「さねとうの少弐(しょうに)」[未詳]と呼ばれた人の娘。その娘のもとに通っていた男が、
笛竹の
ひと夜も君と 寝ぬ時は
ちぐさの声に 音(ね)こそ泣かるれ
[竹で作った笛の
ひと節(よ)くらいわずかな間には過ぎませんが
そんなひと夜でも あなたと一緒に寝られないときは
まるで笛のように あらゆる悲しみで
声に出して泣いてしまうのです]
といえば女の返し。
ちゞの音は 言葉の吹きか
笛竹の こちくの声も
聞えこなくに
[悲しみの響きは こころではなく
言葉を巧みに うそぶいているだけでしょうか
竹で作った笛がまるで 「こちらに来る」といって鳴るのさえ
聞こえてこないというのに]
としこ[藤原千兼(ふじわらのちかぬ)の妻]が、志賀寺にお参りをした時、増喜君(ぞうきぎみ)[歌人で『増基法師集』(「いほぬし」とも)という家集がある増基法師と同一人物か不明]という僧と逢って、一夜を共にした。橋殿[池や切り立ちに、橋のように土台を立てて、その上に建物を作ったもの]部屋をとって、さまざまなことを約束しあった。いまはとしこは、帰ろうとする時、増喜のところから、
あひ見ては
別るゝことの なかりせば
かつ/”\ものは 思はざらまし
増喜法師 (後撰集・よみ人知らず)
[互いに顔を合せて
別れることさえ ないのなら
あれやらこれやら物思いは
しないですむのだけれど]
としこの返し。
いかなれば
かつ/”\ものを 思ふらむ
名残もなくぞ われは悲しき
としこ (新続古今集)
[どうやったら
あれとか、これくらいの
散漫な物思いが出来るのかしら
「かつがつ」なんてゆとりもないくらい
わたしは一心に悲しんでいるというのに]
おなじ増喜法師が、誰に贈った和歌だか、
草の葉に
かゝれる露の 身なればや
こゝろ動くに 涙おつらむ
増喜法師
[草の葉に掛る露が
少し動くだけでこぼれるような
そんなわたしだからでしょうか
あなたへの思いが揺れるだけで
涙がこぼれてきます]
本院の北の方[藤原時平(ときひら)の妻]が、まだ帥(そち)の大納言[藤原国経(くにつね)]の妻であった頃、平中こと平定文(たいらのさだふん)が差し上げた和歌。
春の野に
みどりにはへる さねかづら
わが君ざねと 頼むいかにぞ
平定文
[「ざね」というのは中心となるものを、最重要なものを指す言葉で、すべての君(恋人)の中心としての正妻、あるいはそうでなくても、最も大切な女性を指すようです。サネカズラは葉が緑に映える、常緑のつる性低木で、「さ寝」と掛け合わされて、男女の恋の営みに掛け合わされています。
同時に、つややかで艶やかな葉の印象が、相手の女性に委ねられてもいるようで、まるで春の野にひときわ鮮やかなサネカズラのような、あなたのことをわたしの正妻としたいのですが、どうですか、という内容です。]
そのように和歌を交わして、ひと夜を共にすることがあった。その後、彼女が藤原時平(ときひら)の妻となって、世間でもてはやされていた頃、また平定文から。
ゆくすゑの 宿世(すくせ)も知らず
わがむかし 契りしことは
おもほゆや君
平定文
[二首目は『大和物語』ではおなじみの?手法で、一首目の返歌をスルーして、代わりに時間軸を進め、別の贈答歌を提示していますが、やはり返歌は置かれません。内容は分りやすいもので、「まだこのような、立派な方の妻になるとも知らなかったあの頃、わたしが約束した和歌のことは、今でも思い出したりしますか」というものです。]
それに対する返歌も、前後の贈答歌も多くあったが、それは今は知れない。
泉の大将[藤原定国(さだくに)、三条右大臣定方の兄]が、左大臣である藤原時平の屋敷に訪れた。よそで酒を呑んで、酔っていて、夜も更けた頃、思いがけなく訪れたのだった。左大臣は驚いて、「どこへ出かけたついでであろうか」と言われながら、戸を騒がしく開けると、壬生忠岑(みぶのただみね)[[古今集の撰者の一人で有名な歌人]]が、定国のお供に控えていた。階段の下に松を灯しながら、ひざまずいて挨拶をする。
かさゝぎの
わたせる橋の 霜の上を
夜半に踏み分け ことさらにこそ
壬生忠岑
[かささぎの
渡す橋の霜の上などと詠まれる
高貴なお方への橋を 夜半に踏み越えて
(どこかへ出かけたついでではなく)
ことさらあなたの所にこそ
やってきたのです]
屋敷の主人である大臣は、その様子を趣深いことだと感じて、その夜一夜、お酒を共にし、管弦の遊びをし、泉の大将にも授け物をし、壬生忠岑にも褒美を与えたのだった。
