[俳句、明治二十九年(1896年)から]
[俳句、明治三十年(1897年)から]
[俳句、明治三十二年(1899年)から]
[俳句、明治三十五年(1802年)から]
元朝(がんちょう)の上野静かに灯残れり
寐んとすれば鶏(とり)鳴いて年新(あらた)なり
われおさなくて郷里松山にある頃、友二三人づゝ両方に分れ橙(だいだい)を投げあひて、そを或る限の内にとゞめ得ざりし方を負けとする遊びあり。之を橙投げとぞいへる。正月の一つの遊びなりけるを、今はさることも絶えにけん。
正月や橙(だいだい)投げる屋敷町
赤飯(せきはん)の湯気あたゝかに野の小店
垂れこめて古人を思ふ春日哉
怪談に女まじりて春の宵
春の夜の妹(いも)が手枕(たまくら)更けにけり
朧夜や女盗まんはかりごと
行く春や女載せたるいくさ船
行く春やほう/\として蓬原(よもぎはら)
紙あます日記も春のなごり哉
三味線を掛けたる春の野茶屋哉
病中
この春を鏡見ることもなかりけり
牡丹餅の昼夜を分つ彼岸哉
大凧(おおだこ)に近よる鳶(とび)もなかりけり
春風にこぼれて赤し歯磨粉
欄間(らんま)には二十五菩薩(ぼさつ)春の風
上市(かみいち)は灯をともしけり夕霞
人に貸して我に傘なし春の雨
風呂の蓋(ふた)取るやほつ/\春の雨
内のチヨマが隣のタマを待つ夜かな
送別
燕(つばくろ)のうしろも向かぬ別れ哉
病中送人
縁端(えんばな)に見送る雁(かり)の名残哉
崖(がけ)急に梅こと/”\く斜(ななめ)なり
幽居を驚かされて
故人(こじん)来れり何もてなさん梅の宿
交番やこゝにも一人花の酔
病中
寐て聞けば上野は花のさわぎ哉
連翹(れんぎょう)に一閑張(いっかんばり)の机かな
短夜やわりなくなじむ小傾城(こけいせい)
三界無安猶如火宅
又けふも涼しき道へ誰(た)が柩(ひつぎ)
夏毎(ごと)に痩せ行く老(おい)の思ひかな
更衣(ころもがえ)此頃(このごろ)銭にうとき哉
ほろ/\と雨吹きこむや青簾(あおすだれ)
三尺の木陰に涼む主従かな
おこし絵に灯をともしけり夕涼
川風や団扇(うちわ)持て人遠ありきす
しひられてもの書きなぐる扇(おうぎ)哉
鮓店(すしみせ)にほの聞く人の行方(ゆくえ)かな
野の店や鮓に掛けたる赤木綿
夏嵐机上(きじょう)の白紙飛び尽す
洞穴(どうけつ)や涼風(すずかぜ)暗く水の音
五月雨(さみだれ)や戸をおろしたる野の小店
かち渡る人流れんとす五月雨
今日も亦(また)君返さじとさみだるゝ
夕立や並んでさわぐ馬の尻
戦死者を弔(とむら)ふ
匹夫(ひっぷ)にして神と祭られ雲の峰
戸の外に筵(むしろ)織るなり夏の月
夏川や吾(わ)れ君を負ふて渡るべし
夏川や鍋洗ふべき門構(もんがまえ)
夏川のあなたに友を訪ふ日哉
苔清水(こけしみず)馬の口籠(くつご)をはづしけり
庭の木にらんぷとゞいて夜の蝉
馬蠅(うまばえ)の吾(われ)にうつるや山の道
葉桜はつまらぬものよ隅田川
廃苑(はいえん)に蜘(くも)のゐ閉づる牡丹哉
病間あり
