万葉集 『初学秀歌』

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朗読ファイル

万葉集 『初学秀歌』

 初学者が、まずは目標とするべき、きわめて分かりやすい表現で、心情を十分に表明した短歌を、『万葉集』から抜き出しながら紹介し、同時に本文では十分出来なかった、『万葉集』のファーストステップの、見取り図を描き出してみるのも、手引き書の付録には相応しいかも知れません。

 そのためにまず、絶対に覚えて欲しい歌人がいます。
  それは、柿本人麻呂(かきのもとひとまろ)ではありません。
   額田王(ぬかたのおおきみ)なんてどうでもいいです。(失礼)
  山上憶良(やまのうえのおくら)、君は黙っていなさい。(失礼)
 それは他でもありません、大伴家持(おおとものやかもち)(717/718頃-785)その人です。

 彼は、万葉集の編者と考えられている人物で、万葉集の中でもっとも歌数が多いばかりでなく、万葉集のなかでただ一人、その生涯が継続的に追える人物になっています。ですから彼を基準におくと、途方もない歌数の『万葉集』の灯台のようになって、私たちはその全体像が見渡せるばかりか、海原に漂流して、嵐になってしまったときも、きっとあなたを救い出す、明かりを照らしてくれる事と思います。それで全体の見取り図は、

巻第一から巻第六   ⇒家持以前から家持時代までの和歌年代記
巻第七から巻第十六  ⇒四季の歌、恋の歌、東歌など各種アンソロジー
巻第十七から巻第二十 ⇒家持の越中赴任時代を中心とした歌日誌

 ちょっと強引なので、初心者用の定義と思ってくださればよいですが、このような大枠の中でも、大伴家持の関係者が歌人として登場する機会が多いものですから、なおさら彼を中心に掴まえておくことを、まずはお奨めしたく思います。

 さらに、中間部のような「四季の歌」や「恋の歌」には『柿本人麻呂歌集』という先行資料が生かされています。また最初の方の巻では、その柿本人麻呂自身が活躍する。続いて家持のお父さんである大伴旅人(おおとものたびと)や、その友人である山上憶良(やまのうえのおくら)、さらには旅人の異母妹であり、家持の育ての親とも言えなくもない大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)が登場し、大伴家持の活躍へと移行していく。
 今はそのくらいの把握で十分かと思われます。
  さっそく短歌を眺めていきましょう。

巻第一から巻第十まで

     『反歌』
あをによし 奈良の家には
  よろづ代に われも通はむ
    忘ると思ふな
          よみ人しらず 万葉集1巻80

(あをによし)
   奈良の家には いつの代までも
  私も通いましょう 忘れたとは思わないでください

 みやこが藤原京から奈良京、つまり710年に平城京へ移る時の、長歌に添えられた反歌です。長歌では、通いながらも建造中の新居に、天皇がずっといらっしゃいますようにと歌っていますから、まさに建設途中の感じです。それを受けて反歌も、天皇の向かう家に、わたしも永遠に通いますと詠んでいる。結句は、相手への継続的な心情を伝えるときの慣用句ですが、ことさらに付け加えたのは、相手が天皇であればこそ、大勢の臣下の一人に過ぎない詠み手としては、自分の存在を認めて欲しい。そんな願いも、ちょっと込められているようです。冒頭の枕詞と、「よろづ代に」という祝賀的なデフォルメが、安っぽい感慨を、短歌として救済していると言えるかも知れません。

 もちろん、類似の表現で現代語の短歌にしても、

すばらしい 奈良のみやこに
  いつまでも わたしも通うよ
    忘れることなく

と、日常の語り口調が、そのまま短歌として生かされますから、初学者の手引きにもってこいです。同時に、どれほど表現の根幹が、日本語は変化していないかということに、天然記念物的な感動を覚えるのは、あるいはわたしだけでしょうか。

     『皇子尊(みこのみこと)の宮の舎人(とねり)ら、かなしびて作る歌二十三首より』
よそに見し 真弓(まゆみ)の岡も
  君ませば 常(とこ)つ御門(みかど)と 侍宿(とのゐ)するかも
          よみ人しらず 万葉集2巻174

はたに眺めていた 真弓の岡ですが
  あなたがいらっしゃるので 永遠の御門として
    寝ずの番をつとめるのです

 日並皇子(ひなみしのみこ)[=草壁皇子(くさかべのみこ)]が亡くなられた際に、柿本人麻呂が長大な長歌を詠みますが、その後に皇子に仕えていた舎人(とねり)、つまり役人たちが詠んだ追悼の短歌が並べられています。これはその一つ。

 これまでは何となく眺めていた真弓の岡ですが、それが皇子の墓所となったので、これからはそこを御門に見立てて、永遠の警護を誓うという内容で、「侍宿(とのい)」というのは宿直(しゅくちょく)、つまり泊まりがけの勤務を表わしています。上句ではただの岡を、下句であなたの御門に見立てて、自らの意志を示したという、分かりやすい構図ですから、凝ったものではありませんが、
     「君ませば 常つ御門と」
といった敬意を込めて、改まった表現にすることによって、警護する兵の心境に即した、引き締まった格式をおびているのが好印象です。そして、もちろんこの短歌も、現代語の短歌にしても、

よそに見た 真弓(まゆみ)の岡を
  君のいる 永遠の宮(みや)と 宿直しましょう

くらいの表現で、そのまま私たちの手本です。
 ところで、ひとつ前の短歌もそうですが、特に冒頭の二巻は、宮廷のおおやけの行事などで使用された短歌が、多く収められているのが特徴です。もちろん相聞(そうもん)と呼ばれる恋愛歌などは、その限りではありませんが。

こゝろには
  忘るゝ日なく 思へども
    人の言(こと)こそ しげき君にあれ
          大伴坂上郎女 万葉集4巻647

心のうちでは
  忘れることもなく 思ってはいますが
    他人のうわさ話の 絶えないあなたですから……

 こちらはその相聞(そうもん)と呼ばれる恋歌。万葉集のジャンル分けとして、特に巻の初めのうちは、
     様々な歌、おおやけの歌を収めた  「雑歌(ぞうか)」
     恋愛の歌、後に「恋歌」と呼ばれる 「相聞(そうもん)」
     亡くなった人をとむらう歌である 「挽歌(ばんか)」
という三つの部立てが守られていますが、この第4巻は「相聞」を納めた巻になっています。

 この短歌は、大伴家持の母親が亡くなってからは、面倒を見てくれたと思われる、大伴坂上郎女(おおとものさかのうえのいらつめ)のものです。「人の言」とは「他人の言葉」の意味で、噂や評判などもこれで表現します。ただ「わたしは思っていますけど、噂の絶えないあなたですから……」くらいの内容で、語りかけが偶然三十一字になっただけのような印象ですが、日常語に近づいた方が、内容がストレートに伝わるのは事実で、伝えたい思いが優るときには、あまり飾らない方が、詩にとってもっとも大切なもの、心情を無くさずに済むものです。それでも「私」「第三者」「君」を配して、自分から相手へと移すという、最低限度の手続きは済ませてありますから、ルーズな印象にはなりません。

白雲の たなびく山の 高々に
   我が思ふ妹を 見むよしもがも
          大伴田村大嬢(たむらのおおいらつめ) 万葉集4巻758

白雲が たなびく山のように
  高らかな気持ちで
    わたしが思っているあなたに
  逢う機会はないかと願うのです

 今度は、大伴家持の妻がらみの短歌。
  先ほどの坂上郎女の娘に、大伴坂上大嬢(おおいらつめ)がいますが、これが将来の大伴家持の妻となる人物です。一方、この短歌の詠み手の田村大嬢は、坂上大嬢の異母姉(いぼし)にあたる人物です。つまり坂上郎女の娘ではありませんから、別のところに住んでいるのですが、二人は姉妹には違いありませんから、短歌の贈答などをしています。

 それで、相手を恋人に見立てて詠むのは、和歌の基本中の基本です。この短歌の思いは、下の句のありきたりの感慨に過ぎませんが、それを上の句で比喩することによって、短歌としての様式を全うする。これなら、はじめに下句に心情を定めてしまい、後からその比喩を作ればよいものですから、初心者にもお奨めの方針です。もちろん現代語にしても、

