今は亡き源大納言の君(げんだいなごんのきみ)[源清蔭(みなもとのきよかげ)]が、藤原忠房(ふじわらのただふさ)(?-929)の娘である「東の方(ひんがしのかた)」を長年思って通っていたのを、亭子院の若宮[醍醐天皇の皇女、韶子内親王(しょうしないしんのう)]の方へ心を寄せて、通わなくなって、しばらく経った。
東の方との間には子供もあり、語らいは絶えず、おなじところに住んでいた。そうして源大納言の君が和歌を詠んで差し上げるには、
住の江の 松ならなくに
ひさしくも 君と寝ぬ夜の
なりにけるかな
源清蔭 (拾遺集)
[久しいものとされる
住の江の松ではありませんが
ずいぶん久しくなってしまいました
あなたと一緒に寝ない夜が]
と詠めば返歌に、
ひさしくも おもほえねども
住吉(すみよし)の 松やふたゝび
生ひかはるらむ
藤原忠房の娘 (拾遺集)
[久しぶりとも思えません
一緒に住みやすいという思いも込めそうな
住吉の松であればおなじ心のままのはず
異なった心で声を掛けるあなたは
新しく生え替わった松ではないかしら]
[「住の江(すみのえ)」「住吉(すみよし)」の名称はこの頃には混同。したがってどちらかに統一する傾向もあるが、あえて言い換えて「住みやすい」の意味を「住吉」に掛け合わせたとする説に従う。]
とあった。
おなじ大臣[上の源大納言源清蔭]は、その宮[上の若宮]を妻として得られて、帝(みかど)[ここでは宇多法皇]がその仲介をされたのだったが、まだ得られる前の恋の初め頃、忍んで夜ごとに通っていた頃、逢瀬の後で家に帰って、
あくといへば
しづこゝろなき 春の夜の
夢とや君を 夜(よる)のみは見む
源清蔭 (新古今)
[明けると聞けば
穏やかではいられない 物足りないような春の夜の
まるで夢のように あなたを夜な夜な眺めているのです
(夢から覚めることに ちょっと不安を覚えながら……)]
右馬寮(うまりょう)の允(じょう)[馬の管理の役職の上から三番目の役職]だった藤原千兼(ちかぬ)[歌人、雅楽の才能で知られた藤原忠房の息子]という人の妻は、「としこ」という人だった。子供に恵まれ、互いに思い交わして暮していたが、としこが亡くなってしまったので、千兼が悲しみにくれて過ごしているうちに……
内の蔵人(うちのくろうど)[宮中の女官のひとつ]で一条の君という人は、としこと大変親しい知人だった。こうしてとしこが亡くなってからも、弔問にさえ来ないので、千兼はどうしたことかと思って過ごしていたのだが、この弔問に来ない人の召使いの女と会ったので、このように和歌を託した。
思ひきや
すぎにし人の かなしきに
君さへつらく ならむものとは
藤原千兼
[誰が思うでしょうか
過ぎ去った妻への 悲しみのなかで
彼女の知人であるあなたさえ
つれなく疎遠になるだろうとは]
[過ぎにし人の悲しみを、せめてもなぐさめ、しのび合うことも出来るだろうあなたまで、まるで過ぎにし人にあわせて、素っ気なくなるだろうとはの意味。]
「このように申し上げよ」と伝えれば、やがて返歌があった。
なき人を
君が聞かくに かけじとて
泣く/\しのぶ ほどな恨みそ
一条の君
[亡くなった人のことを
あなたに聞かせてなおさら 悲しませないように
泣きながら耐え忍んで 合わないようにしていたことを
どうか恨まないでください]
[この和歌が心情的に素直に感じられず、言い訳がましく感じられるのは、「君が聞かくにかけじとて」の理屈っぽく回りくどい表現によるもので、つまりは読み手が「言い訳がましい」和歌を、相手に悟らせたかったからに他ならない。後は相手との距離感によって、「そのうちと思いながら時が過ぎてしまいました」とも、あるいは「知人の亡くなった今お会いすることもありません」とも、受け取ることは可能であるが、そんなことは当人たちにしか感じられない和歌の領域には他ならない。]
本院の北の方[藤原時平の妻]の妹で、幼名を「おほつぶね」という女性がいた。それを陽成院(ようぜいいん)の妻として差し上げたが[おそらくは時平か北の方が]、院が寝所に来られないので詠んだ和歌。
あらたまの 年は経ねども
猿沢(さるさは)の 池の玉藻は みつべかりけり
おほつぶね or 差し上げた誰か
[(あらたまの)年月は経ていませんが
