生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
どうやら僕には分らなんだが
僕は街(まち)なぞ歩いてゐました
店舗[てんぽ]々々に朝陽はあたつて
淡(あは)い可愛いい物々の蔭影(かげ)
僕はそれでも元気はなかつた
どうやら 足引摺[ひきず]つて歩いてゐました
生きてゐるのは喜びなのか
生きてゐるのは悲みなのか
こんな思ひが浮かぶといふのも
たゞたゞ衰弱(よは)[つ]てゐるせいだろうか?
それとももともとこれしきなのが
人生といふものなのだらうか?
尤[もっと]も分つたところでどうさへ
それがどうにもなるものでもない
こんな気持になつたらなつたで
自然にしてゐるよりほかもない
さうと思へば涙がこぼれる
なんだか知らねえ涙がこぼれる
悪く思つて下さいますな
僕はこんなに怠け者
(一九三五・四・二四)
[たゞたゞ衰弱(よは)[つ]てゐる]
→「角川ソフィア」で「つ」が校正者注で加えられているがあるいは「よわている」と読ませたいのか?
2009/04/03
2011/1/28再朗読