現代語訳 『方丈記』 への改訂覚書

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現代語訳 『方丈記』 への改訂覚書

 現代語訳は、書籍の現代語訳への憤慨から『考察』に述べられたことを方針としつつ、『考察』と同時進行する。その際、まず『下書』として、なるべく原文そのままの直訳を、原文の文章のままに提出する。それをもとに『草稿』を生みなし、それを『推敲』するという段階を経て、完成したものである。原文を尊重するあまり、現代語の表現が損なわれてもならないし、現代語の自由が行き過ぎれば、原文は蔑ろにされるだろう。つまりは、バランスこそが課題となった。以下は、その改訂の内容を幾つか示したものである。方針として、災害の部分から、一章につき一つづつ、その改訂を抜き出してみることにしよう。

安元の大火

 その最後の部分、

すぐれてあぢきなくぞはべる。

 この「はべる」の扱いについては、『方丈記』において、災害の説明における常套句として使用されているこの「はべる」を、どのように現代語化すべきか、当初は類似の表現を模索すべきではないかと考え、

あまにりも無益なことではないだろうか。

とした。つまりは他の部分もまた、「疑いあったものである」「となったことがある」などという表現にして、文脈を完了してのち、改めて言い直すような表現に統一したのである。しかし、推敲に際して、そのことがかえって現代文の流暢な流れと、語りの自然さを阻害しているように思われた。そもそも「はべる」の持つニュアンスを、このような表現に改めたからといって、当時のニュアンスとかみ合うものかどうか、はなはだしい疑問である。そのようなデリケートな表現は、もはや原文を講読するに際して問題とするような事柄であり、現代語訳においては、「はべる」を考慮に入れつつも、現代文の文脈から最適と思われる表現をこそ模索すべきではないかという結論に到達した。そのためまず、

あまりにも無益なことのように思われる。

と変更したものの、改めて考えてみると、「あまにも無益なこと」というのも、現代語の表現としては、直訳気味のぎこちなさが垣間見える。意味は通じるものの、章の取りまとめを効果的に配した原文に見合うだけの、効果的な取りまとめが必要ではないかと考え、少しくかみ砕いたような表現で、

あまりにも味気ないことのように思われる。

とし、情緒に寄り添うような表現へと改めるに至った。

治承の辻風

[原文]
檜皮(ひはだ)葺板(ふきいた)のたぐひ、冬の木の葉(このは)の、風に乱(みだ)るゝがごとし。

とあるものを、初めは言葉の解説をさえ翻訳に内包させて、

屋根に使われる檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)は、冬の木の葉が風に乱れ飛ばされるようなありさまだ。

としてしまう。読み返してからようやく、これくらいの説明でさえ、多少の興ざめを引き起こすには違いないと気がついて、これを改めようとするときに、「屋根に使われるもの」やら「檜の皮のこと」といった解説は、脚注に行った方がよほど効率的ではないかと思いついた。さらには「ありさまだ」などという閉じ方は、現代文にしてはいささか硬直に過ぎるのを改めて、

檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)などは、冬の木の葉が風に乱れ飛ばされるように思われた。

へと改変した。

 わざわざ「などは」としたのは、「~のたぐひ」と原文にあるからであるが、現代文において、「檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)が木の葉のように」とダイレクトに記したからといって、火災に及んで、さまざまなものが吹き上げられるというイメージに差し障りはなく、特に屋根の資材を選び出して、比喩的に記してみただけのことであることは明白なので、すなわち「などは」とか「~のたぐいは」などと記さなくても、 ⇒ 直す 原文の精神を損なうことにはならないと思い直し、

檜皮(ひはだ)や葺板(ふきいた)は、冬の木の葉が風に乱れ飛ばされるように思われた。

と、わずかに文章をきびきびさせることを優先することとした。

福原遷都

[原文]
されど、とかく言ふ甲斐(かひ)なくて、帝(みかど)より始めたてまつりて、大臣(だいじん)・公卿(くぎやう)、皆(みな)ことごとく移(うつ)ろひ給(たま)ひぬ。世に仕(つか)ふるほどの人、誰(た)れか一人、ふるさとに残りをらむ。

 この部分については、草稿の前の下書きから見ていこう。

[下書]
それなのに、さまざまに言い合う甲斐もなくて、帝(みかど)よりお始めになって、大臣・公卿(くぎょう)みなことごとくお移りになってしまった。世に才を以て仕えようという人が、誰かひとりでも故郷のみやこに残るだろうか。