白雲が たなびく山の 高鳴りに
  待ちわびる妻を 見たいものです

くらいの表現には過ぎませんから、
  私たちにも有効です。
 ただ、高鳴る気持ちで、と同時に、高い所からなら眺められるだろうから、という意図を込めているところが、ちょっと優った処だと云えるでしょう。

春柳(はるやなぎ) かづらに折りし
  梅の花 誰(た)れか浮かべし
    さかづきの上に
          壱岐目村氏真上(いきのさかんそんじのおちかた) 万葉集5巻840

春の柳を誰が 髪飾りに折ったものか
  梅の花を誰が 浮かべたものか
    さかずきの上に

 第五巻は、大伴家持の父親である大伴旅人(おおとものたびと)と、その友人である山上憶良(やまのうえのおくら)が活躍する巻です。旅人は、還暦の頃になって、九州は大宰府に長官として赴任しますが、その先に山上憶良がいて、二人を中心に漢詩と和歌の花が咲くことになりました。この短歌は、その大宰府で旅人が催した、「梅の宴」における参加者の作品です。

 下句の意味は明白ですが、上句が「春柳と梅の花」を浮かべたのか、「春柳は髪に挿して」それとは別に、誰かが「梅の花」を浮かべたのか、現代語訳にしたように、「春柳」の方は「誰れか」を省略したに過ぎないのか。その辺りがはっきりしません。

 この句では、実は冒頭の「春柳」というのは、「かづら」「葛城山(かつらぎさん)」に掛る枕詞になっていて、二句目を修飾しているに過ぎません。それで本当の意味は、「髪飾りに折った梅を、誰が盃に浮かべたのだろう」と分りやすい内容になっています。ただ春柳が、実際に宴の席にありそうなものですから、私たちの混乱を誘ったというだけのこと。分ってしまえば、中々にめでたい作品には成っているようです。

春されば
  我家(わぎへ)の里の 川門(かはと)には
    鮎子(あゆこ)さ走(ばし)る 君待ちがてに
          (娘子の一人) 万葉集5巻859

春が来れば
  わたしの里の 川瀬には
    小鮎が跳ね泳いでいます
  あなたを待ちかねて

 九州は佐賀県北部を流れる松浦川で、鮎を釣る娘さんと和歌の贈答を交わすという、おそらくは創作された物語のなかで、娘さんが歌った短歌です。それが下手歌ではなく、短歌らしく聞こえるのは、実際の詠み手が山上憶良か、大伴旅人であるからに過ぎません。

「春されば」というのは、今日だと「去れば」のように捉えてしまいがちですが、「春が来れば」「春になれば」の基本表現ですので、覚えてしまうのが便利です。内容は、ただ「あなたを待ちかねる」という心情を、跳ねる鮎にゆだねたものですが、春の喜びと「さ走る」という軽快な響きが調和する上に、「我が家」と置いて、自らの家の実景のように引き込みましたから、聞き手も興味をそそられる、魅力的な比喩になっています。

わが舟の 楫(かぢ)はな引きそ
  大和(やまと)より 恋ひ来(こ)しこゝろ
    いまだ飽かなくに
          藤原卿(ふじわらのまえつきみ) 万葉集7巻1221

この舟の 楫を引くのを止めよ
  大和から 恋しいと偲んできた心が
    まだ十分ではないのに

 巻第七に入ると、よみ人しらずの和歌が並べられ、この短歌も「藤原卿」の誰であるかは分かりませんが、傾向としてはこのあたりから、和歌の年代記よりも、「秀歌選」としてのアンソロジーの様相がまさります。特に巻第八と巻第十が「四季」を詠む和歌になっていますから、それに対する巻第七と巻第九を、「四季以外の事物を詠む」和歌として、捉えてみても良いでしょう。

「な引きそ」というのは「な~そ」と動詞を挟み込むことによって、「~するのではない」という願望を含む禁止を表明するものです。それで素直な表現であれば、ただ「大和から恋い慕って来た、この地への思いがまだ飽き足りない」と言っているに過ぎませんが、それを役者を配した舞台でもあるかのように、船頭に向かって、
     「この舟の楫を漕ぐのをやめるのだ」
と自らの感慨を戯曲化して見せたところが、この短歌の取り得です。「まだ大和へ帰りたくない!」、立ち上がってそう述べるくらい、思いが強いと言うことを悟らせるために、あえてこのように詠んだものです。

 話しかけられる。
という事は、私たちがもっとも関心を示しやすい、人間の本能のようなものですから、どのようなものであれ、実際の「語り」を短歌に持ち込むことは、聞き手を引きつけるための、大きな手段になることは、言うまでもありません。

世の中も 常にしあらねば
  宿にある さくらの花の
    散れる頃かも
          久米郎女(くめのいらつめ) 万葉集8巻1459

世の中は 移りゆくものですから
  宿にある 桜の花もまた
    散った頃でしょう

  巻第八は、よみ人の分かる四季の歌を収めています。
 この短歌は、厚見王(あつみのおおきみ)が、「お宅の桜の花はもう散ってしまいましたか」と「桜見舞い」を寄こしたのに対して、世の中は恒久的なものではないから、きっと桜の花も散ったでしょう、と返した短歌です。

 現在でもそうかもしれませんが、「世間は恒常(こうじょう)[定まって変化しないこと]ではいらせません」などと、取って付けたような理屈を持ち出すときは、その裏に、なんらかの詠み手の心理が潜んでいることが多いのです。しかも自分の家のことなのに、「散った頃か」なんてすっとぼけています。それがきっかけとなって、聞き手は何か裏があるのかと勘ぐり始めます。すると、「あなたの心が常でないから、来てくれないうちに散ってしまいました」というような、恨みの影がちらつきます。このような場合には、わざと理屈的に表現しても、それが契機となって心情へと返されるものですから、その理屈は実際のところ、心情的な表現になっていると言えるでしょう。決して無駄な解説ではないのです。

春霞(はるかすみ)
  たなびく山の 隔(へな)れゝば
    妹に逢はずて 月そ/ぞ経(へ)にける
          大伴家持 万葉集8巻1464

春霞の
  棚引いている山で 隔てているので
    あなたに逢えないで 月が過ぎてしまいます

 巻第八で、先ほどは桜、
  こちらは春霞を詠んだ四季の歌。
   詠み手は、万葉集の演出家ともされる、
  大伴家持です。

 主意は「山が隔てていてあなたに逢えない」というだけの、散文にしてもつまらないような内容なのですが、その山を「春霞が棚引いている山」とすることによって、春という時期が定まり、境界が物理的な障害だけでなく、つかみ所のないバリアにでも遮られた印象が加えられますから、距離に対しては山が、心理に対しては霞が、それぞれ隔てているような様相で、ちょっと魅力的な内容に移り変ります。このくらいの簡単な修辞というものは、なかなかあなどれない、常に利用される、短歌の王道の表現です。

秋萩は 咲くべくあらし/あるらし
  我が宿の 浅茅が花の
    散りぬる/散りゆく見れば
          穂積皇子 万葉集8巻1514

秋萩は 咲くべき頃になったのだろう
  わたしの家の チガヤの花が
    散るのを見れば

  今度は秋の萩。
 これも短歌の定番のスタイルで、「秋萩」と「浅茅の花」の二つを対比させて、一方によってもう一方を推し量るという構図になっています。「茅萱(ちがや)」の花は「茅花(ちばな/つばな)」と言われ、晩春から初夏には花穂を咲かせて、種の付いた綿を飛ばしますから、一方が終りを向かえ、もう一方は始まりを迎えるという、視覚的な対比だけでなく、時間軸を加味した対比になっているのが、より聞き手の好奇心を誘います。

 さらに秋萩は「咲いた」ではなく、「咲くべき時期が来たようだ」と推し量ることによって、秋萩への期待を表明している。単純に見えて、なかなかきめ細かい配慮が行き届いています。ところで、俳句ですと「茅花」は春の季語になり、「秋萩」はもちろん秋の季語になりますから、一度歳時記への愛着が湧くと、それに囚われて、このような作品を詠めなくなるような、囚われ人もいるようです。

 そのような浅はかな囚われはせず、ただ実際にそうであったから、このように詠まれたに過ぎないということは、少し既存の作品に慣れてくるだけでも、実際の感動よりも知識を優先させ、忘れがちになってしまう方もいるようですから、その戒めとして、この作品を覚えておいても良いかも知れません。

