『大和物語』101段~110段(現代語訳)

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101段 後に逢はむと契りける

 おなじ藤原季縄(すえなわ)の少将が、病に伏せって、少し快方に向かったとき、宮中にやってきた。それは、近江(おうみ)の守(かみ)である源公忠(みなもとのきんただ)(889-948)が、まだ掃部(かもん)という役職の次官であり、蔵人(くろうど)[天皇の秘書的組織]でもあった頃のことだった。その源公忠に逢って、藤原季縄が、

「まだ乱れた気分が直りきっていませんが、ふさぎ込んでしまうのと、仕事が心配なのでこうして参上しました。これからの事はともかく、ともかくまずは出勤してみたまでのこと、今日はこれで退出して、あさって頃には正式に出勤しましょう。そのように、よく天皇にお伝えください」

と言って、宮中から帰っていった。その三日ほど後に、彼のもとから手紙が届けられたのを見れば、

くやしくぞ
  のちにあはむと 契りける
    今日をかぎりと 言はましものを
          藤原季縄 (新古今集)

[無念なことに
   後に逢おうと 約束しました
     今日で最後だと 言うべきだったのに……]

とだけ書かれていた。

 驚いて、涙ながらに使いの者に、「どのような様子か」と問えば、使いは「たいへん弱ってしまいました」と言って、泣き出してしまい、それ以上は何も聞き出せない。「自分で行こう」といって、自宅から牛車を取り寄せて、待つ間もそわそわして落ち着かない。近衛府の門まで出て待って、車に乗って走らせる。

 五条にある少将の家に着いてみれば、ひどく騒がしい様子だが、門は閉ざされている。少将が死んだのだった。彼のことを尋ねても、取り合ってさえくれない。ひどく悲しくなって、涙ながらに帰宅するのだった。

 このような顛末を、一通りお伝えすると、帝(みかど)もたいそう哀れな気持ちにとらわれたという。

102段 心細しや今日の別れは

 土佐の守であった、酒井人真(さかいのひとざね)[古今集に和歌あり]という人が、病気で弱って鳥羽[京都市伏見区]にある家に行くときに、

ゆく人は
  そのかみ来むと いふものを
 こゝろ細しや 今日の別れは
          酒井人真

[旅立つ人は
   ほどなく帰ってくると 言うものですが
 (今の私にはそんな言葉は言えなくて)
    ただ心細いばかりです
      今日の別れは]

103段 天の川空なるものと聞きしかど

 平中(へいちゅう)こと平定文(たいらのさだふん)(?-923)が、恋を求める男であった盛りに、都の市に出向いた。その当時は身分のある人も市に出かけて、恋人を求めたりもしたのである。そこに、宇多天皇の皇后温子に仕える婦人達がいたので、平中は恋を求めて、熱烈に言い寄るのだった。

 さらに、文を書いて言い寄ったが、婦人達は「車に乗っている女性は何人もいるものを、この手紙にある女性は、誰を指したものでしょう」と訊ねさせたので、平中の返事に、

もゝしきの
   たもとの数は 見しかども
 わきて思ひの 色ぞ恋しき
          平定文 (続後撰集)

[宮中の婦人の
   沢山のたもとの数を 見ましたが
     なかでも「思ひ」に掛る
   緋色(ひいろ)を着ていた
     あなたが恋しいよ]

[つまり「ももしき」に宮中と、幾重ものの意味を、
「思ひの色」に「緋色」を重ね合わせて詠んでいる。
すぐれた掛詞とは両方の意味を、
絡ませて聞かせるような技法だから。]

 相手の女性は、武蔵の守の娘だった。彼女は色の濃い緋色[深い紅色、スカーレット]の「かいねり」[絹織物の一種]を着ていたのであった。それをと願ったのである。

 これによって、その娘はあとで返事をして、平中と恋仲になった。彼女は、容姿端麗で髪も長く、若くて美しかったので、多くの人が恋心を抱いたが、志が高くて、男を作らないで過ごしてきた。しかし、あまり熱烈なので、平中と逢ったのであった。




