角川ソフィア文庫版『方丈記』覚書

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角川ソフィア文庫版『方丈記』覚書

 ここでさらに、角川ソフィア文庫(簗瀬一雄訳注)の「現代語訳」と明確に記されたところのものを、改めて眺めてみよう。これは、

「『方丈記』 あるいは正統なる現代語訳についての若干の考察」

を記すに際して、文庫本の全体を眺めたときの覚書に過ぎないが、その述べようとするところは、「考察」と同一のものである。

草稿的覚書

 語りがもっとも重要な作品においては、その文体とテンポは、翻訳(古語の現代語訳を含めたもの)をまっとうさせるための、必須(ひっす)条件となる。『方丈記』を類い希なる古典としてしているもの、しかも今日なお汲み尽くされない特筆すべき価値は、極限まで不要な言葉を排除しながら、通常の語りより遙かにこだわった言いまわしを、継続的に連ねながら、きびきびしたテンポで、淀みなく語り続ける文体、まるで音楽のような生きた語り口調にあり、それが内容や構成と一体になって、かの作品を永続たらしめている。

 その特筆すべき点を踏まえて、翻訳を行うこと。これがスタートラインであり、これを無視して記された落書は、第一義を踏み外したがために、まるで原作の精神とは異なる、二次的な創作物には過ぎないのだ。そうしてこの現代語訳は、明確に第一義を踏み外している。それをもう少しだけ、眺めていくことにする。

「玉を敷いたように美しい平安京の中に、棟を並べて立ち、屋根の高さを競っているところの、―身分の高い人や、身分の低い人や、いろいろの人の住居は、一見すると、幾代たってもなくならないもののようであるけれども、これをほんとうにそうなのかと思って調べてみると、昔あったままで、今も残っている家は、ごく少ない」

 切り詰めた原文を多少補って「美しい」などを加えて分かりやすく紹介し、さらには当時は「みやこ」と言えば京のみやこであったが、今日なら平安京と書いた方が分かり易いので改変するくらいは、翻訳の便宜に則ったものである。それが不自然でない現代語で記されていさえすれば、現代語のテンポに乖離しない程度の冗長は、自然な描写には違いない。その点に於いて、
「玉を敷いたように美しい平安京の中に」
は極めて的を得た表現であると言えるだろう。しかしすぐに不具合が生じてくる。

 そもそも、
「いらかをあらそへる」
は果たして、
「屋根の高さを競っているところの」
というニュアンスに適ったものなのだろうか。原文のこのか所は、むしろ、
「数多く並び合って、立派さを競っている」
くらいのニュアンスを、言葉を変えて記したものであり、そもそもが実際の広さを競い合っているとか、高さを競い合っていると述べたものではない。この箇所が抽象的な比喩に他ならないとすれば、「高さを競い合う」という表現は、平屋づくりの家並みが続くようなみやこの情景には相応しいものではない。今日においてさえ、日本の住宅はあまり高さを競い合っているとは表現されない。家の立派さと高さがイメージの中で比例しないからである。

 もし「高さを競い合って」が「立派さを競い合って」くらいの抽象的な言葉として使用されるとしたら、むしろビルの立ち並びや、マンションの建ち並ぶような都会の風景、そうでなければ西欧の建築物にこそ相応しいくらいのもので、残念なことにそのような都会の光景に重ね合わせた表現とするならば、それがみやこを記したものであるという事実と、「屋根」という表現が命取りになっている。ビルの建ち並ぶような都会の光景を「屋根の高さを競っている」とは、一般に表現しないからである。

 つまりはこのひと言は、当時の住宅状況にもそぐわず、現代に移し替えた表現としても、的を射ていないことになる。それによって無駄な説明を加えすぎて、読者を立ち止まらせるような、奇妙な表現へと陥ってしまった。要するにこの部分は、初めから「軒を競い合う」くらいで十分だったのである。

