正岡子規『短歌』の朗読

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正岡子規の短歌

 獺祭書屋書生、岩波文庫「子規歌集」より取りたる物なれば、秀歌選にはあらざるべし。閲(けみ)し改むる志無きにしもあらざりけれど、今はご容赦下されたく候。

明治二十年

[朗読1]

  道後公園
見渡せばはるかの沖のもろ舟の
  帆にふく風ぞ涼しかりける

明治二十一年

夕ぐれにいほりを立ち出でて見れば、
川のけしきいとをかしかりければ

家ごとにふすぶる蚊遣(かやり)なびきあひ
  墨田の川に夕けぶりたつ

明治二十五年

根岸にすむ頃、
家とうじに五月雨の題をせまられて

隣にも豆腐の煮ゆる音すなり
  根岸の里の五月雨(さみだれ)の頃

明治二十六年

  最上川を舟して下る時
草枕(くさまくら)旅路かさねてもがみ河
  行くへもしらず秋立ちにけり

明治二十八年

  金州城にて
から山の風すさぶなり
  故(ふる)さとの隅田の桜
    今か散るらん

明治三十年

愚庵和尚より
その庭になりたる柿なりとて
十五ばかりおくられけるに

御仏にそなへし柿ののこれるを
  われにぞたびし十(とお)まりいつつ

明治三十一年

もののふの屍(かばね)をさむる人もなし
  菫花さく春の山陰(やまかげ)

靄(もや)深くこめたる庭に下り立ちて
  朝の手すさびに杜若(かきつばた)剪(き)る

赤き牡丹白き牡丹を手折(たお)りけり
  赤きを君にいで贈らばや

[良き作品として掲載するにはあらず。上の句、
赤き牡丹白き牡丹を手折りけり
を句として眺めるとき、弟子の碧梧桐の
赤い椿白い椿と落ちにけり
のパロディの様相を呈する故なり]

車過ぎて伽羅(きゃら)の匂ぞ残りける
  都大路の春の夜の月

古庭に萩も芒(すすき)も芽をふきぬ
  病癒ゆべき時は来にけり

冴(さ)え返る舟の篝火小夜(さよ)更けて
  大川尻(おおかわじり)に白魚(しらお)取るらん

梅咲きぬ鮎(あゆ)も上(のぼ)りぬ早く来(こ)と
  文書きておこす多摩(たま)の里人

飼ひおきし籠の雀を放ちやれば
  連翹(れんぎょう)散りて日落ちんとす

月更くる忍(しのぶ)が岡に犬吠えて
  桜の影を踏む人もなし

ゐのししはつひにかくれし
  すそ山の尾花が上に
 野分荒れに荒る

中垣の境の桃は散りにけり
  隣の娘きのふとつぎぬ

商人(あきびと)の往きかふ市の朝嵐
  鷹(たか)手に据(す)ゑて過ぐるもののふ

紫のゆるしの総(ふさ)をほだしにて
  老い行く鷹の羽ばたきもせず

[「ほだし」は馬などを繋ぐ縄、足かせ/自由を束縛するもの、といった意味。紫色をした「結立(ゆいたて)の総」を足かせに飼い慣らされた鷹の老いたるが羽ばたきもせず繋がれておるという意味]

豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国と天(あま)つ神が
  のりたまひたる国は此の国

峯(みね)こえて樛(つが)多きがけの峙道(そわみち)に
  山別れする鷹を見るかな

[「樛(つが)」は今日「栂」と記し「つが」あるいは「とが」と読む。マツ科の常緑高木。「峙道」はけわしい山道をあらわす]

一村(ひとむら)の爺婆(じじばば)こぞる盆踊
  影もまばらに月更けにけり

聖霊(しょうりょう)の帰り路送る送り火の
  もえたちかぬる月あかりかな

亡き親の来るとばかりを
  庭の石にひとりひざまづき
 麻(あさ)の殻(から)を焚く

子を思ふ峯のましらの鳴く声に
  旅行く人の袖ぞぬれける

[「ましら」は猿の異称]

  病中
菅(すが)の根の長き春日を
  端居(はしい)して花無き庭を
 ながめくらしつ

[「菅(すが)」は「すげ」の古称。菅は蓑や菅笠などを作るものが古来詠まれていた「菅」であり、「カサスゲ」「カンスゲ」などがこれにあたる]