薔薇剪(き)つて手づから活けし書斎哉
藻(も)の花や水ゆるやかに手長蝦(てながえび)
夏草の上に砂利(じゃり)しく野道哉
夏葱(なつねぎ)に鶏(にわとり)割くや山の宿
夕暮やかならず麻の一嵐(ひとあらし)
やゝ寒みちりけ打たする温泉(いでゆ)哉
山門をぎいと鎖(とざ)すや秋の暮
長き夜や千年の後を考へる
物に倦(う)みて時計見る秋の長さ哉
秋晴れてものゝ煙の空に入る
秋晴れて敷浪雲(しきなみくも)の平なり
いのちありて今年の秋も涙かな
砂の如き雲流れ行く朝の秋
燈籠(とうろう)に灯ともさぬ家の端居(はしい)哉
案山子(かがし)にも劣りし人の行へかな
痩畑(やせばた)の鳴子(なるこ)引くこともなかりけり
説教に行かでやもめの砧(きぬた)かな
酒のあらたならんよりは蕎麦(そば)のあらたなれ
北国の庇(ひさし)は長し天の川
銀杏(ぎんなん)の青葉吹き散る野分(のわき)哉
心細く野分のつのる日暮かな
この野分さらにやむべくもなかりけり
野分の夜(よ)書(ふみ)読む心定まらず
草むらに落つる野分の鴉(からす)哉
名月や笛になるべき竹伐(き)らん
恋
月に来よと只(ただ)さりげなく書き送る
湖をとりまく秋の高嶺(たかね)哉
森漏れて神鎮(しず)まりぬ秋の山
翡翠(かわせみ)の来(きた)らずなりぬ秋の水
竹竿のさきに夕日の蜻蛉(とんぼ)かな
稲刈りてにぶくなりたる螽(いなご)かな
幕吹いて伶人(れいじん)見ゆる紅葉哉
仏へと梨十ばかりもらひけり
碧梧桐(へきごどう)深大寺(じんだいじ)の栗を携(たずさ)へ来る
いがながら栗くれる人の誠(まこと)哉
榎(え)の実散る此頃(このごろ)うとし隣の子
柿くふや道灌山(どうかんやま)の婆(ばば)が茶屋
目黒
芒(すすき)わけて甘藷(かんしょ)先生の墓を得たり
芋の子や籠(かご)の目あらみころげ落つ
三日月の頃より肥ゆる子芋哉
売り出しの旗や小春の広小路
閑居(かんきょ)
十二月上野の北は静かなり
冬ざれや狐もくはぬ小豆飯(あずきめし)
開花楼(ろう)に琵琶(びわ)を聴く
蝋燭(ろうそく)の泪(なみだ)を流す寒さ哉
平家を聴く
琵琶冴(さ)えて星落来(きた)る台(うてな)哉
冬籠(ふゆごもり)長生きせんと思ひけり
老僧の爪の長さよ冬籠
いもあらばいも焼かうもの古火桶
病中
詩腸(しちょう)枯れて病骨を護(ご)す蒲団(ふとん)哉
冷え尽す湯婆(たんぽ)に足をちゞめけり
目さむるや湯婆わづかに暖き
ある時は手もとへよせる湯婆哉
古庭や月に湯婆の湯をこぼす
芭蕉忌に芭蕉の像もなかりけり
仏壇に水仙活けし冬至哉
露石(ろせき)に贈るべき手紙のはしに
此頃は蕪(かぶら)引くらん天王寺
夕烏一羽おくれてしぐれけり
烏鳶(とび)をかへり見て曰(いわ)くしぐれんか
病中二句
しぐるゝや蒟蒻(こんにゃく)冷えて臍(へそ)の上
小夜時雨(さよしぐれ)上野を虚子の来つゝあらん
鴛鴦(おし)の羽に薄雪つもる静さよ
病中雪
いくたびも雪の深さを尋ねけり
棕櫚(しゅろ)の葉のばさり/\とみぞれけり
