を梅の木ぶりかな

梅干じや見知つて居るか梅の花

しだり尾の長屋/\に菖蒲(しょうぶ)哉 ・

初鰹(はつがつお)盛(もり)ならべたる牡丹かな ・

時鳥聞けば座頭の根付かな

明月や歌人に髭(ひげ)のなきがごと ・

初菊やほじろの頬(ほお)の白き程 ・

蒲団(ふとん)着て寐たる姿や東山 ・

芳野静
畑中(はたなか)によし野静やすゝ掃(はらい) ・

[「芳野静」とは、源頼朝の愛人の白拍子、静御前(しずかごぜん)のこと。畑中に煤払いするふとした女の姿にも、よし野ならばこそ静御前かとも思われる、くらいの意味]

[書生加ふる]

樗(おうち)佩(おび)てわざとめかしや芝肴(しばざかな) ・

[端午の節句(5/5)には樗(おうち)(落葉高木のセンダンのこと)やヨモギを身に付けておくとよいというので、ここでは芝浦で取れた魚の贈られたものに樗が飾られていたという意味]

菊さけり蝶来て遊べ絵の具皿 ・

 この外、前書長き句は譬喩的の者多し。これ已(や)むを得ざるに出づるなり。前書長き者は複雑なる事物、即ち十七字には迚(とて)も包含すべからざる程の事を前書に現し、而(しか)して後その全体の趣味(もしくは一部の事物)を季に配合して、文学的ならしめんとする者なれば、この場合に於(おい)て季の景物(または色彩を施すべき配合物)を譬喩に使はねばならぬやうになるなり。

烏帽子(えぼし)着て白き者皆小田の雁

といふ句ばかりを見ても、何の事とも解せぬなり。その前書を見れば

 鶴が丘の放生会(ほうじょうえ)[仏教の戒律の一つ「殺生戒」にもとづく儀式で、捕獲した鳥や獣、魚などを自然界へと放つもの]拝みにとて、待宵の月かけて雪の下のやどりに侍り、試楽の笛に夜すがらうかれぬ。明れば朝露の木の間たえだえに、楽人鳥の如くつらなり、社僧雲に似てたなびき出る。神のみゆきの厳重なるに階下塵しづまり、松の嵐も声をとゞめぬ

とあり。即ち知る、烏帽子云々(うんぬん)の句は、鶴が丘放生会(ほうじょうえ)の景況(けいきょう)[その場のありさま/景気の状況]を叙したる者にして、小田の雁とは烏帽子着たる人のつらなりたるさまを斯(か)く喩(たと)へたるなり。烏帽子・白衣の人の形状は、小田の雁と余り似たる処も無きを、斯く言ひたるは何故(なにゆえ)ぞと言ふに、第一、放生会といふことを現すに、烏帽子の人ばかりにてはもとより不十分なる故、せめては譬喩になりとも鳥を出さんとて、雁を持ち出したるなり。第二、鳥を出すには寧(むし)ろ鷲の方善かるべきなれど、雁といはねば秋季にならぬ故雁と置きて、その列を為したる処を譬喩の着眼としたるなり。斯(かか)る些細なることは文学上に左迄(さまで)[(=然迄)]の価値無けれども、この句にても嵐雪の用意周到なる処、即ちその言ひこなしの上手なる処をあらはすに至れり。

[章末まで書生加ふる]

 この外(ほか)前書の長き句にて、譬喩的にあらざる例は

 大和(やまと)廻(めぐ)りの東潮(とうちょう)[大和をめぐる旅に出る弟子の東潮への句]、めぐれ/\風車(かざぐるま)。東風(こち)吹かばにしへ行(ゆけ)、西吹かばもどれ。前後支(ささえ)ず。箱根は手形有、大井は河ごしあり。左右広し。空吹風の何が吹やら

逢坂(おうさか)は関の跡なり花の雲 ・

の如き、蕉翁の俳文に近きものあり。また嵐雪の句に、雄渾(ゆうこん)にはあらねど壮大にものして、却(かえっ)て寂寞(せきばく)の情を誘うものあり。

深谷(しんこく)やしきる時雨(しぐれ)の音もなし ・

名月や煙はひ行(ゆく)水の上 ・

七夕やふりかはりたるあまの川 ・

 嵐雪は江戸ッ子なり。下級武士として藩に仕えしことあれども、若き頃は悪党を謳歌したりとかや。1674年頃芭蕉の門人となりて、『其袋(そのふくろ)』などを編纂せり。後に師と確執あるも、蕉門の一翼として、其角と羽を並べて君臨せり。後に雪中庵と称し、江戸に一流派を築きたり。

向井去来(むかいきょらい)(1651-1704)

[朗読3]
「実なる事、去来に及ばず」とは蕉翁『六感』の中に去来を評するなり。而(しか)してこの評、実に去来を尽すものと謂(い)ふべし。去来人と為(な)り温厚・忠実、その芭蕉に事(つか)ふる[(=仕ふる)]こと親の如くまた君の如く、常に親愛と尊敬とを失はざりしかば、芭蕉もまた之を見ること恰(あたか)も吾愛児の如くにして、他の門弟子(もんていし)とは一様に思はざりき。されば芭蕉の去来に向つて、あるいは之を褒めあるいは之を叱るも、皆師の弟子に於(お)ける関係より出でずして、親の子に於けるが如き愛情より発するものなり。

 去来かつて芭蕉と共に正秀亭(まさひでてい)[近江の芭蕉の弟子である水田正秀(みずたまさひで)の亭、ここで俳諧連歌の興行を行っている]に会す。その座の俳諧に去来「第三」を付けたるに、その句宜しからずとて芭蕉これ添(てん)を削(さく)しけるが、会はてて後、芭蕉は去来を叱りて

「かくのびやかなる第三を付くること、前句の景色を探らず未練の事なり。此度(このたび)の耻(はじ)は是非一度雪(そそ)がんと心がくべし」

云々とて、夜もすがら怒りたりと。正秀も弟子なり、去来も弟子なり。弟子が弟子の前にて仕(し)そこなふたりとても、芭蕉に於て何か有らん。然るにかくまで叱責することは、弟子を以て之を見ず、骨肉の如く之を愛するが為(ため)なるべし。

 去来、実に此(かく)の如き人なれば、その作る所の句もまた優柔敦厚(とんこう)[誠実であり情に厚いこと]にして、かつて軽躁浮泛(ふはん)[うわついていること]に流るるの弊を見ず。其角の如く奇を求め新を探りて、人目を眩(げん)するの才なく、また丈草の如く微(び)を発(あば)き[(=暴き)]理を究めて、禅味を悟るの識なしといへども、却(かえっ)て平穏真樸(しんぼく)の間に微妙の詩歌的観念を発揮せしが為(ため)に、その句を読む者、ひとたび之を誦すれば、終(つい)に復(また)忘るる能(あた)はざるに至る。盖(けだ)しその意匠の幽遠(ゆうえん)に馳(は)せずして却(かえっ)て高尚なるのみならず、その格調極めて自然にして敢(あえ)て人工斧鑿(ふさく)[斧と鑿(のみ)、またそれによる細工/転じて、詩文などで技巧を凝らすこと]の痕なければなるべし。その景を叙するの処、情を叙するの処、神理天工(しんりてんこう)[神の摂理、天のなすわざ]、一心一手の間に融会(ゆうかい)[溶け集まること、溶けて一つになること/すんなりと了解すること]して、外面一片の理想を着けず、裏面一点の塵気(ちりけ)を雑(まじ)へざるに至りては、芭蕉もまた之を摸倣すること能はず。况(いわ)んや、其嵐(きらん)二子をや。况んや其他(そのた)の作家を以て自ら任ずる、許六(きょりく)、支考(しこう)の輩(やから)をや。試みに、その句数首を挙ぐれば

のぼり帆の淡路はなれぬ塩干(しおひ)哉 ・

[塩干は、つまり「潮干狩り」で春の季題。浅蜊(あさり)の旬を思いたまえ]

涼(すず)しさよ白雨(ゆだち)ながら入日影(いりひかげ) ・

のりながら馬草(まぐさ)はませて月見哉 ・

応ゝといへど敲(たた)くや雪の門(かど) ・

『正誤』より
 この一句を削る。余はこの句を誤解し居たるなり。後に考え得たる所に拠れば、この句の作者は家の内に在りて応々と呼ぶ方の人なり。さすればこの句は、此方(こちら)で応々といくら返事しても、外では叩いて居ると言ひしものなるべく、さて斯く考ふれば、この句には雅致無くして、却(かえっ)て俗気あるを覚ゆ。当時この種の印象明瞭なる句無かりしために、誰も彼もめでしものと見ゆれど、今日より見れば月並調に近きものなり。

芭蕉の鉢叩(はちたたき)[十一月十三日の空也の忌日から大晦日まで、時宗の僧たちが鉄の鉢を叩きながら募金などを行う勧進行事]聞かんとて、落柿舎(らくししゃ)[京都は嵯峨野にある向井去来の草庵]を音づれけるに、折節(おりふし)[ちょうどその時]鉢敲(はちたたき)の来ざりければ

箒(ほうき)こせまねてもみせん鉢叩(はちたたき) ・

[「鉢叩」とは、天台宗(名目的)の僧である空也(903-972)が、念仏を称えながら諸国を行脚したことに因むもので、空也の亡くなった(陰暦)11月13日から48日間、鉦(かね)を鳴らしてまわったり、あるいはヒョウタンを叩きながら、京の都の洛中や洛外を歩き回るという仏事。芭蕉ががっかりするか、あるいはぶつくさ不平を言うので、ちょっと滑稽をこめて、
「箒を寄こせ、いっそ俺さまが真似てみせるぜ鉢叩」
と叫んでみたところに、活力のある冗談の自棄(やけ)がこもるが故に、それでいて俗に陥らないところに俳諧味がある。酒と言わずして酒の香りあらざらんや?]