 草稿にするに際して、「さまざまに言い合う甲斐もなくて」という、「とかく言ふ甲斐なくて」を体裁を考慮せず説明した現代文は、語り口調に合わせて「あれこれ言い合う甲斐もなく」へと改められ、「世に才を以て仕えようという人が」という直訳も、意味はよく分かるが、すらすらとした表現からはほど遠いので、ここは少し現代人にあったような表現に思い切って改めて、「政権に仕えるほどの才覚を持った人」とするなど改編した。またやはり直訳の「誰かひとりでも」というのは、むしろそのニュアンスを現代語によって効果的に表現するためには、「いったい誰が」などの方が相応しいと考えて改める。こうして出来たものが、

[草稿]
 それなのに、あれこれ言い合う甲斐もなく、帝(みかど)よりお始めになって、大臣・公卿(くぎょう)皆ことごとくお移りになってしまった。政権に仕えるほどの才覚を持った人、いったい誰がふるきみやこに残るだろうか。

となった。これを推敲するに際して気がついたことは、敬語の不体裁である。「お始めになって」や「お移りになってしまった」などは、はたして「始めたてまつりて」「移(うつ)ろひ給(たま)ひぬ」の表現に相応しいものだかどうだか。だからといって、当時の敬語のニュアンスが、もはや現代語の表現とは異なってしまった以上、「たまふ」があるからといって、「お移りになられた」と訳すればいいというものでもない。そこだけが前後の文脈から途切れた、連続性のない表現へと陥ることは避けなければならないからである。どこかで妥協が必要になってくる。それは言ってみれば、断定口調の「した」「あった」のなかに、どのようにして「ですます調」をつかの間紛れ込ませるか、といったデリケートな作業には他ならない。そのあたりを考慮に入れて、

[草稿]
 それなのに、あれこれ言い合う甲斐もなく、帝(みかど)よりお始めになられて、大臣・公卿(くぎょう)、皆ことごとく移られてしまった。政権に仕えるほどの才覚を持った人、いったい誰がもとのみやこに残るだろうか。

この場合、「帝」への敬意は言葉によって果たされているが、「大臣・公卿」に対する「たまひぬ」は、同じようにまっとうされている訳ではない。けれどももしここを「お移りになられた」としたら、現代語による全体の口調に対しては、むしろマイナスに作用する恐れがある。同時に当初は「ふるさと」では少し読み取りにくい原文を「ふるきみやこ」と訳していた部分も、「政権に仕えるほどの」といった現代文になじみやすい、「もとのみやこ」という率直な表現へと改めた。

養和の飢饉

[原文]
 果てには、笠(かさ)うち着(き)、足ひきつゝみ、よろしき姿したるもの、ひたすらに、家ごとに乞(こ)い歩(あり)く。かく、わびしれたる者どもの、歩(あり)くかとみれば、すなはち倒(たふ)れ臥(ふ)しぬ。築地(ついぢ/ついひぢ)のつら、道のほとりに、飢ゑ死ぬるものゝたぐひ、数も知らず。

 ここも下書きから眺めてみよう

ついには笠をかぶって、足を( )立派な姿をしたものすら、ひたすらに食料を求めて家々を物乞いに歩く。このような途方に暮れた者たちの、歩くかと見ていると、その場に倒れ伏してしまう。築地にもたれかかり、あるいは道ばたに飢え死ぬ者たち、数さえ分からないほどである。

速記のため「ひきつゝみ」の訳が定まらないところは、そのまま空けられているが、ここでは「乞い歩く」の故を解説的に意訳して、「ひたすらに食料を求めて」とする一方、全体としては原文を直訳しすぎたために、「このような途方に暮れた者たちの」などといった、現代文としてこなれないような表現が見られ、現代語における語り口調を再創造したとまでは、とても言えないような不体裁を宿している。これをもとに草稿は、

ついには笠を着て、足を隠し包み、立派な姿をした者、ひたすらに食料を求めて、家々を乞い歩く。このように途方に暮れた者どもの、歩くかと見ていれば、たちまちに倒れ伏せる。築地(ついじ)にもたれ、あるいは道ばたに餓え死んだ者などは、数さえ分からない。

