万葉集はじめての短歌の作り方 その六

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朗読ファイル

万葉集はじめての短歌の作り方6 短歌を超えて

[朗読ファイル その一]

 私たちは誰でも、短歌を詠んでいるときは「歌人(かじん)」、あるいは「歌詠み(うたよみ)」です。専門家も片手間もありません。誰もがみんな歌人です。でも歌は、短歌だけではありません。さまざまな詩のジャンルが存在します。わたしは皆さまに、短歌を基本においても、短歌だけをつくような、囚われ人にはなって欲しくはありません。それよりも、あらゆる表現を駆け巡る、詩人であって欲しいと願います。

 なるほど、これほどの伝統のジャンルですから、専門家というものは必要ですし、また大切なものには違いありません。でもわたしは、それを研究し、歴史を明らかにし、教えているような人たちであっても、まずはじめは様々な詩を詠むことの出来る、詩人であって欲しいと思います。その上で、主要なジャンルとして、それぞれの詩があればよいと、こころから願うばかりです。

 ここからは、そんな思いに基づいて、
  さまざまな詩型を紹介します。
   その志を持たない、狭き者たちよ、
    自らの、暗きねぐらに戻るがよい。
   わたしたちは、新たな空へと、
    羽ばたく、朝焼けがさわやかです。

日常の中の短歌

短歌の学び方

 昔は何をするにも、師事(しじ)という事が語られました。発句にせよ短歌にせよ、あるいは小説にせよ、それぞれの文芸社会が閉ざされていて、そこに入るためには、そこに入っている先達(せんだち)[つまり先輩方。指導者]を通じて、その社会へ入る必要があったからです。

 その社会が移り変り、文芸社会があまねく人々に解放されると、以前の閉ざされた空間は、そこから取り残され、次第に解放された一般社会と、異なる精神を、かたくなに守ろうとする、残され島のようになってしまう。実際の島なら風変わりな生物の宝庫かもしれませんが、なんでか古くなった大福のように、かびが生えまくるものには過ぎないようです。

 つまり文学における師事というものは、私たちがもっぱら技術を得るための手段として、音楽を習うとか、絵画を習うとか、スイミングスクールに通うとか、その他様々なことを学ぶためのレッスンスクールではなくて、一般社会の共通概念としての教育を補助するべき塾のようなものでもなくて、単に過去の文芸社会の残骸に過ぎないものです。

 なぜなら、短歌の作り方などは、わたしがここに落書きしたくらいの知識で十分ですから、公開講座のレクチャーくらいの知識しか必要はありません。そこから先は何をするかというと、結局は短歌を教えているのではなくて、先生の色にあなたを染めているに過ぎないのです。またそのように染められた、先生の元に集う仲間達こそ、結社だの同人誌じみた、形骸化した過去のもの、その名残には過ぎません。

 お話ししました通り、すべて詩というものは、私たちが十分に使いこなせている、言葉をもとにして、描き出すに過ぎないものですから、私たちは学校というきわめて効率的な教育機関で、学習した当たり前の表現でもって、それを歌うための素養は、もう十二分に備わっているのです。だから、もし古語の先生について、専門的に古語を習うのであれば、すばらしいことだとは思いますが、短歌の先達について、師弟関係を結ぶなどという古代の風習とは、もしそんな形骸化したスタイルが残っていたとしても、関わらないことがおすすめです。

 今時、そんなのあるわけないじゃない。と皆さまはお笑いになるかも知れません。ですが、あるいは初めて短歌に触れるような人が、知らない道を歩くうちに、そんな過去の遺物に、迷い込む恐れも、未だあり得ないとは言い切れない。過去をだらしなく引きずっているジャンルでもありますから、念のために記しておくのです。

 それではどうするのが良いかというと、共通の趣味を持って、お互いに言いたいことを語り合える、友人を見つけることが一番かと思われます。またそのようなサークルが少し大きくなって、先輩後輩などの関係になったとしても、先輩への敬意は別にして、対等の意見を交換しあえる、環境にあることが大切です。また学校などで、和歌の部活がさかんになったら、素敵なことだとは思いますが、その時の先生は技術的なことを教える、中立的な教師に過ぎないものですから、誰々に師事したような関係にはなりませんし、生徒達は自らを、誰々に師事したなどとは表現する訳もありません。そのくらいのまとめ役なら、大いに結構かと思います。

 それで結論を述べれば、あなたはひとりでも短歌を楽しみながら、表現をより良くしていく事は可能ですが、なるほどひとりは寂しいものですから、もしまわりに誰か、共通の趣味を持つ知人があれば、楽しく成長出来るには違いありません。けれどもまた、そんな相手など誰もいないからといって、楽しめないものでもありません。あるいは永遠(とわ)の引きこもりの心情を、短歌に紛らわせるくらいでも、成長する楽しみというものは、日常の寂しさとは別に、純粋に存在するには違いないのですから。

短歌の日常的用法

 作品として価値のある短歌の作り方は、前回までのお話しで、一通り説明しました。これからはそれを実践して、少しずつ上達していくしかありません。ここからの説明は、そのような特別の短歌を作るのではなく、日常生活において、さりげなく和歌的な毎日を、楽しんでみようというお話しです。

 あれほど作品の価値を述べておいてなんですが、文芸の本質は、芸術的作品を生みなす事にはありません。スポーツの本質が、健康と精神の健全化と維持、及び純粋な楽しみがもたらす、喜びと対人関係にあるものを、まるでスポーツ選手を養成するための、偏った教育主義にのめり込んだ時、社会におけるスポーツのあり方そのものが、歪められてしまうのと同様に、文芸の本質は、日常生活のありきたりの表現を、ちょっと彩って見せたり、挨拶を交わしたり、自らの思いを委ねてみたり、あるいは相手と作品を批評しあったりするくらいの、私たちの日常的な楽しみの中にあるのであって、傑作を追い求める個別勝手な創作のうちから、すぐれた作品が残されることに存在するのではありません。

 あるいはまた、自らの活動を乏しくして、与えられた娯楽としての作品を、ひたすら食べあさる鶏へと落ちぶれた時、もはや飼育小屋が生き方となった、共通の規格品としての、ブロイラーが大量生産されるばかりで、その餌としての文芸すらも、自らの羽根で飛び出すための、なんの活力にすらならなくて、むしろブロイラーを養成するための、画一化された規格品へと貶められてしまう。

 それと同じように、豊かな文芸というものは、自らの生きた活動を豊かに彩るための、わたしたちの日常生活の中にこそ、まずは存在しなければ、社会そのものの中の文芸というものが、まるで干からびた胎児のように、死滅してしまうには違いありません。(byエリック・サティ)

 そのような訳で、かつて小説のようなもっとも下らない、どこまでいっても個人の作品に過ぎないようなものが、文芸の代表のように崇められた時代もありましたが、わたしたちは日常でのさりげない詩の落書きや、詩を利用した相手とのやり取りや、あるいはそれを歌ってみるとか、うまくできたものを見せ合うとか、自らの日常活動を彩るものとしての文芸を、大切にしていきたい。そうでなければ、文芸そのものが歪められ、与えられた娯楽としての餌に、どれほど感心したり、なみだを流して情緒をむさぼっても、自らはちっとも豊かにならないということに、ようやく気がつき始めた新世紀。
 あるいはそんな誘導は、
  あなたはお嫌いでしょうか。

  それならそれで良いのです。
 ともかく日常の中で何気なく、利用できる詩として、千年以上の歳月を生きながら、小学生でも描き出せるようなもの。芸術作品にもなり得るほどの、そんな詩を私たちはせっかく、伝統のうちに持っているのですから、「短歌」というものを基本において、詩的生活を送ってみるのも、あまりにも味気なく偏った、歪んだ社会に対しては、かえって矯正力ではないかしら。
 そんなことすら、浮かんで来るような五月(さつき)です。

 もちろん日常的な詩型というならば、俳句も利用して結構です。しかし、ただ俳句だけを専門に作ることは、まったくおすすめしません。それは日本語における十七字というものが、豊かな表現をするためにはみじかすぎて、ボロを出さずにそれらしいものを作る表現として、(なにしろ季語を入れれば、もっと字数が減りますから、)つまり「何かを生みなした気になれる」もっともお手軽なジャンルとして、あまりにも利用され過ぎてしまう、その宿命に由来します。

 つまりは字数が少なすぎるので、敷き詰められたマンネリズムの堆積平野には、これが知的活動であるのか、疑われるくらいの落書きの地層が、年代別に連なっているばかり。あるいはそれを破ろうとして、謎の表現を目指したりと、詩情を離れた失態が繰り返されているようです。

