今晩ああして元気に語り合つてゐる人々も、
実は元気ではないのです。
諸君は僕を「ほがらか」でないといふ。
然[しか]し、そんな定規みたいな「ほがらか」は棄て給へ。
ほんとのほがらかは、
悲しい時に悲しいだけ悲しんでゐられることでこそあれ。
さて 諸君の或者[あるもの]は僕の書いた物を見ていふ、
「あんな泣き面で書けるものかねえ?」
が、冗談ぢやない、
僕は僕が書くやうに生きてゐたのだ。
今晩あゝして元気に語り合つてゐる人々も、
実は、元気ではないのです。
近代(いま)という今は尠[すくな]くも、
あんな具合な元気さで
ゐられる時代(とき)ではないのです。
諸君は僕を、「ほがらか」ではないといふ。
しかし、そんな定規みたいな「ほがらか」なんぞはおやめなさい。
ほがらかとは、恐らくは、
悲しい時には悲しいだけ
悲しんでられることでせう?
されば今晩かなしげに、かうして沈んでゐる僕が、
輝き出でる時もある。
さて、輝き出でるや、諸君は云ひます、
「あれでああなのかねえ、
不思議みたいなもんだねえ」。
が、冗談ぢやない、
僕は僕が輝けるやうに生きてゐた。
(一九三六・一〇・一)
2009/03/28