きりぎりす鳴くや霜夜(しもよ)のさむしろに
衣片敷(ころもかたし)きひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣
(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)
・きりぎりす(今のこおろぎ)も鳴いているなあ、霜の夜の寒々としたむしろ(藁などで編んだ敷物)に、(二人の衣を敷き合わせて眠るでもなく)、自分の衣だけをまるで片方に敷いて、独りぼっちで眠るのでしょうか。
こおろぎの鳴ける霜夜のさむささえ
せめてまくらとひとり寝ましょう
わが袖(そで)は潮干(しほひ)に見えぬ沖の石の
人こそ知らね乾(かわ)く間もなし
二条院讃岐(にじょういんのさぬき)
・私の袖は、潮の引いたときにさえ見えないほどの沖にある岩の、人さえ知らないような、そんな恋心のために、その岩の決して乾くことなどないように、涙に濡れて乾くこともないのです。
わが袖は潮引く岩の見せもせず
知るものなくて乾くことなし
世の中は常にもがもな渚漕(なぎさこ)ぐ
あまの小舟(をぶね)の綱手(つなで)かなしも
鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)
・世の中は永遠に変わらないで欲しいものだ。渚(波打ち際)を漕いでいる漁夫の小舟の、船を引く引き綱を見ていると、しみじみとそんな思いも浮かんでくることよ。
・これは鎌倉三代将軍の源実朝の作品である。
世の中は常に移ろう渚漕ぐ
海人(あま)の小舟の櫂の遠くへ
み吉野の山の秋風小夜(さよ)ふけて
ふるさと寒く衣(ころも)うつなり
参議雅経(さんぎまさつね)
・吉野の山の秋風のうちに夜も更けて、古き都である吉野の里は、寒々しくも衣を打つ音が聞こえてくることだ。
・「み吉野」は「山」に掛かる枕詞。衣を打つのは、砧(きぬた・木槌のようなもの)でもって布を打って、柔らかくしたり、つやを出したりするため。
み吉野の山の秋風夜もふけて
古都(ふるみや)寒く衣(ころも)打ちます
おほけなくうき世の民(たみ)におほふかな
わがたつ杣(そま)に墨染(すみぞめ)の袖(そで)
前大僧正慈円(さきのだいそうじょうじえん)
・身の程を弁えないくらいだが、憂いの多い世の中の民を覆う役割を担うものである。「わがたつ杣(そま)」と詠まれるこの比叡山に住み始めて、この墨染めの黒い衣の袖によって。
・「墨染」には「住み初め(すみぞめ)」が掛詞。和歌でなかったらイヤミになりそうなところを、さらりと歌い流す。
身の程を過ぎても民を覆います
世守りの山の墨染の袖
花さそふ嵐(あらし)の庭の雪ならで
ふりゆくものはわが身なりけり
入道前太政大臣
(にゅうどうさきのだいじょうだいじん)
・桜の花を誘って降らせた嵐の、一面の花びらは、雪ではない。古くなって散ってゆくものは、私の身の上なのだ。
・「ふりゆくものは」には「降りゆくものは」と「古りゆくものは」が掛詞。
花いちめん嵐の庭の雪のよう
降りしきるのはこの身の上か
来ぬ人をまつほの浦の夕(ゆふ)なぎに
焼くや藻塩(もしほ)の身もこがれつつ
権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)
・来ない人を待つ私は、まるで松帆(まつほ)の浦[淡路島の先端]の夕凪の浜辺に、塩を作るために藻塩を焼き焦がしているように、身を恋に焦がしているのです。
・藻塩作りは、ホンダワラという海草を使って、煮詰めたり焼いたりして行うようだ。ちょっと調べたのだが、疑問符がほどけなかったので、なにも記さない。恋に焦がれるくらいジリジリと焼け付くようなものなのだろう。「まつほ」が「待つ」を掛詞として持っていて、身もこがれつつは同じ意味で、「恋」と「藻塩」に関わってくる。
あの人を松帆の浦の夕凪に
塩焼くほどの身を焦がします
風そよぐならの小川(をがは)の夕暮(ゆふぐれ)は
みそぎぞ夏のしるしなりける
従二位家隆(じゅにいいえたか)
・風がそよそよと楢(なら)の葉音を立てるなら(京都市北区御手洗川)の小川の夕暮れは、(すっかり秋の気配が漂っていて)、夏越(なごし)の祓え(六月祓・みなづきはらえ)のみそぎの儀式だけが、また夏のしるしを残しているばかりである。
・「なら」に地名と楢の木を掛詞。
風そよぐならの小川の夕暮は
みそぎばかりが夏の面影
人もをし人もうらめしあぢきなく
世を思ふゆゑに物思ふ身は
後鳥羽院(ごとばいん)
・人を愛おしくも思い、人を恨めしくも思う。味気ない世の中だと思うがゆえに、なおさらにいろいろと物思いをしている我が身なのです。
人を愛し人をも恨む味気なく
思う世ゆえになお思う身よ
ももしきや古き軒端(のきば)のしのぶにも
なほあまりある昔なりけり
順徳院(じゅんとくいん)
・この宮中の古くなった軒端にはえている忍ぶ草。どれほど忍んでも、なお忍び尽くせない、古き良き時代がかつてはあったことだなあ。
・「ももしきや」はもともと枕詞(宮・大宮に掛かる)だったが、それだけでも宮中などを表現する。「しのぶ」に「忍ぶ草」と「忍ぶ」を掛詞。
我が宮よ古き軒端のしのぶさえ
しのび尽きれない昔なのです
2010/2/26