 ついでに言えば、「競い合っているところの」などという余計な説明も不要である。現代語で考えてみるがいい。

「出世を競い合っている、商社のサラリーマンや、銀行の受付など、さまざまな人々の住居は」

これで十二分、かつ効率的に通じる現代文であり、

「出世を競い合っているところの、商社のサラリーマンや、銀行の受付など、さまざまな人の住居は」

などという無駄な「ところの」は、きびきびした文体に足かせをはめつつ、なんの得る処もない、不自然な冗長に他ならない。

 さらに原文にには、
「高き卑しき人の住まいは」
とあるものを、
「身分の高い人や、身分の低い人や、いろいろの人の住居は」
などと記している。先にわたしが挙げた「サラリーマン」の例に立ち返ってみよう。ここでは「商社のサラリーマン」「銀行の受付」という対象がそれぞれ個別の人間を指すが故に、改めて「さまざまな人の」と加える必要があった。しかし鴨長明の場合は違う。
「高い身分の人、低い身分の人」
によって、すでにあらゆる人を内包しているのである。それはつまり、
「男の人も、女の人も」
によってすべての人々を表現したはずの文章に、
「男の人も、女の人も、すべての人間も」
と蛇足を加えるようなものである。これだけでもリズムを持った語り口調は台無しにされるところを、さらに続けて、
「世々を経て尽きせぬものなれど」
と短縮表現を目指した、原作者の努力を無駄にして、
「幾代たってもなくならないもののようであるけれども」
などと語りを進める。そもそもこの表現は、現代語としてどのような時に使用するのだろう。
「金庫に収められた百万円は無くなりますか」
という問いに、
「なくならないもののようであるけれども鍵が盗まれるのが心配です」
などと答える人が、現代人の中にいるだろうか。なぜ、

「世々を経て尽きせぬものなれど」

くらいの表現を、

「時代を超えても尽きることはないが」

あるいは少し説明を加えて、

「時代を超えても変わらないように見えるが」
「時代を超えても有り続けるように思えるが」

くらいで済まさないで、

「幾代たってもなくならないもののようであるけれども」

などとお子様じみた、たどたどしい文章へと改変しなければならないのか。この幼児表現法は継続され、鴨長明がわざわざ、

「それをまことかとたづぬれば」

と短縮ぎみに記した言葉を、

「これをほんとうにそうなのかと思って調べてみると」

などと、ずるずるした改悪を執り行う。
ここの表現は、今日で言うなら、
「これが真実であるかと尋ねれば」
という、要点のみを記した、しかも新聞の執筆に見られるような、事実のみを書きしるす、改まったような表現になっているのに、それを事もあろうに正反対のしどろもどろの表現、
「ほんとうにそうなのかと思って」
などと記しては、作品の価値を切り刻んでいる。あるいはそれが目的だとしたら、現代人に対して、古典の価値を貶めさせ、現在の娯楽をのみよだれを垂れ流して追い求めるような人間を、大量生産させることによって、もっとも利益に結びつく現代的娯楽の流通を、より活性化させようという策略でも、ひそかに行っているのであろうか。わたしには分からない。

 あるいはまた、本当に能力に乏しくて、これほどの執筆しか出来ないのであれば、はたしてこのような人物に現代語訳を執筆させるべきなのか、これを許した該当出版社の責任すら、視野に入れられるべきではないのだろうか。

 脱線した。
  先を続けよう。
 けれども「ほんとうにそうなのか」よりも酷いのは、最後に加えられた「調べてみると」である。ここの部分の「たづぬれば」の原文の趣意は、
「わたしが尋ね調べてまわったところ」
にはない。彼はここで「さっそくリサーチして来ました」などと説明口調を持ち出して、これまで一貫して語られていた暗示、いわば「不変」と「無常」の関係を「あるじ」と「住みか」へと導くための一貫した語り口調に、水を差すようないたずらをしたのではなく、むしろ語りの精神としては、
「真実であるかと尋ねるのならば、昔からある家は稀である」
というようなニュアンスである。

 それはこの「たづぬれば」が、「それが真実か尋ねてみれば」という意味を持っていないという意味ではなく、この文脈においては、この「たづぬれば」は、鴨長明が具体的に尋ねてみたことを述べているのではなく、「たづぬれば」返ってくるべき答えを、つまり長明自身がすでに知っていること、読者に知らせたいがために、あえて「たづぬれば」、つまり「たずねてみれば」と記しているに過ぎないからである。その結果として、原文には、もし現代語に翻訳したならば、
「真実であるかと尋ねるのならば、昔からある家は稀である」
もっとくどくどしく説明すれば、
「真実であるかと尋ねたならば、昔からある家は稀であるという答えが返ってこよう」
というようなニュアンスが込められることになる。