 すると平定文は、ひと夜を共にした次の朝になっても、夜になっても音沙汰が無かった。心の晴れないまま相手を思いわずらって、翌日こそはと思っても手紙も寄こさない。夜になればと待っていたけれど来ない。朝になれば使用人たちが、

「本当に浮気だと言われる通りの男です。散々言い寄ってようやく逢っておきながら、たとえ差し支えのあるような用事があったとしても、手紙さえくださらないとは。嫌になるようなことです」

などと言い合っている。心で思っていることを、使用人らが言ったので、憂鬱で悔しい気持ちに囚われて、女は泣くのだった。

 その夜も、もしかしたらと思って待つが、やはり来ない。次の日になっても手紙も寄こさない。まったく音沙汰もないまま5日6日が過ぎてしまった。女はもはや泣いてばかりで、何も食べないので、仕える人などは、

「そのように思い詰めないでください。これくらいで男をあきらめるような身の上でもありません。誰にも知られないように、彼とのことは止めにして、別の恋をまた見つけてください」

と言うのだった。

 しかし彼女は、ものも言わずに部屋に籠もってしまい、使える人すら知らないうちに、たいへん長かった髪を掻き切って、自分の手で尼になってしまったのであった。使用人らが集まって嘆いたが、いまさらどうしようもない。彼女は、

「このような情けない身の上であれば、死んだ方がと思うけれど死にきれず、せめてこの姿になって、仏道に励もうと思います。そのようにやかましく、皆騒ぎ立てないでください」

と言うのだった。




 このようになってしまった訳は、平中の方は、二人の逢った翌朝早く、彼女に使いをやろうと思っていると、務めている役所の長官が、急にあるところに出発するからと立ち寄って、まだ半ば寄りかかって眠っているくらいのところを、せき立てて起こして、「いつまで寝ているんだ」と言って引っ張り出す。

 それで用事ではなく、あそび歩くのに付き合わされ、酒を呑んでさわぐ宴へと続いて、いつまでも帰してくれない。ようやく家に帰り着くと、亭子院[宇多もと天皇]のお供に大井川へと出向かなければならない。そこでも2夜付き合わされて、大いに酔いつぶるのだった。

 夜も更けて帰られるというので、今度こそ女のもとに行こうとすると、方塞がり(かたふたがり)[陰陽道でそちらの方向には行ってはならない]のために、ほとんど皆別の方角のあるところへ、一泊するために院の人々が一緒に向かうので、従わざるを得なかった。




 あの女は、どれほど心細く、疑わしく思っているだろうと思えば、恋しさが募るので、今日ははやく日が暮れないか、行ってこれらの出来事も、自ら説明しよう。その前に、手紙もやろう、と酔いも冷めて考えていると、誰かが来て門を打ちたたく。「誰か」と訊ねれば、「尉の君(ぞうのきみ)[平中を役職で呼んだもの]に伝えることがあります」という。覗いてみれば、彼女の家の召使いの女だった。

 胸の潰れる思いがして、「こっちへ来なさい」といって、渡された彼女の手紙を開けてみれば、たいへん良い香りのする紙に、切り落とされた髪の毛を、すこし輪のようにして包んであった。不安な気持ちに囚われて、書いてあることを見れば、

あまの川
   空なるものと 聞きしかど
 わが目のまへの なみだなりけり

[天の川は
   空にあるものと 聞いていましたが
  私の目からこぼれ落ちる
    涙のせいでそう見えていたのですね]

[「尼になる」の意味を「天の川に」込める。これは「天の川」から、当時の人が「尼」を連想した、というほど和歌的生活をおくっていたからではなく、手紙が届けられたときに、切った髪の毛が包まれていたので、それと合せて理解される掛詞になっている。]