たまくしげ
   葦城(あしき)の川を 今日見ては
  よろづ代までに 忘れえめやも
          よみ人しらず 万葉集8巻1531

(たまくしげ)
   葦城の川を 今日見れば
     いつの世までも 忘れられません

「葦城の川」とあるのは、福岡県太宰府市より北東の方にある宝満山(ほうまんがわ)から流れ出て、やがて筑後川(ちくごがわ)に合流し、有明海へと注ぐ川の古名です。ただ「この川を今日見たからには、ずっと忘れられない」と言っているだけですが、枕詞の使用と、「よろづ代までに」という和歌的な誇張法によって、特別な景観でも眺めたような印象が込められ、短歌としての様式を全うします。

 このように、日常語をちょっと飾りながら、改まった表現へと代えるくらいで、ずっと短歌らしく響きますから、花のないような、単簡(たんかん)[=簡単]な感慨であるからといって、捨てたものではありません。もし、もう少し気取り過ぎて、お化粧などを加えたら、このような素直な心情は、ストレートには伝わっては来ませんから、すっぴんとのバランスが大切になってきます。

もみち葉を
   散らすしぐれに 濡れて来て
 君が黄葉(もみち)を かざしつるかも
          久米女王(くめのおおきみ) 万葉集8巻1583

黄葉(もみじ)を
    散らすしぐれに 濡れて来ましたが
  あなたの黄葉を 髪飾りに出来ました

  巻第八は、なかなか素敵な四季の歌が続きます。
 これは宴の席で、出席者がそれぞれに、黄葉(もみぢ)を詠んだうちの一首です。「もみじ」は後には「紅葉」と示されますが、万葉集ではもっぱら「黄葉」と記され、色の着眼点が異なります。また清音で「もみち」と発音されたもののようです。

 おそらくは、折り取った黄葉を、酒宴の飾りにでもしたのでしょう。山の黄葉を散らすような、生憎の時雨(しぐれ)のなかを来ましたが、ここの黄葉は散りもせずに、色鮮やかに楽しまれ、しかもそれを、髪に挿すことさえ出来ました。損なわれた物が再帰するような印象ですから、このように歌えば、もちろん主催者への感謝の挨拶を全うします。酒宴の席には相応しいものです。

「TPO」というものは、生きた挨拶としての和歌にとっては、きわめて重要なことですから、状況を無視して格調高い短歌を詠んでも、周りからは首を傾げられる事にもなりかねません。挨拶としての和歌は、通常の挨拶をするとしたら、どのような表現が相応しいか。常にそこから出発して、そこへと戻ってくるようにすべきものです。

あしひきの 山辺(やまへ)にをりて
   秋風の 日(ひ)に異(け)に吹けば
 妹をしそ/しぞ思ふ
          大伴家持 万葉集8巻1632

(あしひきの) 山辺に居て
   秋風が 日ごとに吹けば
     あなたのことを思うよ

 単身赴任中だった大伴家持が、妻である大伴坂上大嬢(おおとものさかのうえのおおいらつめ)に贈った短歌です。「秋風が日ごとに寒く吹くのであなたが恋しい」という、やはりありきたりの感慨ですが、初句と三句の「あしひきの」「あきかぜの」、二句と四句の「やまへに+動詞」「ひにけに+動詞」という、類似の表現を二回繰り返しながら、心情を結句にまとめるという方針が、短歌の様式を定めて、ルーズな印象から救っています。

 お約束の枕詞「あしひきの」が、ありきたりの「山」を、特別な山に変更している点も、今更ですが見逃せない点です。これは例えば「足柄山の」などと、具体的な山の名称を与えるのとも共通の、聞き手に特別な内容を感じさせるための、基本戦術なのかも知れません。

山科(やましな)の 石田(いはた)の社(もり)に 幣(ぬさ)置かば
  けだし我妹(わぎも)に たゞに逢はむかも
          藤原宇合(うまかい) 万葉集9巻1731

山科の
  石田の社に 幣を奉ったなら
    あるいは妻に じかに逢えるだろうか

 巻第九は、読み手の分かる「四季以外の事物を詠んだ和歌」を納めていて、何より高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)という、ユニークな物語長歌の作者の作品を収めた巻として知られます。「浦島太郎」の長歌もあるというから、興味が湧きますが、今回は残念ながらスルーです。

 この短歌ですが、山科は京都の山科区のあたりで、石田神社(いはたじんじゃ)は現在では天穂日命神社(あめのほひみことじんじゃ)と呼ばれますが、その神域の森に幣を奉って祈りを捧げたら、あるいは神が願いを叶えてくれるだろうか。というのがその内容です。したがって下句の心情は、きわめてありきたりの表現に過ぎませんが、それを特別なものにしているのが、神域の名称と、神に捧げものをして祈るときの敬虔さを表明した上句です。

 これまで見てきたように、心情としてはきわめて日常的な、ありきたりの思いを表明しながら、短歌としての価値を有する、様式的な表現に至らしめた作品はきわめて多いものです。私たちも、初めのうちほど、つい特別な心情や、特別な着想を込めなければ、必然性のある詩にはならないような気がして、大げさなジェスチャーをしてしまいがちですが、実際はさりげない心情をもとに、とっておきの表現、あるいはそこまでいかなくても、興をそそられるくらいの表現にまとめれば、十分短歌らしく響くものです。それが初学の秘訣です。そうして和歌の王道です。

高島(たかしま)の 安曇(あど)の港を 漕ぎ過ぎて
  塩津菅浦(しほつすがうら) 今か漕ぐらむ
          小弁(しょうべん) 万葉集9巻1734

高島の 安曇の港を 漕ぎ去って
  今頃は塩津菅浦あたりを 漕いでいるだろうか

  これなどは、初学の秘訣の典型と言えるかも知れません。
 安曇川(あどがわ)は、琵琶湖の西側、陸の突き出たあたりに流れ出る川です。その河口に港があった所を過ぎ去って、今頃は、琵琶湖の最北部である塩津あたりを漕いでいるのだろうか、と推し量ったに過ぎません。「~を過ぎて~のあたりか」というだけの感慨で、あとはすべて地名で賄(まかな)っていますから、随分効率の良い表現です。

 けれども、琵琶湖の地形を思い浮かべるとき、漕ぎゆく実景が、スケールの大きな情景として浮かんで来ますから、
     「始点⇒中点⇒現在地点」
という構想だけでも、漕ぎ手を案じるその心情が悟られ、十分に詩情を全うします。その意味では、もし単独で取り出したら、イマジネーションの枯渇を疑われるくらいの、「漕ぎ過ぎて」「今か漕ぐらむ」という「漕ぐ」の低調なくり返しが、かえってこの短歌の価値を保つための、必要条件になっていると言えるかも知れません。

     『花を詠む』
わが宿の
  花橘は 散りにけり
    悔しき時に 逢へる君かも
          よみ人しらず 万葉集10巻1969

わたしの家の
  花橘は 散ってしまいました
    残念な時に いらっしゃったあなたです

 万葉集巻第十は、「よみ人しらず」の四季を収めたものとして、特に勅撰和歌集の時代に、万葉集の源泉のように思われた、魅力的な短歌が並べられています。しかし同時に、「よみ人しらず」の短歌が、所狭しと並べられた様子は、はじめて足を踏み入れる人には、宿題を山積みされた時の恐怖をさえ、思い起こさせるのも事実です。ですから慣れるまでは、「よみ人しらず」の集められた巻には、近づかないで、私たちの紹介を頼りに、眺めるくらいが良いのかも知れません。

  まずは「花橘(はなたちばな)」の短歌。
 「花橘」は文字通り「橘の花」のことで、今は「ミカンの花」くらいに捉えておいても良いでしょう。橘は食用柑橘の名称で、実の成ることが詠まれることも多いものですから、わざわざ「花の橘」と詠まれている訳です。納められた季節は夏ですが、これは今日の俳句の歳時記でも、やはり夏に分類されています。

「悔しき時」というのは、現在でも「悔しい」という表現が、自分に対する後悔であるように、自分が残念がっている表現です。橘の花がまだ咲いているうちであれば、あなたに見せられたのに、という心情が籠もりますから、効果的な表現になっています。三句で一度「散りました」と文を閉ざしてから、あらためて心情を表明し直すような句切れが、より残念さを確定するような印象です。日常会話でもそうですが、一度言い切って、また話し始めると、より確定的な表現になりますから、このような用法も覚えておくと便利です。