 もちろんこれは、俳句が悪いわけではありません。もっとも簡単に思えるものに、人口が密集しがちであるのは、つぶやきくらいがお気に入りの、彼らの習性に由来するものには違いありません。ただ、根本的な問題として、日常的な心情をのびのびと、つまりはその心情のままに表明するには、字数が足らないものですから、日常における詩的生活のためには、中心に置くべきものではない。
 ただそれだけの話です。

 実際のところ、すぐれた俳句を詠むには、極度の人工的細工が必要になってきます。つまりは、短歌より取るに足らないどころか、詩として完成させるには、難しいくらいのものなのです。おすすめしない理由は、その人工性にも大いに由来します。むしろ俳句は短歌のサブとして、時折作ってみるのが愉快です。あるいは「俳句道」なるものが、あると信じる蓑虫は……
  きっとわたしの落書きなど、
    詠んでいないでしょうから安心です。

日常表現

[朗読ファイル その二]

 前置きが長くなりました。
  ようやく解放されてキーボードを、
   叩きまくれる気配がします。
  日常的な短歌といえば、
 まずは日記からはじめましょう。
  やっぱり『万葉集』がおすすめです。

山の峡(かひ) そことも見えず
  一昨日(をとつひ)も 昨日も今日も 雪の降れゝば
          紀朝臣男楫(きのあそみおかじ) 万葉集17巻3924

嶺の境さえ どこだか分かりません
  一昨日も 昨日も今日も 雪が降っていますから

 これは実際は、宮中に雪かきに出かけて、「雪を詠め」と言われたときの「題詠(だいえい)」ではありますが、ここではただ、ある日の出来事をしたためたものとして捉えます。例えば毎日あったことを、軽く記しておくような場合、あるいはちょっとした備忘のメモに、短歌を利用してみるのも愉快です。ただそのような場合、散文と変わらないくらいのペースで、すらすらと描けないと、備忘になりませんし、日記にしても辛すぎて、三日坊主になりかねません。第一すぐれた短歌など目論んでいたら、眠くなって寝てしまいます。

 このような日常的な使用には、
  まさに日常語や日常散文に近いくらいの、
 さりげない記し方が相応しいものです。ただ、これまで習った修辞などから、ちょっと気の利いた所を加えると、それだけで短歌らしくなりますから、一瞬のひらめきでよいので、何か一工夫するのがおすすめです。

 この短歌も、いつも二つに分かれている山々を眺めたら、もちろん雪が降っている最中なのも理由ですが、ぼんやりとした白山にしか見えなかった。それを今日のお天気代わりに、日記に記したに過ぎません。ただ事実をそのまま利用して、「一昨日も昨日も今日も」と、同種の言葉を並べましたから、「三日間」と記すのとは違って、様式的な短歌として聞こえます。それくらいのインスピレーションでしたら、小学生高学年の、算数の宿題より簡単です。気楽な姿勢で詩が作れたなら、満足感も伴います。

 なにも日課にしなくてもよいのです。
  いつでもある瞬間に、思いついたら実行です。
   手帳に記してもいいですし、
  端末に済ませてもよいのです。
 ポケットにはいつも手帳か、
携帯端末があるならば、
 ことあるごとに開いては、
  短歌でメモがお奨めです。
   例えばお買い物に行こうとして、

シャンプーと
   トイレットペーパー お砂糖と
 甘いお菓子は 忘れちゃ駄目駄目

 そんな落書きをにぎり締めて、
  店員に突きつけるのが暴力です。
   あるいはまた、

提出の
  まじかに迫る 怒りして
 田中の書類 待ちわびるかも

なんて落書きして、
  部下を脅すのが部長です。
 そうかと思えば、

カツ丼を
  出してください わたくしが
    すべてやりました 自供致します

疲れた顔の犯人も、
  唱えられたら万葉です。
 あるいはお墓の前で寂しそうに、

ねえあなた
  まもなくそちらに 向かいます
    今日はもみじが とても赤いの

 即興で歌えるものならば、
   それだけで様式化された、
     思いの結晶にもなるのです。

贈答歌(ぞうとうか)

 万葉集では「問答(もんどう)」と呼ばれ、勅撰和歌集の時代には「贈答歌(ぞうとうか)」といわれたもの。相手との短歌のやり取りも、日常的短歌の基本です。

     『問い』
我(あ)が恋は なぐさめかねつ
  ま日長(けなが)く 夢(いめ)に見えずて
    年の経ぬれば
          よみ人しらず 万葉集11巻2814

わたしの恋は なぐさめられません
  あまりにも長い日々 夢にも見えないまま
    年月を過ごしましたから

     『答え』
ま日長(けなが)く
  夢(いめ)にも見えず 絶えぬとも
    我(あ)が片恋(かたこひ)は やむ時もあらじ
          よみ人しらず 万葉集11巻2815

長い日々
  夢にも見えないで 途絶えたとしても
    わたしの片思いは 絶えることはありません

 一緒に短歌をやる仲間が出来たら、
   短歌のやり取りをするのがうれしさです。
     あそびながらに向上です。

  なんの制約もありません。
 ただ、ひとつの手段として、この恋の応答のように、
     「ま日長く夢にも見えず」
と相手の言葉を一部利用して、自らの思いを伝える方針は、相手の話に基づいて、答えを返すのですから、もっともオーソドックスなスタイルです。けれども皆さまは要するに、日頃散文で返している内容を、短歌で返せばそれでよい。贈答歌のスタイルなど、まったく気にする必要はありません。

 ただ相手の言葉を利用して、そこに着想を加えて切り返すというスタイルは、すぐれた作品を生みなしたいという欲求とも結びついていますから、短歌の応答を続けていればいつの日か、やりたくなるくらいの話です。
 例えば、待ち合わせに遅れそうになり、

喩えれば
  ひとつ遅れた 準急の
    九分くらいが ひとの定めか

なんて電書鳩(でんしょばと)を飛ばしますと、

喩えれば
  ひとつ遅れた 準急が
    いつもどおりの 君のいい訳

と返事が来るかも知れません。
  あるいはまた、テーブルの上に、

肉じゃがは レンジでチンして
  みそ汁は 弱火が一番 温め直して

なんて食事の用意がされていたら、

ありがとう
  美味しかったよ 肉じゃがは
    ちょっとしょう油の 味を濃くして

と書き残して、着替えを済ませて出勤です。
  その後がどうなるかは、
    二人の仲次第では修羅場です。
  あるいはかつて分かれた恋人に。

おもかげは
  しおれたアルバム 一ページ
 うらがえされた 写真一枚
          贈歌 時乃旅人

と散文と一緒に記したら、

愛してる
  愛してません 摘み草も
 あなたの頬も 消えたこの原
          返歌 時乃遥

と何も記されずに、
  ただ短歌だけが返ってくる。
 どうしていいか分からずに、
   こころと惑う夕ぐれです。

その他

 あるいは、仲間内でお題を決めて「題詠(だいえい)」をしたり、上の句だけを送って、下の句を書かせたり、初句だけを定めて相互に渡しあうなど、日常のさまざまな相手との関わりの中で、短歌で遊べたら素敵です。あらたまった歳事の挨拶を、短歌で詠めたら格好(かこ)いいです。

 ただ一つだけ注意をするならば、いきなり興味もない人に、送りつけると引かれることが、あることだけは気をつけましょう。でも、もし誰もが日常で、短歌を利用するようになったらいつの日か、もう誰も不自然だなんて思わない。そんな日が来たら素敵ですね。例えばそんな夢の方が、人工知能よりはるかに豊かです。人と人との未来です。

短歌から離れましょう

 さて皆さまは、
  あるいは短歌に夢中になって、
   どんな表現を目指してやろうか、
  着想に華やいでいる頃かも知れませんが……

 水を差すようですいません。
  さっそく短歌から離れましょう。
 短歌を詩の基本に置くということは、短歌をずっと作っていろという意味ではありません。わたしたちはいつの時代の人たちよりも長く、何かをするゆとりを持って、生きていける時間を手にしました。そうして今は沢山の、詩の表現方法が生まれています。日常の表現を、いかなる形にでも様式化して、それを残すことに楽しみを覚えたら、どうして一つの詩型に過ぎないものを、ずっと詠み続けることがあるでしょうか。むしろさまざまな詩型で、思いを表現したくなるのが自然です。与えられたものに過ぎない、狭くるしい檻を小宇宙だなんて、誤解するのはあまりにもみじめな、フラスコのなかの蛙(かわず)です。げこげこげこげこ騒がしい、哀れなしあわせ世界です。