そんな、壬生忠岑には娘があって、ある男が「嫁に欲しい」と言うので、忠岑は「大変良い話だ」と答えたが、その男が「あの結婚お話ですが、そろそろいかがでしょうか」と言ってきた返事に、
わが宿の
ひとむらすゝき うらわかみ
むすび時には まだしかりけり
壬生忠岑
[わたしの家の
ひと群れのススキは まだ若いので
結ばれるべき時には まだ早いようです]
と詠んだ。ほんとうにまだ、小さい娘に過ぎなかったのである。
筑紫(つくし)地方に住んでいた「檜垣の御(ひがきのご)」という遊女は、物事に通じた人で、世間を達者に渡ってきた。長い間そのように暮してきたが、純友の乱の巻き添えを食って、家も焼け果て、家財もみな奪われ、惨めな生活に落ちぶれていた。
そうとも知らず、追討に任じられた小野好古(おののよしふる)が、彼女が住んでいたであろう所を探して、「檜垣の御という人に、どうにかして会いたいのだけれど、どこに住んでいるのだろうか」と尋ねると、「このあたりに住んでいたのですが」とお供の者も答えるのだった。
「可哀想に、このような騒乱でどうなってしまったろうか。訪ねてやりたいが」などと言っていると、髪の毛の白いお婆さんが、水を汲んでは、前を通って、みすぼらしい家に入っていく。ある人が、「あれが檜垣の御ですよ」と言うのだった。
たいへん気の毒に思って、呼ばせるが恥じ入って出てこない。ただこのように和歌を贈ってきた。
むばたまの わが黒髪は
白川の みづはくむまで
なにりけるかな
檜垣の御(後撰集)
[ぬばたまと称えられるような
わたしの真っ黒な髪の毛は
白く変わり、今では九州は白川の
水を汲むような姿に
成り果ててしまいました]
[「みづはくむ」には「みづ歯ぐむ」という、老人の抜けた歯の状態を掛詞]
と返答があったので、小野好古は、哀れに思って着ていた「あこめ」の着物を脱ぎ与えたのだった。
その檜垣の御が、太宰府の大弐(だいに)の館で、秋の紅葉の和歌を詠めと言われた時、
鹿の音は
いくらばかりの くれなゐぞ
ふりいづるからに 山の染むらむ
[鹿の鳴く声は
どれほどの紅色なのでしょうか
声が振り出されるたびに
山が紅葉に染まっていくようです]
また檜垣の御に、歌好き達が集まって、わざとむずかしい上の句を持ち出して、下の句を詠ませようとした時に、
わたつみの
なかにぞ立てる さを鹿は
[大海の
中に立っている さ牡鹿は]
といって、下の句を詠ませる時に、
秋の山べや そこに見ゆらむ
[秋の色づいた山辺が「そこ」には見えるのでしょうか]
と詠んだのだった。
[あるいは、海の中の鹿という意地悪な上の句は、それを虚偽と捉えたら、負けという仕組みなのではないだろうか。例えば屏風の絵でしたなんてオチでは、その程度ですねと言われてしまうには違いありません。かといって、中に立って見えるのは紅葉の島山でしたと答えれば、それでは「わたつみのなかにぞ」とは言えないのでは無いか。
とつまり、はなから身分の下の物を試してやる気満々で、待ち構えている貴族たちを前にした、即興の切り返しの妙として捉えないと、この段の読み手の素晴らしさは見えてきません。
つまり「そこに見ゆらむ」の「そこ」には「その場所」と「水の底」が掛け合わされている訳ですが、これによってただ海の先の陸に立っていた鹿が、海原の中に立っているように見えたとも、実際に「海の中に」反転して立っているようにも捉えられる。
このような「試してやる」精神は、もちろんただの糾弾ではなく、和歌の精神の土壌の上に行われるものです。それで、相手の出方によって「わたつみのなか」の「なか」の部分でやり込めようとしたのを見事に潰されたところに、ダイナミックなリリシズムでもって「秋の山辺がそこに見える」と、まるではじめから、「海と秋山の紅葉と鹿」の取り合わせを考慮して上句から詠まれたような和歌を出されたので、貴族たちは感心してしまった。というのがこの段の趣旨かと思われます。]
その檜垣の御かどうかは分らないが、筑紫にいた女が、京の男に、
人を待つ
宿は暗くぞ なりにける
契りし月の うちに見えねば
(新後拾遺集 監の命婦の和歌として)
[あなたを待つ
家は暗くなって しまいました
約束した月の うちに現れないものですから]
これも筑紫にいた女。
秋風の
こゝろやつらき 花すゝき
吹きくるかたを まづそむくらむ
[秋風の
こころが辛いからでしょうか
花すすきが 風の吹いてくる方から
まずは顔を背けてしまうようです]
2018/01/31
2018/11/21 改訂