とある。かえって下書よりも原文に近くなっているのは、現代語にしても意味の通じるものは、出来るだけ原文に寄り添うべきだという意志が働いたものであり、同時に「立派な姿をした者」などの『方丈記』に特徴的な言い切り(体言止めのようなもの)は、現代文になれた人たちからすると、助詞を入れたくなるものの、そのような表現であると感得できれば、それほど不自然なものではないと判断したものである。つまりは、口調は原文を真似ながら、同時に「食料を求めて」といった補いを付けて、原文と現代文との妥協点を計ろうとしたのであるが、残念なことに「途方に暮れた者どもの」や、「死んだ者などは、数さえ分からない」といった、直訳的な表現がいくぶん表現の柔軟性を削いでいる様相である。これを推敲して、

ついには笠を着て、足を隠し包み、立派な姿をした者、ひたすらに食料を求めて、家々を乞い歩く。このように困り果てた者どもの、歩くかと見ていれば、たちまちに倒れ伏せる。築地にもたれ、あるいは道ばたに餓え死んだ者たちの、数さえ分からないくらいだ。

とした。つまりは「途方に暮れた者どもの」という不自然な表現を改めようとして、同時に最後の「死んだ者などは、数さえ分からない」という直訳風のスタイルは、むしろ柔軟な現代語の表現へと道を譲ったことになる。けれどもまだ、「困り果てた者どもの」というのも、不自然な表現であることに気がついて、

ついには笠を着て、足を隠し包み、立派な姿をした者、ひたすらに食料を求めて、家々を乞い歩く。途方に暮れてさ迷いながら、歩くかと見ていれば、たちまちに倒れ伏せる。築地にもたれ、あるいは道ばたに餓え死んだ者たちの、数さえ分からないくらいである。

へと逢着した。これは「途方に暮れた者どもの」の表現へ舞い戻ったかのようであるが、実際はまるで異なっている。「途方に暮れた者どもの」という表現は現代語においてあまり聞き慣れないが、「途方に暮れてさ迷う」や「途方に暮れて泣いていました」といった表現は、十分に許容範囲であり、しかも原文には無い表現ではあるが、動的に次の文脈へと橋渡しをする効果を持たせることが出来るので、再構成された現代語訳としては、その程度の局所的改編は、許容範囲であると考え、すなわちそれ以上に忠実であろうとするならば、むしろ原文そのものを読み解けばよいと考え、これを最終稿とすることとした。

 詳細は省くが、このことは、いかなる忠実な現代語訳も、あるいは翻訳も、執筆者の創作を、多かれ少なかれ含まざるを得ないことを示唆している。そうしてむしろその創作部分にこそ、原文を異なる訳文へと忠実に再創造するための(二次創作するためのではない)、キーポイントは隠されているのではないだろうか。

元暦の地震

 失礼。
  幾分かの脱線を見せたようだ。
 閑話休題。
元暦の地震の章。原文の語りの密度は、驚嘆に値する。その考察は、後日展開する……かもしれないが、冒頭の漢文訓読的効果を生かした、一定のリズムに支えられた地震の描写は、それが故に貶められることもなく、返って切迫感を高め、それを都へと転じてみせると同時に、抽象的に示された地震の恐怖は、具現化するとともに「竜であったならば」という壮大な比喩(これは人々の矮小の暗示でもある)へと至ると同時に、さながらこれまで述べた災害よりもなお恐ろしいものは、地震に他ならないことを、表現すべき言葉の力、その生命力によってこそ説明しようとするかのような起承転結の、承の取りまとめ。それから転じて地震の期間を述べた部分の言葉のリズムに揺らぎを与えたかのような遊びの部分は、さながら冒頭の地震の描写に対応する、別のリズムを呈示したかのような様相を示し、結末にそれらを人々の観念の取りまとめへと至らしめる、この「元暦の地震」の章は、これだけでもひとつの結晶を成しているようにさえ思われる。

 そのような、言葉を音楽のように駆使したこの章において、もっとも苦心したのは、

[原文]
羽(はね)なければ、空をも飛ぶべからず。竜(りよう/りゆう)ならばや、雲にも乗らむものを。恐(おそ)れのなかに、恐(おそ)るべかりけるは、ただ地震(なゐ/ぢしん)なりけりとこそ覺えはべりしか。

のくだりである。とりあえず、

羽根などなければ、空さえ飛ぶことが出来ない。竜であったなら、雲にも逃れるものを……まったく、怖ろしさのなかで、もっとも怖ろしいものは、ただ地震であることを、覚えさせられるばかりであった。