 だからこの部分を、
「真実であるかと尋ねてみたところ」
くらいに訳することは的の範囲内である。しかし、
「調べてみると」
は全然違う。これだと「不変」や「無常」を背景にして、作者がすでに熟慮を重ねた事柄について語りかけている調子は損なわれ、実際に鴨長明がリサーチを企てて、それによって初めて得られた情報を、述べようとしているような印象へと陥ってしまうからである。つまりは、
「家々は変わらないようでありながら、昔からある家は稀である」
という事実を知っているからこそ執筆しているはずだという、全体から受ける印象を蔑ろにして、
「ここに至って初めて知ったことであるが」
と気がついたような印象を与えてしまう。

 そのくらい、この「調べてみると」は非文学的なひと言である。悲惨なことはこの執筆者は、延々と最後までこのような失態を繰り返し、これをもし原作の精神であると勘違いしたならば、二度と古典に関心を持たなくなるであろう著述を、一貫して保ち続ける有様だ。

 まずは学生の作文添削くらいのマナーをもって、これを推敲してみよう。まず、不必要な言葉に()を、言い換えるべき言葉に《》を付けてみることにする。

「玉を敷いたように美しい平安京の中に、棟を並べて(立ち)、《屋根の高さ》を競っている(ところの)、―身分の高い人や、身分の低い人(や、いろいろの人)の住居は、(一見すると)、《幾代たってもなくならないもののようであるけれども、これをほんとうにそうなのかと思って調べてみると》、昔あったままで、今も残っている家は、ごく少ない」

 稚拙な表現の中心が、「幾代」から「調べてみると」の間にあることが発覚する。改善点を明らかにし、そこを重点的に改める。推敲の基礎である。このような推敲作業を一切行わず、思いつきのまま冗長な駄文を極めるのは、表現をマニアックなまでに探求したような『方丈記』に対して、冒涜と言ってもいいような行為には違いない。ここでまず、()の言葉を取り除いてみよう。

「玉を敷いたように美しい平安京の中に、棟を並べて、《屋根の高さ》を競っている、身分の高い人や、身分の低い人の住居は、《幾代たってもなくならないもののようであるけれども、これをほんとうにそうなのかと思って調べてみると》、昔あったままで、今も残っている家は、ごく少ない」

 気がついた方もいると思うが、これだけでもずいぶん原文そのものへと近づいたことが分かるだろう。つまり原文はすでに必要十分な語りとして、現代語にもそのまま通用する、もっとも効果的な表現方法でなされていたのであり、それにむりやり加えられたところの、いびつなムカデの足は、その快活な生命力を、奪い取ろうという作業には違いないのだ。さらに面白いことに、他の部分が改善され、無駄のない現代文へと近づくほどのに、《幾代》の部分の不体裁、同一の口調で語られていないような印象が濃くなってきた。すなわちこれは、鴨長明の執筆した部分ではなく、現代語執筆家が怠惰に記した、別の語り口である。次にそれを原文の語りをもとに改める。

「玉を敷いたように美しい平安京の中に、棟を並べて、軒を競っている、身分の高い人や、身分の低い人の住居は、時代を超えても変わらないようであるが、それが真実であるかと尋ねるなら、昔あったままで、今も残っている家は、ごく少ない」

 これだけでも、本来の鴨長明の文章が、どれほどすっきりした、しかも明瞭な文章であったかが分かるだろう。もし彼の文体にさらに近づくならば、わたしたちも読者の想像力に言葉を委ねて、次のように考える必要がある。