 短歌を基準に置くとは、
  そんな小っちゃなことではありません。
 どんな様式にしたところで、はじめて描いてみせるには、ちょっとした足がかりが必要です。どんな詩を鑑賞するにしたところで、過去からあらゆる表現が試された、短歌を基準にするなら日本語の、あらゆる詩の比較すら可能です。そんな作成と鑑賞の根底に、短歌を置いて欲しいのです。そうしていつも、故郷(ふるさと)のように、短歌に戻ってきて欲しいから……
 わたしの言うのは、ただそれくらいの基準です。

 短歌はこれからも折々に、詩作の中心に置くとしても、これからは異なる詩型の作り方を、説明して行こうと思います。そうすればある着想を、ただ短歌にするばかりでなく、二つの詩型に分割するなり、二つのジャンルで共有するなり、あるいは長い散文詩と、短歌をペアにしてみたり、さまざまな表現方法が次から次へと、浮かんで来るには違いありません。

 そもそも万葉集の人たちからして、
  一つの詩型に埋没していた訳ではありませんでした。
   まずは万葉集の「短歌」とは異なる形式を、
  これから学んでいきましょう。

つかの間コラム 詞書(ことばがき)

 ところで、せっかく特別な詩型を学びますから、
  これからは「詞書(ことばがき)」を、
   記してみるのはいかがでしょうか。

 詞書きというのは、短歌の前に置かれて、短歌を説明するための散文です。(もっとも、短歌と同じ[五七]調を利用したって構いませんが。)内容は、ただ今日の日付から、簡単な状況の説明、あるいはかつては、それなりの長さの物語を描き出して、短歌につなげるようなものも、詞書に含めましたから、ほとんど何でもありと言えそうです。

 ただ今日では、ある程度の独立した文章は、[歌物語]の形式が存在しますから、要領よく状況をまとめたくらいを、「詞書(ことばがき)」と考えておけば良さそうです。

     「詞書きの具体例」
このように 段下げをして
   カギ括弧に 括って記すのが
      おすすめですけど
          ⇒(この場所も使えます)

 形式や、詠み手の名前、日付などは、
     (この場所も使えます)
の部分を利用した方がスマートかも知れません。
 詞書きには、
  「山を読む」といった題やら、
    「~行きの電車に乗って~の山が見えたときの歌」
  のような、簡単な状況説明が似合いそうです。

短歌の応用

破調(はちょう)・破格(はかく)

[朗読ファイル その三]

「破調(はちょう)」「破格(はかく)」という表現は、ただの字余りや字足らずだと説明されたり、「破格」は文脈の切れと句切れが異なるものだと定義したり、まちまちで、統一見解がありませんので、ここではおおざっぱに、様式の定型から、局所的に逸脱している事としておきます。

 ところで、一定の調子で詠唱するならともかく、口に出して詠んでも、通常の語りくらいで済ませてしまう私たちにとって、文字数は絶対的な意味を持たなくなっています。おおよその輪郭が守られていれば、一文字くらいの変化は気にならないのは、厳格な詩型が身についているものですから、(何しろ嫌々ながらでも学校で教わりますから、)局所的なわずかなブレなどは、心象のうちに様式へと復元されてしまうのも、大きな原因です。

 そのためわずかな字余りや字足らずは、あまり気にしないでよいと、はじめから説明したくらいですが、ここで行われる字余りや字足らずは、そのような様式内の揺らぎではなく、明白な意図を持って、詩文の一部を、破調(はちょう)・破格(はかく)にするものについてになります。

初めての
  チョコに勇気は ゆだねます
    どうか受け取ってください
  心臓ばくばく

 全体の様式が保たれて、そこさえ抜けば短歌であることが、実際に唱えて見て、確認されるのであれば、あえて局所的な破調を持ち込むことも可能です。この例のように、語り言葉であり、心情のピークでもあるような所に合せると、伝えたい思いがまさり過ぎて、形式が歪んだように聞こえますから、詠み手の思いが伝えられて、かえって効果的なくらいです。あるいはまた、

なんだか腹が減ったな
    美味しいにおいに 誘われて
 暖簾をくぐる 早退の午後

 ただの日常の語りから、様式的な短歌に移行したような効果があります。反対に結句で日常の語りに返っていくような方針もありますが、あまり長くなりすぎて、聞いていても、様式の復元力が働かず、短歌と思われなくなったら破綻します。自分がどれほど主張しても、聞き手が短歌と見なさなければ、それは短歌ではなくなりますが、聞き手といっても様々ですから、破調が大きくなれば大きくなるほど、短歌と見なさない人が増えるのは避けられません。

 ですからこんな短歌ばかりでは、ちょっと安っぽく見られますが、逆に定型の短歌ばかり並べられても、マンネリズムと思われるのであれば、時々はこのようなやり方も、挟み込むくらいが楽しみであり、詩的な面白さにもつながります。

 使用の目安としては、心情のピークに合せたり、語り言葉に合せたり、あるいは流行歌の歌詞をそのまま引用して、短歌のうちに利用したりと、詠み手の特別な意図があると、聞き手が悟れるようなヶ所で使うのが秘訣です。また二文字の字足らずを使用しても、

夢は……かつてはわたしのものでした
   いまはつかめない
  遠いまぼろし

 やはり大切な思いを、
  印象づけることが可能です。

 完成したら、何度も口に唱えて、短歌に聞こえるか確認しましょう。耳で短歌に聞こえなければ、それはただの短詩に過ぎません。しかも中途半端に短歌を猿まねした短詩であると悟られると、評価が下がることにもなりかねません。

 自由律の俳句や短歌の危うさは、実はそこに存在します。なまじ俳句や短歌の名称にこびりついているものですから、下手な俳句や、下手な短歌に見られるのは当然で、また形式を離れておきながら、中途半端に伝統に囚われていたりと、なまぬるい「まがいもの」に見られてしまう。それで多少すぐれたものを拾い集めると、実際は短歌の様式を踏まえながら、それを緩やかに解体したものに過ぎなかったりします。

 ではさっそく、ノートを取り出して、
   二字以上字余りの短歌を三句。
     二字以上字足らずの短歌を二句。
  作ってみるのが練習です。
    ついでに、字数に固執するような、
      安っぽい固定観念はデリートです。

自由律(じゆうりつ)短歌

 短詩でなくて、短歌の「自由律(じゆうりつ)」ということですから、つまりは短歌の亜流(ありゅう)には他なりません。ですから埋没すべき詩のジャンルと捉えて、自由律短歌ばかりを作っているならば、咳をしてもひとりぼっちの、誰からも相手にされない、老のみじめさをさらしますが、短歌のいちバリエーションとして、時折楽しむならば、かえってバラエティーを豊かにする、素敵な詩型としても成り立つわけです。

 つまりは本流(ほんりゅう)を基本に置くからこそ安心して、
   ときおり逸脱してみるのも、愉快なジャンルということです。
  ただし私の定義は、通常のものとは異なりますが、
    もとの定義自体が意味不明ですので、相手にする必要もありません。

「狭義の自由律」は、短歌や俳句の枠構造はそのままに、「韻律(いんりつ)」すなわち字数の制限だけを取り除いたものです。つまり短歌の五つの句の配置はそのままに、字数の制限を、短歌の枠構造が維持できる範囲ぎりぎりまで、緩めたものと見なすことが出来ます。(もとより人によって許容範囲が異なりますから、形式主義者にはすぐに短詩と見なされます。)

 ただ、より長い文字、より短い文字の交代という大枠は維持するのが、もっとも短歌に寄り添った自由律となります。実は短歌に寄り添っている方が、ルーズになっても短歌の気持ちで詠みやすく、かつ形式的に短歌の亜流と見られやすいので、おすすめの方針です。つまりは、聞き手が短歌として許容してくれる可能性が、作品としての価値を保証するという仕組みです。

あの日の夢は
   真っ赤に染められた 夕焼けのなか
 あの人の影法師を 掴まえようとしたけれど……

 これに対して、「広義の自由律」は、韻律の制限を取り除くと共に、五つの句であるという条件も取り除いたもので、従って自由律の短歌は四つのパートに分かれていても、六つのパートに分かれていても構いません。

 ただし、あくまでも短歌に寄り添っていると、悟らせるように詠むのが理想であり、そこから離れると、単なる短詩としか見なされなくなります。もっとも短詩と思われても構いません。短歌の心持ちで詠んだなら、悟られなくっても短歌です。それで短詩と思われたら、短詩と思われても良いのです。結局はその内容が、素敵な詩なら良いのですから。それにも関わらず、短歌と思われなかったら、やはり短歌にはなりません。あなたがどれほど主張しても、決めるのはあなたではありません。それでもあなたが短歌と思うことだけは、やはりあなたの自由です。だから自由律短歌です。
  (この文は明確な指向性を持ちません。
     と丁寧に解釈してみるのもやさしさ……でしょうか?)