としたものの、原文に見あうだけの表現にしようと、ディテールを模索し続け、ようやく、

羽根などなければ、空を飛ぶことさえ出来ない。もし竜であったならば、雲にも逃れるものを……あらゆる怖ろしさのなかで、もっとも怖ろしいものは、ただ地震であるということを、悟らされるばかりであった。

へと定まったのであった。

境遇という名の災害

[原文]
進退(しんだい)やすからず。立ち居(ゐ)につけて恐れをのゝくさま、たとへばすゞめの、鷹(たか)の巣に近づけるがごとし。

 ここでは特に、この部分の訳に手間をかけることとなった。「進むのも引くのもおだやかではなく、立ち居振る舞いにびくびくする」といった直訳では、現代文としてはきわめて不自然だからである。そこで大意をくみ取ってすこし柔軟に、

進むにも引くにもこころを悩まし、立つにも座るにも人目を恐れるさまは、たとえば雀が、鷹の巣に近づくようなものである。

と改変した。すこしくどくどしいかとも考えたが、朗読をして聞いてみると、それほどのこともないので、これに決定したものである。

後半において

 『方丈記』の後半部分においては、語り口調を自然にするために行った幾つかの推敲を見ていこう。

[下書]
谷は茂っているが、西側は開けているので、仏教で言う観念にひたるべき便りさえ、無いわけではない。 春は藤の花の波打つのをみる。紫にたなびく雲のように、西方に咲き誇っている。夏はほととぎすを聞く。鳥の語り合うのに合わせて、死後の山路を約束するように思われる。秋はひぐらしの声で、耳が満たされる。はかない世の中を哀しむくらいに聞こえてくる。冬は雪にこころを動かされる。積もっては消える様子は、まるでわたしたちの罪障(ざいしょう)のようにも思われて来る。

これをもとに、「仏教で言う」「藤の花の波打つ」などの説明は、脚注へと外し、「わたしたちの罪障」というような大げさなジェスチャーを廃するなどしたものが草稿である。

[草稿]
谷は茂っているが、西側は開けているので、観念にひたるべき便りさえ、無いわけではない。春は藤波を見る。紫にたなびく雲のようにして、西方に咲き誇っている。夏はほととぎすを聞く。語り合うようにして、死後の山路を約束するように思われる。秋はひぐらしの声、耳が満ちあふれる。はかないこの世を哀しむほどに聞こえてくる。冬は、雪を愛する。積もり消えゆくさま、まるで罪障(ざいしょう)のようにも思われる。

 ここで原文と照らし合わせて、「約束するように思われる」の表現は不要であると判断し、「哀しむほどに聞こえてくる」は「ほととぎすを聞く」と重なるので変更を加えることとした。さらに「わたしたちの罪障」ではなく、「わたしの罪障」とすれば、少しくニュアンスの変更はあるものの、個人の語りによる心境の吐露としては、情緒性が増すのではないかと考え、

谷は茂っているが、西側は開けているので、観念にひたるべき便りさえ、そこには無いわけではない。春は藤波を見る。紫にたなびく雲のようにして、西方に咲き誇っている。夏はほととぎすを聞く。語り合うようにして、死後の山路を約束する。秋はひぐらしの声、耳が満ちあふれる。はかないこの世を哀しむほどに響き渡る。冬は、雪を愛する。積もり消えゆくさま、わたしの罪障(ざいしょう)のようにさえ思われてくる。

 一方では解説を本文に含んだもの。

[下書]
もし、船の跡の白波に我が身を思うような朝(あした)には、岡の屋(おかのや)を行き来する船を眺めて、満沙弥(まんしゃみ)の風流をみずからの物とし、もしかつらの木を葺く風が、葉を鳴らす夕(ゆうべ)には、白楽天の『琵琶行』を歌ったという尋陽の江を思いやりながら、琵琶の名手である源都督(げんととく)のおこないを真似てみる。もし興が乗れば、しばらくは松の響きに合わせて『秋風楽(しゅうふうらく)』を奏で、水の流れる音に合わせては、『流泉(りゅうせん)』の曲をあやつる。