猿沢の 池の玉なす藻は
満ちているのを
見るべきものであったものを……]
[天皇を慕ったうねめが、寝所に来られないことを嘆いて、わずかのうちに身を投げて、猿沢の池の玉藻と成り果てたことを踏まえて、「見るべきものであったものを」見なかったために身を投げたのだから、はやく訪れないと、池の玉藻となった姿を見るべき事になるであろうと、脅したもの。
と解釈すると、おどろおどろしい脅しになってしまうが、このような解釈は聞き手に委ねられて、実際は「玉藻を見るべきことになったんだよね」と昔話に思いを委ねただけの、きわめて婉曲的な内容なので、かえってもどかしいような読み手の思いが感じられるくらい。]
また陽成院は、若狭(わかさ)の御(ご)という女性と一夜を共にしたが、ふたたびお召しがないので、彼女が詠んで差し上げた。
かずならぬ
身におく夜の しら玉は
ひかり見えさす ものにぞありける
若狭の御 (後撰集)
[あまりにも多くて
取るに足らないようなこの身は
この身に置かれた 白露のひと粒みたい
ひかりがあたったと思ったら
すぐに途絶えてしまうものなのです]
と詠んで差し上げれば、これを見て、「あら、すてきな白玉の和歌の達人だね」だなんて、陽成院はおっしゃるのだった。
陽成院に仕えるすけの御(ご)と呼ばれる女性が、まま父の少将と呼ばれる少将のもとに、
春の野は はるけながらも
忘れ草 生ふるは見ゆる
ものにぞありける
すけの御
[春の野原は
遙かまで見晴らしが良いけれど
恋を忘れるわすれ草が 密かに生えているのが
見つけ出せるものなのです]
少将の返歌、
春の野に
生ひじとぞおもふ 忘れ草
つらきこゝろの 種しなければ
まま父の少将
[春の野原には
生えないと思いますよ わすれ草なんて
冷たくするこころの種なんて
わたしにはありませんから]
今は亡き式部卿の宮[宇多天皇第4皇子の敦慶(あつよし)親王。伊勢との子が、女流歌人の中務]に仕えていた出羽(いでは)の御(ご)とよばれる女性のもとに、まま父の少将が通っていたが、別れてから女性が、ススキに文を付けて送ってきたので、少将が、
秋風に なびく尾花は
むかし見し たもとに似てぞ
恋しかりける
まま父の少将
[この秋風に なびく尾花は
まるで昔見た あなたの袂(たもと)みたいで
あなたのことが恋しくなります]
と言ってやれば、女の返し、
たもとゝも しのばざらまし
秋風に なびく尾花の
おどろかさずは
出羽の御
[袂であるなんて 私をしのんだりはしないのでしょう
こうして秋風に なびく尾花が贈られて
あなたの心を呼び起こさなかったなら]
いまは亡き式部卿の宮[宇多天皇第4皇子の敦慶(あつよし)親王]が、二条の御息所(みやすんどころ)[諸説あり]のもとに通わなくなってしまった後、次の年の一月七日に、女性が若菜を差し上げながら詠んだ和歌。
ふるさとゝ
荒れにし宿の 草の葉も
君がためとぞ まづはつみける
二条の御息所
[あなたが来られなくなって
荒れてしまったようなこの家の 草の葉ですが
せめてあなたのためと思って
まずは摘んでさしあげます]
おなじ女性。おなじ式部卿の宮が、彼女のもとにしばらくいらっしゃらないので、(詠んだ和歌。)秋のことであった。
世に経れど
恋もせぬ身の 夕されば
すゞろにものゝ 悲しきやなぞ
二条の御息所
[ただ生きながらえて
恋すらしないこの身も 夕方になれば
なんとなくもの悲しい思いに
とらわれるのはなぜでしょう]
と詠めば、返歌。
夕ぐれに もの思ふ時は
かんな月
われもしぐれに おとらざりけり
敦慶親王(あつよししんのう)
[夕暮に ものを思うときは
十月の わたしも時雨には
負けないくらいのわびしさです]
とあった。興も乗らずに、悪い歌を詠まれたようである。
その式部卿の宮を、桂の皇女(かつらのみこ)[宇多天皇の皇女、孚子内親王(ふしないしんのう)]が、ひたすらに恋い慕ったが、おいでにならない時のこと。月のすばらしく美しい夜に贈るには、
ひさかたの
空なる月の 身なりせば
ゆくとも見えで 君は見てまし
桂の皇女
[(ひさかたの)
空にある月の身の上であったなら
行っても私を見られることなく
あなたは私を見ているだろうに]
2017/11/08
2018/10/12 改訂