と記されていた。

 尼になってしまったことを知って、目の前が真っ暗になった。うろたえるようにこの使いに尋ねれば、

「すでに髪を下ろしてしまいました。それで屋敷の婦人達も、昨日今日と、たいへん泣き戸惑っていらっしゃいます。わたしのような使用人でも、たいへん胸が痛みます。あれほど長く立派だった髪の毛を……」

と言葉半ばに泣くので、平中は胸が潰れるような思いだった。「なんで、うれしいはずの恋求めをして、このようなむなしい目に遭わなければならないのか」と思って見てもなんの甲斐もない。嘆きながらも返事をするには、

世をわぶる
   なみだ流れて はやくとも
  あまの川には さやはなるべき
          平定文

[世の中を辛いと思う
   涙がどれほど早く流れても
  (あるいはそれは間違いかも知れない)
 天の川のように、
   すぐになって良いものでしょうか]

「おどろきあきれて、何も言えません。ともかく自分でそちらに出向きますから」と手紙にしたためて、自ら出向くのだった。




 その時、女は塗籠(ぬりごめ)[明かり取りと扉だけの納屋のような部屋]に籠もっていた。平中はこれまでのいきさつを、使用人らに伝えて、嘆くことこの上もない。閉ざされた扉に、「せめてお話だけでもしたい。声だけでも聞かせてくれ」と言うけれども、返事すらない。「やむを得ない事情を知らないばかりに、相手をいたわって嘘を言うのかと思っているのだろうか」と思って、平中はこれを「世にいみじきこと」にしたという。

[最後の一文はけっこう複雑な意味を込めている様子。「いみじ」は「はなはだしい」「並でない」で、良い方には「すばらしい」、悪い方には「悲惨な」などに訳される。それで「とりわけ切ないこと、とりわけ辛いこと」などと現代語訳されるが、「世にいみじきことにしける」という調子には、どうも「極端すぎる恋物語ではあった」とか、「悲劇の失恋と美化して酔いしれた」とか、「たぐいまれなる恋の武勇伝であった」とか、平中の独善かつ無責任主義な、「色好み」的なニュアンスが込められているようにも感じられる。]

104段 消えばともにと契りおきてき

 藤原滋幹(しげもと)の少将に女が、

恋しさに
   死ぬるいのちを 思ひいでゝ
 問ふ人あらば なしとこたへよ
          (新古今集)

[恋しさのために
   死んだこの命を 思い出して
  尋ねる人があったら
     もう居ませんと答えてください
   (すでに死んだのですから)]

 少将の返しに、

からにだに
   われ来たりてへ 露の身の
  消えばともにと 契りおきてき
          藤原滋幹

[それならせめて亡骸に
   私が来たとお伝えください
     露のようなはかない命が
  消えるときは一緒だと
    約束しておいたのですから]

105段 うたて鳴きつるうぐひすの声

 平中興(たいらのなかき)の娘が、悪霊に取り憑かれて、浄蔵(じょうぞう)[62段に登場した、加持祈祷に優れた天台宗の僧]という高僧に加持祈祷をして貰ううちに、人々が何かと噂をした。通常の関係に見えなかったからである。人目を忍んで会い続けて、他人の噂なども不愉快なものがあった。「これ以上は世の中にいられない」と思い煩って、浄蔵は世を去ったのであった。

 鞍馬山に籠もって、厳しい仏教の修行をしていたが、さすがに女性のことが恋しく思えて、みやこに想いをやりながら、あらゆることを感傷的に感じながら、修行を続けていた。

 ある時、悲しくて伏せり泣いていると、すぐそばに手紙があるのが見えた。「なぜこんなところに手紙が」と思って、取って読んでみると、自分が思う相手からの手紙だった。そこに書いてあることは、

すみぞめの
  鞍馬の山に 入(い)る人は
    たどる/”\も かへり来なゝむ
          平中興の娘 (後撰集)

[墨に染められた暗闇の
   鞍馬の山に入っていった
     墨染めの僧衣を着た人が
  闇の中を手探りするようしながらでもいいから
    戻ってくれたらよいのに]

