『大和物語』131段~140段(現代語訳)

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131段 春はただ昨日ばかりを

 先の帝である醍醐天皇の時代、卯月(うづき)[陰暦4月]の一日目に、うぐいすが鳴かない理由を読めと、醍醐天皇が命じるので、源公忠(みなもとのきんただ)が詠むには、

春はたゞ
   昨日ばかりを うぐひすの
 かぎれるごとも 鳴かぬ今日かな
          源公忠(公忠集)

[春はただ
   昨日までであると ウグイスが
     まさか暦を読んで
   鳴かない今日なのでしょうか]

そう詠んだのでした。

132段 弓張月

 同じく醍醐天皇の時、凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)(859?-925?)をお召しになって、月のたいへん美しい夜、管弦などのあそびをなさって、「月を弓張という事があるが、それはどのような心からか。その理由を和歌で詠んでみよ」と言われるので、躬恒は階段の下に控えて、天皇に仰せになるには、

照る月を
  弓はりとしも 言ふことは
    山べをさして 入ればなりけり
          凡河内躬恒

[その照る月を
   弓張月とも言う理由は
     山を狙って 射るような姿で
   沈んでいくからでしょう]

 さらに、歌の褒美に着物を貰って、その着物のことを、

白雲の
  このかたにしも おりゐるは
 天つ風こそ 吹きてきつらし
          凡河内躬恒

[白雲が
   山のこちらの方に下りて見えるのは
  天から風が吹き寄せたからだろう
    そうして白雲のような素敵な着物が
   わたしの肩に下りて来たのは
     天のようなお方のめぐみが、
    風のように吹いて来たからには違いありません]

133段 心のうちは知らねども

 おなじく醍醐天皇が、月が美しいので、密かに妻たちの住むあたりを、散歩なさったとき、源公忠がお供をしていた。ある部屋から、濃い紅色の着物を着た、とても清らかな女が出てきて、ひどく泣き出した。

 天皇が公忠をそばに寄らせて、様子をうかがわさせると、髪を振り乱して大いに泣いている。「どうして泣くのだ」と言っても、答えもしない。天皇もたいへん不思議に思っている様子だった。そこで公忠が、

思ふらむ
   こゝろのうちは 知らねども
 泣くを見るこそ 悲しかりけれ
          源公忠

[思っているであろう
   その心のうちは分らないけれど
  泣くのを見るのこそ
    悲しいものですね]

と詠んだので、天皇もしみじみとこの和歌を褒めたそうである。

134段 あかでのみ

 先の醍醐天皇の時、宮中のある部屋に、可愛らしい少女がいた。それを帝が見止めて、ひそかにお呼びになった。このことを誰にも知られないように、時々お呼びになるのだった。そうして、このように詠んだ。

あかでのみ 経(ふ)ればなるべし
   あはぬ夜も あふ夜も人を
  あはれとぞ思ふ
          醍醐天皇

[飽き足りない思いで過ぎればだろうか
   逢わない夜も逢う夜もお前を
     愛おしく思うよ]

と詠んで差し上げれば、少女の心にも、とても深い思いに感じられたので、我慢出来ないで友達に、「こんな風におっしゃってくださったの」と話してしまったら、少女の主人にあたる御息所(みやすんどころ)[天皇の妻の一人にあたる]の耳に入って、少女を追い出してしまったらしい。ひどいことであった。

135段 くゆる心はありしかど

 三条の右大臣[藤原定方(さねかた)]の娘が、堤の中納言[藤原兼輔(かねすけ)]と逢い始めた頃は、男は内蔵寮(くらりょう)の助(すけ)の役職にあって、宮中に通っていた。女の方は、また逢おうという気持ちになれなかったのだろうか。彼に心を掛けるようにも見えなかった。男もまた、宮中に仕えていたので、常には女のものとには居られなかった頃、けれども女の方から、