水鳥や菜屑(なくず)につれて二間(にけん)程
草庵
菜屑など散らかしておけば鷦鷯(みそさざい)
菊枯れて上野の山は静かなり
塗碗(ぬりわん)の家に久しき雑煮哉
銭湯に善き衣(きぬ)着たり松の内
大道(だいどう)の柳依〃(いい)として洛(らく)に入る
野道行けばげん/\の束(たば)のすてゝある
病間あり
足の立つ嬉しさに萩の芽を検(けみ)す
山吹(やまぶき)や小鮒(こぶな)入れたる桶(おけ)に散る
法帖(ほうじょう)の古きに臨(のぞ)む衣(ころも)がへ
病中
夏痩や牛乳に飽て粥(かゆ)薄し
送秋山真之米国行
君を送りて思ふことあり蚊帳(かや)に泣く
五斗米(ごとまい)の望もなくて古袷(ふるあわせ)
書を干すや昔なつかしの不審紙(ふしんがみ)
わが物も昔になりぬ土用干
日曜や浴衣(ゆかた)袖広く委蛇(いい)/\たり
夏野尽きて道山(みちやま)に入る人力車
巡査見えて裸子逃げる青田哉
浦屋先生の家に冷泉あり
庭清水藤原村の七番戸
病中即事
蠅打(はえうち)を持て居眠るみとりかな
病中
うつら/\蚊の声耳の根を去らず
清談(せいだん)
心清ししばらく蠅もよりつかず
一筋の夕日に蝉の飛んで行
人寐(い)ねて蛍飛ぶ也蚊帳(かや)の中
林檎(りんご)くふて又物写す夜半哉
所思
たれこめて薔薇(ばら)ちることも知らざりき
銀屏(ぎんびょう)に燃ゆるが如き牡丹(ぼたん)哉
吉原の太鼓聞ゆる夜寒(よさむ)哉
石ころで花いけ打や墓参(はかまいり)
複道(ふくどう)や銀河に近き灯(ひ)の通ひ
誰やらの後姿や廊(なか)の月
書に倦(う)むや蜩(ひぐらし)鳴て飯遅し
蜩や柩(ひつぎ)を埋(うず)む五六人
蜩や几(つくえ)を圧す椎(しい)の影
雨となりぬ雁声昨夜低かりし
[『雁声』の読み不明。「かりごえ」「がんせい」あるいは「かりがね」か?]
つりがねといふ柿をもらひて
つり鐘の蔕(へた)のところが渋かりき
稍(やや)渋き仏の柿をもらひけり
愚庵より柿をおくられて
御仏に供えあまりの柿十五
ある日夜にかけて俳句函の底を叩きて
三千の俳句を閲(けみ)し柿二つ
椎(しい)の実を拾ひに来るや隣の子
清女(せいじょ)[清少納言のこと]が簾(すだれ)かゝげたる、それは雲の上の御事(おんこと)。これは根岸の隅のあばらやに、親一人子二人の侘住居(わびずまい)。
いもうとが日覆(ひおおい)をまくる萩(はぎ)の月
我境涯は
萩咲て家賃五円の家に住む
送漱石
萩芒(はぎすすき)来年逢(あわ)んさりながら
前書あり
萩咲くや生きて今年の望足(のぞみた)る
碧梧桐(へきごどう)先(ま)づ到る
虚子(きょし)を待つ松蕈鮓(まつたけずし)や酒二合
米価騰貴(とうき)して人食に飽かず
一升(いっしょう)に五合まぜたる陸穂(おかぼ)哉
皇太后陛下御病気
この寒さ神だちも看(み)とり参らせよ
出家せんとして寺を思へば寒さ哉
冬ざれの厨(くりや)に赤き蕪(かぶら)かな
畑の木に鳥籠かけし小春哉
フランスの一輪ざしや冬の薔薇(ばら)
