悲しき画面 (中原中也)

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悲しき画面

私の心の、『過去』の画面の、右の端には、
女の額の、大きい額のプロフィルがみえ、
それは、野兎色のラムプの光に仄[ほの]照らされて、
嘲弄的[ちょうろうてき]な、その生え際に隈取[くまど]られてゐる。

その眼眸[まなざし]は、画面の中には見出せないが、恐らくは
窮屈[きゅうくつ]げに、あでやかな笑(ゑみ)に輝いて、『中立地帶』とおぼしき方に向けられてゐる。
そして、何故[なぜ]か私は、彼の女の傍[そば]に、
騎兵のサーベルと、長靴とを感ずるのだ――

讀者よ、これは、その性情[せいじょう]の無辜[むこ]のゆゑに、
いためられ、弱くされて、それの個性は、
その個性にふさはしき習慣を形づくるに、至らなかつた、
一人の男の、かなしい心の、『過去』の画面だ、……

今宵も心の、その画面の右の端には、
その額、大きい額のプロフィルがみえ、
野兎色のラムプの光に仄[ほの]照らされて、
ラムプの焔[ほのお]の消長[しょうちょう]に、消長につれてゆすれてゐる……

Tableau Triste

A・O・に。

私の心の、『過去』の画面の、右の端には、
女の額の、大きい額のプロフィルがみえ、
それは、野兎色のラムプの光に仄[ほの]照らされて、
嘲弄的[ちょうろうてき]な、その生え際に隈取[くまど]られてゐる。

その眼眸(まなざし)は、画面の中には見出せないが、恐らくは
窮屈[きゅうくつ]げに、あでやかな笑(ゑみ)に輝いて、中立地帶に向けられてゐる。
そして、なぜか私は、彼の女の傍(そば)に、
騎兵のサーベルと、長靴を感ずる――

讀者よ、これは、その性情の無辜(むこ)のために、
いためられ、弱くされて、それの個性は、
それの個性の習慣を形づくるに至らなかつた、
一人の男の、かなしい心の、『過去』の画面、……

今宵も、心の、その画面の右の端には、
その額、大きい額のプロフィルがみえ、
野兎色の、ラムプの光に仄照らされて、
ラムプの焔[ほのお]の消長[しょうちょう]に、消長につれてゆすれてゐる。

注意

・Tableau Triste(タブロー・トリステ)はフランス語で、「哀しみの画面」を表したもの。タブローはタブロー画のタブローで、キャンパス画などを表し、一方で完成作品の意味もある。

・早大ノートに「悲しき画面」として掲載され、修正されたものが「草稿詩篇(1931-1932)」のノートに収められているようだ、中也全集があれば経緯が分かるのだろうが、あれはお高いので、私は文庫本で中也を全うするのである。

2009/05/01

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