・『遺稿集』はいずれも「」、濁点、句読点などは書生の一存により、漢字と仮名の扱いも書生の判断により改編致す。また『春夏秋冬』などは便宜上に分類したものに過ぎず。『その三』は晩年のものにて、以前に見られぬ傾向もあり。
月並の如きは初学をひねくりし亜流なれば、斯様にこそ詠むにや。
寝覚して障子に付くや月明
此こそ陳腐の極みなり。嫌みの核心は「付くや」と捻りたる処なり。吾ならまだしも斯様にものすべし。
眠られず障子の月を睨みけり
上等ならざるも、擬人的に付きたる如き嫌みはあらざるべし。また、近頃の投書に、
こほろぎの小瓶に落て哀れなり
とあり。此は囚われの意なるや。「哀れなり」は安き感慨なれば、偽らざる心なれど、記す価値のなきものなり。さりとて、
こほろぎの小瓶を川に捨にけり
までものせば、瓢(ふくべ)も糸瓜もなく、殺伐たる蔦枯れに、鬼人の獅子を脅かすが如し。例へ詰まらなくも、
こほろぎの小瓶に雨は溜りけり
くらいなれば、残酷さにも「哀れ」の実は籠もるべきか。
これは俗調なり。
角部屋に煮こゞり溶す炭火哉
まだしも吾なれば、
煮凝りを炭火の箸で突にけり
と述べるなり。初めのは畢竟(ひっきょう)解説には過ぎず。後者なれば、臨機は籠もるなり。もとより十七字に過ぎざること、言ふまでもあらず。高尚などは述べざるが如し。いかに臨機と言へど、
この梅の百年後を思ひけり
なれば主観に甘えたるが如くにて、
千年の後も咲きけり君が梅
とせば、空想の内に祝賀の趣意は籠もれり。臨機、写実ばかり勝りたるにはあらず。甚だ簡略なれど、貴兄への返答になりや否や。これを怖る。近来は筆も重ければ、長文はご容赦されたし。
呉竹(くれたけ)の霜を払ひて干魚(ほしざかな)
癇癪に疲れ果てたり夕しぐれ
[空想的]
とをかんや
雫に星を聞く夜かな
爪で掻く畳冷たき夜なり鳧(けり)
冷たさに割れたる爪を噛にけり
爪を割り千切る畳や
朝ぼらけ障子にきざす
ひと影もなし
凍てついた子犬に花を供へけり
山茶花の一輪挿や手まり歌
あかぎれに損ねる針の痛みかな
侘びしさに妻を撲つ手や鐘の音
臥て待つ祝ひ納めや鏡餅
猫のくろ尻尾で雪を舐にけり
湯豆腐の鍋肌すくふ嫁が君
[これは誰かのパロディーか? (書生)]
歯の動く寒の蕪(かぶら)の冷たさよ
寒鴉(かんがらす)べたりとたれて逃れけり
此は以前のより劣れり。
祈らずにらめつけたる寒仏
不規則な寒の鼓動を数へけり
[夢]
まぼろしを寒の廃墟に眺めけり
[併置して
夏の月廃墟にさして影ぼうし
とあり]
如月(きさらぎ)
夢に満ちたる故郷(ふるさと)の
駆け抜けたるは風やまぼろし
せゝらぎや春の便を丸太橋
難波津(なにわづ)花咲く頃となりにけり
[平安調]
ふるさとは花のさかりやおぼろ月
花を知る君の便りや二三行
[打ち消して「花を待つ」とあり]
雀子ら籠を放ちて散らしけり
市に出(いで)て売らんとすれば初浅蜊(あさり)
潮(うしほ)こぼれて橋げたの下
問フ君ヲ別ノ春ト呑ニ鳧(けり)
我のいないこの世の春を思ひけり
田処の 蛙(かはづ)の声に 立ち尽くし
ふるさとの影 思ほゆるかも
[短歌にて「蛙」は春の季語とせず、情景に任す。 (書生)]
[初恋二句]
龍笛に踊り逢ひけりあで浴衣
花火果てゝ君の吐息を聞きにけり
暗がりに蝉を聞きけり隠鬼
[あるいはここ「暗やみに」か?]
君を送りて硯に軒の涼みかな
蟻の付く西瓜を画いて破りけり
[ここ「あるいは蟻の這ふなるや」とあり]
蛾の群て夢に燃される炎かな
[このあたり素気なくて常人の沙汰にあらず。 (書生)]
まわり灯籠同じ処を廻りけり
虚子鼠骨碧梧桐星に集ひけり
遠ざかる根岸の風を聞く我と
たなばたつめの星の煌めき
天の川こぼれ落ちたる星一つ
根岸の里に犬の遠吠
[釣り二句]
浜寺に磯魚(いさな)を訊ね釣にけり
朝な夕な鯊(はぜ)釣る人となりにけり
以前のより勝りたるや否や、返答を待つ。
月ノ不二袂ノモノヲ落シケリ
[或ひは太宰治の小説の元なるや?(書生)]
月あかりひとヶもなくておぼろなり
見飽きたるふくべ指折のかぞへ歌
侘びしさにほぞ噛む秋や宵の口
哀蚊(あわれが)に腐りたる血を呑せけり
放ちたる鳶(とび)は立ちけり残柿
まとわつて枯れたる蔦(つた)を手繰りけり
月の刺す硝子(がらす)の縁(へり)を眺けり
[この「縁」なかなかに巧みなるや。(書生)]
幾秋ノ子守唄サヘ絶え果テゝ
墓標刻むものなく枯葎(かれむぐら)
人失せて墓処には風も無かりけり
我消えて未だに刻む古時計
根岸に灯ともして日暮れんとす
(おわり)
後に拾遺したるものなり。
歳暮れて新酒に札(ふだ)もなかりけり
犬や川べりに骨を残して朽ちにけり
2013/11/13