季縄の少将[藤原季縄(すえなわ・すえただ)。交野少将(かたののしょうしょう)とも]の娘である右近(うこん)[百人一首「忘らるる身をば思はず」で知られる女流歌人]が、今は亡き藤原穏子(おんし)[醍醐天皇の妻。923年に中宮]の宮に仕えていた頃、権中納言の君[藤原時平の息子、敦忠(あつただ)]が右近のもとに通っていた。約束などを交わす中だったのに、右近が宮中に出ることがなくなって、里に戻ってしまうと、訪ねてくることがなくなってしまった。
宮中の人が来たときに、右近が「どうですか、彼は参内されていますか」と聞くと、「常に参内されてます」と言うので、彼に手紙を差し上げる時に、
忘れじと
たのめし人は ありと聞く
いひしことの葉 いづちいにけむ
右近 (後撰集)
[忘れないと言って
頼みに思わせたあなたは 居ると聞きましたが
それなら「忘れない」という言葉は
どこに行ってしまったのでしょうか]
その右近のもとに、その後も権中納言の君が便りもしないで、やがて雉(きじ)[「来じ」つまり「行かない」を掛ける]を贈ってきたので、その返事に、
栗駒(くりこま)の
山に朝たつ 雉よりも
かりにはあはじと 思ひしものを
右近
[栗駒山に
朝飛び立つ雉が 狩に遭わないようにと
用心するよりももっと かりそめには逢わないようにと
思っていたはずだったのに……]
[栗駒山は今の宇治市にあった狩り場の山で、そこを飛び立つ雉よりも注意深く、かりそめの恋などはしないと思っていたのに、結局はそれをしたために、こうして相手の不実にあっているという内容。「かりにはあはじ」は、「女狩り」のイメージも込められていて、色好みのターゲットにされてしまったという印象。結句からは、反省や批難ではなくむしろ、けれどもあなただったから、しかたないか、くらいの思いがにじみでるか。]
その右近が、宮中に仕えて一室に住んでいた時に、しのんで通ってくる人があった。その人は蔵人頭(くろうどのとう)[天皇の秘書的役割。ここでは藤原敦忠か藤原師輔を指すか]だったので、常に殿上(てんじょう)に出仕していた。
ある雨の降る夜。右近の部屋の、蔀(しとみ)[車の後ろ荷物置き場(トランク)みたいに上に持ち上がるタイプの格子戸]の向こうに彼が立ち寄ったのも知らずに、右近は雨漏りがするので、筵(むしろ)[広義には敷物を指すが、ここでは蒲団の上に敷かれたものか]を裏返そうとして、
おもふ人
雨と降りくる ものならば
わがもる床は かへさゞらまし
右近
[愛する人が
雨となって降ってくるならば
雨漏りの床だって
返したりはしないものを]
[ふたりの寝床を敷きかえたり、移したりすると、恋人が来なくなってしまうという俗信にもとづくもの。印象としては、鼻歌で詠いながら蒲団を敷きかえるような場景で、和歌もなんだか当時の流行歌が和歌になったかのような、ちょっと歌詞っぽい感じがする。]
とつぶやくので、情が湧いてきて、彼はふと部屋に入っていった。
また右近が、「忘れないよ」と、あらゆることを誓った男が、結局自分を忘れてしまった時に送った和歌。
忘らるゝ 身をば思はず
ちかひてし 人のいのちの
惜しくもあるかな
右近 (拾遺集)(小倉百人一首)
[忘れられてしまう 我が身を思ったりはしません
ただ約束を破って 罰を受けるべきあなたの命が
惜しく思われるばかりです]