と記されていた。不思議なことで、「誰によって寄こしたのだろう」と思った。持ってこれる伝(つて)があるとも思えず、あまりにも不可解なので、ついひとりで女のもとに惑いながら行ってしまったのである。

 さて、その後また、山に戻っていった後で、女のところに、

からくして
   思ひわするゝ 恋しさを
 うたて鳴きつる うぐひすの声
          浄蔵

[辛い思いをしながら
   忘れたはずの 恋しさを
  ひどく思い起こさせるような
    うぐいすの声がします]

と和歌を贈った。女からの返し、

さても君
   わすれけりしか うぐひすの
 鳴くをりのみや 思ひいづべき
          平中興の娘

[それではあなたは
   忘れていたのですか うぐいすが
  声に出して鳴いたときだけ
    思い出すだなんて]

また、別の時には浄蔵は、

わがために
  つらき人をば おきながら
    なにの罪なき 世をや恨みむ
          浄蔵 (詞花集)

[ただ私だけを
   苦しめるあなたを 差し置いて
  どうして罪のない 世の中を恨むでしょうか
    (わたしの恨みのこころはすべて
       結局はあなたのことなのです)]

とも詠んだ。女は親から大切に育てられ、貴族達が言い寄っても、帝の妻にするつもりで、会わせないほどだったが、このことがあって、見捨てられてしまったとか。

[この段の物語には、どうして届けられたか分らない手紙、という不可解の要素が故意に込められていて、119段の不可解の要素と呼応しているようにも思われなくもない。]

106段 風にうつりてつらき心を

 今は亡き兵部卿の宮[陽成天皇第1皇子の元良親王]が、この平中興(たいらのなかき)の娘が、まだこのような事件を起こす前、求婚して、

荻の葉の
   そよぐごとにぞ 恨みつる
  風にうつりて つらきこゝろを
          元良親王

[荻の葉が
   そよぐたびに 恨みに思います
  風向きの変わるみたいな
     あなたのつれない心を]

と詠んだ。またおなじ宮が、

あさくこそ ひとは見るらめ
   関川の 絶ゆる心は
  あらじとぞ思ふ
          元良親王 (新勅撰集)

[浅いものだと 人は見るのでしょうが
   関川の水が 決して絶えないように
     あなたへの思いが絶えることなど
   決してないのですから]

とも詠めば、女の返し、

関川の
  岩間をくゞる みづ浅み
    絶えぬべくのみ 見ゆる心を
          平中興の娘 (新勅撰集)

[関川の岩間をくぐる水は
   あまりにも浅いものですから
     わたしには絶えてしまうようにばかり
   見えるようなあなたの心です]

 このように言い寄っても、女が逢ってくれないので、月の明るい夜、親王がまた出向いて、

夜な/\に
  いづと見しかど はかなくて
    入りにし月と いひてやみなむ
          元良親王

[夜が来るたびに
   あなたのもとへ出かけては
     そこにいることだけは見ましたが
  はかなく頼りないひかりのよう
    やがて月が水平線に隠れたと
      つぶやいては帰るようなわたしです
  (やがては満ちるときが来るのでしょうか)]

と詠んだ。しかし、あるとき親王が扇を落としたのを、拾って眺めると、自分の知らない女の手で、

忘らるゝ
  身はわれからの あやまちに
    なしてだにこそ 君を恨みね

[忘れられた
   この身はわたし自身の あの惨めな
  生き物みたいな いたらなさからなのだと
     そう思っていますから
       あなたのことは恨みません]

と書いてあったので、平中興の娘は、その横に、

ゆゝしくも おもほゆるかな
   人ごとに うとまれにける
  世にこそありけれ
          平中興の娘

[不吉なことに 思われるものです
   あなたにとっての恋は 愛する女性ごとに
  やがてはうとましく思うことを
    示しているようですから]