声涸れて力無き媼(おうな)の朝な/\に呼び来る納豆の辛き世こそ思ひやらるれ
豆腐屋の来ぬ日はあれど納豆売
静かさに雪積りけり三四尺
大雪になるや夜討(ようち)も遂(つい)に来ず
団栗(どんぐり)の共に掃かるゝ落葉哉
門番に餅を賜(たま)ふや三ケ日
めでたさも一茶(いっさ)位や雑煮餅
うたゝ寐に風引く春の夕(ゆうべ)哉
春古(ふ)りし三味線箱の題詩(だいし)哉
新聞雑吟
永き日や雑報(ぞうほう)書きの耳に筆
大兵(たいへい)の野山に満つる霞(かすみ)かな
藍壺(あいつぼ)に泥落したる燕(つばめ)哉
京に来てひたと病みつきぬ花盛
我病んで花の発句(ほっく)もなかりけり
山吹の花くふ馬を叱りけり
げん/\の下で仏は生れけり
祇園会(ぎおんえ)や二階に顔のうづ高き
あやまつて清水にぬらす扇(おうぎ)哉
破(や)れ易し人のかたみの夏羽織(なつばおり)
昼寐する人も見えけり須磨(すま)の里
蛇のから滝を見ずして返りけり
時鳥(ほととぎす)一尺の鮎(あゆ)串にあり
蚊の声やうつゝにたゝく写し物
愛憎(あいぞう)は蠅打つて蟻に与へけり
若葉陰袖に毛虫をはらひけり
病僧や杜若(かきつばた)剪(き)る手のふるへ
船著(ふなつ)きの小(ちさ)き廓(くるわ)や棉(わた)の花
病間あり
椅子を置くや薔薇に膝の触るゝ処
虫のつく夏萩の芽を剪(き)り捨てぬ
門の内に誰(た)が投げこみし早苗(さなえ)哉
羽織著(き)る秋の夕(ゆうべ)のくさめ哉
汽車の窓に首出す人や瀬田(せた)の秋
正倉院
風入(かぜいれ)や五位の司(つかさ)の奈良下り
掃溜(はきだめ)に捨てずもがなの団扇(うちわ)哉
憎まれて見にくき顔や相撲取(すもうとり)
鳴子(なるこ)きれて粟(あわ)の穂垂るゝみのり哉
野分して蝉の少きあした哉
琵琶(びわ)一曲月は鴨居(かもい)に隠れけり
月さすや碁(ご)をうつ人のうしろ迄(まで)
精進(しょうじん)に月見る人の誠(まこと)かな
貧厨(ひんちゅう)の光を生ず鱸(すずき)哉
虚子寓
桐の葉のいまだ落ざる小庭哉
元光院(げんこういん)観月会
紅葉山(もみじやま)の文庫保ちし人は誰
山駕(やまかご)や雨さつと来る夕紅葉
荻(おぎ)吹くや崩れそめたる雲の峰
湯治二十日(とうじはつか)山を出づれば稲の花
この頃の蕣(あさがお)藍(あい)に定まりぬ
琵琶聴くや芋をくふたる皃(かお)もせず
元光院観月会
老僧に通草(あけび)をもらふ暇乞(いとまごい)
繙(ひもと)いて冬の部に入る井華集(せいかしゅう)
小説を草して独り春を待つ
病中有感
遼東(リャオトン)の夢見てさめる湯婆(たんぽ)哉
間違へて笑ふ頭巾や客二人
冬籠る今戸(いまど)の家や色ガラス
札幌より林檎一箱送られて
一箱の林檎(りんご)ゆゝしや冬籠
冬ごもる人の多さよ上根岸(かみねぎし)
吹き絶えし薔薇(ばら)の心や冬籠
即事
冬籠盥(たらい)になるゝ小鴨(こがも)哉
杜夫魚(いしぶし)のまうけ少きたつき哉
山茶花(さざんか)に新聞遅き場末哉