[和歌だけとしては、「誓いを破ったあなたの命が滅びるのが残念です」という解釈も、「忘れられてもなおあなたの身の上だけが心配です」という解釈も成り立つ。ただ『大和物語』の作者の意図は明白で、右近の段はひたむきな愛情よりも、着想と機知にもとづく和歌への関心と、勝ち気な女性の恋の蜜月ではないシチュエーションで語られていて、ここではまさに、着想のユニークさが心情の表現と融合したはじめの意図で、採用されたものと考えられる。]
おなじ右近が、桃園の宰相[藤原忠平の子、藤原師氏(もろうじ)(913-70)]が右近のもとに通っている、などと噂が広がったとき、それは事実ではなかったので、宰相に詠んで贈った和歌。
よし思へ
海女(あま)のひろはぬ うつせ貝
むなしき名をば 立つべしや君
右近
[よしそれなら いっそ愛してくださいな
海女さえも拾わない 中身がからっぽの貝殻のような
むなしい噂だけの浮き名を
立たせて置いてよいのかしらね あなたは]
[与謝野晶子が浮かんできそうな和歌で、空っぽの噂なんかにしておかないで、いっそのこと愛してくださいという内容。これが冗談なのか、真剣なのか、二人の関係が気になる所だが、このエピソードだけで分ったら、むしろ変人かと思われる。ただ、続く段との関連では、真摯な想いとして取れるもので、この右近の一連の段は、続く前後の段の関連で、印象が差し替えられることの解説をするのが、たやすい段ではある様子。すると、84段もはじめから両方の意味を掛け合わせた段として、構築されたということになるか。]
正月のはじめに、大納言[=藤原顕忠(あきただ)]の屋敷に平兼盛(たいらのかねもり)が参上した時に、話のさなかに何気なく、「和歌を詠んで」と言われたので、
今日よりは
荻のやけ原 かき分けて
若菜摘みにと 誰(たれ)をさそはむ
平兼盛 (後撰集)
[春になった今日からは
荻を焼いた野原をかき分けて
若菜を摘みに行こうと
誰を誘おうか]
と詠むと、大納言は感心して、
かた岡に わらびもえずは
たづねつゝ こゝろやりにや
若菜つまゝし
藤原顕忠
と返答した。
[岡の反対側に
ワラビの芽が出ていなかったら
あなたを尋ねながら
気晴らしに 若菜を摘もうか]
但馬国(たじまのくに)[兵庫県北部]に出向いていた兵庫允(ひょうごのじょう)[兵器など軍事関連の役職のひとつ]であった男が、その国で妻とした女を置いて、京(みやこ)にのぼってしまったので、雪の降る時に女が詠んで寄こした。
山里に
われをとゞめて わかれ路の
ゆきのまに/\ 深くなるらむ
[山里に
わたしを残して 分かれてゆく道が
あなたが去って行くにしたがって
降りつのる雪の深くなるように
二人の思いの距離もまた
深く埋もれてしまうのでしょうか]
と詠んだのに、男の返し、
山里に
かよふこゝろも 絶えぬべし
ゆくもとまるも こゝろぼそさに
[山里へと
互いを思うこころまで 絶えてしまいそうです
行くわたしも とどまるあなたも
あまりの心細さに]
そのおなじ男が、紀国(きのくに)[和歌山県]に下る時に、寒いといって、着物を取りに使いを寄こしたので、女が、
紀の国の
むろのこほりに ゆく人は
風の寒さも 思ひ知られじ
[温暖な紀の国の
室内を思わせるような
「むろの郡(こおり)」に向かう人は
風の寒さすらも
感じたりはしないでしょうに]
男の返し、
紀の国の
むろのこほりに ゆきながら
君とふすまの なきぞわびしき
[温暖な紀の国の
室内を思わせるような
「むろの郡」に行きながらも
あなたと共に眠る 寝具さえ
ないことが淋しくて寒いのです]
[「こほり」には「氷」を掛けるなら、もう少し複雑な意味も感じられるがいかがなものか。]