[書生加ふる]

鉢(はち)たゝきこぬよとなれば朧(おぼろ)なり ・

冬枯の木間(このま)のぞかん売屋敷(うりやしき) ・

うごくとも見えで畑打(はたうつ)男哉 ・

あら磯(いそ)やはしり馴(なれ)たる友鵆(ともちどり) ・

くれて行(ゆく)年のまうけや伊勢くまの ・

[伊勢神宮、熊野神社には暮れゆく年の準備(まうけ)が行われているの意味]

石垢(いしあか)に猶(なお)くひ入(いる)や淵(ふち)の鮎 ・

一筵(ひとむしろ)ちるや日かげの赤椿(あかつばき) ・

すゞしさや浮洲(うきす)のうへのざこくらべ ・

[「ざこの魚ども」を比べ合う光景を詠んだもの]

陽炎(かげろう)や流にうつる柴(しば)の門 ・

五六本よりてしだるゝ柳かな ・

駒牽(こまひき)の木曾(きそ)や出(いず)らんみかの月 ・

[陰暦八月十五日に行われる駒迎(こまむかえ)に合わせて、朝廷に献上する馬を引き行くさまを述べたもの。陰暦であれば「駒迎」の行事は必ず望月(もちづき)に当たるものを、木曾は遠いのではやくも「三日の月」の頃に木曾を立つという意味]

涼しくも野山にみつる念仏(ねぶつ)哉 ・

さん銭を落して払(はら)う落葉哉 ・

[「さん銭」は参詣のための「賽銭(さいせん)」の意味]

舟にねて荷物の間(あい)や冬ごもり ・

一しぐれしぐれてあかし辻行灯(つじあんど) ・

 是等(これら)の句は、皆その句の妙霊なるのみならず、去来その人の性質躍然(やくぜん)として現れたるを見るべし。去来の句、今日に伝ふる者、僅(わずか)に三百句許(ばか)りにして、随ひて一題数句ある者は稀なり。ただ秋月と時雨の二題は吟詠各十句の多きに及び、而(しか)して他の些事微物に至りては一句だに無き者少からず。

『正誤』より
 秋月と時雨の二題云々とあるは誤れり。去来の句集中、桜花、時鳥、秋月、時雨、雪の五題は十句以上あり。而して丈草もまたこの五題は十句以上あり。丈草が細微を詠ずるの傾向あるは誤れるにあらねど、此等(これら)の題を詠じたる句数を以て比較するは誤れり。

 これを以て見るも、去来の観念は毎(つね?)に那辺(なへん)[どのへん]に向ひしかを知るに足らん。また去来は、武士なる者の意気凛然(りんぜん)たる所を忘れざりしと見え、これを証するの句多し。

元日や家にゆづりの太刀(たち)帯(はか)ン ・

笋(たけのこ)の時よりしるし弓の竹

鎧(よろい)着てつかれためさん土用干(どようぼし) ・

[「土用干」とは夏の土用に、衣類あるいは書物などを日干しにして、カビや害虫から守るもので、夏の季語。着なくなった鎧を着て、はたして今では疲れんか試さんと言うもあるが、この熱いながらに鎧を着て、つかれをためすとは、どうして成し得ようか、という言葉にならぬ反語の込められているところに、スルメの味わいがあるのかもしれない?]

秋風やしらきの弓に弦(つる)はらん ・

鴨啼(かもなく)や弓矢を捨て十余年(じゅうよねん) ・

老武者(おいむしゃ)と指やさゝれん玉霰

時として豪壮の気を帯ぶる者あり。然れども終(つい)に粗糲(それい)[精白していない米のこと。そこから、粗末な食事の例え]に失せず。

湖(みずうみ)の水まさりけり五月雨(さつきあめ) ・

[書生加ふる]

  ひろさは
池のつら雲の氷るやあたご山 ・

一昨(おととい)はあの山越ッ花盛リ ・

  膳所(ぜぜ)曲水之楼(きょくすいのろう)にて
蛍火や吹(ふき)とばされて鳰(にお)のやみ ・

猪(いのしし)のねに行(ゆく)かたや明の月 ・

稲妻(いなずま)のかきまぜて行やみよかな ・

満汐(みつしお)の岩ほに立や鹿の声 ・

時として教誨(きょうかい)[教え諭すこと]の意を含む者あり。

何事ぞ花みる人の長刀(なががたな) ・

[書生加ふる]

うす壁(かべ)の一重(ひとえ)は何かとしの宿 ・

時としてやや纖巧(せんこう)にして奇創(きそう)なる者あり。然れどもその妙味は奇創纖巧の処に非ずして、却(かえっ)て神韻縹渺(しんいんひょうびょう)[詩文などがきわめて優れたおもむきを有しているの例え]自然に渾成(こんせい)[ひとつにまとまること]する処にあるが如し。

痩せはてゝ香にさく梅の思ひ哉

郭公(ほととぎす)なくや雲雀(ひばり)と十文字 ・

うのはなの絶間(たえま)たゝかん闇の門(かど) ・

[書生加ふる]

尾頭(おがしら)のこゝろもとなき海鼠(なまこ)哉 ・

鳶(とび)の羽も刷(かいつくろい)ぬはつしぐれ ・

[「刷ぬ」は「かき繕ひぬ」の音便で、乱れた処を整える、あるいは身づくろいするくらいの意味]

葉がくれをこけ出て瓜(うり)の暑さ哉 ・

[これは葉隠よりころげ出たる瓜が、いとも暑がる様子を述べたもの]

青柳(あおやぎ)のたゝいてあそぶ板戸かな ・

芭蕉曰く、上手にして始めて仕そこなひありと。盖(けだ)し去来もまたその一人なり。その奇に失する者

年の夜や人に手足の十許り

上臈(じょうろう)[身分の高い貴人・高僧/高位の女官]の山荘に候(こう)し奉りて
梅が香や山路猟入(かりい)ル犬のまね ・

[書生加ふる]

たけの子や畠隣(はたけどなり)に悪太郎(あくたろう) ・

[畠の準備始めるとて、隣の竹藪のたけの子の悪太郎のごとき悪戯ものにて、畠にまでも伸び出すの意なり。あるいは畠隣に住む腕白小僧を「たけの子」のようだとからかうなり。これすなわち「たけの子や」を実物と取るか、譬喩と捉えるかの違いなり。相手に解釈の意味を委ねるべき(すなわち詞書にて換ええる意味の幅を持つ)純発句的作品なり。あながち悪句にあらず]

滝壺(たきつぼ)もひしげと雉(きじ)のほろゝ哉 ・

[滝壺に「ひしげ」すなわち「押しつぶせ」とばかりに打つ水のように、雉の声が鳴き渡るさまを述べたもの]

その俗に失する者

賽錢(さいせん)も用意顔なり花の杜(もり)

時鳥きのふ一声けふ三声

従兄弟に逢ふて
昔思へ一ッ畠の瓜茄子(うりなすび)

[章末まで書生加ふる]

心なき代官殿(だいかんどの)やほとゝぎす ・

夕ぐれや山兀(はげ)並(なら)びたる雲のみね ・

[「山兀」は漢字一文字にて、山のハゲたるを表すなり]

上五の疎漏(そろう)[おろそかで手落ちのあること]に失するため秀句を逸したるもの

いそがしや沖の時雨の真帆片帆(まほかたほ) ・

 この外に、優れて取るべきものは

一畦(ひとあぜ)はしばし鳴やむ蛙(かわず)哉 ・

 水田万畳の蛙声(あせい)に茫然たる中に、不意に眼前の一畦(ひとあぜ)静寂に帰りたる。彼方(かなた)まで我を覆う合唱と、脚下の寂寞(じゃくまく)とが刹那に胸を打つ時、耳もとを騒がす蛙声の戻り来たる。この句さり気なく吟じて、その叙情性他者を寄せ付けず、『蛙合(かわづあわせ)』中の芭蕉の『古池や』の殺風景に勝ること万々なり。

また追悼などものして秀抜なるものあり

遊女ときは、身まかりけるをいたみて、久しくあひしれりける人に申侍(もうしはべ)る

露烟(つゆけぶり)此世(このよ)の外(ほか)の身うけ哉 ・

  いもうとの追善に
手のうへにかなしく消ゆる蛍かな ・

仲秋の望(もち)、猶子(ゆうし)[去来の甥]を送葬して

かゝる夜の月も見にけり野辺送(のべおくり) ・

  追悼
玉棚の奥なつかしや親の顔 ・

寐道具のかた/\やうき玉祭(たままつり) ・

[盆の魂祭の片方(かたかた)に寐道具のある様子にしろ、寐道具を並べて片方(かたかた)に眠る人も今は亡きという意味にしろ、妻の俤(おもかげ)を憂(う)く初盆くらいに捉えるのが最もふさわしいものか]

  翁の病中
白粥(しらがゆ)のあまりすゝるや冬ごもり ・

[芭蕉、逝去直前の句。『枯尾花』には上五「病中の」とある]

 この外、つれなき恋人に咬まれたる胸の疼くとて、そを猫の恋に委ねたるものに

うき友にかまれてねこの空ながめ ・

また語り口調の調子めきたるものは

けなりでは逢はじいふても花の春

[普段着「けなり」であるから逢わないようにしようと言っても、所詮(しょせん)は花の春のことである。どうして人に逢わない訳があろうか、という意味]