     『雁を詠む』
鶴(たづ)がねの 今朝鳴くなへに
  雁がねは いづくさしてか 雲隠(くもがく)るらむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2138

鶴が今朝鳴いているが
  雁の声はどこをめざして
    雲に隠れてしまったのだろうか

 鶴も雁も秋に飛来する渡り鳥ですが、鶴の方が少し遅れるらしく、その声が響いているのに、これまで聞いてきた雁たちは、どこに隠れてしまったのだろうか。同種のものを二つ対比するという、分かりやすい構図ですが、どうせなら両方を取り合わせて聞きたかったという、詠み手のさりげない欲望が、裏に込められているようで、興をそそられます。

     『蛙(かはづ)を詠む』
草枕
  旅にもの思ひ 我(あ/わ)が聞けば
    夕かたまけて 鳴くかはづかも
          よみ人しらず 万葉集10巻2163

(草枕)
  旅のもの思いに 耽りながら聞いていると
    夕方になるにつけて 鳴いているもの蛙です

 蛙(かわず)というと、俳句なら春の季語ですが、万葉集はそんなけったいなことは致しません。この蛙はカジカガエルの事とされ、山吹と共に詠まれることもあれば、この作品のように、初秋の短歌として分類される場合もある。非常に現実的な分類になっています。ヒグラシなども夏にも秋にも分類されますから、このようなあり方をこそ、私たちは見習いたいと願うくらいです。もちろん俳句を詠むときでも同じです。

「かたまく」というのは「その時期になる」「その時期に近づく」というニュアンスです。上句では物思いに耽る自分を示しながら、聞くともなく耳を澄ましていると、夕ぐれになるのに合わせて、蛙の声がしきりに鳴きはじめる。その経過のなかに、また、旅先での物思いの継続性が悟られますから、蛙の鳴く情景を描き出したことだけでなく、そこまでの経過が織り込まれていることこそ、この短歌の魅力かと思われます。

 もちろんこの短歌に限りませんが、
  類似の表現で現代語の短歌にしても、

長旅の
  もの思いして 聞き入れば
    暮れゆく宵に 蛙鳴きます

と、そのまま私たちが真似しても、
 初学の手本としては相応しいような、
  作品になっているから生きた詩です。

悪歌(あっか)

 もちろん『万葉集』にも、まるですばらしくないどころか、大いに問題のある作品も存在します。またそこまでいかなくても、どこかに傷があって、それが悪い例として、やはり初心者の反面教師のように思われる作品もありますので、ここで少し一休みして、あまりよろしくない作品から、その注意点を眺めてみるのも有効かも知れません。

三句目の弱い例

わが命(いのち)し
  ま幸(さき)くあらば またも見む
    志賀(しが)の大津(おほつ)に 寄する白波
          穂積老(ほずみのおゆ) 万葉集3巻288

わたしの命が
   つつがなければ また見るだろう
  志賀の大津に 寄せる白波を

「逢いたい」でも「帰り来よう」でも「帰り見よう」でも、いくらでも表現があるものを、冒頭の二句から「またも」の意図は明らかであるのに、何故あえて「またも見む」などという表現を選んだものか、熟考したというよりは、上句と下句の着想を取りあえずつないだというような印象がする三句目が、この短歌の傷になっています。

 この和歌に限らず、三句目というのは短歌を素敵にもだらしなくもする、きわめて重要なポジションであることを、よく覚えておいて欲しいと思います。ここさえしっかりすれば、中心軸が定まったような印象になりますし、どれほど着想や構想が練られていても、三句目が不十分なら、すべてが台無しになります。

意味有りて姿なし

手に取るが
  からに忘ると 海人(あま)の言ひし
    恋わすれ貝 言(こと)にしありけり
          よみ人しらず 万葉集7巻1197

手に取れば
  そのために忘れると 猟師の言った
    恋わすれ貝は 言葉だけに過ぎなかった

 拾えば恋を忘れられるという貝殻は、噂だけに過ぎなかったという内容です。それを「言葉だけに過ぎなかった」とまとめるのも、ちょっと理屈っぽい感じですが、これはまだ、上の句の内容次第ではうまく納めることも出来そうです。ところが「恋忘れ貝というものは噂に過ぎなかった」という下の句から、おおよそ推察の付く、取れば恋を忘れるであろうという状況説明を、効果的な表現にあらためるでもなく、
     「手に取れば忘れられると猟師が言った」
とたどたどしく説明してしまいましたから、せっかく詠み方次第では、恋を忘れられない心情を、効果的に表明出来たかも知れない着想ではありましたが、ようやく最低限度のことを記しきったような、初心者の短歌に終わってしまいました。ただ、「からに忘ると」に貝殻の意味を込めたという、浅はかな頓知だけが、名残の宵に漂います。。

同じ言葉の中途半端なくり返し

背の山(せのやま)に もみち常敷(つねし)く
  神岳(かみをか/かむをか)の 山のもみちは 今日か散るらむ
          よみ人しらず 万葉集9巻1676

瀬の山に 黄葉が常に敷かれているから
  神岳の 山の黄葉も 今頃は散っているだろうか

「背の山」は和歌山県伊都郡(いとぐん)かつらぎ町にある山で、対する「妹の山」と合わせて「妹背(いもせ)の山」などと呼ばれたりしています。それに対して神岳というのは、奈良県の明日香村にある雷丘(いかづちのおか)を指すようす。それで一方の状況から、もう一方の状況を推し量るという、よく見られるパターンになっています。

 類型のパターンには、お決まりの構図のもたらす安心感がありますから、それはそれで良いのですが、一句二句と三句四句の間に、言葉のリズムを整えて、対句関係にするような意識が不十分で、「もみち常敷く」「山のもみちは」に同型反復の喜びが生まれず、ちょっと締まりのない「もみち」の繰り返しになってしまいました。もう少し推敲を重ねれば、全体が引き締まったと思えば、残念な気がします。

[もっとも、万葉集の時代には平仮名は存在しませんから、すべてが中国から流入した漢字を利用して執筆されています。その読みの解釈には幅があり、ここで紹介してる和歌も、必ずしもその読みが正解とは言い切れません。ただここでは、そのような事は無視して、紹介している読みが正しいものとして、解説を続ける事にします。]

 もちろん同じ言葉のくり返しは、
  同型反復の効果が生かされていたり、
   コンセプトがしっかりしているなら、
  効果的な表現になるものです。たとえば、

紀伊(き)の国に
  やまず通(かよ)はむ 妻の社(つまのもり)
    妻寄(つまよ)しこせね/に 妻(つま)といひながら
          よみ人しらず 万葉集9巻1679

紀伊の国に 絶えず通おう
  妻の森よ 妻を与えたまえ
    妻と言うからには

 紀伊の国にある「妻の社(つまのもり)」に祈り通えば、妻という神域であるからには、妻を下されるに違いないという内容で、三句目以降、連続的に句頭に置かれた「妻」のくり返しが、語り言葉のリズムとして生きているばかりでなく、それほどまでに妻を求めている、詠み手のやるせない「妻請い(つまごい)」の心情が表明されていて、くり返しの効果が生きています。全体として、ちょっと理屈っぽい傾向はありますが、悪いものではありません。

飛躍しすぎ

我がゝざす 柳の糸を
  吹き乱る 風にか妹が
    梅の散るらむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1856

わたしが髪に挿す 柳の糸の葉を
   吹き乱している この風で恋人の
  梅も散っているだろうか

 わずか三十一字のうちでの変化ということで、自らの髪に挿した柳の葉を風が揺らしている、と上の句に置いたのであれば、より内容を定めるべき下の句においては、「妹の髪も揺らすだろうか」くらいの推し量り方であれば、髪の印象の継続から、心情の表明も保たれますが、妹にフォーカスをうつした上で、実際は妹に心情をゆだねるのではなく、さらに彼女の家の梅にフォーカスを移し直して、その梅も散っているだろうかというのは、本人はすばらしい舞を演じているつもりでも、アクロバット過ぎて、はた目にはこんがらがってもつれているようにしか思えないものです。

