朝ぼらけ有明の月と見るまでに
吉野の里に降れる白雪(しらゆき)
坂上是則(さかのうえのこれのり)
・ほのぼのと夜の明けるころ、夜更けに昇ってはまだ居残っている月(すなわち有明の月と人は言うなり)の光っているのかと錯覚するくらい、吉野の里に白雪が降り募っていることよ。
・吉野を訪れて明け方に目が覚めてみれば雪が地面を覆うさまに、有明の月を感じてみたという歌。
朝ぼらけ有明の月と思うほど
吉野の里に降るは白雪
山川(やまがは)に風のかけたるしがらみは
流れもあへぬ紅葉なりけり
春道列樹(はるみちのつらき)
・山の小川に、風が掛けたというしがらみ(水流をせき止める柵)は、流れようとして流れられない、そんな紅葉なのであったことよ。
・「山川」は「やまかは」と読むと「山と川」の意味になってしまうんだそうだ。偉く難儀である。
山川に風の渡したしがらみは
流れきれない紅葉なのかな
久方の光のどけき春の日に
しづ心なく花の散るらむ
紀友則(きのとものり)
・ひさかたの(光に掛かる枕詞)光ものどかである春の日に、静かな心もなくてなぜ桜の花は散り急ぐのであろうか。
ひさかたの光のどかの春の日を
静けさ知らずの花は散ります
誰(たれ)をかも知る人にせむ高砂(たかさご)の
松も昔の友ならなくに
藤原興風(ふじわらのおきかぜ)
・誰をいったい、知り合いとしたらよいのだろうか。高砂(兵庫県高砂市)の老いたる松でさえ心なき松には過ぎず、昔からの友とは呼べないものを。(老い果ててひとりぼっちになっちゃった。ぐすん。)
誰をいま知る人と呼ぶか高砂の
松さえ昔の友でないのに
人はいさ心も知らず古里(ふるさと)は
花ぞ昔の香(か)ににほひける
紀貫之(きのつらゆき)
・人はどうであろうかその心は分からないものであるよ。しかし古里の梅の花は今でも、昔のように香りを放って咲いていることである。
・久しく滞在しなかった宿に訪れたところ、「あなたの泊まるべき宿はこうしてありますものを」と疎遠をちょっと咎められ、歌ってみたのだそうだ。もちろん「てめえはもう昔のてめえじゃねえのさ、けっ」という気持ちを歌ったものではない。主人はこの歌に対して、
「花だにも同じ香ながら咲くものを植ゑたる人の心知らなむ」
と返したのだそうである。
人はもうこころも知れない古里の
花はむかしの香りただよう
夏の夜はまだ宵(よひ)ながら明けぬるを
雲のいづくに月宿るらむ
清原深養父(きよはらのふかやぶ)
・夏の夜はまだ宵かと思っているうちに明けてしまったけれども、月はまだくだりきれずに、雲のどこかに宿っているのだろう。(夏の一夜を月をしたって眺め暮らした時の歌とある)
夏の夜は宵かと思えば明けるのを
雲のいずこに月は残るか
白露(しらつゆ)に風の吹きしく秋の野は
つらぬきとめぬ玉ぞ散りける
文屋朝康(ふんやのあさやす)
・草葉のうえに置かれた白露が、風にしきりに吹かれる秋の野は、糸で貫き留めなかった真珠の玉が、散り乱れてしまったようだなあ。。。
白露に風吹きかかる秋の野は
貫きとどめぬ玉と散ります
忘らるる身をば思はず誓ひてし
人の命の惜しくもあるかな
右近(うこん)
・あなたに忘れられる私の身など思ったりしません。だって、あれほど誓いを立てたあなたの命が、誓いを破ったために風前の灯火となって消えゆくのを、惜しいと思うくらいなのですから。
・捨てられた女性の皮肉の中に、やっぱり悲しみが籠もるくらいでよいかとも思う。
忘られる我が身なんかより誓いやぶる
あいつの命が惜しいくらいさ
浅茅生(あさぢふ)の小野の篠原忍ぶれど
あまりてなどか人の恋しき
参議等(さんぎひとし)
・浅茅生(浅く茅・ちがやの生えているところ)の小野(野原)の篠原(細い竹の生えている原っぱ)の「しの」のように、忍び忍んでは来たけれど、忍ぶあまりににもはや堪えきれず、どうしてこれほどあなたが恋しいのであろうか。
・二句までが、三句目の「忍ぶ」に掛かる序詞。
浅茅生の小野の篠原忍びます
けれどもいまはあなた恋しい
忍ぶれど色に出でにけり我が恋は
物や思ふと人の問ふまで
平兼盛(たいらのかねもり)
・こころに秘めていたはずなのに、顔色に表れてしまったのだろうか、私の恋は、物思いをしているのですかと、人が尋ねるまでに。
・村上天皇の歌合でのエピソードに知られる歌。といいつつ、エピソードは記さない奴もいるのさ。
忍んでも顔で見せてた我が恋は
何を思うと人の問うほど
2010/1/16