賀正年賀に書き連ねてふさわしきものは

万歳(まんざい)や左右(そう)にひらいて松の陰(かげ) ・

定まらぬ永遠(とわ)の羈旅(きりょ)を宿命となしたるは

故郷(ふるさと)も今はかり寝や渡鳥 ・

 去来は長崎の名医の次男なり。京に出て武芸を学び、後にこれを捨て、其角を介して蕉門の扉を叩きたり。芭蕉の信頼を得、『猿蓑』を編み、また別荘『落柿舎(らくししゃ)』に師を招くのみならず、翁(おきな)の教えを諭さんとして『旅寝論』『去来抄(きょらいしょう)』を編纂せり。

内藤丈草(ないとうじょうそう)(1662-1704)

[朗読4]
 僧丈草は犬山(いぬやま)の士なり。継母に仕へて孝心深し。家を異母弟(いぼてい)に讓らんとて、わざと右の指に疵(きず)をつけ、刀の柄(つか)握り難き由(ゆえ)を言ひたて、家を遁(のが)れ出でて、道の傍(かたわら)に髪押し斬り、それより禅門に入る。その時の詩あり。

多年負屋一蝸牛、
化做蛞蝓得自由。
火宅最惶涎沫尽、
偶尋法雨入林丘。

多年屋を負う一蝸牛(いちかぎゅう)[かたつむり]
化して蛞蝓(かつゆ)[なめくじ]、自由を得る。
火宅(かたく)[火災の家は、煩悩の燃えるさま。すなわち現世]最も惶(おそ)る、涎沫(ぜんまつ)[痰(たん)と唾(つば)のこと、ここでは蝸牛や蛞蝓の表面のヌルヌルのたとえ]の尽きんことを、
たまたま法雨(ほうう)を尋ねて林丘(りんきゅう)に入る。

 その後、芭蕉の弟子となりて俳句を学びしが、斯(かか)る心だての大丈夫なればにや、芭蕉もいたく之を愛し「人の上にたたんこと、月を越ゆべからず」とはじめより喜べりとぞ。されば丈草も深く芭蕉に懐(なつ)き、その死後も義仲寺(ぎちゅうじ)[芭蕉の墓がある]のほとりに草廬(そうろ)を結びて一生を終へたり。

 明和の頃、蝶夢(ちょうむ)なる俳人『去来発句集』『丈草発句集』を編み、その端書に記(き)するに、

『蕉風の正統を得し者は去来・丈草二子なり。されどもこの二子は名聞(めいぶん)[名声、評判]を好まず、弟子をも取らざれば、後世これを祖述(そじゅつ)[先人の説を受け継いで学問を進めること]するものなく、却(かえ)りて其角・嵐雪の流派のみ盛(さかん)に行はれたり云々(うんぬん)』

の意を以てせり。これ実に去来・丈草の知己と謂ふべし。

 丈草の俳句を通覧(つうらん)する者は、その禅味(ぜんみ)に富むことを心づかぬ者は非ざるべし。少くとも諸行無常(しょぎょうむじょう)といふ仏教的の観念は、常に丈草の頭脳を支配せしものと思(おぼ)しく、その種(しゅ)の作句実に多し。併(しか)しながら丈草の句は、所謂(いわゆる)坊主の坊主臭きものにして、多くは暴露(ばくろ)に過ぎ、やや厭(いと)ふべきものあり。之を芭蕉の禅味を消化して、一句の裏面(りめん)に包含(ほうがん)せしむるものに比すれば、及ばざること遠し。例(れい)せば

きつゝきや枯木尋(たずね)る花の中 ・

真先(まっさき)に見し枝ならんちる桜 ・

聖霊(しょうりょう)も出(で)てかりのよの旅ね哉 ・

ぬけ殼とならんで死る秋の蝉

着てたてば夜るのふすまもなかりけり ・

帰り来(く)る魚(うお)のすみかや崩(くず)れ簗(やな) ・

その尤も巧妙にして薀雅(うんが or おんが?)[積み重なった雅くらいの意味か]なる者は

とりつかぬ力で浮むかはづかな ・

[書生加ふる]

しずかさを数珠(じゅず)もおもはず網代守(あじろもり) ・

[河の漁に網代(あじろ)の仕掛けをして魚をおびき寄せるのを守るための番人で、夜には篝火を焚いてその魚を取るものを網代守という。冬の季題]

死ンだとも留主(るす)ともしれず庵の花 ・

かみこきて寄ればいろりのはしり炭 ・

[「紙衣」は防寒用であるが、もともとは紙から作るもの。そこで囲炉裏の跳ね炭に驚いたという意味]

その尤も拙劣(せつれつ)にして平浅なる者は

  贈新道心
蚊屋(かや)を出て又障子(しょうじ)あり夏の月 ・

[書生加ふる]

雨乞(あまごい)の雨気(あまけ)こはがるかり着哉 ・

この外、禅味を含まずして、格調の高きこと、去来の塁を摩する[(中国故事)敵の陣近くに迫る/技量や地位がほとんど同等になる]者あり。

郭公(ほととぎす)鳴(なく)や湖水のさゝにごり ・

黒みけり沖の時雨(しぐれ)の行(ゆく)ところ ・

水底(みなそこ)の岩に落つく木(こ)の葉哉 ・

[書生加ふる]

幾人(いくたり)かしぐれかけぬく勢田(せた)の橋 ・

凩(こがらし)のあたりどころやこぶ柳 ・

[「こぶ柳」はこぶの出来た古柳の意]

柴(しば)の戸や夜(よ)の間に我を雪の客 ・

ひき起す霜の薄(すすき)や朝の門(かど) ・

の類(たぐい)なり。また軽快流暢の筆を以て、日常の瑣事(さじ)[(=些事)ささいなこと、つまらないこと]を捻出(ねんしゅつ)するは、丈草の長所なるが如く

春雨やぬけ出たまゝの夜着(よぎ)の穴 ・

暇明(ひまあき)や蚤(のみ)の出て行(ゆく)耳の穴 ・

突つ立てて帆になる袖や涼み舟 ・・

夜咄(よばなし)の長さを行けばとこの山

やねふきの海をねぢむく時雨(しぐれ)哉 ・

[書生加ふる]

うか/\と来ては花見の留守居(るすい)哉 ・

行灯(あんどん)に飛や袂(たもと)のきり/”\す ・

見送りの先に立(たち)けりつく/\し ・

すゞしさをふまへ付たり縁柱(えんばしら) ・

などの例あり。また丈草の好題目として択(えら)ぶ所のものは動物にして、丈草句中の三分の一は皆、禽獸蟲魚(きんじゅうちゅうぎょ)[鳥、獣、虫、魚]に関係せり。これ即ち芭蕉・去来が好んで天象(てんしょう)・地理の大観を吟詠するとは大に異なりて、丈草の一籌を輸する(いっちゅうをゆする)[「籌」という得点を数える道具に一分だけ相手に輸(ゆ)する、すなわち渡して負けるという元意。よって、わずかばかりに負けるといった意味]所以(ゆえん)、またここに在るべし。俳句に擬人法を用ふるは、後世に多くして元禄前後には少き様なるが、丈草は例の動物を取りて擬人的の作意を試みたり。

我事(わがこと)と鯲(どじょう)のにげし根芹(ねぜり)哉 ・

大はらや蝶のでゝ舞ふ朧月(おぼろづき) ・

夕立にはしり下(くだ)るや竹の蟻 ・

啼きはれて目さしもうとし鹿の形(なり)

[書生加ふる]

血を分ヶし身とは思はず蚊のにくさ ・

松風の空や雲雀(ひばり)の舞(まい)わかれ ・

雪曇り身の上を啼(なく)鴉(からす)哉 ・

棒の手のおなじさまなるかゞし哉 ・

[これは動物にあらず]

等の類(たぐい)にて、これ恐らくは禅学の上より得来りしものならんか。

『正誤』より
 俳句に擬人法を用ふるは後世に多くして云々とあるは疑はし。擬人法が孰(いず)れの時代に多きかはなほ善く研究して後に言ふべし。元禄時代に擬人法の句は丈草以外にも多く之(これ)を見るなり。

[章末まで書生加ふる]

 また、多少の雄渾壮大を宿したる句あれども、これも動物より取り来たるもの多し

狼(おおかみ)の声そろふなり雪のくれ ・

鷹の目の枯野にすわるあらしかな ・

あら猫のかけ出す軒や冬の月 ・

ながれ木や篝火(かがり)の空の時鳥(ほととぎす) ・

 丈草、藩士に生まれつつも病を理由に家督を譲り、芭蕉亡きあとは貧庵に遁世(とんせい)す。その実況を吟じたるものに却(かえっ)て心情真率のもの多し

草庵(そうあん)の火燵(こたつ)の下や古狸(ふるだぬき) ・

朝霜や茶湯(ちゃとう)の後(あと)のくすり鍋 ・

  芭蕉翁塚にまうでゝ
陽炎(かげろう)や塚より外に住(すむ)ばかり ・

かへるそらなくてや夜半(よわ)の孀鴈(やもめがり) ・

淋(さび)しさの底ぬけてふるみぞれかな ・

 また禅的観念を弄(ろう)せず、直情に委ねたる追悼句などに、却て諦観を裏面(りめん)に宿したるもの多し

  追悼
悔(くやみ)いふ人のとぎれやきり/”\す ・

  曲水の子をいたみて
呼声はたえてほたるのさかり哉 ・

 また格調、去来に摩するものに類するも、一層客観的実景をありのままに描き、却て感情を動かさしむるものあり

松の葉の地に立ならぶ龝(あき)の雨 ・

月代(つきしろ)や時雨のあとのむしの声 ・

[「月代」とは、月の昇る前に東の空の白むさま]