の方が、ここではかえって流れを損なわずに本文を読み進めることが出来ると判断し、これをさらに推し進めて、

[推敲後]
もし、船の跡を慕うような白波に、この身を寄せる朝(あした)には、岡の屋(おかのや)にゆきかう船を眺めて、満沙弥(まんしゃみ)の風流を真似ながら、和歌をも詠んでみよう。もしかつらの木を葺く風が、葉を鳴らす夕(ゆうべ)には、白楽天(はくらくてん)が『琵琶行』を歌ったという尋陽(じんよう)の江(え)を思いやりながら、源都督(げんととく)のおこないをならい、琵琶をさえ奏でよう。もし興が乗れば、しばらくは松の響きに合わせて、琴を持ち出しては『秋風楽(しゅうふうらく)』を奏で、水の流れる音に合わせて、琵琶を抱えては『流泉(りゅうせん)』の曲をあやつる。

といくぶん冗長な現代文へと改めたものもある。その他、語り口調のディテールについては、

[草稿]
草むらの蛍は、遠く槙の島のかがり火のよう。あかつきの雨は、木の葉を吹き鳴らす嵐にも似ている。山鳥のほろほろと鳴くのを聞いても、「父(ちち)よ母(はは)よ」と呼ぶかと疑い、峰の鹿の、近くなついているのにつけても、世間から遠ざかるほどを知る。

[推敲後]
草むらの蛍は、遠くにちらつく、槙の島のかがり火のようにまたたき、あかつきの雨は、木の葉を吹き鳴らす嵐にも似ている。山鳥のほろほろと鳴くのを聞いても、「父(ちち)か母(はは)か」と尋ねるのかと疑い、峰の鹿の、近くなついている様子にも、世間から遠ざかるほどを知る。

といった現代語としての語りの連続性、自然な言い回しへと改める一方で、『方丈記』に特徴的な体言止めの効果、つまり現代日本語であれば助詞を補った方が分かりやすいような所も、原文の精神を尊重し、助詞を入れなかったか所も多い。これは一つは、繰り返して読めば、現代語においてもその効果は感得出来ると信じたからであり、また原文に近付きやすくするためであり、同時にこれが朗読されるものであるならば、聞き手には把握の困難をもたらさないであろうという考えから行われたものである。

 その他、当たり口調をより自然にした例を幾つか挙げれば、

[改訂前]
「これを知り尽くすことなど出来ようか」
[改訂後]
「どうしてそれを知り尽くすことなど出来ようか」

[改訂前]
「高貴な方のお亡くなりになられた話も、どれくらい聞いたことだろう」
[改訂後]
「高貴な方々の亡くなられた話も、ずいぶん聞こえてくる」

[改訂前]
「どれほどにのぼるか分からない」
[改訂後]
「どれほどにのぼるか分からないものを」

[改訂前]
「誰を住まわせようか」
[改訂後]
「誰を住まわせようというのだろう」

[改訂前]
「養生には違いないのだ」
[改訂後]
「養生ではないだろうか」

[改訂前]
「むかしと今とを比べて思うばかりである」
[改訂後]
「むかしと今とを思い比べてみるばかりである」

 これらは、文脈の前後関係のなかで行われたもので、これだけ取り出して、どちらが優れているとは言えないものである。つまりは全体の語り口調のプロポーションを整えたようなものだ。

 以上、現代語訳の作成に際して行った推敲の一部を取り上げてみたが、推敲には熟成期間が必要であり、あるいは完成した現代語訳も、しばらく後に眺めるとき、また再改訂の必要に迫られることも十分にあり得る。けれども今は、このような行程を経て完成したものとして、わたしは『現代語訳 方丈記』を掲載して朗読しておくばかりである。

 最後に、『結』の部分の、下書、草稿、決定稿を並べて、参照のために付け加えておく。原文直訳の精神から離れなければ、効果的なクライマックスにはならず、離れすぎれば、単なる創作に陥ってしまうため、改訂に苦心したところだからであるが、いまだ不十分な思いがくすぶり続ける部分でもある。

[下書]
 さて今、生涯を巡る月のひかりも傾いて、余命という名の山の端に近づいた。たちまち、死者の向かう三途(さんず)の闇へと落ちようとしている。どのようなみずからの業(ごう)を、今さら愚痴にするものか。仏の教えてくださる趣旨(しゅし)とは、何事にあっても執着の心を起こさないようにというものだ。そうであるならば、今、この草庵を愛することも、閑寂(かんせき)のおもむきに執着することも、仏道への妨げには違いない。どうして、このような不要な楽しみを述べて、大切な時を過ごしているのだろうか。静かなあかつきに、その理由を考え続けて、みずから心に問い掛けてみれば……
 世を逃れて、山林に籠もるのは、世俗のこころを逃れて、仏の道を進むためである。それなのにお前は、姿ばかりは聖人のようにして、こころは濁りに満ちている。住みかだけは、浄名居士の跡を習うように見えながら、精神として保っているところは、ほんのわずかでさえ、周利槃特(しゅりはんどく)の行いにも達してはいないのだ。あるいはこれは、貧賤の因果応報に、悩まされ続けているだけなのだろうか、それとも、迷えるこころの果てに、狂ってしまったのだろうか……
 その時、こころはそれ以上答えなかった。だからただ、答えのないこころの代わりに、つかの間、舌の力を借りて、こころのあずかり知らない南無阿弥陀仏を、三回ほど唱えて終わりにしようか。