焚きものゝ
  くゆる心は ありしかど
 ひとりはたえて 寝られざりけり
          藤原定方の娘 (新拾遺集)

[焚き物にするお香の
   けむりのようなおぼつかない
  後悔のこころはあるけれど
    今は香炉は絶えてしまい
   一人ではねむることも出来ません]

と和歌を贈った。兼輔は和歌の巧みであるので、優れた返歌があっただろうけれど、それは知らないので、ここには書かない。

136段 さわぐなる

(前段に続いて)また男が、「この頃いそがしくて行けません。このように駆け回っている中でも、どうして来ないのだろうと、あなたが思っているかと、限りなく心配しています」と伝えてきたので、女の和歌に、

さわぐなる
  うちにも物は 思ふなり
 我がつれ/”\を なにゝたとへむ
          藤原定方の娘

[いそがしい
   うちにあっても恋しいと 思うものならば
    わたしの持て余すような毎日を
      なんて表現したらよいかしら]

137段 鳴く志賀山は

 志賀の山越を越える道にある「いはえ」という所に、今は亡き兵部卿の宮[陽成天皇第一皇子、元良親王]が、別荘を大変立派にお建てになって、時々いらっしゃった。こっそりここにいらっしゃって、志賀寺に詣でる婦人たちを眺めていることもあった。あたりの様子も素晴らしく、家もとてもすばらしいものだった。

 としこ[藤原千兼の妻]が、志賀寺に詣でるついでに、この家に立ち寄って、景観と別荘を眺めて感じ入り、和歌を書き記した。

かりにのみ
   来る君待つと ふりいでつゝ
 なくしが山は 秋ぞかなしき
          としこ (新勅撰集)

[狩りをするような時だけ
   仮にやってくるだけのあなたを待って
  鹿が鳴くみたいに、声を出して泣いてしまう
    そんな志賀山は、特に秋が悲しく思われます
   まるで恋愛において、飽きが悲しいように]

[全部の意味を記すとくどくなりますが、ここではまとめてしまいましょう。やはり二重の意味をもっていて、ひとつは「としこが飽きられたもと恋人の兵部卿の宮を待つ」という趣向ですが、もうひとつは「としこが今はなき兵部卿の宮をしのぶ」というものです。]

138段 みじかかりける

「こやくしくそ」と呼ばれる男が、女のもとに通って、その後送ってきた、

かくれ沼(ぬ)の
   底のした草 み隠れて
 知られぬ恋は くるしかりけり
          (新千載集 枇杷左大臣の和歌として)

[草に隠れた沼の
   さらに底の水草が 身を隠すような
  相手に知られない恋は 苦しいものですね]

すると女の返し、

み隠れに
  隠るばかりの した草は
    長からじとも 思ほゆるかな
          (新千載集)

[身を水に隠すように
   隠れまくっているような水草では
     身の丈が短いものですから
   恋しさも短いのではないかと
      思われますが]

 この「こやくし」という人は、長さがとても低かったという。

[東歌的な諧謔性を持った段で、表の意味は「沼の下草に隠れるようにする恋は苦しい」「そんな隠れるような恋なんて長く続かない」というものですが、それよりも露骨に現れてくるのは、「あなたのシンボルってちっちゃすぎ」という女性の皮肉、あるいは冗談であるという……大和物語においては珍しい部類の段になっています。
 ただ気になるのは、137段と139段という色好みなる兵部卿の宮のエピソードに挟み込まれている点で、あるいはこれは何か隠された意味が、存在するようにも思われなくもありませんよね……]

139段 芥川てふ津の国の

 先の醍醐天皇の時、承香殿(じょうきょうでん)に住む女御[天皇の妻の一人、ここでは源和子(みなもとのわし・かずこ)]のもとに、「中納言の君」[未詳]と呼ばれる人がお仕えしていた。そこに、今は亡き兵部卿の宮[元良親王]がまだ若く、恋に生きていた頃、承香殿の近くに住んでいたので、趣味の分るような人々がいると聞いて、出向いて話をするのだった。