春の午後。
  しばらく、まどろんではいたけど……
    ふいに呼び鈴です。

 時折はこの位の、
   ルーズな様式があってもよいのです。
  それが常習化すると、
    かなり「愚か/\しく」思われますから、
      そこだけ注意が必要です。
   本流の短歌に疲れた頃、
     息抜きのように折り込まれているのが素敵です。

短歌(改)あるいは改短歌

 短歌様式のバリエーションとして、「短歌(改)」「改短歌」あるいは「仏足(ぶっそく)(ほとけのあし)」という形式を、たまに折り込むのもユニークです。

 これは短歌の好きなところに、もう一句、[五文字]か[七文字]を付け加える形式で、例えばせっかく良い着想が浮かんだのに、どうしてもまとめきれなくて、でもそのひと言が外せなくて、思い悩んでいるような場合に、奥の手として使用しても構いませんし、同じような形式の短歌ばかりではつまらないので、あらかじめどこに加えるかを決めて、改編された形式によって、作詩を行っても構いません。この形式の利点は、あくまでも短歌の様式をもとに、発展させたに過ぎない、短歌のバリエーションとして解釈して構わない、と受け止められやすいことで、自分でオリジナルの形式を作るよりは、はるかに認められやすい点にあると言えるでしょう。

 もちろん私が作ったジャンルに過ぎませんが、実際の所、源俊頼(みなもとのとしより)(1055-1129)の記した歌論書「俊頼髄脳(としよりずいのう)」の中では、短歌のどこかに一句増やしたものが、「旋頭歌」として紹介されています。実際の旋頭歌は、後で説明する形式になりますが、このような形式意識が、当時あったことは確かです。

 ただし、短歌の結句の後に、もう一つ[七文字]の句を加えるものは、「仏足」という名称のルーツになった、「仏足石歌体(ぶっそくせきかたい)」として、実際に使用されていた形式です。つまり、
     [五七五七七七]
の三十八文字で一つの詩型となります。これは、奈良薬師寺の仏足石(ぶっそくせき)[お釈迦様の足跡を拝むための石]の所にある石碑に刻まれている和歌の様式で、使用された形跡はきわめて少ないジャンルですが、『万葉集』では、ただ一首だけが掲載される、隠れキャラ的な形式になっています。

弥彦(いやひこ) 神のふもとに
  今日らもか 鹿の伏すらむ
    かはごろも着て 角つきながら
          よみ人しらず 万葉集16巻3884

弥彦山(やひこやま) 神山のふもとに
  今日もまた 鹿が伏しているのだろうか
    毛皮を着物にして 角を突き立てるようにして

 弥彦山(やひこやま)は、新潟県西蒲原郡((にしかんばらぐん))弥彦村(やひこむら)と長岡市の境界にある山で、それほど高いものではありませんが、周囲が平野なので、際だった神山とされてきました。あるいはそこの神社に関係する和歌でしょうか。神獣としての鹿などは「もののけ姫」の世界です。このように[五七五七七七]と詠まれたものが、「仏足石歌体」ですが、おそらくこの形式は、神仏と関わりのある形式なのかもしれません。

 しかし私たちは、別に神仏に奉仕する和歌を詠む訳でもありませんので、その様式だけを拝借して、短歌に[七文字]をさらに加えた形式を、「仏足石歌体」として使用しても良いわけです。

 それではせっかくですから、
  まずはこの「仏足石歌体」の和歌を一首、
   それから他のか所に、[五文字]か[七文字]を加えて、
  短歌を改編した形式で、和歌を一首、
 それぞれ詠んでみましょう。
  もちろん、詞書(ことばがき)も忘れずに。


     「五月に休むトンボを見つけて」
ローズマリー
  泊まるトンボの 夕ぐれは
    ベランダのかなた
  さつきの空まで 薫り届けよ
          仏足体 時乃旅人 (2016/05/24)

     「近ごろちょっと疲れ気味」
催眠術かな 洗濯機
  ぼんやりみつめて 目をまわし
    気がつけばもう うちの子の声
          短歌(改) 時乃遥 (2016/05/24)

 このように、「詞書」や「後書」を加えると、特別な作品らしくなりますので、特に気に入った短歌が出来たときは、記しておくのもよいでしょう。その代わり、毎回やっていると、面倒ではありますし、聞き手も煩わしいことがあるので、状況に応じて、使い分けるのが良いでしょう。『万葉集』でも詳細に状況の分かる和歌もあれば、よみ人知らずの短歌が、並べられた所もあり、それぞれに価値がありますから。

短反歌(たんはんか)

 後で説明します「長歌」において、最後にいくつかの短歌が「反歌(はんか)」として付け加えられることがありますが、短歌の後に、短い別の詩を加えたものを「短反歌(たんはんか)」と呼びます。短歌に付けられた短い詩の名称も、このジャンルの名称も、共に「短反歌」です。

 ただし、こんなジャンルは存在しません。
  わたしがオリジナルに作ったものに過ぎません。
   短歌の宿題に提出しても、
  減点されるから気をつけましょう。

 後ろに付けられる詩は、短歌との統一性をはかるため、[五文字][七文字]を使用しますが、それをどのように組み合わせても、何句で表現しても構いません。ただ短歌と同じくらいの長さになると、二つの詩としてみられる傾向が増大し、短歌より長くなると、短歌の方が、付属物に見なされる可能性が高まります。

 もっとも普通のパターンは、[五⇒七][七⇒七]くらいで、内容は短歌で言い足りなかった思いをさらに加えたり、希望を述べた短歌に対して、現実をつぶやいて果てたり。様々な方針が求められるかと思います。素直な語りで、短歌に対する何らかの心情を表明すると、きれいにまとまりやすいので、初心者にはお勧めです。もちろん「短反歌」によって短歌を補足して、はじめて一つになるような詩としても構いません。形式の名称に過ぎませんから、表現に対する制約はありません。

しぐれして
   暮れゆく鐘の 時の音を
  風にさらされ 祈るもみぢ葉

      あざ笑います 冬の将軍
               手本歌 時乃旅人

 このように、さらに[七⇒七]を加えて、短歌の最後と同じリズムを保ちながら何らかの思いを描き出すのが、この形式のもっとも基本的な形になります。ではさっそく、何首かノートに落書きをしてみましょう。まずは基本形を使用するのが、練習のためにはおすすめです。

旋頭歌(せどうか)

[朗読ファイル その四]

高麗錦(こまにしき)
  紐(ひも)の片(かた)へぞ 床(とこ)に落ちにける
    明日(あす)の夜(よ)し
      来(き)なむと言はゞ 取り置きて待たむ
          (柿本人麻呂歌集) 万葉集11巻2356

高麗(こうらい)の錦の
  あなたの紐の片方が 床に落ちていました
    今日の夜に 来るというのなら
  取っておいて待ちますけど

 高麗錦とは、高句麗(こうくり)の織物のことで、ちょっと高級感のある紐であることを暗示しています。「一緒に寝て、次に逢うまでは解(ほど)きませんと誓いあったはずの服紐を、落として帰りましたけど、明日の夜に来るなら、取っておいて待ってましょうか」という内容で、「明日の夜」というのは「夜から始まる翌日」のことで、「今日の夜」にあたるという説に従うのが、分かりやすいかと思います。

 この和歌を読んで、違和感を覚えた方もあるかも知れません。いつもの短歌とは様子が少し違います。それもそのはずで、これは短歌ではありません。[旋頭歌(せどうか)]と呼ばれる形式です。あるいは、普通の短歌の[二句目]の後に[七文字]を加えただけだから、先ほど説明した「改短歌」と同じではないか、と思う方もあるかも知れませんが、完全に別のものになります。

 この様式は、昔あった「片歌問答(かたうたもんどう)」がルーツではないかとも言われています。[五七七][五七七]をそれぞれ別の人同士が、問いと答えのように掛け合うものです。実際のルーツかは諸説ありますが、「片歌問答」というものは、「旋頭歌」の性質をよく表わしています。つまり旋頭歌は、