[草稿]
 そろそろ、生涯を渡りゆく月のひかりも傾いて、余命という名の山の端に近づいた。たちまちのうちに、三途(さんず)の闇へと落ちようとしている。どのような行いを、いまさら弁明しようというのか。仏(ほとけ)のお教えになられるところの趣旨(しゅし)は、何事に対しても執着の心のないようにという。そうであるならば、今この草庵を愛することも、閑寂(かんせき)のおもむきにひたることも、悟りへの妨げには違いない。どうして、このような不要な楽しみを述べて、大切な時を過ごしたのだろうか。静かなあかつきに、その理由を思い続けて、みずから心に問い掛けてみれば……
 世を逃れて、山林に籠もるのは、こころを悟り修めて、仏の道を歩ませるためである。それなのにお前は、姿は聖人(ひじり)のようにして、こころは濁りに満ちている。住みかだけは、浄名居士(じょうみょうこじ)の跡を真似習うように見えながら、保っている精神は、ほんのわずかでさえ、周利槃特(しゅりはんどく)の行いにすら達してはいないのだ。あるいはこれは、貧賤の因果応報に、悩まされ続けた結果なのだろうか、それとも、修まらない迷いの心の果てに、ついに狂ってしまったのだろうか……
 その時、心はさらには答えなかった。いまはただ、答えない心のかたわらに、舌のちからを借りて、心のあずかり知らない南無阿弥陀仏を、三回ほど唱えて終わりにしようか。

[決定稿]
 そろそろ、生涯を渡りゆく月のひかりも傾いて、余命という名の山の端に近づいた。まもなく、三途(さんず)の闇へと落ちようとしている。どのような行いを、いまさら弁明しようというのだろう。仏(ほとけ)の教えられる真実は、何事に対しても執着のないようにという。もし、そうであるならば、今この草庵を愛することも、閑寂(かんせき)のおもむきにひたることも、悟りへの妨げには違いないのだ。それなのに、どうしてわたしは、このような不要な楽しみを述べて、大切な時を過ごしたのだろうか。執筆を終えた静かなあかつきに、その理由を思い続けて、みずから心に問い掛けてみれば……
 世を逃れて、山林に籠もったのは、こころを悟り修めて、仏の道を歩ませるためである。それなのにお前は、姿は聖人(ひじり)の振(ふ)りをして、こころは濁りに満ちている。住みかだけは、浄名居士(じょうみょうこじ)の跡を真似るように見えながら、保っている精神は、ほんのわずかでさえ、周利槃特(しゅりはんどく)の行いにすら達してはいないではないか。あるいはこれは、貧賤の因果応報に、悩まされ続けた結果なのだろうか、それとも、このような迷いごころの果てに、ついに狂ってしまったのだろうか……
 その時、心はさらには答えなかった。そうであるならば……
 今はただ、答えない心のかたわらに、つかの間の舌のちからを借りて、心のあずかり知らない南無阿弥陀仏を、三べんほど唱えて、この暁(あかつき)の随筆を、静かに終わりにしようか。



P.S.
 平成二十四年十月三十一日(水)
 執筆後、推敲時の下書、草稿、推敲途中のものを破棄する。『方丈記』を採用したのは有意義であったが、四ヶ月もの間、これに束縛されたので、しばらくはこの作品にはわずらわされたくない思いがある。下書はテキストファイルであるが、他は印刷されたものなので、最近はこれが部屋の中にあると、やるべき事を果たさないでいるようで、落ち着かなかった恨みがある。軽やかに破り捨てて、ゴミ箱のなかに放り込んだ。今は夕方の六時。これから朝食代わりに生卵を一つ呑んで、わたしは活動を開始する。まるでこうもりのようなものだ。

2012/10/31

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