『大和物語』081段~090段(現代語訳)

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081段 頼めし人はありと聞く

 季縄の少将[藤原季縄(すえなわ・すえただ)。交野少将(かたののしょうしょう)とも]の娘である右近(うこん)[百人一首「忘らるる身をば思はず」で知られる女流歌人]が、今は亡き藤原穏子(おんし)[醍醐天皇の妻。923年に中宮]の宮に仕えていた頃、権中納言の君[藤原時平の息子、敦忠(あつただ)]が右近のもとに通っていた。約束などを交わす中だったのに、右近が宮中に出ることがなくなって、里に戻ってしまうと、訪ねてくることがなくなってしまった。

 宮中の人が来たときに、右近が「どうですか、彼は参内されていますか」と聞くと、「常に参内されてます」と言うので、彼に手紙を差し上げる時に、

忘れじと
   たのめし人は ありと聞く
 いひしことの葉 いづちいにけむ
          右近  (後撰集)

[忘れないと言って
   頼みに思わせたあなたは 居ると聞きましたが
  それなら「忘れない」という言葉は
    どこに行ってしまったのでしょうか]

082段 かりにはあはじ

 その右近のもとに、その後も権中納言の君が便りもしないで、やがて雉(きじ)[「来じ」つまり「行かない」を掛ける]を贈ってきたので、その返事に、

栗駒(くりこま)の
  山に朝たつ 雉よりも
 かりにはあはじと 思ひしものを
          右近

[栗駒山に
   朝飛び立つ雉が 狩に遭わないようにと
  用心するよりももっと かりそめには逢わないようにと
    思っていたはずだったのに……]

[栗駒山は今の宇治市にあった狩り場の山で、そこを飛び立つ雉よりも注意深く、かりそめの恋などはしないと思っていたのに、結局はそれをしたために、こうして相手の不実にあっているという内容。「かりにはあはじ」は、「女狩り」のイメージも込められていて、色好みのターゲットにされてしまったという印象。結句からは、反省や批難ではなくむしろ、けれどもあなただったから、しかたないか、くらいの思いがにじみでるか。]

083段 わが守る床

 その右近が、宮中に仕えて一室に住んでいた時に、しのんで通ってくる人があった。その人は蔵人頭(くろうどのとう)[天皇の秘書的役割。ここでは藤原敦忠か藤原師輔を指すか]だったので、常に殿上(てんじょう)に出仕していた。

 ある雨の降る夜。右近の部屋の、蔀(しとみ)[車の後ろ荷物置き場(トランク)みたいに上に持ち上がるタイプの格子戸]の向こうに彼が立ち寄ったのも知らずに、右近は雨漏りがするので、筵(むしろ)[広義には敷物を指すが、ここでは蒲団の上に敷かれたものか]を裏返そうとして、

おもふ人
  雨と降りくる ものならば
 わがもる床は かへさゞらまし
          右近

[愛する人が
   雨となって降ってくるならば
  雨漏りの床だって
    返したりはしないものを]

[ふたりの寝床を敷きかえたり、移したりすると、恋人が来なくなってしまうという俗信にもとづくもの。印象としては、鼻歌で詠いながら蒲団を敷きかえるような場景で、和歌もなんだか当時の流行歌が和歌になったかのような、ちょっと歌詞っぽい感じがする。]

とつぶやくので、情が湧いてきて、彼はふと部屋に入っていった。

084段 誓ひてし人の命

 また右近が、「忘れないよ」と、あらゆることを誓った男が、結局自分を忘れてしまった時に送った和歌。

忘らるゝ 身をば思はず
  ちかひてし 人のいのちの
    惜しくもあるかな
          右近 (拾遺集)(小倉百人一首)

[忘れられてしまう 我が身を思ったりはしません
   ただ約束を破って 罰を受けるべきあなたの命が
     惜しく思われるばかりです]

[和歌だけとしては、「誓いを破ったあなたの命が滅びるのが残念です」という解釈も、「忘れられてもなおあなたの身の上だけが心配です」という解釈も成り立つ。ただ『大和物語』の作者の意図は明白で、右近の段はひたむきな愛情よりも、着想と機知にもとづく和歌への関心と、勝ち気な女性の恋の蜜月ではないシチュエーションで語られていて、ここではまさに、着想のユニークさが心情の表現と融合したはじめの意図で、採用されたものと考えられる。]

