小倉百人一首の朗読 六

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五十一

かくとだにえやはいぶきのさしも草
さしも知らじな燃ゆる思ひを
    藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)

・これほどに慕っているとさえ言うことが出来ないような、ちょうど伊吹(伊吹山)のさしも草(ヨモギ、火を付けてお灸などにもする)のような、それほどとはあなたは知らないのでしょう、このように燃える私の思いなど。

・第二句は「えやは(出来ないを表す)言う」(言うことが出来ない)に続く「伊吹のさしも草」を掛け合わせている。これが次の「さしも」の序詞として機能して、「それほどとは知らないでしょう」という意味に掛かる。
・「燃ゆる思ひ」の「ひ」にも「火」の意味が込められ、「さしも草」「燃ゆる」「火」が縁語(えんご)となって、燃える思いをかき立てている。
・したがって、「さしも草」は単に「さしも知らじな」の駄洒落的な導入(序詞)ではなく、恋にやつれてちょっと唐突なしどろもどろ調の、露骨な序詞に陥ってしまったところを、演出しているのではないかと思われる。また縁語としての燃ゆるが強く結びついているのだろう。(もっとも今思いついたまんまで、深い考察はしていません。あしからず。)

こんなややこしいのは、
無理に読み替えてもしかたないぞなもし。

五十二

明けぬれば暮るるものとは知りながら
なほ恨(うら)めしき朝ぼらけかな
    藤原道信朝臣(ふじわらのみちのぶあそん)

・明けたならば、やがては暮れるものだと、(そうしたらあなたにも会えるものだと)知りながら、それでも恨めしく思われるのは、朝ぼらけ(夜のほのぼのと明ける頃)であることよ。

・抱っこ後の歌。と云ってしまうと怒られるので、「後朝(きぬぎぬ)の歌」とよぶのである。

  明けるなら暮れるものとは知りながら
  なお恨めしい朝ぼらけかな
  (このくらいのカナはまあいいでしょう)

五十三

嘆きつつひとり寝る夜(よ)の明くる間は
いかに久しきものとかは知る
    右大将道綱母(うだいしょうみちつなのはは)

・あなたのことを嘆きながらひとりで寝る夜の明けていく間は、どれほど長く感じられるものか、あなたはおわかりでしょうか。(いいや、おわかりではないでしょう)

・夫である(藤原兼家)の遣って来たのが久しぶりだったので、少し待たせて、夫が文句を言ったところで詠んでやった歌だとも、扉を開けなかったら夫は他の女のところへ行ってしまったので、訴えた歌だともされる。

  嘆きつつひとり寝る夜の明ける間は
  どれほど久しいものと知るのか

五十四

忘れじの行末まではかたければ
今日を限りの命ともがな
    儀同三司母(ぎどうさんしのはは)

・つねに忘れないとの言葉が行く末まで永劫に続くことなど難しいように思われます。いっそ言葉を信じ切れる今日を最後の命としたいくらいです。

  忘れずも行末まではむずかしく
  今を限りの命としようか

五十五

滝の音は絶えて久しくなりぬれど
名こそ流れてなほ聞こえけれ
    大納言公任(だいなごんきんとう)

・滝の音は、途絶えて久しくなってしまったけれども、その名高い名声だけはなお流れ伝わって、今でも聞こえているのです。

・これは分かりやすいが、「流れて」「聞こえ」などが「滝」の縁語(えんご)になっている。

  滝の音は絶えて久しくなりました
  名のみは今もなお聞こえます

五十六

あらざらむこの世のほかの思ひ出に
いまひとたびの逢ふこともがな
    和泉式部(いずみしきぶ)

・(病によって)もう生きていないであろうこの世ではない世界への思い出として、せめてもう一度くらい(あなたに)逢うことが出来たらよいのに。

  まもなくのこの世のほかの思い出に
  いまひとたびのあなた求めて

五十七

めぐり逢ひて見しやそれともわかぬ間に
雲隠れにし夜半の月かな
    紫式部(むらさきしきぶ)

・(久しき友に再会したと思ったらたちまち別れたのを詠んで)巡り逢って見たのか見なかったのかも分からない間に、雲に隠れてしまった夜半の月であることよ。

  巡り逢い見えたかすらも分からずに
  雲に隠れる夜半の月です

五十八

有馬山猪名(ゐな)の笹原(ささはら)風吹けば
いでそよ人を忘れやはする
    大弐三位(だいにのさんみ)

・有馬山の猪名の笹原に風吹けば、そよそよと音を立てて、ああ、そうよそうなのよ、あの人を忘れたりするものですか。

・元歌集の詞書(ことばがき)には「離れて久しい男がやってきて、あなたの心変わりが心配ですなんて言ったときに詠んだ」とある。

・「有馬山」「猪名」(兵庫県)は共に使用される枕詞で、猪名は笹原で有名だったらしい。上三句が「そよ」への序詞で、「そよ」には「そのことよ」の意味と「そよそよ」の葉音を掛けている。

  有馬山猪名の笹原そよ風の
  そうよあなたを忘れることなど

五十九

やすらはで寝なましものを小夜(さよ)更けて
かたぶくまでの月を見しかな

・(あたなが来ないと知っていたならば)ためらわず寝てしまったであろうに、夜も更けて西空へと傾く月を見続けてしまったことよ。

  ためらわず眠れば良かった小夜更けて
  傾くまでの月を見てるの

六十

大江山(おほえやま)いく野の道の遠(とほ)ければ
まだふみもみず天(あま)の橋立(はしだて)
    小式部内侍(こしきぶのないし)

・大江山(京都市右京区)から生野(いくの・京都府福知山市)へ行く道は遠いので、まだ文も見ていないし、天橋立に踏み入れてもいません。

・「いく野」に地名と「行く」が、「ふみもみず」に「文」「踏み」が掛かり、「踏み」は「橋」の縁語になっている。

・歌い手として知られすぎた母親である和泉式部が不在のため、歌を代作して作って貰えなくてお困りでしょう、とからかわれたのを引き留めて、即座に詠んだ歌とされている。

 大江山いく野の道の遠ければ
 ……うん、なんだかそのままでも通じるだろう

2010/1/25

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