玉棚(たまだな)や藪木(やぶき)をもるゝ月の影 ・

行秋(ゆくあき)や梢(こずえ)に掛るかんな屑(くず) ・

さらに、奇警なる主観をも加へ超自然的にものしたるものあり

釣柿(つりがき)や障子にくるふ夕日影 ・

こはシュールレアリスムの技法なり。

 彼、孤高の人にて、師の墓所たる義仲寺境内に無名庵を住みかとし、ほとんど清貧追善の晩年を過ごせり。『丈草発句集』の他に随筆『寝ころび草』在り。

東花坊支考(1665-1731)

[朗読5]
 東花坊支考(とうかぼうしこう)(=各務支考・かがみしこう)は蕉翁晩年の弟子なり。人と為り磊落(らいらく)[気が大きくて細かいことに拘らないさま]奇異(きい)[普通と異なっていてめずらしく不思議なさま]、敢(あえ)て法度(はっと)に拘(こだ)はらず。芭蕉世に在るの間は、吟詠妙境(みょうきょう)に到りて他の高弟をも凌駕(りょうが)し、いと頼もしく見えたり。然るに芭蕉死して後は、自(みずか)ら門戸を搆(かま)へ、学識に誇り、多才を頼み、妄(みだ)りに芭蕉の遺教と称して数十巻の俳書を著し、甚(はなは)だしきものは自ら書を著し、自ら解釈と批評とを加へて、以て天下に刊行するに至れり。是(ここ)に於てその句多く軽佻浮泛(けいちょうふはく)[心が浮ついていて軽はずみに行動すること。考えが軽率で、言動が薄っぺらなようす]に流れて、往々芭蕉正風(しょうふう)の外に出でしが、その極(きわみ)終(つい)に美濃派の一派を起し、今日に至るまで多少の勢力を有して全国に蔓衍(まんえん)[(=蔓延)]せりといふ。支考の性行此(かく)の如くなれば、その吐く所の俳句もまた一種の理想を含む者、十中八九までこれなり。

月花(つきはな)の目を休めばや春の雨 ・

鶴に乗ル支度は軽し衣がへ ・

世の中をうしろの皺(しわ)や衣がへ ・

灌仏(かんぶつ)やめでたき事に寺まゐり ・

魂棚(たまだな)にこちらむく日を待身(まつみ)かな ・

名月やけふはにぎはふ秋の暮

一俵(いっぴょう)もとらで案山子(かがし)の弓矢哉(かな) ・

臘八(ろうはち)や痩(やせ)は仏に似たれども ・

[「臘八(ろうはつ・ろうはち)」とは「臘月八日(ろうげつようか)」の略で、陰暦十二月八日は釈迦が成仏得道(じょうぶつとくどう)を遂げた記念の仏教行事である「成道会(じょうどうえ)」が行われる。冬の季題]

[書生加ふる]

兼好(けんこう)はしねといふたに年忘 ・

此(かく)の如きもの、数ふるに暇(いとま)あらず。その

笠(かさ)きせて見ばや月夜の鷄頭花 ・

[書生加ふる]

腹たてる人にぬめくるなまこ哉 ・

と云ふに至りては、理想已(すで)に極まりてやや狂に近きものなり。この他理想といふべからざるも、その意匠自然に出でずして、斧鑿(ふさく)の痕(あと)を存するものあり。即ち

むめが香(か)の筋に立(たち)よるはつ日哉 ・

野は枯(かれ)てのばす物なし鶴の首 ・・

ふたつ子も草鞋を出すやけふの雪 ・・

等の類(たぐい)なり。擬人法はもと理想より生ずるものにして、丈草のこの法を用ひしことは已(すで)に言へり。支考に至りてこの種の俳句実に夥多(かた)[おびただしいさま]にして、動物・植物を形容するの慣手段(かんしゅだん)[いつもきまっているやり方、常套手段]と為せしが如し。その例を挙ぐれば

花の咲く木はいそがしき二月かな

鶯(うぐいす)の肝(きも)つぶしたる寒さかな ・

虻(あぶ)の目の何かさとりて早がてん ・

片枝(かたえだ)に脉(みゃく)や通ひて梅の花 ・

ゆりの花生(いけ)ればあちらむきたがる ・

物おもひ/\啼(なく)うづらかな ・

腸(はらわた)に秋のしみたる熟柿(じゅくし)かな ・

節シ/”\のおもひや竹に積るゆき ・

等の如し。また多少の理想なきに非るも、意匠諧謔に陥りて、風雅の趣に乏しきものあり。例へば

蓮の葉に小便すれば御舎利(おしゃり)かな

[御舎利(おしゃり)は、仏舎利(ぶっしゃり)つまり釈迦の骨のこと]

牛に成る合点ぞ朝寐夕すゞみ ・

凩(こがらし)や鼻を出し行く人はなし

寒ければ寐られずねゝば猶寒し ・

の類(たぐい)にして、支考が一生の本領もまたここに在りしなるべし。されば後来(こうらい)[この後、将来/後れて来ること]美濃派の起りしも、主として此処(ここ)より入りしが如し。盖(けだ)し支考はもとより一個の英俊なる俳家たるを失はず。その賦する所、やや神韻(しんいん)に乏しといへども、滑稽・諧謔の中に一定の理想ありて、全たく卑俗に陥るを免れたり。然れども後世無学の俗輩、一片の理想無くしてこの諧謔を学ぶ。俗陋平浅(ぞくろうへいせん)ならざらんと欲するを得んや。支考の多能なる、俳句に於て到る処、必ずしも前に論じたる境涯に止まらず。時として其角・去来を学び、時として尚白・涼莵(りょうと)に擬(ぎ)する者あり。これ支考の支考たる所以なるべし。その例

これ迄(まで)か/\とて春の雪

水澄て籾(もみ)の芽(め)青し苗代田(なわしろだ) ・

餅喰はぬ旅人はなし桃の花 ・

里の子が燕(つばくろ)握る早苗かな ・

我笠や田植の笠にまぎれ行く

裸子よもの着ばやらん瓜一つ

はつ霜や芦折違(あしおれちが)ふ浜づつみ ・

一つ葉や一葉/\にけさの霜

[章末まで書生加ふる]

降雪(ふるゆき)に淡路は夢の心地也(なり) ・

今一俵(いっぴょう)炭を買(かお)うかはるのゆき ・

鶏(とり)の音(ね)の隣も遠し夜の雪 ・

牛呵(うししか)る声に鴫(しぎ)たつゆふべかな ・

 その叙するところ堕落を極め尽し、添削をさえ拒むものあり

しかられて次の間へ出る寒さ哉 ・

侍(さむらい)は腹さへ切ルに火燵(こたつ)かな ・

行春に底のぬけたるつばき哉 ・

あふむくもうつむくも淋(さび)し百合の花 ・

但(ただ)し、最後のは善くも取れるなり。

 かれ幼少に入れられし山門より還俗(げんぞく)して俳諧の径(みち)を歩めり。蕉門にありて『続猿蓑』の撰者を務むる一方、多くの理論書を残せし者にして、また俳文集を編纂し美濃派の中心として君臨せり。

志太野坡(しだやば)(1662-1740)

 志太野坡の俳句は、意匠の清新奇抜なるものを取りて作するを常とす。故にその句多くは

初午(はつうま)や鍵を啣(くわ)へて御戸開(みとびら)き ・

[「初午(はつうま)」陰暦二月初めの「午の日」(今日は新暦二月の場合が多い。「伏見稲荷神社」も新暦)に行われる]に行われる稲荷神社の祭り。全国各地にある稲荷社の総本宮である「伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)」に稲荷神が奉られたのがこの日に当たるとして祭る行事である。稲荷神は後に宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)と結びつき、稲荷大社の主祭神となっているようだ。「御戸開」は本尊、その他の扉を開いて参列者に拝ませてくれる「ありがたい」(と思う人にとってはありがたい)行事。午から動物を聯想したる洒落をこめて、なおかつ初午は狐マークでお馴染みの? 稲荷神社の祭りであるところから、「くわえて」の表現が怪しくもひかるものとされている]

苗代(なわしろ)や二王のやうなあしの跡 ・

子規(ほととぎす)顔の出されぬ格子(こうし)哉 ・

崖端(がけばた)を一人が覗けば花の山

夕すゞみあぶなき石に上りけり ・

ちり椿あまりもろさに続(つい)で見る ・

飛びかへる竹の霰や窓の内

の類(たぐい)なり。その尤(もっと)も諧謔を弄する者に至りては

長松(ちょうまつ)が親の名で来る御慶(ぎょけい)哉 ・

[「長松」は下女の「お竹」のように、丁稚や小僧の俗称。御慶は新年の挨拶で、それまで「長松」と呼ばれ奉公をしていた小僧が、家を継いで親の名にて改まって挨拶に来たる様をこう吟じたもの。理屈に攻めてかつ悪からぬ句になっている]

鉢まきをとれば若衆ぞ大根引(だいこひき) ・

[「若衆道」(わかしゅどう)の名称にあるように、「若衆」とは単なる若者の男子ではなく、「男色関係すっごくいい」の世界における受け手側の少年である場合がある。一方それを可愛がる兄貴分を「念者(ねんじゃ)」といい、二人の結ばれる関係を「念此(ねんごろ)」と言うそうだ。男色は一説には女性との交わりを避けるべき仏教の流入と共に広がり、江戸後期の弾圧政策で減少し、明治以後の欧米の文化の流入と共に衰退したとされている。「大根引」は、大根を引っこ抜く収穫作業。あるいは、性的な駄洒落なるや]

の如き者あり。その句法の警抜(けいばつ)[特に優れて抜きんでていること、事実を鋭くえぐり抜いていること]人を駭(おどろ)かす者は

ほの/”\と鴉(からす)くろむや窓の春 ・

つゝまれて水ものびたる蓮(はちす)かな ・

這梅(このうめ)の残る影なき月夜かな

等なり。これを要するに、野坡は常に滑稽を以て人頤[読み「じんい」か?、人のあごの意味にて、「頤」だけは「おとがい」とも読む。「人のあごを解く」にて、優れた言動や行動によって、相手のあごを唖然と開かせる、つまり感服させるの意味]を解かんとする者の如く、その理想に至りては甚(はなは)だ低きかと思はる。偶(たまたま)