時鳥(ほととぎす)
 鳴きて谷中(やなか)や過ぎぬらし
  根岸の里にむら雨(さめ)ぞふる

十ばかり
 椿の花をつらぬきし
  竹の小枝をもちて遊びつ

鶏(にわとり)のつつく日向(ひなた)の垣根より
  うら若草は萌えそめにけん

丁とうてば丁とうつ槌(つち)
 音冴えて
  鍛冶屋の梅の真白(まっしろ)に散る

雨乾く
  薄紅梅の夕日影
 又(また)照り返すカナリヤの籠

市中に小料理店の庭狭(せま)み
  柳おしわけて紅梅の咲く

世を守る砦の篝(かがり)影冴えて
 荒野(あらの)の月に
  胡人(こじん)胡笳(こか)を吹く

[「胡人」とは中国に於ける北方異民族の名称で、そこから外国人、異邦人の意味を指す。「胡笳(こか)」は「胡人」の吹いたという葦笛(あしぶえ)のこと]

  金州
官人(かんにん)の
  驢馬(ろば)に鞭(むち)うつ影もなし
    金州城外柳青々(せいせい)

普陀落(ふだらく)や岸うつ波と
  うたひつつ柄杓(ひしゃく)手にして
 行くは誰(た)が子ぞ

[「普陀落」とは観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)が住むとされた南海の果てにある山のこと。補陀落渡海といって、ひとりで舟を繰り出すことも行われた]

稲妻のひらめく背戸の杉の木に
  鳴神(なるかみ)落ちて雨晴れにけり

榛(はん)の木に
  烏芽を噛(か)む頃なれや
 雲山を出でて人畑をうつ

大仏も鐘楼(しゅろう)も花にうづもれて
  人声こもる山の白雲

はらはらともろこし黍(きび)を剥(む)く音に
  しばしばさむる山里の夢

狼(おおかみ)の来るといふ夜を鎖(とざ)したる
  山本村は旅籠屋(はたごや)もなし

武蔵野に春風吹けば
 荒川の戸田(とだ)の渡(わたし)に
  人ぞ群れける

木曾山の山の峡(かい)より我行けば
  笠の端(は)わたる五月雨(さみだれ)の雲

蒲殿(かばどの)がはてにしあとを弔(とむら)へば
  秋風強し修善寺(しゅぜんじ)の村

[「蒲殿」は源義朝の六男である源範頼(みなもとののりより)(c1150~c1153-1193?)源頼朝の異母弟、源義経の異母兄で、墓所が修禅寺にある(ウィキペディアより)]