 つまり上の句に対して、妹を出すのであれば妹を推し量る事に専念し、梅の散るのを推し量るのであれば、妹など出さない方が、はるかに焦点が定まったものを、ただ事実のままに表現してしまったので、閉ざされた詩の結晶としては、弱みが残されたという訳です。しかも「妹の庭の梅は」とワンクッション置くならまだしもですが、いきなり「妹の梅は散っただろうか」とまとめますから、本人だけは状況が分かっているからそれで納得できるようなものの、聞き手からすれば突然話が切り替わったようで、なおさら拙く感じます。つまりは込めすぎ、独りよがり、推敲不十分、の三拍子が揃っていると言えそうです。もちろん、妹の髪飾りの梅だとしても、記述不十分で唐突です。

もうひと推敲

年のはに/ごとに 梅は咲けども
  うつせみの 世の人我(われ)し
    春なかりけり
          よみ人しらず 万葉集10巻1857

年ごとに 梅は咲きますが
  (うつせみの) 世の中の人であるわたしには
     春はありませんよ

 ありがちな内容ではありますが、うまくまとめれば、素敵な短歌にもなるような着想を、最低限度に表現したくらいの「世の人我し」が、全体を低調に貶めている、負の表現の核心になっています。多少の傷はともかく、全体を貶めるような表現は、推敲のうちに改めるのが、より良い短歌の秘訣です。これでは、ようやく頑張って着想をまとめ上げたという印象しか湧きませんから、詩としては台無しです。

結句の悪い例

かはづ鳴く
  吉野の川の 滝のうへの
    馬酔木(あしび)の花そ はしに置くなゆめ
          よみ人しらず 万葉集10巻1868

蛙の鳴く
  吉野の川の 滝のほとりの
    馬酔木の花ですよ
  隅に置くものではありません

 せっかく、水中の音声である「蛙」の鳴き声からはじめて、水上の吉野の川から滝の上にまでフォーカスを引き上げて、いよいよ馬酔木の花を提示したというのに、その情景のままの感慨として、「君に見せたい」やら「散るのは惜しい」などとまとめずに、情景から引き離して、「隅の方に置くな」と説明オチにしてしまったものですから、せっかく四句まで築き上げた、すばらしいコンセプトが、すべて台無しになりました。

 一つ前の短歌には、まだ全体に推敲すべき弱みがありましたから、四句目で短歌が台無しになっていても、捨て置かれるくらいのものですが、このように途中までの表現が効果的で、優れた作品にもなれそうなものを、たった一句の失態で、台無しにしているような短歌は、聞かされる方もむなしさが倍増です。

 皆さまも、もしすばらしい表現が出来そうで、どうしてももう一言が浮かばないような場合、取り合えず短歌にしてしまおうと、このような理屈オチを加えたりはせずに、その部分は何日でも、一週間でも、一ヶ月でも、あるいは一年でも、本当に素敵な表現が見つかるまでは、じっくりと言葉を見つけ出すことが必要です。もっとも、毎日考える必要はありません。そこだけを空欄にして、時折思い返したように、また考察してみると、ある日突然、すべてがしっくり来るような、素敵な表現が浮かんで来るものです。

 そして、そのような経験を繰り返してると、自分が言葉を生みなしているのではなくて、初めからあるはずの素敵な表現の結晶を、探し出しているに過ぎないような錯覚に、囚われることがあるかも知れません。私たちのいかなる言葉も、莫大な言語社会の経験の中から導き出され、個人のイマジネーションなどではなく、社会的表現に還元されるべきものであるならば、そんな感覚も結局、いつの時代にも普遍的に存在する、必然的な感覚に過ぎないものなのかも知れません。ひたすら表現の独自性を主張しては、ひと言にすら利権をむさぼる、奴ら下劣なたましいを、糾弾することも可能かも知れませんね。

着想溺れ

朝かすみ 春日(はるひ)の暮れば/は
  木の間(このま)より 移(うつ)ろふ月を
    いつとか待たむ
          よみ人しらず 万葉集10巻1876

(朝がすみ) 春の日が暮れれば
   木々の間から 移り出る月を
     いつまで待てばよいだろうか

「朝霞」というのは「春日」の枕詞ですが、
    「朝」⇒「日」⇒「暮」
という時間の経過を表明してもいるようです。それが結句の待ちわびる思い、「春待ち」の長さというお約束のパターンを導き出しているのですが……

 この場合、二句までの狭い字数での移行が性急に過ぎるのと、「春日」の提示くらいでは、日中を過ぎて暮れた印象が十分には出ないために、単に夕ぐれを不体裁に「朝の霞」などを使って修飾したような印象しか起こりません。つまり意味は受け取れるのですが、語られる言葉自体からは、その意味が心情にまで響いてこないので、解説しただけの印象に陥ります。

 さらに下の句も、山の間から登る月なら、待ちわびる印象も鮮明ですが、この表現では、ただ木の枝の間を、移動しているような印象が籠もりますから、登り来る月を待つ表現としては不体裁で、むしろ宵のひと時のイメージです。つまりはさえない上句と下句が合わさって、全体をぼんやりとさせてしまっている。なにも、それが春のおぼろを表明しているという訳でもありませんから、たんなる不明瞭のままに果てました。

意味強し

     『七夕』
年の恋 今夜(こよひ)尽くして
  明日よりは 常(つね)のごとくや
    我(あ/わ)が恋ひ居らむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2037

一年ごとの恋を 今夜は十分し尽くして
  明日からはまた いつもの通り
    わたしは恋しく思い続けるだろう

 これまでのように、悪いものでもありませんが、七夕の出逢いの喜びとしても、今夜は十分愛を尽くそうという心情としても、内容が理屈にまさり過ぎますから、本当に待ちわびていたのかと、危ぶまれるくらいの決意表明です。詠われるシチュエーションによっては、あまり理屈が先に立つものは、それが仇(あだ)となって、心情を斬り殺す結果ともなりかねません。私たちも、時には「悲しい」「苦しい」と率直に嘆くくらいの、おさな子のたましいが必要です。

 始めの「年の恋」が「叶う恋」で、結句の「恋ひ居らむ」の恋は「待つ恋」で別のものなのですが、その違いが理屈以外から伝わってこないのが、致命傷かと思われます。

良いか悪いか

     『雨に寄する』
九月(ながつき)の
  しぐれの雨の 山霧(やまぎり)の
    いぶせき我(あ/わ)が胸 誰(た)を見ばやまむ
          よみ人しらず 万葉集10巻2263

九月の
  しぐれの雨の 山のなかの霧のように
    晴れないような私の気持ちは
  誰を見れば終わるだろう

 初めの三句の「の」のくり返しによる状況提示も、それに導かれる四句の心情も効果的で、これまでの悪例とは違って、むしろ優れた短歌として紹介しても良さそうなくらいです。あえて、ここに入れたのは、結句の「誰を見ばやまむ」という取りまとめが、例えば「君に別れて」「君に逢えずに」「何を求めて」などいくらでも存在する中で、本当に最適な表現であったのか、皆さまにも考えて欲しかったからに他なりません。

 しかも、この詠み手は、ある程度それについてよく考察して、最終的にこの淡泊な表現に定めた気配がしますから、なおさら、この短歌は、半端な悪歌などではなく、見習うべき手本のようにも思えます。しかし同時に、やはりこの結句が最良の解答なのか、疑問が残るのも事実です。つまりは四句までが、中々良く出来ているので、(ただし時雨の雨と山霧の表現に危ない所がありますが、)もっと取って置きの結句を期待してしまう。これまでの例より高い次元での、悪歌であると言えるかも知れません。もちろんそれは、この「初学者用の解説」の中でなら、優れた短歌に収めて、差し支えないくらいの魅力的な表現を宿している。悪い例というのも、登り行く階梯(かいてい)[=階段]によって、指標が異なるものです。つまりこの悪例は、初心者用の悪例ではない、中級者くらいの悪例である、と言えるかも知れません。

蛇足

志賀(しか)の浦に 漁(いざ)りする海人(あま)
   家人(いへびと)の 待ち恋ふらむに
  明かし釣(つ)る魚(うを)
          よみ人しらず 万葉集15巻3653

志賀の浦で 漁をする漁師が
  家の人が 待ち焦れているだろうに
    夜明けまで釣っている魚よ

 心情の核心は「漁師が、家人が待っているのに漁を続けている」というもので、漁師と家人の双方の寂しさを、詠み手自らの心情に返すような短歌になっています。そうであるならば、その核心に専念すればよかったのです。つまりは結句を「夜を明かしつつ」とか「釣りを続けて」とまとめれば十分であったものを、ついもう一言込めたくなって、最後の最後に「明かし釣る魚」と「魚」を加えてしまったものですから、焦点が「明かし釣る漁師」から離れて、魚の方に移ってしまいました。