 「玉を敷いたように」であれば、「美しい」の比喩くらいは学生でも分かるはずだ。それをあえて「美しい」と加えるのは、分かりやすくはなるものの、表現としてはいささか蛇足ではないか。また「みやこ」が「平安京」であることは、『方丈記』を現代語で読む人々にとっても、ある程度は周知の事実であるし、もし知らないほどの学生には、欄外に脚注を振って知らせればいいまでのことだ。ここでは原文が「京の」といった表現を避けて、わざわざ抽象的な表現で「みやこ」と述べているのだから、「平安京」などと具現化して記すべきではない。さらに、「身分の高い人」と言うよりは、原文の「高き」の強調に合わせて、「高い身分の人」と言ったほうが良いかもしれない。また二度も「の人」を繰り返すのは、リズミカルであるよりもくどくどしい。うしろ側に付けるだけで、両方へと掛かれるものを。

 このようにして、続く部分にも、原文に近づくための考察が加えられるが、それは割愛する。こうして推敲を重ねることによって、

「玉を敷いたような都(みやこ)のうちに、棟を並べて、軒を競っている、高い身分や、低い身分の人の住居は、時代を経ても変わらないように見えるが、それが真実であるかと尋ねれば、昔からある家はわずかである」

へと到達する。

 わたしは、主観的に文章を改編したのではなく、ただ新聞の執筆程度の現代語へとこれを改め、原文の精神に近い表現へと改めただけである。するとこの作品が、どれほど明確に物事を語っているのか、現代語にも通用するような表現によって書かれたものであるか、逆説的に見えてくるには違いない。そのような名文を、何が哀しくて、蛇足のムカデのような、いびつの姿に提出しなければならないのか。わたしにはその理由が分からない。強いて言うならば、やはり原文を貶めて、読者を原文から離れさせるために、執筆者と出版社が協力体制を築いているようにしか思えないくらいである。

 このいびつな現代語訳は、最後までこの調子をまっとうする。それだけでなく、安元の大火に移り変わる頃、さらなるアクロバットを見せはじめる。次第に憂鬱になってくるから、良心的な人は、注意が必要である。

 現代語訳のつたなさについての考察は、前に挙げた通りであるから、ここには繰り返さない。しかしそれに加えて、さらなる不可解な表現が、至るところにわき起こってくる。例えば、原文の表現に従ったものとも思えない、

「灰神楽(はいかぐら)を吹き上げたものだから」

などという表現を使い始める。まるで冒頭、小学生に語りかけるように「これをほんとうにそうなのかと思って」などと記していた調子と、まったく執筆態度が異なっている。つまりは「灰神楽(はいかぐら)」などの表現は、現代人には聞き慣れないために、一瞬戸惑うような文章であり、原文に寄り添いながら

「灰を煙のように吹き上げたものだから」

と語るより、より明解であり効果的であるべき表現の、何ものをも見いだせないといった不始末である。

 そうかと思うと、炎が広がりゆく抽象的な表現であるべきところに、やはり原文にない表現、

「100メートルも200メートルも飛びこえては」

などという説明を持ち込んでくる。この部分は、具体的な数値などないからこそ、百メートルや二百メートルどころではなく、どこまでも広がっていくような火災の、壮大な悲劇が描かれた部分であるというのに、きわめて矮小な距離(一キロや二キロといった文学的な虚構ならまだしも効果があるものの)で推し量ったがために、極めて屁理屈めいた、悲劇性の乏しい、語りとも説明ともニュースとも言えない、中途半端な表現へと陥ってしまった。

 このように、新聞のように解説的に叙述するのか、会話のように語り言葉によって叙述するのか、一貫性が保たれていない印象は至るところに見られ、例えば、
「すばらしい宝は、そっくりそのまま灰となってしまったのだ」
などという、ずるずるした会話調の直後に、平気で
「その被害総額は、いったいどんなに大きかったろうか」
などと述べ立てる。「すばらしい宝は」などというルーズな語り口調に合わせるならば、ここは
「その価値は、いったいどれほどであっただろう」
くらいで無ければならず、逆に「被害総額」などと述べるのであれば、初めの文章の方が、
「宝玉はすべて灰となった」
というように、説明を重視した文体でなければ、一貫性が保たれないのではないだろうか。結果として、文体が絶えず移り変わり、ある種の精神疾患者の記した、つたない落書の印象を与えるばかりである。