霜枯や狂女(きょうじょ)に吠(ほ)ゆる村の犬
蓬莱(ほうらい)に一斗(いっと)の酒を尽しけり
水祝(みずいわい)恋の敵(かたき)と名のりけり
門松(かどまつ)やわがほとゝぎす発行所
遣羽子(やりばね)の風に上手を尽しけり
草庵
雪の絵を春も掛けたる埃(ほこり)哉
母方は善き家柄や雛祭(ひなまつり)
汐干(しおひ)より今帰りたる隣哉
雪残る頂(いただき)一つ国境
下駄借りて宿屋出づるや朧月(おぼろづき)
芹目高(せりめだか)乏しき水のぬるみけり
手に満つる蜆(しじみ)うれしや友を呼ぶ
池の端(は)に書画の会あり遅桜
喜人見訪
韮(にら)剪(き)つて酒借りに行く隣哉
五女ありて後の男や初幟(はつのぼり)
滝殿(たきどの)のしぶきや料紙(りょうし)硯箱(すずりばこ)
ざれ歌の手蹟(しゅせき)めでたき扇(おうぎ)哉
かたまりて黄なる花さく夏野哉
鴨の子を盥(たらい)に飼ふや銭葵(ぜにあおい)
夏引(なつびき)その乱れや二十八天下
舟歌のやんで物いふ夜寒(よさむ)かな
病中
粥(かゆ)にする天長節(てんちょうせつ)の小豆飯
止みになる観月会(かんげつかい)の手紙哉
鶏頭(けいとう)の皆倒れたる野分哉
自ら自らの手を写して
樽柿(たるがき)を握るところを写生哉
胃痛
柿もくはで随問随答(ずいもんずいとう)を草しけり
自ら秋海棠(しゅうかいどう)を画いて
画き習ふ秋海棠の絵具哉
人賤(いや)しく蘭(らん)の価(あたい)を論じけり
筆談(ひつだん)の客と主(あるじ)や蘭の花
霜月(しもつき)の梨を田町(たまち)に求めけり
のび/\し帰り詣(もうで)や小六月(ころくがつ)
煤払(すすはき)の埃(ほこり)しづまる葉蘭(はらん)哉
年忘一斗(いっと)の酒を尽しけり
吉原ではぐれし人や酉(とり)の市
炉(ろ)のふちに懐炉(かいろ)の灰をはたきけり
千駄木(せんだぎ)に隠れおほせぬ冬の梅
新年の白紙綴(と)ぢたる句帳哉
水入の水をやりけり福寿草(ふくじゅそう)
蟹を得たり新年会の残り酒
梅いけて礼者(れいしゃ)ことわる病かな
病牀(びょうしょう)の匂袋(においぶくろ)や浅き春
皇太子妃冊立(さくりつ)
伏して念(おも)ふ雛(ひいな)の如き御契(おんちぎり)
顔を出す長屋の窓や春の雨
草庵
春雨や裏戸明け来る傘は誰
藜杖(れいじょう)神戸へ赴任するに
柳垂れて海を向いたる貸家あらん
夏籠(げごもり)や仏刻まむ志(こころざし)
湯に入るや湯満ちて菖蒲(しょうぶ)あふれこす
地に落し葵(あおい)踏み行く祭哉
一門は皆四位五位の茂り哉
薄色の牡丹(ぼたん)久しく保ちけり
新婚
糠(ぬか)味噌に瓜(うり)の茄子(なすび)の契(ちぎり)かな
鐘の音の輪をなして来る夜長哉
冬近き嵐に折れし鶏頭(けいとう)哉
冬を待つ用意かしこし四畳半
摂待(せったい)の札所(ふだしょ)や札の打ち納め
古扇物書き散らし捨てにけり
寒き夜の銭湯遠き場末哉
凍筆(いてふで)をほやにかざして焦(こが)しけり
筆ちびてかすれし冬の日記哉