 これほど見事な蛇足(だそく)というのもちょっと珍しいくらいで、「明かし釣るかな/かも」くらいで十分すぎる所を、最後の「魚」というたった一言のために、全体の焦点が定まらなくなって、ピンぼけになってしまっています。皆さまも、局所的な表現の妙に走ると、時に全体にとって、悪い方に作用することもありますから、十分に全体を見極めながら、ディテールに凝ることをお勧めします。

駄洒落

昔より 言ひけることの
  韓国(からくに)の からくもこゝに 別れするかも
          六鯖(むさば) 万葉集15巻3695

昔から言われていることに
  「韓国(からくにの)辛く」というものがありますが
 私たちも辛く、つまり辛い思いで
    ここで別れをするようですね

 これに関しては、詠み手の責任ではありませんが、現在の私たちには、もはや「韓国(からくに)の辛く」の意図が明白ではありませんから、心情とは無関係の、下手な言葉遊び、すなわち駄洒落のように響いてしまうのが、この短歌の価値を低めています。時の流れのせいとも言えますが、説明的で知性に訴えるだけの、心情に乏しい表現であるから、知性に訴える部分がそぎ落とされたら、無残な残骸になってしまった。深い心情も同時に込められていたなら、また話は違っていたかも知れません。そのような見方も存在します。

意味ばかり?

旅と言へば 言(こと)にぞやすき
  すべもなく 苦しき旅も 言(こと)にまさめやも
          中臣宅守(なかとみのやかもり) 万葉集15巻3763

旅と口にすれば 言葉ではそれまでのこと
  遣り切れなく 苦しい旅であっても
    それ以上の表現になるであろうか
  いいや、なりはしないだろう

 結句の「まさめやも」というのは反語です。なかなか分かりにくい表現ですが、初めの二句では「どんな旅でも、旅と口にするのはたやすい」、それに対して残りの三句が、「なすすべも無いほどの苦しい旅でも、言葉にすれば、どうしてまさることがあるだろうか。いいや、まさるものではないよ」と、これまた学生に対してなら、説明が必要なことを述べています。もちろん推し量れば簡単な事で、
    「どれほど苦しい旅でも、旅と口にするのは同じくたやすい」
それで結論を述べれば、詠み手の心情は、

旅と口にしてしまえば、
  どんな旅も同じになってしまうが……

という、含みを持たせたものになっています。
 それで、こんな意味ばかりが先に付くようなことを、わざわざ回りくどい言い回しで、分かりにくく提示した、さぞかしひどい悪例のようにも思う人もあるかも知れませんが……

  実はそうではありません。
 不自然な表現や、明白でない表現には二種類あります。一つは単に詠み手が下手で、表現が熟れていない場合。もう一つは、そのような表現をすることによって、悟らせたい思いが存在する場合です。そうしてその二つは、詠まれた短歌が、心情さえ解き明かせば、理論整然として、すばらしい表現になるか、それともどれほど推し量っても、不明瞭なままであるかで決まります。先ほどの説明を経て、もう一度この短歌を、なるべく原文に即して現代語にすれば、

旅と言えば 言葉にはたやすい
  なすすべもなく 苦しい旅も 言葉にするならまさるだろうか
    (いや、言葉にするなら何も変わらないが……)

 分かりやすい表現になっていることが分かって来ます。それで、どのような状況であれば、詠み手がこのような表現に陥るか考えますと、もちろんちょっと苦しい旅くらいなら、「今回の旅は苦しい、遣り切れない」と単純に心情を表明します。けれどももし、何を愚痴っても、どのように手を施しても、そこから逃れることも出来ず、やめることも出来ず、しかも本人は望んでいないような旅であったらどうでしょうか。

 子どもが泣いたり、叫んだりするのは、それによって愛情を得られる期待があるからです。けれども一日泣いても、三日泣いても、それどころか一ヶ月泣いても、一年泣いても、なんの声さえ帰ってこなかったら、もう子どもは悲しいという感情を、表に出すことすらしなくなるのではないでしょうか。この詠み手の心理状態も、少しそれに似たところがあります。もはや単純に、辛いとか、悲しいとか表明しても、どうにもならないようなやりきれなさ、あきらめのようなものが、鬱積(うっせき)した心情として、「旅と口にしてしまえば同じなんだ」というやりきれなさを、辛うじて表明している。だからこそ三句目には「すべもなく」という表現が置かれているのであって、この言葉と、結句の反語は、それぞれにこの歌を読み解くための、キーワードとして機能しているのです。

 そのような訳で、ちょっと読み流したときは、ぼやけた表現の、意味ばかりがまさったような短歌ですが、素通りせずによく読み直すと、なかなかに意味の裏には深い心情が潜んでいて、また全体もその心情の表明としては、きわめて明快に、その意図を体現している。

  したがって、これは悪例ではありません。
 それがここに置かれているのは、私自身が第一印象で、これは悪だと分類してしまった、そのなれの果ての姿をさらしているに過ぎません。この短歌にとっては、迷惑な話ですが、けれどもあえてここに残します。なぜなら、皆さまも、ちょっと詠んだときの印象で、良いとか悪いとか判断するのは、誰でも当たり前に行なうことですが、どうかそれを絶対だと思わずに、むしろ絶えず自らの判断を疑って、もしかしたらそこには、素敵な思いが込められているのではないか。見るべきものがあるのではないか。何度でもその短歌に対する、判断を繰り返して欲しいと願うからです。この短歌にしても、このように改めて考察を加えたために、ようやくその心情が理解され、私としても過ちのまま、行き過ぎずに良かったようなものなのですから。

 当たり前の話ですが、言葉には、
  詠み手の思いが込められているものです。
 それが最終的に、下手と判断されるのであれ、うまいと判断されるのであれ、詠み手と同じくらいの根気を持って、聞き手も解釈をしてあげなければ、懸命に詠んだ相手にとって、失礼かも知れない。そのくらいの思いは、あるいは単なる良心とか、マナーの問題に過ぎないのかも知れませんね。

 ただし、この短歌、悪いものではありませんが、同時に優れたものでは決してありません。あしからず。

巻第十一から巻第二十まで

 ここからはまた、初学者用の手本を、
  『万葉集』のうちからお送りします。

あらたまの 年は果(は)つれど
  しきたへの 袖かへし子を
    わすれて思へや
          よみ人しらず 万葉集11巻2410

(あらたまの) 年は暮れたが
  (しきたへの) 袖を交わしたあの娘(こ)を
     忘れて思ったりするだろうか

 巻第十一と巻第十二は、
  「よみ人しらず」の相聞。
    すなわち恋の歌を収めます。
  ただし、よほど慣れないと、
 同種の表現に思われる短歌が、
永遠と続くような恐怖に囚われて、
 詠んでいるうちに精神崩壊を……

  とまではいきませんが、
   へこたれてしまうこと請け合いです。

 さて、「思へや」というのは、「思うだろうか」という疑問が強調され、「いいや忘れたりはしないよ」と反語になったような表現で、心情のピークになっています。それを説明するために、初めの二句で枕詞から時期を定め、次の二句で枕詞から共に寝た娘であることを説明し、最後の結句で取りまとめる。凝った感慨ではありませんが、枕詞付きで「時期」と「状況」をくり返して、結句にまとめるため、構造がしっかりしていますから、安心して聞いていられます。

 これまで見てきたように、土台としての構造というものは、なかなかに表現において大切なもので、その大枠にさえ乗っていれば、様式的な短歌に聞こえますし、聞き手も安心して聞いていられますから、慣れないうちほど、だらだらと思いついたことを書き流すよりも、[上の句で状況]⇒[下の句で心情]などと、大まかな輪郭を定めて、そこに言葉を流し込むようにすると、よい短歌が生まれやすいかと思います。これもまた、初学の秘訣と言えるでしょう。

確かなる 使ひをなみと
  こゝろをそ/ぞ 使ひにやりし
    夢(いめ)に見えきや
          よみ人しらず 万葉集12巻2874

しっかりした 使いも居ないので
  わたしの心を あなたの元へ遣わしましたが
    夢のなかで逢えました?