修理の君(すりのきみ)[未詳。「いかでなお網代の氷魚」の和歌が「拾遺集」に載る]と呼ばれる女の元に、右馬頭(うまのかみ)の役職についていた男[未詳]が通っていたとき、「そちらの方角に向かってはならない日[方塞がり(かたふたがり)]なので、行くことが出来ません」と行ってきたので、女が、
これならぬ
ことをもおほく たがふれば
恨みむかたも なきぞわびしき
修理の君
[この方塞がり以外にも
多くの理由で 約束を破っているので
うらむべき方角のことさえ今はなく
うらむべき方法さえも
もはやないことがむなしい]
このようにして、右馬頭が通わなくなってしまった頃、女が、
いかでなほ
網代(あじろ)の氷魚(ひを)に ことゝはむ
なにゝよりてか われをとはぬと
修理の君 (拾遺集)
[どうしてなのか いまだ
網代に捕えられる氷魚に お尋ねしたいものです
何が理由で わたしのところに来ないのかと]
[「網代」は「網の代用」として竹や木で川の流れをせき止めるように張られた装置。それによって川はそのまま流れていくが、魚は装置の手前に集められて捕えられる。「氷魚(ひお)」は鮎の稚魚で、宇治川での網代漁が有名だった。この和歌、『拾遺集』に掲載され、詞書きもあるが、それをもってしてもたやすく得心出来ず。 また各書籍の解説十分しきれているとも思えず。分らない点あり。]
と詠めば返歌に、
網代より
ほかには氷魚の よるものか
知らずは宇治の 人に問へかし
右馬頭
[網代より他に
氷魚が寄るものでしょうか
分らなければ宇治川の漁師にでも
訪ねてみたらよいでしょう]
[宇治には「うち」つまり内裏が掛詞とか。前の和歌と共に不明な点あり。ただ恋の終わりらしく、ぶっきらぼうな冷たいトーンが感じられる。]
まだ通っていた頃に、朝早くの別れ際に、女が詠んだ和歌。
あけぬとて
急ぎもぞする 逢坂の
きり立ちぬとも 人に聞かすな
[夜が明けたといって
急いで帰ってしまうといけないから
二人が逢うという逢坂に
夜明けの霧が立ち上って
二人の間を切り立とうとしても
あの人に聞かせないで欲しい]
一方、男の方が、通い出した頃詠んだ和歌。
いかにして
われは消えなむ しら露の
かへりてのちの
ものは思はじ
右馬頭
[どうにかして
わたしは消えてしまい
あなたの所から帰ってから
白露の消え返るような気持ちに
ならないで済むならば]
女の返し、
垣(かき)ほなる
君が朝顔 見てしかな
かへりてのちは ものや思ふと
修理の君
[垣根に這い掛る朝顔のような
あなたの朝の顔を見たいものです
帰ってから後で
本当に物思いに耽っているのかどうか]
女と結ばれて、帰った後に男が、
こゝろをし
君にとゞめて 来にしかば
もの思ふことは われにやあるらむ
右馬頭
[わたしの心は
あなたの所に 残したまま帰ってきたのに
あなたのことを思い悩んでいるのは
これははたして私なのだろうか]
修理の君の返し、
たましひは
をかしきことも なかりけり
よろづのものは からにぞありける
修理の君
[思う心、思われる心なんかでは
満ち足りた気持ちにはまるでなれません
(あなたがここにいないなら)
あらゆるものは 空っぽに思われてなりません]
おなじ修理の君に、今は亡き兵部卿の宮[陽成天皇第一皇子の元良親王]がが手紙などをしていた時、「あなたのところに行きましょう」とおっしゃるので、修理の君がそれに答えた和歌。
たかくとも なにゝかはせむ
くれ竹の ひと夜ふた夜の
あだのふしをば
修理の君 (新勅撰集)
[身分が高くても
何の意味があるでしょう
呉竹の節のような ひと夜ふた夜かぎりの
かりそめの共寝なんかでは]
2017/12/15
2018/11/03 改訂