友達よ、僕が何処にゐたか知つてゐるか?
僕は島にゐた、島の小さな漁村にゐた。
其処[そこ]で僕は散歩をしたり、舟で酒を呑んだりしてゐた。
又沢山の詩も読んだ、何にも煩[わずら]はされないで。
時に僕はひどく退屈した、君達に会ひたかつた。
しかし君達との長々しい会合、その終りにはだれる会合、
飲みたくない酒を飲み、話したくないことを話す辛さを思ひ出して
僕は僕の惰弱な心を、ともかくもなんとか制[おさ]へてゐた。
それにしてもそんな時には勉強は出来なかつた、散歩も出来なかつた。
僕は酒場に出掛けた、青と赤との濁つた酒場で、
僕はジンを呑んで、しまひにはテーブルに俯伏(うつぷ)してゐた。
或る夜は浜辺で舟に凭(すが)つて、波に閃[きら]めく月を見てゐた。
遠くの方の物凄い空。舟の傍では虫が鳴いてゐた。
思ひきりのんびり夢をみてゐた。浪の音がまだ耳に残つてゐる。
暗い庭で虫が鳴いてゐる、雨気を含んだ風が吹いてゐる。
茲[ここ]は僕の書斎だ、僕はまた帰つて来てゐる。
島の夜が思ひ出される、いつたいどうしたものか夏の旅は、
死者の思ひ出のやうに心に沁[し]みる、毎年々々、
秋が来て、今夜のやうに虫の鳴く夜は、
靄[もや]に乗つて、死人は、地平の方から僕の窓の下まで来て、
不憫[ふびん]にも、顔を合はすことを羞[はず]かしがつてゐるやうに思へてならぬ。
それにしても、死んだ者達は、あれはいつたいどうしたのだらうか?
過ぎし夏よ、島の夜々よ、おまへは一種の血みどろな思ひ出、
それなのにそれはまた、すがすがしい懐かしい思ひ出、
印象は深く、それなのに実際なのかと、疑つてみたくなるやうな思ひ出、
わかつてゐるのに今更のやうに、ほんとだつたと驚く思ひ出!……
(1933・8・21)
[凭って(すがって)]
・「縋って(すがって)」で「つかまって身を支える」くらいの意味を、「凭れる(もたれる)」の「寄りかかって身を支える」くらいの意味で漢字を置き換えたもの。
2009/03/29
2010/1/10新朗読