正岡子規『遺稿集 その三』朗読

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正岡子規『遺稿集 その三』 (書生編)

書生注

・『遺稿集』はいずれも「」、濁点、句読点などは書生の一存により、漢字と仮名の扱いも書生の判断により改編致す。また『春夏秋冬』などは便宜上に分類したものに過ぎず。『その三』は晩年のものにて、以前に見られぬ傾向もあり。

正岡子規『遺稿集 その三』

初学に尽きて

 月並の如きは初学をひねくりし亜流なれば、斯様にこそ詠むにや。

寝覚して障子に付くや月明

 此こそ陳腐の極みなり。嫌みの核心は「付くや」と捻りたる処なり。吾ならまだしも斯様にものすべし。

眠られず障子の月を睨みけり

上等ならざるも、擬人的に付きたる如き嫌みはあらざるべし。また、近頃の投書に、

こほろぎの小瓶に落て哀れなり

とあり。此は囚われの意なるや。「哀れなり」は安き感慨なれば、偽らざる心なれど、記す価値のなきものなり。さりとて、

こほろぎの小瓶を川に捨にけり

までものせば、瓢(ふくべ)も糸瓜もなく、殺伐たる蔦枯れに、鬼人の獅子を脅かすが如し。例へ詰まらなくも、

こほろぎの小瓶に雨は溜りけり

くらいなれば、残酷さにも「哀れ」の実は籠もるべきか。

問ひに答ふ

 これは俗調なり。

角部屋に煮こゞり溶す炭火哉

 まだしも吾なれば、

煮凝りを炭火の箸で突にけり

と述べるなり。初めのは畢竟(ひっきょう)解説には過ぎず。後者なれば、臨機は籠もるなり。もとより十七字に過ぎざること、言ふまでもあらず。高尚などは述べざるが如し。いかに臨機と言へど、

この梅の百年後を思ひけり

なれば主観に甘えたるが如くにて、

千年の後も咲きけり君が梅

とせば、空想の内に祝賀の趣意は籠もれり。臨機、写実ばかり勝りたるにはあらず。甚だ簡略なれど、貴兄への返答になりや否や。これを怖る。近来は筆も重ければ、長文はご容赦されたし。

呉竹(くれたけ)の霜を払ひて干魚(ほしざかな)

癇癪に疲れ果てたり夕しぐれ

[空想的]
とをかんや
  雫に星を聞く夜かな

爪で掻く畳冷たき夜なり鳧(けり)

   冷たさに割れたる爪を噛にけり

   爪を割り千切る畳や
      朝ぼらけ障子にきざす
     ひと影もなし

凍てついた子犬に花を供へけり

山茶花の一輪挿や手まり歌

あかぎれに損ねる針の痛みかな

侘びしさに妻を撲つ手や鐘の音

臥て待つ祝ひ納めや鏡餅

猫のくろ尻尾で雪を舐にけり

湯豆腐の鍋肌すくふ嫁が君

[これは誰かのパロディーか? (書生)]

歯の動く寒の蕪(かぶら)の冷たさよ

寒鴉(かんがらす)べたりとたれて逃れけり

此は以前のより劣れり。

祈らずにらめつけたる寒仏

不規則な寒の鼓動を数へけり

[夢]
まぼろしを寒の廃墟に眺めけり

[併置して
  夏の月廃墟にさして影ぼうし
とあり]

如月(きさらぎ)
   夢に満ちたる故郷(ふるさと)の
  駆け抜けたるは風やまぼろし

せゝらぎや春の便を丸太橋

難波津(なにわづ)花咲く頃となりにけり

[平安調]
ふるさとは花のさかりやおぼろ月

花を知る君の便りや二三行

[打ち消して「花を待つ」とあり]

雀子ら籠を放ちて散らしけり

市に出(いで)て売らんとすれば初浅蜊(あさり)
   潮(うしほ)こぼれて橋げたの下

問フ君ヲ別ノ春ト呑ニ鳧(けり)

我のいないこの世の春を思ひけり

田処の 蛙(かはづ)の声に 立ち尽くし
  ふるさとの影 思ほゆるかも

[短歌にて「蛙」は春の季語とせず、情景に任す。 (書生)]

[初恋二句]
龍笛に踊り逢ひけりあで浴衣

    花火果てゝ君の吐息を聞きにけり

暗がりに蝉を聞きけり隠鬼

[あるいはここ「暗やみに」か?]

君を送りて硯に軒の涼みかな

蟻の付く西瓜を画いて破りけり

[ここ「あるいは蟻の這ふなるや」とあり]

蛾の群て夢に燃される炎かな

[このあたり素気なくて常人の沙汰にあらず。 (書生)]

まわり灯籠同じ処を廻りけり

虚子鼠骨碧梧桐星に集ひけり

   遠ざかる根岸の風を聞く我と
      たなばたつめの星の煌めき

   天の川こぼれ落ちたる星一つ
      根岸の里に犬の遠吠

[釣り二句]
浜寺に磯魚(いさな)を訊ね釣にけり

   朝な夕な鯊(はぜ)釣る人となりにけり

 以前のより勝りたるや否や、返答を待つ。

月ノ不二袂ノモノヲ落シケリ

[或ひは太宰治の小説の元なるや?(書生)]

月あかりひとヶもなくておぼろなり

見飽きたるふくべ指折のかぞへ歌

侘びしさにほぞ噛む秋や宵の口

哀蚊(あわれが)に腐りたる血を呑せけり

放ちたる鳶(とび)は立ちけり残柿

まとわつて枯れたる蔦(つた)を手繰りけり

月の刺す硝子(がらす)の縁(へり)を眺けり

[この「縁」なかなかに巧みなるや。(書生)]

幾秋ノ子守唄サヘ絶え果テゝ

墓標刻むものなく枯葎(かれむぐら)

無季

人失せて墓処には風も無かりけり

我消えて未だに刻む古時計

根岸に灯ともして日暮れんとす

         (おわり)

増補

 後に拾遺したるものなり。

歳暮れて新酒に札(ふだ)もなかりけり

犬や川べりに骨を残して朽ちにけり

2013/11/13

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