  これまでの作品の多くは、
 わたしたちでもすぐ浮かぶような、当たり前の感慨をもとに、うまくまとめたものが多かったのですが、これは「しっかりした伝令がいないので、わたしの心があなたの夢に、使いとなっていきました」というのですから、着想からしてユニークです。

 ユニークな着想というものは、こねすぎて詠み手の意図が先に立つと、浅はかなエゴの産物のように響きますが、素直に詠み手の心情へと返されるようなユニークならば、もとより聞き手の興味を誘発しますから、当たり前の感慨よりは、感興をそそられることが多いのも事実です。

 これなどは、連絡をしなかったことを咎められた時の、言い訳と解釈しても面白く、何しろ「わたしの心という使いを送ったのに、まさか気づかなかったか」と言われては、逆に糾弾されているみたいな構図になりますから、相手を怒ることさえ出来ません。

 このように、素敵なユニークというものは、聞き手に様々なシチュエーションを思い起こさせたり、情景をさ迷わせて、心地よい推察に浸らせるようなものです。反対に嫌味なユニークというものは、読み手の意図ばかりが、溢れんばかりに充満して、一刻も早くそこから逃れたくなる、「遠田のかはづ」の落書きのようなものだと、明言しても良いでしょう。

あづさゆみ 末は寄り寝む
  まさかこそ ひと目を多み
    汝(な)を端(はし)に置けれ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集14巻3490

(あづさゆみ) やがては寄り添って寝よう
   今ばかりは 人目が多いので
     お前を横に置いているだけだ

『万葉集』の巻第十三は、様々な長歌を収めたもので、
  あるいは実際に音楽に乗せて歌われた、
   歌謡曲ではないかと思われるような作品が、
  多く収められているのが特徴です。
 それに対して、巻第十四は「東歌(あずまうた)」と呼ばれる歌を収めた巻で、

あはをろの
   をろ田に生(お)はる たはみづら
 引かばぬる/\ 我(あ)を言(こと)な絶え
          よみ人しらず 万葉集14巻3501

あはをろという地名の をろ田に生える
  「たはみづら」という植物は
    引けばぬるぬるとどこまでも続くように
  わたしに音沙汰を絶やさないでくれ

 このような、方言が入り交じって、詠われる内容も、通常のものよりは庶民的な、日常生活が強くにじみ出ていたり、和歌では詠まれないような、下卑た内容であったり、露骨な性愛を詠ったり、日常語の浸食が激しかったりと、他の巻とは大きく異なる和歌が並べられています。

 先に紹介した「あづさゆみ」に始まる短歌は、むしろ内容は分かりやすいものですが、「将来は一緒に寝るが、今はお前を隅っこに置いておく」なんて、意味は分かりますが、表現力に乏しい、学校に行くのをサボっていたような vocabulary の貧弱さが発散されているようです。

 しかし同時に、「あづさゆみ」「まさかこそ」に始まる「将来」と「現在」の対置から、結句を導くなど、言語感覚に乏しい者であったなら、まとめられないような構成を保っているのは、このような表現が、偶然粗野な人から生まれたものではなく、短歌慣れした人が、わざとこのような表現を試みているから。少なくともこの短歌は、そのように感じられるのではないでしょうか。あるいは仕組まれた田舎歌、という傾向も「東歌」には込められていて、なかなか庶民の歌などとは、まとめられないのが実情です。

今よりは 秋づきぬらし
  あしひきの 山松蔭(やまゝつかげ)に ひぐらし鳴きぬ
          よみ人しらず 万葉集15巻3655

これから秋らしくなるのだろう
   (あしひきの) 山の松の影で
  ひぐらしが鳴いている

 万葉集の巻第十五は、朝鮮半島の新羅国(しらぎこく)へ遣わされる使節団の、旅先での和歌を収めた長大な連作と、流刑された夫とみやこに残された妻の、熱烈なラブレター代わりの往復贈答歌、という二つの連作歌集を収めた、ユニークな巻になっています。

 これもその使節団の、航海中の短歌の一つですが、このように、初めに述べたいことを宣言して文を閉ざし、あらためてその内容を説明するような方針も、短歌の定型の一つです。ところで、万葉集の時代には、掛詞(かけことば)はそれほど発達してはいませんが、「松」と「待つ」の取り合わせは、当時でも定番でした。そこで、四句目を「山で待っている影に」と解釈すると、なおさら「今から秋らしくなる」という感慨が、秋を待ち望んでいたような印象にまさります。

 また「ひぐらし」は朝夕にしきりに鳴きますから、「山松の影」と親和性が高く、まだ暑い時期の、鳴き始めのヒグラシであるところから、昼のうちは暑くて、ようやく涼しさの籠もる夕ぐれなどが、自然と浮かんで来ます。そのような想像力をかき立てる点において、四句目の「山松蔭に」は、多少熟れないような表現ではありますが、重要なキーワードとして機能しているようです。

 プラスとマイナスを秤にかけて、プラスの方が大きいならば、多少傷のある表現でも、採用する価値は大いにありますから、皆さまも、どうしても優れた代替案の浮かばない時には、あえて多少の傷を誇りに思うくらいの覚悟も、時には必要だと言うことを、弁えておいて欲しいと思います。きっと役に立つこともあるでしょう。

竹敷(たかしき)の 黄葉(もみち)を見れば
  我妹子が 待たむと言ひし
    時ぞ来にける
          大伴三中(おおとものみなか) 万葉集15巻3701

竹敷の 黄葉を見ると
  愛する妻が 待っていると言っていた
    時は来たのだな

「竹敷(たかしき)」は、今日では「たけしき」と呼ばれる対馬の港です。なぜそんなところが歌われたかというと、新羅へ向かう使節として立ち寄ったからです。それで、妻には「秋には戻る」と言っておいた筈が、対馬の黄葉を見ると、すっかり約束の時が来てしまった。さりげない感慨には過ぎませんが、都と対馬の距離感、さらには戻る約束をしたのに、これから海外に向かわなければならないという、時間のギャップが、やりきれなさを高めているようで、心情の伝わる短歌になっています。

 ここでは、使節団の散文による説明は省いて、短歌だけを紹介しましたが、紀行文への挿入やら、詞書きの説明によって、状況がつまびらかになると、それによって短歌の印象も変わってくる場合も多いのです。けれども、それを外しても心情が、素直に伝わればこそ、より深みが増すのであって、下手な短歌を詞書きによって、懸命に取り繕(つくろ)っても、文字通り、
     「下手な短歌を詞書きで取り繕った」
としか思われませんから注意が必要です。また他にも、詞書きや物語とセットになって、はじめて意味を全うするような短歌も存在しますが、その場合は全体をひとつの作品として、鑑賞するのが定めです。

天(あめ)の下(した)
  すでに覆ひて 降る雪の
    ひかりを見れば 貴くもあるか
          紀清人(きのきよひと) 万葉集17巻3923

天空の下を
  すっかり覆って 降っている雪の
    輝くのを見れば 貴い気持ちがします

 万葉集の巻第十六はこれまでのジャンルに収められなかった、種々のユニークな短歌を収めたもので、中には下卑た滑稽ものも収められてますから、なかなかに面白い巻になっています。そして続く十七巻からは、これまでとは大きく内容が移り変って、大伴家持が、自らの和歌や、採取した作品を記した、「大伴家持私集」のようになって、おおよそ彼の越中(えっちゅう)赴任時代を中心に、全二十巻を全うします。

 この短歌は、746年の正月、元正太上天皇(げんしょうだいじょうてんのう)という女性の元天皇のところに、貴族たちが挨拶がてらに雪掻きに出かけて、その後の宴の席で、雪を詠んだものです。けれどもシチュエーションが分からなくても、ある程度『万葉集』に接している人であれば、「天の下」や「ひかり」や「貴くもあるか」という表現から、天皇など上位のものを讃えた表現であることは分かります。ですから短歌だけでも「相手を讃える和歌」であることが悟れます。

 悟れはしますが、同時に、あくまでも詠っていることは、雪の尊さに過ぎませんから、無意識のこびへつらいに慣れて、もはやそれがへつらいであるとも悟れないような、嫌らしい腰弁(こしべん)のように穢れてはいません。それで聞いていても、不愉快な気持ちにはならないで済む訳です。。