上の句 ⇒[五七七]
下の句 ⇒[五七七]

という形式ですが、その特徴は、上の句と下の句が、それぞれに独立した文脈であることです。つまり基本的には、上の句は連続して、下の句に掛かることはありません。むしろ上の句で文脈を閉ざし、それに対して下の句が、同じ詩型で応答するという、それぞれの文脈の独立性をこそ、重視した形式になっています。それが連続的な[短歌(改)]とは異なった点で、上の句と下の句の関係は、
     「過去」⇒[未来]
     「問い」⇒[答え]
     [概要]⇒[具体]
などなんでも良いですが、文脈が二つに分かれ、短く同じ様式を二回繰り返す周期性のうちに、詩を読込めば良いわけです。

 この形式は、勅撰和歌集の時代には廃れますが、万葉集では62首存在し、一定の存在価値を認められていますから、仮にわたしたちが、今の世に流行らせたからといって、なんの不都合もないばかりか、伝統の復興にもつながります。

 私たちが、現在の詩型として利用する場合には、下の句が、新たな語りかけで始まっていて、文脈が上下のパートに分かれていれば、完全に文脈が途切れようと、文に連続性を残そうと、気にする必要はありません。

 それでは、参考に、現代語の旋頭歌を置いておきますので、
  さっそく皆さまも、いくつか落書きをしてみましょう。
   覚えた『詞書』も、時々は使ってみるのがよいでしょう。

あでやかな
   あそびつくした あじさいも褪せ
  近ごろは
     君のうわさも はつ夏の風
               旋頭歌 時乃旅人

中歌(なかうた・ちゅうか)

  これもまた、かつてのジャンルにはありません。
 四行詩を中心に、六行詩くらいまでを描き出すための、短歌を発展させたもの、あるいは「短い長歌」に過ぎません。形式の名称は「中歌(なかうた・ちゅうか)」としましたが、大和の形式としての「四行詩」であるとして、行数による詩の名称にした方が、素敵に響くようです。また「三行詩」ですと「仏足」と同じ形式になりますが、名称としては「三行詩」と書いた方が、今様(いまよう)に聞こえるかもしれません。やり方は簡単で、

一行目 [五七]
二行目 [五七]
三行目 [五七]
四行目 [七七]

のように、行数に合せて[五⇒七]を繰り返して、最後を[七⇒七]で閉ざせばよいだけのことです。西洋の詩ではありませんから、韻を踏む必要はありません。(形式としてはシラブル型の日本の方がはるかに強固ですから。)

     「四行詩」
あたたかな 闇につつまれ
 ねむりから 目覚めた朝は
  きらめきの くすぐったさに
   精いっぱい泣く 母の胸もと

  このような形になります。
 短歌より表現の幅が増えますから、思いのままにだらだら記すと、まとまりが付かなくなります。慣れないうちは、やはり中心となる[心情]を定めて、いつも短歌を作るくらいの「着想」にまとめましょう。それをもとに、前回お話ししたような、内容ごとのブロックに分けて考えるように、

[起]⇒[承]⇒[転]⇒[結]
[春]⇒[夏]⇒[秋]⇒[冬からまとめの言葉]
[昨日の状況]⇒[昨日の思い]⇒[今日の状況]⇒[今日の思い]
[二行で夢のこと]⇒[三行目に現実]⇒[四行目で感想]

などアウトラインを定めて、そこに言葉を落とし込んでいくと、字数が増えた利点を生かして、構造的な詩を生みなすことが可能です。また、あまり細かくせず、[状況]⇒[思い]くらいで、それぞれの内容を、より詳細に描き出してもよい訳です。つまりは書くことが沢山ある人には、非常にうれしい形式に他なりません。

 また実際の基準はありませんが、次に説明する「長歌(ちょうか)」より短いものですから、全体を把握しやすい利点があります。それと、大切なことですが、聞き手が様式的な詩と把握しながら、最後まで付き合ってくれるのには、このくらいの行数が最適で、さらに長くなると、「散文詩の方がよいのではないか?」という疑念が、現代人には沸いてくる可能性が、きわめて高くなります。

 一つだけでよいので、
  実践してみましょう。
 すらすら描ける人はそれで良いのですが、途方に暮れる人もあるかも知れません。そんな時は、短歌を詠んでしまいましょう。そうしてそれぞれの句に書かれている内容に、比喩を付けても構いません。状況を細かく記しても構いません。脚色をして、行数を増やしていきましょう。それから長めの詩には、題名としての「詞書」があった方が、様になりますのでおすすめです。

 ところで、ジャンルとしてはありませんが、
  ルーツとしての詩のパターンは存在しています。
   例えば、万葉集の次の和歌。

飯食(いひは)めど うまくもあらず
  ゆき行けど 安くもあらず
    あかねさす 君がこゝろし
  忘れかねつも
          (侍従の女) 万葉集16巻3857

ご飯を食べても 美味しくないし
  どこに行っても 安らかでないし
    きれいな色した あなたの心が
  忘れられないでいるのです

長歌(ちょうか)

 長歌は『万葉集』では短歌と並ぶ、重要な和歌になっていますが、勅撰和歌集の時代には廃れ、懐古的な様式として、作詩されることはありますが、現在に至るまで、復興の兆しはありません。(あるいは永遠に無いかとも思われます。万葉集のものからして極度に人工的な気配がします。)

 形式だけを説明するなら、きわめて簡単で、
     [五七]⇒[五七]⇒[五七]⇒[五七]⇒
と好きなだけ繰り返して、最後を[五七⇒七]と閉ざせば良いだけです。先ほど説明した「中歌」は、長歌の比較的短いものを、数行の短詩形式として、再定義したものに他なりません。

 多くの場合、長歌の後に、いくつかの短歌が置かれ、それは「反歌(はんか)」と呼ばれたり、「短歌(たんか)」と呼ばれたりしています。次の『万葉集』の例などは、二つの名称を使い分けて、「反歌」と「短歌」を一首ずつ収めていますので、まずは実例を眺めてみることにしましょう。

     「弓削皇子(ゆげのみこ)の薨ぜし時に、置始東人が作る歌一首 併せて短歌」
やすみしゝ わが/わご大君
  高光(たかひかる)る/高照(たかて)らす 日の御子(みこ)
    ひさかたの 天(あま)つ宮に
      神(かむ)ながら 神(かみ)といませば
    そこをしも あやに畏(かしこ)み
  昼(ひる)はも 日(ひ)のこと/”\
    夜(よる)はも 夜(よ)のこと/”\
      伏しゐ嘆けど 飽きだらぬかも
          置始東人(おきそめのあづまひと) 万葉集2巻204

(やすみしゝ) 私たちの大君よ
  (たかひかる) 日の御子であるあなたよ
    (ひさかたの) 天上の宮に
      神らしく 神としておられれば
   そのことが まことに恐れ多くて
     昼は 日がな一日 夜は 夜どおし
       寝ても起きても 嘆いていますが
         悲しみが癒えることはありません

     「反歌一首」
大君は 神にしませば
  天雲(あまくも)の 五百重(いほへ)がしたに 隠りたまひぬ
          置始東人(おきそめのあづまひと) 万葉集2巻205

大君は 神でいらっしゃるから
  空の雲の 五百も重なるそのかなたに
    お隠れになってしまわれた

     「短歌一首」
さゝなみの
   志賀(しが)/志賀のさゞれ波 しく/\に
 常にと君が 思ほえたりける/思ほせりける
          置始東人(おきそめのあづまひと) 万葉集2巻206

(ささなみの)
  志賀に寄せ来る さざ波が頻りに
    寄せるように 止むこともなく
   常にあなたがありますようにと
     思っていましたのに

 天武天皇(てんむてんのう)(在位673-686)の息子である弓削皇子(ゆげのみこ)(?-699)が、若くして亡くなった時に詠まれた長歌で、詞書きにある「薨(こう)ぜし」とは、皇族や三位以上の位の人が亡くなったときに使用する、死んだという表現になっています。

 内容は、枕詞を()で示した現代語訳で、十分に伝わるかと思います。長歌にもいろいろありますが、ある程度様式の整ったものは、このように冒頭に導入が置かれて(この場合は死者への呼びかけ)、それから亡くなったことを、神になられた事として間接的に表現し、最後にわたしたちの思いへと移し替えて終える。全体の構図がしっかりしていて、しかも
     「昼は 日がな一日 夜は 夜どおし」
のように同じような表現を「対句(ついく)」として配置して、さらなる様式化をはかるのが、定番のスタイルになっています。