 この精神の不一致は、さらなる発展を見せ始める。直後には、普通の「~した」「~する」調の語り口調を唐突に脱ぎ捨てて、
「わかりゃあしない」
だの
「みんなばかげたものなんだが」
だの
「もっとも愚劣だよ」
などという、非知性的な中年男性(俗にオヤジなどと呼ばれる存在)に特徴的な俗な表現をさえ見せ始める。そうかとおもうと、また突然幼稚園児みたいに、「ペッチャンコに倒れた」
なんて表現を持ち込んだり、
「みんな移ってしまいなさった」
なんて、敬語にすらなっていない不可解な表現を見せはじめる。このような混迷はどこまでも突き進み、ついには、

「これから先もうだつのあがりそうもない連中は、こまったこまったと言いながら、うごけないでいる」

などと、中学生が読んでもあまりのつたない文章にあきれ果てるような、誰にも真似できない、描写力のまるでない、だらだらとした文章をさえ生みなしていく有り様である。

「うだつのあがりそうもない連中は、こまったこまったと言いながら、うごけないでいる」

こんな表現は、いったいどのようなシチュエーションで、どのような人物が、何を目的とした語りや説明に置いて、用いることが出来るのか、通常の日常生活の中では、見聞しようのないような表現である。

 この悲惨な執筆態度は、さらなる混迷を深めていく。わたしはもう何も説明しまい。ついには、
「小水の魚のたとへ」
つまりは
「少ない水にあえぐ魚の例」
くらいですむ表現を、何をどう血迷ったものだか分からないが、どうも驚く、
「わずかな水にあぷあぷするさかな」
などという、幼稚園児が故意にふざけ合ってはしゃぐような、不可解な表現さえ見せ始めるのだった。

 その目的が、鴨長明を冒涜することにはなくて、もし本当に
「あぷあぷするさかな」
こそが効果的な表現であると信じ込んだ者が居るとしたら、そんな通常の言語感覚から乖離したような人物に、文学に関することを何か語る資格があるのだろうか。なぜよりによってそのような人物に、現代語訳を執筆させ、それを書籍として市場へ流通させ、鴨長明をひたすらに貶めなければならないのか。

 あるいはそれこそが、出版社の隠された陰謀でもあるのだろうか。それとも、もはや何が書かれていようと、最低限度のチェックを入れるくらいの良心さえ、その構成員たるサラリーマンには残されていないのだろうか。一人一人が自覚を持って文化に関わるという自覚はもはや皆目存在せず、単なる企業利益を求め続けて書物という媒体に群がるような、すなわち構成員に文化への倫理観などは、はなから存在しないような、典型的なサラリーマン社会のなれの果てに、出版社というものは位置するものなのだろうか……

 また脱線したらしい。その後もこの執筆者は、
「怖ろしいものの中でも、特に恐れなきゃあならないのは、ただ地震だなあと、しみじみ痛感したことだった」
と変な表現を駆使したり、
「こんなにものすごく振動することは」
などと、どんなシチュエーションでも、使用し得ないようなつたない表現をもくろんだり、本来ならば
「父方の祖母のうちに住む」
と説明されるべきところを、何の霊感に駆られてか、
「父親のほうのおばあさんの家屋敷」
などと言い出すよう不始末を連発する。

 なにゆえ「おばあさんの家屋敷」でなければならないのだろうか。このような表現を行うならば、逆に「被害総額」やら「灰神楽」などといった言葉は一切持ち出さず、常にお子様にだけ分かりやすいように、くどくどしい執筆を続けるべきであるものを、そのような気はさらさらなく、一方では、
「西方極楽浄土を観法によって念ずる便宜がないわけではない」
などと、お子様へ語りかけるような文体とは、まるで違った文体で語り出す。まるで一貫性が保たれていないのである。こんなことを述べたと思ったら、またすぐに、
「かまやあしない」
だの、
「ありゃあしない」
だの、
「のんべんだらりと」
などと、鴨長明なら絶対に述べないようなことを、俗物の知性の無い表現に終始する。つまりは時代が違うのではなく、『方丈記』の執筆態度とは、精神そのものが異なっている。挙げ句の果てに、最後の部分に至って、
「長明よ」
などという、不思議な自問自答を加え始めて、
「かなうものではないぞ」
「さあ、どうだ」
「私の心は、まったく答えることがない。答えられないのだ」
などと、鴨長明がまるで極めて頭の悪い、自意識過剰の妄想家であるような印象を、極めて効果的に表現したような、驚くべきエンディングへと至るのだからやりきれない。

