小倉百人一首の朗読 二

(朗読ファイル) [Topへ]

十一

わたの原八十島(やそしま)かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ海人(あま)の釣舟
    参議篁(さんぎたかむら)

・海原(うなはら)を、八十島と呼ぶほどに多くの島々を、わたしは漕ぎ出していったのだと、どうかあの人にだけは告げておくれ、漁師どもの釣り舟よ。

・遣唐使を風刺したうたによって嵯峨天皇に隠岐に流されたときの歌。

  海原(うなはら)の八十島をぬって漕ぎ去ると
  お伝えください海人(あま)の釣舟

十二

天つ風雲の通い路吹きとぢよ
をとめの姿しばしとどめむ
    僧正遍昭(そうじょうへんじょう)

・(乙女らの舞を見終えて)空ゆく風よ、天へと昇るという雲の通い路を吹き閉ざしてくれ。このような天女らの姿を、しばらく留めておきたいのだから。

  空風よ雲の通い路吹き閉ざせ
  乙女の姿わずかにとどめよ

十三

筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川(がは)
恋ぞつもりて淵となりぬる
    陽成院(ようぜいいん)

・(茨城県の)筑波山の峰より流れ落ちるみなの川、やがては深い淵となって淀みを見せるその川のように、私の恋する思いも深くなってしまったことである。

・「筑波嶺」は「思う心はつくば嶺の」などのように、恋の思いの「つく」(付いて離れぬ)の掛詞として使用されることが多かったそうである。さらに筑波山が男体、女体のふた嶺を持つことや、歌垣の行われた性格が、「恋」を強めているのだとか。

  つくば嶺の峰より落ちるみなの川
  募れる恋も深き淀みよ

十四

陸奥(みちのく)のしのぶもぢずり誰(たれ)ゆゑに
乱れそめにしわれならなくに
    河原左大臣(かわらのさだいじん)

・陸奥のしのぶ織りの乱れ模様のよう。あたな以外のいったい誰のために、乱れ染めにしたように乱れ始めてしまった、この私ではないというのに。(もう、助けて欲しいっす。とまでは言っていない)

・「しのぶもぢずり」は忍ぶ草で染め出した乱れ模様の布だが、名称に掛けて福島県信夫郡の特産品と考えられていたそうである。「しのぶ」に「恋をしのぶ」の意味が掛けられ、
「陸奥のしのぶもぢずり」が
→「乱れ」
の序詞(修飾説明する文)となっている。他にも、
「そめ」が、「染め」と「初め」の掛詞(二つの意味を掛けたもの)であると同時に、「しのぶぢずり」の縁語(一つの行為を思い起こさせる言葉)となっている。

  陸奥の信夫のもぢずり誰(た)がために
  乱れて染まったわたしなのです

十五

君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手(ころもで)に雪は降りつつ
    光孝天皇(こうこうてんのう)

・あなたのために、春の野に出て若菜を摘んでいる、その私の袖にも、雪は降りかかるのです。
・若菜を摘んで食することで邪気を払う、若菜節句の挨拶状みたいな歌とか。

  君のため春野に出かけて若菜摘む
  わたしの袖に雪は降ります

十六

立ち別れいなばの山の峰に生(お)ふる
まつとし聞かば今帰り来む
    中納言行平

・あなたと立ち別れては向かった、因幡(鳥取県)の稲羽山の峰に生えているという松。そんな風に「待つ」と聞こえたならば、すぐにでも帰ってくるでしょう。

・恋の歌に思えてくるが、赴任する際の宴で詠んだとされる。「いなば」に「往なば」を、「松」に「待つ」を掛詞として弄んでみた。

  別れてはいなばの山の峰に立つ
  まつと聞こえばすぐ帰ります

十七

ちはやぶる神代(かみよ)も聞かず竜田川(たつたがは)
からくれなゐに水くくるとは
    在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

・ちはやぶる(神代に掛かる枕詞)神代にすら聞いたことが無いものだ。(奈良県の)竜田川に美しいくれないの色に、水をくくり染め(絞り染めのこと)に染め抜くとは。(ブラビッシモな紅葉だっちゃ。)

  ちはやぶる神代にも聞かず竜田川
  くれない色に水染めるとは

十八

住(すみ)の江の岸に寄る波よるさへや
夢の通ひ路人目よくらむ
    藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)

・(大阪府の)住の江の岸に寄せる波の、打ち寄せるような(昼はもちろん)夜でさえ、夢のなかの通い路で、あなたは人目を避けようとするのでしょうか。(私が避けようとするのです、という説もある。)

・二句までが「夜」に掛かる序詞。「よる」は寄せる波の「寄る」と、「夜」の意味を掛け合わせつつ、夢へといざなうフォーカスが見事。

  住(すみ)の江の岸寄せる波よるさへも
  夢の通ひ路人目よけるか

十九

難波潟(なにはがた)短き蘆(あし)のふしの間も
逢はでこのよを過ぐしてよとや
    伊勢(いせ)

・(大阪の)難波潟の短い蘆の節と節のわずかな間さえも、逢わずにこの世を過ごせとでもおっしゃるのですか。(そんなの嫌です!)

難波潟(なにはがた)短い蘆(あし)のふしの間も
逢わずにこの世を生きろというのか

二十

わびぬれば今はた同じ難波なる
みをつくしても逢はむとぞ思ふ
    元良親王(もとよししんのう)

・思い煩えば、今はもう同じ事です。難波にある澪つくし(舟の航路の目印)のように身を尽くしても、だから逢おうと思うのです。

・「みをつくし」が二つの意味を掛けている。三句目の「難波なる」は結構強引なのに、決しておかしくはない。

  わずらえば今はもう同じ難波にある
  澪つくしても逢おうかと思う

2010/1/14

[上層へ] [Topへ]