書きなれて書きよき筆や冬籠(ふゆごもり)
芭蕉忌や我俳諧の奈良茶飯(ならちゃめし)
仏壇の菓子うつくしき冬至哉
霜の蟹や玉壺(ぎょっこ)の酒の底濁り
鶏頭(けいとう)やこたへ/\て幾時雨(しぐれ)
筆洗(ひっせん)の水こぼしけり水仙花
日暮(ひぐらし)の里の旧家や冬牡丹
火を焚かぬ煖炉(だんろ)の側や冬牡丹
朝下る寒暖計や冬牡丹
冬牡丹頼み少く咲にけり
毎日の発熱。毎日の蜜柑。此頃の蜜柑(みかん)は、やや腐りたるが旨き。
春深く腐りし蜜柑好みけり
春の日や病牀(びょうしょう)にして絵の稽古(けいこ)
蛙
ランプ消して行燈(あんどん)ともすや遠蛙(とおかわず)
土筆(つくし)煮て飯くふ夜の台所
短夜(みじかよ)
短夜を燈明料(とうみょうりょう)のかすりかな
五月雨 (二句)
五月雨(さみだれ)や上野の山も見あきたり
病人に鯛の見舞や五月雨(さつきあめ)
滝迄(まで)は行かで返りぬ蛇の衣(きぬ)
罌粟花(けしのはな)
けしの花大きな蝶のとまりけり
牡丹(ぼたん) (三句)
昼中は散るべく見えし牡丹かな
灯のうつる牡丹色薄く見えにけり
寝牀(ねどこ)から見ゆる小庭の牡丹かな
病間あり秋の小庭の記を作る
即事
母と二人いもうとを待つ夜寒かな
病牀(びょうしょう)
痩骨(やせぼね)をさする朝寒夜寒かな
病牀の財布も秋の錦かな
即事
いもうとの帰り遅さよ五日月(いつかづき)
即事
九月蝉椎(しい)伐(き)らばやと思ふかな
こほろぎや物音絶えし台所
秋の蚊のよろ/\と来て人を刺す
柿くふも今年ばかりと思ひけり
病床のながめ
取付て松にも一つふくべかな
病牀所見(びょうしょうしょけん)
臥(ふ)して見る秋海棠(しゅうかいどう)の木末(こずえ)かな
家人の秋海棠を剪らんといふを制して
秋海棠に鋏(はさみ)をあてること勿(なか)れ
秀調(しゅうちょう)死せしよし
悪の利(き)く女形なり唐辛子
驚くや夕顔落ちし夜半の音
冬雑
朝な/\粥(かゆ)くふ冬となりにけり
病床口吟 (室内)
煖炉(だんろ)たく部屋暖(あたたか)に福寿草
色さめし造り花売る小春かな
病床口吟 (室内)
薬のむあとの蜜柑や寒の内(かんのうち)
君を呼ぶ内証(ないしょ)話や鮟鱇汁(あんこうじる)
移居十首のうち (二句)
新宅(しんたく)は神も祭らで冬籠(ふゆごもり)
鮟鱇鍋河豚(ふぐ)の苦説(くぜつ)もなかりけり
病床口吟 (室外)(二句)
隣住む貧士(ひんし)に餅(もち)を分ちけり
烏帽子(えぼし)著(き)よふいご祭のあるじ振(ぶり)
病床口吟 (室外)
朝霜も青き物なき小庭哉
病床口吟 (室外)
枯尽くす糸瓜(へちま)の棚の氷柱(つらら)哉
移居十首のうち
貧をかこつ隣同士の寒鴉(かんがらす)
日蓮賛(にちれんさん)
鯨(くじら)つく漁父(ぎょふ)ともなれで坊主哉
移居十首のうち
軸の前支那水仙(しなすいせん)の鉢もなし
枯しのぶ
大事がる金魚死にたり枯しのぶ
西陣
冬枯の中に錦(にしき)を織る処