 それに対して、短歌の部分は、はじめのものが「大君は神であられるので天上の宮に隠れられた」と、長歌の表現にもとずいて詠まれていますから、「反歌(はんか)」と表現され、二つ目のものは、長歌の結句の心情にはもとずいていますが、長歌の表現を使用したものではありませんから、「短歌(たんか)」と表現されている。

 実際には、ここではそのように見えるだけの話で、このような定義は存在しませんし、後から加えられたから、「短歌」と称しただけかも知れませんが、いずれにせよ長歌の後ろに置かれたものを、『万葉集』では「反歌」あるいは「短歌」と呼んでいます。せっかくですから、あまりこだわらず、長歌の表現を利用して詠む場合を「反歌」、自由に詠まれたものを「短歌」として、描いてみるもの悪くはありません。悪くはありませんが……

 このような表現は、きわめて様式的で、例えば儀式などに使用されるのに相応しいものですが、私たちは儀式内で、様式的な詩を利用するということを、もはやしなくなってしまいました。(お経などがその例外でしょうか。)しかも長い韻文詩というのは、使用されていた時代からして、特別な様式、特別な表現とみられていたフシがあり、短歌のようにあまねく人々に親しまれたとは、到底考えられません。ですから勅撰和歌集の時代になると、懐古主義(かいこしゅぎ)でしか作詩しなくなってしまう。

 まして私たちの時代には、長い詩を描き出すのに、散文の形式が使用されているものですから、なおさらもどかしく、表現がこなれないような印象がしてしまうのは避けられません。短い詩ですと、とりとめもないような散文詩の、存在の危うさを、形式によって練り上げた、必然性のある詩と思わせる利点がありますが、長い詩になりますと、内容の方が、はるかに存在意義に関わりますから、言葉が流れないような窮屈さを、補うほどの利点がなくなります。

 くどくど話すのはやめましょう。
  ようするにこの形式は、皆さまはあえて、
   チャレンジしてみなくても構いません。
  もちろんやりたい方は、大いにやってみても良いですが、
 その際、おすすめなのは、連続して[五七]を続けるのではなく、

   「待ち合わせ」
春の日の 午後の日差しに
  誘われて 僕は出かけた
 賑やかな 街のざわめき
   うれしくて 軽やかに行くよ

友だちの 手を振る街の
  待ち合わせ 時に遅れて
 あやまれば 屈託もなく
   笑い出す やさしい笑顔

  そんな君
    いつもいつでも
      待たせてごめん

 形式は保ったままで、いくつかのブロックに分けて表現すると、ユニークな詩にもなりますし、様式としては「長歌」のままですからお勧めです。『万葉集』の長歌からして、実際にはいくつかの短詩に、分離できるような作詩になっているものが、幾つもありますから。

 そのような訳で、今回はノートは開きません。
  でも、もちろん皆さまの中には、
   好奇心旺盛な人もあられることでしょう。
  そんな人は屈託もなく、
 描いてみせるのが詩作です。

 こつは、表現の詳細につまずくよりも、
  相手に語りかけている印象のまま、
   文脈に心理的断層を与えずに、
  流れるように描き出すこと。
 後の擬古文の名作とやらは、
  大抵その一番大切な点でつまづいています。
   つまりそつのない言葉できれいに描かれているだけで、
    肝心の心情が伝わってこない。
     あるいは著しく弱められてしまっているようです。
    ただそれだけの雑学でした。

連歌(れんが)

[朗読ファイル その五]

 国生みの儀式で、イザナミとイザナギが、「あなにやし、えをとこを」「あなにやし、えをとめを」と声を掛け合ったのが、『古事記(こじき)』内部に置ける、和歌の始まりとされていますが、最初の歌が、相手との掛け合いから生まれてきたのは、象徴的です。和歌は作品であるよりもまず、相手や仲間との関係から生まれ、詠まれるものであるという意識は、相手への語りかけとしての和歌や、公の場で詠まれる和歌などにも見られますし、短歌同士を相手とやり取りする、「問答(もんどう)」「贈答歌(ぞうとうか)」にも引き継がれています。このような相手との関係、仲間との関係を引き継いで、中世以降大いに流行ったのが、「連歌(れんが)」に他なりません。

 その頃には、さまざまな仕来りに、がんじがらめに縛られることになる「連歌」ですが、その根底はきわめて単純です。『万葉集』にも、連歌の起こりと喩えられることのある和歌が、収められていますから、まずはそれを眺めてみることにしましょう。

     『尼作る』
佐保川の
  水を堰(せ)き上げて 植ゑし田を

佐保川の
  水をせき止めて 稲を植えた田を

         『家持継ぐ』
     刈れる初飯(はついひ)は ひとりなるべし
               万葉集8巻1635 大伴家持

刈って食べる初めての飯は
    ひとりぼっちで食べるのです

 この歌は、「尼が頭句(とうく)を作り、家持が末句(まっく)を継いで、完成させた」と詞書に記してあります。ここでは、短歌同士をやり取りするのではなく、ひとつの短歌の、上の句と下の句を、一方が投げかけて、もう一方がそれに応じて、完成させるという、相手との関係のうちに詠まれています。

 実際には、この短歌自体が、この前に置かれた別の短歌への、返答になっているようですが、これだけを眺めても、「尼」が「懸命に植えた田んぼの稲を」と呼びかけると、「家持」が「食べるのはひとりぼっちでちっともうれしくありません」と切り返す。相手の着想に合せて、一つの芸術作品を作るというよりは、相手の着想に対して、自分の着想を提示して、切り返したような様相です。つまり全体としては短歌でありながら、同時に二人の詠んだ部分は、それぞれに「問い」「答え」つまり、相手の着想に対する、着想の切り返しの効果を担っているのです。

 このような、統一された短歌でありながら、短歌同士の「問答(もんどう)」と同じような、相手とのやり取りを込めた「上の句」「下の句」の遊びは、次第に複数によって、別の相手がさらに、句を詠み繋いでいくという、「連歌(れんが)」へ発展していくことになります。

連歌の仕組み

 そのやり方は、
   本質だけならきわめて簡単です。

夏ですね スイカの美味しい 季節です
          時乃旅人

   おなかを壊して うなる旅人
              時乃遥

俺さまの 歌をコケにした バチあたり
          いつもの彼方

   国語の先生 尻もちをつく
              時乃旅人

 このように歌い継いでゆくものです。
   それではじめの二人のものは、

夏ですね スイカの美味しい 季節です
   おなかを壊して うなる旅人

と、そのままで短歌に捉えることが出来ます。
   それにしても旅人(たびびと)に私の名前を掛けるなんて、
  ずいぶん非道い人もあったものですが、
     それはさておき、次のつながりは……

おなかを壊して うなる旅人
  俺さまの 歌をコケにした バチあたり

 これでは短歌になりませんね。
   ですから、読む時は上下を返します。

俺さまの 歌をコケにした バチあたり
  おなかを壊して うなる旅人

 さらに次の歌との関係では、
   普通の状態、つまり、

俺さまの 歌をコケにした バチあたり
   国語の先生 尻もちをつく

と順番通りに戻してやればよいのです。
  一度理解すれば、なんと言うことも無いのですが、
    はじめて眺めるとなんの事やらさっぱりで、
  私などは、しばらく途方に暮れた記憶が残されています。
    しかも、みんな分かっているものですから、
      ここまで丁寧に説明してくれません。
        初心の気持ちなど、すぐに忘れてしまうようです。

 もちろん実際は、何句(ひとりが担当する「上の句」だけ、または「下の句」だけが、それぞれ一句という計算になります)つなげてワンセットにするか。短歌になった状態で、一つ前に述べた内容は、次に引き継がないようにするとか、句の順番が幾つになったら「月」を詠めとか、あちらには「花」を詠めとか、さまざまな規則が設けられています。けれども私たちには、関係のないことですから、短歌を作る仲間がいるなら、まずは余計なルールもなく、一緒に何句か並べてみることは、もっとも愉快な楽しみではないでしょうか。

 かといって、ひとりの方も問題ありません。
  自分で上の句を作って、それを他人から渡されたら、どんな下の句にするだろうと改めて考え、記していったら何句でも、連歌に並べることは可能ですから。ところで先ほど揚げた例が、すべてひとり分で、文脈が途切れているのがお分かりかと思います。べつに完全に切れる必要はありませんが、ひとりが担当する詩文への意識から、短歌の時よりも、上の句と下の句の内容がはっきり分かれ、句切れが強く感じられるのも、連歌の特徴になります。