夕されば狼吠ゆる深山路(みやまじ)に
  手のひら程の楓(かえで)散るなり

菜の花に日は傾きて
  夕雲雀(ゆうひばり)しきりに落つる
 市川の里

笛の音(ね)の
  そことも知らず須磨の浦
    夢路に似たる春の夜の月

七年(ななとせ)の
  旅より帰る我が宿に
 妹(いも)が声して
  砧(きぬた)打つなり

寐静まる里のともし火皆消えて
  天の川白し竹藪の上に

夕されば
  波うちこゆる荒磯の
 蘆(あし)のふし葉(は)に秋風ぞ吹く

野分せし
  野寺の芭蕉ばらばらに
 ばらばらに裂けて露もたまらず

うらうらと
 春日さしこむ鳥籠の
  二尺の空に雲雀鳴くなり

紅梅の花ぞめ産衣(うぶぎ)うち著(き)せて
  神田の神に千代をこそ祈れ

わが庭の垣根に生ふる薔薇の芽の
  莟(つぼみ)ふくれて夏は来にけり

  団扇(うちわ)
天竺(てんじく)の棕櫚(しゅろ)の葉団扇
  上海(しゃんはい)の絹の絵団扇
 さまざまの世や

蜑(あま)の子が
  鮹(たこ)干す秋となりにけり
    西風さわぐ須磨の浦浪

寒山(かんざん)も豊干(ぶかん)も虎も眠りけり
  四つの鼾(いびき)に松葉散る山

夏桑の畑(はた)に雪ふりわたらひの
  いすずの宮に火は飛びまよふ

一桶の水うちやめば
  ほろほろと露の玉散る
 秋草の花

朝な朝な一枝折りて
  此の頃は乏しく咲きぬ
 撫子(なでしこ)の花

世の人は四国猿ぞと笑ふなる
    四国の猿の小猿ぞわれは

ひぐらしの谷中の杜(もり)の下陰を
  涼みどころと茶屋立てにけり

旅にして岡辺(おかべ)の小道日は暮れぬ
  子を思ふ雉(きじ)の声も悲しく

夢さめて先づ開き見る新聞の
  予報に晴れとあるをよろこぶ

へな土のへなの鋳形(いがた)のへなへなに
  置物つくるその置物を

[これは名歌にあらず。へなへなの歌なり]

こいまろぶ病(やまい)の床のくるしみの
  その側(かたわら)に牡丹咲くなり

  夏月
夏の夜の
  月をすずしみひとり居る
 裸に露の置く思ひあり

汽車とまるところとなりて野の中に
  新しき家広告の札

婆(ばば)が茶屋はいたく荒れたり
 昔わが遊びに来ては柿くひしところ

武蔵野に秋風吹けば
  故郷の新居(にい)の郡(こおり)の
    芋をしぞ思ふ

旅にして仏つくりが花売に
  こひこがれしといふ物語

新しき庭の草木の冬ざれて
  水盤(すいばん)の水に埃(ほこり)うきけり

  小石川まで(秀真を訪ふ)
よき人を埋めし跡の墓の石に
  山茶花(さざんか)散りて掃く人もなし

家と家のあはひの坂を登り行けば
  広場を前に君の家あり

明治三十三年

[朗読2]

武蔵野のこがらししぬぎ旅行きし
  昔の笠を部屋に掛けたり

ましらふの鷹据ゑて立つもののふの
  笠に音してふる霰(あられ)かな

  麓左千夫など来りたるに
いたつきの病(やまい)の牀(とこ)をおとづれし
  年ほぎ人(びと)に酒しひにけり

テーブルの足高机(あしだかづくえ)うち囲み
  緑の蔭に茶をすする夏

秋の夜を書(ふみ)よみをれば
  離れ屋に茶をひく音の
 かすかに聞ゆ

閼伽(あか)の井の
  閼伽の水汲み朝な朝な
 庵(いお)の仏に茶をたてまつる

[「閼伽」は仏に供えるもの。特に水。またそれを容れる器]

谷中路(やなかじ)の森の下闇我行けば
  花堆(うずたか)きうま人の墓

常伏(とこぶし)に伏せる足なへわがために
  ガラス戸張りし人よさちあれ

ビードロの駕(かご)をつくりて
  雪つもる白銀(しろがね)の野を
 行かんとぞ思ふ……

[「……」はありません。書生の落書きです]