葉がくれて見ても朝顔の浮世かな

豆とりて我も心の鬼うたん ・

等の句あれども、恐らくはそれ真面目にあらざるべし。されば恋の句に

振袖のちらと見えけり闇の梅

娘ある隣の衣とうたればや

とあるが如きは浅薄暴露、殆(ほと)んど読むに堪へず。その理想はかく低しといへども、その度量快豁(かいかつ)[広々と眺めが開けていること/心が広くて細事に拘泥しないこと]なるは、かつてその家に忍び入りし盗賊を相手に談笑せし一事を以ても知るべく、従つてその句もまた紆余(うよ)[曲がりくねること/余裕がありのびのびしていること]迫らざる処ありて、たとい上乗に非るも蕉風の特色を存して大に愛すべきものなり。即ち

押して見る山の乾きや蕗の薹(ふきのとう)

食の時皆あつまるや山桜

静かには啼かれぬ雉の調子かな

猫の恋初手から啼て哀れなり

秋もはや雁(が)ンおり揃(そろ)ふ寒さ哉 ・

この比(ごろ)の垣の結目(ゆいめ)やはつ時雨(しぐれ) ・

ちからなや膝(ひざ)をかゝへて冬籠

[書生加ふる]

しぐれうとおもうて咲(さく)や枇杷(びわ)の花 ・

等の句を見てその一斑を見るべし。歳暮(せいぼ)の句に

年のくれ互にこすき錢づかひ

とあるが如きは、元商家に生れたる故にその観察のここに及びしものなるべけれども、此等(これら)の意匠はその人情を穿(うが)つ[ここでは、微妙なところを言い表すの意味]に拘はらず、卑俗に流れて偶々(たまたま)嫌厭(けんえん)を生ぜしむるに足るのみ。蕉翁『六感』に「おどけたる事、野坡に及ばず」とあるは中(あた)らずといへども遠からざるの評なり。

[章末まで書生加ふる]

 然れども時に於いて蕉風に恥じざる句もままあり。諧謔冗談の人の、折節にしかめ面して真率を啓(けい)すが如し

行(ゆく)雲をねてゐてみるや夏座敷 ・

小夜(さよ)しぐれとなりの臼(うす)は挽(ひき)やみぬ ・

山臥(やまぶし)の火を切こぼす花埜(はなの)かな ・

[花野は秋というのが季題である。その花野に笈(おい)を下ろした山伏が、火打ち石を打つ時に火花の切りこぼれることを詠んだもの]

妻も子もまち得し秋や舟迎(ふねむか)ひ ・

渡し守(もり)よべど答へず明の霜 ・

また芭蕉の追悼に詠むとて

我をよぶ声や浮世の片時雨(かたしぐれ) ・

なるは、自らの病床に師の声を聞くとき、時雨の境に生死の果てを諦観したるものなり。病臥のうちに新玉(あらたま)と成りて、薬に湧かしたる水も、今は正月を祝う若水(わかみず)へと変じたる

わか水やふゆはくすりにむすびしを ・

こは七十九才にして野坡辞世の句なり。百吟一句中の誠を知るべし。

 この人、越前(福井県)の出身にて、江戸へ出て日本橋の越後屋に勤めしものを、俳諧熱高まりて、芭蕉晩年の教え「かるみ」を選抜したる『炭俵(すみだわら)』の編纂を任されし。師の没後も西方への行脚を重ね、大阪を拠点に一大勢力を築きたる。

野沢凡兆(のざわぼんちょう)[書生記す]

[朗読6]
 野沢凡兆(のざわぼんちょう)(?-1714)は金沢より京に出でし医者にて、蕉翁の幻住庵(げんじゅうあん)(滋賀県大津市)在住頃より直弟子となりて、忽(たちま)ち芭蕉・去来と共に『猿蓑(さるみの)』(1691年)を監修せり。しかる後、確執あって蕉門を離れ去りし。凡兆の句『猿蓑』と後年の差異甚だしきものは、芭蕉の指導に圧迫せられたるか、自ら好みて感化せられたるか此(これ)を知らず。今日専(もっぱ)ら『猿蓑』の発句をもって上乗とするのみ。その句、壮大にせよ細事にせよ時間的経過を切断したる如(ごと)きものあり。小説の一断面の様相を呈せり。

渡り懸(かけ)て藻の花のぞく流哉 ・

呼かへす鮒売(ふなうり)見えぬあられ哉 ・

初潮(はつしお)や鳴門(なると)の浪の飛脚船(ひきゃくぶね) ・

炭竈(すみがま)に手負の猪(しし)の倒れけり ・

 その時間的経過、「藻の花」の流(ながれ)にあらずして専(もっぱ)ら「渡り懸(かけ)」たるの描写にあり。さしたる急ぎもなく橋渡る人の、欄干に寄り掛りて流れを覗き込むさま、また歩み去るさままでも浮かぶが如し。「呼びかえす」の語、先に見た鮒売りの姿、僅かの用間に消え去りたる処、彷彿とするが如し。あるいは飛脚船の、急ぎの姿を翻弄するとて、初潮の鳴門のうねりに身を委ねつつある。航海の無事を祈るが如し。炭竈に倒れたる猪の、射られ逃れて力尽きたるさま、首打ち落とされしさま、呻きのうちに見出せり。また

はなちるや伽藍の枢(くるる)おとし行(ゆく) ・

[枢(くるる)とは、扉の端に上下に突き出た棒を支柱として、扉を開閉するの枢戸(くるるど)のことではなく、敷居に差し入れて戸を閉ざすための一種の鍵のようなものをさす]

 花びらはらりと舞しきる夕べ、寺院の伽藍を閉ざすとて、袈裟坊主の枢(くるる)を落としたる。閉ざされし扉の響き、木槌打つ鈍き音、立ち去る僧の下駄のカラカラと花の余韻を残したる。さながら静寂の絵図のうちに物語を込めたるが如し。また枢の句の外にも、仏寺禅寺に寄り添て深くものしたるものあり。

禅寺の松の落葉や神無月(かんなづき) ・

古寺の簀子(すのこ)も青し冬がまへ ・

門前(もんぜん)の小家もあそぶ冬至哉 ・

 また大なる山水画の構図を景観に画き、温雅静閑のうちにものしたるは

下京(しもぎょう)や雪つむ上の夜の雨 ・

なが/\と川一筋や雪の原 ・

海山に五月雨(さみだれ)そふや一(ひと)くらみ ・

市中(いちなか)は物のにほひや夏の月 ・

肌さむし竹切(たけきる)山のうす紅葉(もみじ) ・

三葉(みは)ちりて跡はかれ木や桐(きり)の苗 ・

[この句は小なる構図なり]

などあり。凡兆、外にも鳥を題として壮大にものしたるもの多し。

ほとゝぎす何もなき野ゝ門ン構(がまえ) ・

百舌鳥(もず)なくや入日さし込(こむ)女松原(めまつばら) ・

蔵(くら)並ぶ裏は燕(つばめ)のかよひ道 ・

越(えつ)より飛騨へ行とて、籠(かご)のわたりのあやふきところどころ、道もなき山路にさまよひて

鷲(わし)の巣の樟(くす)の枯枝に日は入(いり)ぬ ・

鶏(にわとり)の声もきこゆるやま桜 ・

などは動物を頼りとして遠景を導く技巧を宿したる。凡兆、この逆もあり。鳥や昆虫を見立てて細事を導きたるものには

世の中は鶺鴒(せきれい)の尾のひまもなし ・

五月雨(さみだれ)に家ふり捨てなめくじり ・

[これはかたつむりが家を捨ててナメクジになったという意味で、当時はそう信じられていたらしい]

蜻蛉(とんぼう)の藻に日をくらす流(ながれ)かな ・

灰汁桶(あくおけ)の雫(しずく)やみけりきり/”\す ・

 凡兆に心象温雅にして優柔の句あり。子供を詠ずるものに多し。

竹の子の力を誰にたとふべき ・

稲かつぐ母に出迎(でむか)ふうなゐ哉 ・

[「うなゐ」とは「髫髪(うないがみ)」のことで、子供の髪型なり]

野馬(かげろう)に子共(こども)あそばす狐哉 ・

など吟じたる。不可解なるは凡兆、芭蕉と袂を分かちて後は、

こりもせで今年も萌(もゆ)る芭蕉哉 ・

など師匠を批判したるは新傾向を打ち出だすためかと思えば、

  千日寺(せんにちでら)[=法善寺(ほうぜんじ)]にまうでゝ
念仏(ねぶつ)より欠(あくび)たふとき霜夜かな ・

山吹の莟(つぼみ)も青し吉野川 ・

捨舟(すてふね)のうちそとこほる入江(いりえ)かな ・

など、拙(つたな)きさまを精一杯の作品となすは、ほとんど別人の感あり。その詳細を知らず。凡兆、あるいは芭蕉の臨終の頃か投獄され、後に京を追われて江戸に移(うつっ)て零落す。その仔細はつまびらかならずなり。

 また妻の「とめ」も俳句をものせり。1691年に剃髪してのち「羽紅(うこう)」と号す。合わせて紹介す。

縫物(ぬいもの)や着もせでよごす五月雨(さつきあめ) ・

桃柳(ももやなぎ)くばりありくやをんなの子 ・

杉山杉風(すぎやまさんぷう)[書生記す]

