不気味な悲鳴 (中原中也)

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不気味な悲鳴

如何[いか]なれば換気装置の、穹窿[きゅうりゅう]の一つの隅に
蒼ざめたるは?    ランボオ


僕はもう、何も欲しはしなかつた。
暇と、煙草とくらゐは欲したかも知れない。
僕にはもう、僅[わず]かなもので足りた。

そして僕は次第に次第に灰のやうになつて行つた。
振幅のない、眠りこけた、人に興味を与へないものに。
而[しか]もそれを嘆くべき理由は何処にも見出せなかつた。

僕は眠い、――それが何だ?
僕は物憂い、――それが何だ?
僕が眠く、僕が物憂いのを、僕が嘆く理由があらうか?

かくて僕は坐り、僕はもう永遠に起ち上りさうもなかつた。

   ※

然[しか]しさうなると、またさすがに困つて来るのであつた。
何をとか?――多分、何となくと答へるよりほかもない。
何となら再び起(た)ち上がれとは誰も云ふまいし、
起ち上らうと思ふがものもないのにも猶[なお]困つて来るのであつたから。

僕はいつそ死なうと思つた。
而[しか]も死なうとすること[注.「こと」二字傍点]はまた起ち上ることよりも一層の大儀であつた。

かくて僕は天から何かの惠みが降つて来ることを切望した。
而[しか]もはや、それは僕として勝手な願ひではなかつた。
僕は真面目に天から何かゞ降つて来ることを願つた。
それが、ほんの瑣細[ささい]なものだらうが、それは構ふ所でなかつた。

   ※

――僕はどうすればいいか?

     (一九三五・一・一一)

言葉の意味

[穹窿(きゅうりゅう)]
・(中央部が高く弓形であるという意味から)天空、大空。
・半球状の天井、屋根、ドーム。

2009/04/03
2011/1/25再録音

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