処女詩集序 (中原中也)

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処女詩集序

かつて私は一切の「立脚点」だつた。
かつて私は一切の解釈だつた。

私は不思議な共通接線に額して
倫理の最後の点をみた。

(あゝ、それらの美しい論法の一つ一つを
いかにいまこゝに想起したいことか!)

その日私はお道化[どけ]る子供だつた。
卑小[ひしょう]な希望達の仲間となり馬鹿笑ひをつゞけてゐた。

(いかにその日の私の見窄[みすぼら]しかつたことか!
いかにその日の私の神聖だったことか!)

私は完[まった]き従順の中に
わづかに呼吸を見出してゐた。

私は羅馬婦人(ローマをんな)の笑顔や夕立跡の雲の上を
膝頭(がしら)で歩いてゐたやうなものだ。

これらの忘恩な生活の罰か? はたしてさうか?
私は今日、統覚作用の一欠片(ひとかけら)をも持たぬ。

そうだ、私は十一月の曇り日の墓地を歩いてゐた、
柊(ひいらぎ)の葉をみながら私は歩いてゐた。

その時私は何か?たしかに失った。

今では私は
生命の動力学[どうりきがく]にしかすぎない━━━
自恃(じじ)をもつて私は、むづかる特権を感じます。

かくて私には歌がのこつた。
たつた一つ、歌といふがのこつた。

私の歌を聴いてくれ。

2009/03/25

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