 杉山杉風(すぎやまさんぷう)(1647-1732)は江戸幕府御用の魚屋の長男なり。深川に芭蕉庵を提供し、師の信頼厚き弟子にて、同時に援助者の筆頭なるべし。その作句、直叙常述を極めたるもの、十中八九これなり。言葉の技巧を弄せぬは即興的詩情に勝ること在(あり)とは言へども、安易に陥るの弊害ありや。

月の頃は寐(ね)に行(ゆく)夏の川辺哉 ・

待(まつ)花に小さむい雨のあした哉 ・

梅咲(さい)て庇柱(ひさしばしら)やもたれ物 ・

五月雨(さみだれ)やながう預(あずか)る紙づゝみ ・

振(ふり)あぐる鍬(くわ)のひかりや春の野ら ・

あかつきの鐘(かね)をさそひし郭公(ほととぎす) ・

影むらさき霜を染なす旭(あさひ)かな ・

つめたさの身にさし通す冬の月 ・

 これらは即叙的真率あるべし。ここに至らず陳腐を極めたるものまた多し。

馬の頬(つら)押(おし)のけつむや菫(すみれ)草 ・

霰(あられ)にも怪我(けが)せぬ雀かしこさよ ・

川ぞひの畠をありく月見哉 ・

碁(ご)にまけてつれなく見ゆる時雨哉 ・

中でも理屈と奇抜を兼ね揃えたる混迷の句は

挑灯(ちょうちん)の空に詮(せん)なしほとゝぎす ・

[ほととぎすが鳴いたので提灯を掲げてみても、夜空には詮無きことであるよ]

菊畑おくある霧のくもり哉 ・

句意惨澹たる有様なり。されどこれ杉風の骨髄にはあらず。中に人事を詠じたるものは、多少の婉曲巧緻(こうち)を備えたるものあり。

仕着(しき)せもの皆着揃(きそろ)ふて春の宿 ・

奉公人に支給されたる正月用の着物も着揃うて、春の宿の目出度さもまた、主人を祝賀したるが如し。また

年のくれ破れ袴(ばかま)の幾くだり ・

破れ袴の幾本かに己の境涯を委ね、僅かの余韻を残せり。しかし深いものには非ず。また天然に寄りて若干複雑にものしたるは、

わかな野や鶴付初(つけそめ)し足の跡 ・

天の川色絵(いろえ)の扇(おうぎ)ながさまし ・

菊刈(かる)や冬たく薪(まき)の置所(おきどころ) ・

子や待(また)ん余(あま)り雲雀(ひばり)の高あがり ・

中に尤(もっと)も複雑にものしたるは

手を懸(かけ)てをらで過行(すぎゆく)木槿(むくげ)哉 ・

其影(そのかげ)の木葉(このは)に薄し三日(みか)の月 ・

これらは秀句なり。

森川許六(もりかわきょりく)[書生記す]

 森川許六(もりかわきょりく)(1656-1715)は近江(おうみ)の彦根藩藩士なり。書画、俳諧、漢詩を嗜み、江戸に出て蕉門の一員と成りたるも、画にあっては芭蕉の師匠なり。蕉翁死後、翁継承権を主張し門弟と争い、いわゆる「かるみ」を解したるが如き態度も、所詮(しょせん)は誤謬なれども、なほ師への敬意を失わず。されど又その句、安直にして構成と修辞の至らざるもの極めて多し。そのうち天然を中心にものして、即興的詩興に溢れたるものを挙ぐれば

明方や城をとりまく鴨(かも)の声 ・

春雨やはなれ/”\の金屏風 ・

蝋[火+虫](ろうそく)にしづまりかへるぼたんかな ・

涼風(すずかぜ)や青田のうへの雲の影 ・

挑灯に踏上(けあ)ゲの泥や駒迎(こまむかえ) ・

四条から五条の橋やおぼろ月 ・

高島や鷺(さぎ)消てゆく雪のくれ ・

一方に人事を含むものは、時に暴露の過ぐる場合あり。

豆腐やもむかしの顔や檐(のき)の梅 ・

  宇津の山を過(すぐ)
十団子(とおだご)も小粒になりぬ秋の風 ・

[「十団子」は宇津谷峠にある麓の茶屋の名物]

一竿(ひとさお)は死装束(しにしょうぞく)や土用ぼし ・

世中(よのなか)に老(おい)の来る日や初しぐれ ・

これらは比較的佳句を撰びたるものにて、着想のままにものして俗陋浅薄に陥りしもの遙かに多し。そのうち最俗なものは

鶯の鳴(なき)破つたる紙子(かみこ)かな ・

大髭(おおひげ)に剃刀(かみそり)の飛ぶさむさかな ・

かくまで落ちざるも、安直にものして駄吟を貪(むさぼる)るものあり

聖霊(しょうりょう)とならで越けり大井川 ・

酢味噌(すみそ)あらば春の野守(のもり)となり果ん ・

清水の上から出たり春の月 ・

など枚挙にいとまあらず。中に尤(もっと)も惨澹たるものは

春過ぎて夏来にけらし白牡丹 ・

もとより、百人一首を切断に盗用せし事、高等小学生徒にも劣るべく、取り所なき駄句なり。されど同じ趣向にものして、遙かに勝りたるもあり。

きり/”\すなくや夜寒の芋俵(いもだわら) ・

同じく百人一首の
「きり/”\す鳴くや霜夜のさ筵(むしろ)に
衣片敷(ころもかたし)きひとりかも寝む」
より脱胎したるも、暴露の感なく静閑温雅に委ねたり。

 もとより許六にも、多少の複雑さを備え、奇警陳腐の感無きのみならず、ある種の雅味を有したる作品あり。これらは蕉門の神髄なり。

道ばたに蚕(まゆ)ほす薫(かざ)のあつさ哉 ・

[出来上がった「繭」ではなく、まだ蚕の生きている状態のものを、なかの蛹(さなぎ)のみ殺すために日干しにするもの。「薫(かざ)」は漢字の如く「におい、かおり」の意味]

新藁(しんわら)の屋ねの雫や初しぐれ ・

けふ限(ぎり)の春の行衛(ゆくえ)や帆かけ船 ・

かげろふのたつや手まりの土ぼこり ・

灯明(とうみょう)の燈(ひ)をかき立(たて)てきぬた哉 ・

その他の蕉門[書生記す]

[朗読7]
 河合曾良(かわいそら)(1649-1710)は、芭蕉『鹿島紀行』『おくのほそ道』の旅行に随行せし者にして、致仕(ちし)[士官を辞める事]して伊勢長島藩の松平家を去りて江戸に来たる人なり。その句、陳腐ならず。俗ならず。時々師の霊感の憑依したるが如きの感あれども、往々にして着想のまま放擲(ほうてき)したるが如し。

浦風(うらかぜ)や巴(ともえ)をくづすむら鵆(ちどり) ・

破垣(やれがき)やわざと鹿子(かのこ)のかよひ道 ・

いづくにかたふれ臥(ふす)とも萩の原 ・

むつかしき拍子(ひょうし)も見えず里神楽(さとかぐら) ・

春の夜はたれか初瀬(はっせ)の堂籠(どうごもり) ・

波こさぬちぎりありてや鶚(みさご)の巣 ・

空はまだ只(ただ)の曇りやはつ桜 ・

 天野桃隣(あまのとうりん)(1649-1719)は、伊賀を出て蕉門を叩きし人にて、芭蕉の従弟とも甥とも囁(ささや)かれし者なり。芭蕉と緊密な関係を保ちしが、没後『おくのほそ道』を辿りて『陸奥鵆(むつちどり)』を刊行したる。その句、月並の範疇を出でぬもの多し。

市中(いちなか)や木(こ)の葉も落ずふじ颪(おろし) ・

木枯(こがらし)の根にすがり付(つく)檜皮(ひわだ)かな ・

取あげてそつと戻すや鶉(うずら)の巣 ・

三日月やはや手にさはる草の露 ・

 服部土芳(はっとりどほう)(1657-1730)は芭蕉の故郷伊賀の藤堂藩士なれども、幼き頃翁(おきな)の手ほどきを受け、芭蕉に心酔し職を辞して伊賀蕉門の重鎮とはなれり。その句拙きもの多けれど、師の俳論をまとめし『三冊子(さんぞうし)』ことに知られたり。

うか/\と芦(あし)のかれ穂(ほ)の舟心(ふなごころ) ・

もの売の声のはづみやはつあられ ・

 山本荷兮(やまもとかけい)(1648-1716)は名古屋の蕉門にて、尾張藩士を致仕(ちし)[官職を退く、辞める事]し医業に転じたる。七部集中『冬の日』『春の日』『曠野(あらの)』を編するも、自句やや月並を抜けず。終(つい)に芭蕉を離れ連歌に移れり。

見しり逢ふ人のやどりや初しぐれ ・

[書生の改変有り。本当は「人のやどりの時雨哉」だが、これだと取らず]

草の葉や足のをれたるきり/”\す ・

蔦(つた)の葉は残らず風の動(そよぎ)哉 ・

 坪井杜国(つぼいとこく)(?-1690)は名古屋の豪商にて、米の空売にて名古屋を追われたる。三河の伊良古(いらご)に隠棲し俳諧をものするも、芭蕉を待たずして三十余歳にて没せり。その句、時に詩情真率にて修辞の霊感あり。

つゝみかねて月とり落す霽(しぐれ)かな ・

[「霽」は「晴れ」の事で「はれ」と読むものを、つかの間の時雨なので当て字で読ませたもの]