と書いて親王に送ったという。また別の時には、

忘らるゝ
   ときはの山の 音をぞなく
  秋野の虫の 声にみだれて
          平中興の娘

[ときわ山の常緑樹が
   秋には紅葉にならないといって 忘れられるように
  わたしは飽きられた 秋の野の虫のように
    あなたのために 声に乱れて泣いているのです]

すると元良親王の返し、

なくなれど
   おぼつかなくぞ おもほゆる
  声聞くことの 今はなければ
          元良親王

[泣くと聞いても
   おぼつかなく思われます
     すっかり逢わなくなってしまい
  その声を聞くことすら
    いまはないのですから]

またおなじ親王が、

雲居にて よをふるころは
  さみだれの あめのしたにぞ
    生けるかひなき
          元良親王

[宮中に 夜ごと夜ごとに過ごすこの頃は
   五月雨の雨のように 心は乱れて
     あなたがいない空の下
  生きる甲斐もありません]

と詠めば、女の返事、

ふればこそ
  声も雲居に 聞えけめ
    いとゞはるけき こゝちのみして
          平中興の娘

[声を上げて
   泣き続けて時を過ごすからこそ
     ようやくその声が宮中に聞こえるのでしょう
  そんな遠くのあなたが
    まるで雲の上の人のような
      はるかな心細さがつのります]

107段 願ふばかりになりぬれば

 おなじ兵部卿の宮に、別の女が贈った和歌。

あふことの
  願ふばかりに なりぬれば
    たゞにかへしゝ 時ぞ恋しき

[逢うことも
   こちらから祈るばかりに なってしまいました
  はじめの頃 寝もせずにそのまま返した
    あの頃に戻れたならば……]

108段 とこなつ

 南院の今君と呼ばれる女性は、右京の大夫の役職にある源宗于(みなもとのむねゆき)の娘である。彼女は太政大臣の娘である「内侍(ないし)の監(かん)の君」にお仕えしていた。

 そこに兵衛の監(かん)の君[藤原師尹(ふじわらのもろただ)]が、「あや君」と呼ばれていた頃、彼女の部屋にしばしば通っていたが、やがて来ることがなくなってしまったので、常夏(とこなつ)[=撫子・なでしこ]の枯れたことに掛けて、詠んだ和歌。

かりそめに
  君がふし見し 常夏の
    ねもかれにしを いかで咲きけむ
          源宗于の娘

[ほんのひと時
   あなたが私と床を共にして
     伏しながら眺めた なでしこの
   根も枯れてしまい
 あなたも寐なくなってしまったのに
   あなたへの思いだけが咲いたのはなぜ?
  あの頃はどうやって咲いていたのでしょうか]

[この段は和歌にある「君(きみ)」でリズムを取っている。これほど短いうちに6回も登場するうえに、おなじ「監の君」が二回使用され、「いま君」「あや君」は呼応関係にあり、和歌まで含めた全体が、詩であるように作用する要因となっている。大和物語の散文方針の、分りやすい例のひとつに過ぎない。]

109段 うしとや消えにけむ

 おなじ源宗于の娘が、源巨城(みなもとのおおおき)[=源宗城(みなもとのむねざね)]から以前借りた牛を借りようとしたら、「お貸ししたあの牛は死にました」と言われたので、その返事に、

わが乗りし
  ことをうしとや 消えにけむ
    草にかゝれる 露のいのちは
          源宗于の娘 (後撰集)

[わたしが乗った
   ことが憂うつで 消えてしまったのでしょうか
  草を頼りにする 露のようなはかない命は]

100段 年のふるにも袖は濡れけり

 おなじ源宗于の娘が、ある人に、

大空は
  曇らずながら かんな月
    年のふるにも 袖はぬれけり
          源宗于の娘

[大空は
   曇っていないというのに この十月
     (まるでこの時期に降る時雨のよう)
  年月は流れても あなたへの思いから
    わたしの袖は涙で濡れているのです]

[かつて30-34段が源宗于をメインに置かれているが、ここではその娘が3段ならべられている。]

2018/01/26
2018/11/08 改訂

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