さよなら、さよなら!
いろいろお世話になりました
いろいろお世話になりましたねえ
いろいろお世話になりました
さよなら、さよなら!
こんなに良いお天気の日に
お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
こんなに良いお天気の日に
さよなら、さよなら!
僕、午睡[ひるね]から覚めてみると
みなさん家を空(あ)けておいでだつた
あの時を妙に思ひ出します
さよなら、さよなら!
そして明日(あした)の今頃は
長の年月見馴れてる
故郷の土をば見てゐるのです
さよなら、さよなら!
あなたはそんなにパラソルを振る
僕にはあんまり眩[まぶ]しいのです
あなたはそんなにパラソルを振る
さよなら、さよなら!
さよなら、さよなら!
(一九三四・一一・一三)
僕、午睡[ひるね]から覚めてみると、
みなさん、家を空けてをられた
あの時を、妙に、思ひ出します
日向ぼつこをしながらに、
爪摘[つめつ]んだ時のことも思ひ出します、
みんな、みんな、思ひ出します
芝庭のことも、思ひ出します
薄い陽の、物音のない昼下り
あの日、栗を食べたことも、思ひ出します
干された飯櫃(おひつ)がよく乾き
裏山に、烏が呑気に啼いてゐた
あゝ、あのときのこと、あのときのこと……
僕はなんでも思ひ出します
僕はなんでも思ひ出します
でも、わけても思ひ出すことは
わけても思ひ出すことは……
――いいえ、もうもう云へません
決して、それは、云はないでせう
忘れがたない、虹と花、
忘れがたない、虹と花
虹と花、虹と花
どこにまぎれてゆくのやら
どこにまぎれてゆくのやら
(そんなこと、考へるの馬鹿)
その手、その脣(くち)、その唇(くちびる)の、
いつかは、消えて、ゆくでせう
(霙[みぞれ]とおんなじことですよ)
あなたは下を、向いてゐる
向いてゐる、向いてゐる
さも殊勝[しゅしょう]らしく向いてゐる
いいえ、かういつたからといつて
なにも、怒(おこ)つてゐるわけではないのです、
怒つてゐるわけではないのです
忘れがたない虹と花、
虹と花、虹と花、
(霙とおんなじことですよ)
何か、僕に、食べさして下さい。
何か、僕に、食べさして下さい。
きんとん[以上四字に傍点]でもよい、何でもよい、
何か、僕に食べさして下さい!
いいえ、これは、僕の無理だ、
こんなに、野道を歩いてゐながら
野道に、食物(たべもの)、ありはしない。
ありません、ありはしません!
向ふに、水車が、見えてゐます、
苔むした、小屋の傍、
ではもう、此処からお帰りなさい、お帰りなさい
僕は一人で、行けます、行けます、
僕は、何を云つてるのでせう
いいえ、僕とて文明人らしく
もつと、他(ほか)の話も、すれば出来た
いいえ、やつぱり、出来ません出来ません
2009/03/29
2011/01/18再朗読