うれしさは葉がくれ梅の一つ哉 ・

霜の朝せんだんの実のこぼれけり ・

こがらしの落葉にやぶる小ゆび哉 ・

足駄(あしだ)はく僧も見えたり花の雨 ・

似合しきけしの一重や須广(すま)の里 ・

行秋も伊良古(いらご)をさらぬ鴎(かもめ)哉 ・

春ながら名古屋にも似ぬ空の色 ・

 越智越人(おちえつじん)(1656-?)は北越の生まれにて、名古屋に出でて紺屋(こんや)[染もの屋]を営みし傍ら、蕉門に入りたり。芭蕉に随行し『更科紀行』の旅を行いしも、後に師の元を立ち去りたる。やや理屈に傾きて、杜国ほどの詩興に至らざる。然(しか)れども単簡にものして口調の定まりたるものは、捨てがたきものありや。さりとて秀抜にはあらず。

花にうづもれて夢より先に死(しな)んかな ・

[書生改変。もとは「夢より直(すぐ)に」]

藤の花たゞうつぶいて別(わかれ)哉 ・

玉まつり柱にむかふ夕(ゆうべ)かな ・

さらしなや三よさの月見雲もなし ・

[「三よさ」は「三夜」のことで、十五、十六、十七夜の合わせて三夜]

雨の月どこともなしの薄あかり ・

むめの花もの気にいらぬけしき哉 ・

行年や親にしらがをかくしけり ・

君が代や筑摩祭(ちくままつり)も鍋一つ ・

 沢露川 (さわろせん)(1661-1743)は、伊賀を出でて名古屋に数珠を商ふ者にて、折良く芭蕉と邂逅(かいこう)せり。却(かえっ)て師の没後、支考と対立せし頃に活動を逞(たくま)しふしたり。されど発句、理屈・屁理屈に傾くの嫌いあり。

三日月の眉ほそめたり峯(みね)の雪 ・

柿包む日和(ひより)もなしやむら時雨 ・

正月をあらひ流して茶漬かな ・

よごれ目のつかでよしとや黒牡丹 ・

 広瀬惟然(ひろせいぜん)(?-1711)は美濃の人にて、酒造の財を失いて薙髪(ちはつ)[髪を切ること]せし後、芭蕉の門弟とは成れり。その句優柔温雅にして、語調に僅かの雅致を含み、意匠定まらぬ際にも厭倦(えんけん)を逃れしもの多し。後年、口語調無季語の句を試みたり。仮名と繰り返しの基調、一茶のそれに非ずして、二十世紀の山頭火[種田山頭火(たねださんとうか)(1882-1940)]の遙か先輩なり。

蜻蛉(とんぼう)や日は入(いり)ながら鳰の海 ・

張残(はりのこ)す窓に鳴入るいとゞ哉 ・

[「いとど」はカマドウマのことで鳴かないが、当時は同じ時期にコオロギなどいろいろ鳴くので、鳴くと思われていたらしい]

田の肥(こえ)に藻や刈寄(かりよす)る磯の秋 ・

竹の葉やひらつく冬の夕日影 ・

鵜(う)の糞(くそ)の白き梢(こずえ)や冬の山 ・

[この句、漢字と平仮名の交代のパターンで「~の~」型を三つ並べた形式を持ち、一見月並調と「糞」を持ち出したところに興ざめを覚えるが、それはうわべのことであり、ここではフォームが生きており、糞の枯れ枝にこびりついて白きところばかりがただ冬の山の情景であるという焦点の定め方は、あながちに月並ならず]

蝋燭(ろうそく)のうすき匂ひや窓の雪 ・

かるの子や首指出(さしだ)して蛭藻草(ひるもぐさ) ・

[「蛭藻草」は夏に池などにのさばっている水草のヒルムシロのことで、「かるの子」は軽鴨の子のこと]

馬の尾に陽炎(かげろう)ちるや昼はたご ・

[「旅籠」は宿屋だが、昼なので昼食所である。陽炎は大地より昇る蒸気めいたゆらめきの見えるもので春の季語になっている]

誰かしる今朝(けさ)雑炊の蕪(かぶ)の味 ・

更行(ふけゆく)や水田の上のあまの河 ・

木枯や刈田(かりた)の畦の鉄気水(かなけみず) ・

我(わが)寺の藜(あかざ)は杖になりにけり ・

依然に、言葉のリズム遊びの句多し

きり/"\すさあとらまへたはあとんだ ・

水さつと鳥よふは/\ふうはふは ・

のらくらとたゞのらくらとやれよ春 ・

梅の花赤いは/\あかひわさ ・

時雨/\又一しぐれ暁(あけ)の月 ・

 八十村路通(やそむらろつう)(1649-1738)は神職を逃れ乞食(こつじき)に身を窶(やつ)したる人にて、放浪先の松本にて芭蕉に入門せり。門弟に憎まれて勘当(かんどう)に近き処を、芭蕉も案じつつ亡くなりたりとかや。瑣事(さじ)些細(ささい)なる日常をこだわらずに吟じたるもの多し。但(ただ)し玄人らしからぬ作句なり。

  伊勢の園女(そのめ)にあふて
雲の嶺(みね)心のたけをくづしけり ・

彼岸まへさむさも一夜二夜哉 ・

芦(あし)の穂やまねく哀れよりちるあはれ ・

 中村史邦(なかむらふみくに)(生没年未詳)は尾張の医師にて、京へ出て芭蕉と交れり。師の没後は『芭蕉庵小文庫』を編纂するも、自句、口調整(とな)ひて霊感至らずの者あり。

狼(おおかみ)のあと蹈消(ふみけ)すや浜千鳥 ・

蜀魂(ほととぎす)なくや木(こ)の間の角櫓(すみやぐら) ・

馬士(うまかた)の謂(いい)次第(しだい)なりさつき雨 ・

蕣(あさがお)や夜は明きりし空の色 ・

 河野李由(こうのりゆう)(1662-1705)は滋賀の遍照寺の住職にて、許六と共に彦根蕉門の中心なり。されど詩興至らずして作句の弊あり。

鱈舟(たらぶね)や比良(ひら)より北は雪げしき ・

 江左尚白(こうさしょうはく)(1650-1722)は医師にて、千那(せんな)と共に近江蕉門の中心なり。後に確執ありて、千那と共に蕉門を去りしかど、新風打ち立てる能わず。作句やや月並の傾向無きにしもあらず。但(ただ)し『猿蓑』選句は質高きもの多し。

春の日の念仏ゆるき野寺哉 ・

引くほどに江の底しれぬ蓴(ぬなわ)哉 ・

夕がほの屋ねに桶(おけ)ほす雫(すずく)かな ・

たくましく八手(やつで)は花になりにけり ・

こがらしや里の子覗(のぞ)く御輿(みこし)部屋 ・

舟人(ふなびと)にぬかれて乗(のり)し時雨かな ・

[空ゆきも、舟で行くのも怪しいかと逡巡した所、心配ないと舟人に言われて、あざむかれるように乗った舟に、やはり時雨が降ってきたという意味]

ふりかねてこよひになりぬ月の雨 ・

[降りそうで降らなかった曇り続きもこの時期には珍しいものを、とうとう仲秋の名月も見えず雨の降り出したことよ。という意味]

帰華(かえりばな)うき世に虻はなかりけり ・

 三上千那(みかみせんな)(1651-1723)は滋賀大津の本福寺(ほんぷくじ)の住職にて、『猿蓑』内に活躍するも、尚白と共に蕉門を去りし人なり。意匠語調の共にそぐはずやや散漫なるもの多し。

時雨(しぐれ)きや並びかねたる[魚少](いさざ)舟 ・

[[魚少]は漢字一つで、琵琶湖に住む淡水魚で、これを冬に捕る姿が名物だった]

沖塩(おきじお)や月に眼(まなこ)を残す鯛(たい) ・

[変な句なり。沖の潮の潮流にはつぶらなまなこを浮かび上がらせ名月を眺めたる鯛のすがたのあるなり]

 水田正秀(みずたまさひで)(1657-1723)は、近江膳所(おうみぜぜ)(滋賀県大津市)の人なり。『ひさご』『猿蓑』に名を連ね、義仲寺境内(けいだい)に無名庵を建立(1691年)し芭蕉を招きたる。よき援助者ともなれり。その作句、霊妙緻密なる意匠に乏しきも、誠の情を述べんとする語調には、捨てがたきもの多し。

腹這(はらばい)に詠(なが)むる雪の朝日哉 ・

鑓持(やりもち)の猶(なお)振(ふり)たつるしぐれ哉 ・

渋糟(しぶかす)やからすも喰はず荒畠 ・

[「渋糟」は渋柿の渋を絞った残りかすで、秋の季題]

白雨(ゆうだち)に何追(おい)あぐる裸馬 ・

熨斗(のし)むくや磯菜涼しき島がまへ ・

[熨斗鮑(のしあわび)を剥いて干している漁村の光景が、磯辺に生える海藻(かいそう)の涼しげなる島がまえのなかにあるという意味]

なべ炭(ずみ)の燃(もゆ)る霜夜や生姜酒(しょうがざけ) ・

おもひ寄(よる)夜伽(よとぎ)もしたし冬ごもり ・

[「夜伽」とは夜通し警備する、夜通し付きそう(病人だと看護、死者だと通夜、異性同士だと時に添い寝の相手)、夜の話し相手をするなど、さまざまな意味を持つが、これは芭蕉が病床に臥している時のもの。しかしあながちそう読まない方が、味わいが生まれるかもしれない]

日当(ひあたり)にせゝくりなかすうづら哉 ・

[日の当たるところで、「せせくる」(つっつきいじる、もてあそぶ)ように鳴かしているカゴのうずらの意味で、鶉(うずら)は秋の季語]

あんどんをけしてひつ込(こむ)よ寒哉 ・

水鳥の大崩(おおくずれ)するあられかな ・

なぐりても萌(もえ)たつ世話や春の草 ・

春の日や茶の木の中の小室節(こむろぶし) ・

[「小室節」は馬子唄の一種]

