伊勢へくだりけるに、野路うち過ぎて、いしべ河原といふところにて友待つほどに、風のいたく吹けば、馬よりおりて、よもぎの中に寄り臥して
よこ田やま 石部河原は 蓬生(よもぎふ)に
秋かぜさむみ 都こひしも
伊勢へくだりけるに、大野(おほの)の原すぎて分けゆけば、末(すゑ)に橋あり。名を、みだれ橋といふ
はなすゝき
おほのゝはらの みだればし
あきの心に たぐへてぞ行く
みせ川
すゞか山 いせぢにかよふ みせ川の
見せばや人に ふかき心をし
伊勢へくだりけるに、鈴鹿山(すゞかやま)越え果てゝ、関屋(せきや)を見れば人もゐず、荒れにけり。みやこの方(かた)に散り果てにし萩の、ところ/”\残りたるを見て詠める
こはぎはら
なにゝぞ秋は とまりける
関やは風の もる名のみして
いづみ野とは、尾張の津島より京へのぼる道を、舟に乗りてゆく。甲斐川を越えて、弓削原村にいづる
伊勢人は ひがごとしけり
津島より かひ川行けば
いづみのゝ原
ほし川といふところを
かぎりあれば 橋とぞならぬ 鵲(かさゝぎ)の
立てるしるしの 星川の水
浜村といふ所を過ぎ侍(はべ)りけるに、
「このほどは朝気(あさけ)の郡(こほり)といふ。浜の行くさきに見ゆるは、日永(ひなが)と人のいふ所なり」
といふを聞きて詠める
行き侘(わ)びぬ
いざ浜村に 立ちよらむ
朝気過ぐるは 日永なりけり
「阿野(あの)の湊(みなと)」
伊勢へくだりけるに、阿野(あの)といふ所に泊まりて、暁(あかつき)立つとて、田の中を夜をこめて過ぐるに、霧深くて道も見えねば詠める
打ち渡す あのゝ湊田 ほの/”\と
かるもからぬも 見えぬ朝霧
くるまといふ所にて
立ちはなれ ひとりくるまの いなむしろ
旅ねの中の たびぞかなしき
阿古木嶋
あふことを あこぎの嶋に 引くあみ/鯛(たひ)の
たびかさならば 人しりぬべし
―読み人知らず
「やきての里」
伊勢へ下りけるに、やきての里、くもつの濱(はま)など過ぐるほどに、やゝ霧はれゆき、伊勢の海の沖のしらす、濱の松原、ほの/”\あらはれ渡るをみれば、しほがま、数もしらず打ちゝりて、絵にかけるごとくなるを詠める
うちすぐる 人もけぶりに なれよとや
もしほやきての さとの松風
証心法師
はれのぼる 霧におくれて 立つ雲は
やきての塩の 煙なりけり
「みわたり」
みわたりと云ふ所あり。塩干ぬれば、こなたの崎(さき)より、かなたの州崎(すさき)へならば、満ちぬる時はめぐりて松崎といふ所を渡る。潮満ちくれば、これらをば得渡らで、なほ遠くめぐりて、いちはといふ所を渡るなり。潮干(しおひ)にしたがひて、わたりの三所にかはれば、みわたりとは云ふなり
みわたりの 磯わのうへち なほ深し
あさみつ潮の からきけふかな
齋(さい)のもりにて
ことのはに かけても何か 思ひいづる
いつきの森の しめの下草
湯田の野にて、竹河をよめる
竹河や ゆた野をみれば はる/”\と
山田の原の 松はくもれる
月よみの宮にて
やみ深き 浮世をてらす ちかひには
我まどはすな 月よみの神
林崎をよめる、つゝみが岳(たけ)のをのへなり
林崎 まはてはいかで とほるべき
つゝみがたけを うちながめつゝ
「みそかせ」
宮川の末わたりに水ののぼるに、流るゝ様に見ゆるを、ここはいづくとか云ふ。などかく水は、のぼるぞと言へば、ある人、塩のさすとて水さかのぼるなり、ここはみそかせとなん申す、と云ふをきゝて
さか塩は みそかせませて さし登る
すを過ぎて行く 人に問はゞや
・1964年出版の『校注 鴨長明全集』(簗瀬一雄)(風間書房)の復元にもとづく。和歌はそのまま記すが、文は漢字、仮名、句読点などは適時変更する。また、下の校注に基づき自らが最適と思われる和歌、文に改める。従ってテキストは学究的なものとはならず、朗読のための紹介にしか過ぎないものである。
・後半の損なわれた長歌「菊を作」は、最後に「けり」を補う。他に「こはぎはら、なにぞ秋は」を「何にぞ秋は」とし、「しほみちとくゐれば」を「しほみちくれば」とするなど、自らの判断で改編したものもある。
・即興的な朗読のため、地名の読み違いなどあるかもしれず。
・未熟であるとして偽作とする説もあり。ただし未熟とすれば、若き日の「鴨長明集」もすでに大いなる未熟であり、未熟をもって真偽は判別出来ないかと思われる。しかも未熟をもってすれば、「伊勢記」より「鴨長明集」の方が概して未熟である。しかして「伊勢記」それほどの未熟なるや。
2012/10/