 そんな頃、この中納言の君と、こっそり共に寝るようになった。時々共寝をしていたが、やがて宮はほとんど訪ねて来なくなってしまった。その頃女が和歌を詠んで贈った。

人をとく
   あくた川てふ 津の国の
 なにはたがはぬ 君にぞありける
          中納言の君 (拾遺集)

[人を早くも飽きたなんて
   芥川(あくたがわ)という
  津の国の難波にある川の
    名前と何も変わらないような
   あなたなのでした]

 こうして、食事も咽を通らず、泣きながら病気のように恋い慕っていたが、ある時、承香殿の前の松に、雪が降り掛っているのを折って、このように和歌を詠んで差し上げた。

来ぬ人を
  まつの葉に降る しら雪の
    消えこそかへれ あはぬ思ひに
          中納言の君 (後撰集)

[来ない人を待ちます
   その松の葉に降る白雪さえも
  溶けて消え去ってしまいそう
     あなたに逢えない
    わたしの思いの火によって]

と詠んで、「けっして、この雪を落とさないで」と使いに言って、松の枝と和歌とを元良親王に贈ったという。

140段 しきかへず

 今は亡き兵部卿の宮[元良親王]が、昇大納言[源昇(みなもとののぼる)]の娘のもとに通っていた頃。いつもの寝床ではなく、廂の間に仮の寝床を設けて、そこで一夜を共にして帰られた後、しばらく訪れないで、「あの廂の間に敷いた寝床は、そのままありますか。それとも片づけてしまいましたか」と尋ねてきたので、その返事に、

敷きかへず
   ありしながらに 草枕
 塵(ちり)のみぞゐる はらふ人なみ
          源昇の娘

[敷き替えもせずに
   あの日のままに 草の枕には
  塵(ちり)ばかりが溜まっていくようです
    あなたがいなくては 払う人もいないので]

すると返歌に、

草枕
  塵はらひには からころも
    たもとゆたかに 裁つを待てかし
          元良親王

[草の枕の
   塵を払うのは わたしが唐風の
     袖を立派に 仕立ててあなたのもとへ
  行くまでまっていてくださいな]

とあったので、また女から、

からころも
  裁つを待つ間の ほどこそは
    我がしきたへの 塵もつもらめ
          源昇の娘

[あなたが唐風の
   着物を仕立てる あいだにはきっと
  わたしの敷きかえずにいる
    寝床の塵もつもってしまうでしょうね]

と返されたので、元良親王は女の元にやって来きたのだった。
 また別の時に、「宇治に狩りをしに行く」という親王への返事として、

み狩する
  栗駒山(くりこまやま)の 鹿よりも
 ひとり寝(ぬ)る身ぞ わびしかりける
          源昇の娘

[狩をするときの
   栗駒山の鹿の身の上よりも
  ひとりで寝ている
    わたしの身の上の方が
      わびしい命ではないかしら]

[ようやく気がついたことですが、この兵部卿の宮、90段106段107段やこのあたりの段の「色好み」のヒーロー的な意味のほかに、137段の別荘から婦人たちを眺めるとか、わざわざかわったところで一夜を共にするこの段のエピソードなど、具体的な性向が描かれてもいるようです。あるいは138段もその関連かも知れません。ただ、それが必ずしもゴシップ的であるというよりは、誰でもあるくらいのそれぞれの性向を、彼においては具体的に描いているというような印象で、つまり作者にとってより近い、思い入れの深い人物であったような気配はします。
 ただ、平中の扱い方を見てみると、そうではなくて、この兵部卿の宮においても、当時知られたまとまった物語があって、それを参照したということなのかも知れませんが、当然ながらわたしには分りかねます。はい。]

2018/02/02
2018/11/23 改訂

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