かつて私は一切の「立脚点」だつた。
かつて私は一切の解釈だつた。
私は不思議な共通接線に額して
倫理の最後の点をみた。
(あゝ、それらの美しい論法の一つ一つを
いかにいまこゝに想起したいことか!)
※
その日私はお道化[どけ]る子供だつた。
卑小[ひしょう]な希望達の仲間となり馬鹿笑ひをつゞけてゐた。
(いかにその日の私の見窄[みすぼら]しかつたことか!
いかにその日の私の神聖だったことか!)
※
私は完[まった]き従順の中に
わづかに呼吸を見出してゐた。
私は羅馬婦人(ローマをんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を
膝頭(がしら)で歩いてゐたやうなものだ。
※
これらの忘恩な生活の罰か? はたしてさうか?
私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。
そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いてゐた、
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いてゐた。
その時私は何か?たしかに失った。
※
今では私は
かくて私には歌がのこつた。
たつた一つ、歌といふがのこつた。
※
私の歌を聴いてくれ。
2009/03/25