朝な夕な
  ガラス戸の外に紙鳶(たこ)見えて
    此の頃風の東吹くなり

いたつきの枕べ近く梅いけて
  畳にちりし花も掃(はら)はず

墨さびし墨絵の竹の茂り葉の
  垂葉(たりは)の下に梅いけにけり

  愚庵和尚のもとへ
歌をそしり人をののしる文(ふみ)を見(みれ)ば
  猶(なほ)ながらへて世にありと思へ

たらちねのうなゐ遊びの古雛(ふるひな)の
  紅(くれない)あせて人老いにけり

もののふが太刀(たち)沈めにし鎌倉の
  稲村が崎に鴎(かもめ)飛ぶなり

霜おほひの藁(わら)とりすつる芍薬(しゃくやく)の
   芽の紅(くれない)に春の雨ふる

  艶麗体といふ題にて
春の夜の衣桁(いこう)に掛けし錦襴(きんらん)の
  ぬひの孔雀(くじゃく)を照すともし火

もののけの栖(す)むといふなる古家の
   軒端の柳切り捨てにけり

土がたに自らつくる我が顔の
  すこしゆがみて猶おもしろし

岡の上に天凌(あめしの)ぎ立つ御仏の
  御肩(みかた)にかかる花の白雲

年の夜のいわしのかしらさすといふ
  たらの木(こ)の芽をゆでてくひけり

  庭前即景
山吹は南垣根に
  菜の花は東堺(ざかい)に
    咲き向ひけり

くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の
  針やはらかに春雨のふる

久方の曇り払ひて朝日子(あさひこ)の
   うららに照す山吹の花

古里の御寺見めぐる永き日の
  菜の花曇(ぐもり)雨となりけり

緑立つ小松が枝にふる雨の
  雫こぼれて下草に落つ

夜の床に寐ながら見ゆるガラス戸の
  外あきらかに月ふけわたる

飛ぶ鳥の先を争ふもののふの
  鎧の袖(そで)に波ほどばしる

よろづ代をいはひて折りし
  松が枝(え)に二房(ふたふさ)垂るる
 藤波の花

空はかる台(うてな)の上に登り立つ
  我をめぐりて星かがやけり

久方の星の光の清き夜に
  そことも知らず鷺(さぎ)鳴きわたる

我が心いぶせき時はさ庭べの
  黄菊白菊我をなぐさむ

[「いぶせし」は恋や待ち遠しさで気分が晴れない様子、また「きたない、むさくるしい」「不気味だ」などの意味もある]

  旋頭歌(せどうか)
霜枯の垣根に赤き木(こ)の実は何(な)ぞ
  雪ふらば雪の兎の眼(まなこ)にはめな

  碧梧桐へ
瓢亭(ひょうてい)と
  鼠骨(そこつ)と虚子(きょし)と君と我と
    鄙鮓(ひなずし)くわん
  十四日夕(ゆう)

をちこちに鯉のふきぬき吹きかへす
  五月五日は近づきにけり

御社(みやしろ)の
  藤の花房長き日を
    はりこづくりの亀が首ふる

草市の市の日向にしをれたる
  みそ萩(はぎ)の花買ふ人もなし

  左千夫へ
「昼寐の日面会の日と分ちけり」の
 紙吹き返す秋の初風

明治三十四年

  長塚節(ながつかたかし)へ
下総(しもうさ)の結城(ゆうき)の小田の田雀は
  友うしなひてさぶしらに啼く

瓶(かめ)にさす藤の花ぶさ一ふさは
  かさねし書(ふみ)の上に垂れたり

裏口の木戸のかたへの竹垣に
  たばねられたる山吹の花

小縄(こなわ)もて
  たばねあげられ諸枝(もろえだ)の
 垂れがてにする山吹の花

まをとめの猶(なお)わらはにて植ゑしより
  いく年(とせ)経たる山吹の花

ガラス戸のくもり拭(ぬぐ)へばあきらかに
   寐ながら見ゆる山吹の花

いちはつの花咲きいでて
  我が目には今年ばかりの
 春行かんとす

病む我を
 なぐさめがほに開きたる
  牡丹の花を
 見れば悲しも……

[「……」は書生の落書なり]

世の中は常なきものと
  我が愛(め)づる山吹の花
 散りにけるかも

 別れゆく
   春のかたみと藤波の
  花の長ふさ絵にかけるかも

薩摩下駄
 足にとりはき杖つきて
  萩の芽摘みし昔おもほゆ

世の中は悔いてかへらず
  たらちねのいのちの内に
 花も見るべく

ガラス戸におし照る月の清き夜は
  待たずしもあらず山ほととぎす

くれなゐの
 牡丹の花にほひたる
  やぶれ小傘(おがさ)に
 雨のしきふる

明治三十五年

つくし子はうま人なれや
  くれなゐに染めたる梅を
 絹傘(きぬがさ)にせる

京の人より香菫(においすみれ)の一束を贈り来(きたり)しけるを

玉づさの君の使は紫の
  菫の花を持ちて来(こ)しかも

玉透(たますき)の
 ガラスうつはの水清み
  香(にお)ひ菫の花よみがへる

つくづくし
 摘みて帰りぬ煮てや食はん
  ひしほと酢とに
 ひでてや食はん

  みづから病中の像をつくねて
わが心世にしのこらば
  あら金(がね)のこの土くれの
 ほとりにかあらん

  左千夫君松島よりの帰りに
小(こ)ふくろの
  中は我知る茶の碗(もい)と
    筆と硯と松しまの歌

    (おわり)

2011/7/1-7/6

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