 もし複数でやる場合は、伝統的な形式よりも、
  「四季(しき)」「三采(さんさい)」などの、
 簡単なジャンルから始めるのがおすすめです。

[四季]………12ヶ月に併せて十二句詠まれる。担当の月に詠まれた気持ちで詠む。季節を表わす表現は、時々折り込まれれば十分。ただし最低限、四季が分かるようにする。[二十四節気(にじゅうしせっき)]というバリエーションもある。伝統的ジャンルである[七十二候(しちじゅうにこう)]とは無関係。

[三采(さんさい)]………サイコロを三つ振って、目を足した数が句数になる。それぞれのサイコロの目の数だけ、同じ内容を読んで、次のサイコロの目の数に移るときは、内容を変える。内容の変更は臨機。

つかの間コラム 近代短歌

 明治以後の、近代短歌と呼ばれるものが成立してくる歴史を、きわめておおざっぱに、落書きしておくのも、初めての人の知識には、有用かと思われます。

  まず直前のお話しから。
 過去の栄光があまりにもまばゆいのと、栄光の時代の貴族社会への憧憬が結びついて、和歌は頑(かたく)なに、過去の表現を美徳とする、伝統主義の化身のように、明治維新にまで引き継がれてゆきました。実際は新しい流れも、いろいろあったようですが、和歌史の授業ではありませんから、いまは割愛(かつあい)。

 またそのような伝統は、流派ごとに分かれた師弟関係に守られて、封鎖的な和歌社会を形成していました。そこから距離を置いた和歌もありますが、改革や新しい表現を生みなすほどの、影響力はありませんでした。

 ところが明治維新により、政治体制が入れ替わり、西欧の模倣が進められ、新しい知識、新しい文芸がなだれ込んできましたので、これまでの和歌社会を否定し、今の私たちにあった、簡単に言えば「誰もが詠め、誰もが鑑賞できる短歌」のあり方が目指され、「近代短歌(きんだいたんか)」というものが成立します。

 流れとしては、落合直文(おちあいなおぶみ)(1861-1903)が、1893年に「あさ香社」というものを起こします。主義を掲げず、機関誌もないような集まりで、同じ主張のものが集う「結社(けっしゃ)」というよりは、多様な歌人を含む集団のようなものでした。「過去の歌にもいまの歌にも囚われず、自分独自の歌を詠め」と教える彼の言葉は、過去から離れて新しいことを歌おうとする、時代の精神をよく表わしています。

 その「あさ香社」に所属していた、与謝野鉄幹(よさのてっかん)(1873-1935)という歌人が、1900年に『明星(みょうじょう)』という詩歌の文芸誌を創刊します。ここから、1908年に終刊になるまでに、多くの歌人を生み出すことになります。

 特に、1901年に鉄幹と結婚した、与謝野晶子(1878-1942)はその代表的存在で、結婚した同年に発表された処女詩集『みだれ髪』は、賛否両論の大ブームとなりました。他にも、北原白秋(きたはらはくしゅう)(1885-1942)、石川啄木(いしかわたくぼく)(1886-1912)など、多くの歌人が見られます。

 一方で、1898年に『歌よみに与ふる書』を発表し、旧派の短歌を徹底的に批判した正岡子規(まさおかしき)(1867-1902)ですが、彼のまわりに集う歌人を中心に、「根岸短歌会(ねぎしたんかかい)」というものが生まれます。そこには例えば、伊藤左千夫(いとうさちお)(1864-1913)、長塚節(ながつかたかし)(1879-1915)らの名前が見られます。

 さらに、この短歌会の機関誌として、1903年に「馬酔木(あしび)」、続いて1908年に『アララギ』が創刊され、アララギ派と呼ばれることになりますが、そこには斎藤茂吉(さいとうもきち)(1882-1953)、島木赤彦(しまきあかひこ)(1876-1926)などの名前が見られます。短歌会の当初の指標は、「万葉に帰れ」「写生主義」でしたが、後に分裂をしながら、次の時代へと向かうことになります。

 ちなみに、この短歌会のなかで、正岡子規が写生主義の創始者であるという、神格化がなされましたが、正岡子規は主義として写生を提唱したことは、一度もありません。それも、主義には至らなかったような話ではなく、むしろ彼なら、写生を主義として掲げることは、絶対許さなかっただろうと思います。
 ただそれだけのコラムでした。

俳句

発句から俳句へ

[朗読ファイル その六]

 さて、連歌は和歌の伝統を踏まえて、様式化されましたから、やはり大和言葉だけを使用しなければならないなど、自由に表現しづらい、学びし者だけの文芸の様相を、次第に濃くしていくことになりました。それに対して、
     「もっと自由でいいじゃん。
       漢語使ってもいいじゃん。」
と生まれてきたのが、「誹諧連歌」(はいかいれんが)というものです。同時に題材も「身近でいいじゃん」と、戦国末期から流行りだして、江戸時代にピークを迎え、松尾芭蕉(1644-1694)などの誹諧連歌師(はいかいれんがし)を生み出すことになりました。だから彼は俳句を作る人ではなくて、誹諧連歌を行う俳諧師(はいかいし)だったので、注意が必要です。

 さて、誹諧連歌の冒頭の「五七五」を「発句(ほっく)」と言います。これは、連歌全体の内容を左右しますし、開始の一句ですから、そこをしくじったら後ろが良くても、評価が低くなってしまいますので、きわめて重要な役割を持っています。それで、とびきりの表現ばかりを集めた、誹諧連歌の冒頭集。つまり「発句集(ほっくしゅう)」というものが登場して来ました。ですから、松尾芭蕉が詠んでいたのは、誹諧連歌の冒頭としての発句であって、決して俳句ではありません。

 ところで誹諧連歌といえど、移り変る季節の中で、歌を詠むという伝統は変わりませんでしたから、発句には季節感を定める、「季語(きご)」が必要だと考えられ、また季節感を表現する言葉集として、「季寄せ(きよせ)」とか「歳時記(さいじき)」というものが、さかんに作られました。

 明治時代に入って、次第に連歌が廃れ、個々の作品としての芸術、という価値観が流入しますと、その発句だけを、独立した文学作品として捉えるようになりました。(正確には江戸時代後期には、その傾向は顕著でしたが。)これがすなわち、連歌とは関わりのない、「五七五」の閉ざされた形式。すなわち「俳句(はいく)」というものに他なりません。ただそれ以前の表現ですぐれていると思われた、季語を折り込むという所は、連歌としての必要性を無くしてからも保たれ、現在に続きます。

 それで、松尾芭蕉の発句、たとえば、
     「古池や蛙飛込む水の音」
     「閑さや岩にしみ入蝉の聲」
などが、解釈のしきれない魅力を持つものとして、暇人などは一冊の本を記したり、さらなる暇人が買って読んでしまうくらいの、時間の浪費を重ねてしまうのは、その本質が発句であるからに他なりません。つまりここから句を紡ぎ出して行かなければならないので、すべてを言い尽くしてはならない。何かひとつ、言葉からは解釈しきれない、誰かが下句で埋めるべき、すき間があるように思わせなければならない。ですから、解釈しきれないのはむしろ当然で、発句であるからに違いないのですが、それにしても彼くらい、言葉を操れた発句の制作者もありませんでした。

 しかも連歌として、集団で使用される発句であるためには、冒頭は解釈に幅のあるもの、我を出し過ぎず、抽象性を持った表現である必要もあります。彼の発句が、後のあまたの俳句よりも格調高く響くのは、才能の違いと安易にかたづけるよりも、一方は自己の作品として、我を突き詰めた表現であり、もう一方はそれとは異なる理念で、生みなされたものであることが原因です。

俳句について

 あるいは皆さまの中には、何気なく見かけた俳句を読んでみて、こんな誰にでも思いつくような、アイディアとも付かないような、下らない落書きが、どうして詩なのだろうかと、あきれた経験を持つ方も、あるかも知れません。あるいは着想をむき出しにした、詩情の欠けらもない表現に、驚いた方もあるかもしれません。

 それはもっともなことで、わずか十七字のうちに「季語」まで加えますから、残りの字数でこれまでにはないユニークな詩情を、語って不自然でないように表現するなどは、きわめて難しい相談です。

 するとどうなるかと言いますと、使い古した、あまたの表現に過ぎないものを、「月並調(つきなみちょう)」と言いますが、その月並調を繰り返すか、自称ユニークな着想を、自然な語り口調すらなくして、どうにか言葉に押し込んだ、変な提出物を、創造するかのどちらかになってしまいます。