飛入(とびいり)の客に手をうつ月見哉 ・

ねはん会にとるや越路(こしじ)の雪覆(ゆきおおい) ・

[「涅槃会(ねはんえ)」は陰暦二月十五日に行われた、釈迦入滅の日にちなむ仏教行事。越路は北陸地方のあたり]。

鹿熊のわれも仲間よ雪の道 ・

脇指(わきざし)も吾(われ)もさびけり冬籠 ・

鰤(ぶり)の尾を提(さげ)て立けり年の暮 ・

涼しさや風まつ船の帆ごしらへ ・

蔵焼(くらやけ)てさはるものなき月見哉 ・

とり散す遊び道具や龝(あき)の風 ・

[朗読8]
 菅沼曲翠(すがぬまきょくすい)(?-1717)は近江は膳所(ぜぜ)の藩士なり。門弟として師を慕ひしのみならず、幻住庵(げんじゅうあん)を提供し、パトロンとしての面目躍如たるや。後に不忠の同僚を成敗し切腹せし清廉潔白の士なれども、その句やや安直にものせしもの多し。

菜種(なたね)ほすむしろの端(はし)や夕涼み ・

冬の日をひそかにもれて枇杷(びわ)の花 ・

渺/\(びょうびょう)と尻をならぶる田植かな ・

 浜田/高宮酒堂(しゃどう)(?-1737)は近江(おうみ)膳所(ぜぜ)の人にて、珍碩(ちんせき)の俳号を持ちて、後に酒落堂(しゃらくどう)に替えし門弟なり。医業の傍ら俳諧にのめり込みて『ひさご』を編纂し、江戸に出て『深川(ふかがわ)集』を刊行し、芭蕉の提唱する「かるみ」を実践せり。大阪に移りて後、槐本之道(えのもとしどう)との確執ありて、芭蕉の病をおして大阪に宥(なだ)め来たる。終(つい)に臨終に立ち会えず。膳所に戻りて俳諧をものしたるも、凡句の範疇を抜けきれぬものやや多し。

鳩ふくや渋柿原(しぶがきはら)の蕎麦畠 ・

[「鳩吹」は手を合わせて鳩の鳴き真似をするもの。鳩だか鷹だかを捕るためともいう。これは迷句に近いも、子規の『俳人蕪村』内に出てくるので掲載しておいた]

秬(きび)の葉や檐(のき)にかげろふ玉祭 ・

苅(かり)かぶや水田の上の秋の雲 ・

菖(しょうぶ)かけて見ばや五月(さつき)の風の色 ・

いそがしき春を雀のかきばかま ・

[「柿袴」は柿色のはかまの意味で、下々の者の使用するもの]

秋空や日和(ひより)くるはす柿のいろ ・

 河合乙州(かわいおとくに)(1657-1720)は河合智月(ちげつ)の弟にて、養子上の息子なり。亡き智月の夫に替わりて、荷物問屋を継ぎたれば、その屋敷、大津(滋賀県大津市)蕉門の中心の一つなり。師の如き詩興霊感なきも、生真面目にものして語調温雅なる処に取り柄あり。拙きさえある種の雅味を残せり。

四方(よも)の秋食(めし)くふ跡の煙草(たばこ)哉 ・

[煙草は十六世紀に伝来し、十七世紀には広く知られるようになった。これはキセル煙草であり、ごく限られた富裕層のみがこれを教授することが出来た。紙巻タバコは明治時代に大衆化を促進したもの]

馬かりて竹田の里や行(ゆく)しぐれ ・

すゞ風や我より先に百合の花 ・

ばせを葉や打(うち)かへし行(ゆく)月の影 ・

寝ぐるしき窓の細目や闇の梅 ・

  木曾塚(きそづか)
其春の石ともならず木曾の馬 ・

蛍飛(とぶ)畳の上もこけの露 ・

小仏(こぼとけ)をあつめて涼し浮御堂(うきみどう) ・

[浮御堂とは満月寺のことで、琵琶湖に浮かぶようなかたちで建てられている]

  他郷に暮す身のたま/\家に帰り
客人(きゃくじん)の心になりて年忘れ ・

暁(あかつき)のめをさまさせよはすの花 ・

行秋を鼓弓(こきゅう)の糸の恨(うらみ)かな ・

 河合智月(かわいちげつ)(?-1718)は乙州(おとくに)の姉にて、養子上の母なり。大津にて荷問屋に嫁ぎたれば主(あるじ)亡くなりて、弟を養子に家業を継がせたり。蕉門にありて翁の生活を支援したれば、師より『幻住庵記(げんじゅうあんき)』を委ねられたる。作句、女性的感性を薄化粧にものしたるもの、多くその領域に留まれり。

名月に鴉(からす)は声をのまれけり ・

  孫を愛して
麦藁(むぎわら)の家してやらん雨蛙(あまがえる) ・

  老の寐覚(ねざめ)のかぎりなきに
雪やけや夜毎(よごと)に孫が手をふかせ ・

[「雪やけ」は霜焼け(しもやけ)と同種の意味で、手足などの皮膚が凍傷状態になって皹(あかぎれ)などを起こすもの]

初雪の畳ざはりや棕櫚箒(しゅろぼうき) ・

[初雪を庭や入口に箒で払う感触を、畳ざわりと評したもの]

山桜ちるや小川の水車(みずぐるま) ・

ほの/”\と炭もにほふや春火燵(ごたつ) ・

孫どもに引起されて歳の暮 ・

鶯(うぐいす)に手もと休めむながしもと ・

年よればなほ物陰(ものかげ)や冬ざしき ・

 岩田涼菟(いわたりょうと)(1659-1717)は、伊勢神宮に仕えし神官にて、各務支考(かがみしこう)の朋友(ほうゆう)なり。所謂(いわゆる)伊勢派の代表なれども、月並的着想をものして詩興至らざるものままあり。

神鳴(かみなり)に茄子(なすび)もひとつこけにけり ・

夜の菊たれやら庭の声作リ(こわずくり) ・

おのが葉に片尻(かたしり)かけて瓢(ふくべ)かな ・

 斯波園女(しばそのめ/そのじょ)(1664-1726)は伊勢の神官の娘にて、その夫、斯波渭川(しばいせん)と共に大阪の蕉門なり。芭蕉の死因、斯波亭のキノコ中毒との憶測あれどもこれを知らず。夫亡くなりて後は江戸に出でて、眼科医と俳諧師を両立せし、自立心希なる女性なり。その句、女性的主観のみに非ずして、ある種の客観を叙するもの、得難きほどの才媛(さいえん)なり。

春の野に心ある人の素皃(すがお)哉 ・

ゆづり葉の茎も紅粉(べに)さす旦(あした)哉 ・

[譲葉(ゆずりは)は古い葉の上に新しい葉の生えるような様子が、新しい年を迎える縁起物として新年の季語ともなっているが、その葉もとの伸びた部分(ここに言う茎)は赤みを帯びているのを、明日の元旦には譲葉の茎も紅をさして、正月らしく飾り立てられていることだろうと詠んだもの。ここまでデリケートな正月の褒め句はあまり例がないかもしれない]

氷消て風におくれそ水車 ・

手を延(のべ)て折行(おりゆく)春の草木哉 ・

手(た)ぐり船風は柳にふかせたり ・

駒どりの声ころびけり岩の上 ・

衣更(ころもがえ)みづから織(お)らぬつみふかし ・

二王(におう)にもよりそふ蔦(つた)のしげり哉 ・

衣更(ころもがえ)わざと隣の子をだきに ・

おうた子に髪なぶらるゝ暑サ哉 ・

梨子(なし)の葉に鼠の渡るそよぎ哉 ・

蜑(あま)の子の肌なつかしやあしの花 ・

明月や琴柱(ことじ)にさはる栗の皮 ・

 立花北枝(たちばなほくし)(?-1718)は加賀より金沢に移りし人にて、兄の牧童(ぼくどう)と共に、研刀師(とぎし)の傍(かたわら)ら蕉門を叩きたる。北陸蕉門の要(かなめ)なり。その句、実景の詩情を咀嚼(そしゃく)したるものには佳句あれども、理知を弄(もてあそ)びたるものには悪句多し。

  翁に越路(こしじ)の蓑を送りて
白露も未(まだ)あら蓑の行衛(ゆくえ)かな ・

[白露も「未(まだ)」の時分に、「未(まだ)荒(あ)らみ」のない「新蓑(あらみの」を芭蕉に送ったものの、翁(おきな)は旅人であるし、時雨(しぐれ)も冷たかろうし、蓑も翁もどのようなゆくえをこれから歩んでいくのやら。というような意味]

橋桁(はしげた)や日はさしながら夕霞(ゆうがすみ) ・

牡丹散りて心もおかずわかれけり ・

はきながら屐(ぞうり)を洗ふ清水かな ・

高燈籠(たかどうろ)しばらくあつて嶺(みね)の月 ・

くる秋は風ばかりでもなかりけり ・

雁の行(つら)くづれかゝるや勢田(せた)の橋 ・

ゆく秋や酒あたゝめしかんな屑(くず) ・

野社(のやしろ)に太鼓うつなり雲の峰(みね) ・

   浪化(ろうか)(1672-1703)は浄土真宗の僧にて、東本願寺の法主(ほうしゅ)たる琢如(たくにょ)の子なり。即ち十六代法主たる一如(いちにょ)の弟にして、富山の瑞泉寺(ずいせんじ)の住職とはなれり。季吟、去来に学びし後、晩年の芭蕉に会いて感化を被(こうむ)りたりとかや。その句、俗陋浅薄ならざるも、真面目に叙して取り所なき者やや多し。

青鷺(あおさぎ)の番(つがい)わたるやけふの月 ・

雪雲の引(ひき)のき際(ぎわ)をあられかな ・

2011/4/14-6/15

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