或る夜の幻想 (中原中也)

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或る夜の幻想(1・3)

1 彼女の部屋

彼女には
美しい洋服箪笥[だんす]があつた
その箪笥[たんす]は
かはたれどきの色をしてゐた

彼女には
書物や
其[そ]の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた

  それで洋服箪笥の中は
  本でいつぱいだつた

3 彼 女

野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳[そび]えてゐた。

或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。

それでも彼女は、媚態[びたい]を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりであつた。

  夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
  背中にあつた。

言葉

[かはたれどき]
・「かわたれ時」つまり「彼は誰?の時」の意味。明け方、夕方の、薄暗い時刻を差すが、特に夕方の「たそがれどき」に対して、明け方に使用された。「かれはたそどき」とも。

[媚態(びたい)]
・女が男にこびるようななまめかしい態度。また、人にこびへつらう様。

2010/5/9

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