 いったいどうして、鴨長明をこれほどまでに貶めなければならないのか。彼がすでに亡くなっていて、提訴すら出来ないのをいいことに、なぜこれほどの冒涜を駆使するのか。これを読んだ人たちが、もし『方丈記』をあまり知らない、初めての好奇心に満ちあふれた人だったらどうするのか。そのとき、どのような悲劇が起こるか、その程度のイマジネーションくらい、この執筆者にはまるで存在しないのか。

 すなわち初学者は、いまだ十分に古文を読む力もなく、けれどももしかしたらそこに見知らぬ価値があるのではないかと、古文の作品に近付こうとする。そのような人に対して、想像を絶する奇妙な文体と、挙動不審にして言語不一致に執筆された謎の文章、思いつきのままにはしゃぎまくったような翻訳者の二次創作物を提示して、いったいどうしようというのだろうか。そうやって古文への感心を失わせ、伝統的文化から乖離させ、ひたすらに現代的なことばかりを正統と思い込みながら、あなたがたの生みなす日々の新しい娯楽へ埋没する、ある種の娯楽動物でも築き上げることが、あるいはあなた方、執筆者と出版社の目的であり、それこそが資本主義の理念にかなった方針だとでもいうのだろうか。ああ、それではまるで、組織的な文化的犯罪行為にも等しいではないか。わたしはその日、日がな憂鬱であった。

付録

・これらは、解説版の『方丈記』を記す際に執筆された落書のうち、角川ソフィア文庫版の『方丈記』に関する部分のみを残して掲載したものに過ぎず。

 ことのついでに述べておけば、たとえばこの冒頭部分を何々に依存している、あるいはどこどこからか引用してると述べることと、そのような意見や感慨は、特定の引用を越えたもっと普遍的な価値観として、彼の住んだ当時の社会において比較的自然に接する状態にあったということの間は、かなりの開きがある。つまり当時の社会通念の中で共通意識的な何ものかを引用しているのか、それとも明確に特定の何かを引用しているのかという問題だが、その引用が極めて明白でない場合、あまり安易に、何々より引用などと述べない方がよい場合もままあることを、覚えておいて損はない。この部分について言えば、仏教の精神に依存している、引用しているとは言えるが、仏典に由来するというのは必ずしも正しくない。もともと仏典に由来するが故に仏教の広まると共に社会的に知られるようになったある種の仏教の意識と、どこどこの仏典の言葉とは、この時すでに乖離している場合があるからである。つまりルーツは仏典にあるとしても、もはや彼の言葉の選択は、そのルーツの原典にあるのではなく、それが広まったゆえにある一定の社会(広さに違いがあるもの)の共通意識から取り出された場合、それはルーツの原典からの引用とは、必ずしも言えないのである。これを無視して、後世の観点からあまり安易に引用、根拠などと述べまくると、かえって実体をおろそかにする場合がある。
 具体例をひとつ上げる、
角川ソフィア文庫の『方丈記』において、「昔ありし家は稀なり」の補註に、「昔みし妹がかきねはあれにけり茅花まじりのすみれのみして」や「これや見し昔住みけむ跡ならむよもぎが露に月のかかれる」などが平然と上げられているが、「昔からある家は稀である」くらいの表現は、特定の和歌から取り来たらなければならないほどの表現でははなから無く、つまりは「今日は天気です」というありきたりのひと言を、後世になってその一文を拭くんだ和歌からの引用である、とほざくような馬鹿げた結果ともなりかねない。
 もっとも場合によっては、彼らがこの手の手法を駆使するのには、ページを増やすという、極めて露骨な精神も無頓着に込められていることを、ここで指摘しておこう。ページが多いほど、値段がつり上がるのである。それは出版社の望みでもあり、執筆者の望みでもあるらしい。