髭剃(ひげそ)るや上野の鐘の霞(かす)む日に
下総(しもうさ)の国の低さよ春の水
茶器どもを獺(おそ)の祭の並べ方
読吉野紀行 (二句)
花の宿くたびれ足を按摩(あんま)哉
千本が一時に落下する夜あらん
母の花見に行き玉へるに
たらちねの花見の留守や時計見る
蒲公英(たんぽぽ)やボールころげて通りけり
芹(せり)
雨に友あり八百屋に芹を求めける
法然賛(ほうねんさん)
念仏に季はなけれども藤の花
修竹千竿(しゅうちくせんかん)
灯漏れて碁(ご)の音涼し
夜涼如水(やりょうみずのごとし)
三味(しゃみ)引きやめて下り舟
すゞしさの皆打扮(いでたち)や袴能(はかまのう)
陸前石巻より、大鯛三枚、氷につめて贈りこしければ
三尺(さんしゃく)の鯛生きてあり夏氷
草市の草の匂ひや広小路
此頃の暑さにも堪へ兼て、風を起す機械を欲しと言へば、碧梧桐(へきごどう)の自ら作りて、我が病床の上に吊り呉れたる。仮に之を名づけて風板(ふうばん)といふ。夏の季にもやなるべき。
風板引け鉢植の花散る程に
芭蕉
破団扇(やれうちわ)夏も一炉(いちろ)の備(そなえ)哉
几董(きとう)
李斯伝(りしでん)を風吹きかへす昼寐かな
自画果物写生帳の後に
画き終へて昼寝も出来ぬ疲れかな
薔薇を剪(き)る鋏刀(はさみ)の音や五月晴(さつきばれ)
垂釣雑詠のうち
薫風吹r袖(くんぷうそでをふく)
釣竿(つりざお)担(かつ)ぐ者は我
夏野行く人や天狗(てんぐ)の面を負ふ
夏山や岩あらはれて乱麻皺(らんまじわ)
氏祭(うじまつり)これより根岸蚊の多き
蝉始めて鳴く鮠(はや)釣る頃の水絵(みずえ)空
飯呼べど来らず蚋(ぶよ)の跡を掻(か)く
天狗(てんぐ)住んで斧入らしめず木の茂り
柱にもならで茂りぬ五百然
歯が抜けて筍(たけのこ)堅く烏賊(いか)こはし
畑もあり百合など咲いて島ゆたか
園女(そのじょ/そのめ)
罌粟(けし)さくや尋ねあてたる智月庵(ちげつあん)
草花を画(えが)く日課や秋に入(い)る
丁堂和尚より、南岳の百花画巻をもらひて、朝夕手を放さず
病床の我に露ちる思ひあり
大漁(たいりょう)
十ケ村(じゅっかそん)鰮(いわし)くはぬは寺ばかり
薩摩知覧(さつまちらん)の提灯といふを新圃にもらふたり
虫取る夜運座(うんざ)戻りの夜更(よふけ)など
千里女子写真
桃の如く肥へて可愛や目口鼻
断腸花(だんちょうか)つれなき文(ふみ)の返事哉
思はぬ恋の失望に
病む人が老いての恋や秋茄子(あきなすび)
朝皃(あさがお)や我に写生の心あり
臥病(がびょう)十年
首あげて折〃見るや庭の萩
黒きまでに紫深き葡萄(ぶどう)かな
絶筆 三句
糸瓜(へちま)咲て痰(たん)のつまりし仏かな
痰一斗(たんいっと)糸瓜の水も間にあはず
おとゝひのへちまの水も取らざりき
[是れ子が永眠の十二時間前、即ち十八日の午前十一時、病牀に仰臥(ぎょうが)しつゝ痩せに痩せたる手に依(よ)りて書かれたる、最後の俳句なり 新聞『日本』の前文]
2011/8/10-21