式部卿の宮[宇多天皇第四皇子の敦慶親王(あつよししんのう)]が亡くなったのは、如月(きさらぎ)[旧暦二月]の終わり、桜のさかりであったので、堤の中納言[(藤原兼輔・かねすけ)]が詠むには、
咲きにほひ
風まつほどの 山ざくら
人の世よりは ひさしかりけり
藤原兼輔 (新勅撰集)
[咲き誇ってはいても
散らせる風を待つほどの山桜ですが
人の世の一生のはかなさに比べたら
今は長く感じられるように思われます]
三条の右大臣[藤原定方(さだかた)]の返歌、
春々の
花は散るとも 咲きぬべし
またあひがたき 人の世ぞ憂き
藤原定方 (続古今集)
[春がくるたびに
花は散ったとしても また咲きますが
ふたたび逢うことが叶わない
人の命こそ悲しいものですね]
その式部卿の宮が生きていた頃、亭子院(ていじのいん)[宇多天皇の譲位後の住居]に住んでいた。この宮のもとに平兼盛(たいらのかねもり)が参上し、召されて話などをしていたのだった。宮が亡くなられてから、その院を眺めると、しみじみとした想いに囚われるので、平兼盛が和歌を詠むには、
池はなほ
むかしながらの かゞみにて
影見し君が なきぞかなしき
平兼盛
[池は今も
昔のままの 鏡のようなのに
姿を眺めていたあなたが
もう居ないことが悲しい]
地方の国守として赴任する人に、堤の中納言(藤原兼輔)が「馬のはなむけ」[餞別の贈り物]を用意して待っていたが、日が暮れるまで来ないので、詠んでやる。
別るべき こともあるものを
ひねもすに 待つとてさへも
嘆きつるかな
藤原兼輔
[別れることがあって嘆かわしいのに
一日中その別れるべきことを待つことまで
嘆かなければならないとはね]
と和歌にあったので、相手は慌てふためいてやってきた。
おなじ堤の中納言が、屋敷の正殿(せいでん)のすこし遠いあたりに立っていた桜を、近くに移し替えたところ、枯れそうに見えるので、
宿近く
うつして植ゑし かひもなく
まちどほにのみ 見ゆる花かな
藤原兼輔
[家の近くに
移して植えた 甲斐もなく
ずっと待たされるようにばかり
見えるような桜です]
[もとは梅の花であり結句も「匂ふ花」であったものを、71段との関連で桜に変更したかとされる。]
おなじ堤の中納言が、蔵人所(くろうどどころ)に務める人が、加賀の国守として赴任する際に、別れを惜しむ夜に詠んだ和歌。
君がゆく
越のしら山 知らずとも
ゆきのまに/\ あとはたづねむ
藤原兼輔 (古今集)
[あなたが向かう
越(こし)の白山は 知らなくても
ゆくのにまかせて 雪の間に
あなたの後を追っていきたい]
桂の皇女[宇多天皇皇女の孚子内親王(ふし・さねこないしんのう)]のところに、源嘉種(みなもとのよしたね)が来ているのを、母の御息所[宇多天皇の妻の一人、十世王女]が聞きつけて、扉を閉ざさせてしまったので、源嘉種は一晩中辛い思いで外に立っていて、ようやく帰るときに、門の隙間から投げ入れた和歌。
今宵こそ
なみだの川に いる千鳥
なきてかへると 君は知らずや
源嘉種
[今宵という今宵は
悲しみのなみだの 川に入った千鳥が
鳴きながら帰るのを
あなたは知らないのでしょうか]
[川に浮かぶだけでなく、入水のイメージがあるか?]
これも桂の皇女に源嘉種が、
ながき夜を
あかしの浦に 焼く塩の
けぶりは空に 立ちやのぼらぬ
源嘉種
[長い夜を
明かしながら 明石の浦で焼く塩のような
焦がれるような想いに身を焼く煙は
きっと空に立ち上ることでしょう]
このようにして、ひそかに逢っている頃に、桂の皇女は宇多院の十五夜の宴に、「いらっしゃい」と呼ばれたので、参上しようという時に、それでは逢うことも出来なくなるので、源嘉種が「せめて今宵は行かないで欲しい」と留めた。けれども、院のお呼びなので留まることは出来ないで、桂の皇女は急いで出向いてしまったので、源嘉種が、
竹取(たかとり)が
よゝに泣きつゝ とゞめけむ
君は君にと 今宵しもゆく
源嘉種
[竹取物語で
竹取翁が夜ごとに泣きながら 留めたという
姫君は大君のような宇多院のもとへと
今宵こそ立ち去ってしまうのだろうか]
[20段もそうだが「桂の皇女」の「かつら」が月を導くことから、ここでは『竹取物語』のエピソードに委ねた和歌が置かれている。十五夜に院に呼ばれた皇女をかぐや姫に見立ててている。だとすればあるいは、76段の和歌は『竹取物語』の最後の天皇の「あふことも涙に浮かぶ我が身には」の和歌が、この段の「あかしの浦に焼く塩」の和歌には、富士山の煙が、委ねられているのかも知れない。]
監の命婦(げんのみょうぶ)が、元旦の儀式に出られた時に、弾正の親王(だんじょうのみこ)[陽成天皇皇子の元平親王か?]が一目惚れして、手紙を送ったので、その返しに、
うちつけに
まどふこゝろと 聞くからに
なぐさめやすく おぼほゆるかな
監の命婦 (新千載集)
[すぐさまに
戸惑いを覚えたような 心だったと聞きますから
その心を穏やかに落ち着けさせるのも
さぞかしたやすいことでしょうね]
親王の返歌は今は忘れてしまった。
これも弾正の親王に、監の命婦(げんのみょうぶ)が、
こりずまの
浦にかづかむ うきみるは
浪さわがしく ありこそはせめ
監の命婦
[須磨の浦に
水を被っている 浮き海松(みる)の海藻は
波が騒がしいことでしょうが
懲りない浦とかいうところで
被るであろう 憂いを見るという名の海藻なら
さぞかし噂の浪も 騒がしいことでしょうね]
[「こりずま」には「懲りない」の意味と「須磨」の地名が、「うきみる」には岩を離れ漂っている海松(みる)という海藻と、「憂きを見る」の意味が掛詞。「潜(かづ)く」は水を被った状態。「浦」「潜く」「浮き海松」「波」は縁語。恋になれた女性が、若い男の一目惚れをたしなめるようなトーンの78段とペアになっていて、やはりたしなめるようなトーンが感じられることから、むしろ何度も手紙なんか寄こしてると、フラれて憂き見る上に、うわさが立ちますよ、とたしなめているように感じられる。]
宇多院で花が咲き誇る頃、南院(なんいん)の君達(きんだち)[光孝天皇第一皇子である是忠親王の息子たち。源宗于もその一人]や人々が集まって、歌会などをした。その時、右京の大夫宗于(むねゆき)[源宗于]が、
来てみれど こゝろもゆかず
ふるさとの むかしながらの
花は散れども
源宗于
[来て眺めても
心が和歌の言葉に向かいません
ふるさとの 昔と同じように
花は散ってはいるのですが]
[内容から宇多天皇死後の和歌とエピソードとされる]
他の人の和歌もあったようである。
2017/11/20
2018/11/02 改訂