 斉衡二年、五月十一日に地震があり、五月二十三日にその影響か、大仏のあたまが転げ落ちた。角川ソフィア文庫版の解説に、「地震があったが、仏頭の落ちたのは、それとは関係ないいことのようである」と執筆されているのは驚愕すべき事実である。直前に地震があれば、多少の思考能力のあるものならば、あるいは亀裂など、間接的影響があった可能性を、たちまちのうちに想い浮かべるに違いない。多少なりとも学問を行ってきたものが、たとえ居眠りをしている最中(さなか)であろうとも、「関係のないことのようである」などと、書くべきものではない。またこのような叙述を欲しいままにするような人物の執筆は、至るところに誤謬をはらんでいる可能性が高いので、注意のために述べておく。

 「角川ソフィア文庫」の『方丈記』三十二ページの最後に、「すなはち、人みなあぢきなき」とあり、「は」を抜いて注もないのは不適切なるべし。底本には「すなはちは」と有るものを。

 「角川ソフィア文庫」で「身心の苦しみを知れゝば」の部分を、「身(み)、こころの苦しみを」と読ませるのは幾分か屁理屈めいた解釈の気がする。流布本系の「心又身の」などからひるがえって解釈したとすれば、後の校訂に則(のっと)って原典を改編していることにもなりかねず、「身」が「こころの苦しみを」とするならば、下は「知れば」といきたくなるところではある。

 ここの意味は、身が心の苦しみを知るのでもなく、心が身の苦しみを知るのでもなく、「心身(しんしん/しんじん)の苦しみが知られれば」つまり「心や身の苦しみに気づかされれば」であり、それ故にこそ「知れれば」と執筆されているのではないだろうか。もっとも古文の知識ははなはだ疎いので、ここはちょっと感想の域を出ない。

 けれどもまた、「心が身の苦しみを知れば」という発想自体が、ずいぶん理屈にまさった現代人風の解釈で、鴨長明はそのような表現はなさなかったのではないか、そのそもこの部分において、「心」と「身」はそれほど離れた存在として語られてはいないのではないかという疑問も起こってくる。すなわち続く、
「使ふとてもたびたび過ぐさず、ものうしとても心をうごかす事なし」
という文脈が、「こころが身の苦しみを」や「身がこころの苦しみを」知らされるがために起こる結果を表したものというよりも、
「こころと身(からだ)の苦しみが知らさせるときには」
の応答として、
「使うからといって酷使せず、物憂いからといって心を動揺させることもない」と、「こころと身(からだ)」の両方へ思いを致して記しているように思われるからである。それゆえ、
「こころが身の苦しみを知れば」
「身がこころの苦しみを知れば」
などという理屈ではなく、
「こころと身(からだ)の苦しみが知られる時には」
の意味の方が、はるかに相応しいように思われる。

 諸本に「今、草庵を愛するも、とがとす。閑寂に着するも、障りなるべし」とあるものは、改悪の気配濃厚なり。この部分、「仏の教えの趣旨は、何事にも執心のないように」であるという理由を述べて、「草庵を愛するのも、閑寂に着するのも、障りであるものを」と、その理由から導き出される結論を加え、そうであるからこそ「どうして無駄な楽しみを述べてむなしく時を過ごしていいのであろうか、いいや良いはずがない」と反語による強調をいたるまで、「方丈記」全体の最後のクライマックス(次へと続く)を取りまとめているのであり、全体が一つのまとまりとしての文章を形成しているもっとも重要なケ所である。そして文脈に於いて、「いいや、それで良いはずがない」と結論づけるのは、まさに最後の部分に提示される反語によってである。それにも関わらず、その前に、「今、草庵を愛するのも咎とす」と置くのは、文脈全体の構想を無視して、局所的に、「仏の教えに反するから、草庵を愛するのも罪です」と結論づけることになり、「執心なかれ」に対する答え「障り」へと向かう文章の連続性を断絶する結果となる。誰の改変にせよ、文脈全体の高揚を削ぐものと言わざるを得ない。

     平成二十四年十月二十九日、時乃永礼これを了す。

2012/10/29

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