085段 むなしき名をば立つべしや君

 おなじ右近が、桃園の宰相[藤原忠平の子、藤原師氏(もろうじ)(913-70)]が右近のもとに通っている、などと噂が広がったとき、それは事実ではなかったので、宰相に詠んで贈った和歌。

よし思へ
  海女(あま)のひろはぬ うつせ貝
 むなしき名をば 立つべしや君
          右近

[よしそれなら いっそ愛してくださいな
   海女さえも拾わない 中身がからっぽの貝殻のような
     むなしい噂だけの浮き名を
   立たせて置いてよいのかしらね あなたは]

[与謝野晶子が浮かんできそうな和歌で、空っぽの噂なんかにしておかないで、いっそのこと愛してくださいという内容。これが冗談なのか、真剣なのか、二人の関係が気になる所だが、このエピソードだけで分ったら、むしろ変人かと思われる。ただ、続く段との関連では、真摯な想いとして取れるもので、この右近の一連の段は、続く前後の段の関連で、印象が差し替えられることの解説をするのが、たやすい段ではある様子。すると、84段もはじめから両方の意味を掛け合わせた段として、構築されたということになるか。]

086段 若菜

 正月のはじめに、大納言[=藤原顕忠(あきただ)]の屋敷に平兼盛(たいらのかねもり)が参上した時に、話のさなかに何気なく、「和歌を詠んで」と言われたので、

今日よりは
  荻のやけ原 かき分けて
    若菜摘みにと 誰(たれ)をさそはむ
          平兼盛 (後撰集)

[春になった今日からは
   荻を焼いた野原をかき分けて
     若菜を摘みに行こうと
   誰を誘おうか]

と詠むと、大納言は感心して、

かた岡に わらびもえずは
  たづねつゝ こゝろやりにや
    若菜つまゝし
          藤原顕忠

と返答した。

[岡の反対側に
   ワラビの芽が出ていなかったら
     あなたを尋ねながら
  気晴らしに 若菜を摘もうか]

087段 雪のまにまに深くなるらむ

 但馬国(たじまのくに)[兵庫県北部]に出向いていた兵庫允(ひょうごのじょう)[兵器など軍事関連の役職のひとつ]であった男が、その国で妻とした女を置いて、京(みやこ)にのぼってしまったので、雪の降る時に女が詠んで寄こした。

山里に
  われをとゞめて わかれ路の
    ゆきのまに/\ 深くなるらむ

[山里に
   わたしを残して 分かれてゆく道が
     あなたが去って行くにしたがって
   降りつのる雪の深くなるように
     二人の思いの距離もまた
       深く埋もれてしまうのでしょうか]

と詠んだのに、男の返し、

山里に
  かよふこゝろも 絶えぬべし
    ゆくもとまるも こゝろぼそさに

[山里へと
   互いを思うこころまで 絶えてしまいそうです
     行くわたしも とどまるあなたも
   あまりの心細さに]

088段 むろのこほりにゆく人は

 そのおなじ男が、紀国(きのくに)[和歌山県]に下る時に、寒いといって、着物を取りに使いを寄こしたので、女が、

紀の国の
   むろのこほりに ゆく人は
 風の寒さも 思ひ知られじ

[温暖な紀の国の
   室内を思わせるような
    「むろの郡(こおり)」に向かう人は
  風の寒さすらも
    感じたりはしないでしょうに]

 男の返し、

紀の国の
   むろのこほりに ゆきながら
 君とふすまの なきぞわびしき

[温暖な紀の国の
   室内を思わせるような
     「むろの郡」に行きながらも
  あなたと共に眠る 寝具さえ
    ないことが淋しくて寒いのです]

[「こほり」には「氷」を掛けるなら、もう少し複雑な意味も感じられるがいかがなものか。]