 しかし利点もあります。
  短歌と違って、きわめて詩型が短いものですから、おなじことのくり返しであろうと無かろうと、その表現に価値があろうと無かろうと、ちょっとした心情を述べる場合や、感慨を気の利いた台詞でまとめる場合、俳句という形式に則って表現すれば、あまり上手でない初心者でも、それなりのものが描けてしまう。つまり、月並みであろうと無かろうと、簡単に思いを表明出来る、お手軽な詩のジャンルには違いありません。

 松尾芭蕉は、これが発句に過ぎないことを知っていたから、すぐれた表現を生みなした。正岡子規は、あれほど俳句に芸術性を認めながらも、やはり短歌、新体詩、随筆、さまざまな表現の一ジャンルとして、俳句というものを見て、自ら実践していた。あるいは夏目漱石は、小説を書くかたわらに、一休み出来る形式として、俳句というものを楽しんでいた。

 短歌が一つの詩のジャンルであるより、遥かに狭い意味で、俳句は一つの詩の形式に過ぎません。それと分かって、さまざまな詩を試す中に、俳句を表現できたなら、あなたにとってこれほど素敵なことはありません。しかしもし、矮小なる詩の一ジャンルに固執して、そこに小宇宙があるなどと、本気で信じられるような方々が、二十一世紀にもなって存在するとしたら、むしろ彼らは、幅広い私たちの文芸活動の営みを、矮小に貶めている害虫なのかも知れませんね。

狂歌狂句川柳など

 さて、俳句については、先ほど述べました手軽さもあり、江戸時代以降、鑑賞すべき作品も多いものですから、日常の詩型としてポケットにしまい込む、短詩の定型にしておくと良いかも知れません。そこで俳句については、次回特別編として、「俳句の作り方」の章を設けてみようかと思います。ここではその前に、これまでのジャンルのまとめとして、「狂歌(きょうか)」「川柳(せんりゅう)」などについて、軽く説明をしておこうと思います。

狂歌(きょうか)

 和歌が「大和言葉」だけを使用し、俗な内容や俗な表現を避けるものとして様式化されましたから、それをわざと踏み外したり、日常表現や、ちょっと下卑た内容を表わすようなものは、和歌の世界からは締め出されました。中には、「俳諧歌(はいかいか)」のように、勅撰和歌集に収められるものもありましたが、むしろそれは例外であって、実際は今日には残らない、あまたの戯れ歌(ざれうた)が、ほとんど短歌の生まれた頃から、詠まれていたものと思われます。

 ただ、今日特に「狂歌」と呼ばれるものは、そのような戯れ歌というよりも、天明(てんめい)(1781-1789)の頃に大流行した、天明狂歌(てんめいきょうか)と呼ばれるもので、大田南畝(おおたなんぽ)(1749-1823)の狂歌が、その火付け役であったかともされています。実際の内容はと言えば、

はたもとは
  今ぞ淋しさ まさりけり
    御金もとらず 暮らすと思へば

など、和歌の名歌を本歌取りして、
 今の生活に結びつけたり、

泰平(たいへい)の
  眠りを覚ます 上喜撰(じょうきせん)
    たつた四杯で 夜も眠れず

といった時事に関するなど様々です。
 傾向として単なる俗ではなく、和歌のみやびと、そこでは許されない俗な表現、日常生活に結びついた表現を、混ぜ合わせたものが、その特徴と言えるでしょうか。かつての和歌が、きわめて閉ざされた世界を形成して、日常的な表現で短歌を描いても、短歌とは見なされないどころか、短歌をやっている人たちの世界に、入ることすら出来ないものですから、その封鎖性を逃れたところに、別のジャンルとしての、「狂歌」というものが流行を見せたのかも知れません。(あまり詳しくは知りませんので、このあたりの記述は曖昧です。)

 ただ、私たちが利用するものとしては、もはや短歌は、閉ざされた世界ではありませんから、(勝手に閉じこもっている人たちはいますが、)江戸時代の意義を引き継ぐ必要もありません。それに狂歌というジャンルをもって、和歌を分類するつもりもありませんから、あなたとわたしの「狂歌」であれば十分です。

 つまり、いつも自分が短歌とみなして詠んでいる、その内容とはちょっと離れたこと。たとえば政治や世界情勢についての感想だったり、短歌とは呼びたくないような下卑た内容だったり、心情ではなく頓知を前面に出しものだったり、情緒的であるよりは滑稽ものであったり、「いつもの短歌とは違った傾向の歌」に対して、詞書や後書を利用して、「狂歌」と記せばよいだけのことです。

 またさらに、短歌と違うことを表現できると、積極的に解釈して、ちょいエロの内容だったり、あさましいような駄洒落であったり、謎解きのような落書きを、「狂歌集」の名のもとに、並べて見ても良いわけです。そう考えると「狂歌」ってすごく便利な、短歌の差し替えに思えては来ませんか。

     「俺さまの出番だぜ」
今夜は
  お前が俺の エレキだぜ
    素敵な歌を 奏でて見やがれ
          狂歌 また来た彼方

……冒頭は「こよいは」と読むそうです。
 気を取り直して参りましょう。
  次は「川柳(せんりゅう)」と「狂句(きょうく)」です。

川柳(せんりゅう)

 連歌(れんが)は、相手の句に合せて、自分の句を生みなすものですから、練習のために、はじめに「下の句」か「上の句」をお題として与え、それをもとに学習者が、短歌を完成させるということがよく行なわれました。この時、お題の方を「前句(まえく)」、自分が詠んだ方を「付け句(つけく)」と呼びます。

 きわめて当然の事ですが、この練習は、本格的に連歌をやるより簡単で、単純明快な遊技性を持っていますから、やがてこれだけが独立して、江戸時代の中期には「前句付け(まえくづけ)」として、与えられた[七七]のお題に、[五七五]を詠むものとして、誹諧連歌などはやらない庶民にも、お手軽に出来る文芸として、流行を見せるようになります。

 そんな中で、やがてその[五七五]だけが独立したものが「川柳(せんりゅう)」で、名前の由来は柄井川柳(からいせんりゅう)(1718-1790)という点者(てんじゃ)[評価採点して優劣を判定して報酬を得る人]の名称に基づいています。今日なら、メディアや書籍を駆使して、マネーを集める添削先生くらいに考えても良いかも知れません。

 このような成り立ちから、発句に由来する俳句と違って、川柳には「季語」が必要ありませんし、「切れ」なども考えなくてよいものとして、つまりは自由に表現できる[五七五]の形式として、今日ではもっぱら、やや俗的な、時事的な事柄を表現するものとして、好まれて使用されているようです。

 今日、実際の川柳が、季語や切れを気にしないくらいで、どんなことでも表現できるものとして、俳句との境界が曖昧になっているのも、俳句がもともとのルーツを離れて、単なる[五七五]の文字数による形式に過ぎなくなっていることから、当然の事かと思われます。

 もちろん、私たちが使用する場合は、せっかく[俳句][川柳]という二つのジャンルがあることを、うれしく利用して、「短歌」と「狂歌」の関係のように、季語もなく日常のつぶやきを述べるくらいの時には「川柳」、情緒性を打ちだして、詩的な表現をするならば「俳句」と呼べば、それで十分かと思われます。

 ついでに、「狂句(きょうく)」というのは、もともとは連歌に関連する表現だったのですが、「川柳」の別名のように使用されるようになったものです。定義すれば、川柳と狂句の違いも定義できるのかも知れませんが、わたしたちの創作にとっては、ほとんどなんの事やらです。やはり特別な詠み方で[五七五]を描いたときに、使ってみると良いでしょう。あまり「川柳」の名称を使用して、読むに耐えないような下らない作品が、巷にあふれているために、今となっては、かえって清新な感じがするのは、歴史の変遷上の皮肉でしょうか。個人的には、川柳より「狂句」の使用がお奨めです。

 たった一つだけ注意をするならば、「俳句」だけが芸術である、「川柳」こそが道である、などと、蟻がどこまでも地中を掘り進むような精神ではなく、ある表現をしたいときは「俳句」を、別の表現をしたいときには「川柳」を、あるいは「短歌」を、あるいは「散文詩」を、どれも詩のジャンルには過ぎないものですから、自由に使い分けて、自らの詩的表現をまっとうして欲しいという、ごく当たり前のことなのです。

 つまりあなたには、歌人や俳人ではなく、
   詩人になって欲しい。
     おそらくそれがたった一つの、
   私の願いには違いありません。

               (tutuku)

2016/05/25
2016/05/29 改訂
2017/05/18 朗読+推敲

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