     『布勢(ふせ)の水海(みづうみ)を遊覧する時に』
神(かむ)さぶる
   垂姫(たるひめ)の崎 漕ぎ廻(めぐ)り
 見れども飽かず いかに我(われ)せむ
          田辺福麻呂(たなべのさきまろ) 万葉集18巻4046

神々しい
  垂姫の崎を 漕ぎ巡り
    見ていても飽きません
  どうしたものでしょうか

「布勢の水海(ふせのみずうみ)」は、富山県氷見市(ひみし)の十二町潟(じゅうにちょうがた)にかつてあった、巨大な湖と湿地帯のことです。なぜそのような場所が詠まれているかと言うと、大伴家持が746年、越中国(えっちゅう/こしのみちのなかのくに)の国守(こくしゅ)[今の県知事くらい]として、赴任していたのと関わりがあります。つまり十七巻以降は、大伴家持の歌集のようになっていますから、必然的に彼が移動した先の出来事が、和歌として収められていく。到底中立的な、同時代の撰集などと呼べるものではありません。完全に、大伴家持が主人公になっている訳です。

 短歌の内容は、垂姫の崎があまりにも美しいので、どれほど見ても見たりない、見たりない以上は、離れられないのだが、それでも離れなければならないとすれば、「わたしはどうしたらいいのでしょう」と、結句で心情を表明しているようです。冒頭に「神さぶる」と神の印象を持ち出すのは、ちょっとずるい方針かも知れませんが、見たこともないような神秘性を、わずか五文字で表明してしまい、述べたい内容へ移れますから、きわめて効果的です。

 なるほど、写実主義などを掲げて、一生懸命に大自然を描写しなくても、聞き手にはそれぞれの経験から、すばらしい情景が浮かんで来ますから、細かい描写などは、時にはおせっかいに過ぎないこともあります。(時にはどころか、写実主義を標榜する作品においては、おせっかいな場合がきわめて多いくらいです。)リアルな描写は、リアルな描写が必要な場合にしか、意味をなしません。

さくら花
  今そ/ぞ盛(さか)りと 人は言へど
    我(われ)は寂(さぶ)しも 君としあらねば
          大伴池主(おおとものいけぬし) 万葉集18巻4074

桜の花が
  今こそ満開だと 人は言いますが
    わたしは寂しいのです
  あなたと一緒に見られないのが

 大伴家持が越中に赴任すると、和歌仲間である大伴池主(おおとものいけぬし)が配下にいましたので、一緒になって和歌を詠みまくっていたのですが、やがて彼は隣国へ移動となってしまいました。それで大伴池主の方から、「桜を一緒に見られなくて寂しい」と詠んで来たものです。

 あえて三句目に「人は言へど」と置くことによって、「自分はあなたがいないので、直に桜を見る気にすらなれないで、満開であることを人から聞いても、こんな短歌を詠んでいるばかりです」という寂しさを表明していることになります。ちょっと無駄な表現のように思えますが、実は大切な思いが込められているようです。

 なるほど、適当に詠まれた短歌は、ちょっと無駄に思える表現は、実際にちょっと無駄なものに過ぎませんが、よく熟れた短歌において、余計な表現が加えられていたり、わざと分かりにくい内容が描かれていた場合は、しばらく立ち止まって、考察を加えてみるのがお勧めです。しばしばその部分にこそ、詠み手の思いが込められている場合が多いものですから。

住吉(すみのえ)に
   斎(いつ)く祝(はふり)が 神言(かむごと)と
  行くとも来(く)とも 舟は早けむ
          丹治比真人土作(たぢひのまひとはにし) 万葉集19巻4243

住吉大社に
  お仕えする祝(はふり)の お告げによると
    行きも帰りも 航海は順調だと言うことです

 これは大伴家持がらみの短歌ではありません。むしろ大伴家としては、政敵に近いくらいの、圧倒的勢力を誇りはじめた藤原家の、藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の館で、遣唐使(けんとうし)の使節へ贈られた和歌です。万葉集だけを眺めていると、なんだかのほほんとしていますが、この時代は藤原氏と反藤原氏を中心に、何度も権力闘争による流血が行なわれた時代でもありました。752年に開眼供養会(かいげんくようえ)が行なわれた、聖武天皇(しょうむてんのう)の業績としての東大寺の大仏などは、政治闘争の果ての平和への祈願を、仏教熱の高まりの中で、表明した側面もあるかも知れません。

 それはさておき、この短歌は、住吉神社(すみよしじんじゃ)に航海の祈願を立てたら、「祝(はふり)」すなわち神官が「往復の航海は順調である」というお告げをくれたと詠んでいます。

 もちろんこんな状況を、順次説明していたら、解説まみれの自尊短歌のように、意味ばかりが先に立って、詩情が殺されてしまいます。ですから、内容の核心に焦点を定めて、「神官のお告げによれば、往復の航海は順調である」という短歌に仕上げています。さらに、その解説的な内容を、短歌の表現へとあらため、航海の安全なども、「行くも戻るも舟は早いだろう」という「語り言葉」へと差し替えていますから、解説的な嫌味などまるでなく、詩的に楽しめるという方針です。

 無駄な説明が先に立ったら、詩としては興ざめを引き起こす。これは決して、いにしえの和歌と今日の短歌の違いというものではなく、詩を受け取る際には、いつでも見られる傾向です。ですから、今日において生きた詩である、流行歌の歌詞において、語りというものが全うされているのと、なにも変わらない、最低限度のマナーには過ぎません。

     『防人歌』
旅ごろも
   八重(やへ)着かさねて 寐(い)ぬ/のれども
 なほ肌寒し 妹にしあらねば
          玉作部国忍(たまつくりべのくにおし) 万葉集20巻4351

旅の着物を
   八重に重ね着して 寝ていても
 まだ肌寒いのは 妻ではないものだから

 徴兵制による国防軍である「防人(さきもり)」は、東国から徴収され九州へ赴任します。大伴家持は、彼らが集結する難波(なにわ)、つまり大阪湾のあたりでその監督にあたるかたわら、彼らの和歌を収集しました。それが「防人の歌」です。

 ここでは、もちろん八枚も上着を持っている訳はありませんし、八枚も上着を着れば、いかに粗悪な布とはいっても、寒いよりも重いような気がしますが、そのような事実をないがしろにする事によって、それほど妻の肌を慕っているという、詠み手の心情を、表明する事に成功しています。このようなデフォルメは、内容が心情へと返されるものですから、ちっとも嫌味に聞こえないばかりか、効果的な表現には違いありません。

 とはいえ、それには日常感覚というものがきわめて重要です。ここでも着物を百枚にしてみたり、灼熱の炎に飛び込んでみたりしたら、滅茶苦茶な落書きに落ちぶれることは明白です。誇張表現には、自らの通常の感覚を、わずかに踏み越えたくらいの、デリケートな表現が求められるものなのです。それにしても……

 これが優れた歌人の名歌などではなく、さりげない「防人の歌」に過ぎないように、その程度の言語感覚は、日常に言語を使いこなす私たちにとっては、すでに備わっているものですから、皆さまもまた、自らを信じて詠んでくだされば良い訳です。

 唯一、遣ってはいけないことは、それを踏まえないで、自らがこね回した着想から編みなした、変な表現を模索するような不体裁で、もし、私たちの日常的言語感覚に従っていさえすれば、たとえ短歌の内容が乏しく、拙い詩になることはあっても、詩でも何でもない、品評会の提出物のように、落ちぶれることは無いと思います。

 ですから皆さまは、まずはそのことをこそ、心に留め置いて、もし相手に対して、素直に語りかけるとしたら、どのような表現をするだろうか、いつでもそこに立ち戻って、必ず口に唱えて確認しながら、短歌を詠まれるのが良いでしょう。

 以上、簡単に『万葉集』をひと眺めしながら、私たちの手本として、まずは初学の目標とすべき、さりげない作品をばかり、アンソロジーとして並べました。また中間部には、反面教師としての作品も、幾つか提示してみました。もし皆さまが、自分の表現に迷ったり、どのように詠めばよいのか、分からなくなった時には、いつでもここに立ち返り、シンプルな表現のうちにも、優れた短歌は目指せることを、ふたたび感じ取って、また作詩を続けられるようにと、ひそかに願っています。

               (をはり)

2016/07/06
2018/05/28 推敲+朗読

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