089段 網代の氷魚にこととはむ

 修理の君(すりのきみ)[未詳。「いかでなお網代の氷魚」の和歌が「拾遺集」に載る]と呼ばれる女の元に、右馬頭(うまのかみ)の役職についていた男[未詳]が通っていたとき、「そちらの方角に向かってはならない日[方塞がり(かたふたがり)]なので、行くことが出来ません」と行ってきたので、女が、

これならぬ
   ことをもおほく たがふれば
 恨みむかたも なきぞわびしき
          修理の君

[この方塞がり以外にも
   多くの理由で 約束を破っているので
     うらむべき方角のことさえ今はなく
   うらむべき方法さえも
     もはやないことがむなしい]

 このようにして、右馬頭が通わなくなってしまった頃、女が、

いかでなほ
   網代(あじろ)の氷魚(ひを)に ことゝはむ
 なにゝよりてか われをとはぬと
          修理の君 (拾遺集)

[どうしてなのか いまだ
   網代に捕えられる氷魚に お尋ねしたいものです
  何が理由で わたしのところに来ないのかと]

[「網代」は「網の代用」として竹や木で川の流れをせき止めるように張られた装置。それによって川はそのまま流れていくが、魚は装置の手前に集められて捕えられる。「氷魚(ひお)」は鮎の稚魚で、宇治川での網代漁が有名だった。この和歌、『拾遺集』に掲載され、詞書きもあるが、それをもってしてもたやすく得心出来ず。 また各書籍の解説十分しきれているとも思えず。分らない点あり。]

と詠めば返歌に、

網代より
  ほかには氷魚の よるものか
    知らずは宇治の 人に問へかし
          右馬頭

[網代より他に
   氷魚が寄るものでしょうか
  分らなければ宇治川の漁師にでも
    訪ねてみたらよいでしょう]

[宇治には「うち」つまり内裏が掛詞とか。前の和歌と共に不明な点あり。ただ恋の終わりらしく、ぶっきらぼうな冷たいトーンが感じられる。]

 まだ通っていた頃に、朝早くの別れ際に、女が詠んだ和歌。

あけぬとて
  急ぎもぞする 逢坂の
    きり立ちぬとも 人に聞かすな

[夜が明けたといって
   急いで帰ってしまうといけないから
     二人が逢うという逢坂に
   夜明けの霧が立ち上って
     二人の間を切り立とうとしても
       あの人に聞かせないで欲しい]

 一方、男の方が、通い出した頃詠んだ和歌。

いかにして
   われは消えなむ しら露の
 かへりてのちの
    ものは思はじ
          右馬頭

[どうにかして
   わたしは消えてしまい
     あなたの所から帰ってから
  白露の消え返るような気持ちに
    ならないで済むならば]

女の返し、

垣(かき)ほなる
  君が朝顔 見てしかな
    かへりてのちは ものや思ふと
          修理の君

[垣根に這い掛る朝顔のような
   あなたの朝の顔を見たいものです
     帰ってから後で
   本当に物思いに耽っているのかどうか]

 女と結ばれて、帰った後に男が、

こゝろをし
  君にとゞめて 来にしかば
    もの思ふことは われにやあるらむ
          右馬頭

[わたしの心は
   あなたの所に 残したまま帰ってきたのに
     あなたのことを思い悩んでいるのは
   これははたして私なのだろうか]

 修理の君の返し、

たましひは
   をかしきことも なかりけり
 よろづのものは からにぞありける
          修理の君

[思う心、思われる心なんかでは
   満ち足りた気持ちにはまるでなれません
     (あなたがここにいないなら)
  あらゆるものは 空っぽに思われてなりません]

090段 くれ竹のあだの節

 おなじ修理の君に、今は亡き兵部卿の宮[陽成天皇第一皇子の元良親王]がが手紙などをしていた時、「あなたのところに行きましょう」とおっしゃるので、修理の君がそれに答えた和歌。

たかくとも なにゝかはせむ
  くれ竹の ひと夜ふた夜の
    あだのふしをば
          修理の君 (新勅撰集)

[身分が高くても
   何の意味があるでしょう
     呉竹の節のような ひと夜ふた夜かぎりの
  かりそめの共寝なんかでは]

2017/12/15
2018/11/03 改訂

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